メーカー名 | SIGMA |
機種名 | sd Quattro H |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.5.4 |
レンズ | 40mm F1.4 |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F2.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4128x6192 (16.5MB) |
撮影日時 | 2020-07-30 11:16:45 +0900 |
この掲示板の写真投稿者は随分と限られてきて、ほんの一握りの方たちだけの掲示板のようになって
しまいました。
しかしながら写真やコメントの投稿はせずとも、掲示板の視聴だけはしているという多くの人達がおられ
るということでしたね。管理人様はそのように言っておられましたので。
それはきっと、そうなのでしょう。
なぜこの私は写真を撮るのかと申しますと、それは単なる歩きの健康維持というところが大きいです。
歩くことは大切で特に野山に散策することは足腰の鍛錬になり、また自然に触れることで喧騒な日常を
忘れることができます。写真やカメラはその為の道具にしかすぎません。
そして写真を投稿するのは、写真というものを通してこの社会との接点を見出したいからですかね。
撮影をしてそのデータをパソコンで現像するまでは私の写真行為ですが、その写真を投稿した瞬間から
その写真は私のものではなくなります。この社会の皆さんの、視聴者の方々の写真となるわけです。
写真を撮影することは、例えば被写体としての多くの人々と、そして自然が相手ならばその自然との
出会いというものがあります。それらは撮影者個人の特権とも言うべきかもしれません。
私がこの私の内部に閉じこもらずに、人々や自然との接触点というものがあるということ。写真撮影は
最初から開かれているものなんですね。被写体という存在がなければ、写真は一点も撮れずで存立す
ることすらできません。
そしてその被写体の数々を記録し写真として収めることができるわけです。それは私と被写体との
出会いの記録であるわけでしょう。
そしてさらにこういう掲示板というものを通して、世間の多くの人達の眼に触れることができるのも、
写真のもうひとつの大切な意味であるわけです。こごても写真は開かれているというわけです。
私が最初にカメラなるものを見たのは、手に取ったのは十代後半の頃でした。それまでカメラには何の
関心もなく、家にあるカメラですら触ったことがありませんでした。それで私が最初に出会ったカメラは、
友人が購入したペンタックスSPでした。当時私はデザインの勉強をしていましたので、やはり写真を
知ることは必要だよねって感じていたんですね。そういうタイミングの良さというものがありました。
それで友人のカメラを借りたり、先輩のニコン、また自分も中古のキヤノンなどを手に入れて、当時は
黒白フィルム写真でしたが、自家現像を含めて次第に写真にのめり込んでいきました。
十代末の精神的にも柔らかい時期でしたので、写真というものが私の精神形成に及ぼした影響力は
とても大きかったと思います。当時はカメラ写真雑誌も多くて、写真の文化という度合いも高度だったと
言えます。また私の交友関係は写真を主軸にしてましたね。
そこで私が学んだことは、やはり当時の写真はジャーナリステックな視点が強くて、今のように芸術的
とかネイチャーとかいうのはあまり言われていませんでしたね。それはともかくとして、写真の原点とも
言うべき自分と被写体との関係ですか。それはやはり社会や自然という、外界と自分との関わりという
ものが最も大切だなっていうことでした。また写真というモノがれっきとして存在することの確かさ、とい
うものも魅力でしたね。
いくらアタマで何やかんやって言っても、写真では目の前の事物というものが最優先するわけです。
アタマで考えた理念が写真になるわけではないので、被写体というリアルな現゛質の存在が大切じゃない
かって、なるわけです。この考え方は今も私は変わってないですね。
写真にはそれを始めた時期というのは重要で、成人になって精神が固まってからでは遅いかなって感じ
るところがあります。もっとも写真にはいろんな考え方があるので老人になってからでも写真はできる
わけです。しかしその内容は若い頃に始めた人とは随分と違うことになるでしょうね。
まあそんなわけで写真に入門したのは早かったほうですが、以降随分と写真から遠ざかった時期が
長かったです。写真を再び復活してのはパソコンが出現して画像処理が出来始めてからです。昔とった
杵柄というわけです。当初はフィルムカメラとPCスキャン、それからデジタルカメラですね。
最初は面白おかしく写真三昧でしたが、やがてこんなんではあかんなって感じました。大昔の自分が
最初に感じていた新鮮なあの写真の感覚。自分と写真と社会との関連性。写真における哲学や思想と
いうものも考えていかないといかんのじゃないかって感じ始めたわけです。
そういうところにこの掲示板というものがあり、そこで自分なりの写真感というものを書き始めることに
なったわけです。
そんなわけなので私の書くことは普通の人とは随分と違います。単純に写真の楽しさとか写真の技術
とか、そういうものを期待して読むとがっかりするでしょう。たまに勘違いをして私の文章を読んで何のこと
やらわからへんって言う人がいるんですが、それは当然のことですね。
写真の原点が肌で理解できるようになるのは歳をとってからでは遅すぎるからです。また私がカメラや
PCでの危険性を書くのもそういうことです。電磁波とかVDT症候群とか。これらも写真の原点と密接な
関係があるからです。フイルム時代にはなかったことですが現在では看過できない写真の原点のひとつ
になるからです。
時代と共にカメラも写真も変わっていきます。しかしその原点というものは昔も今も変わっていません。
写真の本当の楽しさというものも実は変わっていませんね。変わってしまうのはユーザーです。それは
時代と共に変遷していきますから。
私が写真を始めた当初は、写真を趣味とする人はごく僅かでした。一眼レフを持ち、自家現像プリントを
する人は極めて少ない存在でしたね。自動露出もAFもない時代でしたから。そういえば私が子供の頃、
叔父が写真趣味だったようで二眼レフを持ち、私もよく被写体に収まってましたっけ。私が写真人に
なったのは叔父からの血筋があったのかもしれません。
昔と比べればカメラも写真方式も随分と変化していきましたが、それでも写真そのものに基本的な違い
というものはないと思っています。
もしそういうものに興味のある方がいらっしゃれば、私の書き込みを読んでいただき、何らかの助けに
なればいいかなって感じてます。今はもう健康維持として写真をやっているような体たらくですが、少しず
つでも写真の初心を思い出しながら書けたらなあって思ってます。
写真カメラ雑誌の休刊が相次いでいます。カメラも売れなくなってきているのかな。写真に興味がない人
が多くなっているのかも知れませんが、そういう時代の流れとは関係なく、写真の良さや面白さというの
は依然としてあるわけですから、写真というものに興味があるという方は、この掲示板を覗いていただき
たいと願っています。
コロナ禍で撮影もままならないという時代ですけど、でも写真の面白さはこれからですかね。(笑)