メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 10.0mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3648x2432 (4.54MB) |
撮影日時 | 2023-04-03 02:51:26 +0900 |
私などは典型的ですが、写真は人様に迷惑のかからない程度に、個人的な楽しみでのみ、密やかに
やって行きたいというのがあります。なによりも撮影そのものが楽しみであり、屋外に出かけて、カメラ
を手に持って歩くというだけで十分に満足というわけです。
それ以上は何も望まないのであって、それならばよく考え見れば自分の撮った写真を投稿する必要も
ないわけですが、そこは写真というものですから、この掲示板を使わせてもらって下手な写真を上げ
ています。
この、そこは写真というものですから・・・というのが、全ての写真には多少の多寡はあるものの、社会性
というものが属性として存在しているのだ、という証しでもあるんです。
写真は完全に個人的なものではありえないということ。そこには幾ばくかの社会性世間性というものが
必ず内在しているということ。これはきはり写真の本質になるのだろうと思っています。
なぜならば写真とする対象物は世間様から預かっているものだからです。大自然が被写体という場合
でもそこには神的な社会性というものがありますから。
そもそも本当に自分だけのものがこの世の中にあるものなのか。と問えば自信をもって自分のモノ、私の
ものだと言えるものは殆どないことに気づくはずです。すべては世間に世界に通じているものばかりです
から。