旧北海道大学工学部

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1.
鎌倉M
2026/04/16 19:29

昭和元年頃の築 当時の学科は 土木 鉱山 機械 電気 電気の講座は  ・電気機械学  ・電磁気学  ・電力及び電力応用学

2.
kusanagi
2026/04/18 21:25

明治政府の設立が1868年で、1886年に旧帝国大学令が試行されました。全国で7つの帝国大学が設立され、 北から順に、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の7校ですね。 これが旧帝大というわけで、日本の国家経営の根幹の人材を官費で育成していったというわけです。 この帝国大学に、実はもう2つ、内地ではなく外地として、京城帝国大学(1924年)と台湾帝国大学(1928年) が存在しました。これを知らない人は多いかも知れません。 1868年明治政府樹立→北海道開拓として1886年に北海道帝国大学 1895年日清戦争・台湾割譲→1928年台湾帝国大学 1905年日露戦争→1910年朝鮮併合→1924年京城帝国大学 こんな具合で、明治以降、日本は国内発展だけでなく外地(植民地)でも大いに開発を進め、その最高学府 として、帝国大学を整備していきました。 当時の政府や国民の感覚として、日本国内の内地と新たに獲得した外地との区別はあまりなかったという 気がしています。新しく開拓するという意味での差異はありましたが、例えば北海道と台湾を比べれば、 とちらも内地の延長としての、同じ日本国であるとの認識があったのではないでしょうか。 ただ朝鮮は少し異なるようです。既に長い歴史がある国家であり、併合はしたくなかったかも知れませんが、 当時の厳しい国際情勢で仕方なく合併というか併合という形になったわけです。それで随分と日本政府は 朝鮮に対して気を使っています。 それが朝鮮における外地初の帝国大学の設立です。決して朝鮮を下には見ていないという日本の意思表示 だったかと感じられます。それでついでに先に開発を進めていて台湾にも帝国大学ができました。併合順と 帝国大学の設立順は逆になったほどです。 さらに書くと、1932年に建国した満州帝国には、満州建国大学が1938年に新京(長春)に創られました。 事実上の帝国大学です。 こういう日本の明治以降の帝国大学の歴史を見て行きますと、日本というのは外地、つまり国外に対しても 日本国内と同じにして、差別をしなかったという歴史的事実があるように思えます。 所謂いうところの、西洋諸国の植民地主義や帝国主義とは日本は違っていたということでしょうか。例えば ハングル文字は事実上、日本が朝鮮国民に広めたと言う事実があります。 ところで未来の話(しかし遠からずの)ですが、日本は再び、こういう帝国大学を中央アジアやロシア極東、 モンゴル、中国東北地区などに創らなくてはならなくなるような気がしています。 もし中国やロシアが崩壊分裂すれば、世界の覇権国家であるアメリカは、其処ら地域の国家経営の手助けを 同盟国日本に委ねるのではないかということです。 日本にとっては迷惑千万なことですけど、やってやれないことではないですし、実績もありますしね。 それから日本という太陽の帝国の伝統を失わないためにも、また少子化で萎縮している日本の青年たちに とっても、そうは悪い話でもないような気がしています。 北海道大学の創立の精神、初代教頭クラーク博士の「Boys, be ambitious(青年よ、大志を抱け)」は、 あまりにも有名です。これはフロンティア精神のことです。 それから既に日本は、満豪開拓団やシベリヤ抑留でもって地縁のあった土地柄です。彼の地の人々が是非に と望めば、日本はなにもしないわけにはいかないでしょうね。

3.
鎌倉M
2026/04/19 13:52

1922年 旅順工科学堂を旅順工科大学附属工学専門部と改称し、在学生を収容。 1926年 学部 (修業年限3年) を開設。     機械、電気、冶金、採鉱。 著名な出身者 吉野信太郎 あじあ 主任設計技師 主力牽引機は流線形蒸気機関車であるパシナ形で、その全長は25.675 m (連結面間距離、炭水車を含む)、車体幅3.362m、高さは4.8mに及び、 動輪直径は2.0m、運転整備重量203.31t(軸重23.94t)の大型機関車で 最高時速 130km/H

4.
鎌倉M
2026/04/19 13:55

戦前の満州の大学は旅順工大のみと思っていました。