散歩撮影3-1
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 SIGMA dp2 Quattro
ソフトウェア SIGMA Photo Pro 6.5.4
レンズ 30mm F2.8
焦点距離 30mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F4.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 1808x2712 (4,225KB)
撮影日時 2015-04-12 15:43:56 +0900

1   kusanagi   18/07/16 12:34

.

2   zzr   18/07/18 03:52

おはようございます。
とても美しい庭園ですね。
こちらにもそれっぽいのはあるのですが、なんか違う感があり、あまり撮りたい気持ちにはなりません。
ここなら歩いてみたい気がします。
メリルよりこちらの緑が好みの色かな。。

3   kusanagi   18/07/19 21:40

栗林公園は観光客には、こんな感じでけっこう評価が高いようです。
https://setouchifinder.com/ja/detail/782
確かに、手間が掛かっている、手入れが行き届いているということでは随一かもしれませんね。
しかしながら日本庭園は自然をモチーフにしながらも、あくまでも人工のミニチュアのテーマパーク
のレベルですからね。本当の大自然を見慣れた眼には、どうしても、いかがわしい気がしてきます。
ひとことで言うと、安っぽくて俗っぽいんです。 しかしそういうのが楽しいという人も多くいますから、
何とも言えないんですけどね。
この公園は南側がこのような昔風の大名庭園なんですが、北側は明治以降の嗜好でやや洋風に
なっています。芝生広場があったりで。私としてはその北側の方がくつろげる気がするんですけどね。

ところでこの池は、とても浅くてせいぜい膝から腰くらいまでの深さしかありません。ですからこの池
に飛び込んで水死することは出来ないようになっています。(^^ゞ 
そういうところも模倣の人工自然であるということですか。少し前にこの池の鯉が病気に罹り、それで
鯉が全滅してしまいました。そういうのも池の浅さが原因かもしれませんね。せめて中央部くらいは
深くしても良いんじゃないかって私は思うんですけど。

4   zzr   18/07/21 09:05

箱松、なんか凄い枝ぶりですね。
こちら飛島のタブノキもこんな感じでした。以前投稿されてた楠もそう。
南の樹木はこんな風になるんですかね。。

5   kusanagi   18/07/22 23:13

いやあ、松が自然に箱松になるんてことはなくて人間が剪定でそうなるようにしたのです。(^^ゞ
公園の松は全て人為の手が加えられています。つまり庭木の剪定であって盆栽そのものなんです。
ただし、その松の形容は、あくまでも特殊な自然の姿、つまり岩場に生えている松とか、風雨に耐え
ているような、厳しい環境の松の姿を模倣しているんですね。まあ、そういう美学でもってやっている
わけでして、これは言わば「おしん」の世界でしょうか。
実際のところ、そういう岩場に生えている松を小さい内に移植して庭木に造る場合もあります。
庭木だけでなく庭石もそうなんでして、川などから姿形の良い物を運んで庭石とする場合があります。

「おしん」の話が出ましたけど、あれは全世界で大人気のデレビドラマでした。貧しい国々では特に
絶賛されました。人間も松も、豊かすぎると大きく育たないというところがありそうです。松は地味が
豊かだと他の植生に負けて枯れてしまいますね。それで自然と地味の痩せた厳しいところに育つの
ですが、とにかく物はなくとも(人間の)愛情たっぷりに育つのが剪定松や盆栽松です。
人工的に作り上げた松ではあるんですが、自然以上に厳しい環境でも見事に育つのが松なんでは
ないでしょうか。

よく松竹梅といいます。なぜそういうのかも知りませんが、松も竹も梅も厳しい環境に耐えられる。剪定
をしても大丈夫だし、竹なんていくら刈り取っても大丈夫だし、もちろん有益な樹木でもありますしね。
松なんかは、あの横広がりの姿形が、もしかすれば日本の建築物のスタイルに影響を与えているの
ではないかと思うときがあります。四隅の軒先がフッと上がっていますよね。あれは松の枝ぶりを
表しているように思えて仕方ないのですね。

日本は決して貧しい国ではありませんが、国民の気分として貧しい環境によく耐える、どんなことにも
負けないという気概を象徴的に表しているのが、もしかすれば松なんではないかなって思っています。
その松をたっぷりと使うのが日本の庭園です。
人間は豊かすぎてはいけない。貧しくともこころを高貴に保って生きていくべきである。そういうことを
日本人は松に託して生きる指標にしているとすれば、日本庭園というのはその主体は人間ではなくて
あくまで松や樹木なのであって、それを大いに鑑賞するのが本来の日本庭園だという気がしています。

枯山水という庭園もありますね。あれは石と砂しかないのですが、木も生えないほどに厳しい環境を
表しているのではと思います。砂に波紋の筋が入れてありますが、それこそあれは砂浜や川砂の波紋
そのものという感じです。
日本の庭園というのは、テーマパーク的なところは別として、本来は色んな植生を植えてその木々から
本来の大自然を謙虚に学んでいく。というのが本来の庭の姿なのではと思えるのです。
そういうのは神社の杜、社叢と同じ意味があるように感じますね。人間の文明の営みのなかで自然は
壊され駆逐され壊されていくのですが、その杜だけは大自然の姿を子孫代々まで残していこうという
思想です。
日本庭園だって人工の手は加えられていますが、数多くの植生を残存させていこうという思想には
何ら変わりはありません。

そういうことでは神社の杜や日本庭園は、自然の樹木草木の大切な種を保存していくという役割も
あるんじゃないですかね。特に日本庭園は積極的にそうしているような気がします。
松は剪定であまり大きくならないようにします。限られた庭園という空間の中で、松という本来は大木
になるはずの木を、他の樹木との兼ね合いでわざと小さくしているんじゃないでしょうかね。
それから日本庭園は雑然としているという気はしませんか? あの雑然さは、とにかく数多くの種を
ひとつでも多く植えて保存しておきたいという観点からきているように思います。植物園の考えも
入っているように思います。

神社の杜ですと、これは一切人為的に手を付けないで自然のなすがママにするというのが基本です。
しかしそうなると自然淘汰の現象で強いものが勝ち、弱いものは生き延びられません。特に杜の土が
肥えてきますと、痩せた土地でしか生きられない松などは無くなってしまいます。
事実そうでして、今は池と同時に神社社叢も撮影しているのですが、人為的に植えたものを覗いて、
神社には松はほとんどない、というのが現実です。

こうしてみると日本庭園というのは西洋の庭園とは違って、もしかすれば庭園の主人公は人間ではなく
あくまで自然そのものが主人公なのではないですかね。

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