メーカー名 | SONY |
機種名 | α77 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 16mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/250sec. |
絞り値 | F8.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4000x2667 (5.32MB) |
撮影日時 | 2011-01-13 22:55:05 +0900 |
人間の思考、考え方の方式には次元という物差しを使えば分かりやすいかなって考えています。
まず1次元思考・・・直線的です。順次物事を追って考えていく。仕事の作業でマニュアルという
ものがあります。これが1次元思考にあたります。誰がやっても同じようになる仕組です。
2次元思考・・・平面的です。この世の中の7割くらいの人に当てはまります。行くか戻るかだけで
なく左右ににも行くことができます。写真はこの思考力がなければできません。平面技術ですから。
3次元思考・・・全体の2割くらいの人かこの思考法ができます。本物の大工さんや機械屋さんは
この能力がなければ家も機械も自由に組み立てられません。頭の中で家か組み立てられ、エンジン
が作動するという具合です。
写真でいえばこの3次元とは画質の観念に当たるのでしょう。の画質こそが平面の写真に立体感
を与えてくれるからです。
そして4次元思考。これは立体に時間軸を付け加えたものです。この思考法は極数パーセントの
人だけができる思考法です。歴史や広い知識を知らなければこの思考はできません。
ただ歴史や知識があるだけでなくロジック的な能力があり、少ない要素から論理の組み立てをして
未来を類推する能力があります。
これらのことは脳の思考力の階層であって、強く高い思考ができる脳が有利となるわけです。
これは、筋力が強い、胃腸が強いというように、そういう各臓器の優劣があるというだけのことなの
ですが、そう考えれば大したことではないのかも知れません。
この4次元思考を写真に当て嵌めると、写真という画像を超えた写真力があるかどうか、ということ
になります。写真が画像段階で完成していると思う人は3次元思考で終わっているわけです。
それよりも以上の写真世界があると考え人は、この4次元思考の写真世界に行くことができると
思っています。
例えばデジタル全盛の時代にフイルム写真の観念を持ち込むことができる人は写真の4次元思考
ができる人だと思っています。また黒白写真も本格的には、写真の長い文化的歴史を知っておく
必要があり、それを踏まえたうえでの黒白写真ができれば、それが4次元的思考の写真となるので
しょう。ただ黒白という画質だけで満足しているならば、それは2次元3次元の写真なんですね。
写真の文化が最高に高まったのは、戦争中を除くと戦後の1950年代から、黒白写真がカラー写真
に取って代わられた70年代までです。たった30年間なんです。その頃の写真は写真は文化の一つ
のジャンルであり、写真家は文化人でした。その時代の写真というものを知らなければ本当の
黒白写真は出来ない、ということだと思ってます。
そしてカラー写真が全盛になってからは、写真趣味は大衆の風流文化や娯楽になってしまった
と考えられます。
私は個人的には黒白写真時代の最後の1970年代の10年間を黒白フイルム写真として過ごしました。
これはかなり貴重な体験でありました。しかし自家現像の暗室が維持できなくなり、時代のもカラー
写真流行となってからは写真をすっぱりやめました。写真を復活したのはパソコンが出現し、さらに
デジタルカメラとなってからですね。
そしてデジタル写真を20数年間やったわけですが、1年前にデジタルのモノクローム専用機という
ものが出現して、やっと過去のモノクロ写真を思い出したというわけです。その時点で、私の写真は
3次元を超えて4次元の写真となったと思ってます。
ですから私の4次元写真は始ったばかりなんですね。(笑) ただそれ以前に、写真とは画像だけ
の世界ではなく、カメラを持って歩いて撮影するという、歩きの健康法としての写真行為に意識が
行っていたというのがあり、それもひとつの4次元思考の写真作法であったのだと考えています。
私はこの4次元的思考法に強く引かれていて、これからも意識して時間軸を取り入れた考え方を
しなければと思っています。
私が写真趣味が遠ざかって次に向かったのは占星術でしたが、これはもとより4次元思考が
なければ出来ないものであって、その訓練をしてくれたのが黒白写真だったんだろうなって今では
思っています。
黒白写真が全盛だった時代は、まだ日本が健全だった時代でした。ですから往年の感覚で黒白写真
を行うということには深い意味があるのだと私は思っています。
現在ではデジタルで黒白写真をするしかないのですが、それはそれで心構えさえマトモであれば
今でも黒白写真はできると思ってます。
私は本当のデジタル写真はこれからなのではないのか、と思うところがあります。そのためには
やはりデジタル黒白写真は必須だろうと考えてます。
こういう具合にして、写真に時間軸思考を取り入れて行うのが4次元式写真術ということになります。
私がカメラ機材に入れあげていた時は、まだ写真を3次元としてでしか捉えられていませんでした。
それが往年の黒白写真の文化を思い出したとき、画質追求の機材狂いは瞬時に止まりました。
ペンタックスモノクロームを購入して1年余となりますが、以来、購入した機材はほとんどありません。
3次元思考と4次元思考にはそれくらいの違いが出てきます。
黒白写真が全盛だった時代、戦後の1950~70年代こそが本当に学ぶべき写真の時代なのですが、
面白いことに住宅に関してもその年代が良質の家なんです。80年代以降になってくると、シックハウス
の家になります。化学物質を大量に使った材料で組み立てられていて、そこで住む人々の健康と命
を脅かしています。
4次元思考とは、直観力の思考法でもあります。
言葉で説明はできないけれど、直感的に正しい、というのはよくあることです。4次元式思考が
出来る人は、直観力の人でもあるのです。言葉の科学的な証拠や説明がなければ信じない、という
人はそもそも4次元思考ができない人です。
動物は言葉を操れませんが、それでも自分の直観力にしたがって生きているのです。人間も結局は
そうなんですね。言葉による説明は単なる後付け結論にすぎません。
この20年間余、デジタル写真をして来ていて、どうしてこんなに機材(カメラやレンズ)というものに
写真所身として負担が掛かるのか、それが不思議でしようがなかったのです。私の昔の記憶では、
黒白フイルム写真時代は、最低限の少ない機材で満足できていたのに。という疑問が常に付きまとっ
ていました。
その解けなかった疑問は、デジタルでも黒白写真にしてから瞬時に溶解したわけです。
黒白写真とはカラー情報を捨てた写真です。代わりにカラーでは得られない高解像力を得ることが
できますが、それは黒白写真の本質ではありません。黒白写真の本質とは、カラーという、人間が
表面的に惑わされやすい部分を、敢えて捨てさった写真だということです。
言わば、色惑い。色狂い。色香に惑わされること。それを無くしてしまった写真なのです。
写真がら色をなくしてしまったほうが写真の本質に迫れる。そういうことなのではないでしょうか。
モノクロ写真は色情報がない分、写真を良く見て(読み込んで)想像力を働かせなければなりません。
カラー写真は色によって直ぐに分かるということで、一瞥して終わりです。この違いは大きいです。
黒白写真画像を見て、自分の頭の中でもう一度組み立てなおすのが黒白写真の醍醐味です。
その脳内の組み立ての再構築によって画像は3次元のイメージとなります。
そこがカラー写真(2次元のまま)と、黒白写真(3次元再構築)との決定的な相違だと考えています。
カラー写真は画質を上げることで3次元にしようとしましたが、黒白写真は脳内イメージングの作用で
3次元の写真となるわけです。
カラーデジタルカメラで黒白写真をすることは充分に可能ですが、デジタル黒白写真専用機は
それとは全く世界が異なります。その超絶な解像力とシャープさ、そしてリアルな抜けの良さは、
別世界の写真が撮れると感じるほどでしょう。
そういうわけて、私としはキヤノンRフルサイズ・モノクローム機を大いに期待しています。(笑)
カラーデジタルで黒白をするのと、モノクローム専用機で黒白写真をするのとは、家屋で例えて
みれば、前者は強制換気をする現在の気密住宅(有害な化学物質をたっぷりと使った)と、昔の
従来工法の土壁と漆喰で、何もせずとも自然換気ができる家くらいの差があるでしょう。
どちらが自然な黒白写真ができるかは明らかですね。
やはり黒白写真は専用機でやるのか自然です。
こういう例え話をすると、カラー写真とはいかにも人体に有害なことをしている写真なのか? と
かんぐってしまうほどです。(笑) それはないわけですが、少なくともその鑑賞に黒白写真より
脳を疲れさせるのは事実です。ですからカラー写真から黒白写真に移行するだけで、ユーザー
には脳的な余力が生じて、写真趣味以外のことをする余裕が生じます。
私がモノクロ写真に転換して、それで家のリフォームに邁進できるよになったのはその余力の
お陰だということなのかも知れません。
つまりカラー写真趣味は、そのカラー情報の処理に脳力のかなりの部分を使ってしまい、精神的
脳力的に他の事をするだけの余力がなくなってしまうのです。そういう気がしています。
現代のデジタルカメラ写真の趣味は、言わば風流としての趣味です。言葉としては風俗とでも
娯楽趣味でもいいんですが、とにかく、かつてのように文化としての趣味、と言いますか生き方と
しての有用実用な学問ですかね、そういうのではないのです。
そこのところはキッチリと区別しておいたほうがよさそうです。
これからはデジタル写真も、一部はそういう学問的な方向に進む可能性があります。それはきっと
デジタル式の黒白写真を通してでしょう。デジタル写真趣味をする大部分の方は、依然として風流
趣味でやっていくのでしょうが、ごく一部の方だけがデジタルモノクローム写真を使って、学問領域
の写真に行くのだろうということですか。
この風流文化の写真と、学問分野の写真を分けて考えないといけません。
娯楽としての風流趣味は楽しい余暇の過ごし方なのですが、学問としての写真は個人の生き方
の問題提起をして行こうという写真となってくるのてす。
この2つは方向というか世界観が違うのですね。もちろん次元論としても異なるわけです。
今となって思うわけですが、デジカメを始めて20年余、楽しかったのだけと、それはやっぱり停滞と
迷妄の自分史だったと思います。それを覚ましてくれたのが黒白写真でした。
普通のカラーのデジタル写真は、浦島太郎の龍宮城の世界でしょうか。夢を見ているというような。
非常にバーチャルな世界だろうということです。それはリアルな現実ではありませんね。
そういうわけで、デジタル写真は黒白写真こそが本当のリアルな写真であろうかと思っています。
※投稿写真は以前に上げたものかも知れませんが、新しい観光地にできた宿泊施設です。
屋根は今流行りのガルバニウム鋼板。壁は焼き杉板でしょうか。シンプルな美があって好まれそうな
外観となっています。最近では屋根のみならず外壁にもガルバニウムを使う例が出できています。
しかし問題がひとつはありそうです。磁波、つまり地磁気を減衰させることにより健康面への危惧が
懸念されます。軽量鉄骨家屋と同じく、一時の流行に終わりそうな気がしています。