無題
Exif情報
| メーカー名 | SONY |
|---|---|
| 機種名 | α77 |
| ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
| 焦点距離 | 50mm |
| 露出制御モード | 絞り優先 |
| シャッタースピード | 1/20sec. |
| 絞り値 | F2.8 |
| 露出補正値 | -0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 400 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 4096x2731 (3.56MB) |
| 撮影日時 | 2015年02月11日(水) 19時03分 |
ポートレート撮影、つまり人物の撮影とは、写真としては最も楽しいもののひとつだと言えますね。 人と人との繋がりが出来るということで、これは単なる写真画像の生成行為を超えています。 シッポ座さんが昔から変わらずに人物撮影を続けてこられたというのは大変に納得のいく話です。 写真には他の人との会話が必要であるというのは私も常々感じているところです。 私は写真撮影としては人物の撮影はいたしませんが、撮影中は可能な限り出会った人とのとの会話を 優先しています。その場で話し込んでしまって撮影が疎かになるほどですが、気にはしていません。 最近は里山歩きオンリーですが、その山道の場でもすれ違った人達と話をしています。 実はその為にこそ、写真というか、カメラというものを道具として使っているところがあるんですね。 スマホではそういう話をする切っ掛けにはならないところがあって、私が手に大きなカメラを持っている という、その昔ながらのスタイルこそが、人と人との繋がりに結びついていく、という気がしています。 フイルムカメラには現代のデジタルカメラにはない伝統、トラディショナルなというものが存在します。 別の言葉では、オーラ、なんていう呼び方をする人もいますが、実用性を超えた文化というものを 具現化しているというのが大事なのでしょう。 それで思うに、デジタルカメラが出た時に、メーカーが気をつけたのはフイルムカメラの持つ伝統性を 壊さないようにしていたということです。 もっともメーカーによっては新しい奇抜なデザインでリリースしたメーカーもありました。コンデジ 時代のソニーなんかはそうでした。しかし最終的には各メーカーも伝統的なカメラのスタイルに収束して いったというところがあります。 それでやはり結局は、往年の一眼レフのデザインやライカのレンジファインダーのデザインなどに収まっ ていますね。 今改めて自分の持つカメラを眺めているのですけど、実に良くデザインされていますね。 ありとあらゆる機能を詰め込んでいて、その為のボタンやダイヤルなどが所狭しと配置されています。 中にはペンタックスやシグマなどのように、やや考えが足りないかなというメーカーもあるんですけど、 大体はどのメーカーも、不具合や不足感のないように、これでもか、という感じて経験値に基づき綿密に デザインされています。 この綿密な考察の結果がカメラのデザインに生かされているのであって、全くの素人さんが見ても敬意を 持って見てくれているというわけです。 私の場合、手に持ったスタイルというのカメラには完全性を保たせてやりたいという気持ちがあり、それで レンズフィルター、レンズフード、ファインダーラバー、ストラップ、そしてグリップ等をは完全に装備を しています。最近はストラップに凝っていて、取り外し可能なリングをカメラ本体とストラップの間に 挟むことが多いです。まあキラキラとしてイヤリングのようなものです。(笑) このストラップというのは、考えてみれば布製でありカメラで唯一の衣装であることに気づきます。特に 女性の場合はこのストラップを見るのかもしれません。 世の中にはレンズフードを逆さにしたままで平気で撮影をするっていう人もいますが、私は絶対にそんな ルーズなことはしません。それどころか、安っぽいカメラでも完全に正しく、装備やパーツを付加すると、 なかなかに立派に見えるものなんですね。 さらに自作でプロテクトラバーやテーピングも施していて、使いやすいように、傷がつかないように綿密に 化粧を施しています。 実用としても飾りとしても大切なのが自作のグリップです。そしてマウントアダプターというものもあり ますね。 ミラーレスカメラには、このマウントアダプターでフイルム時代のマニュアルレンズを装着すると価値が 高まったように感じられます。つまりは伝統性を獲得できるからだろうと考えています。 縦位置グリップは普通は純正を使用していますが、グリップがないモデルもあります。そういう場合は 自作グリップとなります。私は常にカメラを手に持ったままなので左手で持てるグリップは必需品です。 カメラマンという私と他者との間にはカメラという道具が介在します。私は出会った人の写真は撮りません けれど、この二者の間にはカメラというものが介在しているという自覚があります。それで可能な限り、 カメラは綺麗に正しく見えるほうが良いのではないかと感じています。 シッポ座さんがポートレート撮影では新品のフイルムを使う、というのと同じ感覚だといえますか。 ストラップの話の続きですが、昔はメーカーが違っても平気、というところがありましたが、最近はボディ のメーカーとストラップに書かれたメーカー名を統一しています。純正に出来るだけ近づけています。 この感覚は、旧車の車好き人が可能な限り、オリジナルパーツに拘るという感覚に似ていますね。 車好きの人も、最終的には自分の車を人に見せて、それで皆が喜んでもらいたいという気持ちになるそうです。 若い時は自分勝手に改造をして自分だけがスピードを出して喜んでいた人が、歳を重ねると皆に楽しんで もらえる文化財のようなものを、自分が単に管理しているだけなのだろうという境地になるのかもしれません。 これは面白い現象ですね。 ただ写真画像が撮れればそれでいい。というのとは違う、そういうのとは異なる価値観で、カメラという ものを手に持って、人にも喜んでもらい、そして大切に使っていくというのが大事なのじゃないかと思ってます。 今はもう、新しいカメラや機材を買いたいという気持ちは無くなっていて、手持ちの機材を使っていく、 というだけでやっています。 こんな具合で、いうなれば、カメラ・写真機という写真文化というものを大事にしていきたいといことかも しれませんね。私は改めてカメラやレンズというものを再度見直しているのかも知れません。 そして写真とはどういうものなのか、ということにも繋がるわけでして、やはり写真というものも結局は 人と人との繋がりのなかで生まれてくる何かなのだろうと思っています。 写真なんて結局はカメラという道具が撮るのであって、人が介在する部分なんてわずかです。 写真が上手い、なんていうのは車で走って自分は速いぞとかいうのと同じで、車がなければ自分の脚で走って 歩いて、それでお前はどこまでいけるのかという問いかけみたいなものです。車から降りればよぼよぼの 足取りでは様にならんじゃないですか。(笑) 最終的にはカメラなんていう道具がなくても写真ができているというのが大切なわけです。それであっても やはりカメラや写真というのはけっこう面白いもんだよ、ということでカメラを持って歩いている、また カメラを構えてポートレートで人を撮っている、というのが正解なんじゃないですかね。 こんなことを書くと、何だか枯れた考えのように思えるかも知れませんね。 しかし自分の体力を鍛えるために山歩きの道具としてカメラを利用するようになって、随分と考えが変わった ように思えます。 最初はただ歩くのは辛いわ、やはり撮影ということでやりたい。そしてカメラを持つならば体幹も鍛えると いうことで、重さのあるカメラこそが正解だね、という理屈になりました。(笑) そして何よりも山で出会った人達が意外にもカメラに関心を示してくれたこと。写真に関心のある山歩き の人っているんだなということ。そしてそういう人達とお話ができるのは、自分が手に持ったカメラでは なかったか。という気づきがありました。 そこには本当に原初的な写真という道具のもつ精神のようなものがあるのではないかと思ったわけです。 私が若い頃、最初にカメラで写真を撮ってみたいという、そういう原初の精神の芽生えのようなものです。 建前として私は今、自分記録として写真を撮っているのですけど、本当はそんなものどうでもよくて、 写真というものをする心の躍動を、自分は再び手にしているのではないかという、そういう単純な喜びで カメラを持って歩いているような気がしてならないのです。 シッポ座さんが生きいきとポートレート撮影をする気持ちを伝えてくれました。それから私も大いに触発 されたように思えます。写真とはやはり人なんですね。人との出会いであり繋がりなのだと思います。 まあ、AIではやはり無理だとおもいます。(笑) ※前回の投稿で、私が最初に使ったのは友人のペンタックスSPFと書きましたが間違いでした。SPFの前の SPです。ただ友人は後でSPFも買ったので混同してしまったようです。 ※投稿写真はソニーα100とコニカミノルタα7です。もう20年以上も前のカメラですが、まだ使えます。
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