お遍路という名のテーマパーク
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Capture One 7 Windows
レンズ
焦点距離 17mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F5.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1788x2700 (3,388KB)
撮影日時 2014-12-07 15:55:05 +0900

1   kusanagi   2014/12/13 23:49

お遍路という名のテーマパーク
このレンズもまた便利なレンズで、シグマ17-70f2.8-4.5。超音波ではない古いモデルです。
便利なズームレンズは、詰め合わせセットのようだと思います。標準ズームレンズだけでも
十分だし、さらに准望遠ズームレンズ、そして広角ズームレンズがあれば、大体は事足り
てしまう。もう必要にして十分。
この領域で満足して、ずっと写真を楽しむのが常識的にベストだと思っています。
言わばこれはレンズのテーマパークのようだとも言えますね。

この平凡なレンズセットからはみ出してと言うか、転がり落ちてか、特殊なレンズ世界を漁り
だすと、もう救いようがありません。弥陀の本願のお救い領域を越えてしまうので。
しかし救われないのはユーザーの財布であって、写真の本当の面白さはそういうはみ出した
レンズ群が握っているのだとも言うこともできるのだけと、そこにもまた罠があって、
特殊なレンズ世界もまた、入れ子構造のテーマパークとなっているかも知れないのです。
DPシリーズの3点セットなど、シグマの用意したテーマパークのようなものかも知れません。

何事も、もう一度しらふに戻る勇気も必要で、ズームレンズ1本で、また標準単焦点レンズ1本で、
普遍的なな撮影本位の姿勢に立ち返ることも必要だろうと思います。
現実界と異界を行ったり来たり、そうやって彷徨うのが写真愛好者の特権だろうかと。

四国霊場に向かう参拝者は、その心のなかは様々でしょう。重い何かを背負って山に登る
人もいれば、自分もそろそろ霊場めぐりの歳になったからと人真似如くの気軽さで巡ったりも
するのでしょう。
大体この世の中は世間様が用意してくれたテーマパークのような道順をただ辿っているような
ものですが、それでも我々は四苦八苦しながらそれぞれの人生を歩んできたわけです。

カメラ機材にしても手に入れられるのはお仕着せの既製品です。自分でカメラやレンズが作れる
わけじゃありません。しかしながらその機材の使い方はユーザー個人の個性というものが
発揮できるのです。
このフォトXP掲示板諸氏のそれぞれの個性的やり方に深くうなづく自分がいます。

ちなみに、私、ずっとシグマばかり使っているせいか、だんだんと写真が下手になっていると
いうか、工夫をして撮影することがなくなりました。
これはカメラのせいというよりか、多分写真への意欲が減退しているようですね。カメラは単なる
散歩のポチ(友)になってしまいましたが。(^^;

しかしシグマDPシリーズは、多くのイマジネーションを与えてくれた道具ではあります。
初期化型DPが5個、DPメリルが4個、dp1Qが1台とコレクション的に揃えてしまいましたが、
これらのカメラによって確実に自分の写真に対する考え方が変わったように感じています。

シグマのカメラは動的ダイナミックな性能は乏しく極端に静的スタテックな画質という性能に
振りすぎたカメラなのですが、その異形とも言えるカメラ思想はユーザーに対して逆に挑戦し、
何かを問いかけるカメラとなっています。
なんとも不思議なカメラであり、こんなカメラが工業製品として作られている事自体が奇跡の
ようなものかも知れません。

2   s   2014/12/14 04:59

実は私、若いときに四国をくるくる見て回ったことがあるのです。
お遍路さんしました(笑)
一番から七十八番まで回ったのです。次はいつ行くかな。

3   s   2014/12/15 00:39

写真のパラドックス?
いろいろなメーカーの作品を並べますね
それぞれシーンが異なりますので、シグマとの比較にもなっていません。
Mr.kusanagi氏のパラドックスは深くて難しいです。

4   kusanagi   2014/12/15 19:16

四国遍路は徳島の1番から室戸岬までが本当の空海が歩いた修行場だったようです。
山あり海ありで、もし歩き遍路をするのならば此処のところだけで十分かなって考えて
おります。

カメラはもう何でもいいんです、写れば。(^^; ただニコンもペンタックスもシグマとの比較で
購入したものです。今となってはもう比較しても意味が無いと思ってます。
写真は考えようと思えば考えられますし、無心で行こうと思えばそれでもいけます。
どちらでもいいんです。
真言密教を知ろうと思えば出来ますし、南無大師遍照金剛と唱えるだけでもよいんですね。
そんなところじゃないでしょうか。

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