写真編集ソフトウェア掲示板

1: 餃子1  2: 省スペースPC、スリム型PCとは何ぞや?2  3: ホロスコープ2  4: パソコン1  5: konishirokuとハスの花2  6: 筑波山近隣ひまわり畑の女子1  7: パソコン22  8: パソコン31  9: 真珠より金でしょう3  10: パソコン2  11: 物と情報の管理1  12: 携帯データより4  13: 『写真よさようなら』2  14: 『写真は芸術表現なのか?それとも…』1  15: koni pan ss1  16: 写真はなぜ「歩き」なのか1  17: 細部へのこだわり1  18: 脱モニターの時代5  19: カメラマンはいつまでも馬鹿をやってはいけない2  20: 夏のにおい2  21: 日が暮れた2  22: 黒白写真の真の意味1  23: 加工食品と加工写真3  24: __2  25: 青空が嬉しい6  26: 小さな港3  27: 私の黒白写真3  28: 瀬戸内の光景2  29: 鉄茶2  30: 写真家というか、カメラマンは馬鹿にならんといかんぜ2  31: ペリリュー島の戦い5  32: 臭いものには2   
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餃子

1   シッポ座   2025/7/9 17:10

31個の餃子を包む!
これから試し焼きに入ります。
以上、晩飯準備の私でした

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省スペースPC、スリム型PCとは何ぞや?
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Capture One 9 Windows
レンズ
焦点距離 21mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/8sec.
絞り値 F6.3
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 3200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1356 (2.18MB)
撮影日時 2013-05-14 06:55:26 +0900

1   age   2025/7/6 10:59

age

2   kusanagi   2025/7/5 23:17

省スペースPC、スリム型PCとは何ぞや?
今回は一般的なPCである省スペースPC、別名スリム型PCというものが如何に駄目である
かを書きたいと思います。
左側にある大き目のやつがタワー型、ミドルタワーといわれるタイプのパソコンです。
今現在、私はこのPCでネット&文字打ちりワープロをやってます。
直前に使っていたのが右側の小型PCで省スペースPC、スリム型PCと言われるやつですね。
この小型のPCは家庭でも企業でも数多く使われていると思うのですが、今回は不具合が
大き過ぎました。何かの拍子にモニター電源が切れるんですね。実はもうひとつの小型PC
でもそれが起きていて、モニターが悪いのかしらん?と思っていたんですが、大き目の
タワー型に変えると不具合がなくなりました。

原因はただひとつ、電気的な電力不足です。パソコンって所詮は家電製品なんですね。
結論から言えば小型PCは電源部が小さくてパワーが足りないんです。
タワー型とスリム型の間にあるのがさらに小さな省スペースPCです。これも不具合を
抱えていてネットワークが不全です。DELLのやつ。
とにかく比較対象をするタワー型、スリム型ともスペック上では性能は変わりません。
ほぼ同じですしOSも同じです。しかし決定的に違うのが箱のケースの大きさとそれと
密接に関連する電源部の余裕の相違です。
スリムが200ワット、タワーが300ワットの違いがありますが、大きさは全然違っていて、
実質的なパワーの差は数倍でしょう。電源は最高出力の数値だけを見ては分からないん
です。

そして廃熱問題として、優位なのはタワー型です。奥に銀色のパソコンが見えてますが、
これは前回清掃でむき出しのスタイルで投稿したやつです。フルタワーというタイプ
です。まあここまで大きくする必要はないのですが、ミドルタワー型くらいは欲しい
というのが実感です。
タワー型は電源部のサイズが決まっていて縦横の寸法はみな同じ、取り付けねじ穴も
同じ規格。奥行きが違うだけなので古くなると新品に交換をするというのが常識です。
車のバッテリー交換の感覚ですかね。

スリム型PCはメーカー独自のサイズが多いので電源交換は難しいですし、メーカーの
戦略としては電源が終わればPCそのものを廃棄して新しいものを買って頂戴という具合
なので、メーカーも長く持たせようとかという考えはないのです。
数年でガタが来る。いや最初から電源不足でうまく動かないというケースが多いんです。

とにかくタワー型はケースが大きいので、①廃熱処理が基本的に優位、②電源部が大きく
パワーがある。③CPUクーラーファンの大きいのが付けられる。④GPUカードの大きいの
も付けられる。⑤各所に換気のファンが付けられる。
こんな感じでスリム型とは基本の性能がまるで違ってきます。正常なのはタワー型であり
スリム型は矮小された劣ったPCなんですね。
裏技として、実はスリム型PCの基盤(マザーボード)を取り出してタワー型に移行する
ことが可能です。自組みの経験があれば誰にでもできます。
パソコン操作で不具合を抱えていけば、そのパソコンの基本性能を疑ってみる必要が
あるということですね。

多くの人が不具合のPCで我慢をして使っているという現実がありますね。特に日本人は
我慢強い。でも私は例外ですけどね。道具や機械を我慢してそれに自分を合わせるという
発想は私にはないです。機械の方を人間に合わせるという発想をします。機械と人間と
どっちが偉いんだ?!ということです。

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ホロスコープ

1   kusanagi   2025/7/4 22:57

高橋真梨さんついでに占星術のチャートを見せましょう。
昔は専用のソフトウェア(スターゲイザーとか言ったか)を購入して占っていたんで
すが、今ではもうネットで無料でチャートを描けます。いろんなサイトがありますけど、
私にはこれが使いやすいです。
もっと大昔は手書きで書いていて、辞書のような天体の運行表と電卓から導き出した数値
を紙に書き込んでやっていたんですが、そのうちパソコンを購入すれば自動で描けるのと
いうことで、私がパソコンの世界に入ったのは趣味の占星術がきっかけなんですね。
当時はMSDOSの時代でした。

ホロスコープともチャートとも言うんですが、この円グラフのようなもので基本、
その人のすべてを占います。詳しく占うとなるとこういうチャートを何枚も出して総合して
占うのでかなり煩雑ですがね。やがてそういう専用AIが出てくるでしょう。
当人の出生年月日と時刻、そして出生場所が分かれば簡単にだせます。もっとも、この
チャートはあくまで想像なのでして、それは正確な出生年月日時は不明だからです。

こんなもので人の運勢がでてたまるか、という方もいるでしょうけど、これと寸分変わらぬ
ものが人の脳内に入っているとすれば話は変わってきます。
私の考えとしては、人は生まれながらにして一生を予定されている、プログラミングを
されているという立場をとります。この予定表をはずすことはほぼ不可能、と言っていい
でしょう。

個人の運勢、運命、性格、能力、健康、そして対人の相性とかも出ます。さらには個人を
超えて人間以外の動物も占えますし、法人や国家すらも占うことができるというのが
占星術です。また経済とか戦争とか自然現象とかも。
しかしこの占星術を理解するのは普通の人には無理です。一般の人にはそういうことが
できるように頭が作られていないからです。

2   age   2025/7/5 17:57

age

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パソコン

1   kusanagi   2025/7/4 22:12

高橋真梨子さんの話がでたので、ながら視聴ではなく、腰を据えてユーチューブ
動画でじっくりと、高橋さんの比較的若い時の動画を選んで聴いてみました。
60を過ぎてからの高橋さんと、20代から50初めの高橋さんとは随分と違います。
やはり若さの活力とか色気というのは還暦を過ぎるとなかなか出てこないわけ
ですからね。彼女の独特の色気、しぐさ、目の動きや衣装センスというのも魅力
です。

彼女の占星術の予想しながらでみてみました。彼女の何がすごいのかというと、
海王星(魚座)、土星(山羊座)、そして木星という生産力のある、豊かで精神性の
高い星が目白押しなんです。要するに人間としてビッグなんですね。
もちろん音楽家ですから早熟の星もあって、牡牛座や牡羊座(火星)も強力です。
これらがないと若いころからの成功はなかったわけで。
しかしほんとに凄いのはそれが高齢になっても続いたということです。声も歌唱力
も衰えていないということ。これが本当の豊かで生産力のある人間の証拠だという
ことになるわけでしょうね。

この手の大人のタイプの人はあまり日本人には一般受けはしないかも知れませんが、
勿論日本人でも多くの人たちが彼女のファンになっているわけですね。当然に日本
だけでなく海外でも通用して人気があるわけです。
一流の人間つていうのはこういうものなんだなって感じました。

このところ、パソコンに嵌まっていて、いい加減にせなあかんと思いきも、深みに
突入してますね。(笑) 最低限の整理に留めようと思っているんですが、なにせ
膨大な数のジャンク物があるのでまさに泥沼という感じです。
パソコンの性能というのは昔のペンティアム4くらいから進化があまりないですね。
もっとも最新のやつは持ってないのでわからないんですが、要するにクロック周波数が
P4の時代から上がってないからです。
そしてOSとしてはウィン7が最高です。結局はインテルとかマイクロソフトが極まっ
た時の製品がベストということなんでしょう。

とは申せ、時代はパソコンではなくてAI時代になり、PCは端末機となりはて、競争
の主体はデータセンターのサーバーマシンに移ってます。そこで使われるのが
CPUではなくGPUですね。時代は変わっていくというか。しかしあまりいい変化とは
いえないと思うのですがね。

ネット視聴用にと、メインに使うPCは、以前はゲートウェイのコアツー・クワッド
2.4Ghzのビスタでやっていたんですが、これからはヒューレットパッカードのジーオン
3.2Ghzにすることにしました。どちらも4コアですがクロック数がアップ、そして
CPUキャッシュが以前より大きいので使いやすくなりました。
そして当然にウィン7ですね。
そしてやはりケースは大型のタワー型です。省スペースのスリム型はパワーがない
ので私には向きません。時々不自然な動作をしますね。OSは32ビットのメモリ4GBと
至って平凡ですが、高性能を求めるのではなくて、耐久性、応答性が大事なので
ここらあたりのスペックがベストなのです。
モニターはデルの22インチくらいの安物。以前は三菱のデュアルモニターでした。
ネット視聴用は高性能なものではなく目が疲れないのが大事です。

今回はネットワーク構築に苦労しました。参加するPCはウィンNTからウィン10まで。
みな同じ業務用ソフトが入ってます。特に難しいのがウィン10でしてまだ完全じゃ
ないです。(たぶんPC側のハードウェアのバグが出ているのだと思う)
マックG4も参加できてますがもうマックの操作は忘れてます。しかしマックは画面が
キレイ。
私にはローカルネットワークは必須でして、これがないと写真の投稿もできません。
とにかくある程度で切り上げて普通の生活に戻らなくては。

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konishirokuとハスの花
Exif情報
メーカー名 KYOCERA
機種名 KYV41
ソフトウェア GIMP 2.10.32
レンズ
焦点距離 3.5mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/10016sec.
絞り値 F2.2
露出補正値 +0.7
測光モード スポット測光
ISO感度 400
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 750x1000 (619KB)
撮影日時 2025-06-30 19:56:22 +0900

1   シッポ座   2025/6/30 12:02

蓮の花がほぼ満開でした。
以上、現場からは以上ですー

2   mori   2025/7/4 08:46

現場からの実況 ありがとうございます。
手元のカメラ、相当な値打ち物のようです。
フィルムカメラをスマホで撮影 。
問い合わせが面白いですね。

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筑波山近隣ひまわり畑の女子

1   シッポ座   2025/7/4 08:12

konica autoreflext3 hexanon 3.2/135,acros100
日付は多分5〜6年前撮影ネガフィルム自家製スキャン

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パソコン2
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 27mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/60sec.
絞り値 F6.3
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 3200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1356 (1.56MB)
撮影日時 2013-05-01 09:49:53 +0900

1   kusanagi   2025/6/26 00:35

ウインドウズ7で、業務用に使っていたパソコン。2台ほど貰ったのてすが、一度もインターネットには
繋がっていなかったやつです。こういう場合、そのままではインターネットには接続できません。

私が今現在、ビスタやセブンでインターネットに接続できているのは、常からインターネットに接続して
いて、常時、更新プログラムを収得していたから可能だったのであって、当初からインターネットに
接続していなかったパソコンでは、時すでに遅くて、OSにあるブラウザのインターネットエキスプローラー
はインターネットに沈黙したままなのです。

インターネットに接続できないパソコンって、今どき考えられないのではないですか。(笑)
ウイン7はとっくにサポートが切れていますから、そういうパソコンをもらってもどうしようもないわけ
です。インストールされているソフト内で遊ぶしか手がない。しかしそういう古くさいパソコンを復活する
手があるんですね。
今回の写真はウィン7プロのSP1インストール済み(IEは8)、エキスプローラーでインターネットには全く
接続できないパソコンを、今回新たにインターネット接続して、ユーチューブ動画と、フォトXP掲示板を
開いた時の証拠写真です。
残念ながらエキスプローラー11も(エッジも)入れたのですが不完全です。ということはアップデート機能
で更新プログラムを自力で自動習得できないということです。

こういうパソコンは捨てられるわけで、ガラクタ集めが趣味の私のところにやってくるわけです。
それで思ったのですが、インターネットに接続できないパソコンは、素のままのコンピューターであって、
一般人が使うには「あまりにも華がない」っていうことですか。
今回、そういう地味なパソコンを、いうなれば白黒写真をカラー化し、花を咲かせたような感じになって、
ああ、これが現在のパソコンの姿であるのだということがよく分かるようになりました。
インターネットなくしてパソコンなし。スマホもインターネットができるから面白いのであって、
電話機能だけだと地味でつまんないのと同じです。

2   シッポ座   2025/6/26 21:14

全く文面とは関係のないお話で恐縮ですが、以前の交際相手が高橋真梨子に似ていてそれとなく似てるよね!と言うと嫌がられました
いい歌声ですよね
つまらない話でごめんなさい

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パソコン3
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Utility 5 Ver.5.10.0
レンズ
焦点距離 23mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/15sec.
絞り値 F6.3
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 3200
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 2048x1356 (1.69MB)
撮影日時 2013-05-02 04:04:31 +0900

1   kusanagi   2025/6/26 00:38

私が使っている画像処理&写真データ管理用のパソコンです。ウインドウズ7です。もうかれこれ15年以上
使っているのでしょうか。写真に関してしか使わないので故障したことはありません。
今回ちょっと内部の簡易清掃をしました。
内蔵SSD×1、HDD×3で、リムーバブル式でさらに裸体HDD×2が挿入できます。外部HDDとしてUSBとNASが
繫がっています。つまり最大で8本の記憶装置を自由に駆動できるわけです。
また、ウィン7はセキュリティにリソースをあまり使っていないので動作は俊敏で、純粋に高性能です。
こういうインターネットに繋がなくても済むパソコンは、ウインドウズ10や11ではなく、ウインドウズ7が
最適です。8個の記憶装置を縦横無尽に駆動するのは、事実上ウィン10では無理です。

と言っても、このパソコン、インターネットにも接続できますし、画像処理ソフトも満載です。万能に
仕上げているのですが、自分でも思うのですが、このパソコンはアタリでした。十数年間、一度も不具合
を起こしたことがなく、現在でも問題なく全ての機能を使えるのですから。
このパソコン、自作のパソコンなんですね。超寿命の秘訣は筐体、ケースにあるようです。このケースも
CPUもマザーボートもメモリもHDDも中古パーツ使用ですが、冷却ファンと電源とSSDは新品で入れました。
ケースは知り合いから売りつけられたものですが、安くしてくれたとはいえ、ケースだけで新品のパソコン
が買える値段でした。
普通のパソコンケースと違って、二重構造になっており、静音で、且つ埃が入り難い様になってます。
背が高い(フルタワータイプ)であるのも温度管理に有利です。
これよりも高性能なパソコン、例えばサーバータイプやゲーミングPC等もあるんですが、五月蝿いし、
神経質で使い難い等で、やはりこの自作パソコンが一番なんですね。まだまだ使えると思ってます。

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真珠より金でしょう

1   age   2025/6/22 12:55

age

2   シッポ座   2025/6/21 17:30

Ⅰ型です
絞り、シャッタースピード、距離を距離計ダイヤルでくるくると合致させた後に任意の距離をレンズ側feet目盛りで合わせる、からのーシャッターチャージを一回クリックして左シャッターボタンを押印
この辺はマミヤC220などとも同じ感覚なので分かりました
645フォーマット位置でフィルム巻き上げノブを回転させてフィルムを繰り出す。
結構面白いです
先日は紫陽花を撮影してまして自分ルールにデジタルは携帯以外ダメとして
フィルムならOK!という暗黙の自分ルールを設定しています
なのでフィルムならいくら散財しようが御構い無しです
とはいえ、財布の中身にも上限があるのでその中での自分が楽しめる程度に日常で遊んでいます
写メは携帯端末撮影データより

3   kusanagi   2025/6/22 00:05

昔のメカニカルカメラは良いですね。スプリングカメラは私も多少はコレクションがあると思います。
カメラを集めるのならば絶対に完全メカニカルカメラで行きたいですね。そして自分でバラしてメンテナンス
できれば最高です。
デジカメは家電製品なのでパソコンと同じく電気的に壊れます。いや壊れて自分で直すことができないです。

太陽光発電パネルで、従来のソリッドではなく、新しいフイルムタイプのものが出始めるようになりました。
もしかするとデジタルカメラでもフイルムタイプのものが出てくる可能性がありますね。再使用可能なフイルム
ですよ。(笑)でも需要が見込めないので発売は無理かな。
以前、撮影にフイルムカメラを持ち出してやったことがあります。フイルムは入っていないカメラです。
空シャッターを切って撮影した気分になる。(笑)そしてここぞというシーンではもう一台持参したデジカメで
同じように撮るんです。(もしくはスマホで) なんか自分を誤魔化しているみたいですけど、フイルムカメラも
たまには外に出して使ってみるというのがいいのかなっていうところ。

フイルムカメラというのは今になって思うと、ものすごく贅沢な趣味でしたね。もうあんなコストをかけた
写真なんぞは出来ない時代となりました。フイルムをいちいち化学的に現像して、そしてプリントをするという
のは正に石油時代そのものの贅沢さでした。

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パソコン
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture NX 2.4.7 W
レンズ
焦点距離 17mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/40sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 1600
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2000x1333 (1.53MB)
撮影日時 2025-01-03 19:51:53 +0900

1   age   2025/6/22 12:55

age

2   kusanagi   2025/6/22 00:07

このパソコンはモニター一体型のタイプですね。日本製です。コアi7の4コア8スレッドです。
(前回の省スペース型のPCで、16コアと書いたのは間違い。8コア16スレッドですか)
基盤や配線の密集度はデスクトップ型とノート型の中間といったところ。HDDは3.5インチ2TBで、ノートだと
これが2.5インチHDDか、SSDになるわけです。
このパソコン、CPU冷却ファンがガタついていて騒音が出でます。それで清掃と、何とか静かにならんかなって
いうところで裏蓋を開けてみました。結論を言うと完全には直らなかったのですが、清掃とファンの油差しは
できました。少しは静かになったような気が。(笑)
ベアリングが消耗しているのでファンを交換するしか根本対策がありませんが、ほとんど使わないPCなので
これ以上、手はかけません。

このPCには思い出というか履歴として、ウイルスに感染して駄目になっちゃった経験があるんですね。それはもう
一気にやられました。
それでウイルス対応ソフトでもどうにもならなかったので、OSに備わっている機能の「復元」をやりました。
感染する1日前の状態に戻すとていうことで。これも簡易ではだめで、それで完全復元をしたのですが、なんと
2週間以上かかりました。どういうことかというと2週間以上昼夜電源を点けっ放し作動しぱなしでした。
最初はまあ1日くらいは掛かるかなって思っていたのですが、トンでもなかったですね。ファンのガタつきは
その時に出たものです。

そういうことで、ウイルス感染と、本格的な復元を経験したパソコンとして私には意味あるPCなんですね。
もともとは知り合いから譲ってもらったパソコンで、ウィン7だったのをウィン10にしようと前ユーザーが考え、
本来アップグレードで行くべきところを間違って新規インストールしてしまって、アプリもデータも飛んでしまった
やつなんです。(笑)
私としては貴重な正規ウィン10が入っているPCということで予備用としているんですが、モニターがLEDなので
あまり好きじゃないです。

そうそう、前回でインターネット時、開けないサイトが多い、というの、解決しました。TCP/IPだと睨んで
いましたが正しくそうでした。ウィン10は慣れていないので今回はユーチューブ先生の力を借りました。(笑)
ネットでよく言う人がいるんですが、私のようにウィン7などの古いを使っているとウイルスにやられたり、
攻撃の踏み台にされるから危険だ、というの。それは間違いで、そういうのはウィン10や11という新しいPCが
利用されるんですね。ターゲットはそちらなんです。私が使っている古いやつは相手にされていないんで
返って安心なんですよ。
とは言っても、私の使っているウィン7は貴重なやつばかりなのでネット接続はほどほどにして、ネットは
ウィン10でこれから行こうと思ってます。
それにしてもパソコン遊びはもうしていないので殆ど忘れてます。昔は高度なことを色々とやっていたんですが
今はもうぜんぜんです。それでもコレクションしているパソコンを稼動できるようにはしておきたいです。

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物と情報の管理
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア PENTAX K-3 Mark III Monochrome Ver. 1.00
レンズ
焦点距離 23mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F3.5
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 320
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2000x1333 (645KB)
撮影日時 2024-12-29 21:10:44 +0900

1   kusanagi   2025/6/19 01:03

久しぶりにネット&文字うち兼用のパソコンを新調しました。と言ってもタダで頂いたもので中古です。
2台あって、一台は正常動作するのですが、もう一台は開けないサイトが多数でます。ネットワークが
正常に動作していないようです。そのうちに直したいと思っているのですが時間がかかりそうですね。
両方ともウインドウズ10なのでネット閲覧には問題がないですし、省エネタイプの小型なのは良いのですが、
今まで使っていた大型タイプのものに比べれば、画質が良くないてす。〈笑〉
大型のパソコンを使う意味はつまるところ、アナログ的な画質にあるんですね。そういうのは撮影の方でも、
スマホと専用デジカメの違いというのと理由は全く同じです。
大型のPCは出来る限りネット接続はしないようにして、画像処理などの作業に使うわけです。これだと
OSはウィンドウズ7などの古くても問題がなく、むしろセキュリティ関連のソフトを載せなくてもよいので
高性能になります。もちろん画質を高めるために大型のグラフィックカードも入れられます。

モニターも貰ったのですが、LEDモニターのもありました。一見して綺麗なイメージですが、私のように
態と輝度を落として使う場合は逆に見にくくなり、やはりバックライトは古い蛍光管タイプのモニターが
私には向いています。室内の照明はLEDにしていますが、モニターは蛍光管タイプが良いという気がします。
今作業に使っているPCは省エネ・小型スリムタイプでウイン10プロ、CPUは16コアのようです。Mドット2の
SSDというか記憶装置が載ってます。起動は速いです。ただ容量が少ないので外付けHDDを追加しました。
もう一台は同じくウイン10でスリム型。8コアで1TBのHDDで手堅い設計です。
両方とも小型で省エネなので同時に使用することができます。モニターは安物の22~23インチで輝度も発色
も落として目に優しくして使ってます。1枚はDELLのノングレアで、もう一枚はアイオーのグレアタイプ。
文字うち作業をするのはノングレアの方ですね。

今回感じたのは、パソコンというのはやはり機械モノですから、自動車と同じように日ごろから使ってい
ないと不具合がでるということです。毎日少しづつコンスタントに使っていると動作は安定してきて、
ソフトウェア的にも不具合が消化され、そう簡単に壊れるということがありません。ただ消耗品として
電源部だけは交換する必要があります。それは車のバッテリーやタイヤと同じです。そして内部のファン
等の清掃は必要です。車で言えば洗車やワックス掛けと同じですね。
とにかくモノはメンテナンスを施し大事に長く使っていきたいものです。

このところ忙しかったので長らく撮り溜めた写真のバックアップができていませんでした。何と4年間
も放置されていたんですね。これは拙いということで、今回2重のバックアップをやりました。数日は
かかりました。
私は写真は撮影しても後は見ないタイプですが、それでもデータを無くしてもよいというわけではありま
せん。データの記録は大切で、自分が、歩き、動いたという記録でもあるので、大切なものです。
今回、10台くらいの中古PCをもらったのですが、引き換えに内部の情報データは管理保存するということ
になっています。サーバーPCが4台、データ満載です。ワークステーションやマックもあります。ただで
もらったのが却って高く付きそうです。まあ、壊れてもいいけど情報漏洩だけはいけませんからね。
そこだけ気を付けていればいいかな。

私はガラクタ集めが趣味なので、自然とモノが集まるのですが、普通の人だとそのモノやデータに押し潰さ
れてしまうようになります。それを防ぐにはモノはきちんと整理をするということです。整理のノウハウ
を持っていないと、その物量に負けてしまうんですね。
それでそういう整理のノウハウがない人は、可能な限りモノは持たないほうがよいです。断捨離ですか。
ダンシャリ。私のガラクタ・コレクションは、パソコンとデータ、カメラと写真、書籍、さらに工具文具
という具合ですが、その全部を記憶しているわけではなくて、ただ関連付けて整理しているだけです。
そして実は私はモノそのものにはあまり欲望はなくて整理すること自体が楽しみというところがあります。
そしてモノや情報には、人間の個体の能力を超えた価値があるということですね。それを知っているので
安易にモノは捨てられないというところがあります。

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携帯データより
Exif情報
メーカー名 KYOCERA
機種名 KYV41
ソフトウェア GIMP 2.10.32
レンズ
焦点距離 3.5mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/199sec.
絞り値 F2.2
露出補正値 -0.3
測光モード スポット測光
ISO感度 400
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 750x1000 (594KB)
撮影日時 2025-06-08 01:13:13 +0900

1   age   2025/6/7 20:45

age

2   sage   2025/6/9 01:00

sageだろ

3   シッポ座   2025/6/7 17:13

全て売却終えた後のカメラが誘ってるような気がして
ついうっかり購入しちゃったカメラ
ゾーンフォーカスだもんで。。
ふはは!

4   kusanagi   2025/6/9 22:06

AGFAMATIC 4000
https://yossyheim.com/agfa-agfamatic-4000-pocket-sensor
https://ameblo.jp/ayumuhito12/entry-12690208321.html
私は110カメラは使ったことがなくて、そういえばAPSフィルムも使ったことがありませんね。
上のサイトでは、このアグファのレンズを取り出し、ニコン1 V1で撮影した画像は面白い試みです。
私も昔はジャンクのフイルムカメラをバラして遊んでいた頃がありましたが、それも昔の話です。
自作パソコンの遊びと同様、家に篭りっきりになり、運動不足になってしまうので若い時期しか
できませんね。高齢になると運動は健康維持には欠かせないものとして切羽詰った課題になるんです。

なお、写真趣味とカメラ趣味とは当然に関連はあるのですが、本来は別の趣味という感じです。
どちらかというと機械&光学趣味ですか。デジカメだとコンピューターが加わります。機械や電気、
コンピューターの遊びをやってますと、結構、仕事なんかにも役立ちます。
そういえば最近、サーバーコンピューターを3台もらいました。一応は動かせるだけにして、それで
お終いにしようと思ってます。1台はスイッチングが壊れているやつでしたが裏技で起動できました。
富士通、ボロですね。(笑)

この数年、歩きの撮影があまりできていなかったので体力が落ちてます。それで無理をすると体が
ガタガタになるんですね。やはり足腰の下半身は極めて大事で、それがしっかりとしていると、
上半身を使う仕事が出来るという具合です。この3ヶ月ほど休みなしでやりましたからね。これから
はゆっくりと過ごしていこうかと思ってます。

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『写真よさようなら』
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Utility 5 Ver.5.10.0
レンズ
焦点距離 17mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 3000x1987 (3.97MB)
撮影日時 2013-04-10 02:23:17 +0900

1   age   2025/6/6 22:29

age

2   kusanagi   2025/6/3 22:58

今私が撮影に取り組んでいる高知県室戸半島の、海岸段丘の台地の俯瞰写真です。掲示看板を撮影。
これは室戸市ですが、田野町/安田町に跨る大野台地はもっとスケールが大きいです。
https://www.47news.jp/4780923.html
長野県などに行きますと、これが河川の河岸段丘になりますね。
普通の海岸部の沖積平野と違い、完全な水平平面ではないのですが、そこは台地なので多少の傾斜はある
ものの、広大な農地が広がっている様は、ちょっと異世界ですね。遠望して太平洋が見えますし。
室戸半島は地震の度に隆起を繰り返すようで、台地の部分はかつては海岸線だったところです。それが
証拠に、田畑の石垣に丸石(河口部や海岸部でしか生成されない)が積まれていて、なんと山の中で丸石が。
という具合で不思議感がいっぱいです。(笑)

普通、車で室戸岬まで走らせると55号線を(画面右下)走るんですが、この段丘の台地は全く見えなくて、
海の反対側は峻険な山が連続しているようにしか見えません。県外の観光客はその山の上に農耕地がある
などとは想像もできないでしょうね。
台地に上がるには海岸線の道から登るわけですが途中は鬱蒼とした原生林です。このまま行っても大丈夫
かなって不安になりますが突然開けて農地が広がっている様は、感くるっちゃうという具合。
山の中の台地だと、水は?という気持ちになりますが、背後にもっと高い山が控えていますので問題は
なく、植えられたばかりの水田に滔滔と水が流れていました。
田地の土は独特の赤い土で、これは地質学的には古代三紀から中新世の付加体というもので、太平洋の海底
で堆積されたものが陸地としてくっ付いたものです。花崗土と違いきめ細かくて保水性はよさそうです。
ミネラル栄養分もあると思います。

私がする写真は、こんな具合で写真の為の写真ではなく、自分に関心がある対象を見てみたい、行ってみたい
という延長線上に記録としての写真があるわけで、芸術とか表現などとは何も関係はありません。
この海岸段丘の台地は、高知県の海岸部の散策でたまたま見つけてしまったもので偶然の産物なのですが、
最初は南海トラフの津波被害はどうなるの?から始まった高知行きからです。津波非難タワーを散策し、
ついで室戸市にある地震のたびに起こる隆起現象に関心が移り、そしてその隆起が地形をも形作っている
台地にたどり着いたというわけです。


ところで、なぜ写真が芸術や表現であってはまずいのでしょうか。
その疑問が湧いてきませんか。自分は芸術などに興味があるから是非に写真でそれを試してみたいと
いう方もおられると思います。
しかし写真は原理的に大変リアルなもので光学的な道具を使ってやります。その構造は人間の目の仕組み
とさほど違わない構造になっています。ほぼ同じと言っていいです。それでそういうリアルなものに
過剰な追加物を入れると、人間は正常な判断とか価値観がくるって来るのではないかと思うのです。
これは脳の基本的な機能を根本から揺るがす可能性があります。そこらあたりは大変難しいのですが、
結果として写真に過剰な芸術的装飾を付加すると、そういう人間は邪悪に染まる可能性が高いです。
自ら悪を具現するか、もしくは他の悪人に感化されるようになるわけです。そういう病的な結果になって
しまう気がしています。簡単に言うとその人の運が悪くなってしまうし能力も落ちます。

ですからこの問題は、写真人が自らの写真を云々という事態に留まらず、メディアやネット上で流れる
画像や映像が、過剰に画像処理されたり、AIで作成されたものが多くなると、一般の鑑賞者視聴者にも
大きな悪影響を与える可能性が非常に高くなるということです。
AIで生成された画像が人の脳内の記憶に蓄積されるというのは、これは考えてみればとても怖いことです。

もちろん芸術や表現が絵画で行われるのならば問題がないでしょう。(しかし幼児や子供には不自然な
抽象画はいけないかもしれない) しかしそれが、その芸術表現が元よりリアルを前提した写真において
行われることが問題なんですね。これからAI画像が一般化して広く流れるようになると、世の中全体が
不本意なことになる可能性が高いと私は危惧しているのです。
SNSのキラキラ写真ですら、若い少女がコンプレックスに包まれ気落ちして自殺するということもある
わけで、この問題はもっともっと注意深く考慮されるべきだと考えています。

ちなみに私は学生時代、絵画やデザインをやっていました。皆さん方よりも絵を描くことを知ってると
思います。それで私は写真を始めて、当初より写真が芸術だとか表現だとかは一切考えたことがありません。
写真は記録という一辺倒でやってきました。表現をやりたければ絵を描けばいいんです。
とにかく写真で芸風を装うのは、皆さんが思っている以上に危険なことがある。そういうことをちょっと
追加しておきます。

写真の怖さ、というのがあるわけですね。この問題は70年代には真剣に写真論として取り上げられた
ことがあります。写真がモノクロフイルム全盛時代だったころです。
当時、黒白写真という時代の中で、写真の有様に反旗を翻した一群の若い人達がいて、ある意味では
表現手法といえるものを写真に取り入れようとしたことがありました。
当然に当時の風潮からは大反発を食いました。コンポラ写真といって多くはアレ・ブレ・ボケの作風
だったのですが、これは写真をある意味、逆説的に絵画化する試みだったのかも知れません。

でも今から考えれば、黒白であり明らかに現実とは異なるものだったので、さらにカメラ雑誌だけの
発表だったので、一般的には悪影響は与えていなかったと思います。当時の若い写真家の間だけで
行われただけですね。そういう私も当時は若かったので影響を受けていたわけですが、表現と言っても
綺麗すぎる写真をわざと汚くするものだったので現在とは間逆でしたね。当時の緻密で綺麗でリアル
という写真こそが、すまし顔過ぎて絵画的だ、返ってリアルではないじゃないかという反発心から
起きた運動です。
しかし今の現在のデジタル写真によるキレイ過ぎる画像処理過多やAI画像は事情が大いに異なります。
今は一般の人々を直撃し、若い成長期の判断力のない人達をも巻き込んでいます。

このコンポラ写真、コンテンポラリー写真の日本版ですが、昨今事情では若い一般の人達の間で、
チェキなどの簡易プリントカメラが流行ったり、古いコンデジの作風が良いということでブームに
なったりするのと同じなのではないのかなっていう気がしています。
デジタル時代のコンポラ写真という意味で捉えると大変に興味深い現象です。少し前に流行った
若い人達のフイルムカメラ回帰もそうだったのでしょう。今も昔も若い人は時代に敏感で且つ率直
ですから、時代の嘘を見抜くんでしょうね。
そういえば今の時代の、老齢なアマチュア写真人がやたら画像処理過多の表現写真をしたがるのは、
認知症世代特有の現象と言えなくはないです。これは逆バージョンですかね。(笑)

「写真よさようなら」森山大道
https://www.shashasha.co/jp/book/farewell-photography-2
https://www.sankei.com/article/20170828-K3VCQMHRHFLMJCO2DF2RQ4B4FI/
1970年代初期にコンポラ写真は流行ったのですが、戦後からはじまった写真ブームはひとまずここで
頂点に達しました。それは黒白写真の時代が写真文化として極まったということを意味します。
そして1970年代後半から80年代以降となると今度は完全にカラー写真の時代になります。
カラー写真は黒白写真と違い、基本、メーカーの現像所で現像と印刷をします。黒白の場合は撮影者が
現像とプリントもするのが一般的でしたから随分と違いました。写真の成り立ちが違ってくると写真文化
もリセットされます。今現在のアマチュア写真家で古株の方はこの時期に写真を始めたと思います。

カメラも変わっていきましたね。黒白時代はメカニカルカメラでしたが、カラー写真時代はAFになり
モータードライブ装備のカメラになりました。京セラコンタックスなどはMFでしたがMDでした。
写真はカラー情報を獲得し新たな出発をしました。ただフイルムカラー写真は個人が自分で現像や
プリントができません。それで黒白時代のような言わば画像処理ができないわけで、カメラマンは
撮影オンリーとレンズ選択で自己表現を楽しんでいたというわけです。
当時のフイルムカラー時代の熟成期にはライカカメラがブームになったのではないですかね。
田中長徳氏などか盛んにライカの撮影に際してのオタク感覚を言っていたような記憶があります。
私は90年代末にPCデジタルスキャナでもって写真を再開しました。ほぼ20年ぶりの写真復活でした。

その時代が、2000年代に入ってデジタルカメラの時代になってきたわけですね。
当初はコンデジでしだか一眼レフもデジタル化の時代になりました。ニコンとキヤノンがデジタル化
の先端を開き、それからは怒涛のごとく写真もカメラもデジタル化まっしぐらでした。この時期に
私はその時代の先端を走っていたようです。すでに私は90年代にPCオタクでしたから画像処理などは
できて、もちろんデジタルカメラもコンピューターですから。
この時期、多くのフイルムカメラマンがコンデジやデジイチになったわけです。写真屋さんが対策
におおわらわになった時代です。フイルムカメラマンが当初はデジタルカメラを敵視していたのですが
やがて皆がデジタル化して、もうカメラマン全員がデジタル赤信号を渡りだしたわけです。デジタルカメラ
全盛の時代です。

そして2010年代からスマートフォンが登場します。高性能カメラが付随しているのでコンデジがまず
廃れます。やがてデジイチ並みの高画質にもなります。合わせてデジイチの光学一眼レフからミラーレス
のタイプに移ります。これは対スマホ戦略という意味も多少あったように思えます。
スマホの画質が高性能になったのは内部の画像処理が巧みになったのも一因です。カメラマン自身も
画像処理技術を磨いていった時代です。
つまりデジタル写真の2000年以降は、カラー写真でありながら写真屋という業者に出さずに、自分で
現像や画像処理やプリントが出来る時代になったわけです。これは言うなれば、かつての黒白フイルム
時代が再びやってきたというを意味します。当時の黒白フイルムの自家現像が基本でしたから。

私は2000年代に入り直ぐにデジイチを手にし、PCで自家処理ができましたから、これは革命的な変革
で写真文化は大きく変わるだろうと気がつきました。デジカメやデジイチが登場する以前から、PCの
スキャナで写真が出来ていたので、この状況の変化に気づくのは早かったわけです。
今にしておもえば確かにそのとおりになりました。むしろやり過ぎるぐらいになったわけで、その弊害が
今の写真界を覆っているという現状です。
そして現在、画像処理の極めつけと言うべき生成AI画像の登場です。もうメーカー自身が画像処理の
ツールは当たり前という時代になり、スマホ写真は自動で画像処理した写真しか得られなくなりました。
本格的な生成AI写真時代はこれからでしょうけど、多くの一般の人が利用するのは明らかです。
現在はこういう写真時代を生きているわけです。

そして再び「写真よさようなら」の反旗が出てくるということです。
デジタルAI時代の写真とは一億総認知症時代であり、写真が人間に対して害を加えるような時代に
なっていくわけです。そうなってると、もう作られた写真などは見たくないという見識者が多くなる
でしょう。国によってはAI画像は禁止、というのも出てくるかも知れません。オーストラリアで若年期
のSNS禁止というのと同じですね。

私は皆さんよりも速くデジタル写真を始めましたので、このデジタル写真の弊害に気づくのは早かった
と思います。デジイチをミラーレスに変えた時期から分かりだして、写真は撮影はするものの、自分
の写真を見ることは止めにしました。撮りっぱなし戦術で、撮影は歩き運動になるからやっていました
が、それだともはや写真は辞めてしまっているのと同じ状況でした。
私はいち早く、デジタル写真よさようなら、をやっていたのでしょう。そして最後の難関であった
機材依存を黒白デジタルで突破したというわけです。

写真の歴史50年余をかいつまんで書きました。(笑)少しは参考になったでしょうか。
つまり時代というのは繰り返すわけですね。シッポ座さんが現在の状況で、写真にさようならを
告げるのはマトモな人間ならば当たり前の行動だということです。すでにこの掲示板でも以前から
離れていった人が多くいます。
こういう時代において、今なお写真を続けられるのは、写真は記録だと明確に理解している人と、
すでに脳みそが壊れてしまった人だけです。この2つに分けられるでしょう。

デジタル写真、当初の00年代はまだフイルム時代の延長でして、ただカラーフイルムをデジタル素子
に変えただげでした。それが本格的にデジタル時代になっていったのはミラーレスカメラやスマホの
登場の時期からですね。格段に画質は鮮明になり電子シャッターが登場し、同時に画像処理ソフト技術
も向上しました。そして今現在はデジタル写真の頂点を極めた時代であると言えます。
これから生成AI写真が本格化するわけですが、本当に一般の人々に受け入れられるかどうかは不明と
いうところがあるでしょう。いやそもそも、人工知能というもの自体がこれからの次の時代に覇権を
握るかどうかも分からないところがあります。プロフェッショナルの間では有効でしょうが、一般では
拒否反応が起きる可能性があります。

その弊害が大きすぎれば人々はAIを拒絶する可能性も高いわけです。ユーチューブなどでは生成AIの
画像が多く使われるようになりましたが、作られる画像のワンパターン性にうんざりするところが
あり、もう私はそういう画像は眼をそむけて見なくなりました。
生成AI画像が写真足りうるか、と言えばもちろん写真ではありません。肝心の撮影が抜けているから
です。写真としてはあくまでも画像処理の強力版という立ち居地です。
私はAI画像は、拒否をする人と、そのまま受けいれる人の2つに人々が分かれるのではないかと思い
ます。知力の乏しい人はAI画像で満足をするわけです。およそリアリティに乏しく、そしてフェイク
な画像です。スマホ向け動画でもAI動画がありますね。キレイすぎるし女子フィギアスケートの動画
ですが、人間として、もしくは物理的にありえない動きをしてます。しかしそういう動画を本物として
疑わない人も多く出てくるわけです。何度も書きますがこういう偽の画像や映像を脳内に記憶として
溜め込むことは極めて危険だと思います。

こういう時代において、敢えて自らが写真をする意味はあるのか。と問えば勿論あるわけです。
今の時代の一般的な人の写真というのは、これはもう膨大な量を多くの人達が撮影をしているわけ
ですし、しかもそれがインターネットにも多く載せられています。
しかし今の時代、写真は極めてプライベートに収斂してしまって、若い人の写真観というのは、
写真の対象ははあくまで自分だけ、その仲間だけという範囲を超えなくなりました。写真に社会性
が失われたのです。昔の家族写真もそうだったわけですけど、もっと範囲が狭くなっています。
自撮りなんていうのが象徴的。自分と仲間とそれしか写っていないのです。撮影地は観光地だけ。
実際に若い人のハイアマチュア的に写真に関心のある人の写真を見せてもらってもそうなんです。
めっちゃトリミング(いやフレーミング)してます。
年配のアマチュア人の自分は野鳥だけ、鉄道だけとかで自らの関心を狭めています。たしかに肖像権
とか個人情報とか言い出してややこしくなると気後れするのは分かりますが。
こうなってると一般的にこの世界を記録する人が居なくなるわけですね。膨大な画像はあふれ出て
いるけど、本当の写真は少なくなった。実に逆説的な時代になっています。
かえって時代の光景が見えなくなった時代です。画像は溢れているけど写真としては低下している
というわけです。

昔のフイルム時代の写真をスキャンニングして復活させるというのは興味深いです。私も半世紀前
の写真のストックがあります。フイルムにして数百本は眠っていると思います。スキャナで読み込む
のは面倒なのでミラーレスカメラで接写撮影は出来ないかなって考えてます。
若い人は知り合いの高齢者の方の写真を説得して譲り受けるという手もあります。写真は文化財でも
あるので死亡して失われてしまうのは惜しいです。
今では古いモノクロ写真もAIでカラー化ができ新鮮となります。生成AIはプロが使うと生きるツール
なんですね。何でもかんでもAIは危険、というわけではありません。
そういう温故知新から新たな写真世界が見えてくるというのもあるのではないですか。

こんな感じで長々と記しましたが、私としてはこれまてどおり、歩きの撮影を続けるばかりです。
写真とは記録、写真で歩き、それを続けるだけなのです。
今回は私が運よく半世紀にわたる写真の歴史を知っていたことが幸いかなって感じています。
写真よさようなら、は過去にもあったということで、けっして今が特別の時代ではないということ
です。

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『写真は芸術表現なのか?それとも…』
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Capture One 9 Windows
レンズ
焦点距離 45mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/200sec.
絞り値 F5.0
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 80
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4096x2713 (6.03MB)
撮影日時 2013-03-19 23:20:07 +0900

1   kusanagi   2025/6/3 22:55

『写真は芸術表現なのか?それとも…』
写真は芸術であるとか、表現のツールであるとか、そういう考え方をなされている人はとても多いの
ではないかと思います。
しかしそういう思い込みがあると、場合によると写真というのが自分の心の重荷になることがあるので
はないですか。
私は写真とは最初から記録であると思っていて、芸術のひとつだとは全く考えていません。ただ撮影時に
少しでもカッコよく記録できればそれに越したことはないね、というぐらいです。

シッポ座さんのお父さんか撮られた写真はあくまで記録です。そりゃあ妻や子供たちが綺麗に撮れて
いればそれに越したことはない、というのはあるでしょう。しかし芸術的に表現をしようとして撮影を
されたことは一度もないと言えます。
撮影時に心の何で考えたことは、子供たちが元気ですくすく育ってほしい。女房も達者でいてほしい
という純粋な願いだけだったろうと思います。

最近はインスタグラム等のSNSで、すんごく綺麗に写真しないと駄目、だなんていう風潮があります。
そういう綺麗過ぎる画像を見て、鑑賞者がコンプレックスをもってしまうことがあるそうです。
写真投稿のために見栄を張り無理をして衣服を買ったり旅行したりして、自分の承認要求を満たす
というのもあるようです。
スマホにしてもキレイキレイモードがあって、自分なのに別人の自分が撮れる?というようなことも。
それから過剰に肖像権とか個人情報を振りかざすというのも写真を狭めていて、それで写真と言えば
自分と仲間だけの自分撮りや、写真は観光地でしか撮ってはいけないもの、とかも。
私のように何処でもスナップ写真を撮っていると、怪しいやつ、不審なやつと見られているようです。
これはら明らかに行き過ぎで、写真が人を不幸にしているわけですね。写真はもっと自由であるべき
なのに。

写真が芸術的な表現であるというのは、最初にそういう風に考えた人がいて、特に従来の絵画との関連で、
そんな具合になっちゃったのだろうと思っています。
写真が芸術であり、綺麗に上手く撮らないといけないという風潮は、本当は大嘘でありフェイクなん
ですが、一旦そう思い込むと人間というのはなかなかその思考を脱出することができなくなるようです。
一種の洗脳であり、これを子供のときから、また写真を始めたときから受けた人間は、その思考法から
自由になることができなくなるのです。

私が写真を始めた1960~70年代は、写真とは芸術なんかではなく、飽くまでも記録であり、キレイ過ぎる
写真はリアルではないと返って排斥される時代でした。
ですから私は記録以外の写真を撮ったことがありません。カメラという道具は記録するためのもので
あって、けっして表現することを押し付けてくるものではありませんでした。
写真が表現だ芸術だという風潮に変わったのは多分、1980年代以降でしょうか。その時代、私は既に
写真から遠ざかっていたので実際はよくは知らないのですが。

私はカメラやレンズのコレクターでもあるので(要するにガラクタ集め趣味のこと)、カメラ機材が
増えても気になりません。パソコンもコレクションしてますしね。本もそうでした。(笑)
カメラが芸術表現の為のツールであり、モノとしてのカメラが無言でお前は表現せよ、と訴えてくる
のならば、私はとっくに発狂しているでしょう。アゲー・サゲー氏が言うように病気であるというわけ。(笑)
ちなみにアゲサゲ氏は写真は芸術であるから点数が付けられると信じて疑わない人物です。他人の
私的な記録に点数を付けられてもねえ。勘違い馬鹿というのは昨今多すぎる気がしてます。

この掲示板では写真を真面目にやればやるほど行き詰ってしまう投稿者がいるわけですが、何度も
いうようにそれは、写真は芸術で表現であるから、そうしないと自分の心が苦しいというようになって
くるわけですね。
私がいうところの、写真は記録、というのは紙とペンのようなもので平易なメモ書きであるということ
ですよ。だから写真は画像ではなく歩きだ、何ていうことも平気で言うわけですね。
こういうように私が言うと、それは写真に対する冒涜だ。と本気で怒り出す人間がいます。
宗教と同じで洗脳を受けるということは、厄介なことなんですね。日本人の美意識は宗教的なまでに
強力化されていて、それが今、民族的なまでに足かせとなって日本人を滅ぼしつつあると私は看破する
わけですが、洗脳されて固まった頭を持っている人間にとっては、私は宗教的な異端者であるのてしょう。
私が特別に掲示板で攻撃されるのは、そういう理由があるわけです。

俳句とか短歌というのがありますね。あれも最初は平易な言葉で書く単なるメモ書きだったわけです。
それが誰かが芸術なんぞに高めて(人としては低めてかもしれない)しまったので話がややこしくなった
わけです。日本人は凝り性で生真面目なので、何でもかんでも芸術にしたがる悪い癖がありますね。
茶道とか生け花、書道なんていうのもそうです。作法とか美意識とか、そんなの詰まらんことでは
ないですか。とくにいけないのは一旦確立された作法や思考法を永遠に変えたがらない日本人の
特質です。改革を嫌うので大勢と自分の考え方が違ってくると止めるしか選択肢がなくなるのです。
全てかゼロか、なんですね。硬直的です。

とにかく写真は表現芸だ、という思い込みは人の脳内にこびり付くわけで、これが写真そのものを
駄目にしているところがあります。写真は綺麗でなければならないとばかり、やたら画像処理をし過ぎ
てみたり、メーカーすらもAI的補正を掛けたりするわけです。
最近、若い人の間で古いコンデジが人気のようです。画質は荒いのですがスマホのように自動補正が
掛かっていないので絵が自然だ、という訳です。それが本来の記録としての写真であるわけで、
誤った写真の洗脳を受けていない、若くて率直な人はちゃんと的を着いているわけですね。若い人は
何時だって柔軟な考え方をする人が現れます。しかし多くの知力のとぼしい若い人は間違った写真の虜に
なってしまうのです。

もう何度も書いたのですけど、私がモノクロ写真を本格的に初めて、機材の浪費壁が止みました。
写真に色彩というキラキラ感がなくなるとカメラもレンズもみな同じって感じになるので、色々と試して
みたりする必要がなくなるのです。
モノクロカメラを買って2年ほど。もうすっかり浪費壁もなくなったのでそろそろカラーでも撮って
みようかと思っています。写真はモノクロで十分完結するのであり、写真の本質は色彩ではないという
ことが分かりました。それさえ分かれば目的は達成したわけです。

しかし当初は、モノクロカメラを手にしたとは言え、最初は自分をモノクロ化するのは大変でした。
しばらくはモノクロカメラしか手にしませんでした。普通のカラーカメラでもモノクロは撮影できる
わけですが、カラー情報を内在しているため、JPEG+RAWで撮影して、PCではそれを別フォルダ保存して
モニターで見るのはJPEGフォルダのみ、ということをしてました。
それぼと苦労を重ねて自分自身をモノクロ写真向きにしたわけですが、その結果として自然と機材に
対する無駄な欲望というものが無くなったわけですね。
カラー写真という、頭にこびり付いた積年の垢を削り取るのは実に大変だったということです。

写真は芸術で表現だ、というのは私に言わせれば、そういうこびり付いた垢や焦げのようなものでして、
これを取り去るのは大変だろうと思ってます。しかも私のモノクロのケースとはもうひとつ次元が違う
わけですね。
シッポ座さんが思い切って手持ちの機材を処分した、というのは大いにうなづける話です。
たぶんそうしないと、こびり付いた脳内の思い込みをクリアにすることは出来ないと思いますね。
本当に写真が好きならば、将来また写真を始めるわけで、とにかく今は写真から離れてみる、という
のはベストな選択肢だろうと考えます。

お父さんの撮った写真等は大変に参考になろうかと思います。純粋に記録として撮られた写真なので
学ぶべきことは多いと思いますね。家族写真というのは写真の原点というところがあります。家族の
記録ということ以外を考えていないからです。
写真は記録である。リアルな事実や真実の記録であるという当たり前のことが忘れられて久しいです。
この真実を取り返さないと写真をすることが苦しくなるだけです。なんだ、記録だけだったのかと分かる
と写真は気楽に続けられます。

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koni pan ss

1   シッポ座   2025/6/1 16:56

道理で養老さん都内コンリートの地面を見てこわいと思ったと話していたこと合点いきました。
個人事なので書かなくても良いことですが最近写真を辞めました。
フィルムもデジカメも全て売却しました。
写真は親父が撮影したであろうフィルムネガをスキャンしたものです。

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写真はなぜ「歩き」なのか
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Utility 5 Ver.5.10.0
レンズ
焦点距離 20mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4295x2688 (6.54MB)
撮影日時 2024-11-19 00:54:18 +0900

1   kusanagi   2025/5/31 22:14

前回のシッポ座さんの言う、AIよりも人間がこわい、というが気になっています。
そういわれてみればそうかもしれない、というところがあります。実は実例として非常に他者に悪影響を
与え続けている人間を知っているのですが、大体の人はその悪影響を与える人物の影響下に陥ってしまう、
つまり悪に陥落してしまうという不思議な現象を知っています。
私としては本当に不思議でしようがないのですか、その他者に悪影響を与える人物の癖は同じことを何度も
繰り返して話すということをしています。しかも人為的に狭ばめられた環境下でそれをやるわけです。
私は同じことを言う人間は信用しないのですが、というか、そもそも一度聞けば分かるわけで、くどくどと
話しを繰り返す人間は何らかの意図があるとして、それはCM広告と同じで、聞く耳を持たないわけですが、
大概の人はそれに引っかかってしまうようです。

悪意のある人間の悪影響に落ちるのかどうかは、おそらく人の知力の強弱によるものではないかと考えて
いるのですが、何度も言うように知力は学力とは別物ですよ。これを勘違いしている人が多いのですが、
とにかく知力は弱いものが強いものの悪影響を受けるという、そういう基本的性質があるようです。
そもそも悪意の人物は自己の中に知力の弱い部分があるわけで、まず自分みずからが自分の悪意に影響を
受けて染まって、そして他者にも同じようにその悪意を伝播させていくわけですね。
こういう悪意の流通を絶つには、何と言っても自分の知力を高めて強くするというのが一番です。弱い知力
は他者の悪意の餌食になるということ。これを知って対策を立てておけば大丈夫というわけです。

この知力というのはざっくばらんに言うと、直観力のことです。学校で習う学力とは別のものです。
この直観力を鍛えるということ。私はこれは自然に触れることが一番のことだと考えています。人工環境下
では直観力は鍛えられません。
その人間の背後に自然があるのかないのか。あれば直観力、つまり知力が高くて、逆に自然がなければ
その人は直観力、知力が低く弱いということです。そう考えれば学力はあっても騙させる人がいるという
のが理解できようかと思います。特に自分の直観力知力を削って学力を身につけた人が一番危ないという
わけです。例としてはオウム真理教の高学歴信者が悪意の教祖に影響を受けた事件がそうです。統一教会
の被害者でもそのようですね。

自然さえ身に着けていれば、といいますか自分が自然であれば他の人間の悪意の影響は受けようがない、
ということになります。風林火山というのもきっとそれだと思います。
知力というのはある程度は生まれつきというところがあります。これは仕方がないのですが、それでも
鍛えることができるのが知力や直観力です。
写真の撮影はこの知力を鍛えるには最適なものだと私は思っています。カメラさえ手に持てばたとえ街中
を撮影しても自然の中にいるのと同じになります。
ただし写真の画像趣味というのは逆に知力を貶めるところがあります。撮影でせっかく知力を高めても
後の画像いじりで知力を低下させては何にもなりません。画像は自然に受け入れるようにしたいですね。
そして写真は鑑賞すべきものではなくて自分が撮影するものです。シャッターを押した時点で写真の
9割はは終わっています。残りの1割は確認するだけのものです。

最近はこの知力が低下している人が多くなっているという気がしています。それは人々が自然から
遠ざかっているからかもしれません。なによりもまず人は歩かなくなった。口にする食物も自然なもの
が少なくなった。
そういえば私が知る冒頭の悪意の人物は歩いていません。座り仕事であり運動もせず車かバイクですね。
若い時よりずっとそういう生活を続けているようです。
そういうことでは歩かない人間は悪意に染まる可能性が高いということです。人間は動くようにできて
います。動物というのは動くことが基本です。動いてはじめて人は正常に生きれるようになっている。
しかしその動くというのはあくまで自分の足で移動するということであり機械を使うのは動くということ
ではありません。

撮影ら臨んでは必ず歩きましょう。そして何度かに一度は長距離を歩く習慣を身に着けましょう。
渡良瀬遊水地の谷中湖一周は約10キロ、遊水地全体の周囲は約30キロだとありました。30キロでも1日
で回れますね。10キロだと普通です。
写真撮影はまずそういうところから始まると私は考えています。とにかく歩くのです。歩かないところ
からは写真は生まれないと確信していますから。歩かない写真は単なる画像です。その画像に命を与える
のが歩きという活動です。この写真と画像の違いはものすごく大きいのです。
歩くことによって見える光景があります。歩かないと見えなくなる景色があるわけです。そこを知り、
画像として捉えるのが写真だと思うのです。

写真は良い趣味だと言われることが多いのですが、それは歩きが写真趣味の属性として備わっているか
らだと私は考えています。身体が不健康になり歩けなくなってからでは遅すぎます。10年先を見据えて、
歩くことができるうちに、写真趣味ということにかこつけて歩ければ、これほど素晴らしいことはありません。
歩きの効果は即効で現れます。そして歩きは人を裏切りません。(筋肉は裏切らないという)

こんな風に書くと、私がシッポ座さんに何やらアドバイスをしているように思われるかも知れませんが、
それは文脈上の仮の設定なのであっと、本当は自分自身に言い聞かせているわけです。何度も何度も書いて
自らの決心を新たにしなければ人の心と言うのは揺らぐのです。
それほどに重要なのが、歩くという行為です。

人間には五感とか六感といわれる感覚器官があります。車の自動運転が話題ですが、今のところ視覚のみ
の感覚(センサー)でやっているようです。可視光とレーダー波、超音波もあるかもしれません。これに
音声や音を聞いたりする聴覚を加えることは可能です。大体はこれで車の自動運転は出来るようでして、
いずれは自動運転の車が主になるでしょう。
車は安全に走るだけなので単純ですが、人間個人のアドバイザーとしての人工知能やロボットができると
すると、もっと広範囲のセンサーが必要になります。触覚や嗅覚・味覚といったものも。また人間には
検知しにくい電磁波や放射線のセンサーも付け加わるでしょう。
やがては人間の感覚器官を超えた人工知能が誕生するのは時間の問題だろうと思ってます。
ありとあらゆることで人間は人工知能に勝てなくなる時代が来そうですが、ただ人間は失敗をするという
こと。そしてその失敗から学ぶことができるという長所があります。人間は失敗ばかり、誤ってばかりして
いるのですが、そのことこそが人間の可能性を大いに高めています。

機械は誤らないように失敗しないように作られるのですが、もしくは誤っても修正する機能が付加されて
います。そのように機械は合目的的に作られていますが、人間は逸脱してもぜんぜん平気というところが
ありますね。(笑)
人間というのは行き当たりばったりでして、とにかく生きられればそれで良しというところがあります。
人間は知能を獲得して進化しましたが、これだって成り行きだったかもしれないのです。高度な知能を
持つのは哺乳類ですが、それは億年もの間、恐竜にいじめられたからかもしれません。当時の哺乳類は
ねずみほどの小さな生き物でした。恐竜というニワトリくらいの大きさから巨大な恐竜まで、かれらが
地球を支配していたわけで、哺乳類などは彼らの餌でしかなかったわけで。

人工知能のことで是非とも知っておきたいことは、AIが模擬しているのは人間の大脳皮質の新しい脳の部分
だけです。これは人の学力を生み出す部分だろうと思います。ここが良いと学校の成績がよく高学歴となり
一流会社に入れます。皆さんが普通に頭が良いと思われているところですね。
しかし脳は大脳皮質だけではなく大脳基底核、大脳辺縁系、視床下部などの、人間の感情・欲望・価値観
(善悪のこと)などをつかさどるところがあります。こういう発生学的に古い部分の脳はAI化することはできない
だろうと思っています。
しかし人間として本当に大事な部分は正にそこですよね。人の基本的な生き方を決めているのはそういう
脳の中心部分なんですね。機械によって決してシュミレーションすることのできない脳の大切な部分。
シッポ座さんが言いたかったことは、この部分の働きのことではないでしょうかね。私がいう本当の知力や
直観力というのも、同じく脳の中心部分の働きだろうと思っています。

そういう脳の構造も大事ですが、人間は脳だけで出来ているのではなく、身体全体が全て大切な働きをして
いると見るべきです。体全体で全てが何一つ無駄なく大事な役目の働きをしていると考えると、なぜ歩くと
健康に良く、知力を高めるのかが分かろうかというものです。写真は歩きの撮影が大事で、画像に思い入れ
が過ぎると写真ではなくなっちゃう、というのもきちんと道理が通るわけですね。


※前回投稿した写真は黒白モニターでやったため、セピア色が付いているのに気が付きませんでした。
今回は色を抜いての再投稿です。

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細部へのこだわり
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Utility 5 Ver.5.10.0
レンズ
焦点距離 20mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 3820x2688 (7.16MB)
撮影日時 2024-11-19 00:54:18 +0900

1   kusanagi   2025/5/27 21:06

モノクロ専用のモニターが手に入りました。知人がネットでジャンク品をゲットしたのですが、結局
自分の用途には合わずでタダでもらいました。医療用のレントゲン写真を表示するモニターなのですが、
やはり専用のビデオカードが必要ということで、普通のカードでは不本意にしか表示できないようです。
(上下並列2面表示でしか) しかしその画質の一端は垣間見ることができ、圧倒的な解像度とシャープさ、
高コントラストにさすがだなって思いました。モノクロカメラと同じ理屈なんですね。
まあ、これは遊びでの話です。
私が普通に使うPCのモニターは一時完全モノクロにしていたのですが、ほんの少しだけ色を付けること
にしました。全くの無彩色だとかえって分かりづらいところがあるわけで。物事は極論ではなく少し
中道に振ったところに良いものがあるのかもしれません。

生成AIとか人工知能の話をすると一般の方には理解できないことだとは十分承知していますが、今この
時代が雪崩をうってその方向に邁進しているわけですね。あと10年経てばとんでもないことになっている
のは確実です。
このAIはたとえばプログラミングができる人には朗報とも言えるものでして自動で短期間で労力を伴わず
にプログラミングコードを書いてくれるわけです。しかしプログラミングの知識がない人にはまともには
使えません。万事がそれでしてプロの優秀な人にとっては生成AIは最高のツールであり武器になるわけです。
そうすると結局は優秀な人達にとっては大変な利益をもたらすのですが、そうではない人達にとっては
おそらく不利益しかもたらされません。
ですからAIを使えるか使えないかで大変な格差が人々の間で生じるということになります。
今現在のインターネットやPCコンピューターでもそうなんでして、一般の人達は馬鹿みたいな使い方しか
出来ていないでしょう? 今でもそうなんだからこれからはその格差というのはもっともっと開いてしまう
というわけです。

機械より人間のほうが恐ろしいというのは確かにそのとおりです。機械は善悪の概念がありませんが、
人間には悪い人間と正しい人間がいます。弱い人間と強い人間も。(機械にも強弱がありますね)
そして時代にも正悪と強弱の時代分類があるんですね。
その時代と人間を区分している本質的な要素は同じものです。それで時代が悪くなれば悪人がはびこるし
時代が良くなれば善人が活躍するのです。
この本質的な仕組みがあるからこそ、機械はどんなに高度になっても人間を超える知能を獲得すること
はできません。しかし機械にはパワーがあります。核兵器などはその典型です。それで人工知能にも
ものすごいパワーがあるんですね。それが証拠にAIデータセンターを稼動させるには大電力を消費し
原発が必要になるほどです。

人工知能が核兵器並みに危険であると言われるのは、その強烈無比なパワーによるものです。核もAIも
それを制御する人間が悪人であれば、もしくは弱い人間であれば、人類を滅ぼしてしまいかねないわけ
ですね。
日本人は自然災害と人災の区別が厳密にできていないところがあります。原爆を落としたのは人間です。
しかしそれを自然災害とあまり区別せずに捉えているようなところがありますね。大地震は自然災害
ですけど原発を建設し破裂させたのはあくまで人間であり人災であるわけです。
そうは言っても結果として、自然災害も戦争などの人災も同じような苦しみを人々にもたらすわけで
あまり区別するのもさほどの意味がないところがあります。

週刊現代で落合陽一氏(筑波大準教授)のカメラが紹介されていました。ライカM型です。レンズは
ノルテルックス50ミリF1.2。2本同時に購入し、そのうち1本がキリッとしなくてソフトフォーカス
レンズのようなものだったそうで、その不良品がいたく気に入っているそうです。そういうレンズの
画像はAIでは表現できないと。(笑)
私はあくまでアマチュア写真家ですから、写真でお金を稼ぐことはできませんし、ジャーナリストでも
ないので写真に対しての社会的な使命感というのもありません。自分だけのささやかな写真活動が
できればそれでよし、というところです。
そういう場合に、写真とは細部にこだわるべし、という気持ちが強くあって、特に画質というものを
これまで大事にしてきました。黒白写真にしてから画質は大分捨てたのですけど、それでもこだわり
はまだありますね。
落合氏の記事を読んでいると、そういう売れっ子の有名人でも同じようなことを考えているのかと思い
苦笑しました。

細部に宿る写真の何かが欲しいからこそ私はこれまで写真を続けてきたというところがあります。
神は細部に宿る、これをモットーにして写真に限らず全ての物事に対処してきたところがあります。
普通の人達とはまったく視点が違うのでもとより理解してもらおうなんて露ぞ思っていません。
私がモノクロに拘るのもその細部への関心からです。

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脱モニターの時代
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Utility 5 Ver.5.10.0
レンズ
焦点距離 20mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (1.96MB)
撮影日時 2024-11-19 00:54:18 +0900

1     2025/5/25 12:51


2   kusanagi   2025/5/24 22:48

脱画面の時代。
【まじか‼️】スマホがなくなる日は、近いのか?OpenAIの新デバイス計画の謎
https://www.youtube.com/watch?v=VjvAT3nqz4I
今現在、パソコンはマウスとキーボード。スマホは画面タッチで操作をしていますが、これはモニター
というカラー画面があるからできることで、GUI、グラフィックインターフェイスの操作法であるわけ
です。それ以前はキャラクターインターフェイスでテキスト文字をキーボードでコマンド打ちをしての
操作でしたね。いずれにせよモニターがあって出来得たことです。

私はこの、GUIというカラーモニターが大いに問題を引き起こしていると提言をしたわけです。
デジタル写真をする場合、このモニターでの操作を避けることはできません。デジカメで写真を撮った
場合、まずカメラ背面モニターで見ることができ、そしてデータをPCに持って来て、現像なり画像修正
を行うわけでずか、それにはモニター画面での操作か欠かせません。
この画面を見なくて写真ができないのか?と問えば、フイルム時代はそんなの無かったじゃないか、と
言ってもデジタル写真ではモニター画面を見ることは不可欠なんですね。

それで対抗策として私は黒白写真で行こう、となったわけです。しかしこれはあくまでも対策であって
根本からの解決法ではありません。対症療法的な対策法というか逃避行動であるわけです。本来はモニター
画面なんか見なくて写真ができればいいんです。つまり脱モニター画面。
それがスマホやPCの次の次世代のデバイスでは画面なくしてコンピューターが操作できる、つまりは
デジタル写真も脱画面が適そうな雰囲気になってきました。
この新聞記事を読んで、これだって思いましたね。
「スマホの次は脱画面」オープンAI、新端末開発へ。アイオー・プロダクツ買収。音声操作に商機。
io Productsとはアイフォーンのデザインを主導した元アップルのジョナサン・アイブ氏が創設した会社。
つまり今現在のスマホと言うコンピューターデバイスの操作感を決定付けた人物なんですね。

アイブ氏は、自分がデザインしたスマホやPCという利便性と高いデバイスというものが、益と同時に
そのマイナス面も大きくて、様々な問題を引き起こしていることを知っていたわけです。またそういう
自分への責務というものを感じていたそうです。
ですから画面を無くするというアイデアは実に的を得ていると私は思っています。
私は画面を黒白にすることで対処しましたが、画面が無くなれば、これこそは根本的な解決法になるわけです。
それから私もユーチューブの動画も見ますが、実際は画面は見ずに音声だけ聞いているわけです。またそういう
音声内容の濃いものしか見ません。
そうなのでモニター画面をなくして音声でいく、というのはこれからの時代に即したやり方でしょう。
生成AIは高度になってきて、もはや画面を見て人が一々操作をするということが不要になったわけですね。
ということでやがてAIによって全く新しい形のデバイスが登場するということなんです。

モニターという透過直射光、特に眼にきついカラー画面が無くなればこれは革命的です。思い切ってコンピューター
を使うことができるというわけです。
ただここで大きな本質的な問題が新たに発生するだろうということは避けられません。
たとえば画面に映った文字配列でのキャラクターインターフェースの場合は、人に思考というものを要求され
ましたが、これから起こるAIインターフェースではその思考は必要がなくなるという根本的な問題が出てくる
わけです。
つまりコンピューターを自分で操作するこということがなくなり、むしろコンピーターに人が操作されるという
ことになるわけですね。
殆どの人はAIの知能に敵わない時代になりました。IQが120オーバーでないともうAIには敵わなくなってくる。
そうなると人は自分より高いIQのAIデバイスの言いなりになっちゃうんですよ。人が自分の意思をAIによって
奪われるという本格的な時代に突入します。

まあ、それは置いといて、とにかくしばらくは画面からの脱却ができるようになるということでは革命的な
変革の時代になってきそうです。とりあえずモニター画面の症候群からは脱出できるようになるわけです。
そして自分を取り戻さなければなりませんね。

3   シッポ座   2025/5/25 19:33

そうなんでしょうね
どちらかといえばaiとか人口知能とかってより人が一番こわいです
ネットで見られる、得られるものはあまり信用しません
とはいえグーグル先生頼りなところもあるのですが
できれば自分で知り得た情報や知見、経験から得たいと思います。
実物があるのなら自分の目で見て触って確かめて、五感ややわこい皮膚のような触覚とは違うのでしょうけれどちょっと怪しいんじゃないかーって
そういうのって人間だから分かる感覚なんじゃないかな?って
そういうのを大切にしたいですね
人が書いたもの、そうでないもの、意図的に書いたであろうこともの、人が入っていないものは何となく違和感感じますからね

4   age   2025/5/25 21:41

age

5   ega   2025/5/26 22:19

病気の投稿写真だ

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カメラマンはいつまでも馬鹿をやってはいけない
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Capture One 9 Windows
レンズ
焦点距離 17mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 80
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4096x2713 (5.34MB)
撮影日時 2013-03-19 23:33:14 +0900

1   kusanagi   2025/5/18 23:39

カメラマンはいつまでも馬鹿をやってはいけない。
なぜならば、その馬鹿癖とは、結局は透過直接光という電磁波(広義の意味で、可視光線も電磁波のひとつだ)の
悪影響の結果に過ぎないのだから。つまり可視光電磁波弊害です。
これに気が付いた掲示板の投稿者は多いです。私もやっと遅ればせながら分かったに過ぎません。
可視光弊害はデジカメだけではなくてパソコンやネットでも同じく悪影響がでてきます。当然にスマホでも。
要するにモニターを持つ電子機器(その最右翼は古くはテレビだろうしパチスロなんかもそう)は、人の運勢を停滞
させます。人生時間の無駄使い、つまり消尽をさせるのです。しかも当人にはそれに気が付かせずに。
これを名付けて、私は浦島太郎シンドロームと言うことにしています。

今現在、一時的にPCモニターを黒白表示にしていますか、エヌビディアのコントロールソフトでやっています。
エヌビディアといえばグラフィックカードのメーカーですから、そういう黒白表示の要望があるということを
分かっていたわけですね。仕事で長時間作業をする人は、こういう問題に敏感なはずです。それでその要望を
汲み上げていたというわけでしょう。
ウインドウズ10や11だとOSからもできるようです。なんにせよ、しばらく黒白モニターでやっていこうと思って
ます。いろいろと知ることができるのではないでしょうかね。

2   age   2025/5/25 21:51

age

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夏のにおい
Exif情報
メーカー名 KYOCERA
機種名 KYV41
ソフトウェア GIMP 2.10.32
レンズ
焦点距離 3.5mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/10016sec.
絞り値 F2.2
露出補正値 +0.3
測光モード スポット測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 750x1000 (523KB)
撮影日時 2025-05-23 23:18:26 +0900

1     2025/5/25 12:50


2   シッポ座   2025/5/23 16:26

無人販売所にてすいか百円!
冷蔵庫にて絶賛冷却中!
梅雨入りしてないけれど夏に近づこうとしています

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日が暮れた

1     2025/5/25 00:21


2   シッポ座   2025/5/24 17:50

何時か出掛けたひたち海浜公園で撮影した写真
konica autoreflext3
asahi takumar 200mm f3.5
lomography cn 400

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黒白写真の真の意味
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Utility 5 Ver.5.10.0
レンズ
焦点距離 10.0mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1.0sec.
絞り値 F3.5
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 80
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 2048x1356 (1.05MB)
撮影日時 2013-03-19 19:35:09 +0900

1   kusanagi   2025/5/14 22:52

私がモノクロ写真撮影をするようになってから、もう2年近くが経っています。
当初の切っ掛けは単なる思い付きで、ペンタックスのモノクローム専用機を購入したことから始まりました。
しかしこれでモノクロ、黒白写真にどっぷりと嵌ってしまったわけです。以来、殆どの撮影がモノクローム撮影です。
もうカラー撮影に戻ることはないでしょう。自分には黒白写真が似合っていると思っています。私には黒白写真で
十分だと考えていますし、それで必要にして十分だということです。

黒白写真にしてから、まず機材への関心がまったく無くなってきました。と言いますか、次から次へと機材に欲望が
出てくるという方が異常なのであり不自然だったわけです。
私が20歳代に黒白フイルム写真で撮影し自家現像をしていた頃は、その機材は最低限のものでやっていました。
カメラが2台、レンズが数本というところで、それ以上欲しくもなかったし必要もないことを自覚していましたから。
一方、デジタルカメラで、カラー写真をし出してから20数年が経ちますが、それこそが普通ではなくて異常な時期で
あったわけで機材の欲望に翻弄されていました。それがデジタル黒白写真で正常に戻っただけなんですね。
なお、参考までに書くと、一般的に言って写真人の傾向として、機材への偏重か、もしくは撮影が過多か、という
ことであり、そのどちらも傾き過ぎるのはいけないということです。やたら毎週のように撮影に出かけて過ごすという
のも、それはそれで欲望に駆られているということです。

と言うことで、黒白撮影にしてから写真に対して過剰な思い入れ、というものが無くなったということです。それが
黒白デジタル写真の最大の効用であり、もしかすると全てかもしれません。
そうなってくると自分への、写真以外の関心というものが芽生えてくるわけです。それが自然です。
カラーデジタル写真では写真への過剰な思い入れというものが有り続けたということで、それが不自然であった
ということなんですね。それが正常な関心の配分に戻ったと言うことなんです。
所詮は写真です。たかが写真なんであって、それが自分の中で過剰に膨らんでいたということ自体が自然では
なかったということではないんですか。

デジタル写真、これはカラーのデジタル写真のことですが、人をして異常なまでに感心が増大して、もうそれしか
見えなくなる、という不自然で異常な事態になるということ。
それをズバッと切ってくれたのがモノクロデジタル写真でした。なんだ、写真なんて、こんなものだったのかと。
そう目覚めさせてくれる威力が黒白デジタル写真にはあったわけですね。

これ実は、写真だげてなく、パソコンやスマホでもそうですけど、モニターを持つ電子機器装置一般にも同様に言える
ということに気が付きました。
これらの製品は、つまりパソコン、スマホ、デジカメに共通するのは、画像モニター自体が発光し、その透過光で
人間の眼に直接、光が入ってくるものなんです。これは直射光ですね。
比較対比をしますと、紙の印刷物とか紙焼き写真というものは、光源が別にあり、その反射光ではじめて見るもの
なんですね。直射光と反射光、それは太陽と月くらいの大きな違いがあります。

この直接透過光の製品が本質的には曲者であるということなんです。大げさに言えばこれがこの今の世界を
ぐちゃぐちゃにしているっていうことです。
そして私としては、それへの対抗的な対策が黒白写真であったということに過ぎないんですね。画像を黒白オンリー
にすれば、透過直射光の神通力が見事に消えうせてしまう。そういうことなんです。
正直、モノクロ専用のモニターが欲しい。そう思います。黒白モニターならばネットの全てをモノクロで見ることができ
ますから。

フイルム写真、紙焼き写真でも普通の人は、時期的に言ってカラー写真から始めているでしょう。しかし私の場合
は黒白のフイルム写真から始めていました。1970年代ですね。無論カラー写真はありましたが手軽なのは黒白
フイルム写真でした。
カラー写真から始めた人はフイルム時代でもけっこう機材オーバーでやっていたようです。やはり反射光写真でも
カラーとなるとどうしても過剰になるみたいです。

白黒文化というのは文字印刷本が今でも白黒です。白い紙に墨で文字を印刷する。印刷も既にカラー時代ですけど
多量の文字情報の場合は今でも黒白文化で一向に変わらないのです。
ただしネットではカラーですね。どんなサイトもカラーで色づけされています。ここに紙文化と電子文化の違いが
あります。モニター文化というものはカラー表示、RGBがスタンダードなんです。
ということで、ここからが本題。ウィンドウズ7でも黒白表示ができそうなので早速やってみました。
"Salvatore" - Isabeau Levito performs to Lana Del Rey at 'Gold on Ice' 2024
https://www.youtube.com/watch?v=sCYYgtYK0bY
ショパン - 春のワルツ - (トスカーナ 4K) Chopin - Spring Waltz
https://www.youtube.com/watch?v=zrX_pYsQEp8
映像でもカラーでなくとも黒白画面でも美しいですね。なんら不足がないではないですか。
フォトXPを開けば、皆さん全て黒白写真で投稿されているみたいな。(笑) ちなみに黒白画面だと広告があまり
気になりません。

そういう時代の背景というものを知っておく必要がありますね。皆さん、パソコンもスマホもデジカメもインターネット
も夢中になって、もはや奴隷状態でやっているのではないですか。少しの時間があればスマホを取り出して見て
いるじゃないですか。電車に乗ればスマホ、レストランの椅子に座ればスマホ、信号待ちの歩道でも、自転車に
乗りながらでもスマホです。
それらは全て原因は、表示がカラーだからですよ。また透過直射光だからなんですね。
そういう時代の仕組みというものが私も段々と分かってきました。やはりそういう時代はおかしい、どこか間違っている
ということが分かったからこそ、私は確信的に黒白で写真をやることにしたんです。それは黒白の本を読むことと
通じる、この時代への正常な反応というか反旗というべきものかも知れません。

カラーデジタルで写真を撮って、そして投稿写真として黒白写真に仕上げる、と言いう方が増えてきたかもしれません。
しかし、私の黒白写真への考え方とはぜんぜん違います。皆さんはひとつの表現として、流行的に黒白写真を
しているに過ぎません。それは一時的なものです。私の場合は黒白撮影しかしませんから覚悟が全く違うんですね。
写真の本質はカラーでなくともできるわけでして、黒白写真時代でも写真文化があったわけですし、むしろ黒白写真
の時代のほうが写真文化は高かったです。
つまり写真というのは白黒で十分にできるわけです。写真として何ら本質に毀損はないのです。

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加工食品と加工写真
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Utility 5 Ver.5.10.0
レンズ
焦点距離 33mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/250sec.
絞り値 F4.5
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4096x2731 (4.75MB)
撮影日時 2024-10-07 00:21:52 +0900

1   age   2025/5/14 21:36

age

2   kusanagi   2025/3/25 20:35

加工食品と加工写真

自分の写真は自分の人生を反映していて、それでその人の写真を見ればその方の人生というものが
占えるというところがあります。
これは不思議でもなんでもなくて、幼児教育では子どもが描く絵で発達情況や環境が分かるということが
昔から知られていますね。そういうことが写真に於いても発生しているわけです。

我々が日々食べる食物では、その最悪なものと言えば加工食品です。つまり工場で加工して大量に
作られてパックなどに包装されて売られているもの全て。もうほとんどのものが加工食品と言ってもいい
くらいなんですが、その度合いも千差万別です。スーパーの食品売り場では加工食品が8割を占める
のではないですかね。たしかに調理が簡単ですし日持ちもします。便利なので日々の食卓に並ぶことは
多いんではないですか。
しかし加工食品は確実に人の体を蝕んでいきます。この加工食品を遠ざけるだけで健康の度合いは
増そうというものです。食育というか健康な食事の第一歩はまず加工食品を摂らないことなのです。
これ、常識ですね。添加物たっぷりの工業製品が人の体に良いわけがないのは当たり前です。

加工食品と加工写真はゴロ合いが似てますね。ただ加工食品は消費者が手抜きで摂る食品ですが、
加工写真はユーザーが態々手間隙掛けて作り上げるものです。もっとも食品メーカーは手間隙をかけて
加工食品を製造するわけですから、たしかに同じと言えば同じですか。
加工写真とは写真を撮るユーザーが手間をかけて作り上げ、そしてその写真を視聴する、つまり視聴
ユーザーが楽をするという具合になるわけです。(無論、撮るユーザーもその視聴ユーザーの1人)
そして結論して、加工写真はそれを作る撮影者もそれを視聴するユーザーも不健康になる写真だ、
というわけですね。インスタ写真などでそういう加工写真がいっぱいあるんではないですか。
この掲示板でもそういう加工写真大好き投後者がおられます。しかしもう一方で加工を最低限にして、
自然に仕上げた自然写真を投稿するかたも数多くいます。

いつからこの加工写真文化が増えたのははわかりませんが明らかに行き過ぎで、写真ともいえない
写真になってしまっています。加工食品が本来の食品とは異なるものになっているのと同じ情況でしょう。
我々写真を撮って写真の文化を楽しむ人にとっては加工写真は百害あって一利なしの写真となります。
手間と労力と時間を食い、そして本来の写真の自然さを失い、なにひとつ得るもののない写真である
わけです。
そもそも写真現像のRAW現像は、カメラの不具合を調節するものであって、例えば露出とか色合いが
現実と違っていれば微調整をして本来の自然さに戻すものなんですね。それをどう勘違いするのか
分かりませんがギタギタの不自然極まりないものにするというのは、要するに写真を撮るユーザー自身が
既に不自然な状態になっているからだということです。

そうであればこそ、加工写真大好き人間は既に不健康に犯されている。人生の運がすでに傾いている
ということがはっきりと言えるわけです。加工写真でなければ写真ではない、という人はその自分の
運勢の情況を自覚できないでしょうから他人が言っても仕方がないわけですが、その未来は見えていま
すね。一番簡単な写真占いは、この加工写真ですかねぇ。これは誰にでもわかるので簡単でしょう。

黒白写真で言うと、普通のカメラはカラーなので、それをわざわざ黒白にするのは加工写真だということ
になります。ですから写真を良く分かっている投稿者はカラーを黒白写真にしません。
私のように黒白写真専用機を使っている者。もしくはカラー機だけど最初から黒白機として使う場合は、
黒白写真でも加工したことにはならないんですね。自然な黒白写真であるというわけです。

とにかく写真という本来余裕の趣味に於いて、何もわざわざ不健康になる加工写真をする道理はあり
ませんね。加工写真は確実にその人の人生の運を悪化させます。自己免疫疾患に陥るようなものじゃ
ないですか。もしどうしても写真を加工したいという気持ちを抑えられない場合は写真そのものを止め
ましょう。

そもそも写真とは自己表現ではありません。あくまでも記録です。それは写真の登場時からそうなんで
あって、表現をしたいのであれば絵画とかCGでやるべきです。
しかしながら食物において加工食品がなくならないように、写真でも加工写真はなくならないでしょう。
とくに今はそういう時代なのであって自分で進んで運気を落とす人が続出するんですね。
超過死亡が大きくなっています。その殆どが高齢者なのであって、それはそれで当然なのでよいのかも
知れませんが、とにかく運気が落ちた人は続々と鬼籍に入るようになる時代です。

今回は最初にタイトルが浮かびました。いつもはコメントのタイトルなどテキトウなんですけど今回は
違った。加工写真=加工食品と頭に浮かびましたから。(笑) もちろん投稿写真とは無関係です。

3   カメラ愛好家   2025/3/25 22:56

星占い先生、加工写真の定義を述べて下さいな。
明るさ・コントラスト・サイズ変更・色調調整・・・・
基本的には元画像に何らかの意図的な加えたもの・・
皆さん何らか手を加えて投稿しているので、不健康な方
ばかりですね💦

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Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS-1Ds Mark III
ソフトウェア GIMP 2.10.32
レンズ
焦点距離 0.0mm
露出制御モード マニュアル
シャッタースピード 1/5sec.
絞り値
露出補正値 +0.0
測光モード 部分測光
ISO感度 50
ホワイトバランス 色温度直接設定
フラッシュ なし
サイズ 2500x1667 (1.7MB)
撮影日時 2025-01-01 19:04:32 +0900

1   シッポ座   2025/1/1 11:24

2025年

2   age   2025/5/14 09:06

agree

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