APS2400万画素
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D7100
ソフトウェア Capture One 7 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4000x5617 (11,661KB)
撮影日時 2000-03-13 10:07:11 +0900

1   kusanagi   2020/10/19 20:33

ウィキペディアより・・
祠(ほこら)とは神を祀る小規模な殿舎。語源は神道用語の「ほくら(神庫、宝倉)」の転訛という。
小祠(しょうし)、小堂(しょうどう)とも。もともとは古神道に由来する信仰であるが、神仏習合に
よって道祖神に関連した仏(地蔵菩薩など)も祀るようになった。
・・とあります。
祠には木造も石材もあって多様です。この祠は弁天様を祀っているようですね。赤い塗装の祠は
始めて見ました。山池の畔にあり、その鎮護も兼ねているようです。
ニコンD7100の実力をみた思いで、思いきって高データの画像をアップしました。少しトリミングして
いるのですが画像調整はせずに、ほぼそのままの画像です。撮影時の光量はたっぷりとあり、
直射光が射しています。少し白飛び気味のところも。近接撮影ですので条件はよいです。レンズは
35ミリ単焦点F1.4。現行のレンズだと思います。APS-Cで2400万画素ですから画素ピッチは狭い
のですが、ローパスレスも相まって、実にシャープに、かつ怜悧に色もでますね。我ながら驚きまし
た。このカメラ、AFも良いですね。前モデルのD7000とは性能が違っていました。

このカメラの画素ピッチをそのままフルサイズに拡大しますと、仮想的に5600万画素となり、
(参考) https://photoxp.jp/pictures/211790
5000万画素のキヤノンとか6000万画素のソニーになる感じです。5~6000万画素のカメラなど、
私は必要とはしていないのですが、仮想的にはそうなるということです。しかし超高画素高画質の
カメラ、技術的には関心があり、私4000万画素前後の機種をそこそこ試してみましたがまだよく
わからない所だらけです。なお、こういうカメラ、仕事て写真をやっている人には当然に必要なカメラ
ですね。と言いますか、仕事でなければ使うことが適わないカメラだと思います。

D7100に話を戻しますと、仮想5600万画素の片鱗がありながら、実際には2400万画素のカメラです。
高精細なレンズを着ければきちんと描写をしてくれて、価格も手頃であるという利点があります。
たとえ解像力のないレンズを着けたところで、半分の1200万画素くらいで見れば問題はないです。
アマチュアとプロの違いというのは、決定的なのばアマチュアは趣味ですから時間の余裕がないと
いうところです。それを無理をしてプロ並のことをしようとしても限界があるのです。
ですからアマチュアとしてはD7100くらいが限界であり、フルサイズカメラにしても同じく2000万画素の
カメラまでしか使えないのじゃないかって考えてます。そこを無理して4000~6000万画素のフルサイズ
カメラに行くのは危ういということですかね。

それからプロとアマチュアにはもうひとつ決定的な相違があって、プロは写真に目的を持っています。
こうこういう写真を撮り、こうこういう処理をして写真を提供するという合目的性です。だいたい写真
そのものが自分の為の写真ではなくて、あくまでも依頼された写真ですからね。
ところがアマチュアには目的がありません。こうこういう写真をテーマ性をもって継続して撮るということ
すらしていないのではありませんか。目的も目標もないのですから、たとえ時間が多くあったとしても
危ういものですよ。小人閑居して不善をなす。ということになりかねません。
というわけで高性能な機材を持って写真をなさる方は自分なりの確固たる目的をもって写真に臨ま
ないといけませんね。またその目的が世間的に通用するものでないといけません。

この世間的に通用するというのは、これは難しいんですよ。アマチュアの写真というのは大体は自分
よがりの写真であって、一般には使えない写真ばかりなんですね。記録としてすら役に立たない写真
です。世間様に通用する写真を撮ろうと思えば、ほんとに一から全部、変えていかないといけません。
それでそういうものがクリアできてはじめて世間に奉仕できる写真が撮れるというわけです。
とにかく世間様にに役立てるような写真が撮れるようになれば、たとえ高画素カメラを使ったとしても
写真の病理というものは発生しないと思われます。

2   kusanagi   2020/10/22 00:11

超高画素高画質というカメラ。これを長らく考え続けているんですが、要するにこういうプロの方
が使うようなカメラというのは、これは本来自分のカメラではない、このカメラで撮った写真は自分
の写真ではないのだ。と考えれば自然と納得がいくのかなって考えるようになってます。
自分の写真とか自分の為の記録写真としては、それは性能の低いカメラが相応しいのであって、
古いカメラとかそういうので撮ればいいんですね。
それで幾数千万画素フルサイズというような高級カメラは、これは誰かから預かって使っていると
いうような考え方をすればいいんではないですかね。またそれに相応しいレンズ等もそうです。

考えてみるとアマチュアの写真って、気持ち悪いほどに自分、自分と我が強すぎると思えます。
その過剰な自我と高性能な機材とが相まって病理を生むんであって、自分の強すぎる我意識を
なくせば何も問題は発生しないんじゃないかなって感じます。
日本人は本来、世間的にはあまり我を出さないようにしていますね。それよりも協調心です。
ところが、温和な人がカメラを持てば、一変して精一杯我を出して突っ張ってしまう。不思議なこと
ではありませんか。なぜそうなるのかというと、おそらく機材がそうさせるんじゃないかと思ってます。
昔から、車のハンドルを持てば人が変わるっていうことも言われていますし。(^^ゞ また写真という
文化に関しての勘違いというのもあるのでしょう。

多くのアマチュアカメラマンは機材の罠にはまってますね。簡単に言うと、高級な機材を持っている
人はどうしても我が出てくるんです。またカメラは普通機でも、高級人気レンズを使う場合にも要注意
ですね。
このような人達は自分がこの世界では偉いと思っている節があります。安い機材を使っている人を
下に見る傾向にありますね。
これをまず改めないといけないのですが、これは大変むつかしいんですよ。特に高級機ばかりを
使っている人はそうです。私はこのことには昔から気がついていて、それで廉価機材も同時導入して
使っています。レンズにしてもジャンク物も使ってます。なぜそうしているかというと、勿論、初心を
忘れないようにしたいからですね。

私が東北に撮影にでかけた時、最初は低画素のフルサイズカメラを使いました。古いカメラですね。
2回めの時は、カメラこそ現行機種でしたが、撮影記録はわざと記録画素数を落として使いました。
この2度の撮影はあくまで私自身の欲で行ったのであって、しかも見知らぬところでした。出来る限り
自分の我は出さないようにすべし、という意識から敢えてそうしたわけです。
こういうことが出来るのも、日頃から安い機材を使っていたからこそだと考えています。個人的には
東北旅行は大成功だったと思っています。もし自分の持てる最高の機材で撮影していたら、自分
の心というものを失っていただろうと考えるからです。何よりも東北の方に失礼であったろうという
ことですね。

もし不幸にして高級機材を持っている人がいれば、それは本来は自分のものではない、誰かから
預かっているだけだと考えるようにすればいいんではないですかね。自分のカメラではないのだから
自分の我欲な写真は撮れません。そのカメラを使わないこともできるし、もし使うのならば誰かの
為の写真にしなくてはいけないということです。無私の写真になるということです。

本来、超高画素カメラとか高級なレンズというものは、写真を職業にしている方が使う機材です。
それをたかだかアマチュアが自分のために使うものではないのです。そこを勘違いするから妙なこと
になるんですね。
多くのカメラマンは、出来るかどうかは別にして、とにかく高級機材を使うことは素晴らしいことだと
勘違いをしています。この勘違いが多くの不幸を生んでいますし、これからもそうでしょう。
カメラなんて所詮はモノです。ただのガラクタです。ついでに言えば写真だってそのようなものです。
ほんとうに大切なものは自分の心ですね。写真の精神ですから。

この小さな祠は、無くても構わないような些細なものです。しかし溜池のような大きなインフラには
必ずあります。不思議ですね。しかしその存在意義は既にご理解頂けたと思ってます。

3   で?   2020/10/30 00:43

だから?

4   kusanagi   2020/11/9 21:29

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