瀬戸の内海
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瀬戸の内海
瀬戸の内海
瀬戸の内海
瀬戸の内海
これも猫か
これも猫か。
同じく祝島の猫
上関大橋は花鳥風月さんならばご存知でしょう。 山口県上関町本土と、長島の間に掛かる橋です。 この日、天気はあまりよくなかったですね。翌日は小雨でしたし。 この写真は翌日の、祝島でのネコ達。 この黒猫は、私の撮影に同行してくれました。
写真は自由 とにかく写真は自分なりに自由に、気軽に撮るのが一番ですねー。 昔のカラーフィルム写真の頃は、(私は幸いにやってませんが)、撮影コストが 高かったので、撮影にはやたら細々としたお約束があって、そういう儀式に のってって撮影していたんじゃないでしょうか。 師匠とか弟子とかの階級があって、撮影場所でも先生は一番いい場所、お前は その隅っことか、みんな団子になってやっていたのかもしれません。 ところがデジタル時代になって、そういうのは無くなってしまったようで、写歴何年 だからエライとか、高級カメラを持っているからスゴイとか、そういうことを言うと 逆に笑われるようになった。 若い方はもうスマホで十分と考えていて、ばかでっかい一眼レフを抱えていると、 周囲から遅れてるねーとかダサイよねとか、逆に哀れみを受けるようになってます。 しかしまあ、古いデジイチを抱えて撮影するのも、団子で群れなければ問題ないし、 自分なりの考えで自分のペースでやれば、それはそれでマイウェイなのだと 言えそうです。 三脚なんかも担いでいると、このデジタル時代に何やってんだろうって思われそう てすが、たしかにモタモタやってるとジジ臭いのですが、スピーディに展開 しているとちっとはカッコが付くのかもしれない。 時代はものすごく変わりつつあります。当世写真事情においても、どんどんと、 いち早く流行を取り入れるんではなくて(笑)、自分の煮詰めた定見でやっていくと それはそれで時代を超越していることになるから、安っぽい流行などは問題 なくなる。 ものまねはしないことだ。 他人が発する言葉にたやすく影響をされないことだ。 自分の写真は何のためにやっているのかというと、オイラの場合は体力維持の 為にやっているわけで、そういう自分なりの考え方でやるしか結局のところ、何も ないのだと思う。 そうやって皆それぞれに自分なりの考えでやっているだろう。 自分の写真は褒められてはいけないというところがあります。 カラーフィルム写真時代は、写真さんでまず褒められ(商売だから)、同士からも 褒められ(自分も褒めてほしいから)、皆が褒めあってやってきたところが あります。 そりゃあそうだ。写真一枚作るに、フィルム代、現像代、プリント代と膨大に お金がかかっていたので、スカの写真でも何らかの褒め言葉をもらわないと やっていけないところがあった。 しかし人間、最初から褒められるとろくな事にはなりません。 ところがデジタルになると、事実上、ランニングコストはゼロだ。つまらない写真 は即消すし、いくらでも数撃ちゃ当たるで誰でもそれなりの写真が撮れるように なった。 デジタル写真は写真界の革命だったと思う。お互いに写真を褒める必要が なくなったから。 デジタル写真は軽い。それゆえにプラスアルフアがなければ成り立たないところ があるかもしれない。 ある人は写真に俳句をつけ、ある人はブログを添付するかもしれない。音楽を添え たり、画像を加工したり、いろいろとやらなければ、ただ写真だけでは他人は 関心しなくなった。 またある人は、これは◯◯のレンズ撮ったので、そんじょそこらの写真とは違うん だよって、そんなの今の人には通じない。もう昔の権威などは通用しないのだ。 ただオタクなマニアとして思われるだけなのに。 もう、写真が趣味だなんて、あまり恥ずかしくて言えない時代になってしまった ように思う。 信じられないかもしれないけど、写真がカラーフィルム写真以前の時代。 黒白写真の時代だけど、ただ写真を撮るだけの人間はほとんどいなかったんです。 あの時代は、写真は数ある中のひとつの表現体としてやっていたところがあり ました。そして写真自体の文化も高かったと思います。 写真が変に曲がってしまったのは、このカラー写真からですね。自分では現像が できないから写真屋任せとなってしまう。カメラマンは自然と写真屋さんのお客 となり、言い換えれば消費者、コンシューマーになってしまったのだ。 そこに資本の論理が入り込み、安っぽい権威付けが行われました。 本来表現者であらねばならない写真家が、現像やプリントという表現体を奪われて 何を基準としてよいかわからなくなった時代です。 写真にとっては不幸だった時代。 そして写真はデジタル革命を経て再び、写真家は自らの表現する方法を得た。 写真をする人々の間口は一気に広くなり、膨大な画像がネットにちまたに溢れる 時代。今はそんな時代です。 そうなってくると人間というのは逆に不安になり誰かに何かに自分の基準を決めて ほしいと願うようになる。 しかそんなもの。本当は何もないのだ。スマホのキーを操作するのと同じ感覚。 ボタンを押せば写真は自動的に撮れてしまう。 問題は写真ではないところにあるだろう。 もう、写真などには何の文化もない。写真を趣味としているからといって自慢できる ものはなにもない。写真に幻想を抱いてもしかたがない。 そのことにいち早く気がついたのは、例えば鉄道写真家だったろう。写真は好きな 鉄道を撮るための手段でしかないと。 昆虫写真家もそうだったろうし、ネイチャー写真家もそうか。 しかしそれもまた、カラーフィルム写真文化のひとつだったように思う。 写真文化としては写真のジャンル化となったわけだけど、本当は写真を手段として 割り切っただけなのだ。 写真は自分の好きなことをする為の手段である。他に目的があって写真はその為の 道具でしかない。 こういうのがフィルム写真時代の最後に出現して、そしてそのままデジタル時代へと 突入している。その手段化の度合いはますます増加して、目的をもって撮影を しない人間は漂流者のように見られるようになった。 しかしだからこそ、無目的のための写真撮影というものがあっても良いのだとも思う。 なんら、カッコつけない写真撮影。そういうゆるやかな写真の文化。 少なくとも自分はそれを目指したいと思う。目指すというのもおかしいか。 しぜんにそうなっていくという具合に。 これはある意味、いにしえのモノクロ写真文化に通じるところがあるのかな。 そうそう、笑休さんの写真を見たくなったな。(^^; あの緩やかな束縛のなく自由で個性的でそしていされる写真を。
そうですね。ニコ爺さん、ちょっと体調を崩されているように感じます。 ベテランの方々が体調不調になるのをみると、こちらもこころが痛みます。 おそらく気分を害されたのは、こちらが三脚を電磁波防止の為に使っているという ことが気に触ったのだろうと推察しています。 風景写真家にとって、三脚は神聖なもので、それを役目違いの用途で語るのは けしからんと考えたのかもしれませんね。 ところで思うところがあって、シグマでの撮影はしばらくやめてみようと考えています。 もっとも、ここ当分、何のカメラでも撮影には出かけていませんけど。(^^; 画像処理用の24インチモニター、50センチくらい離して使っていたのを、1メートル くらいに離して設置しました。 このモニターは画像処理専用でしか点けないのですが(常は19インチを使用)、 滅多に使わなくとも悪影響が出ているのかもと実感しましたので。 花鳥風月さんの投稿は、短句とのコラボで、新しい形態の写真シーンになる可能性 を秘めていると、私は考えています。 デジタル・ネット時代の新写真文化ですね。軽快で大衆受けすると思います。 句を作るには経験がなければ出来ませんが、それを見るのは誰でも楽しめます。 私も俳句なりを作れればって思ったりするのですが、歳をとって頭が固くなって いますので、もう無理ですね。(^^; 写真のハイアマチュアの方々は、フィルムカラー写真時代からの人が多いようで、 それで中には、句との結合という写真に拒絶反応を起こす人達もいるのですが、 やがては写真文化もそういう新しいシーンに取って代わられるだろうと思ってます。 花鳥風月さんの写真、以前は全体的に黄色っぽかったのですが、最近はすっきり した写真になっていますね。これで随分と見やすくなりました。 それから撮影には、あまり凝っても仕方ないとおもいますよ。 私などはずっとプログラムオート設定の気軽な手持ち撮影ばかりでやってますから。 デジタル写真は手軽さが一番ですね。 最近は三脚のコレクションが増えました。たぶん誰よりも三脚の本数は多いだろうと 思います。もっとも野外での三脚撮影の経験では、いかんせんこちらは乏しいのですが、 ことメンテナンスに関してはもう誰にも負けないと思ってます。 最近は特殊なやつとか、塗装が綺麗とかでもコレクション対象になってますね。(^^; ソニーのミラーレスカメラが大分安くなったので(店の人に聞くと4000万画素モデルが 出たので中古価格が一気に下がったとか)、初期型の程度の良いやつが欲しいな あって考えてますが、どうなることやら。(^^;
この週末は生憎の天気 うちでゴロゴロしてたんで在庫からです
八王子神社@明智 家から6時間ほどかかるので簡単にはいけませんが、ゆったりと古い街並み散策にまた行きたいところです
苔生したお地蔵様@日本民家園
早くM9で試したい
夜景1/2で書いたことは、ある方の写真の行き方を頭に想定しながら、試しの試験論 として書いたものです。 要は、写真をハードウェアから考えるのか、ソフトウェアから行くのかという、一種の 写真のスタイル論ですか。 なぜこれを書いたかというと、レンズマニアではなくて、マニュアルレンズを使うことの 意味を改めて問いたかったからです。なおマニュアルレンズは高価な舶来レンズ趣味の ことではなくて、あくまでもAFレンズとの対比で書いています。 実は私、デジイチを始めた当初から、マウントアダプター(異種メーカーのレンズとボデイ をくっつけるアダプター)で、手持ちの古いマニュアルレンズを使い出したのですが、 その試みは見事に失敗に終わりました。 それで、今になれば、その失敗の原因が分かるようになりました。当時は手持ちで マニュアルレンズを撮影していたんですね。 しかしこれでは無理でした。手持ちでは、まずピントが合いません。それからそのレンズ の最高の描写力(主に解像力)に設定して撮ることが難しいのです。ISO感度設定もそう ですね。 やっぱり、マニュアルレンズは三脚に乗せて撮影しないと、デジタル時代では無理だと いうことが分かりました。ただ写れば良いというレベルのフィルム時代のラフな撮影では、 昨今のデジタルの画質にはぜんぜん太刀打ちできません。 それから最近のデジカメは、ライブビュー撮影ができるということが、マニュアルレンズの 撮影には大いに有利です。とにかく通常の光学ファインダーで合わせていたのではダメで、 少なくともマグニファイヤーやアングルファインダーを着けなければピントは保証できないし、 さらにはライブビューならば間違いないということになります。 きっちりピントを追い込まなければ、絶対にAFレンズには敵いませんし、そうする為にも 三脚に乗せて撮影する便利さや有意義さがあるのです。それでマニュアルレンズは 三脚と、とても相性が良いんです。 私がデジイチ時代の当初に、マウントアダプターでマニュアルレンズをやって長続きせず 失敗をしてしまったのは、とにかく三脚を使わなかったからだということになります。 そういうことが最近、やっと分かったということです。(^^; マニュアルレンズや三脚を使う撮影というのは、これは撮影スタイル、写真のスタイルの ことを言っています。これを決めた後に、どこそこのメーカーのなになにのレンズは良い とか気に入ったという話になるんです。 この逆ではありません。 たまたま気に入って購入したレンズがマニュアルレンズだったから、じゃあマニュアルレンズ の撮影スタイルをやろうか、というのではありません。たとえそういうことから入ったとしても 長続きしませんから。 それで、クラシック・マニュアルレンズのマニアは、ある程度、そういう覚悟ができていると いうことだろうと思います。三脚を駆使してマニュアルレンズを使う。 そうでなければ嘘です。 今年に入って、三脚に関心が芽生えたわけですが、最初に三脚で挑戦したのは、超望遠 レンズのマニュアルレンズです。ジャンクばかりですが、1000ミリ、800・・・とマニュアルレンズ を持っていましたので。 それでそういうレンズで撮影することの難しさを知りました。生半可な三脚の知識では全然 太刀打ち出来ないと。実際には、通常の撮影では普通のミリ数のレンズを使うわけですし、 三脚も手頃な小型三脚で行くんですが、最初に難しい撮影をやったのは良かったと思って います。 笑休さんが書かれていましたが、ある人が昔のレンズはよく写ったというのは、ある程度は 私も同感しています。それは、まずマニュアルレンズだから、というのがあります。 AFや手ブレ補正を入れたり、さらに小型化したり高倍率ズームにしたりすることは、レンズの 基本設計には不利だからです。 しかしながら、現実的には今のレンズに、古いレンズが太刀打ちできるはずはありません。 画質云々はともかくとして、撮影スタイルとして、AFレンズで一瞬に撮るのと、マニュアル レンズでファインダーをあれこれ覗きながら撮影するのと、どちらが楽しいのかというと、 まあどちらも、さほどの違いはないだろうと思っています。たとえ方向は違っても。 AFや手持ち撮影をしないとなると、撮影対象は限られてきます。しかしそれでも良いのだと いう見切りが必要ですし、それこそ写真スタイルの問題だということになります。 この写真スタイルは、とにかく大幅に撮影ショットを減らしても十分に撮影を楽しめるという、 そういう隠れた目的があるのです。 最後にちょっと。 所謂、古いレンズマニアの方々のやり方は、現物はハードウェアというレンズでありながら、 実際にはブランドというソフトウェアからのアプローチの面が強いのではないかと考えて います。 ブランドという、メーカーやレンズの歴史を楽しむという意味が大きいのではと感じています。 ついでに言うと、三脚を使うとなると、これはハードウェアの現実に戻されるところがあります。 三脚というのは徹底してハードウェアなのでして、レンズやカメラのように幻想が支配的な 道具ではありません。 三脚にブランドというものは結局、ないということです。無論撮影ケースによって異なりますが、 使い良い三脚と使いにくい三脚があるだけです。丈夫な三脚とスタイリッシュな三脚。そして 重くて大きい三脚と軽くて小さい三脚があるだけ。(^^; それらは撮影ケースによって選ぶだけで、そこには思い込みというソフトウェア的な幻想が 入り込む余地がありません。 私のマニュアルレンズ論は、あくまで国産の古い実用的なマニュアルレンズを対象にしていて 舶来の高価で幻想度の高いマニュアルレンズのことではありません。 そもそも舶来レンズは、そのブランドやデザインなどを楽しむ写真スタイルなので、実用的な 三脚撮影には向かないと思っています。(^^; 舶来マニュアルレンズと三脚の決定的な違いは、その大きさと重さにあります。
TOPOGONタイプつながりです ロシアレンズは種類があまりないように思いますが、これだけ写れば別のレンズを改めて作ろうとしなかったんでしょうかね~
M9がドイツ送還中なので久々にM8を持ち出しました このレンズも久々ですが、TOPOGONに憧れて購入したものです。このころならNIKONのもまだ安かったなぁ・・・今ではZEISSのより高いです
このあたりも五平餅が名物のようです
朝は少しだけ涼しかったのですが、グングン気温も上がって汗だくになりました コンタレックスのレンズも一揃い車には積んでいたのですが、やはり歩き回るには、デッケルマウントの小さなレンズがぴったりです
少し褪せた色合いが被写体にあっているかなと
お盆休みも終盤 明知鉄道沿線の古い街並みを撮りに行きました
今、このレンズものすごく高値になっているようです 確かにグルグルが出やすいので面白い描写ではありますが・・・
暑くて写真撮る意欲も萎え気味です
今朝は少し涼しく感じました 新兵器もっていつもの浅草です
安保法案で安倍政権の支持率がずいぶん落ちたとか言われていますが、 東アジアの軍事的状況は相当に厳しくなりつつあります。 最悪の場合には核戦争も想定内に置いておかなければならないとワシントン筋 では言われていますね。 中国は海軍を増強して米海軍を東アジアの海から排除しようとしていたのですが、 それはどうやら失敗に終わったようです。 米国は中国の海軍と空軍を一挙に壊滅できるということで、今後の中国の新たな 戦略は、サイバー戦、衛星キラー、そして核戦争という段階に突入するようです。 長く続いた米ソ冷戦も核戦略の冷戦でしたが、ソ連はとうとう最後まで核ミサイル を発射することはありませんでした。しかし中国はソ連とは異質の東洋の国であり、 (話し合いが通じない)、実際に核を使用する可能性が大きいのではないかと 危ぶまれています。 さすがに、中国も全面核戦争を最初から行うつもりはないでしょう。しかし限定的に 小型核ミサイルを、敵対する軍事基地なり艦船なり、もしくはインフラを麻痺させる為に 大気圏爆発させる可能性は大きいと言われています。 日本ができることは、発射された弾道弾や核ミサイルを即座に撃ち落とすこと。 そして核を搭載した潜水艦を速やかに沈めること。 それくらいしかできないのではないでしょうか。 日本のイージス艦は現在、6隻すべてが弾道ミサイル防衛(BMD)に対応しており、 新たに建造予定の新型2隻もBMD対応型の予定です。日米両政府が共同開発中 の新型迎撃ミサイル 「SM3ブロック2A」が搭載される予定で、迎撃性能も従来の あたご型より向上します。 https://www.youtube.com/watch?v=zBNemZ1ps0k https://www.youtube.com/watch?v=Vi411JuXi8E https://www.youtube.com/watch?v=cTQAJPjYM64(シリーズになってます) 核弾頭ミサイルは1発や2発ならば撃ち落とすことが可能でしょうが、一挙に 数十発数百発という飽和攻撃を受ければまったく対処できません。 最初の限定攻撃で核ミサイルが撃ち落とされ、中国が白旗を上げてくれればよいの ですが、そうなる可能性は低いかもしれませんね。 なおも中国が攻撃態勢を続けるならば、今度は米国の核ミサイルが反撃するのか どうか。 それは微妙ですね。それは米国も中国の核で脅されているだろうからです。 中国は本格核戦争に奇妙な自信を持っているというか、人口の半分が失われても 問題無いと考えているフシがあるので、ことは厄介になってきます。これは即ち 核抑止力という戦略が(神話かもしれないが)通じないことを意味しますから。 そういう旬滅戦で勝ち残るのは中国やインドくらいかありません。 日本がもし、人口半減のような事態、つまり映画「日本沈没」のようなことになって しまうとして、それに耐えられるのかどうか。 現代中国の勃興はかつてのモンゴルの元と同じようなものです。もしかすれば世界を 一挙に席巻する可能性を秘めています。 そうなると800年ぶりに大陸は、日本を攻めてくるということなのでしょう。 http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50648756.html 中国はやっかいなことに実力以上の宣伝をするのが得意なのですが、こと核に 関しては極めて危険です。 中国の海空軍の誇大宣伝は、たとえその戦争の結果として中国の海空軍が壊滅しても その被害は兵士数万人規模でしかないのですが、核に至ってはそうではありません。 米国の本格的核の反撃によって、中国大陸は文字通り人が住めない大地となる 可能性があります。 便衣隊という伝統が中国にはあります。正規軍が制服を脱ぎすて、人民に隠れて ゲリラ的に反撃するのですが、反撃する側は誰が便衣隊なのが分からず、それで 便衣隊が逃げ込んだ住民を全部捉えて殺戮するしかなくなるんですね。 日本もアメリカも(ベトナムで)そうせざるを得ませんでした。 戦争でもルールというのはあるわけで、これを否定するともうどうにもならなくなり ます。 それで核兵器を便衣隊的にやられると、つまり移動式大陸間弾道弾方式など、 迎え撃つ側のアメリカは何処に弾道弾が隠れているか分からなくなり、しかたなく、 疑わしきは全て核ミサイル攻撃の対象とならざるを得なくなります。 中国の国土が広く人民は多いとはいえ、アメリカは9000発以上の核を保有している わけです。その何分の一を使ってでも中国大陸を死屍累々の無人の荒野とする ことが可能です。 しかし米中核戦争。これはあり得ない話だろうと思われますが、兵器というのは大量に 作られれば、それは使われるのだというジンクスがあります。核兵器もその例外に漏れ ないのかもしれません。 技術論的に言えば、追撃ミサイル方式ではなく、核ミサイル核弾頭をもっとスムーズに 容易に無力化できる兵器が完成すれば核兵器は無意味となります。 高エネルギーレーザー兵器 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/37761271.html でも素朴な疑問として、レーザー兵器が出現すると、核弾頭や航空機は光を反射する 鏡に覆われるのかな?(笑) 面白いのは、レーザー兵器やビーム兵器、レールガンなどは、ミサイルなどに比べて 発射コストが劇的に下がることのようです。 コストダウンも技術力の大きなブレイクスルーのひとつですね。 現在の核兵器システムが、やがては時代遅れとなり、何の威力も発揮できなくなる時代は 必ずやってきます。それだけは間違いありません。 そうなると、日本の真の防衛力とは、止めどない技術革新を続けるというしか他には ありませんね。 潜水艦に関しては… 青山繁晴が自衛隊の空中給油機KC767&潜水艦へ搭乗レポート https://www.youtube.com/watch?v=9PmXYv6an6g ※写真は、そうりゅう型の潜水艦です。