40mmレンズ 作例

写真

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この掲示板の写真投稿者は随分と限られてきて、ほんの一握りの方たちだけの掲示板のようになって しまいました。 しかしながら写真やコメントの投稿はせずとも、掲示板の視聴だけはしているという多くの人達がおられ るということでしたね。管理人様はそのように言っておられましたので。 それはきっと、そうなのでしょう。 なぜこの私は写真を撮るのかと申しますと、それは単なる歩きの健康維持というところが大きいです。 歩くことは大切で特に野山に散策することは足腰の鍛錬になり、また自然に触れることで喧騒な日常を 忘れることができます。写真やカメラはその為の道具にしかすぎません。 そして写真を投稿するのは、写真というものを通してこの社会との接点を見出したいからですかね。 撮影をしてそのデータをパソコンで現像するまでは私の写真行為ですが、その写真を投稿した瞬間から その写真は私のものではなくなります。この社会の皆さんの、視聴者の方々の写真となるわけです。 写真を撮影することは、例えば被写体としての多くの人々と、そして自然が相手ならばその自然との 出会いというものがあります。それらは撮影者個人の特権とも言うべきかもしれません。 私がこの私の内部に閉じこもらずに、人々や自然との接触点というものがあるということ。写真撮影は 最初から開かれているものなんですね。被写体という存在がなければ、写真は一点も撮れずで存立す ることすらできません。 そしてその被写体の数々を記録し写真として収めることができるわけです。それは私と被写体との 出会いの記録であるわけでしょう。 そしてさらにこういう掲示板というものを通して、世間の多くの人達の眼に触れることができるのも、 写真のもうひとつの大切な意味であるわけです。こごても写真は開かれているというわけです。 私が最初にカメラなるものを見たのは、手に取ったのは十代後半の頃でした。それまでカメラには何の 関心もなく、家にあるカメラですら触ったことがありませんでした。それで私が最初に出会ったカメラは、 友人が購入したペンタックスSPでした。当時私はデザインの勉強をしていましたので、やはり写真を 知ることは必要だよねって感じていたんですね。そういうタイミングの良さというものがありました。 それで友人のカメラを借りたり、先輩のニコン、また自分も中古のキヤノンなどを手に入れて、当時は 黒白フィルム写真でしたが、自家現像を含めて次第に写真にのめり込んでいきました。 十代末の精神的にも柔らかい時期でしたので、写真というものが私の精神形成に及ぼした影響力は とても大きかったと思います。当時はカメラ写真雑誌も多くて、写真の文化という度合いも高度だったと 言えます。また私の交友関係は写真を主軸にしてましたね。 そこで私が学んだことは、やはり当時の写真はジャーナリステックな視点が強くて、今のように芸術的 とかネイチャーとかいうのはあまり言われていませんでしたね。それはともかくとして、写真の原点とも 言うべき自分と被写体との関係ですか。それはやはり社会や自然という、外界と自分との関わりという ものが最も大切だなっていうことでした。また写真というモノがれっきとして存在することの確かさ、とい うものも魅力でしたね。 いくらアタマで何やかんやって言っても、写真では目の前の事物というものが最優先するわけです。 アタマで考えた理念が写真になるわけではないので、被写体というリアルな現゛質の存在が大切じゃない かって、なるわけです。この考え方は今も私は変わってないですね。 写真にはそれを始めた時期というのは重要で、成人になって精神が固まってからでは遅いかなって感じ るところがあります。もっとも写真にはいろんな考え方があるので老人になってからでも写真はできる わけです。しかしその内容は若い頃に始めた人とは随分と違うことになるでしょうね。 まあそんなわけで写真に入門したのは早かったほうですが、以降随分と写真から遠ざかった時期が 長かったです。写真を再び復活してのはパソコンが出現して画像処理が出来始めてからです。昔とった 杵柄というわけです。当初はフィルムカメラとPCスキャン、それからデジタルカメラですね。 最初は面白おかしく写真三昧でしたが、やがてこんなんではあかんなって感じました。大昔の自分が 最初に感じていた新鮮なあの写真の感覚。自分と写真と社会との関連性。写真における哲学や思想と いうものも考えていかないといかんのじゃないかって感じ始めたわけです。 そういうところにこの掲示板というものがあり、そこで自分なりの写真感というものを書き始めることに なったわけです。 そんなわけなので私の書くことは普通の人とは随分と違います。単純に写真の楽しさとか写真の技術 とか、そういうものを期待して読むとがっかりするでしょう。たまに勘違いをして私の文章を読んで何のこと やらわからへんって言う人がいるんですが、それは当然のことですね。 写真の原点が肌で理解できるようになるのは歳をとってからでは遅すぎるからです。また私がカメラや PCでの危険性を書くのもそういうことです。電磁波とかVDT症候群とか。これらも写真の原点と密接な 関係があるからです。フイルム時代にはなかったことですが現在では看過できない写真の原点のひとつ になるからです。 時代と共にカメラも写真も変わっていきます。しかしその原点というものは昔も今も変わっていません。 写真の本当の楽しさというものも実は変わっていませんね。変わってしまうのはユーザーです。それは 時代と共に変遷していきますから。 私が写真を始めた当初は、写真を趣味とする人はごく僅かでした。一眼レフを持ち、自家現像プリントを する人は極めて少ない存在でしたね。自動露出もAFもない時代でしたから。そういえば私が子供の頃、 叔父が写真趣味だったようで二眼レフを持ち、私もよく被写体に収まってましたっけ。私が写真人に なったのは叔父からの血筋があったのかもしれません。 昔と比べればカメラも写真方式も随分と変化していきましたが、それでも写真そのものに基本的な違い というものはないと思っています。 もしそういうものに興味のある方がいらっしゃれば、私の書き込みを読んでいただき、何らかの助けに なればいいかなって感じてます。今はもう健康維持として写真をやっているような体たらくですが、少しず つでも写真の初心を思い出しながら書けたらなあって思ってます。 写真カメラ雑誌の休刊が相次いでいます。カメラも売れなくなってきているのかな。写真に興味がない人 が多くなっているのかも知れませんが、そういう時代の流れとは関係なく、写真の良さや面白さというの は依然としてあるわけですから、写真というものに興味があるという方は、この掲示板を覗いていただき たいと願っています。 コロナ禍で撮影もままならないという時代ですけど、でも写真の面白さはこれからですかね。(笑)

デジタルカメラとは《 1部 》

デジタルカメラとは《 1部 》

デジタルカメラとは《 1部 》 これからの投稿は、このコメント投稿の継続版ということになります。 https://photoxp.jp/pictures/216816 相変わらずの超高画素高画質機の問題です。もうこの課題を熟慮考察し続けて随分な年月が経っている と思います。 ところで人は何故に超高画素高画質機を欲しがるのでしょう? いろんな理由があるでしょうね。まずは 高精細な写真画像が欲しいということ。これは当たり前ですが。(笑) メーカーが出す最高価格のカメラ が欲しいという人もいるでしょう。最新の高級機を使っているとかっこいいから。(笑) まあ三重県です。 中には最新のカメラを手に入れようとしても、もうそういうカメラしか売ってないから、というのもあります。 とにかく、自分は最新の高精細な写真画質を探求したい、というのが真っ当な購入理由かもしりません。 この私も超高画素高画質機を所持していますが、実は自分からの欲求によって積極的にそれらのカメラ を購入したことは一度もないんです。すべてこの掲示板の他の方の影響によって、そういう超高画素高画 質機のカメラを、中古ながら買ってしまったという、そういう類の消極的な考えの人間だったんですね。 ニコンD800から始まってクワトロHまで全て他者影響の下にあります。アルファ7Rやイオス5DSもそう。 私が自分の考えで欲しいと思って買ったカメラは2000万画素のカメラまでです。最近ではイオス1DXとか ですね。 随分以前になりますが、ソニーアルファ7という2400万画素カメラを購入した時(当時の最新の高画素機)、 その画像を見ながら強く思ったことは、これほどの高画素機は自分には必要ない、の一言でした。当時は ニコンD700とかの1千万オーバーのカメラを常用していて、2000万画素超えのカメラの必然性を感じられ なかったのですし、何よりも当時のPCでは表示や処理に時間がかかり、且つなによりも高品位モニターで 見る写真画像が辛かったからです。 私が超高画素高画質機のカメラのトンでもない弊害に気づいたのは、シグマのカメラを集中して使ってい た時期です。1年くらい他のカメラを使わずにシグマの、当時はDPメリル、SDメリル、dpクワトロでしたか。 とくにDPメリルは4機ありましたので2連結合セットして2セットとして使ってました。メリルは連写撮影撮影 が駄目なカメラでしたが結合することで2倍撮れ、さらに2セットなので4倍撮れたわけです。加えdpてクワト ロ2がありました。これは比較的連写撮影が可能でした。 そんなわけで鈍重なシグマの超高画素高画質機を際限もなく撮れるようにしたわけです。当然にPCモニ ターの閲覧時間も増えていきました。シグマの画像、撮ったのはよいものの、その閲覧に、当然に画像 処理にも想像以上の時間と労力を食われてしまっていたということです。 その結果なのてすが、私の仕事場における立場は怪しくなっていきましたね。自分ではわからなったの ですけどとにかくそういうことです。危うく大口の顧客を失う寸前のところまで行って私も眼が覚めました。 原因はシグマの超高画素高画質機にあると。それで以降、シグマカメラをメインで使うことはありませんで した。この後もdpクワトロ0、sdクワトロHと購入していますが、そういう超高画素高画質機のカメラを手放し で使うことはもうありません。 これは病理学的にはVDT症候群といいます。 ネットからコピペしますと・・・VDT症候群とは パソコンなどのように、ディスプレイやキーボード等で構成さ れているものをVDT(Visual Display Terminals)といいます。 VDT症候群とは、その機器を使用したデータ 入力作業や、液晶やブラウン管などの画面を見ながらの作業を長時間続けることで、目や体、心に支障 をきたす病気のことです。 ・・・これですね。私も知らずしらずのうちにこの罠に陥ってしまっていたというわけです。 VDT症候群は別の言葉で言えば、反射光の光で見る世界(これが世の中のほとんど)ではなくて、直射光 で見る特別なスクリーンなんです。その光源が蛍光管であれブラウン管であれLEDであれ、その光に向 かって眼を開けているわけなので通常の世界とは違うものになるはずです。 直射光は、有無を言わさず眼と脳に直接飛び込んでくるという気がしますね。反射光の一例である紙媒 体ですと、新聞にしろ書物にしても書かれていることが正しいとかどうかは、それを判断する脳は余地を 残した正常なままなのですが、直射光は違うという気がしています。よくネットで炎上したりとか過剰反応 をするのは、その内容がどうのこうのではなく恐らく直射光の光の成せる技なのかなって思ってますね。 それが証拠に過剰反応をされる方は文章の内容をよく読めていませんから。飛び飛びの単語で反応して いるだけです。そこに著しい知力の低下を感じざるを得ません。 昔の刑事ドラマなんかで、容疑者の顔にスタンドライトの光を当てて尋問するってのがありましたが、直接 光は人の正常な判断力を失わせてしまうようです。ですから画像の画質や画素数とかの情報量問題以前 にストレスのないモニター環境にしておくというのが大事です。 テレビでもネットでも広告で事業が成り立っていますが、それは直接光のなせる技であるとも言えるでしょ うね。反射光の広告よりも強力な広告媒体なんでしょう。 私の場合、デジタルカメラにおける漏洩電磁波問題は比較的早く知ることになったのですが、これとても 明確に理解できたのは車の事故に遭遇してのことですからね。人間というのは自分が痛い目に会わなけ れば結局、何も改めることなどは出来ないということなんです。それどころか痛い目にあっても分からない 場合がほとんどですね。 このVDT症候群は、以前から私も良く知っていたのですが、それがまさか自分にも降りかかってくるとは 思いもよらなかったというのが残念ながらの事実でした。 そうですから、VDT症候群によって悪影響を受けるのは、たかが写真趣味だけでは終わらないというわけ です。自分の全生活や仕事にも大きな影響を受けてしまうということ、これが肝心で重要ななんです。仕 事関係、社会的立場、家庭やご夫婦のことなど、全てに多岐にわたります。 それを言いますと、漏洩電磁波問題は自分の身体の健康力の低下だけで済むようで、比較的に被害は 低く抑えられます。それとても健康低下は病気の引き金になりますからね。 このVDT症候群にいったん陥った場合、写真は即止めなければなりません。あらゆる写真活動を停止す るのが無難ですが、とにかく超高画素高画質機は絶対的に即時停止、もう当分は使ってはなりません。 これは本人は気が付かないのですが、脳をやられるというか強いストレスで、脳が正しく機能しなくなるか らのようです。いわゆるゲーム脳とかゲーム依存症とかと同じことになるんですね。依存症というのはそ の悪影響下が常態になって自分では制御できなくなるということです。麻薬なんかと同じです。 そして自分では気が付かないのですけど、脳知力の低下も見られます。他人からみると、あいつは最近 どうなっているんだ?まともにやれていないじゃないか、と見られるわけです。それが事実なんですね。 超高画素高画質機の写真画像というのは、例えば1000万画素から2000万画素に行った場合は、これは 普通の脳の正常な機能範囲内にあるわけで一応は何も問題は発生しません。しかし2000万画素から 4000万画素に行ったとしますと、仮に脳の処理能力が2000万画素余という上限があるとして、4000万画 素のうちの2000万画素分の画像の情報処理能力はオーバーをして溢れ出ることになるわけです。 ちょうどダムの水を想像してもらえば分かるのですがダム湖が満杯になれば緊急放水をしなければなら ないですね。それは危険な状態だというわけです。人は仕事や生活において多くの情報処理をしている わけですが、それらの処理能力と画像の処理能力に区別はありません。それが写真の趣味でダム湖を 満杯にして異常放水までしなければならないという状況、これは如何にもまずい、ということが理解できる と思います。 脳のキャパシティは一定ですので、写真趣味で無駄に使ってしまうだけでなく危機状態にまで陥らせてし まうということが、如何にも危険だということ。それだけですまず、ダム湖も土砂で狭まって貯水能力が 落ちてしまったり、ダムに亀裂が入ったりもするでしょう。そうなるともう後戻りすることもできなくなります。 ですから、たかが超高画素高画質機の画像なんて大げさな、とは思わないことです。モニターに映し出さ れたものは強制的に脳内に侵入してくるのです。デジタルカメラは視神経の延長であるとは良く言った もので、この危険性には驚くべきものがありますね。 PCモニター(PCのビデオカード性能と液晶モニター)は高品位なものを使ってはなりません。安物の小さな もので良いのですしその方が安全です。カメラがいくら超高画素高画質機であっても出力のPCモニター がそれを映し出さなければ問題は大きく低下しますから。 そして何よりも入力側の超高画素高画質機は慎重にして使うことです。出来れば使わないのがベストで しょう。