写真の病理
Exif情報
メーカー名 SONY
機種名 DSLR-A900
ソフトウェア Capture One 7 Windows
レンズ
焦点距離 85mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/60sec.
絞り値 F9.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4096x2731 (5,112KB)
撮影日時 2008-01-05 00:59:05 +0900

1   kusanagi   20/10/12 21:51

アサヒカメラ(既に休刊)の2020年6月号に立木義浩氏の写真観が掲載されていました。
フィルムカメラのことを主に書かれているのですが、このようなことを言っているようです。
・・・今ではモニターで写真をみるのが当たり前になっているが、写真はプリントが最終形だ。
透過光で見る画像は一見インパクトが強く感じられるが、細部が味わいにくく存在感に欠ける。
対して反射光で見る優れたプリントは平面でありながら奥行きを感じさせ、長く見続けても
飽きない。・・・
これ、別の言い回しをすれば、透過光のモニターは長く見続けることができない、ということ
かもしれません。そして細部もよく見えていないということでしょう。考えてみればこれは写真
として致命的なような気がします。

透過光の画像としては映像がそうです。動画の映画、デレビなんかです。反射光での動画は
まだ実現されていませんね。静止画ではスライドがそうです。これらはアクションとして、また
同時に多くの聴衆に見せるには便利なのですが、細部までよく見て鑑賞し、写真というものを
深く読み取るという意味では相応しくないものなのでしょう。
デジタル写真は透過光モニターで鑑賞することが可能です。もちろんデジタル写真でも立派に
プリントをすることは可能ですし、現在の全ての印刷物は写真も含めて全てデジタル媒体で
やってます。
しかし透過光モニターで見る写真は立木さんの言うように本当の写真ではないのかもしれま
せん。長く見続けることができず細部も不鮮明では、写真鑑賞として致命的なのかも知れな
いわけですね。

その結果、現在ではどのようなことが起こっているかと言いますと、物事を深く見ることができ
ない、深く考えることが出来ないというようなことが習い性になっているのではありませんか。
私は印刷業という職業がらで文字の校正をよくするのですが、この場合、モニターで確認という
のはよく間違いを起こすのです。それで必ず紙にプリントをして確認をするというのが鉄則です。
文字だけでなく図形もそうです。各パーツのレイアウトも紙だしでないと上手くバランスが確認
できません。結局モニターではほとんど分かっていないというのが事情なわけです。

ある産業衛生に関わっておられた方がおっしゃられていたことが思い出されました。最近は
企業の従業員のなかでも誇大妄想的な発言や行動をとる人が出てくるそうなんです。患者当人
は自信を持って絶対正しいと思いこんでいるのですが、攻撃的であり周囲に軋轢を起こしてし
まいます。そしてこのようなことは昔はなかったことだと言いますね。(躁鬱病)
これで気になったのは、ネット世界での自主警察的なことや、自動車でのアオリ運転や暴走
事故なんかですね。ようするにネット接続やネット上での発言というのは、とても安易で誰にで
も可能なことです。キーボードを押せばすぐさま字がでてきます。今まで文章なんか書いたこと
がない人でもなんとなく文章がでできたような気になります。そして驚くべきことにこれを世の中
に向けて発信できるのです。車でもそうですね。最近の自動車は誰にでも運転できアクセルと
ブレーキひとつで接近走行や暴走走行が可能なんです。
どうやらそういう安易さが時代の病理を生んでいるということかもしれません。

デジタル写真もプリントをするとか印刷に回すとなると格段に難しくなってきます。モニターで
見て綺麗だったのに印刷したものはそう綺麗じゃない。そう思う人がいれば、それは元の写真
データそのものが大したことがなかったということなんです。と言いますか、モニターだけでは
何も見えていなかったということが言えるんですね。
印刷業では個人でイラストレーターなんかでデータを作り、それを印刷屋に持ち込んで商業印刷
をすることが可能です。しかし個人であれデザイン屋さんであれ、そのデータはだいたい不完全
です。モニターで見ている分には完璧だと思っても本当はそうではないのです。ネットで使う分
には通用するかも知れませんが。いやでも考えてみればネットでもそうではなくで隙を突くハッカー
などにやられるんじゃないですかね。
そう考えれば、モニターというのは一種の幻の画像なのかもしれません。

Artist Daido Moriyama – In Pictures | Tate
https://www.youtube.com/watch?v=foWAs3V_lkg&t=1s
これは森山大道の動画ですが、中で森山氏がパソコンのオペレーターに指示を出しているシーン
があります。森山氏自身は高齢でもありPCでの画像処理などはしないようです。彼自身は黒白
フィルム写真時代に薫陶を受け写真を始められた人です。当時は自らの手ででフィルム現像をし
紙焼きプリントをされていました。
また写真とは印刷をしてナンボだと彼は言ってます。森山は膨大な東京の写真を撮り、出版をして
いるのですがその写真は全て、最終形は印刷であるということのようです。
森山氏は既に世界的に評価の高い写真家であり、特に若い人の人気も相当なもののようです。

奇しくも立木氏もそして森山氏も同じことを言っていて、写真とは紙にプリント、印刷をするという
ことなんですね。それでプリントも印刷もしない写真というのは、ネットやモニターで見る写真のこと
ですが、それは写真ではなくて未完成の画像だということになります。
これは肝に命じておくことかなって思います。そしてこの未完の画像をやればやるほど、のめり
込んでいくほど、人は病むのかもしれません。
今現在進行形で、この掲示板てその病む姿というものが見られます。結果的に非常に貴重な
記録となっているわけですが、これは何方でもそのような病理に陥るかも知れないのです。

少しメモがてらに記すと、
その病理に陥らない有効な手立てとして
①高級機は使わない、カメラは中級機以下で十分 レンズは手頃で十分
②PC/モニターも普及レベルでよい 高性能、大画面を使うな
③何かひとつは拘りのものが欲しい 例えばポートレートでの職人技 またマニュアルライクで
 の撮影とか
④撮影はとにかく歩くこと 森山大道も東京を歩いてます
⑤撮影範囲は身近でよい 森山大道は地元東京ばかりの撮影です。郷土愛かな(^^ゞ そして
 自分の写真に長いテーマを持つこと 写真以外の関心を常に持つこと
⑥写真は芸術だとは考えないこと よしんば芸術だとしても、モニター画像は絶対に芸術なんか
 じゃない。芸術をやりたければプリントをしろ

2   で?   20/10/30 00:44

ナニ?

3   kusanagi   20/11/09 21:29

.

4   WGさん問題について、その総括 kusanagi   20/12/07 20:54

WGさん問題は、ポートレート板に集約しています。この2つのスレです。
https://photoxp.jp/pictures/213041
https://photoxp.jp/pictures/212074
これらからリンクも貼っています。関心のある方はいないと思いますが、過去コメントが見易いように
しています。
ここで総括として、WG問題を纏めてみたいと思ってます。最初に結論を言いますと、これはこれまでの
ケースとは全く違うということです。

私kusanagiがこの掲示板に於いて挑戦したという御仁は、GEM(GM)さん、そしてニコ爺さんことNGさん
ですが、MN研でのPさんも少し注目してました。しかしPさんはMN研内部で処理されましたね。
このようなベテラン投稿者は、ある程度写真をよく知っていて、勿論その知っている写真というのは、
カラーフィルムの写真文化であったわけですね。それは芸術至上主義です。これは1980年代から
カラー写真文化が花咲き、多くのアマチュア写真家が求める趣味写真の理論的支柱となっていたもの
でした。写真が報道か芸術かというと、芸術の部類になります。

それらの写真の延長として、デジタル写真に向かったという時代の背景かあります。GEさんもNGさん
も、Pさんも、そしてW(笑休)さんも、共通してアナログ時代の写真はある程度はご存知であったわけ
です。
もっとも写真のアナログ性の度合いとしては、黒白フィルム写真文化がもっともアナログ的であり正統
な歴史を持っているわけです、(私はこの地平に立って思考しています)、しかしここではその考察は
パスします。
このフィルム時代の写真というのは、デジタル時代とは異なり、写真をプリントとして鑑賞するという
ことが挙げられます。

そして今回の演題であるWGさんなんですが、彼のコメントから見ると退職されてから写真に行った、と
書かれています。それまでは写真を知らなかったというわけでしょうね。
そして、デジタル一眼レフが登場して既に20年が過ぎています。少し推察すれば、退職された歳が
60歳だとしてプラス20年で今は80歳になるかもしれません。だいたいそこら辺でしょう。
年齢のことは別として、おそらくフィルム写真はやっていなかったのではないかと思われることです。
つまりフィルム時代の長い経験が無いということ。これは重要なことです。
これは上記の御仁たちとは、ぜんぜん違うベースに立っているということだと思うんです。私が感ず
るに、GGさんはまるでコンピューターゲームを楽しむように写真を、そしてこの掲示板を捉えているの
ではないかということなんです。

フィルム時代の御仁たちは、少なくとも写真に対する彼らなりの愛着や定見というものがありました。
それはある意味で写真に対して責任感を持っていたということです。自分の写真に誇りを持ち、この
掲示板を去るに際しても割りとスムーズに行っていたことです。
なお、NGさんは立つ鳥跡を濁さずではなかったと思われるかも知れませんが、これはGGさんが絡ん
でいたためにそうなったわけですね。ここは誤解がないように。

ところがWGさんに関しては、これまでの御仁達とは全然違うっていう新しい事態に突入しています。
今でも不思議で仕方がないのですが、WGさんのような人間は、写真を趣味とする人達には存在しない
ように思えることです。いや、それはネット上のことでして、実は個人的には二人ほど知っています。
まるで写真をコンピューター画像のように写真を捉えて膨大な画像群を生産していた方達。最終的に
は二人とも難病と付き合うようになってしまいましたが。撮っていた写真はシューテイング写真のみ。
野鳥とかスポーツの分野です。写真はデジタルになってから始めています。
おそらくそういうケースにGGさんも該当するのではないかと私は考えています。

しかし私が知っていた難病の二人はネットではなく、あくまで個人的な範囲で終結していたのですが、
WGさんは掲示板というネットと深く絡んでいて、事の事態が自分だけでは収まらずに他に影響力を
及ぼしているということで、やはりこれは新時代の、解決に困難な問題のように思えます。
難病の二人はデジイチが出始めた頃の話ですので、ネット利用というだけでなく、写真のプリントもよくされていました。プリントをすれば確かにデジタルでも写真になるというところがありますから。
しかしWGさんにとっては掲示板はネットゲームのようなものではないだろうかと想像していますね。
捨てハンをするのは愉快だ。写真投稿攻撃をするのはネットゲームで勝ちを取ったように勝利感が
ある。そんな気分で写真を生産し投稿して、掲示板で写真ゲームを楽しんでいるのではないでしょう
かね。

ここではもう、写真はプリントのようなものてはなくて、純粋なデータなんではないでしょうか。その
データをネットに上げて、モニターで見て、というデータ写真の世界に突入しているように思えます。
WGさんは高齢者ではなくて、ついこないだ写真ゲームを始めた少年のようです。そう、WG少年では
ないでしょうかね。この写真ゲームを色んなアイテムを使って相手を攻略するというゲーム。
相手はKazさんだったりkusanagiだったりNGさんするんでしょう。そういうものでネットゲームに夢中
になっている少年のように輝いているように見えます。
WGさんは模倣能力が少年のようにたくみで、直ぐさま対戦する相手のアイテムを習得するところが
あり、そういうのもゲーム能力が高いと言えそうです。

それにしてもこれが現代のデジタル写真の有様なのかなって思うところかあるんですが、私はそうは
考えていません。デジタル写真時代と言えども本当に若い方が行うデジタル写真は、そういうゲーム
感覚では捉えていないからです。やはり写真は写真であり、彼らなりの新感覚の作風はあるにしても、
写真自体はオーソドックスに捉えているようです。
つまり旧来の写真の伝統でもなく、新感覚の写真スタイルでもない、もっと何か別のものに突入して
してしまったのがWGさん問題であると考えています。
WGさんにとっては掲示板はゲームの場そのものであって、写真やカメラはその為の道具というか、
機材などはゲームのアイテムのようなものかも知れません。

やはり、どう考えても普通ではないのであり、ひとつの病気だろうと考えるしかないだろうと思ってい
ます。ある意味でこの掲示板の癌細胞と化してしまったWGさんですが、これを止めることは不可能だと
すら思えます。癌細胞は不死なんですね。掲示板が死んだ時はじめて癌細胞も死滅するという具合で
しょうか。
ところでゲームには相手が必要です。相手のいない対戦ゲームはないのです。ひとつはWGさんの
写真にコメントを貰える投稿者はゲームを戦う同士(味方)です。そして敵対相手は、いまこのようにコメ
ントを書いているkusanagiのような相手であるわけです。敵がいてゲームが成り立ち、そして味方が
いてパワーを付ける。WGさんが捨てハンで楽しんだというのは、敵を作ることでしかゲームが成り立た
ないからですね。
癌細胞はその栄養を正常細胞から得ています。ウイルスでもそのようです。これはゲーム上の味方か
ら栄養を得てパワーを獲得し、それでゲームを続けられているということであるわけです。
WGさんにコメントを送る投稿者は正常細胞であり、その彼らのエネルギーを利用してゲームを続ける
ことができるということです。

もっと言うと、自ら掲示板をゲーム化して敵と戦うスタイルを作るのですが、その本当の目的は敵の
獲得ではなくて、むしろ同士という味方を作り、その味方のエネルギーを獲得するという寄生本能から
来ているではないかということです。そもそも悪という名の寄生物とはそのようなメカニズムでできてい
るんですね。
これは中国共産党と同じ仕組です。軍国日本や米帝国という敵を作り、それへの同士・味方ということ
で中国人民を扇動して、その実、その人民の生き血を搾取して成り立つのが悪の共産党の本性であ
るわけですから。とにかく悪の根は付きないというのがこの世の習いです。

WGさんにコメントを寄せる多くの投稿者は、彼も自分と同じく写真を楽しみながら写真の道を向上させ
ようとしているのだとお考えでしょう。しかし実際は違うようですね。
長らくWGさんの写真を見て、私は彼の写真が良いねっ、面白いね、参考になるねって感じてことは
ありません。比較的評価できるのはスナップ写真ですか。これは反射神経で撮る写真なので彼に向い
ているのかもしれません。ゲームは反射能力が大事ですから。
しかしその殆どの膨大な写真群は、写真でも芸術でもなくて、ただ単に生産された画像です。ちょうど
中国で生産される安価で膨大な工業生産物のように。

写真を芸術だとして考え、それ以外の選択を狭めてしまった、カラーフィルム写真の文化。それを今の
デジタル写真の時代にそのまま通用すると考えていた御仁達は、この掲示板から去って行きました。
しかしながら彼らも写真という文化を大切にするということでは、大変にまともな人達であったわけで
すね。
いまここでWGさんという、写真の枠からはみ出てしまった人間を見ていると、彼らこそが本当に写真
を愛してまともに考えていた人達ではなかったろうかと、つぐづくと思えるわけです。
とにかくWGさんはこれまでの写真文化の範疇では捉えられない人物であるようです。ひとことで言うと
写真なんかではなくて、単に画像データ依存症というところでしょうか。ゲーム依存症に極めて近い
人間でしょうね。

そう考えると、WGさんの写真を見ても何の感想も出て来なかったことがよく理解できるわけです。
なんか画像があるねっていう感覚。写真だとそれを撮った方の心とか思考というものが伺えるのです
が、WGさんの画像にはそれが無かったということ。
それから彼のコメントにしてもそうでして、これが本当に人間が書いた文章なのかと訝るところがあり
ました。なんかコピペで繋いだような文でしたから。
とくかくデジタル時代でなければ決して登場しない人間だろうと考えています。正直言って私にはとう
てい理解出来ない人物ですね。

ただひとつだけ直感として言えることは、WGさんの本性は捨てハンや匿名のコメントにこそあるのだ
ということです。そちらが本当の本心なのであって、WGさんの名で書かれたコメントなどは嘘で作り事
であり(その殆どは誰かが言っていたことのコピーなのですから)、それは彼の写真は心が不在の写真
であるということと同じだということです。
ですから、ここ1・2年の捨てハン稼業をやっていた頃は、本当に活き活きとして楽しかったのではない
でしょうか。


この掲示板もイグジフ問題で投稿がしずらくなり、投稿者も激減してきました。みなさん工夫をされて
投稿を続けている方々もおられます。私はこの投稿問題は、掲示板運営に於いて投稿データ量が多く
なりすぎた結果からの措置だろうと考えるところがあります。ごく一部の投稿者が多量の投稿を繰り返
せば掲示板運営に支障きたします。掲示板の本来の姿は、数多くの投稿者が訪れ、彼らがまんべん
なく投稿することであり、突出して特定の方が投稿データ量を独占することではありません。
しかしながら私としては、この投稿できにくくなった新常態でも構わないという気がしています。これは
これで写真掲示板としてもやっていけるのではないかと考えるところがあります。

シルキーピックスやキャプチャーワンが使えなくなったこと、アドビにてもイグジフ外してないと投稿で
きなくなったこと等々。すでに機材の性能を見る写真掲示板ではなくなりました。逆に考えれば機材と
いうものに翻弄されることがなくなったというわけです。
個人的に最近は写真り撮影が本当に楽しくなったという気がしています。自分の写真が撮れるとい
うこと。コロナ下であり撮影は県内程度にとどめていますが、これまで気が付かなかった被写体に
巡りあえているということです。写真なんて人に見せることでやってはいけないということが良く分かる
ようになりました。

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