Capture Oneソフトウェア 作例

Sonnar 1:2 f=85mm

蕾も膨らんできてるので、しばらくは週末ごとに行ってみます

燧灘

荘内半島、紫雲出山から、燧灘(ひうちなだ)を望む。 島は伊吹島、背後の山は赤石山山系か。うっすらと積雪が見えます。

Edixa-Curtagon 1:4/28

周辺が結像しないのは、カメラ由来なのかレンズの限界なのか EOS用アダプタが届いたら確認します

SEPTON 1:2/50

ここを右に入ったとこが、よく行く食堂です。元旦もやっていたようですが、私は2日に行って朝から飲んでました(笑)

Skoparex 1:3.4/35

普通によく写ると感心しました。ただしこれも最短撮影距離は3.5ftとRFレンズのような使い勝手になってしまいます

DYNAREX 1:3.4/90

デッケルの弱点は最短撮影距離が長いことで、90mmなのに2mもあります。

Edixa-Curtagon 1:4/28

デッケルの最広角 アダプタを増やしたらレンズも数本は増えてしまいます

Sonnar 1:2 f=85mm

ことしもそろそろ終わりですが、今朝の仲見世で撮ってきました。毎年、年賀状に使ってます~ みなさんよいお年をお迎え下さい

お遍路という名のテーマパーク

お遍路という名のテーマパーク このレンズもまた便利なレンズで、シグマ17-70f2.8-4.5。超音波ではない古いモデルです。 便利なズームレンズは、詰め合わせセットのようだと思います。標準ズームレンズだけでも 十分だし、さらに准望遠ズームレンズ、そして広角ズームレンズがあれば、大体は事足り てしまう。もう必要にして十分。 この領域で満足して、ずっと写真を楽しむのが常識的にベストだと思っています。 言わばこれはレンズのテーマパークのようだとも言えますね。 この平凡なレンズセットからはみ出してと言うか、転がり落ちてか、特殊なレンズ世界を漁り だすと、もう救いようがありません。弥陀の本願のお救い領域を越えてしまうので。 しかし救われないのはユーザーの財布であって、写真の本当の面白さはそういうはみ出した レンズ群が握っているのだとも言うこともできるのだけと、そこにもまた罠があって、 特殊なレンズ世界もまた、入れ子構造のテーマパークとなっているかも知れないのです。 DPシリーズの3点セットなど、シグマの用意したテーマパークのようなものかも知れません。 何事も、もう一度しらふに戻る勇気も必要で、ズームレンズ1本で、また標準単焦点レンズ1本で、 普遍的なな撮影本位の姿勢に立ち返ることも必要だろうと思います。 現実界と異界を行ったり来たり、そうやって彷徨うのが写真愛好者の特権だろうかと。 四国霊場に向かう参拝者は、その心のなかは様々でしょう。重い何かを背負って山に登る 人もいれば、自分もそろそろ霊場めぐりの歳になったからと人真似如くの気軽さで巡ったりも するのでしょう。 大体この世の中は世間様が用意してくれたテーマパークのような道順をただ辿っているような ものですが、それでも我々は四苦八苦しながらそれぞれの人生を歩んできたわけです。 カメラ機材にしても手に入れられるのはお仕着せの既製品です。自分でカメラやレンズが作れる わけじゃありません。しかしながらその機材の使い方はユーザー個人の個性というものが 発揮できるのです。 このフォトXP掲示板諸氏のそれぞれの個性的やり方に深くうなづく自分がいます。 ちなみに、私、ずっとシグマばかり使っているせいか、だんだんと写真が下手になっていると いうか、工夫をして撮影することがなくなりました。 これはカメラのせいというよりか、多分写真への意欲が減退しているようですね。カメラは単なる 散歩のポチ(友)になってしまいましたが。(^^; しかしシグマDPシリーズは、多くのイマジネーションを与えてくれた道具ではあります。 初期化型DPが5個、DPメリルが4個、dp1Qが1台とコレクション的に揃えてしまいましたが、 これらのカメラによって確実に自分の写真に対する考え方が変わったように感じています。 シグマのカメラは動的ダイナミックな性能は乏しく極端に静的スタテックな画質という性能に 振りすぎたカメラなのですが、その異形とも言えるカメラ思想はユーザーに対して逆に挑戦し、 何かを問いかけるカメラとなっています。 なんとも不思議なカメラであり、こんなカメラが工業製品として作られている事自体が奇跡の ようなものかも知れません。

写真のパラドックス/浜辺の遺構

写真のパラドックス/浜辺の遺構 電子ビューファインダー(EVF)よりも、まだ背面液晶が写真撮影としては健全ですね。 ただ日中の日射がきつい場合、液晶では構図すら決められない場合があります。 画面に写るのは自分が反射した姿ばかりで、そういう場合は外付け光学ファインダー が欲しいのですが、この光学ファインダーは水平をとるのが苦手だったりとか正確な 構図すらも難しいかったりします。 それで、むしろスポーツファインダーが使いやすいのじゃないかなって考えています。 スポーツファインダー、画像検索で色々と出てきますよ。自作もできますね。 肝はAFの中心点が存在することです。 カメラのファインダーの定義はなんだろうかと考えると、その前にまずレンズとは何か というと、それはカメラの口(くち)であるとすれば、ファインダーは口とは違う別系統 での眼であるということです。 EVFは背面液晶は、口がそのまま眼だとする考え方です。口と眼が同系統になって しまっていますね。 レンズは口であり、そこから写真の基である光という栄養素を取り込んで写真を形成 するんですが、ファインダーはそれとは違うものでないと意味がズレてきます。 光学一眼レフレックスは、レンズという口から光軸を曲げて眼のほうに向けた極めて 高度なファインダーであって、多分、もともと2眼レフから進歩発展したのでしょうけど、 クイックリターンミラーの発明から、カメラ技術の王道を歩むようになりました。 とにかく、ファインダーという眼はセンサーという口と同じイコールであってはならない という定義などは本当はないのですが、現時点の技術力では電子ファインダーは 光学ファインダーには敵いません。百年経っても光学ファインダーを負かすことはでき ないでしょう。 それももうひとつ、口と眼が全く同じでは、撮影者は現実の被写体を見ながら撮影する のではなく、既に写された写真を見ながら写真を撮るという(!?)、摩訶不思議な 事態に陥ってしまうという点です。 これはかなり哲学的な命題であって、得ようとするものが既に得られていて、その 獲得してしまったモノを見ながら、さらにモノを得ようとする不思議なループ行為になる からです。それはどういうことかと別の喩えで言うと・・ レンズは口(くち)であると言いましたが、正しくはセンサーが口です。 そのセンサーから光という食物を取り入れて栄養分としますね。それが写真です。 それで栄養分と同時に排泄物がでます。栄養分は高度な画像であり、排泄物は低品位 な画像と言うべきでしょうか。それでカメラに付いている液晶とかEVFはどちらかと言えば 排泄物になるわけですよ。(^^; 我々はその排泄物(副産物と言いましょう)を摂取して、写真を撮っていることになるんです。 これは自家中毒とでも言うべきですね。 zzrさんがレリーズを切るときは液晶ではなく現実の光景を見ながら・・・と言うのは、 現実の光景=新鮮な食物、を裸眼で見ながら撮影をするという意味で、EVFや液晶を 始終見ながら(現実光景は見ずに)撮影をするのは、既に撮られている副産物を再摂取 しているに過ぎないという話になるんです。 このとてつもないパラドックスに気づいているカメラ技術者はいるのだろうかと問えば、 たぶんニコンやキヤノンの技術者の中には居るだろうと想像しています。 ですから数百年が経って優秀な光テクノロジーを使った光学式のEVFが出たとします。 それは今の光学式ファインダーと品質は変わらないわけでしょう。しかしなから、それでも この写真のパラドックスから逃れることはできないのです。 つまりファインダーという眼の器官と、センサーという口の器官は全く別ものにしないと、 写真という仕組みが根底から崩れてしまうわけです。 そんなわけで、背面液晶やEVFのカメラを使う場合は、画面と同時に裸眼でも被写体 という現実の光景を見ていないと写真の哲学が崩壊していきます。 EVFの場合、右目で画面、左目の裸眼で現実光景を見るっていう具合になりますか。 なんだ、今の一眼レフと同じやりかたじゃんって。ね(笑)。 まあ、言葉の遊びのように思われるかも知れませんが、これ、現実にもきっと反映されて いるだろうと思っています。やはり光学一眼レフを持たなければユーザーの写真への モチベーションというものは下がります。 コンデジやミラーレスのカメラだけでは、我々は写真を続けていくことが出来ないだろう と思っています。だからシグマdpのLCDビューファインダーでもって光学一眼レフのSDの 代替にはならないだろうということです。 それからセンサーを通した高画質の画像が写真であるというのも、本当を言えば 疑わしいところがあるのかも知れません。その画像を紙媒体に印刷すればれっきとした 写真になるだろうと言えますが、パソコンのモニターに写るだけの画像は果たして写真 なのかどうか、それも副産物ではないのか?と。私には自信がありませんね。(^^; ※オリンパスのセンサーサイズは、大体ニコンのフルサイズの1/4面積ですか。 E-30が1200万画素ですから4倍すれば4800万画素。一方D800は3500万画素。 オリンパスはピクセル等倍で解像には程遠く(レンズが安物12-60ミリのせいもあり)、 ニコンは何とか解像出来ているのかな。(35-70F2.8) オリンパスはミラーレスとしなければレンズの確実な解像はできなかったわけであり、 その意味では光学ファインダーを捨ててミラーレスEVFにしたのは正しいと思います。 しかしEVFカメラ、背面液晶のコンデジは、その使い方を誤れば楽しくないカメラと成り果て ます。要はユーザーの自覚と使い方次第ですか。 フイルムカメラの時代。あの時代はフィルムが高価であって、さほどの撮影量をして いたわけではなく、それでも撮影は楽しかったことを思い出します。それはファインダー を見ているだけで楽しく、実際にはレリーズを押して撮影をしなくても我々は幸福で あったことを思い出すのです。 デジタルカメラの時代となって、我々は膨大な量の撮影をしているわけですが、 あのフィルム時代の、写真の有意義さ、モチベーションの高さを思うと、何かを、この デジタル時代になって忘れてしまったのかも知れないと思っています。

眼のないカメラ

私は個人的に電子ビューファインダーが好きではありません。 あれはファインダーとは絶対に言えません。誤魔化しに過ぎませんね。 それで既にミラーレスカメラとなったオリンパス、ソニーの新しいカメラには関心 をなくしてしまいました。しかし古い光学式ファインダーを持つオリンパスやソニー は好きですからまだまだ使っています。 光学レフレックスカメラは、キヤノンとニコンとペンタックス。そしてかろうじて シグマSD1Mがあるだけになってしまいました。 光学ファインダーを無くしてしまったカメラは、たとえて言えば眼をなくしたカメラ と言っていいでしょう。サブカメラのコンデジならばそれは許されてもメインカメラ となるカメラが盲目のカメラでは話になりません。 眼のないカメラを使っていては、ユーザーも写真という眼をなくしてしまうような 気がしています。それではもう写真をする意味がありません。 眼のないカメラは写真機ではなく画像機ですから。

Distagon 1:4 f=18mm

太陽が入らないカットもあるのですが、こちらのほうがインパクト大?

Sonnar 1:2 f=85mm

すっかり葉も落ちてしまっていたので、落ち葉を撮ってみました