写真編集ソフトウェア掲示板
現像・レタッチソフトの使い方と仕上がりを語る掲示板です。Lightroom、Photoshop、各社純正ソフトでの現像結果を写真で比較できます。
無題
Exif情報
| メーカー名 | PENTAX |
|---|---|
| 機種名 | K20D |
| ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
| 焦点距離 | 16mm |
| 露出制御モード | 不明(0) |
| シャッタースピード | 1/40sec. |
| 絞り値 | F4.0 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 200 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 4096x2721 (4.72MB) |
| 撮影日時 | 2008年01月01日(火) 17時31分 |
何十年ぶりかで、本の(蔵書というほどではないけど数千冊はあると思います)を整理できました。 量が増えて長らく本棚に置くことが出来ず、ダンボールに入れたまま倉庫に積み上げていたもの です。最初は本棚の作成から始まり手間がかかりましたが、やっと終わったという感じです。 古い本など捨ててしまってもよいわけですが、自分が何十年も掛けて読み上げてきたという、 そういう自分の読書史なるものを俯瞰して見たかっただけかもしれません。 陳列には大まかにジャンルを分けて収納しています。その中に写真・カメラ部門があり、特に 興味深かったのは、捨てそびれてしまったカメラ雑誌があることです。現在はカメラ雑誌なる ものは発行されていません。多少は存続しているようですが、写真文化はすっかりとネットに なってしまい、出版としては死に絶えてしまったというところですね。今更捨てるのは忍びなく て保存することにしました。 やはり印刷として出版された写真は良いですね。ほんとにそう思います。 とくに黒白写真のものは、これは絶対に紙の印刷に限る、という気がします。 カメラ・写真雑誌だけでなく、写真集もそこそこあります。これもやはり黒白写真がいいです。 黒白写真印刷は時代を超越して訴えかけてくるものがありますね。 私は正直言って、写真はフイルムであろうがデジタルであろうが、さほどの相違はないと考えて います。しかし鑑賞法としては、モニター・スクリーンで見る写真と、紙に印刷された写真とは ぜんぜん違うと思っています。これは本質的な違いだときっぱり断言できると思ってます。 それから印刷は、銀塩写真プリントであろうが、それから起こした商業印刷であろうが、そんなに 違いはないとも考えています。 とにかく古い蔵書が出てきたということで、折を見てページをめくってみようと思います。 先日、田舎街で写真を撮っていると、近くの中学の4人組女子生徒に出くわし、「撮ってえ」と、 せがまれたので数ショット撮影しました。「写真が欲しいなあ」っていうので、後日、写真屋で プリントして学校に持って行きました。見知らぬ生徒たちですが、学校ではすぐに誰かと分かる でしょうから、その場に居合せた先生に手渡してそれで終わり。 それで写真プリント、金額はけっこうしますね。長い間、写真屋で現像もプリントもしたことが なかったので、改めて写真を紙プリントすることの意義と金銭的負担を知りました。 青春真っ只中の中学生にとって、仲良し仲間と写った写真は貴重なのではないかと思いました。 多少は写真を通じて地域に貢献できたかなって思ってます。(笑) それから中学生とのやり取りで、彼女らはストリートスナップなる言葉を知ってましたね。 今は女性が写真人として活躍する時代になっているようで、もしかするとその中学生がもう少し 大人になると、自らカメラを持って写真を撮り始めるかもしれませんね。 新聞で見ると、カメラの売れ筋ですが、全世界レベルでその販売台数では、1位キヤノン、2位 ソニー、そして3位はフジフイルムであり4位のニコンを抜いたとのことです。 田舎ではまだまだニコンが強いわけですが、都会の若い人たち、特に女性ではフジらしいです。 フジは戦略的に写真を撮る楽しさと意義を若い人達にアプローチしているみたいですね。 デジカメでは、スマホのカメラ機能がデジカメを駆逐してしまって長く経つのですが、改めて 写真を専用のカメラでもって接してみたいという、新たな雰囲気が芽生えてきているようです。 それからデジカメでは既にミラーレスばかりになり光学式デジイチはもう売られていないよう です。光学式に拘ったペンタックスはもう製造中止となったようです。 それから、コンデジという小型カメラはスマホに駆逐されたのかと思いきや、コダックブランド で安価なコンデジが出ているようで(中国メーカー)、それが台数としてキヤノンを抜いたとか。 スマホのようにAIを使って綺麗に撮れ過ぎるのに、逆に違和感を持った若い人達が買っている ようです。 写真を撮るという文化はけっして無くならないというか、しぶとく生き残るみたいで、それが フジのカメラとかコダックのコンデジで新たに証明されたということになるのでしょうか。 今現在、私は主にソニーのデジイチを使っています。10台くらいはあるのですが、けっこう気に 入ってます。 ソニーの前はペンタックスを使ってました。ソニーもペンタも、キヤノンやニコンというメジャー ではないというのが意識下にあるのかも知れませんが、高齢者のアマチュアがキヤノンやニコン を決まって有難がるのに少し違和感があるのかもしれません。しかしソニーはもはやメジャーに なりました。 しかし何故か、ソニーの光学式カメラは、独特の雰囲気があって、それは多分に、ミノルタから 受け継いだ遺伝子かも知れませんが、満艦飾なごちゃごちゃ感があって、オタク的なところが 気にいっているからかも知れません。それが今現在私が凝っているストラップのおしゃれとマッチ するんです。これが同じソニーでもミラーレスになると、ソニー的な合理性が出てスマートに なります。 でもまあ、カメラは何でも良いんですね。古いカメラでも動ければそれでオーケーです。(笑)
Exif情報
| ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
|---|---|
| サイズ | 2500x1660 (1.25MB) |
ニコンd300 Iso400 f7.1 ss1/400 kb5130
無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α77 |
| ソフトウェア | Capture One 7 Windows |
| 焦点距離 | 18mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/500sec. |
| 絞り値 | F8.0 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 100 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 2000x1333 (1.81MB) |
| 撮影日時 | 2015年03月29日(日) 13時13分 |
里山歩きをサボっていたので、もう一度、小さな山から、登り直しです。 この山、わずか百数十メートル。観光客が多くてインバウンドも多数見かけます。 少し離れた神社では台湾から来た遍路姿の若い一人旅の女性と、ノラ猫撮影を撮りっこしました。(笑) まだまだ暑いです。 日本列島は、ユーラシアプレートにあった東端の陸地を、巨大な太平洋プレート(及びフィリッピン 海プレート)が想像を絶する力で引き剥がしたことで生まれました。それで列島の陸地の成り立ちと して、半分はユーラシア大陸から剥がれ落ちたもの、残り半分は太平洋プレートにあった火山島など の付加体が集積されたものです。 この地球レベルの地質学的な成り立ちを知れば、日本と中国はまるで違うっていうのが良く理解でき ます。北は樺太・千島列島、北海道・本州・九州そして沖縄・南西諸島、それから台湾、フィリッピン とかけて、まるで大陸東部の海を塞ぐようにして弧状の列島群として配置されていますけど、それは あくまで太平洋プレートの存在がこの地球に刻んだものなんですね。 巨大なプレートの運動。よく知られているのはユーラシアにぶつかったインド亜大陸です。その巨大な 力はチベットやヒマラヤを形成し、今もなお押し上げ続けています。 中国と日本は違う。また中国とインドも違う。それらはプレートテクトニクスの力によるものです。 この巨大なエネルギーの本質が分かるようになると、それが日本人の持つ深さの本質になっていること に気がつくようになるわけです。人間が住めるのは確かに狭い弧状列島でしかありませんが、深奥には 巨大な太平洋が控えていることになります。
無題
Exif情報
| メーカー名 | Canon |
|---|---|
| 機種名 | EOS-1D X |
| ソフトウェア | Capture One 7 Windows |
| 焦点距離 | 55mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/664sec. |
| 絞り値 | F9.1 |
| 露出補正値 | +0.0 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 200 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 5184x3456 (7.09MB) |
| 撮影日時 | 2026年08月24日(月) 08時24分 |
沖縄県知事選で玉城デニー氏に変わって、やっとまともな保守の古謝玄太氏が当選しました。 沖縄と言えば、つい最近の辺野古の事故を思い出さないわけにはいきません。 あの事故を見て、私は本当にあきれたと言うか、沖縄は全然だめじゃないかと心底思ったものです。 平和学習の一環だったといいますが、一体なんの学習だったのか。なんで高校生が犠牲にならんと いけなかったのか。親御さんの気持ちを思うと残念でならなかったわけですけど、とにかく一番の 犠牲者は亡くなられた当人の高校生自身です。 ああいうめちゃくちゃなことをやっている沖縄。当然にあの事故の責任は県知事も負うべきだと 思うのですが、これでやっと手始めとして少しは審判が下ったかなって思います。 基地反対を生業とする業者(違法な操業のようです)、同志社国際大学の関係者(既に犠牲がでました)、 そして全てを野放しにしていた県当局と知事。これからきっちりと責任を取ってほしいですね。 あいまいにしてはいけません。 最近。写真を撮れていません。護衛艦が来たのでちょっとばかし撮影したくらい。 写真が撮れていないということは、当然には山にも登れていなくて、大分身体が鈍ってます。(笑) もういちど体力を取り返さないといけないんですが、これがまあ、大変なんですね。コツコツと やっていこうと思ってます。 投稿写真は、35-350ズームレンズを使ってます。重さはカメラ込みで3キロちょっとなんですけど、 とにかく持ち難いカメラとレンズでした。これならば、イオス5D系にバッテリーグリップを付け、 シグマ50-500を着けた方(4キロオーバーになる)が断然に持ちやすいです。
夏をあきらめて
Exif情報
| メーカー名 | NORITSU KOKI |
|---|---|
| 機種名 | EZ Controller |
| ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
| サイズ | 1500x995 (994KB) |
fuji super g 800 pentax spf takumar 55mm f2 研ナオコさんのあきらめのー夏ー♪ フィルムは期限切れにて失礼
紳士
Exif情報
| メーカー名 | NIKON CORPORATION |
|---|---|
| 機種名 | D300 |
| ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
| 焦点距離 | 28mm |
| 露出制御モード | マニュアル |
| シャッタースピード | 1/250sec. |
| 絞り値 | F3.5 |
| 露出補正値 | +0.0 |
| 測光モード | スポット測光 |
| ISO感度 | 0 |
| ホワイトバランス | 5000K |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 2500x1660 (1.02MB) |
| 撮影日時 | 2007年03月31日(土) 08時22分 |
街中をあゆむ紳士
雨落ちる木
Exif情報
| メーカー名 | NIKON CORPORATION |
|---|---|
| 機種名 | D300 |
| ソフトウェア | Ver.1.11 |
| 焦点距離 | 0.0mm |
| 露出制御モード | マニュアル |
| シャッタースピード | 1/50sec. |
| 絞り値 | F0.0 |
| 露出補正値 | +0.0 |
| 測光モード | スポット測光 |
| ISO感度 | 320 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 4288x2848 (6.31MB) |
| 撮影日時 | 2007年03月24日(土) 08時01分 |
auto takumar 55mm f2 M42の薄っぺらいアダプター介して近接撮影限定です。 filmとdigital交互に使ってて思うのはfilmでスローシャッターは安定しているのにdigitalはいまいち安定しないなと思う。 安定とはガシッと止められないところ、日々精進ですな。
無題
Exif情報
| メーカー名 | PENTAX |
|---|---|
| 機種名 | K-5 II s |
| ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
| 焦点距離 | 20mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/80sec. |
| 絞り値 | F4.0 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 800 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 4928x3264 (10.3MB) |
| 撮影日時 | 2014年03月15日(土) 10時55分 |
人間の一生と言うのは決められている。 その与えられた運勢なり運命をただ人は生きるだけなんだと思います。 私の周囲には、働いて働いてそれで時が来ればすっといなくなる。そういう人が多いような気がします。 もちろん老後を悠々自適で過ごされている人もいます。写真趣味でパリ三昧の人もいましたね。 しかし強く印象に残るのは、馬車馬のごとく働いて、在命中に何の娯楽の楽しみをしなかった人が、その 仕事という役目を終えると、吹き消された蝋燭のように人生を終えること。 そういう人達を数多くみていると、写真なんていう娯楽趣味に浸っている自分が恥ずかしくなるような 気持ちになってしまいます。 今やっている里山歩きの撮影はこれからも続けていこうと思ってます。しかしそれ以外の写真はもう 撮らないと思います。ところで四国の里山歩きはそのまんま遍路道であったりします。 そうなのか。自分は、お遍路カメラマンということかもしれません。
無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α77 |
| ソフトウェア | Capture One 7 Windows |
| 焦点距離 | 28mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/60sec. |
| 絞り値 | F4.0 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 1600 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 2000x1333 (1.77MB) |
| 撮影日時 | 2015年02月28日(土) 20時21分 |
これはカメラの左側のみにストラップを付けた様相。 ストラップというのは、厄介なもので、写真右側のような細身で柔らかい材質のストラップならば、 カメラ上部の左右に着けても(これが通常)問題がないのです。 しかしストラップの中には写真左側のカメラのように、接着部の材質が硬い、そしてストラップ自体が 幅広のものであれば、カメラを手に持っても素直に垂れ下がってくれません。 これを解決するひとつの手立てが、ストラップ自体を、右側のレリーズ部があるところから解放する ことです。この写真では、ストラップの接合部をカメラ右上部から左下部に移動しています。 これでレリーズを構える右手の指がストラップに邪魔されることもなく、また右手でカメラを運ぶ時にも ストラップは綺麗に垂れ下がるのです。 今回はバッテリーグリップにストラップを付けていますが、カメラ下部の三脚穴にフックを付けて接合 することも可能です。 こんなややこしいことをしなくても、幅の狭い柔らかいストラップを使えばよいわけですが、(笑) とりあえず今は、幅広の純正品ストラップを使ってみたい、というだけの話ですね。 正装をしてみたい。作業着ではなくスーツで決め手みたいというだけなんですが、幅広ストラップにも 長所はあって、やはり少しは目立つこと。それで車道などの道路などを歩くときに安全かな、という こと、またイノシシにも目立ってくれればよいわけですし。 はっきり言うと、幅広の純正ストラップ(品質の良いものは少ない)などは、見掛けだけのものなんですね。 それで私は長い間、ニコンの初期型のプロ用ストラップとか、ペンタックスの初期の木綿製ストラップ、 キヤノンのプロ機用のストラップ、またノーブランドの無地の細身のストラップなどを使ってきました。 それらのストラップは優れています。 しかしそれだと、カメラ本体とストラップのブランドが合わないことがしばしばで、素人さんが見れば 違和感を持つだろうということで、それじゃ、メーカー名を合わせてみようか、としているわけです。 なんというか、これは対人対策用という気がしてます。(笑) 最近は讃岐の里山だと暑いので、讃岐山脈(奥山)に登っています。標高が千メートルなので頂上部は 涼しいということで。ただやはり下のほうは暑いんです。汗がだくだく。それでも山頂部の涼しさは ご褒美となります。四国の2千メートル級は、現地までの距離が遠く、まだ自信がないので先の話です。 写真やカメラは、自分の好きなようにすれば良いだけのことで、これだという正解はありません。 ただ自分の好きなものが分かっていない人も多いですね。それで皆がやっているものをそのまま踏襲して いるだけの人も多いです。それは残念だなという気はしてますけど、人はそれぞれなので他人がとやかく いうことはないです。 自分の好みがなくて、皆に合わせるというのは、人間的に良いタイプの人ではありますね。しかし 学ぶべきことは少ないです。 少し変わった人のほうが、私としては面白いという気がしています。 知り合いにパソコン趣味の人がいるんですが、私も同趣味なのでよく話すのですけど、彼はパソコンの 購入代は、パチンコで稼ぐんですね。(笑) ほんとかな?と思いましたけど嘘というかハッタリを言う 人間ではないので本当のことなんだと最近は信じるようになりました。 そういう能力がある人間もいるんだなっていうことです。そして彼は一般の眼ではかなり変人だという ことのようです。 人間、少し変なくらいなほうが、付き合う側としては有益かなっていうことですかね。
麦
Exif情報
| ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
|---|---|
| サイズ | 2500x1660 (1.13MB) |
人の体は食べるものから作られている なんて言いますけど 男子校の私は3日座禅を組まされるという学校行事がありました。 ごま塩をふりかけおかずの漬物をパリポリ 最後に椀を洗うために底に残る米粒へ湯をながして箸でちゃっちゃかとこそぎおとして湯とともに胃の中へとかっこむ。 昨今手にしたD300にお古のtessar 50mm f3.5 red T m42で無限遠の出ないこそばゆいレンズでぐぬぬ!とばかりファインダーで被写体を見つめ撮ってます。
「人の体は食べるものから作られている」という実感には大いに頷ける。だが、肝心の写真からはその命の滋味が伝わってこない。 全体が重く沈んでおり、光の方向や質を読み切れていない。サイド光や半逆光で穂の輪郭を立たせなければ、穀物の力強さは描けない。ソフトウェアでの後処理で明暗をどうにかしようとする前に、現場で光を的確に捕まえる視点が必要だ。 古いレンズと格闘する熱意は買う。機材の不自由さを嘆くより、光が一番美しく当たる時間と角度を探るステップを踏むべきだ。
空路
Exif情報
| ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
|---|---|
| サイズ | 1995x3000 (1020KB) |
東武線で帰宅する際に車窓を眺めていますと、南方面へと通過してゆくジェット機を見ます サッとカメラを取り出して撮りたくなる衝動にかられてしまうのですが満員乗車状態、 流石に撮影とはいかないのです もう2~3年くらい前になるでしょうか、福島県付近より本島に入り栃木県太平山頂をかすめて地元からドリームリフターが見えるのですが 空路を変えてるのかな?と思う節がありそのことを話すと戦争準備に入ってると返ってきました。 最近思うのはどこまで考えてみても個人1人に何をも思う、というか何ができるというのか 動向を見聞きしてチェックすることは大切だとは思うのですが本当のことを知ったとして答えによせることはできないだろうにと、 カメラはニコンD100にnikkor-auto,s1.4/50
ドリームリフターとはボーイング787の主翼や胴体を空中輸送するための輸送機(ボーイング747-400改) のようです。787は主要パーツがカーボンファイバー製で作られ、それらは日本の工場で製造されて いるみたいですね。 ネットのグーグルAIで調べると、主翼は三菱重工・名古屋、胴体前部は川崎重工・岐阜、中央翼はスバル・ 愛知県とありました。それらで製造された巨大パーツをアメリカのサウスカロライナ州のボーイングの 工場へ運んで組み立てるそうです。 それでドリームリフターの発着空港は、中京地方のセントレア中部国際空港のみ、とのことです。 AIでさらに突っ込んで調べると、過去にアメリカ本土やアラスカ等への飛行ルートの関係で、関東地方 の周辺上空を通過した目撃情報や、例外的な飛来の記録は存在します、と出ました。 もしくはアントノフや他の大型航空機も羽田や成田に飛来するので、目撃者はそれと見間違える 可能性も指摘されています。 「戦争準備に入っている」、という誰かの返答は、米軍の大型輸送機ならば想像として成り立ちます。 実際にC-17グローブマスター、C-5ギャラクシーなどの大型輸送機は、大規模な演習などで横田基地に 不定期で飛来するそうです。 おそらく返答者は、ドリームリフターと米軍輸送機を混同しているものと思われます。 ドリームリフターはボーイング社の民間輸送機でしかないので戦争とは関係がないですね。
無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α350 |
| ソフトウェア | Capture One 7 Windows |
| 焦点距離 | 35mm |
| 露出制御モード | 絞り優先 |
| シャッタースピード | 1/15sec. |
| 絞り値 | F5.6 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 1600 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 1331x2000 (1.77MB) |
| 撮影日時 | 2008年01月07日(月) 23時28分 |
酷暑から少し暑さが和らいだかなっていう感じになりました。 今回はちょっと変なカメラを作ってみました。 ペンタックスの、なんでもない普通のデジイチですが、ペイントは蛍光色の赤です。 こういう変なカメラを作るのがペンタですけど、このカメラ、実用としての、唯一の 使い道があるのに気が付きました。 それは歩道がない自動車が走る道を歩かなければならない場合、この赤が利くのです。 普通、登山道の山道は人が歩くだけの山道ですけど、中には自動車道しかない山道も あるんです。そういう場合に自分を車から守るカメラとなります。 なにせ、赤は目立ちます。そしてストラップも赤でいこうと。さらにストラップを 2本つけて(1本はダミー)、それで手に持ったカメラが歩くたびに、そのストラップが ひらひらとなる。 このひらひらが大事で、ドライバーの目を引きます。 通常の黒のカメラに黒のストラップと違い、目立つこと間違いなしですね。 なお、このカメラはイノシシに対しては無効かと思います。ふつう動物は赤色を認識 できないと言われていますので。 イノシシには普通の黒の大きめのカメラで十分です。ストラップも黒でよく、しかし 幅広のストラップがよいですね。イノシシって目ざとくて、人間が手に何かを持って いるのを確りと見ています。 彼らは人間が手に持っている機器が恐いんですね。その機器は大きいほど良いです。 ダミーのストラップはカメラ下部(グリップ下部)の三脚穴に付けてます。直ぐに 取り外し可能なリングで付けてます。グリップは勿論、純正ではなくて古いニコンの グリッフを改造しています。カメラよりも大きいのですが、そのほうが問題がなく 持ち良いのです。
ニコンのグリップをペンタックスに移植し、交通安全用ストラップまで増設する魔改造ぶりに唸りました。イノシシへの威嚇効果など、機材の物理的特性を極めた視点ですね。 撮影機のソニーα350でISO1600を選択しつつ、シャッタースピード1/15秒という設定は、CCDセンサーの高感度ノイズと手ブレの限界を天秤にかけた結果と思われます。 静物撮影なので、ISOを400程度に下げて三脚を使えば、ノイズを抑えて改造部の質感をより克明に描写できるはずです。
無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α77 |
| ソフトウェア | Capture One 7 Windows |
| 焦点距離 | 50mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/80sec. |
| 絞り値 | F2.8 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 1600 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 2048x1365 (1.78MB) |
| 撮影日時 | 2015年02月12日(木) 10時18分 |
まず、イメージありき。 多くの人々が写真機材の何かを新しく購入するとき、脳内でイメージを膨らませている はずです。たとえば自分は夕日の太陽が大きく映り、水平線に沈んでいく有り様を撮り たい。とイメージしていたとします。 そうすれば超望遠レンズが欲しい、さらに大型の三脚が欲しい。となるわけで、その ふたつの機材を購入するために、大きく夕陽のイメージを働かせているわけなのです。 このイメージングは機材を購入する時だけでなく、何処そこに撮影に行きたいと決意 するときにも働くはずです。その場所が遠ければ旅費は嵩むので機材購入時と同じく、 決定にはイメージを膨らませ続ける必要があります。 そのイメージの源流とは、大体は他の人が撮った写真や映像である場合が多いのでは ないでしょうか。言ってみればこれは模倣ですね。自分が考えたイメージというもの ではありまん。 これが多くの人達が陥りやすい罠とでもいうものです。 なかには映像ではなく、旅行記などの文章を読んでとか、知人に話を聞いてとか、 それでイメージを膨らませていく人もいるでしょう。これはちょっと模倣とは違います。 自分の思考力というものが働いています。 私が今、里山で記録的に撮っている写真は、そういうイメージというものが最初から ありません。体力づくりでもって何処そこの山に登りたいと決めて、カメラは歩く 為の道具として持っていくわけですから、最初からイメージは湧いてこず、ぶっつけ 本番での撮影であるわけです。 つまりイメージなき撮影であるわけです。 写真撮影をするとき、大きく分けて二つのタイプに分類できるとすると、最初から よく調べてイメージを持って撮影に望む人と、そうではなく、ちょっとした思い付き で出かけて、現地でぶっつけ本番で撮影する人のふたつです。 もちろん一人の人にその両タイプが存在しているわけで、どちらかの比重になるかの 違いだけでしょう。 それで撮影として面白いのは、予めのイメージを持たずに出かけたケースではないで しょうか。思いがけず良い光景に出会ったとか、こんな美しいところだったのかと 感激をするのは、予断イメージを持っていなかった場合が多いです。 そして最初にいくら詳細に調べてイメージを膨らませていても、現地へいけばあっさりと そのイメージが覆される場合が多いのも面白いところです。良い意味で裏切られると いうのは痛快ですね。 なんだ、こんなものだったのかという場合もあるでしょう。私はそういうガッカリと いった場合には、それは自分が未だ探せていないだけだとして、現地で探し込みます。 そうすると良い場面に遭遇するのが常です。 写真とは常に自分の脚で眼で探すことである。いつまでも脳内のイメージで思い続けて いてはいけないと考えています。 そういう場合、その威力を発揮するのは自分の手足のごとく自由に動けるカメラです。 カメラというのは、外部の機材であるという違和感覚を少しも感じさせないものが良いと 思っています。 そして何よりも、そのカメラを常時手にもっていて速写性を保っていることが肝心です。 バックに入れたままとか肩に掛けたままでは反射的に撮影することができません。 歩いている間中は、常にカメラは手に持っていること。これが絶対条件だと思ってます。 ところで私の大昔からのカメラ感覚は、戦場カメラマンのカメラです。 戦場カメラマンの写真こそが写真の中の写真であると、若い当時の私は思っていました。 当時はベトナム戦争たけなわのころです。 その頃は今と違い、カメラにはケースが付いていました。そのケースを着けて写真を撮る というのが普通の感覚でしたね。皆がそうしていたように記憶します。 それで私は、戦場カメラマンと同じように、カメラケースを捨てて、むき出してカメラ を手に持って撮影することにしました。 現在ではカメラケースというものはありませんね。部品の密着性が良くなったので ケースは必要がなくなり、さらには防塵防水性まで獲得しています。 現在のカメラでは、私が付加して改造をするのは、手に持ちやすくするためにラバー などで滑り止めをしたりテーピングをしたりすることです。言ってみればこれが私に とってのカメラケースかもしれません。(笑) とにかく、メカニカルカメラの時代にカメラケースを捨てたことは、私の心の中では 革新的なことであって、それ以降、私のカメラは、いかにカメラを操作しやすく、 持ちやすくするかの追求であったような気がしています。 そして戦場カメラマンの精神として、予断のイメージでもって撮影をしてはいけない、 というのもあります。それは現地でその場で判断すべきものであり、思い込みで写したり 語ったりしてはいけないというものです。 おそらく私の中では、あの当時の時代の雰囲気、ベトナム戦争などの社会的な空気が 刷り込まれて、それがこの今も続いているというような気がしてなりません。 平和な現代では時代錯誤も甚だしいということかもしれませんね。 私の写真感覚を形作ったのは、当時主流の黒白フイルム写真だったというだけでなく、 当時の世相というものも、根底に深くあり続けているように思えます。三つ子の魂、 百までと言いますが、そんな気がしています。 ですので、写真は芸術だ、表現だというのは凄く違和感があって(これは80年代以降の カラーフイルム時代からです)、どうしてもそういう平和な写真感覚には馴染めないで いるのです。 ベトナム戦争の前は、終戦直後から始まったリアリズム写真でした。これも第二次 世界大戦という戦争のシリアルな結果で生まれたものです。 今の日本の時代は戦争というより自然災害というのがピッタリとするのかも知れま せんね。もちろん世界的には既に第三次戦争が始まっているという人もいて、戦争は すぐ迫っているのかもしれませんれど、今の日本の人々の感覚としては東日本大震災 からの自然災害のイメージが強いでしょう。これはやがて南海トラフ大震災に続く わけです。 それはともかくとして、多くの人々の実態はまだ平和な国というイメージに浸った ままです。 それが悪いというのではありませんが、写真世界に於いてもこの平和な花鳥風月が 続いています。 そういう私も他人事ではなかったわけで、平和すぎる写真を続けてきたなって 思います。それが少し変わったかなって思うのは、しっかりと体力をつけようとと 考えて、手段として里山にカメラを持ち出してからです。 里山には昔から登っていましたが今回は本格的に行こうや、ということで、カメラ1台 でレンズ1本のみのスタイルでした。記録撮影ということで余計なことは考えずに 交換レンズもなくそれだげて押し通すことにしたのです。 このシンプルさが結果的に、若い時期の黒白フイルム時代の写真感覚を思い起こした という気がしています。 撮影はノーファインダーが基本。もうこれ以上は省きようがないほどのやり方で しょう。完全に無駄欲を排したスタイルですから。 とにかく、このカメラが一台というやり方をここ数ヶ月ずっと押し通しています。 持って行くカメラ自体は適当に変わったりするんですけど、カメラ1台と着けたレンズ ひとつだけというのは変わっていません。それを不自由だとは思わなくなりました。 むしろ自分は自由になったような気がしています。 もちろんカメラは徹底的に持ちやすく使いやすくしています。 まだズームレンズを使用しているのですけど、実際はその最広角で撮るのが殆ど なので単焦点レンズで撮るのとさほど違いません。とにかくレンズを交換すると いう手間がカメラのシンプルさを最初に損なうという感じです。 徹底的にシンプルであること。わずらわしさを排するということ。これが有意義で あったのだという気がしています。そうすることで何かに近づくということらしい ですね。その何かというと、きっと写真の本質だろうと思ってます。 現在ではそれがスマホで写真を撮るということかもしれません。 いまでは殆どの一般の方々はカメラを捨てて、スマホで写真をとります。 以前、この掲示板で山岳写真を撮られて投稿されていた人が、最後に、もうスマホ で良いじゃないかと言って掲示板から去って行ったことがあります。なんとなく 分かるような気がしてますね。 それは人に見せる為の写真なんてしなくていいんじゃね、ということでしょうか。 写真は芸術だとか表現だとかいうから、写真を他人に見せて評価して貰わないと 完結しなくなるんだけど、それを吹っ切ると、写真はシンプルなスマホで十分なん ですね。自分の記録の写真だけの意味になるからです。 というより、現代ではスマホこそが写真の本質を見抜いているという気がしてます。 しかし残念ながら最近のスマホはAIで作っていますのでリアリティが欠けてしまう のが惜しいです。それから以前のコンパクトコンデジと同じでスマホは軽すぎます。 それでも良い線を行っているのがスマホであって、多くの人達が利用しているのは 納得がいきますね。 スマホの視点から見てみると、私がいま使っているデジイチは重さと大きさ以外は スマホに近づけていることに気づきます。機能として使い勝手としてスマホに接近 させているというわけです。これは結果としてであって今気づいたことです。 いま世界中でスマホによるショート動画が撮られていて、それがネット上にアップ ロードされています。ウクライナやロシアで撮られた爆撃シーンなどです。それは 戦場写真であるわけで、いうなれば時代を写し撮る戦場カメラでもあるのです。 ベトナム戦争ではプロのカメラマンがメカニカルカメラで報道していたけれど、 今では無名のスマホユーザーがインターネットで報道をしているというわけです。 そしてさらに最近ではAIによる偽動画や偽写真がネットで流される始末です。 しかしプロパガンダということで戦前も偽写真は横行していたので新しい現象と いうことではありませんね。 自分にとって写真とは何か。ということを追求していくことは大切なことだと 考えています。ともすれば時代に流されて自分を見失っていくのが世の常です。 自分の写真を取り戻すということでしょうか。これにはゴールというものはない わけで永遠に問い続けていくことになります。 デジタル写真になって、以来ずっと、私が過去にやっていた黒白フイルム写真と、 そして今のデジタルとの間には大きな乖離というものがあって、それにずっと 悩んでいたというところがありました。 少し氷解したのは制限の多い特殊なカメラ、モノクロ専用機を使い出してからです。 これで嘘のように新しい機材が欲しいという欲が消滅しました。 それでもまだ納得をしていずで、モノクロカメラでの撮影は楽しいというわけでは なかったからです。奇妙に作為的に無理をしているという感覚がありました。 それがさらに吹っ切れることになったのはカラーデジタルに戻して、撮った画像は 完全に見ないことにしようか、と決めてからです。 そうなってくると撮影に持ち出すカメラは何でもよくて、1台で十分じゃねってなり、 それが今に至っているわけです。 これで手軽に撮影に出かけることができるようにはなりました。この手軽さは重要 ですね。 そうこうしてくるうちに、制限だらけのカメラや写真であるはずなのに、写真撮影が 楽しく感じられるようになって、つまり現実の制限とは真逆に写真として自由な感覚が 芽生えてきているように感じられ始めたのです。 なるほど、それは若い頃に写真を始めた時は、カメラ1つにレンズひとつだったじゃ ないか。その当時は撮影も写真も自由で楽しかったんですよね。 きっとそういう昔の感覚に立ち返っただけのことだったんのかもしれません。 今は馬鹿みたいに古いカメラばかりですけど所持してます。しかし撮影に出かけるとき には一台しか持って行きません。ばかなカメラコレクションとは別に、撮影行では大きな 制限をかけて昔の初心に戻る。これで中々有効であって、たったそれだけで自由と楽しさ を得ることができるようです。 こんな簡単なことに気が付きませんでした。 ああしようか、こうする場合もあるかも、と雑念を野放しにしていたからこそ、写真が 詰まらなくなっていったのではないかと思い始めています。 しかしここまで書いてきて、カメラ一台レンズひとつのスタイルはかなり前からやってます。 1~2年前から。ペンタックスばかりで撮ってましたが、さほどに楽しいとは思えてなかった です。里山だけに突出した撮影ではありませんでしたが。 しかしそれが、楽しいな、自由だと感じ始めたのはここ最近の1~2ヶ月ほどです。 ペンタックス以外のカメラも取り出して使ったからでしょうか。 それは多少はありそうです。やはり一種では飽きますからね。 しかし、そういう理由よりもこれは里山歩きによる身体の向上が利いて来ているのでは ないか、という気もしているんです。自分の身体と心が以前とは変わってきているから、 写真への感じ方も変わりつつあるのだと。 もしそうだとしたら、嬉しいです。でもそう簡単なものではないでしょうね。 しかしシンプルに言えば、筋肉を動かせば人間、自然とやる気が出でくると言われます。 そういうのはあるんじゃないかって思います。 平地でダラダラと歩いて撮影をするのと、傾斜地の山地で筋肉を強く刺激しながら撮影を するのとは違うのじゃないかと思います。 それからペンタックスは軽かったです。1キロくらいしかないですから。それを鍛錬という 目的で2~3キロのカメラに変えました。これもあるんじゃないかって思います。 さらにいうと平地と山では、人々のカメラや写真に対する見方が違うというのもあると 言えます。山では評価した見方をしてくれます。これもあるのじゃないかって感じてます。 しかしこれは余禄ですね。 いろいろと考えながらこのコメントを書いているのですが、一番に可能性があると思うのは、 それは、シンプルに設えたカメラではありません。筋肉が鍛えられて積極的な考え方ができる ようになった、というのでもありません。 考えてみますと、山道で撮る被写体なんてあるもんじゃないです。それに私は写真を撮る ために山歩きをしているのじゃないですね。ただ手ぶらだと寂しいからカメラを持って 歩いているだけです。撮った写真を後で見ることもない。 それでも淡々と写真を、いやシャッターを押しながら山道を歩いてます。 ということは、・・・・・・ 私のカメラのシャッター音は、私の脚の歩みそのもののカウントであるのだろうということです。 なので、最近、写真が楽しくなり自由に感じせれるようになったという印象は、写真やカメラ のことではなくて、里山歩きそのものが楽しくなり自由感を得られるようになったということ じゃないですかね。 やっと山歩きに慣れてきた、やっと山歩きの楽しさがわかるようになっていたということかも 知れませんね。それを写真として擬似的に自分が捉えているだけなんだということです。 本格的に里山歩きをやりだしてから4ヶ月余。たしかに山歩きに慣れてきて良い時期です。 そしてカメラは山歩き以外には全く使っていません。
無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α350 |
| ソフトウェア | Capture One 7 Windows |
| 焦点距離 | 50mm |
| 露出制御モード | 絞り優先 |
| シャッタースピード | 1/15sec. |
| 絞り値 | F3.5 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 800 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 2000x1331 (1.47MB) |
| 撮影日時 | 2008年01月01日(火) 20時59分 |
前回登ったさぬき山脈奥山の別ルートを登山しました。今度は実質高低差900メートル、距離は 往復10キロと前回と同じ。道が悪くて、しかも大雨上がり直後で猛暑だったので難儀しまし たけど、下りの脚の痛みもさほど出ず、登りの登坂時間は前回より1時間短縮できて、よい 登山でした。 香川の多くの里山とは、山の成り立ちが違うので奥山には急坂はなく、だらだらと上りが続く のですが、しかしこれが普通ですね。ただし長時間の歩きとなり、足の故障は致命的となる ので鍛えておかないといけません。 なお、足の筋肉を増強するということでは香川の里山の急坂には意義があります。それと 急な坂でも滑落しないという経験値も積むことができますね。 私はカメラを持って登りますが、撮影には時間を消費しません。淡々と撮影をノーファインダー 撮影していきますのでカメラを持っていない普通の登山者と同じです。カメラをザックから 取り出しておもむろにっていうのではなく、常に手に持っているカメラを向けるだけなので 手間はかからないのです。 ポケットから取り出したスマホで撮影する人よりも素早く撮影できますね。(笑) この何時でも何処でも瞬時に撮影ができるというのが、私が黒白フイルム時代から続けている 習慣です。おそらくそういうことをしているカメラマンは、イベント撮影時以外では居ない だろうと思います。 ※写真は古いフイルムカメラ用(ミノルタ製)のバッテリーグリップを、不要なものを外して デジイチに着けた状態です。これは写真では分かりにくいですが高さが薄くロープロフィール のスタイルとなっています。やや左手でグリップを掴みにくいかも知れませんが、左手では 半分時はレンズを掴むのでさほどに問題ではないです。薄くてスマートに収まったかなと 思います。細いストラップは仮付けです。実際には幅広のやつを装着します。 カメラの重さが足りないかな、と感じれば、このグリップないに鉛チップを入れることができ ます。 縦位置グリップは左手でカメラを持つときに重宝しますが、それだけでなく右手でカメラを ホールドしたり、長時間持っていたりするときにも、カメラの持ちやすさを維持します。 縦位置グリップがなければ、カメラボディに備わるグリップだけではカメラは持ち難いんです。 このグリップをつければ右手の小指側の手の付け根の盛り上がった肉と親指付け根の肉で、 確りとカメラをホールドできるんです。つまり右手全部を使ってカメラをホールドできる。 そして何よりも右手の中指・薬指・そて小指と全部がグリップに掛かります。このグリップが なければ小指がはみ出していましたから。 これが私が縦位置グリップを使う主な理由ですね、左手でもグリップできるようになるという のは残り半分の効用です。 正直言って、クリップを付けないでカメラを使う人は、カメラを本当にはしっかり構えて持て ていなと私は断言したいです。カメラは手で撮るのですからきちんと構えないと構図もブレも 維持できていないと思ってます。 キヤノンやニコンのプロ用カメラは縦位置グリップが最初から着いています。それを見ても 分かるように、カメラのグリップ部こそがホールド性の要であるということです。 このグリップまでは私も昔から重要視してきたのですが、最近はストラップにも凝ってます。 カメラは常に手に持っているわけですが(ストラップは垂れ下がっている)、いざという時には カメラを肩掛けします。カメラが2台体制だとひとつは肩がけのままです。 ですからストラップは幅広の、肩からずれないような確りとしたものが必要です。 写真のカメラでは直付けでストラップを付けるタイプですが、もうひとつはトライアングル タイプの三角リングが付くやつと、カメラには二つのタイプがあります。 トライリングのものはそのまま利用しますが、直付けのものは、ストラップの材質が硬ければ 素直に折れ曲がってくれず(そういう材質のストラップが多い)、撮影時に邪魔になったり するんです。 (ちなみにイオスの1D系は直付けタイプですが、専用ストラップは柔らかく邪魔をしません。) そこで直付けタイプのカメラでストラップが自由に動き、撮影の邪魔にならないようにする 工夫が、この写真のような後付リングです。これでカメラの根元からストラップは自由に折れ 曲がり、撮影中でも、また手に持ったままの移動中でも、ストラップが邪魔になることが少なく なるのです。 この後付リングの耐久性は未知数です。(笑) 保障はしませんので真似をしても自己責任で。 しかし私はこの脱着可能なリングは重宝していますが、脱着しない大小のリングスプリングの 組み合わせでも同じ効果が得られます。 カメラのストラップ接合部を良く見ると、上側に小さなリングスプリングを2個入れています。 (1個では耐荷重にやや不安があることと、1個だけでは外れた場合に2個だと防止できるかなと) その下に脱着可能リングなのですが、その部分に、つまり脱着可能リングの代わりに、大きな リングスプリングを入れてストラップを通せば良いだけのことです。脱着性はなくなりますが 不用意に外れたり折れたりすることがなくなります。 なお、リングスプリングは耐荷重表を見て、足りないなと思えば2重にすること。そして材質は ニッケルかステンレス製にすることです。スチール製では錆びます。 このスプリング式ストラップと、先ほどの縦位置グリップの装着で、カメラはものすごく持ち やすくなるんですね。カメラが邪魔だな、持ちにくいな、と感じていれば、このふたつの方式で カメラを常に持っていても苦痛ではなくなります。 私が何時間でも、左右の手に交互に持ち替えながらカメラを常に手に持っていられるのは、 まさに、このふたつの装着によるものです。 ついでにもうひとつ加えると、ストラップは肩に掛けた時にズレやすいのが多いです。 滑り止めが弱いのですね。また古くなるとラバーが取れてしまうのも多いです。 それでストラップの肩にかかる部分に、接着性のあるゴムシートやスポンジなどを縫いこん でやるのです。柔らかいのがよいです。なかなか良い材質のものがないのですけど、ジグザグ ハサミで10センチほど切ってストラップ内側に接着してやれば、肩外れが防げます。 私も完全にカメラをいつも手に持っているわけではなく、肩がけはちょくちょくしてます。 用手を使わないと登れない箇所は多いですから。 話が長くなりましたが、カメラを如何に持ちやすくするか。それが撮影の楽しさに直結すると 思っていますので。私は持ちやすいカメラこそが、本当に性能の高いカメラだと認識しています。 カメラは実際に手に持ってナンボ。持ち歩いてこそのカメラだと思っています。 私がノーファインダーで撮影しているというと、そんないい加減な、と思われるでしょうけど、 グリップを装着するとノーファインダでも狙ったところに構図を決められるんです。水平だって 決っています。なんなら腰打め位置でもノーファインダーで撮影できます。 これに最初に気づいたのはプロ用の縦位置グリップがあるカメラで撮ったときです。右手で 確りとグリップできていたからノーファインダーでもいけるんだと初めて気がついたんですね。 つまりそれほどに普通の、グリップのないカメラというのは不安定であって、きちんと持てて いないということなのです。 だいたいの人は手でカメラ保持ができていないので、撮影時にオデコでカメラを当てて保持して いるはずです。左手でレンズ保持、右手でホティ保持、さらに顔のオデコでも保持です。 しかしこれだと電磁波が顔面を直撃します。(ミラーレスの電子シャッターだと大丈夫ですが) それで私はシャッター作動時にはカメラを顔面から離すという技法を使います。その場合に、 カメラボディを保持するのは右手だけになるのでカメラのグリップ性能がものをいうのです。 そのグリップ性能は、縦位置グリップを装着していないと真価を発揮されません。 縦位置後付グリップというと、それは縦構図を使う場合に使うものとしか思っていない人が 多いです。たとえば写真のような自作グリップでは物理的にボディに取り付けられたとしても バッテリーも入っていず、無論レリーズボタンも連動していません。 これはただカメラの保持を良くする為だけのグリップなんですね。そしてそれだけでグリップ の役割は果たせているということなんです。 私の場合、正規の縦位置グリップを付けた場合でも電気的に連動させていません。不用意に 設定が動くことを良しとしないからです。縦位置撮影の場合でもカメラ上部のレリーズボタンで 押します。 縦位置グリップの本当の効用を実はメーカーの設計者すらも知っていないケースがあります。 流石にキヤノンやニコンのグリップはまともですが、ソニーのデジイチの後付グリップなどは 単なる縦位置時のレリーズボタンとしてしか理解していず、ホールド性が完全ではありません。 これはミノルタ時代からの悪習ですが、右手の付け根部分がグリップに当てて保持できず、 意味のないグリップとなっています。それでラバーやスポンジを貼って嵩増しをしてホールド を保てるように工夫をしなければなりませんでした。 メーカーの人間でも本当にカメラのことを分かっているとは限らないという、そういうケース はけっこうあるんですね。ただそういうメーカーはやがて傾きますね。やはり長い目でみれば ユーザーは次第に分かってくるんでして、使いにくい製品は淘汰がされるということです。 私はもう最近のカメラは知らないんですけど、デジイチではやはりキヤノンが最高です。 ニコンもいいんですがAFが弱いです。ノーファインダーで一発で決らない時があります。 シグマはクワトロになってからデザイン優先で駄目になりました。ペンタックスはデジイチ で頑張っているんですけど、メニュー操作が素人してます。知らぬうちに設定が動いているの がよくありますから。 最近のミラーレスカメラは知らないのでこれは過去の評価です。 長々と後付グリップの効用を書きましたが、私の撮影ではこれに尽きるかなということですね。 逆説を言えばデジイチになってからのカメラは、昔のメカニカルカメラ時代とは異次元的に よくなっているということなんでしょう。
無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α350 |
| ソフトウェア | Capture One 7 Windows |
| 焦点距離 | 17mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/30sec. |
| 絞り値 | F2.8 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 400 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 4096x2726 (6.97MB) |
| 撮影日時 | 2008年01月09日(水) 15時41分 |
新しく自作グリップを作ってみました。といっても、古いフイルムカメラのグリップを 改造して取り付けただけです。これが意外にもかっこいい。(笑) しかしこれがあるのとないのとでは全然つかい勝手が違います。 私のカメラは車でいえば、野山を走る4輪駆動車のようなもので、とにかく丈夫で使い 安さがよくないといけません。右手でも左手でも持てて長時間保持できるカメラでないと 駄目なんですね。これは街中や室内で使う人とは考え方が違うかもしれません。 とにかく丈夫でないといけないので、当然デジタル一眼かミラーレスのカメラとなります。 昔のメカニカルフイルムカメラのような脆弱さがデジカメになってからはなくなり、 グリップも大きくなって持ちやすいですし、プラスチックボディだと冬場にカメラが 冷たくて辛いということもなくなっています。 撮影途中でフイルム交換とかでお腹を開ける必要もなく、バッテリー2個と容量の大きい メディアを入れておけばメンテナンスフリーで撮影ができます。レンズ交換も基本、私は しないので(一本のレンズを着けっぱなし)、カメラをサバイバル的に使うことができ ます。 こんなに楽にぞんざいに扱っても問題がないカメラなんてのは、昔のメカニカルカメラ では考えられないですね。防塵防滴タイプだと雨に降られても平気です。 もっともデジカメには欠点もあって、漏洩電磁波が問題なのですが、私のように基本的に ノーファインダー撮影をするのならば大丈夫です。それからパソコンのモニター問題も あるわけですが、私の場合は撮りっ放しで後では見ない、現像もしないということだと、 それもクリアできます。 だいたい私は昔から多量にショットで撮影し、丁寧には撮らないタイプだったのです。 それは使っていたのが黒白フイルムで、しかも自家現像だったからですね。フイルムも 長巻フイルムを自分で切ってコストを抑えてやってましたし。 高価なカラーフイルムをしていた人とは考え方がまるで違っていたのだろうと思ってます。 速写が基本で、露出は大体、ピントも目測を多用してました。とにかく素早く連写で シャッターを切るのが私のやりかたでした。写真は数打てば当たるという考え方でしたね。 このやり方にマッチしたのがデジカメだったわけです。ですから黒白フイルム写真が できなくなってからは、カラーフイルム写真はしなかったので、写真趣味は長らく休止。 再び写真を再開したのは、デジカメが登場してからというのが本当のところです。 そういう意味では、私は写真を芸術化も神聖視もしていなくて、写真は記録の為の道具 だと考えています。カメラと同じく単なる道具であると。 神聖視というのは偶像視とも言いますが、大切にしすぎるという習慣のようなものです。 ブランド趣味ともいいますか。そういうのがないのが、黒白フイルムの写真をやった人間 の特徴だろうと思っています。 それでそういう黒白フイルム写真はデジタルカメラと実によく似ていて、違和感がなく デジカメに移行できたと思ってます。もっとも私はデジカメ以前にパソコン趣味をやって いたので、尚更スムーズにデジカメ写真に馴染めたと思います。 高価なカラーフイルム写真を長くやってこられた方は、私のような考え方には強い違和感 を持つのではと思いますけど、写真の歴史というのはとても長いので、その時代、あの 時代と、各時代において価値観というのは幾度も変遷しているんですね。 ぞんざいにカメラも写真も扱ってきた私ですが、最近は手持ちのカメラをキレイに見せる ということをしています。(笑) 特にストラップですね。 この見かけも大事というのは、里山歩きをし始めて、そこで出会う人達が、案外に写真や カメラというものを高く評価をしてくれていることが分かったからです。 これは実に意外でしたね。 以前、イベントや祭りで撮影した頃は、どちらかといえばカメラを持っていると一般の人 からは、迷惑がられる視線を感じてました。一般の方々のカメラマンを視る眼はだいたい そういうものでしたね。 そういうのと随分と違うじゃないか。(笑) と感じているわけですけど、ところ違えば 評価も変わるということでしょうか。考えてみると街中のイベントなどではカメラマンは 履いて捨てるほどに多くいて、邪魔でこそあれ希少価値はありません。 ところが滅多に人に合わない山の中では、しかも歩くだけで大変なのに重いカメラを 持って歩いている人間を見ると、評価がガラリと変わって来るのだろうと思ってます。 私としては、カメラがないと歩きのスイッチが入らないというだけで、カメラを持って 山道も歩いているだけなんです。(逆に、カメラのバッテリーやメディアが切れると、 とたんに歩きのエネルギーはなくなります) さらに重いカメラは体幹を鍛えるにも好都合というのがあります。急傾斜でカメラを 手に持ったまま登るというのは、想像以上に身体は不安定になるので体幹の筋肉を鍛え られるではないかと思ってます。 その程度の考えで大き目のカメラ片手に歩き出した里山歩きですが、そこで出会う人達に 思いがけなくも好評価を受けてしまったというわけなんです。 そういえば今、思い出したのですが、石鎚山を登っていた頃、小さなコンデジひとつでは 何もなかったのですが、一眼レフを複数台持って登った時や、シグマのコンデジを自作で 2連装にして持っていった時は声をかけられました。簡単に言うと、カメラが大きく重い という、たったそれだけのことですけどね。 里山歩きをして数ヶ月、いやそれ以前の頃からしても、山の中で本格カメラを持って 歩いている人間を見たことがありません。まあバックに入れていて必要な時に取り出して いるんでしょうけど。(例外があってユーチューバーの人はずっとカメラ持ってます) しかし私は、街中であろうが、祭りやイベントであろうが、山の中であろうが、撮影の スタイルは変わりません。カメラをむき出しにして手で持ったスタイル。それで何時でも 何処でも撮影です。
フィルムカメラ
Exif情報
| メーカー名 | KYOCERA |
|---|---|
| 機種名 | KYV41 |
| ソフトウェア | 3.140BE |
| 焦点距離 | 3.5mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/251sec. |
| 絞り値 | F2.2 |
| 露出補正値 | +0.0 |
| 測光モード | スポット測光 |
| ISO感度 | 400 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 3120x4160 (2.19MB) |
| 撮影日時 | 2026年07月26日(日) 16時33分 |
専ら期限切れフィルムを利用していますが 人物写真の際には一応敬意を払い現存フィルムを使います。 先週撮影された方は妊娠中の身で ネット不掲載とのことで公表はできないのですが、ロケーションを変える度にスポットメーターで露出を計りながらの撮影は楽しいものでした。 まだ人物撮影を始めた頃のこと 都内での撮影会では既にデジタル主流の中私は露出を計りがらの撮影する光景がちょっと気恥ずかしさを感じていました。ネットが無い頃なら写真を見る手段には紙焼きする、コンタクトシート、べた焼き、、でしょうか 声高に言わずとも好きな人は人知れずシャッターを今もカチョン!と空気を切るように静かにひっそり写真撮影に興じているのでしょうね
内容についてのコメントでなくて申し訳ありません。 この写真の雰囲気が素晴らしく思わず拡大して見てしまいました。 驚いたのはこの撮影に使用したスマホの事です。 相当に古い機種なのですが良い雰囲気ですね。 機材に頼るのでは無くいかに撮影するかが大事なのですね。 感じ入りました。 いやー本当に素晴らしいですね。
大したことないですよ この場合画面右手が大きな窓ガラスで日差しは右側から射していて携帯って広角だからなるべく少しズーミングしての感度は低めで(百で撮りたかったけど明るさ不足で四百)-1位明るさ下げてで暗いとフラッシュが自然と焚かれてしまうのでカーテンを全開けから程よいコントラストでカーテンの開度調整のカメラの後部にある置物の輪郭が分かるくらいのところでパシャッです。 コメント有難うございます。
無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α100 |
| ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
| 焦点距離 | 16mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/30sec. |
| 絞り値 | F2.8 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 400 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 4096x2742 (7.52MB) |
| 撮影日時 | 2006年01月04日(水) 13時28分 |
久しぶりに、半月ぶりに山に登ると、脚にきました。(笑) しかし一日で直ったという感じです。いつもの里山ではなく、千メートルの奥山に登ったのですが、距離が 長かったからかもしれません。とはいえ、実はいつも登っている里山のほうが傾斜としてはキツイわけで、 それに距離だってさほどじゃありません。 まだ完全には脚が作られていないという気がしました。 そうは言ってもこれから奥山に行って長距離を歩かなければならなくなるので、たかだか高度1000メートル、 距離10キロでへばっていてはいけません。(笑) 山はだいたい、2000メートルまでは普通に誰でも登れます。大した装備も不要です。四国には2000メートル オーバーの山はないので問題はないのですが、参考までに書くと3000メートル級の山は全く違います。 空気が薄くなるのもありますが気温が下がるんですね。100メートルで0.6度下がりますから3000メートル では18度も低くなるのです。そして悪天候の影響を強く受けます。強風を受ければ短時間で低体温により 意識を失いかねません。 私は一度観光で行った北海道で、風が吹くと気温の体感温度が極端に下がるという経験をしました。 最初は無風でマイナス15度でちょっと寒いね、という感じでしたが、それでも持参した2台カメラの1台が 低温で作動しなくなりました。 しかし風が吹いてくると、状況は一変。ほっぺたぷるんぷるん、歯はがちがちです。あれはもう恐怖を感じ ましたね。季節は秋だったので冬服ではなかったのです。これではいかんと、太ももを高く上げて駆け足です。 とにかく筋肉を動かして体温を上げること。それで宿舎に一目散でした。 登山はスポーツというところもあり、ある程度は極限の身体能力を要求されるところがあります。 この極限の身体の具合感を人間はある程度は知っておく必要があります。スポーツの効能とは詰まるところ、 まさにそこにあるわけで、これを知っているのと知らないのでは雲泥の差があるわけです。 それは日常の生活においても、自分の身体感覚の物差しとなるわけで、例えば此処まで来ると危ないな、 という身体感覚を持っているのと持っていないのとでは決定的な違いとなるからです。 それを知らない人とか、忘れてしまったという人は、不摂生で病気になったり、また病気になっても脱出 できない場合が多いのです。 多くの人々は病気になると、それは医者が治すのであって自分の努力などは関係がないという感覚の人が 多いですね。医療に頼る、薬で治すとか、これは遺伝だから治せないとか、その程度の考えで甘く見ています。 なぜでしょうか。 それは自分で思考をしていないからだと言えます。残念ながら自分で思考できる人は少ないんですね。 多くの頭のよい人というのは、学習能力があり記憶力が高い人を言います。でもその学習能力とは模倣する 能力のことですね。思考力とは本質的に関係がありません。 でもこの学習能力で持って、人は良い学校に行き良い成績で、良い会社に行って仕事ができると評価される わけです。 時代や自分の人生が順調な内はそれで十分に対処でき問題がなく過ごせます。しかしひとたび時代が変わっ たり、人生の運勢が暗転したりすると、そういう能力だけでは対処できなくなります。つまり運が良いうち は大丈夫だけど、運が悪くなるとお手上げ、というわけです。 そういう人がとても多いですね。 しかし本当に頭のよい人というのは自身の思考力があるわけです。それで原因をさぐり解決策を見出すこと ができるかもしれません。でも思考力を自前で持っている人は少数です。これは学歴とか職歴とか収入とは 無関係なんですね。 そういう思考力と並んで本当の自分の実力というものに体力というものがあります。この体力というのは つまりは筋力のことです。筋肉の力。もうひとつは先ほどの思考力という脳の力。このふたつが大事となり ますね。 それで脳力というのは、生まれでほぼ決っているかなというところがあります。つまり地頭が良いという人。 しかし体力や筋力というのは自分の意識である程度は鍛えることが可能です。 しかも筋力という体力は、鍛えれば必ず期待に応えてくれます。だいたい5ヶ月くらいが目安みたいです。 そして筋肉を鍛えるには年齢制限というものがありません。90になっても期待に答えてくれるそうです。 そして筋力と脳力は互いに高め合っているところがあり、筋力をつければ脳の働き、やる気も出てきます。 筋肉を鍛えるにはコツとして万遍なく全ての筋肉を動かしてやる、負荷をかけてやるのが大事といいます。 とくに大きな筋肉のある下半身の運動は大切です。それから少しずつでもいいから積み重ねていくのが 肝です。そうしていくうちにやる気が出てきますから。(笑) 占星術では筋肉とは牡羊座で火星です。そしてASCと第1室。ここに大きな凶星のある人は運動をしません。 そして病気になって治せなくなるんです。これは悲しいほどに運勢の通りになります。逆に吉星がある人は 好んで運動をし、そして体力に満ち溢れています。 私の場合は其処に吉星はないのですけど凶星もなくて火星もキレイです。それで運動は苦手なタイプなん ですけど、歩くくらいだったら運動センスは関係がなく、それで何とか歩き運動だけは出来ているようです。 そして占星術ではこの牡羊座とは筋肉であるんですけど同時に頭でもあるんです。脳ですよね。個人的レベル の脳なんですけど地頭に通じます。それで自意識的な脳を鍛えることにもなります。 (ちなみに脳には社会的・集団的な脳というのもあります) 私もそうだったんですけど、大抵の人は自分は運動ができている、歩けていると思い込んでいるのですが、 それはまだまだだったということなんですね。運動というか筋肉には体力や脳力を際限なく向上できる、 と言えば嘘になりますけど、本当に、自分が思っている以上に高める効果があると思っています。自分は これで十分だと思ってしまっている。しかしそれではせっかくのチャンスを逃していると思います。 とくに高齢なると筋肉量が低下しますので意識して運動をしていないとだめです。
無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α77 |
| ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
| 焦点距離 | 50mm |
| 露出制御モード | 絞り優先 |
| シャッタースピード | 1/20sec. |
| 絞り値 | F2.8 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 400 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 4096x2731 (3.56MB) |
| 撮影日時 | 2015年02月11日(水) 19時03分 |
ポートレート撮影、つまり人物の撮影とは、写真としては最も楽しいもののひとつだと言えますね。 人と人との繋がりが出来るということで、これは単なる写真画像の生成行為を超えています。 シッポ座さんが昔から変わらずに人物撮影を続けてこられたというのは大変に納得のいく話です。 写真には他の人との会話が必要であるというのは私も常々感じているところです。 私は写真撮影としては人物の撮影はいたしませんが、撮影中は可能な限り出会った人とのとの会話を 優先しています。その場で話し込んでしまって撮影が疎かになるほどですが、気にはしていません。 最近は里山歩きオンリーですが、その山道の場でもすれ違った人達と話をしています。 実はその為にこそ、写真というか、カメラというものを道具として使っているところがあるんですね。 スマホではそういう話をする切っ掛けにはならないところがあって、私が手に大きなカメラを持っている という、その昔ながらのスタイルこそが、人と人との繋がりに結びついていく、という気がしています。 フイルムカメラには現代のデジタルカメラにはない伝統、トラディショナルなというものが存在します。 別の言葉では、オーラ、なんていう呼び方をする人もいますが、実用性を超えた文化というものを 具現化しているというのが大事なのでしょう。 それで思うに、デジタルカメラが出た時に、メーカーが気をつけたのはフイルムカメラの持つ伝統性を 壊さないようにしていたということです。 もっともメーカーによっては新しい奇抜なデザインでリリースしたメーカーもありました。コンデジ 時代のソニーなんかはそうでした。しかし最終的には各メーカーも伝統的なカメラのスタイルに収束して いったというところがあります。 それでやはり結局は、往年の一眼レフのデザインやライカのレンジファインダーのデザインなどに収まっ ていますね。 今改めて自分の持つカメラを眺めているのですけど、実に良くデザインされていますね。 ありとあらゆる機能を詰め込んでいて、その為のボタンやダイヤルなどが所狭しと配置されています。 中にはペンタックスやシグマなどのように、やや考えが足りないかなというメーカーもあるんですけど、 大体はどのメーカーも、不具合や不足感のないように、これでもか、という感じて経験値に基づき綿密に デザインされています。 この綿密な考察の結果がカメラのデザインに生かされているのであって、全くの素人さんが見ても敬意を 持って見てくれているというわけです。 私の場合、手に持ったスタイルというのカメラには完全性を保たせてやりたいという気持ちがあり、それで レンズフィルター、レンズフード、ファインダーラバー、ストラップ、そしてグリップ等をは完全に装備を しています。最近はストラップに凝っていて、取り外し可能なリングをカメラ本体とストラップの間に 挟むことが多いです。まあキラキラとしてイヤリングのようなものです。(笑) このストラップというのは、考えてみれば布製でありカメラで唯一の衣装であることに気づきます。特に 女性の場合はこのストラップを見るのかもしれません。 世の中にはレンズフードを逆さにしたままで平気で撮影をするっていう人もいますが、私は絶対にそんな ルーズなことはしません。それどころか、安っぽいカメラでも完全に正しく、装備やパーツを付加すると、 なかなかに立派に見えるものなんですね。 さらに自作でプロテクトラバーやテーピングも施していて、使いやすいように、傷がつかないように綿密に 化粧を施しています。 実用としても飾りとしても大切なのが自作のグリップです。そしてマウントアダプターというものもあり ますね。 ミラーレスカメラには、このマウントアダプターでフイルム時代のマニュアルレンズを装着すると価値が 高まったように感じられます。つまりは伝統性を獲得できるからだろうと考えています。 縦位置グリップは普通は純正を使用していますが、グリップがないモデルもあります。そういう場合は 自作グリップとなります。私は常にカメラを手に持ったままなので左手で持てるグリップは必需品です。 カメラマンという私と他者との間にはカメラという道具が介在します。私は出会った人の写真は撮りません けれど、この二者の間にはカメラというものが介在しているという自覚があります。それで可能な限り、 カメラは綺麗に正しく見えるほうが良いのではないかと感じています。 シッポ座さんがポートレート撮影では新品のフイルムを使う、というのと同じ感覚だといえますか。 ストラップの話の続きですが、昔はメーカーが違っても平気、というところがありましたが、最近はボディ のメーカーとストラップに書かれたメーカー名を統一しています。純正に出来るだけ近づけています。 この感覚は、旧車の車好き人が可能な限り、オリジナルパーツに拘るという感覚に似ていますね。 車好きの人も、最終的には自分の車を人に見せて、それで皆が喜んでもらいたいという気持ちになるそうです。 若い時は自分勝手に改造をして自分だけがスピードを出して喜んでいた人が、歳を重ねると皆に楽しんで もらえる文化財のようなものを、自分が単に管理しているだけなのだろうという境地になるのかもしれません。 これは面白い現象ですね。 ただ写真画像が撮れればそれでいい。というのとは違う、そういうのとは異なる価値観で、カメラという ものを手に持って、人にも喜んでもらい、そして大切に使っていくというのが大事なのじゃないかと思ってます。 今はもう、新しいカメラや機材を買いたいという気持ちは無くなっていて、手持ちの機材を使っていく、 というだけでやっています。 こんな具合で、いうなれば、カメラ・写真機という写真文化というものを大事にしていきたいといことかも しれませんね。私は改めてカメラやレンズというものを再度見直しているのかも知れません。 そして写真とはどういうものなのか、ということにも繋がるわけでして、やはり写真というものも結局は 人と人との繋がりのなかで生まれてくる何かなのだろうと思っています。 写真なんて結局はカメラという道具が撮るのであって、人が介在する部分なんてわずかです。 写真が上手い、なんていうのは車で走って自分は速いぞとかいうのと同じで、車がなければ自分の脚で走って 歩いて、それでお前はどこまでいけるのかという問いかけみたいなものです。車から降りればよぼよぼの 足取りでは様にならんじゃないですか。(笑) 最終的にはカメラなんていう道具がなくても写真ができているというのが大切なわけです。それであっても やはりカメラや写真というのはけっこう面白いもんだよ、ということでカメラを持って歩いている、また カメラを構えてポートレートで人を撮っている、というのが正解なんじゃないですかね。 こんなことを書くと、何だか枯れた考えのように思えるかも知れませんね。 しかし自分の体力を鍛えるために山歩きの道具としてカメラを利用するようになって、随分と考えが変わった ように思えます。 最初はただ歩くのは辛いわ、やはり撮影ということでやりたい。そしてカメラを持つならば体幹も鍛えると いうことで、重さのあるカメラこそが正解だね、という理屈になりました。(笑) そして何よりも山で出会った人達が意外にもカメラに関心を示してくれたこと。写真に関心のある山歩き の人っているんだなということ。そしてそういう人達とお話ができるのは、自分が手に持ったカメラでは なかったか。という気づきがありました。 そこには本当に原初的な写真という道具のもつ精神のようなものがあるのではないかと思ったわけです。 私が若い頃、最初にカメラで写真を撮ってみたいという、そういう原初の精神の芽生えのようなものです。 建前として私は今、自分記録として写真を撮っているのですけど、本当はそんなものどうでもよくて、 写真というものをする心の躍動を、自分は再び手にしているのではないかという、そういう単純な喜びで カメラを持って歩いているような気がしてならないのです。 シッポ座さんが生きいきとポートレート撮影をする気持ちを伝えてくれました。それから私も大いに触発 されたように思えます。写真とはやはり人なんですね。人との出会いであり繋がりなのだと思います。 まあ、AIではやはり無理だとおもいます。(笑) ※前回の投稿で、私が最初に使ったのは友人のペンタックスSPFと書きましたが間違いでした。SPFの前の SPです。ただ友人は後でSPFも買ったので混同してしまったようです。 ※投稿写真はソニーα100とコニカミノルタα7です。もう20年以上も前のカメラですが、まだ使えます。
無題
Exif情報
| メーカー名 | PENTAX |
|---|---|
| 機種名 | K-01 |
| ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
| 焦点距離 | 14mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/13sec. |
| 絞り値 | F3.5 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 400 |
| フラッシュ | あり |
| サイズ | 4928x3264 (8.52MB) |
| 撮影日時 | 2012年01月07日(土) 17時38分 |
ペンタックスSP-F https://one-scene.com/products/221?srsltid=AfmBOorjhXYfhC-_MN9AoevFu8CgkAMW2eQ8Izsl73xLPNR35baUH0Wh このカメラ、実は私にとっても始めてのカメラだったんですよ。 ただし私のカメラではなくて友人が始めて買ったカメラだったんですね。そのカメラをずうずうしく使わせて もらっていました。 友人の家は金持ちとというわけではなかったでしょうけど、ひとり息子で大事にされていたので、こういう 高級機を新品で買えたわけです。(笑) 他人のカメラを使わせてもらったということでは、先輩のカメラのニコンFフォトミックもそうです。先輩は 写真学校に入学したものの結局は退学して、このニコンを持っていたんでしばらく私が使いました。こっちが 本当の高級機だったんでしょう。その先輩は苦労人の人でしたね。なぜか私を可愛がってくれて、私も先輩 から随分と学ぶことが多かったです。九州熊本の出身でした。 話は前後しますが、私が最初に購入したのはキヤノンFTの中古機です。少しフイルム送りが弱かったですけど 長く使いました。 当初はミノルタのSRTなんかを買うつもりだったんですが、店頭に並んでいたキヤノンを見てすぐさま気が変わり キヤノンに。そういういい加減な気移りは歳をとった今も続いています。(笑) そのキヤノンも後輩に譲り、私が新品で購入したのはオリンパスOM1ですか。このカメラではスナップ写真が 撮りやすかったのを記憶しています。私が最高の写真であると思っているショットも、このオリンパスで撮り ました。そのカメラも後に友人に譲りましたけど。 その後は写真よりもカメラ趣味に行って、キヤノンF-1とかニコンF2なんかを使ってましたけど、そう良い写真 は撮れなかったと記憶しています。 結局、フイルム写真は10年ほどやって、最終的には全てのカメラは手放し、写真を撮らない期間が長く続き ました。それで20年ほど写真趣味から遠ざかっていたブランクがありましたね。私がフイルム写真をやって いたのは黒白フイルムであり、自家現像もしていたわけですが、最後のほうは現像所任せになりましたね。 たまにリバーサルフイルムでも撮りました。ネガカラーはほとんどやってないです。とは言えそれなりに 撮ってはいたんだと思いますが。無論すべて現像所出しです。 今となっては随分と大昔の話になりましたね。十代末から20歳代末までの10年間、自分がフイルム写真を やったという記憶はあまりにも遠い出来事のことなので、懐かしさを通り越して、今では異世界のことの ように感じられます。(笑) 写真趣味を再開したのはデジタル化になってからです。当時パソコンに夢中になり、スキャナでフイルムを 自家プリントできるようになってからです。そうするうちにカメラもデジタル化をしてしまいました。 コンデジからデジイチへと。どっぷりとデジタル写真に浸かってしまいましたね。 シッポ座さんが今でもフイルム写真を大切にしておられるのを見るにつれ、それは私にとっては自分が 若かった時期を思い起こすわけで、今も大いに刺激になっているところがあります。 それは半世紀まえの出来事であるわけなんですが、当時も現在も同じ私という人間であるわけです。それは きっと繋がっているはずなんですね。(なかなかそうは感じられないところがありますけど(笑)) 残念ながら今の私にはフイルム写真を復活することは不可能です。それで精神的な心の思い出だけになる わけですけど、当時のフイルム写真の精神だけは決して忘れてはいけないと思っています。 例えば黒白デジタルカメラを使ったこともそれだと思っています。とは申せ黒白フイルム写真と黒白デジタル カメラとは全く別のカメラで写真であって、次元はまるで違うんですけどね。 今の私は単なる高齢者の一人であり、なぜか今も写真趣味を続けているだけの人間ですね。 先日、カメラを持たずに長い浜を、波打ち際を歩きました。香川でもそういう砂浜がまだ残っているわけです けど、20代の若い自分を思い出して仕方がなかったですね。そして自然の彩にも深く入りこみ浸りました。 多分カメラを持っていればそういうノスタルジックな感傷には多少はセーブが掛かったでしょうけど。 私は今、カメラを持って里山歩きをしていますけど、山歩きではこのような感傷に浸ることはありません。 しかし安全な砂浜とか海岸の道路とかを延々と歩くと、色々と思い起こすことが多いのですね。そういう 感情の波というのがやってきます。言い方を変えれば雑念とも言いますか。しかしカメラを持てばある程度 はそれを防ぐことができるようです。 これが里山歩きだと、これは多少は危険が伴いますので雑念はあまりないです。むしろ無我という感じに なるんじゃないでしょうか。静かな海と山では随分と違います。なお海岸でも磯となると危険度が高いので 里山と同じ感覚になります。 過去の感傷に浸ることではなくて、あくまでもフイルムで始めた当時の写真精神というものを思い起こし、 それを繋いで行きたいなと思っています。 例えば写真を撮ってもパソコン画面を出来る限り遠ざけるというのがそうです。そうなって来ますと、 写真は撮りっ放しになるんですが、デジタル時代ではそれは仕方がないことだと考えています。モニター は見ない、というのは、考えて見ればフイルムカメラにはモニターはなかったわけですし、パソコンも ネットもなかったわけですよね。 可能な限りフイルムカメラ、フイルム写真の精神に近づけようと思うと、今私がやっているように、 カメラ一台にレンズ一本を付けて、記録写真的に撮っていくというスタイルになってくると思ってます。 デジタルでフイルム写真的にしようと思えば、たとえばミラーレスカメラにフイルム時代のマニュアル レンズを着けて、じっくりとモニターを見ながら撮影し、そしてパソコンでも綿密に現像する、という のが普通の感覚かも知れませんが、それだとデジタル時代の弊害であるモニターの罠に嵌まってしまい ますね。 しかしそれは行き詰ります。そしてそれはフイルム写真の精神ともまるで違います。私はそういうのを 散々とやって、それは間違いだと気づいたわけですね。 そんなわけで、デジタル時代において、フイルム写真の精神を再現しようと思えば、まるで違うアプローチ をしなければならないと悟りました。 デジタル時代。今は全てがそれです。最近はAIともなっています。無論デジタルですね。 それで本当にいいんですか?という問いが私にはあるわけです。 しかしもうデジタルがない時代には戻れません。ですから否定はできないわけで、それではデジタルの 何が問題なのか、どう工夫をすればデジタルの弊害から逃れられるのか。そういうことを考えなければ ならないだろうと思っています。 そういう問いかけの私なりの結論として、私が今やっている里山歩きの撮影というのがあるというわけ です。里山歩きが好きだからやっているわけではないんですね。写真精神を取り戻そうとしてそうなって いるだけなんです。 --------------------------------------------------------------- いま取り組んでいる五色台ですが、かつてのカルデラ火山が大本になっているのがわかりました。 コールドロンとも言いますが、1400年前の瀬戸内大火山活動の時期に形成されたカルデラ陥没地形に 溶岩が埋まり、それが五色台というメサ地形の源流になっているとのことです。 実は古代カルデラ跡は香川には他にも高松クレーターとか三豊カルデラとかがあるんですが、もう ほとんど形態が分かりません。残っているものがあまりない状態ですが、この五色台は、いかにも という山になってます。小型のカルデラだったみたいでそれで今でも雰囲気的に分かるのだろうと 思ってます。 四国では他に石鎚山山系が古代カルデラの面影を残しています。カルデラの外輪山がいまでも残存 しているわけで、本州で有名なのが群馬と長野の荒船山が知られています。 なるほど、古代のカルデラだったのか。それで私が抱いた疑念が氷解したというわけです。 他の香川の里山とはまるで違いますからね。普通のメサ台地とは違っていてそれらの集合体という 感じですから。そういうのは他にはありません。 五色台新聞 第2版PDF https://www.pref.kagawa.lg.jp/documents/61322/goshikidai2map_1.pdf 火山学者に聞いてみよう -トピック編- https://kazan-g.sakura.ne.jp/J/QA/topic/topic12.html
現像とデータ化
Exif情報
| メーカー名 | NORITSU KOKI |
|---|---|
| 機種名 | EZ Controller |
| ソフトウェア | EZ Controller 6.10.011 (130930) |
| サイズ | 3024x2005 (6.19MB) |
最近filmで撮影しています。 使ってるのは当時最初にはじめたころのペンタックスspf 本当はspですけどスクリューマウントにレンズをくるくるっと固定して相変わらず目検討なあてずっぽう露出で撮ってます スナップだとあまりに露出にこだわってるとシャッター切れないからって理由です 夏になると近所のおっちゃんなんかがステテコ姿でうちわあおいで夕涼みなーんて光景、今では懐かしく感じられます 暑さ寒さも彼岸まで
主役であるはずの人物が、太い幹に分断されて窮屈そうに見えることだ。 露出を気にせず感覚でシャッターを切る姿勢は、スナップの機動力を生む要素として同意する。しかしベンチで寝転がる人物はすぐには逃げない。ここで反応速度を優先する理由はなく、慌てて撮った結果、手前の網や中央の木が画面を散漫にしていると思われる。 店舗スキャン時のレトロな色調に頼って「懐かしい光景」の雰囲気を醸し出しているように見受けられるが、それだけでは写真の骨格は支えきれない。 被写体が静止している場面では、まずは自分の足で数歩動き、邪魔な要素を整理できるアングルを探り抜くこと。それが結果的に、その場の空気を真っ直ぐに伝える近道になる。
無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α77 |
| ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
| 焦点距離 | 16mm |
| 露出制御モード | ノーマルプログラム |
| シャッタースピード | 1/100sec. |
| 絞り値 | F5.0 |
| 露出補正値 | +0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 100 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 2731x4096 (6.95MB) |
| 撮影日時 | 2015年01月08日(木) 12時49分 |
講談社ブルーバックスの「山に登る前に読む本」能勢博著、という本を読みました。 山歩きの効能というものが科学的に綴られているんですが、まあ当たり前のことを書いている わけですけど、あらためて今の自分の里山歩きが正しかったのかなと確認できました。 こういう本は多数出ているでしょうけど、この本では一応、5ヶ月ということで試験されて いました。医学的にはそういう数値があるんだということでしょうか。 私はまだ3ヶ月余なのでもう少し経つと体調は安定期に入るんじゃないかと思ってます。 香川ではもう梅雨は明けたので大分暑くなりました。これからが暑さは本番になるんですが、 自分の体力が強まれば暑さをあまり感じなくなるらしいです。筋肉量や血液量が多くなるので 暑さに強くなるとか。 最近は香川の五色台というメサという卓上地形の山を登ってます。標高300から400メートルの かなり広大な台地です。香川の里山はメサ地形かビュート地形かのどちらかなのですけど、この 五色台ほど広域な面積をもつメサ地形は稀です。 香川の山は気候上大体は乾燥していて台地は枯れているはずなんですけど、ここ数日降り続いた 雨で全山が水浸しでした。登山道はすべてびちょびちょでした。そこらじゅうに即席の沢がで きていて大量の水が流れているしまつ。地元の人に聞くと、こんなことは滅多にないとのこと。 頂上部は台地上で平らなので中々水は排出できないみたいですね。香川の他の山ではありえない わけで、五色台が特殊であるのがよくわかりました。 歩きにくかったですけど良い体験になりました。 投稿写真はその台地から流れでる滝です。 ネット上に動画もありましたのでリンクします。 https://www.youtube.com/shorts/L2HS2uVKqpQ 里山を登るにつれ、自分はあまり地元を知らなかったんだなっていつも感じます。この五色台 もそうでして、実際に自分の足で歩いてみると、その大きさに驚いてしまいます。車ですっと 走るのと歩くのとでは大違いです。やはり自分の脚で歩いてみて初めてその大きさが掴めると いう気がします。 そういうのは日本列島を飛行機とか新幹線、高速道で走るのと同じで、あっという間に現地には 着くのですが、その距離感覚は本当は正しくはないですね。 登山での醍醐味はやはり縦走になるのだろうと思います。縦走とは単発登山ではなく連山を 続けて歩きとおすことですが、香川の里山でもそういうコースが多々あります。最低限一日中は 山のなかということなり、日常とは別世界に自分がいるのだと感じることができます。 おそらく多くの登山愛好者はそれを感じたくて深く山に登るんではないでしょうかね。 私の場合はあくまで、体力を増進したいということで里山歩きをしていますから、そういう 異世界を感じるまではしていないのですが、なんとなく分かるようにはなりました。 私はカメラをもって山に入ります。考えて見ればそのカメラというのは、自分が完全に山に没入 するのを防ぐ役割もあるんではないかと思うようになりました。つまりあっちの世界に行って しまうのは恐いという気持ちがあります。山人になりきれない自分がいるわけですけど、それで いいんじゃないかって思ってますね。 そしてカメラはもう一つの役割として、今度は日常の平地の暮らしに完全に溶け込んでしまうのも 防いでくれるのではないかと、そういう考え方もできます。自分と世界の間に、ひとつ挟むという ことで、カメラはそういう装置や道具になっているんじゃないかって感じてます。 常に冷静でいれる自分をカメラというものが作ってくれるのではないかと。 最近、カメラというのは中身の性能とかそういうのではなく、やはり大きさが物をいうのでは ないかと本気で感じてます。カメラもレンズもある程度の大きさや重さという物理量が必要なの だと。スマホがいくら高性能になっても、そういうカメラの役割はできませんね。スマホは小さ すぎて防衛する盾にはならないのです。 カメラの本質は心理的な盾であり矛ではないかということです。対自然、対社会、対人間として 自分とそれらとは一定程度に隔てるためにカメラというものを持つ。 本質的には刀剣とか銃器とかと変わらないのではないかと感じます。そして面白いことにイノシシ にはカメラが立派に通用するのです。スマホやコンデジではイノシシには舐められますが、 大きなカメラを持っていると逃げ出してくれます。(クマには通じませんので注意) カメラは性能やブランドや価格が優位で、大きさなんてのは関係ないと皆さん思っているでしょう。 むしろ小さくて軽くて高性能なのがよいと。しかし実際は違います。三脚と同じで大きくて重い のが良いのです。なによりも精神的に安心ができますから。 そもそもカメラという道具は本質的に精神的なものなのです。だからある程度の大きさと重さが 必要なのですね。