ソニー α77 作例

2011年10月14日発売

α77の仕様

無題

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これはカメラの左側のみにストラップを付けた様相。 ストラップというのは、厄介なもので、写真右側のような細身で柔らかい材質のストラップならば、 カメラ上部の左右に着けても(これが通常)問題がないのです。 しかしストラップの中には写真左側のカメラのように、接着部の材質が硬い、そしてストラップ自体が 幅広のものであれば、カメラを手に持っても素直に垂れ下がってくれません。 これを解決するひとつの手立てが、ストラップ自体を、右側のレリーズ部があるところから解放する ことです。この写真では、ストラップの接合部をカメラ右上部から左下部に移動しています。 これでレリーズを構える右手の指がストラップに邪魔されることもなく、また右手でカメラを運ぶ時にも ストラップは綺麗に垂れ下がるのです。 今回はバッテリーグリップにストラップを付けていますが、カメラ下部の三脚穴にフックを付けて接合 することも可能です。 こんなややこしいことをしなくても、幅の狭い柔らかいストラップを使えばよいわけですが、(笑)  とりあえず今は、幅広の純正品ストラップを使ってみたい、というだけの話ですね。 正装をしてみたい。作業着ではなくスーツで決め手みたいというだけなんですが、幅広ストラップにも 長所はあって、やはり少しは目立つこと。それで車道などの道路などを歩くときに安全かな、という こと、またイノシシにも目立ってくれればよいわけですし。 はっきり言うと、幅広の純正ストラップ(品質の良いものは少ない)などは、見掛けだけのものなんですね。 それで私は長い間、ニコンの初期型のプロ用ストラップとか、ペンタックスの初期の木綿製ストラップ、 キヤノンのプロ機用のストラップ、またノーブランドの無地の細身のストラップなどを使ってきました。 それらのストラップは優れています。 しかしそれだと、カメラ本体とストラップのブランドが合わないことがしばしばで、素人さんが見れば 違和感を持つだろうということで、それじゃ、メーカー名を合わせてみようか、としているわけです。 なんというか、これは対人対策用という気がしてます。(笑) 最近は讃岐の里山だと暑いので、讃岐山脈(奥山)に登っています。標高が千メートルなので頂上部は 涼しいということで。ただやはり下のほうは暑いんです。汗がだくだく。それでも山頂部の涼しさは ご褒美となります。四国の2千メートル級は、現地までの距離が遠く、まだ自信がないので先の話です。 写真やカメラは、自分の好きなようにすれば良いだけのことで、これだという正解はありません。 ただ自分の好きなものが分かっていない人も多いですね。それで皆がやっているものをそのまま踏襲して いるだけの人も多いです。それは残念だなという気はしてますけど、人はそれぞれなので他人がとやかく いうことはないです。 自分の好みがなくて、皆に合わせるというのは、人間的に良いタイプの人ではありますね。しかし 学ぶべきことは少ないです。 少し変わった人のほうが、私としては面白いという気がしています。 知り合いにパソコン趣味の人がいるんですが、私も同趣味なのでよく話すのですけど、彼はパソコンの 購入代は、パチンコで稼ぐんですね。(笑) ほんとかな?と思いましたけど嘘というかハッタリを言う 人間ではないので本当のことなんだと最近は信じるようになりました。 そういう能力がある人間もいるんだなっていうことです。そして彼は一般の眼ではかなり変人だという ことのようです。 人間、少し変なくらいなほうが、付き合う側としては有益かなっていうことですかね。

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まず、イメージありき。 多くの人々が写真機材の何かを新しく購入するとき、脳内でイメージを膨らませている はずです。たとえば自分は夕日の太陽が大きく映り、水平線に沈んでいく有り様を撮り たい。とイメージしていたとします。 そうすれば超望遠レンズが欲しい、さらに大型の三脚が欲しい。となるわけで、その ふたつの機材を購入するために、大きく夕陽のイメージを働かせているわけなのです。 このイメージングは機材を購入する時だけでなく、何処そこに撮影に行きたいと決意 するときにも働くはずです。その場所が遠ければ旅費は嵩むので機材購入時と同じく、 決定にはイメージを膨らませ続ける必要があります。 そのイメージの源流とは、大体は他の人が撮った写真や映像である場合が多いのでは ないでしょうか。言ってみればこれは模倣ですね。自分が考えたイメージというもの ではありまん。 これが多くの人達が陥りやすい罠とでもいうものです。 なかには映像ではなく、旅行記などの文章を読んでとか、知人に話を聞いてとか、 それでイメージを膨らませていく人もいるでしょう。これはちょっと模倣とは違います。 自分の思考力というものが働いています。 私が今、里山で記録的に撮っている写真は、そういうイメージというものが最初から ありません。体力づくりでもって何処そこの山に登りたいと決めて、カメラは歩く 為の道具として持っていくわけですから、最初からイメージは湧いてこず、ぶっつけ 本番での撮影であるわけです。 つまりイメージなき撮影であるわけです。 写真撮影をするとき、大きく分けて二つのタイプに分類できるとすると、最初から よく調べてイメージを持って撮影に望む人と、そうではなく、ちょっとした思い付き で出かけて、現地でぶっつけ本番で撮影する人のふたつです。 もちろん一人の人にその両タイプが存在しているわけで、どちらかの比重になるかの 違いだけでしょう。 それで撮影として面白いのは、予めのイメージを持たずに出かけたケースではないで しょうか。思いがけず良い光景に出会ったとか、こんな美しいところだったのかと 感激をするのは、予断イメージを持っていなかった場合が多いです。 そして最初にいくら詳細に調べてイメージを膨らませていても、現地へいけばあっさりと そのイメージが覆される場合が多いのも面白いところです。良い意味で裏切られると いうのは痛快ですね。 なんだ、こんなものだったのかという場合もあるでしょう。私はそういうガッカリと いった場合には、それは自分が未だ探せていないだけだとして、現地で探し込みます。 そうすると良い場面に遭遇するのが常です。 写真とは常に自分の脚で眼で探すことである。いつまでも脳内のイメージで思い続けて いてはいけないと考えています。 そういう場合、その威力を発揮するのは自分の手足のごとく自由に動けるカメラです。 カメラというのは、外部の機材であるという違和感覚を少しも感じさせないものが良いと 思っています。 そして何よりも、そのカメラを常時手にもっていて速写性を保っていることが肝心です。 バックに入れたままとか肩に掛けたままでは反射的に撮影することができません。 歩いている間中は、常にカメラは手に持っていること。これが絶対条件だと思ってます。 ところで私の大昔からのカメラ感覚は、戦場カメラマンのカメラです。 戦場カメラマンの写真こそが写真の中の写真であると、若い当時の私は思っていました。 当時はベトナム戦争たけなわのころです。 その頃は今と違い、カメラにはケースが付いていました。そのケースを着けて写真を撮る というのが普通の感覚でしたね。皆がそうしていたように記憶します。 それで私は、戦場カメラマンと同じように、カメラケースを捨てて、むき出してカメラ を手に持って撮影することにしました。 現在ではカメラケースというものはありませんね。部品の密着性が良くなったので ケースは必要がなくなり、さらには防塵防水性まで獲得しています。 現在のカメラでは、私が付加して改造をするのは、手に持ちやすくするためにラバー などで滑り止めをしたりテーピングをしたりすることです。言ってみればこれが私に とってのカメラケースかもしれません。(笑) とにかく、メカニカルカメラの時代にカメラケースを捨てたことは、私の心の中では 革新的なことであって、それ以降、私のカメラは、いかにカメラを操作しやすく、 持ちやすくするかの追求であったような気がしています。 そして戦場カメラマンの精神として、予断のイメージでもって撮影をしてはいけない、 というのもあります。それは現地でその場で判断すべきものであり、思い込みで写したり 語ったりしてはいけないというものです。 おそらく私の中では、あの当時の時代の雰囲気、ベトナム戦争などの社会的な空気が 刷り込まれて、それがこの今も続いているというような気がしてなりません。 平和な現代では時代錯誤も甚だしいということかもしれませんね。 私の写真感覚を形作ったのは、当時主流の黒白フイルム写真だったというだけでなく、 当時の世相というものも、根底に深くあり続けているように思えます。三つ子の魂、 百までと言いますが、そんな気がしています。 ですので、写真は芸術だ、表現だというのは凄く違和感があって(これは80年代以降の カラーフイルム時代からです)、どうしてもそういう平和な写真感覚には馴染めないで いるのです。 ベトナム戦争の前は、終戦直後から始まったリアリズム写真でした。これも第二次 世界大戦という戦争のシリアルな結果で生まれたものです。 今の日本の時代は戦争というより自然災害というのがピッタリとするのかも知れま せんね。もちろん世界的には既に第三次戦争が始まっているという人もいて、戦争は すぐ迫っているのかもしれませんれど、今の日本の人々の感覚としては東日本大震災 からの自然災害のイメージが強いでしょう。これはやがて南海トラフ大震災に続く わけです。 それはともかくとして、多くの人々の実態はまだ平和な国というイメージに浸った ままです。 それが悪いというのではありませんが、写真世界に於いてもこの平和な花鳥風月が 続いています。 そういう私も他人事ではなかったわけで、平和すぎる写真を続けてきたなって 思います。それが少し変わったかなって思うのは、しっかりと体力をつけようとと 考えて、手段として里山にカメラを持ち出してからです。 里山には昔から登っていましたが今回は本格的に行こうや、ということで、カメラ1台 でレンズ1本のみのスタイルでした。記録撮影ということで余計なことは考えずに 交換レンズもなくそれだげて押し通すことにしたのです。 このシンプルさが結果的に、若い時期の黒白フイルム時代の写真感覚を思い起こした という気がしています。 撮影はノーファインダーが基本。もうこれ以上は省きようがないほどのやり方で しょう。完全に無駄欲を排したスタイルですから。 とにかく、このカメラが一台というやり方をここ数ヶ月ずっと押し通しています。 持って行くカメラ自体は適当に変わったりするんですけど、カメラ1台と着けたレンズ ひとつだけというのは変わっていません。それを不自由だとは思わなくなりました。 むしろ自分は自由になったような気がしています。 もちろんカメラは徹底的に持ちやすく使いやすくしています。 まだズームレンズを使用しているのですけど、実際はその最広角で撮るのが殆ど なので単焦点レンズで撮るのとさほど違いません。とにかくレンズを交換すると いう手間がカメラのシンプルさを最初に損なうという感じです。 徹底的にシンプルであること。わずらわしさを排するということ。これが有意義で あったのだという気がしています。そうすることで何かに近づくということらしい ですね。その何かというと、きっと写真の本質だろうと思ってます。 現在ではそれがスマホで写真を撮るということかもしれません。 いまでは殆どの一般の方々はカメラを捨てて、スマホで写真をとります。 以前、この掲示板で山岳写真を撮られて投稿されていた人が、最後に、もうスマホ で良いじゃないかと言って掲示板から去って行ったことがあります。なんとなく 分かるような気がしてますね。 それは人に見せる為の写真なんてしなくていいんじゃね、ということでしょうか。 写真は芸術だとか表現だとかいうから、写真を他人に見せて評価して貰わないと 完結しなくなるんだけど、それを吹っ切ると、写真はシンプルなスマホで十分なん ですね。自分の記録の写真だけの意味になるからです。 というより、現代ではスマホこそが写真の本質を見抜いているという気がしてます。 しかし残念ながら最近のスマホはAIで作っていますのでリアリティが欠けてしまう のが惜しいです。それから以前のコンパクトコンデジと同じでスマホは軽すぎます。 それでも良い線を行っているのがスマホであって、多くの人達が利用しているのは 納得がいきますね。 スマホの視点から見てみると、私がいま使っているデジイチは重さと大きさ以外は スマホに近づけていることに気づきます。機能として使い勝手としてスマホに接近 させているというわけです。これは結果としてであって今気づいたことです。 いま世界中でスマホによるショート動画が撮られていて、それがネット上にアップ ロードされています。ウクライナやロシアで撮られた爆撃シーンなどです。それは 戦場写真であるわけで、いうなれば時代を写し撮る戦場カメラでもあるのです。 ベトナム戦争ではプロのカメラマンがメカニカルカメラで報道していたけれど、 今では無名のスマホユーザーがインターネットで報道をしているというわけです。 そしてさらに最近ではAIによる偽動画や偽写真がネットで流される始末です。 しかしプロパガンダということで戦前も偽写真は横行していたので新しい現象と いうことではありませんね。 自分にとって写真とは何か。ということを追求していくことは大切なことだと 考えています。ともすれば時代に流されて自分を見失っていくのが世の常です。 自分の写真を取り戻すということでしょうか。これにはゴールというものはない わけで永遠に問い続けていくことになります。 デジタル写真になって、以来ずっと、私が過去にやっていた黒白フイルム写真と、 そして今のデジタルとの間には大きな乖離というものがあって、それにずっと 悩んでいたというところがありました。 少し氷解したのは制限の多い特殊なカメラ、モノクロ専用機を使い出してからです。 これで嘘のように新しい機材が欲しいという欲が消滅しました。 それでもまだ納得をしていずで、モノクロカメラでの撮影は楽しいというわけでは なかったからです。奇妙に作為的に無理をしているという感覚がありました。 それがさらに吹っ切れることになったのはカラーデジタルに戻して、撮った画像は 完全に見ないことにしようか、と決めてからです。 そうなってくると撮影に持ち出すカメラは何でもよくて、1台で十分じゃねってなり、 それが今に至っているわけです。 これで手軽に撮影に出かけることができるようにはなりました。この手軽さは重要 ですね。 そうこうしてくるうちに、制限だらけのカメラや写真であるはずなのに、写真撮影が 楽しく感じられるようになって、つまり現実の制限とは真逆に写真として自由な感覚が 芽生えてきているように感じられ始めたのです。 なるほど、それは若い頃に写真を始めた時は、カメラ1つにレンズひとつだったじゃ ないか。その当時は撮影も写真も自由で楽しかったんですよね。 きっとそういう昔の感覚に立ち返っただけのことだったんのかもしれません。 今は馬鹿みたいに古いカメラばかりですけど所持してます。しかし撮影に出かけるとき には一台しか持って行きません。ばかなカメラコレクションとは別に、撮影行では大きな 制限をかけて昔の初心に戻る。これで中々有効であって、たったそれだけで自由と楽しさ を得ることができるようです。 こんな簡単なことに気が付きませんでした。 ああしようか、こうする場合もあるかも、と雑念を野放しにしていたからこそ、写真が 詰まらなくなっていったのではないかと思い始めています。 しかしここまで書いてきて、カメラ一台レンズひとつのスタイルはかなり前からやってます。 1~2年前から。ペンタックスばかりで撮ってましたが、さほどに楽しいとは思えてなかった です。里山だけに突出した撮影ではありませんでしたが。 しかしそれが、楽しいな、自由だと感じ始めたのはここ最近の1~2ヶ月ほどです。 ペンタックス以外のカメラも取り出して使ったからでしょうか。 それは多少はありそうです。やはり一種では飽きますからね。 しかし、そういう理由よりもこれは里山歩きによる身体の向上が利いて来ているのでは ないか、という気もしているんです。自分の身体と心が以前とは変わってきているから、 写真への感じ方も変わりつつあるのだと。 もしそうだとしたら、嬉しいです。でもそう簡単なものではないでしょうね。 しかしシンプルに言えば、筋肉を動かせば人間、自然とやる気が出でくると言われます。 そういうのはあるんじゃないかって思います。 平地でダラダラと歩いて撮影をするのと、傾斜地の山地で筋肉を強く刺激しながら撮影を するのとは違うのじゃないかと思います。 それからペンタックスは軽かったです。1キロくらいしかないですから。それを鍛錬という 目的で2~3キロのカメラに変えました。これもあるんじゃないかって思います。 さらにいうと平地と山では、人々のカメラや写真に対する見方が違うというのもあると 言えます。山では評価した見方をしてくれます。これもあるのじゃないかって感じてます。 しかしこれは余禄ですね。 いろいろと考えながらこのコメントを書いているのですが、一番に可能性があると思うのは、 それは、シンプルに設えたカメラではありません。筋肉が鍛えられて積極的な考え方ができる ようになった、というのでもありません。 考えてみますと、山道で撮る被写体なんてあるもんじゃないです。それに私は写真を撮る ために山歩きをしているのじゃないですね。ただ手ぶらだと寂しいからカメラを持って 歩いているだけです。撮った写真を後で見ることもない。 それでも淡々と写真を、いやシャッターを押しながら山道を歩いてます。 ということは、・・・・・・ 私のカメラのシャッター音は、私の脚の歩みそのもののカウントであるのだろうということです。 なので、最近、写真が楽しくなり自由に感じせれるようになったという印象は、写真やカメラ のことではなくて、里山歩きそのものが楽しくなり自由感を得られるようになったということ じゃないですかね。 やっと山歩きに慣れてきた、やっと山歩きの楽しさがわかるようになっていたということかも 知れませんね。それを写真として擬似的に自分が捉えているだけなんだということです。 本格的に里山歩きをやりだしてから4ヶ月余。たしかに山歩きに慣れてきて良い時期です。 そしてカメラは山歩き以外には全く使っていません。

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ポートレート撮影、つまり人物の撮影とは、写真としては最も楽しいもののひとつだと言えますね。 人と人との繋がりが出来るということで、これは単なる写真画像の生成行為を超えています。 シッポ座さんが昔から変わらずに人物撮影を続けてこられたというのは大変に納得のいく話です。 写真には他の人との会話が必要であるというのは私も常々感じているところです。 私は写真撮影としては人物の撮影はいたしませんが、撮影中は可能な限り出会った人とのとの会話を 優先しています。その場で話し込んでしまって撮影が疎かになるほどですが、気にはしていません。 最近は里山歩きオンリーですが、その山道の場でもすれ違った人達と話をしています。 実はその為にこそ、写真というか、カメラというものを道具として使っているところがあるんですね。 スマホではそういう話をする切っ掛けにはならないところがあって、私が手に大きなカメラを持っている という、その昔ながらのスタイルこそが、人と人との繋がりに結びついていく、という気がしています。 フイルムカメラには現代のデジタルカメラにはない伝統、トラディショナルなというものが存在します。 別の言葉では、オーラ、なんていう呼び方をする人もいますが、実用性を超えた文化というものを 具現化しているというのが大事なのでしょう。 それで思うに、デジタルカメラが出た時に、メーカーが気をつけたのはフイルムカメラの持つ伝統性を 壊さないようにしていたということです。 もっともメーカーによっては新しい奇抜なデザインでリリースしたメーカーもありました。コンデジ 時代のソニーなんかはそうでした。しかし最終的には各メーカーも伝統的なカメラのスタイルに収束して いったというところがあります。 それでやはり結局は、往年の一眼レフのデザインやライカのレンジファインダーのデザインなどに収まっ ていますね。 今改めて自分の持つカメラを眺めているのですけど、実に良くデザインされていますね。 ありとあらゆる機能を詰め込んでいて、その為のボタンやダイヤルなどが所狭しと配置されています。 中にはペンタックスやシグマなどのように、やや考えが足りないかなというメーカーもあるんですけど、 大体はどのメーカーも、不具合や不足感のないように、これでもか、という感じて経験値に基づき綿密に デザインされています。 この綿密な考察の結果がカメラのデザインに生かされているのであって、全くの素人さんが見ても敬意を 持って見てくれているというわけです。 私の場合、手に持ったスタイルというのカメラには完全性を保たせてやりたいという気持ちがあり、それで レンズフィルター、レンズフード、ファインダーラバー、ストラップ、そしてグリップ等をは完全に装備を しています。最近はストラップに凝っていて、取り外し可能なリングをカメラ本体とストラップの間に 挟むことが多いです。まあキラキラとしてイヤリングのようなものです。(笑) このストラップというのは、考えてみれば布製でありカメラで唯一の衣装であることに気づきます。特に 女性の場合はこのストラップを見るのかもしれません。 世の中にはレンズフードを逆さにしたままで平気で撮影をするっていう人もいますが、私は絶対にそんな ルーズなことはしません。それどころか、安っぽいカメラでも完全に正しく、装備やパーツを付加すると、 なかなかに立派に見えるものなんですね。 さらに自作でプロテクトラバーやテーピングも施していて、使いやすいように、傷がつかないように綿密に 化粧を施しています。 実用としても飾りとしても大切なのが自作のグリップです。そしてマウントアダプターというものもあり ますね。 ミラーレスカメラには、このマウントアダプターでフイルム時代のマニュアルレンズを装着すると価値が 高まったように感じられます。つまりは伝統性を獲得できるからだろうと考えています。 縦位置グリップは普通は純正を使用していますが、グリップがないモデルもあります。そういう場合は 自作グリップとなります。私は常にカメラを手に持ったままなので左手で持てるグリップは必需品です。 カメラマンという私と他者との間にはカメラという道具が介在します。私は出会った人の写真は撮りません けれど、この二者の間にはカメラというものが介在しているという自覚があります。それで可能な限り、 カメラは綺麗に正しく見えるほうが良いのではないかと感じています。 シッポ座さんがポートレート撮影では新品のフイルムを使う、というのと同じ感覚だといえますか。 ストラップの話の続きですが、昔はメーカーが違っても平気、というところがありましたが、最近はボディ のメーカーとストラップに書かれたメーカー名を統一しています。純正に出来るだけ近づけています。 この感覚は、旧車の車好き人が可能な限り、オリジナルパーツに拘るという感覚に似ていますね。 車好きの人も、最終的には自分の車を人に見せて、それで皆が喜んでもらいたいという気持ちになるそうです。 若い時は自分勝手に改造をして自分だけがスピードを出して喜んでいた人が、歳を重ねると皆に楽しんで もらえる文化財のようなものを、自分が単に管理しているだけなのだろうという境地になるのかもしれません。 これは面白い現象ですね。 ただ写真画像が撮れればそれでいい。というのとは違う、そういうのとは異なる価値観で、カメラという ものを手に持って、人にも喜んでもらい、そして大切に使っていくというのが大事なのじゃないかと思ってます。 今はもう、新しいカメラや機材を買いたいという気持ちは無くなっていて、手持ちの機材を使っていく、 というだけでやっています。 こんな具合で、いうなれば、カメラ・写真機という写真文化というものを大事にしていきたいといことかも しれませんね。私は改めてカメラやレンズというものを再度見直しているのかも知れません。 そして写真とはどういうものなのか、ということにも繋がるわけでして、やはり写真というものも結局は 人と人との繋がりのなかで生まれてくる何かなのだろうと思っています。 写真なんて結局はカメラという道具が撮るのであって、人が介在する部分なんてわずかです。 写真が上手い、なんていうのは車で走って自分は速いぞとかいうのと同じで、車がなければ自分の脚で走って 歩いて、それでお前はどこまでいけるのかという問いかけみたいなものです。車から降りればよぼよぼの 足取りでは様にならんじゃないですか。(笑) 最終的にはカメラなんていう道具がなくても写真ができているというのが大切なわけです。それであっても やはりカメラや写真というのはけっこう面白いもんだよ、ということでカメラを持って歩いている、また カメラを構えてポートレートで人を撮っている、というのが正解なんじゃないですかね。 こんなことを書くと、何だか枯れた考えのように思えるかも知れませんね。 しかし自分の体力を鍛えるために山歩きの道具としてカメラを利用するようになって、随分と考えが変わった ように思えます。 最初はただ歩くのは辛いわ、やはり撮影ということでやりたい。そしてカメラを持つならば体幹も鍛えると いうことで、重さのあるカメラこそが正解だね、という理屈になりました。(笑) そして何よりも山で出会った人達が意外にもカメラに関心を示してくれたこと。写真に関心のある山歩き の人っているんだなということ。そしてそういう人達とお話ができるのは、自分が手に持ったカメラでは なかったか。という気づきがありました。 そこには本当に原初的な写真という道具のもつ精神のようなものがあるのではないかと思ったわけです。 私が若い頃、最初にカメラで写真を撮ってみたいという、そういう原初の精神の芽生えのようなものです。 建前として私は今、自分記録として写真を撮っているのですけど、本当はそんなものどうでもよくて、 写真というものをする心の躍動を、自分は再び手にしているのではないかという、そういう単純な喜びで カメラを持って歩いているような気がしてならないのです。 シッポ座さんが生きいきとポートレート撮影をする気持ちを伝えてくれました。それから私も大いに触発 されたように思えます。写真とはやはり人なんですね。人との出会いであり繋がりなのだと思います。 まあ、AIではやはり無理だとおもいます。(笑) ※前回の投稿で、私が最初に使ったのは友人のペンタックスSPFと書きましたが間違いでした。SPFの前の SPです。ただ友人は後でSPFも買ったので混同してしまったようです。 ※投稿写真はソニーα100とコニカミノルタα7です。もう20年以上も前のカメラですが、まだ使えます。

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講談社ブルーバックスの「山に登る前に読む本」能勢博著、という本を読みました。 山歩きの効能というものが科学的に綴られているんですが、まあ当たり前のことを書いている わけですけど、あらためて今の自分の里山歩きが正しかったのかなと確認できました。 こういう本は多数出ているでしょうけど、この本では一応、5ヶ月ということで試験されて いました。医学的にはそういう数値があるんだということでしょうか。 私はまだ3ヶ月余なのでもう少し経つと体調は安定期に入るんじゃないかと思ってます。 香川ではもう梅雨は明けたので大分暑くなりました。これからが暑さは本番になるんですが、 自分の体力が強まれば暑さをあまり感じなくなるらしいです。筋肉量や血液量が多くなるので 暑さに強くなるとか。 最近は香川の五色台というメサという卓上地形の山を登ってます。標高300から400メートルの かなり広大な台地です。香川の里山はメサ地形かビュート地形かのどちらかなのですけど、この 五色台ほど広域な面積をもつメサ地形は稀です。 香川の山は気候上大体は乾燥していて台地は枯れているはずなんですけど、ここ数日降り続いた 雨で全山が水浸しでした。登山道はすべてびちょびちょでした。そこらじゅうに即席の沢がで きていて大量の水が流れているしまつ。地元の人に聞くと、こんなことは滅多にないとのこと。 頂上部は台地上で平らなので中々水は排出できないみたいですね。香川の他の山ではありえない わけで、五色台が特殊であるのがよくわかりました。 歩きにくかったですけど良い体験になりました。 投稿写真はその台地から流れでる滝です。 ネット上に動画もありましたのでリンクします。 https://www.youtube.com/shorts/L2HS2uVKqpQ 里山を登るにつれ、自分はあまり地元を知らなかったんだなっていつも感じます。この五色台 もそうでして、実際に自分の足で歩いてみると、その大きさに驚いてしまいます。車ですっと 走るのと歩くのとでは大違いです。やはり自分の脚で歩いてみて初めてその大きさが掴めると いう気がします。 そういうのは日本列島を飛行機とか新幹線、高速道で走るのと同じで、あっという間に現地には 着くのですが、その距離感覚は本当は正しくはないですね。 登山での醍醐味はやはり縦走になるのだろうと思います。縦走とは単発登山ではなく連山を 続けて歩きとおすことですが、香川の里山でもそういうコースが多々あります。最低限一日中は 山のなかということなり、日常とは別世界に自分がいるのだと感じることができます。 おそらく多くの登山愛好者はそれを感じたくて深く山に登るんではないでしょうかね。 私の場合はあくまで、体力を増進したいということで里山歩きをしていますから、そういう 異世界を感じるまではしていないのですが、なんとなく分かるようにはなりました。 私はカメラをもって山に入ります。考えて見ればそのカメラというのは、自分が完全に山に没入 するのを防ぐ役割もあるんではないかと思うようになりました。つまりあっちの世界に行って しまうのは恐いという気持ちがあります。山人になりきれない自分がいるわけですけど、それで いいんじゃないかって思ってますね。 そしてカメラはもう一つの役割として、今度は日常の平地の暮らしに完全に溶け込んでしまうのも 防いでくれるのではないかと、そういう考え方もできます。自分と世界の間に、ひとつ挟むという ことで、カメラはそういう装置や道具になっているんじゃないかって感じてます。 常に冷静でいれる自分をカメラというものが作ってくれるのではないかと。 最近、カメラというのは中身の性能とかそういうのではなく、やはり大きさが物をいうのでは ないかと本気で感じてます。カメラもレンズもある程度の大きさや重さという物理量が必要なの だと。スマホがいくら高性能になっても、そういうカメラの役割はできませんね。スマホは小さ すぎて防衛する盾にはならないのです。 カメラの本質は心理的な盾であり矛ではないかということです。対自然、対社会、対人間として 自分とそれらとは一定程度に隔てるためにカメラというものを持つ。 本質的には刀剣とか銃器とかと変わらないのではないかと感じます。そして面白いことにイノシシ にはカメラが立派に通用するのです。スマホやコンデジではイノシシには舐められますが、 大きなカメラを持っていると逃げ出してくれます。(クマには通じませんので注意) カメラは性能やブランドや価格が優位で、大きさなんてのは関係ないと皆さん思っているでしょう。 むしろ小さくて軽くて高性能なのがよいと。しかし実際は違います。三脚と同じで大きくて重い のが良いのです。なによりも精神的に安心ができますから。 そもそもカメラという道具は本質的に精神的なものなのです。だからある程度の大きさと重さが 必要なのですね。

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香川県坂出市五色台の稚児の滝。 五色台は県内随一の広大なメサ地形で、標高300m位の頂上が平坦な山並みが続く台地です。そこから 流れでる滝ですが、けっこう落差があって40メートルくらいの落差があるんでしょうかね。ちょうど 南米ギアナ高地のエンジェルフォールのような成り立ちの滝です。規模は数十分の一ですけど。(笑) 遠くから白糸のような筋が見えて、もしかしてあれは滝かいな?と思い、近くに行くと、オキャーマから の若いお兄さんの登山客がいて、ちょうどスマホで滝の上り口を探しているところに出くわしました。 その兄ちゃん、本格装備がないと登れへんで。と言ってたのですが、さて現地で見るとそんなに大した ことはないようなのでカメラ片手にするすると登ってみました。大昔の登山道が僅かに見られる程度の 道なき道でしたが、ゆっくりと撮影しながら登っても30分くらいで、大滝の真下に出ました。 水しぶきを浴びながらの撮影です。涼しかったですよ。 岡山の兄ちゃん、諦めて帰ってしまったけど、スマホ情報に頼りすぎるのも考えもんやで。実際に現地で 自分の目と足で確かめなくては。(笑) ここ3ヶ月ほど、里山を徹底的に歩き続けている私です。どこまで自分の足腰を鍛えられるか、そういう 気持ちでやっています。装備なんてほとんどなし。普段着姿での、靴だけはトレッキングシューズで。 そしていつものように野球帽で片手に2キロ程度のカメラを持つ。肩掛けの小型バッグにはペット水のみ。 ただこれだけでは上半身や体幹の鍛錬が不足するので帰宅後、自分なりにフイットネスもやってます。 筋力こそが健康と体力を支える最適の道であるとの自覚を新たにし、自己流で肉体作りに励んでいるわけ ですが、最近思うに、2キロのカメラでは軽すぎ、4キロ程度のカメラを持つべきか、と考えています。 しかし4キロオーバーのカメラとなると、望遠ズーム付きとなります。そんなもので山に入っても野鳥に 関心がない限り撮影するものがありません。 普通の風景などを撮る限りにおいては、標準から広角となるので、3キロのカメラまでなんですね。 ともかく、現在の私のカメラに対する価値観の基準は、重量一択である、というわけです。使いやすい とか性能が高いとか、そういうのは私の脳内カメラ基準にはありません。軽薄短小のスマホ時代において、 時代錯誤的な重厚長大カメラを私は求めています。(笑) 2キロから3キロの重さにするには、光学デジイチでもってバッテリーグリップ(場合によってはリチウム 電池の代わりに鉛塊を仕込む)を付け、大型レンズを付けると、だいたいそのくらいになります。軟弱な ペンタ&ミラーの無いカメラでは達し得ません。 それから不思議に、こういう時代錯誤なカメラは、里山歩きをされている方々には大人気なんですね。 そもそもスマホ以外の本格カメラを持って山を歩いている人がいないのです。これ、本当です。 ただ、野鳥撮影をされている方がニコンの高倍率コンデジをもっていました。それからドローン撮影を されていた人も。しかしそういうカメラの人は一箇所に留まり、常時に山を歩くというスタイルでは ないですね。 里山歩きをされている方は、そもそも山歩きが好きで、加えて自分の健康維持の為に山を歩いています。 しかし私は純粋に山歩きが好きな人間ではないのでカメラを持たなければ山歩きはできません。 それでも山歩きが趣味の人達と同様な歩き方をしたいというわけで、カメラ片手に里山を歩いています。 嬉しいことに、出会うたくさんの方々からアドバイスを頂いています。。 そして四国にはクマもいません。安心して山に入れるということではこの上ないことですね。 そして少し気になるのは、写真が趣味の方は、自分の写真趣味がどれくらい自らの健康に役立っている のかの、そういう自覚が果たしてあるのかな?ということです。 山歩き趣味の方は100パーセント、自分の健康への自覚を持って歩いてます。半分は自然に接するという 自らの趣味のため、残り半分は健康維持と体力保持のためだと、皆さん口を揃えて言っています。 では写真趣味の人は? たぶんあまり自覚はないのではないかと思うところがありますね。なんとなく、 という程度ではないですか。 あまり健康への自覚がないままで写真趣味をされているのならば、まだまだ余裕があるのだな、という ところです。 でも私の場合は、体力を失ってしまって、それで写真趣味を里山歩きの為の手段だとして、健康増進へと 全振りをしています。 綺麗に撮ろうとか、じっくり撮影しようとか、そういうものは一切なし。歩きのスピードを落とさずに 撮影をしています。ですから全くの記録撮影と割り切っています。交換レンズも持参していませんから。 そして撮影した画像は基本、ぜんぜん見ません。 そんなわけで、皆さんも、もし最近ちょっと健康具合や体力が落ちてきたかな、とかがあれば、趣味の 写真を使って体調を持ち上げることが可能です。

雑感

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人間の思考、考え方の方式には次元という物差しを使えば分かりやすいかなって考えています。 まず1次元思考・・・直線的です。順次物事を追って考えていく。仕事の作業でマニュアルという ものがあります。これが1次元思考にあたります。誰がやっても同じようになる仕組です。 2次元思考・・・平面的です。この世の中の7割くらいの人に当てはまります。行くか戻るかだけで なく左右ににも行くことができます。写真はこの思考力がなければできません。平面技術ですから。 3次元思考・・・全体の2割くらいの人かこの思考法ができます。本物の大工さんや機械屋さんは この能力がなければ家も機械も自由に組み立てられません。頭の中で家か組み立てられ、エンジン が作動するという具合です。 写真でいえばこの3次元とは画質の観念に当たるのでしょう。の画質こそが平面の写真に立体感 を与えてくれるからです。 そして4次元思考。これは立体に時間軸を付け加えたものです。この思考法は極数パーセントの 人だけができる思考法です。歴史や広い知識を知らなければこの思考はできません。 ただ歴史や知識があるだけでなくロジック的な能力があり、少ない要素から論理の組み立てをして 未来を類推する能力があります。 これらのことは脳の思考力の階層であって、強く高い思考ができる脳が有利となるわけです。 これは、筋力が強い、胃腸が強いというように、そういう各臓器の優劣があるというだけのことなの ですが、そう考えれば大したことではないのかも知れません。 この4次元思考を写真に当て嵌めると、写真という画像を超えた写真力があるかどうか、ということ になります。写真が画像段階で完成していると思う人は3次元思考で終わっているわけです。 それよりも以上の写真世界があると考え人は、この4次元思考の写真世界に行くことができると 思っています。 例えばデジタル全盛の時代にフイルム写真の観念を持ち込むことができる人は写真の4次元思考 ができる人だと思っています。また黒白写真も本格的には、写真の長い文化的歴史を知っておく 必要があり、それを踏まえたうえでの黒白写真ができれば、それが4次元的思考の写真となるので しょう。ただ黒白という画質だけで満足しているならば、それは2次元3次元の写真なんですね。 写真の文化が最高に高まったのは、戦争中を除くと戦後の1950年代から、黒白写真がカラー写真 に取って代わられた70年代までです。たった30年間なんです。その頃の写真は写真は文化の一つ のジャンルであり、写真家は文化人でした。その時代の写真というものを知らなければ本当の 黒白写真は出来ない、ということだと思ってます。 そしてカラー写真が全盛になってからは、写真趣味は大衆の風流文化や娯楽になってしまった と考えられます。 私は個人的には黒白写真時代の最後の1970年代の10年間を黒白フイルム写真として過ごしました。 これはかなり貴重な体験でありました。しかし自家現像の暗室が維持できなくなり、時代のもカラー 写真流行となってからは写真をすっぱりやめました。写真を復活したのはパソコンが出現し、さらに デジタルカメラとなってからですね。 そしてデジタル写真を20数年間やったわけですが、1年前にデジタルのモノクローム専用機という ものが出現して、やっと過去のモノクロ写真を思い出したというわけです。その時点で、私の写真は 3次元を超えて4次元の写真となったと思ってます。 ですから私の4次元写真は始ったばかりなんですね。(笑) ただそれ以前に、写真とは画像だけ の世界ではなく、カメラを持って歩いて撮影するという、歩きの健康法としての写真行為に意識が 行っていたというのがあり、それもひとつの4次元思考の写真作法であったのだと考えています。 私はこの4次元的思考法に強く引かれていて、これからも意識して時間軸を取り入れた考え方を しなければと思っています。 私が写真趣味が遠ざかって次に向かったのは占星術でしたが、これはもとより4次元思考が なければ出来ないものであって、その訓練をしてくれたのが黒白写真だったんだろうなって今では 思っています。 黒白写真が全盛だった時代は、まだ日本が健全だった時代でした。ですから往年の感覚で黒白写真 を行うということには深い意味があるのだと私は思っています。 現在ではデジタルで黒白写真をするしかないのですが、それはそれで心構えさえマトモであれば 今でも黒白写真はできると思ってます。 私は本当のデジタル写真はこれからなのではないのか、と思うところがあります。そのためには やはりデジタル黒白写真は必須だろうと考えてます。 こういう具合にして、写真に時間軸思考を取り入れて行うのが4次元式写真術ということになります。 私がカメラ機材に入れあげていた時は、まだ写真を3次元としてでしか捉えられていませんでした。 それが往年の黒白写真の文化を思い出したとき、画質追求の機材狂いは瞬時に止まりました。 ペンタックスモノクロームを購入して1年余となりますが、以来、購入した機材はほとんどありません。 3次元思考と4次元思考にはそれくらいの違いが出てきます。 黒白写真が全盛だった時代、戦後の1950~70年代こそが本当に学ぶべき写真の時代なのですが、 面白いことに住宅に関してもその年代が良質の家なんです。80年代以降になってくると、シックハウス の家になります。化学物質を大量に使った材料で組み立てられていて、そこで住む人々の健康と命 を脅かしています。 4次元思考とは、直観力の思考法でもあります。 言葉で説明はできないけれど、直感的に正しい、というのはよくあることです。4次元式思考が 出来る人は、直観力の人でもあるのです。言葉の科学的な証拠や説明がなければ信じない、という 人はそもそも4次元思考ができない人です。 動物は言葉を操れませんが、それでも自分の直観力にしたがって生きているのです。人間も結局は そうなんですね。言葉による説明は単なる後付け結論にすぎません。 この20年間余、デジタル写真をして来ていて、どうしてこんなに機材(カメラやレンズ)というものに 写真所身として負担が掛かるのか、それが不思議でしようがなかったのです。私の昔の記憶では、 黒白フイルム写真時代は、最低限の少ない機材で満足できていたのに。という疑問が常に付きまとっ ていました。 その解けなかった疑問は、デジタルでも黒白写真にしてから瞬時に溶解したわけです。 黒白写真とはカラー情報を捨てた写真です。代わりにカラーでは得られない高解像力を得ることが できますが、それは黒白写真の本質ではありません。黒白写真の本質とは、カラーという、人間が 表面的に惑わされやすい部分を、敢えて捨てさった写真だということです。 言わば、色惑い。色狂い。色香に惑わされること。それを無くしてしまった写真なのです。 写真がら色をなくしてしまったほうが写真の本質に迫れる。そういうことなのではないでしょうか。 モノクロ写真は色情報がない分、写真を良く見て(読み込んで)想像力を働かせなければなりません。 カラー写真は色によって直ぐに分かるということで、一瞥して終わりです。この違いは大きいです。 黒白写真画像を見て、自分の頭の中でもう一度組み立てなおすのが黒白写真の醍醐味です。 その脳内の組み立ての再構築によって画像は3次元のイメージとなります。 そこがカラー写真(2次元のまま)と、黒白写真(3次元再構築)との決定的な相違だと考えています。 カラー写真は画質を上げることで3次元にしようとしましたが、黒白写真は脳内イメージングの作用で 3次元の写真となるわけです。 カラーデジタルカメラで黒白写真をすることは充分に可能ですが、デジタル黒白写真専用機は それとは全く世界が異なります。その超絶な解像力とシャープさ、そしてリアルな抜けの良さは、 別世界の写真が撮れると感じるほどでしょう。 そういうわけて、私としはキヤノンRフルサイズ・モノクローム機を大いに期待しています。(笑) カラーデジタルで黒白をするのと、モノクローム専用機で黒白写真をするのとは、家屋で例えて みれば、前者は強制換気をする現在の気密住宅(有害な化学物質をたっぷりと使った)と、昔の 従来工法の土壁と漆喰で、何もせずとも自然換気ができる家くらいの差があるでしょう。 どちらが自然な黒白写真ができるかは明らかですね。 やはり黒白写真は専用機でやるのか自然です。 こういう例え話をすると、カラー写真とはいかにも人体に有害なことをしている写真なのか? と かんぐってしまうほどです。(笑) それはないわけですが、少なくともその鑑賞に黒白写真より 脳を疲れさせるのは事実です。ですからカラー写真から黒白写真に移行するだけで、ユーザー には脳的な余力が生じて、写真趣味以外のことをする余裕が生じます。 私がモノクロ写真に転換して、それで家のリフォームに邁進できるよになったのはその余力の お陰だということなのかも知れません。 つまりカラー写真趣味は、そのカラー情報の処理に脳力のかなりの部分を使ってしまい、精神的 脳力的に他の事をするだけの余力がなくなってしまうのです。そういう気がしています。 現代のデジタルカメラ写真の趣味は、言わば風流としての趣味です。言葉としては風俗とでも 娯楽趣味でもいいんですが、とにかく、かつてのように文化としての趣味、と言いますか生き方と しての有用実用な学問ですかね、そういうのではないのです。 そこのところはキッチリと区別しておいたほうがよさそうです。 これからはデジタル写真も、一部はそういう学問的な方向に進む可能性があります。それはきっと デジタル式の黒白写真を通してでしょう。デジタル写真趣味をする大部分の方は、依然として風流 趣味でやっていくのでしょうが、ごく一部の方だけがデジタルモノクローム写真を使って、学問領域 の写真に行くのだろうということですか。 この風流文化の写真と、学問分野の写真を分けて考えないといけません。 娯楽としての風流趣味は楽しい余暇の過ごし方なのですが、学問としての写真は個人の生き方 の問題提起をして行こうという写真となってくるのてす。 この2つは方向というか世界観が違うのですね。もちろん次元論としても異なるわけです。 今となって思うわけですが、デジカメを始めて20年余、楽しかったのだけと、それはやっぱり停滞と 迷妄の自分史だったと思います。それを覚ましてくれたのが黒白写真でした。 普通のカラーのデジタル写真は、浦島太郎の龍宮城の世界でしょうか。夢を見ているというような。 非常にバーチャルな世界だろうということです。それはリアルな現実ではありませんね。 そういうわけで、デジタル写真は黒白写真こそが本当のリアルな写真であろうかと思っています。 ※投稿写真は以前に上げたものかも知れませんが、新しい観光地にできた宿泊施設です。 屋根は今流行りのガルバニウム鋼板。壁は焼き杉板でしょうか。シンプルな美があって好まれそうな 外観となっています。最近では屋根のみならず外壁にもガルバニウムを使う例が出できています。 しかし問題がひとつはありそうです。磁波、つまり地磁気を減衰させることにより健康面への危惧が 懸念されます。軽量鉄骨家屋と同じく、一時の流行に終わりそうな気がしています。

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ソニーの一眼レフのAマウントのミラーレスカメラですが、本格ミラーレスのEマウントが出た現在では 時代のあだ花というカメラになってしまいました。そういうのは一時のハーフミラーを使ったデジイチタイプ もそうでした。 それはともかく、この画質はいかにもツァイス的な画質です。レンズはDT16-50は2.8というソニー純正 のレンズでしてツァイスマークは入っていません。 こういうエメラルドブルーの発色はツァイスの十八番なんでして、きっとレンズのコーティングがツァイス 的なんだろうということです。ミノルタのレンズだとイエローが強く出るんですけどね。 ツァイス的エメラルドブルーが良いのか、ミノルタ的な黄緑イエローが良いのかは好みの問題なのであっ て、要するにユーザーは自分の好きな感覚のレンズを選べはよいだけの話です。 レンズやイメージセンサーは光のマジックなのでしょうか。これを追い求めてユーザーはナントカ沼に 入り込んでしまうのですが、しかしどんなレンズでもそれなりの味わいがあるものでして、ひとつところに 思い込んでしまうのもいけない気がします。 思い込まない、思い詰めないというのが本当の写真や機材趣味なのであって、それは言い換えれば 総合力を高めるということでもあります。この世の中には頭の良い人は数多くいますね。自分に自信の ある方も。しかし広く何でも興味を持つという人は案外に少ないんです。そういう総合力としての偏差値 の高さこそが求められるのではないでしょうか。 この総合力とそれから来る統合性こそが、本当に人が生きる為の知恵であって、その為には物事を 忌憚なく良く見るという能力が求められます。そういう意味では如何にもアナログ的でして、その反対 が机上論としての高速デジタル思考とでもいうのでしょうか。 デジタル的に知能の高い人はいっぱいいますね。しかし現実からは離れている場合が多いです。 失敗は成功の元といいますが、成功は失敗の元というのは忘れられがちです。大きく成功した後には 失敗が口を開けているというか、現在のプーチンはその罠に嵌りました。いやプーチンではなくロシアが ですね。逆に失敗続きのウクライナが勝利を得ようとしています。

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『ミラーレスカメラのEVFファインダー』 私の場合、これを随分と避けて通ってきたのですが、流石に今の時代、これを無視するというわけには いきません。 話は変わりますがこちら、最近は望遠ズームレンズに傾向しているのですが、これは単直に言えば重い レンズを着けて自分の体力を着けたいというくらいの考えです。ミラーレスカメラに軽いレンズでは歩き にはなっても上半身が鍛えられません。 最近導入したレンズで4本ほど、全て高倍率望遠ズームです。シグマ50-500キヤノンニコン両用、EF35- 350、ニコン80-400とすべて大中古ですね。 加えて以下に話が出てくるレンズとして、タムロン200-500、シグマ50-500ノン手振れタイプ。後者は ネジが破損して使えなかったのですが幸いにして自分で直すことかでき前線に復活できたものです。 すべて1キロ以上2キロ未満のレンズでして、自分としては体力維持の為に使うべくレンズです。 最近は知り合いの中でもフィットネスクラブで汗を流す知人が多くなりました。田舎でも大流行なんです ね。月に1万円くらい払えば使い放題のジムですが、私の場合は写真をすることでこれに当てたいと 考えているのです。写真としては不遜な動機ですが、こういうのもアリかと考えています。 ミラーレスカメラは使いやすいカメラなのですが、如何せん、カメラが軽くて体力維持には相応しくないと いうところがあります。それでレンズ+カメラで3キロ余を目処に、例えばデジイチ+シグマ50-500ズーム が私の場合のリミットのスタンダードになっています。 しかしちょっと重いなあ、というのが実直な感想で、それよりも軽いズーム、例えばEF35-350とかニコン 80-400とかも併用しています。これだと3キロを切るので大分軽く感じます。ほんの数百グラムの差が ものを言う世界です。(笑)  シグマ50-500だとレンズ本体だけで2キロあります。手ぶれ補正なしのタイプだと100グラム軽いだけと いう具合で、(しかしレンズが細いので使いやすい)、この2キロレンズに1キロ余のカメラを着ければ確実 に3キロオーバーになるんですね。それで撮影に際しあまり長くは歩けません。これは私の場合の上限 になります。本当はもっと重い3キロのレンズを使えたらなあって願うも、ちょっと無理ですね。 実はどうしても使いたいレンズがあって、古いタイプのタムロン200-500です。安物のコンパクトなズーム レンズ、しかし手振れ補正はなし。200ミリだとよい描写をしますが、やはり400ミリくらいまでは使ってみた いというところ。しかしミリ数を上げると描写はとたんに悪くなります。それでF9くらいまで絞って使うと、 こんどは手振れが出てきます。 にっちもさっちもいかなくなり、それじゃカメラボディに手ぶれ補正があるカメラしかないということで、私の 所持カメラで使えるソニー・アルファ7RⅡの出番となりました。私が使っているアルファ7シリーズでは唯一 ボディ内補正があるカメラです。シグマ製アダプターを介しAFも手振れ補正も効きました。 そして当然ながら望遠レンズですので、ミラーレスカメラのEVFを使うことになります。 性能の低いタムロン200-500なんぞ使わなくてもいいようにものですが、やはり私の矜持として、どんな 機材もそれなりに使ってみたいという拘りがあるんですね。取りこぼしはしないという考え方です。 しかしタムロン200-500にも良いところはあって、それは完全な直進ズームができること。 シグマ50-500、ニコン80-400も直進ズームができますが完全ではありません。当然EF35-350はOKです けど。ダメなやつにも少しは良いところがある。機材も人間と同じで、優等生もいればそうでないのもある わけです。 EF35-350は優等生タイプですが、手振れ補正がないところがマイナス点。それと目立ちすぎて困るという のもあります。白黒パンダ塗装なので人出が多いところでは使いたくないレンズです。なんでこんな無粋 な塗装にしたのか理解しかねます。 ニコン80-400は画質は良いのですが、今どき有り得ないカプラー方式のAFです。まず遅いしAFが作動す るとボディから電磁波がでます。ズームリングが重いといった欠点も。(これは長所にもなりますが) シグマ50-500は優等生ですね。重たくて持ちにくいということ以外は全てに合格です。超音波モーターAF ですし手振れ補正もあるし、ズームリングも使いやすいです。ミリ数が標準から使えるのも良いです。 そしてダメだなっていうレンズがタムロン200-600ですか。長所は軽くてコンパクトなところと、レンズが細 いので持ちやすい。また完全な直進ズームができること。欠点は画質が悪く、AFが遅く、手振れ補正もな く低ミリ数側が高すぎること。200からなので完全な望遠レンズになりレンズ交換が頻繁になります。 しかしまあ、ソニーのカメラで何とか使えるかなっていう具合になりそうですね。(^^ゞ  このタムロン200-500をソニーに着けるわけですが、望遠レンズを使いやすいようにアルファ7RⅡには 当然にバッテリーグリップ装備で且つL字の自作グリップを追加。それでもデジイチよりはうんと軽いです。 レンズはフレアを防ぐ為に2重のフードを着けます。それでも軽いです。三脚グリップは外せますがバラン スの為に装着したまま。私が使っている望遠ズームカメラの中ではダントツに軽いカメラとなりました。 つまりミラーレスカメラというのは、圧倒的にカメラ機材を軽く出来るというメリットが大きいんですね。 そしてなんといってもミラーレスですから、電子シッャターでカメラを使えること。これが最大の利点。 軽いカメラは何だかなーで、それで重たいカメラを使いたいという話から始まって、最後は軽いカメラは 使いやすいよねっていう変な落ちになりましたが(笑)、まあ色んなカメラを使うのは有意義かなっていう ところかも知れません。 アルファ7RⅡには当然にキヤノンマウントのシグマ50-500もEF35-350も着き、手振れ補正で使えることに なります。 どりあえず禁断として封鎖していたEVF、これから徐々に解除していこうかなって思ってます。 そして最終的には電磁波を発生するデジイチはお蔵入りしなくてはなりません。 デジイチは光学ファインダーが持ち味で、そのクリアで自然な見え方が持ち味なんですが、こちらも加齢と ともに視力が落ち、さほどのメリットではなくなっていますね。最近はEVFと変わらんのではないかと思った りします。(^^ゞ  とはいえファインダーとして安全なのはデジイチです。しかしデジイチには漏洩電磁波問題がどこまでも 付いて回ります。用心して撮影しなければなりません。とにかくどんなカメラも用心をして使うということは 大事ですね。手放しで安全なカメラなどありません。 今の最大の望みはレンズ3キロ、ボディ込みで4キロのカメラが使えるようになることです。シグマ60-600 やシグマ120-300のようなサンニッパレンズが使えるレベルですね。4キロカメラを常時手にしながら数 時間の歩き撮影ができるようになるのは大きな目標ですが、そう簡単にはいかないでしょう。この1キロの 差は私にはものすごく大きいのです。富士山より高い気がしてます。 ばかばかしいような話になりましたけど、こういうカメラの使い方もあるのだということですか。(^^ゞ 

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香川の西部の柞田川(くにたがわ)上流にある豊稔池ダムです。満水貯水量150万トンなので ちょうど満濃池の1/10ですか。水は満水でした。このダムの下流にある井関池の水は空っぽ でしたけどね。 柞田川水系にはもうひとつ五郷ダムというのが並列していてそちらは250万トン。さらに粟井ダム というのも別支流にあり、590万トン。小さな川に3つものダムがあって無駄に水は流さないという ことらしいです。(^^ゞ  香川のダムで最大なのが最近できた樺川ダム。満水1050万トンですので、それでも満濃池の 1500万トンには敵いません。香川用水調整池(香川用水専用)の宝山湖が300万トンなので池と しては大きいですね。というか満濃池を除いて最大です。しかしこれは池というか最新アースフィル 式ダムというべきか。旧来の溜池だと、だいたい100万トンクラスだと大きい池になります。 香川の多くの池は1600年代、江戸幕府が開かれて日本各地で新田開発が行われた時期に、三重 の津から貸し出された客臣の西嶋八兵衛によるものです。香川の溜池の父とも呼ばれています。 西嶋は藤堂高虎の臣下であり弟子ですね。藤堂高虎は江戸幕府の重鎮なので香川は良い人材 を宛がわれたことなります。 数多くのダムや溜池がある香川ですが、その生命線は高知県にある早明浦ダムに寄っています。 こちらの満水貯水量は3億1千6百万トン。樺川ダムの30倍です。(^^ゞ なお貯水量日本一は岐阜県 の徳山ダムでして6億6千トン。早明浦ダムは8位ですね。 ちなみに長江の三峡ダムは390億トンです。桁が違いますね。琵琶湖が270億トンですのでそういう レベルですから。(^^ゞ  日本には資源として水しかないわけなので、水の豊富な県が裕福な県です。香川はたぶん沖縄と 並んで水貧乏県なので、貧乏人同士気が合うのか、香川には沖縄県人が多くいます。(笑) 私などはダムや溜池が満水しているとそれを見るだけで幸せになれるという人間ですね。とはいえ、 耽々と水をたたえたダム湖などは恐怖心が湧いてきます。水はやはり怖くてそして強力です。 エネルギーのなかで水力発電が一番に高効率といいます。そりゃあそうでしょう。電気を作るときに 廃熱がないですから。火力発電も原子力発電も膨大な廃熱をだしていますからね。水力発電は水の 位置エネルギーのほぼそのまんま電力に変えることができます。 水というものに魅せられて随分と経ちますが水は魅力的です。溜池やダム湖、そして水田に河川に。 そして近年は石にも行き、もっと最近は神社の森に魅せられています。水とか石とか大木とか、こう いうのはすべて自然なものです。そういう第一次自然の資源を人間は最初に利用して文明を築きま した。いくら文明が高度になってもやはりそれらは最重要です。 写真趣味は自分が何の関心を持つのか、それに関わってきます。自分の好きな対象をふかく考える ことが大事だと思っています。

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火星が牡牛座に入り、天王星と同座するようになってから急遽、世界が動き出しました。英国の ジョンソン首相が退陣に追い込まれるようになりました。そして日本の安倍元総理が襲撃により死去 しました。それで岸田内閣は不安定化すると思います。 この急変な星の相が最大になるのが結末から来月始めにかけてです。それはもしかすればウクライナ における核使用の可能性もあるのではと考えたこともありましたが、こうなると可能性が高いのは プーチン暗殺とか失脚ですかね。とにかく世界を震撼させる出来事が起きると思われます。 それにしても安倍総理が襲われ死亡するとは思いもよりませんでした。幸いにも襲撃者の放った銃弾 は安倍さん以外に巻き添え被害をもたらすことがなく不幸中の幸いとも言うべきものでした。 銃弾は2発発射されて最初のものは外れて流れ弾となったはずです。動画で見ると一発めの直後、 安倍さんは後ろを振り向いていますね。と同時に2発めが発射されて倒れました。ほぼ即時だった ようです。 どんな政治家にも功罰というものがあり、海外のメディアでも安倍氏の外交や経済政策の成果と共に、 国民を分断させたということが言われております。ここ数年というか、2000年以降の無差別大量殺傷 事件で特に目立つのは、不安定な職種で所得の低い大勢の方が苦しんでいてその挙句、加害者と なったという現実です。 これを放置してしまった政治の責任というものがあるようにも思えます。まずなによりも日本ファースト ではなかったのか、という疑問がでてきますよね。野党も何をしていたのだと言いたくもなりますし。 海外で金をばら撒いてええカッコするのが政治じゃないてすし、憲法々々とか言って国民の生活を捨て 置いたのもそうです。憲法なんて糞食らえではないですか。あんなのは文化財に指定すれば聖徳太子 の17条の憲法と変らなくなります。それよりも困苦民には今月の給料の額が大切なんです。 とにかく苦労なしのええとこのボンボンが政治をするのは限界があるように思います。

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秋葉原通り魔事件 2008年6月8日 相模原障害者施設殺傷事件 2016年7月26日 京都アニメ放火殺人事件 2019年7月18日 北新地ビル放火殺人事件 2021年12月17日 こういう無差別大量殺人事件が過去にもあるわけですが犯人はいずれも未来を見出せない底辺の人達 の、しかも方向性の無い犯罪でした。今回の襲撃事件もそのようになる可能性がありましたね。爆弾を 使わず手製銃に変えたことで、しかも相当に練ったことで被害を最低限にすることができました。 奈良県警が叩かれておりますが、むしろ何もしなかったことで暴発や射撃ミスを防げたと思います。 民主主義には選挙というものがあり、候補者は地方にも有権者の近くに寄って参ります。握手も出来る しツーショット写真も撮らせてくれる。リモート選挙では勝てないわけですね。そこが民主主義のよいところ で襲撃者はそれを利用しました。為政者が東京の奥の院に閉じこもり、テレビでリモートで選挙活動する だけだと、それはプーチンの皇帝政治やバイデンのイカサマ選挙と変らなくなります。 今回の事件は日本が民主主義の国だからこそ起きた事件であって、ロシアや中国では考えられないです ね。 とにかく虐げられていた底辺の国民がその方向性を始めて見出したということで、今回の事件は少し注目 に値すると思っています。弱者が弱者同士を殺しあって為政者には安心安全な時代から、ちょっと変って 来たなというわけです。これから政治家を志すには命を懸けてやる必要があるというわけですね。 ウクライナの国民が命をかけて戦うのを全世界の人々が見ています。そういう影響が日本にも及んで来 たのかもしれません。

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今回の投稿写真は少しコントラストを強めてみました。だふんソニーらしい写真になったかと思います。 写真は歩きだと申しますか、私はそれを常々強調していますね。歩きの効果は健康維持だけでなく、 頭の働きにも大いに関係がありますね。脳卒中になる人、ボケが進む人、物忘れが激しい人などは、 共通して言えるのは、日頃の歩きが乏しいということです。 歩きには健康維持だけだと週に3回ほど30分ほどの歩きで十分なのですが、頭の脳の活動を維持しよう とすれは週に1回は数時間の歩きがないと保てないように感じています。そして何度かのうち1回は歩き で限界まで行かないとだめなようにも感じます。 私も最近はそこまでの歩きが出来ていないので脳の働きが少しばかり落ちてきたなって感じるところが あります。(笑) これは年齢には関係なくて、月に1回くらいは歩きの限界までいくということが大事です。 最近は平地ばかりの歩行で山歩きができていません。やはり山歩きは本当に大切なんだなっていうこと が良くわかるようになりました。 写真歩きは犬の散歩とは違います。いつもと同じ道ではなく、初めての道でありそして場合によっては 険しく全身を使っての歩きとなります。そして高度差の移動を伴います。平地の歩きではこれが叶いま せんね。さらに無心になって歩きに専念することが大事でそれで限界まで行くことが求められます。 歩き撮影をするには、写真は記録写真程度に留めておくというのがあります。歩きが主目的であり、 撮影は付属物だからです。 ともあれ、最近は時間がとれず、歩きが疎かになっているのが残念です。

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ひろちゃん農園は高知の人ですね。土佐弁がかなり織り込まれています。高知市か南国市の方の ようです。四国は讃岐、阿波、土佐、伊予と四国ですけど、言葉はほぼ同じです。香川と徳島は 殆ど同じで、やや違うのが高知と愛媛ですかね。まっ、そちらからすれば皆同じに聞こえると思い ます。(^^ゞ そうそう岡山とか広島なんかも四国弁とさほど変りません。 動画は学ぶにはほんとに参考になります。私も車とか電気なんかはユーチューブ聴講生ですから。 畑仕事は面白いですよね。大工仕事も面白い。お米以外は自給自足を目指すってのもよいかも。 鶏なんかを飼ってもいいかな。でも動物を飼うと家を空けるときに困りますか。ペットと同レベルと 言えばそうなんですが。 就寝時に頭部を東方向に持っていくというのは物理学の範疇になります。人の健康には医学薬学 栄養学運動学とかいろいろとアプローチができますが、その根本の原理が物理学です。 つまりは地磁気という電磁気現象を利用するんですね。地磁気は偏差というのがあって日本では だいたい8度前後で磁気の極北は西に振ってます。コンパスを利用するのが一番でして、それを 見て、磁気的真東方向に寝るのがベスト、次が西方向、南北方向はマイナスとなりますか。南東だと ベクトル的にプラスにもならないけどマイナスにもならないというところでしょうか。(^^ゞ  家屋の鉄骨なんかが邪魔するケースも多いんですが木造家屋だと問題はないです。 もうひとつ、人の運勢を解析するには占星術(言わば人文天文学です)を利用します。これは人が 生まれた時の生年月日+時刻で正確にチャートを出して先天運や後天運を計算するやり方です。 実はこれと東枕法は密接に結びついているんですね。ですから東枕が良いからと言って簡単にできる ものではないんです。背後にその時の運というのが必要になるんです。時期が来れば自ずと東になっ たり南北になったりするのが人生における占星術的なアプローチということになります。 それから人生というのは楽あれば苦もあるのが人生なのでして、南北枕の苦しい時があればこそ、 人は自ら学んで実力を獲得でき精神性を高めるということになるわけです。そういう総合的な意味も 含んで東枕法というものを私は考えています。 今回のコロナとかウクライナなんかで、かなり占星術を使って考えてます。占星術は個人を占うこと もできるんですが、本当に面白いのは世界の動向や歴史なんかを見る占星地政学ですね。 こういう占星術というのは欧米では非常に盛んでして、庶民の間にも浸透しています。私は独学で 学びましたが、自分で言うのもなんですが欧米の研究家に負けないと考えています。 東枕法はその人文天文学から平易に実用として実行できるということで一部抜き出したものです。 今は東にやれなくとも是非とも覚えておいてください。いつかは思い出して役に立つことでできると 信じます。 今回のロシア、プーチンによるウクライナに全面侵攻は世界中の人達が驚いているようです。特に CIAの分析は興味深いですね。非常にいいところを突いていると思います。しかし占星術的に見れば ロシアの没落を促すためにプーチンは出現したとしか言いようがありません。そしてロシアやアラブ、 イスラムは21世紀には取り残される運命にあるんですね。 そして今何故、ウクライナかというと、現在はそういう星の回りになっているとしか説明のしようが ありません。というか、それこそが本当の原因なんですね。2000年に入ってから膨大な数の人々が 中近東の住みかを捨ててヨーロッパやアメリカなど世界各地に難民として移動しています。これからも ウクライナやロシアからの亡命難民がぞくぞく出てくるでしょう。 ウクライナやロシアの若い女性は美人ですね。日本にも大勢来て欲しいです。(^^ゞ  歩くこと、これは健康維持においては特別だと考えます。普通の労働作業では得られないものがあり ます。ただ身体に良いだけでなく脳に良いんですね。それで私は写真撮影ということにかこつけて 歩きを重視しています。とくに平坦地ではなく山道などが歩きに良いようです。きのこ狩りなどは最高 です。自分の考えがまとまらないとか、どうも至らないとか思うと、歩けば自然に答えがでできます。 月に一回でもいいから半日なり、まる一日を歩けば、身体と脳と運勢に良い結果がでると思ってます。 言わば、写真とは歩きの哲学だと思っています。

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300ミリf2.8、通称サンニッパは重すぎですのでフィールで使うのには苦しいですね。 私が所持しているものは古いものばかりで、マニュアルのタムロン製SPニコンマウント、AFのタムロン ミノルタアルファマウント、ニコンのMFと3本あります。一番軽いのがニコンですね。これまでに使った のは、頼まれ撮影とかでのイベント撮影だけです。イベント会場内だけの移動ですから使えたのです が野山の歩きで使おうとは思いません。 サンニッパもテレコンバーターを噛ませば1.4倍2倍で使えます。それよりかは、古いシグマの50-500 とか、タムロン200-500(AFとMFの2本あり)とかのズームレンズです。テレ端ではかなり絞らないと きちんと写らないので三脚に乗せて撮影できればと考えています。まあ、これは遊びですね。(笑) 200とか300とかの望遠だとごろごろありますので、それらのレンズがどこまで写るのか、それもちょっと 興味があるところです。 最近はもう新しい機材を購入することもなく、使っていない古いカメラやレンズなどを再び取りだして 使うようにしています。ちょっと機材を持ちすぎたきらいがあって管理ができかねる状態です。 そちらの山は熊さんが出てくる時期なんですね。(^^ゞ ハイクスキーだと移動がスピーディになるので ちょうど自転車に乗ったようなかんじでしょうか。文明の利器を使わない手はないですね。 2年続きのコロナで、こちらの仕事も大分苦しくなってます。特別融資して貰った借入金の元本返済が これからの負担となりますね。会社、持つのかな?(笑) まあ、引退してもいいくらいの年齢となって ますんで私はかまわないんですが、若い人のためにも可能な限り頑張らんといかんかなって思って ます。幸い身体や頭に衰えもあまり感じていないので、後10年やろうか、なんて老害を撒き散らすのも 何だかなっていうところ。(^^ゞ  とにかく健康と体力維持のためにも意識して撮影は続けて行きたいと考えてます。コロナで感ずる ところがあって、体重を6キロほど減量しました。今がちょうどいい感じですね。 だいぶ気候は暖かくなってきました。そちらの感覚では5月くらいの気温でしょうか。もうストーブも要ら なくて窓を開けてもいいくらいですね。 9rさん、就寝時の東枕、続けていますか?健康維持にはこれが一番大切です。最近はこういう物理学 と天文学で、人も世の中も全て解けるんじゃないかなって思うようになりました。(^^ゞ 

無題

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この神社は狛犬もありますが牛の像が多いんです。昔は農耕牛の売買の市場があったところなので 牛の石像となっているのでしょう。香川では有数の農耕地域です。 私の生家でも昔は農耕牛を1・2頭飼っていて、牛の餌の世話をするのが幼い私の役目だったりしました。 牛はほんとうに可愛いんですね。べろーんと舌で顔をよく舐められましたが。(^^ゞ  しばらくは時間がとれなくて撮影ができていません。しかしもう春ですね。早く撮影ができるようになりたい です。少し考えているのは望遠レンズを使ってみようかというものです。500ミリクラスの望遠で、大型三脚 に据えて撮影ができればよいかなって考えています。 三脚は数多くあり、加えて以前にレンズサポーターも入手していたので、それらを駆使して撮影できれば と考えています。レンズサポーターは自分で工夫をして様々な形態にてきるわけで、ボディ、レンズ三脚 座、レンズ先端と、基本的に3点の支持ができます。3点とも固めればブレは極めて少なくなりますね。 雲台は3ウェイ、自由雲台、ジンバル、ビデオ雲台と選べます。ギア雲台は所持していないのですが、 それもいつかは試したいですね。 使ってもいないのに大型三脚がコレクションされていて、なのに少し前にはジッツオの新品並みのアルミ 製大型三脚を格安で手にできました。こういう大型の重い三脚は全然人気がなくて超格安なんですね。 カーボン製は人気で高価ですが、やはり安定感ということでは大型金属製はだんぜん優れています。 しかし車がない人は使えませんし、車から撮影地まで移動するのも大変で、これも以前、手押し車を買い ましたので改造したいと考えてます。 望遠レンズと大型三脚での撮影は、被写体の方が動いて展開してくれる場合になります。古いレンズ ばかりなので高絞り撮影となりスローシャッターと為らざるを得ず、且つAFではなくMFレンズが多いので、 大型三脚とレンズサポーターは必須となりそうです。 一箇所に三脚を設置して次々と被写体が入れ替わり動いてくれるものとなりますと、航行する船舶、 飛行場、鉄道、幹線道路&高速道路での大型トラックの撮影などを見込んでいます。つまりはトラフィック の撮影となりますか。鉄道と飛行機を除いて普通はあまり注目されない被写体ですがモノの移動は産業 の基幹なのであって、そういう視点で撮影できればよいかなって考えています。 要するに大型三脚と望遠レンズを使いたいが為の言い訳方便に過ぎないわけですけどね。(笑) 三脚撮影は、それを設置する楽しみがあるみたいです。設置というよりも大型なので建設する喜びです かね。(^^ゞ 1基当たり確実に10キロになるだろうと思いますしそれを複数台設置するとなるとほぼ建築 みたいなことになります。三脚とカメラを組み立てて自分で愉悦にいるという図かもしれません。 最近は望遠レンズを使っての野鳥撮影が人気です。だいたいは手持ちでの撮影でしょうね。手振れ補正 のカメラやレンズが多くなったので、しかも高性能に、それで比較的容易く野鳥撮影ができるようになり ました。それは良いんですがやはり野鳥撮影はショット数が多くなり、それがネックになります。どうしても 電磁波を被ってしまうというか。電子シャッターであれば問題がないわけですけど。 やっぱり撮影はなんと言うか、手軽な装備のカメラで歩くことを主体にして撮影するのが一番です。 カメラ1台で気軽に歩けて撮影できるのが負担になりません。 写真として画像処理に力を入れていく、というのはやはりそういう場合は写真として長続きしませんね。 PCの前でも画像処理は面白いかもしれませんが、どうしても眼や脳を酷使してしまうので、長続きする 写真趣味とはなりえません。必ず限界がくるようです。 写真はやっぱり撮影をメインにして、しかも軽装備で気軽に出かけられ、長く歩けるのが写真としては 最も有利となります。私も小型のオリンパスなどのカメラ一台にレンズ2本くらいまでの軽装備での撮影 が主体となっています。このソニーの撮影もカメラ1台、それに着けたレンズ1本だけでの撮影でした。 後は替えのバッテリー1個、もしもの時のメディア1枚、ダミーのバッテリーグリップだけ。 あまり軽いカメラだと物足りないな、と感じれば大型のカメラにすればよいだけです。フルサイズのデジイ チとか。ミラーレスカメラは電子シャッターが使える有利さがありますが、やはりファインダーが物足りない というのがあります。背面モニターにしてもEVFにしても、撮影しているという感覚が持てないのが残念 ですね。 シグマのカメラは最近は使っていません。どうしてもPC処理が遅くななってしまって手軽に撮影すること ができないからです。PCを最新の高速なものにすれば良いのでしょうけどね。 そういえば最近もらったゲーミングノートPC、M.2SSDが抜かれていましたがそれを入れればかなり高速 で動くのかもしれません。いずれ試してみたいと思ってます。 とにかく写真は気軽に撮影に出かけて気を使わなくてすむものが最適ということでしょうか。画質などは 2の次3の次でよいわけです。 それにしても9rさんのZ7の画質は素晴らしいです。(^^ゞ カメラも小型で持ち出しやすいですしね。 Z7って4500万画素でしたっけ。高画素カメラでそれでこの画質なんですから参ってしまいます。(^^ゞ  まあ、レンズも良いわけですけど。やはりニコンの画質は良いですねー。ヌケの良さが際立っています。 高級ミラーレス専用レンズは凄いの一言です。 キヤノンもニコンも最新ミラーレスカメラと専用レンズの凄さは、過去の機材とは段違いとなってます。 もう次元が違っているという感じです。ただ繰りかえしますが残念なことに光学ファインダーが装備され ない。(笑) ここが最大のネック。画質も素晴らしく電子シャッターも使えて安全なのだけど、光学ファイン ダーで撮影時にレンズを通したリアル光景をみることができません。つくづく残念だなあって。(笑) しかし欠点はそこ1点だけなのでニコンZ系もイオスR系も素晴らしいカメラとなっています。

雑感

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コロナはほぼ終わった感じですが、ロシアの暴走で、やはり戦争が起きてしまいました。こちらは 直接には戦争の危機はないのですが、新たな冷戦構造が出てくることになり経済的な打撃は 大きいです。色んな意味で多分この10年で世界はガラッと変わるだろうと思いますね。 ただ私が思うに、世界が一極集中するよりもかつての冷戦時代のように双極体制の方が現実と して安定化するのではないかと考えるところがあります。今後、ロシアは中国と密接に繋がり、 ロシアは中国に資源や食糧を輸出し、工業製品は中国から貰うという関係になるわけです。 力関係としてはロシアはもう中国には敵わないでしょうね。今回のウクライナ侵攻でロシア軍の 弱体化が表に出できました。軍事力も経済力もロシアはもう絶対的に中国には敵わなくなって きたわけです。やはり経済力が落ちると軍事力が落ちるというのは原則ですからね。 ウクライナは小麦やトウモロコシなどの大産地であり世界でも随一の肥沃な地力を持った穀倉地帯 です。ヨーロッパの食料庫とも言われていましたか。この作物の作付けは今年はできるのかどうか。 そしてロシアも小麦の大産地であり輸出しています。経済制裁で西側に流れないと小麦価格は 高騰するのですが、中国が買ってくれれば助かりますね。 とにかく西側に流れていた食料やエネルギーを中国が買ってくれることが望ましいわけで、その分 世界市場での価格高騰を押さえ量的不足を補うことができます。 ロシアのガスやオイルなどのエネルギー資源を西側が得ることができないとなると、原発が復活 してます。そもそもCO2云々と世界が言い出したのは、この化石エネルギーの不安定さを解消し ようとしてのことでしたから、それはけっして地球温暖化が直接の問題ではなかったわけですね。 まあ話は元に戻るだけです。 再生可能エネルギーというのは勿論悪くはないわけですが安定したエネルギー供給としては限界 があります。日本の3.11後、世界は主要エネルギーを天然ガスに大きくシフトしたわけですが、 ここに来て、ロシアという不安定要素が全面的に出てきました。欧州は確実にエネルギーを原発 に振り向けると思います。そしてやがては数十年後には核融合発電になるわけですから(その 資源は海水です)、オイルやガスというのはエネルギーとしての役目を終えるわけでしょうかね。 工業製品としては依然として有用ですけど、アラブやロシアが威張れる時代は過ぎ去るというわけ です。 CO2のことを言わなければ石炭火力が復活してきます。石炭は余っているので供給には問題は ありません。褐炭からアンモニアを作りそれを直接燃やしたり水素を分離して火力発電することも 比較的容易にできそうです。 米国はロシアではなく中国との覇権を争い撃破する考えです。これから世界が2極体制となるわけ だとしても、やはりトップはアメリカが務めなければならないというわけです。 面白いことに歴史的には、ソ連を育てたのは当時の米国、そして現在の中国を育て上げたのも 米国なんです。ソ連にも共産中国にも、米国は初期に大きな投資や援助をしています。それを言え ば戦後の日本も米国の援助で戦後復興をしていますから。何を言いたいかというと、それほどに 米国の力というのは並みずれているということです。中国が経済的に大国となり軍事力を着けて 来たといっても、それは米国の大きな援助や投資があったればこそであり、そのことを当人の中国 は忘れています。欧米の資本が中国に眼を着けたのは膨大な安い労働力と消費者だけです。 それに魅力がなくなると米国資本は引き上げます。技術も与えられなくなり中国は衰退していきま すね。 米国の力が落ちているとかそういうことを言う識者は多いのですがそれは本質を見誤ります。 コンピューターは英語で動いていますし世界言語は英語ですし資本は米ドルですから。この構図は ちっとも変っていません。そして世界最大の軍事力はアメリカです。技術力科学力も人材も米国が ダントツであるわけです。 しかしながら中国はこれからも大いに発展していくと言えます。中国が自ら瓦解したりとかアメリカの 制裁で窮するというのは、一時的なものであって時代は中国の味方だと言えます。確かに現在の 共産党支配のあり方では行き詰るでしょうけど少しやり方を変えれば、今後も中国は大きく発展して 行き、さらに今後旧ソ連地域とロシアを支配下に置けば巨大な大国を維持していくことができます。 そういうポテンシャルを持っている中国と米国は覇権を争うわけですから、覇権の行方はそう簡単で はありません。 ただ確実に言えることは、やはり新しい技術を握るのはアメリカや西欧であるということです。ここの ところは変りません。時代をリードするのは西欧であるということ。GDPの規模では中国が勝るように なると思いますが政治軍事としての覇権はやはり米国に握られるといえそうです。 中国の地域が経済的に発展し続けるのは構わないが、それを資本的に政治的に主導していくのは (支配していくのは)けっして中国政府(共産党)ではなく米国であるという構図です。 日本はそのことを身にしみて分かっているので米国追従 ( これは聞こえが悪いのですが本来は同盟 関係ですよ)路線を外しません。アメリカと歩調を合わせていけば必ず勝ち馬に乗れますから。 今回のロシア侵攻で顕著に見えてきたのはドイツの復活です。軍事予算を大幅に上げることにしま したね。ウクライナに軍事援助もしました。経済は一流でも政治軍事には及び腰だったドイツが復活 したということだと思います。 この影響はだふん日本にも影響を与えるだろうと予測しています。第2次世界大戦以後、ドイツと日本 は小さくなっていましたらね。何かというとナチスだの悪辣な日本軍だのと持ち出されて縮こまって いるしかなかったのですが、それは今回の戦争から変ってくるということかもしれません。 いつまでも戦勝国5大国に大きな顔をされてはいけませんから。 アメリカの東は大西洋であり西ヨーロッパと同盟関係を結んでいます。NATOです。これは世界最大の 軍事同盟です。そしてアメリカの西は太平洋であり日本と軍事同盟を結んでいます。世界第2の軍事 同盟ですかね。東アジアには日本以外に強力な国が見当たらないので日米同盟で十分ということの ようですが英国連邦のオーストラリアもあります。 日本の立ち位置は西欧と同じであり、もし日本が中国・ロシア側になびけば米国は太平洋側が危険 になります。海というのはどんなに大きくても、全部取るか全部取られるかの2つしかないのであって もし日本や台湾やフィリッピンなどを中国に取られれば米国は窮するのです。これは地政学上のテーゼ です。 ですからアメリカは絶対に日本や台湾を見捨てることはありません。ですから日米軍事同盟は対等な 関係であって日本は米国から守られていますが同時に日本は米国を中ロから守ってもいるんですね。 まとめると、世界の海の半分以上、大西洋・太平洋は米欧日同盟で固めているということです。 そして対峙するのはユーラシア大陸であり中国大陸です。そしてどちらの側にも着き難いというのが ユーラシア大陸の海側の周辺部です。東南アジアとかインド半島、中近東、アフリカなどですね。 今回、今後の課題として出てきたのが核兵器です。これは新たな技術が出現して核ミサイルを一瞬に して破壊するような新兵器が出現するまでは悩まし続ける問題なのですが、たとえば強力なレーザー ビーム兵器などが出現すれば核の脅威はなくなります。これは核融合発電と同時に出現する可能性 がありますね。実現するのはそんなに遠い未来ではありません。 そういう新技術新兵器が出現すればロシアは文字通り完全に消滅します。 核兵器を作ったのはアメリカです。その技術をソ連に渡したのもアメリカ人です。そして核兵器を無効化 する技術を作り上げるのもアメリカでしょう。 中国という東アジアの発展地域を支配下に抱えた米国や西欧が、今後も世界をリードしていく。これが 今後数百年の、世界の描ける世界の歴史ではないかと考えています。言わばパックスロマーナ、パッ クスアメリカーナ(パックスアトランテック)というわけです。世界が平和で栄えるにはこれはかないのでは ないかと私は考えますね。 ジンギスカンのモンゴルが一時的にユーラシアを制覇しましたがそれは百年くらいしか持ちませんでし た。それでは世界の平和は保たれません。やはりローマ式でないと長い平和と繁栄は続かないようで すね。そういうことではソ連も共産中国も百年くらいしか寿命がないわけでして一時的な制覇で終わる わけです。 アメリカが世界の警察官を辞めるって言ってますがそれは米国一国で世界を支配することではなくて 西欧や日本、そして全世界の同意のもとの同盟関係の構築でやっていくというらいの意味だと思って います。ソ連やロシア、そして共産中国が長続きしないのは独裁一国覇権主義で行くからですね。 つまり専制主義権威主義独裁主義というのは長続きしない政体だというわけです。やはり自由と民主主 義に勝る政体はありません。そこが世界の覇権を握らなければ戦争と残虐は絶えないというわけです。 東日本大震災が起きてから11年が経ちました。新聞で見ると被害を受けた跡地に広大な農業法人の 設立が相次いでいるようです。1社で200ヘクタールの規模があるものも。これは日本最大規模クラス です。時間は掛かりますが確実に新しい動きが出てきています。その主体は若い人達ですね。 これからは南海トラフ大震災が来るわけですけど被害を最小限にする努力が求められています。 自然現象なので止めることはできませんが可能な限り防災を充実して被害を少なくしていくしか方法は ないのですが、その後は同様に新しい建設がまっているというわけです。ここらは前向きに捉えていきた いと思ってます。

雑感

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プーチン パーキンソン病&認知症 https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202203100000323.html https://news.yahoo.co.jp/articles/34f6aa427e68ed8540fe2b80e4f078852fc552ab 週刊現代』2022年3月12・19日号より https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93148 出てきましたね。これだと思います。 私の占星術でも、プーチンのホロスコープには特徴的なものがあって、アセンダント①室に火星が 乗っていて、それは何らかの脳の疾患が出るというものでした。ここに火星などの凶星があると 脳溢血脳梗塞や認知症などが出で来るんです。また牡羊座の人も場合によってはそうなります。 うつ病とかの精神疾患なども。パーキンソンなども典型的な脳の病気であるわけですね。 それともうひとつ、プーチンは早熟です。射手座が強くて早くから成功をするわけですが、それが 晩年期には逆作用となって加齢とともに劣ろえが激しくなるということです。 とにかくプーチンを引きずり降ろさなければロシアは、勿論被害者のウクライナもそうですが大変 なことになり、ロシアは終わってしまいます。今回の事件で際立っているのがドイツの軍事的復活 ですね。プーチンはドイツを政治軍事的に目覚めさせてしまいました。EU ヨーロッパが強国になる という路線を引いてしまったという感じです。 もうひとつはクズと化したロシアを中国が支配していくという新たな道筋も見えてきました。これは 12世紀のモンゴル帝国の復活みたいなものでしょう。当時も風象の時代であり現在と同じです。 プーチンのホロスコープをみると、こんな程度の人間がロシアのトップに立てるのが不思議なほど なのですが、見方を変えればロシアの消滅を導くために時代はプーチンを登場させたのかも知れ ません。 国のトップがこの程度なのかというのはトランプもそうですし習近平も同じです。能力的には平凡な 人物が、ただ野心だけが際立ってあってトップに立てる時代というのは、この時代そのものが末期的 だということになります。 本当の問題は、病的に暴走したプーチンのロシア政府を国家としてそしてロシア国民が正せないと いう悲劇です。その弱点がロシアの本当の問題なのであって、それによってロシアは正に終わって しまうということになるのかもしれません。 日本ではこのような独裁者は出現しないわけですが、ぬるま湯に浸かった国民をぬるま湯のままに 終わらせようとするトップしか出てきません。悲劇ではなく喜劇ですかね。とは言っても岸田さんは 安部よりは随分とマシですか。 それにしても脳の疾患は非常に恐ろしくて、当人も気がつかないという問題を抱えていますね。 私がカメラや写真の電磁波なりDVT症候群を口すっぱく言うのも、この問題と深く関わりがあるから です。脳と心臓だけは再生が利きません。衰えればそれまでなんです。

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https://cweb.canon.jp/personal/ichikaralab/wakamonostudy/report1/ キヤノン ワカモノスタディ・リポート プロジェクト.2020ワークショップ.1 2020.10.12 『若者の「ビジュアルライフ」、写真に求めるものとは?』 --若者といえば撮った写真をアプリで盛って、映える写真が大好き! 映える写真はSNSに投稿して  みんなで共有! そんなイメージをお持ちではないでしょうか? 第1回ワークショップでは若者の写真 に対する意識、写真を盛ることや 映える写真についてどう思って いるかをレポートしました。-- --事前課題:①写真フォルダを振り返り、あなたが好きな「自分で撮影したビジュアル」を選ぶ  ②写真フォルダを振り返り、あなたが好きな「自分以外が撮影したビジュアル」を選ぶ  ③ビジュアルにまつわる、若者ならではの特徴的な行動をあげる ・・・・今の若者は写真をこんな風に捉えている・・・・ ●開催日:2020年10月12日 テーマ:若者の「ビジュアルライフ」写真に求めるものとは? ●課題:  ①写真フォルダを振り返り、あなたが好きな「自分で撮影したビジュアル」を選ぶ  ②写真フォルダを振り返り、あなたが好きな「自分以外が撮影したビジュアル」を選ぶ  ③ビジュアルにまつわる、若者ならではの特徴的な行動をあげる形式 ●形式:個別発表とグループディスカッション ●開催場所:オンライン(ZOOM) ●調査対象:大学生10名 《《ありのまま・自然体がいい》》  SNSで映えるために写真を撮るのではなく、ありのまま・自然体の写真を残したいという意識に変化。  自己肯定のために映える写真をSNSにアップすることはあるものの、写真を撮る=映える写真を撮る  ことではなく、写真を撮る=自然体でいいという意識に。 『映えにはごわらない』  映えているところを見せるために写真を盛ってSNSにアップしても、リアルとかけ離れているなら意味が ないと思うし、映える写真を撮らなきゃというプレッシャーに疲れてきた。 『らしさが見える写真が好き』  誰が撮っても同じキメ顔より、その人らしさがでていたり、関係性があるからこそ撮れる自然体の写真  に価値があると思う。 『加工することで気持ちに嘘をついている感覚に違和感』  盛ることは自分の気持ちを加工するようにも感じ、他人に見栄を張る気持ちになる。 《《情報やその時の感情を記録するため》》  SNSにアップするために写真を撮るのではなく、その時の情報や感情を記録するために写真を撮ると いう意識へ変わってきている。その時を記録し、あとで見返すことで、当時の瞬間を思い出して元気に なることも。たくさんの写真を撮ってきた若者たちだからこそ、見返せることに写真の価値を感じている。 『写真は思い出の情報量が大事』  ビジュアルとしての美しさや映え以上に、思い出や感情をどれだけ呼び起こしてくれるかが大事。 『言葉にできない感情を残す日記の感覚』  写真に残すことで、その時の感情も一緒に保存することができる。   『自分を癒すため、認めるための写真』  誰かのためではなく、自分で振り返った時に“自分を癒し”たり、“自分を認める”ために写真を撮る  ようになった。 《《コミュニケーション手段として》》  自分の写真を誰かに撮ってもらう時、自分の表情が自然体だったり、素の笑顔だとその人が自分の ことをわかってくれている感覚や、大切にされている関係性を再認識できる。 友達と写真を共有することにより、思い出を共有するだけでなく、仲間意識も強まっている。 『写真にはやわらかな共有力がある』  SNSの発達で言葉の衝突に敏感な世代だからこそ、言葉だけでは表現が難しいことも、写真と一緒  だと柔らかなニュアンスで伝えられると感じる。 『写真を撮るから仲がいいわけではない』  写真を撮り合うから仲がいいわけではなく、内容が大事。写真の枚数と仲のよさも比例しない。仲が  よくていつでも会えるからこそ、わざわざ写真を撮らないが、後悔することも。 『写真を撮られることで居場所の再認識』  写真を撮られることで、自分が大切にされているという実感を得ることができる。  SNSの普及により、一時期は「映え」を意識した写真を撮っていた若者も年々意識が変化しています。 更にコロナを経験したことで自分自身と向き合う時間が増え、原点回帰し「自然体」の写真を撮るように なってきています。 これは、個性的な芸能人の発信が広がったことで、ありのままでリアルなスタンスを受け入れやすくなった からかもしれません。 作らず、飾らないありのままの自分を受け入れてくれる親しい人と、その一瞬の感情や思い出を共有する ことで、より深いコミュニケーションを築いているように感じます。 ・・・以上、ちょっと書き写しましたが、なかなかのもんです。調査対象はオンラインで大学生10名のディス カッションとのことなので、若者のレベルとしては決して普通ではなく、かなり高いですね。 それで出て来た結論は、私の若い時分と同じであって何も変りませんでした。つまりこういう写真に対する 考え方は、時代を超越した写真原論なのだろうということです。それを今の若い人も的確に捉えていて、 流石だなと思いました。 ただ飽くまでも断っておきたいのですが、これは現在の若い世代のスタンダードではありません。突出し て優れた一部の若者の考えなのであって、今の多くの若い人達の考えを代弁しているというわけでは ないということです。依然として多くの若者の写真に対する考え方は、綺麗で見栄えの良い写真である わけですね。現在ではそれをAIが補佐していくというやり方にやっていきつつあります。 ところで・・・ 右脳左脳と言いますか、思考には画像のビジュアルな思考と、言葉の思考と、この2つがあるんじゃない かなって考えてます。画像思考は感情とか感性とかに言い換えればよいかもしれませんが、とにかく 思考というのは、何も言葉、ラングレッジだけじゃないということです。 ところが普通は言語だけの思考となってしまうわけですね。ビジュアルに対しては、感じるという前言語 段階で終わってしまうところがあります。しかしながら記憶ということを考える時、言葉だけでなく映像とし ての記憶が多いのじゃないですか。 それで右脳がよく発達した人は、この映像や画像の思考力が非常に高いのではないかと私は感じて いるんですね。右脳も優れた人というのは、両利きの人に多いように思います。スポーツを本格的にやら れている人がそうですかね。それと左利きで生まれて両利きに直した人。 つまり左脳の思考にプラスして右脳思考ができる人というのは考え方が固定していないという気がして ます。自由な思考が出来て、単脳思考の人より脳の衰えが少ないということも。 そう考えると両脳思考ができる人は脳力もあるし脳寿命も長いということになります。シングルとダブル の違いって大きいですよね。2倍とは言いませんが1.5倍くらいの差があるんじゃないでしょうか。 とは言いながら、初期発達としては左脳だけの人が勝ります。言語を制しているのが左脳なので有利 なんですね。両利きの人は人生後半から威力が出てくるという感じです。 両脳思考が身についている人からすれば単脳思考の人は単純思考しか出来ない人に映るんではない ですかね。とにかく最終的には両方の脳でパラレルに考えられる人というのはポテンシャルが非常に 大きいという気がしてます。 話をパソコンに例えますと、シングルCPUよりもデュアルCPU、今はマルチコアと言いますが、CPUが 1個よりも2個のほうが優れています。もっとも現在ではCPUとGPUというのが的確かもしれません。 そういうのはHDDやSSDも複数の方が高性能なのです。PCだって1台よりも2台を駆使するほうが有利 でしょう、それと同じ。そういう具合にタスクを分散処理するのは性能が高くなりますしそれだけでなく 寿命も長くなります。カメラも1台ではなく2台、そんなところですかね。 それで写真のような画像や映像というものに親しんでいますと、それが若い時であれば容易く両脳を 鍛えることができるんじゃないですかね。その能力は直ぐには役に立たないかもしれませんが長い人生 では特に後半期で生きてくるという気がします。右脳が発達すれば画像や映像の長期記憶が膨大に溜 まってきて、それで人生経験を積めば積むほど有意に働くからです。 それからたとえ歳をとっても右脳を鍛えることで、要するに左手や左足を意識して使うことで右脳は活性 化するんじゃないかと感じます。そうして右脳を鍛えることで、写真に対する見方も随分と変ってくるん じゃなかなって思います。 強い記憶があるんですが、40歳代まで写真をやったことがない人が始めて本格カメラを持って(コンタック スGシリーズだったか)、撮った写真に驚いたことがあるんです。スナップ撮影でしたが素人とは思えな かったですからね。それでその人は伝統太鼓を若い頃から本格的にやっている人だったんです。 太鼓というのは完全に両利きでないと打てません。 右脳というのは言語に頼らない思考ができるそうです。つまりは直観力ですかね。上手く説明はできない けど、これはこうこうだ、というわけです。いきなり確信のある結論からでるわけです。それを他者に伝え ようとすれば人間社会では言葉に翻訳しなければならないわけですけど、自分だけでよければそのまま でも良いわけです。つまり顕教か密教かという具合でしょう。 言葉を使わない思考ってあるの?と思うかも知れませんが、動物はみな人間以外は言葉を喋れません が意識や思考力はあります。植物だって思考しているといいますから、言葉の思考というのは狭い範囲 のものだといえそうです。昆虫や植物の擬態なんて意思や思考力がなければ出来ませんよね。 そんなわけで上記のキヤノンのサイトは興味深いものでした。本当は両脳ともフレキシブルで活性化して いる若い時期に写真を意識するのが早道ですけど、成人になってからでも高齢者になってからでも決して 遅くはないという気がします。それには両脳を鍛える、利き手利き足以外の手足を意識し盛んに使うこと で得られるかもしれません。というわけで私もこれから左の手足を意識して使ってみようと思いました。 そういえば考えてみると、車のマニュアルミッションは左手&左足を使いますよね。私はオートマとミッショ ンの2つの車に乗っていますが、これは考えてみれば脳の為にはマニュアルミッションの車が良いわけで す。ペダルの踏み間違いで事故を起こすのはオートマだけです。 それで私はオートマ車に乗る場合は停止時には必ず左手でニュートラルにしています。そしてサイドブ レーキを掛け、右足は休ませる。これはいざという時には安全です。ブレーキのつもりでアクセルを踏んで も空ぶかしで済むからですね。 それをいえばカメラもAFではなくマニュアルで、左手でピントや絞りを操作すべきではありませんか。 とは言っても現在のAFカメラのフォーカシングスクリーンは手動ピント合わせにはできていません。昔の スプリット式スクリーンが好かったですね。

雑感①

雑感①

① 『URASHIMA VILLAGE』ウラシマビレッジ https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000068298.html https://www.facebook.com/URASHIMAVILLAGE/ ウッドデザイン賞2021で最優秀賞を受賞 https://www.city.mitoyo.lg.jp/hotnews_old/reiwa3/202112hot/9249.html 今年初めての撮影となりました。もう少し撮影は休止するつもりですが、気になる物件があったので 撮影に行きました。ウラシマビレッジ、三豊市にある新築の宿泊施設ですね。 この三豊市は観光産業に力を入れていて、その成果は十分に結実しているようです。こと観光業に 関しては香川県随一の優良自治体と言えるかもしれません。 こういう観光業はお祭り騒ぎとなってしまい、果たして儲かっているのかどうかの検証が疎かになる ことが多いのですが、三豊市に関しては合格しているようです。日本のウユニ湖の父母が浜、天空の 鳥居の高屋神社があり、インスタグラムなどのウェブ発信が主で、さほどお金を掛けずに若い人達に 有名になったところがあります。他に古くからの観光地である燧灘の有明浜や、荘内半島の紫雲山 もありますね。 しかしただ観光客が来てもらうだけでは地元に金が落ちません。宿泊設備を作って産業として成り立 たせないと意味がないわけです。それで官民地元を上げて宿泊設備に取り組んでいるところです。 この場所は昔から知る人は知っているという風光明媚な撮影場所であって、それは父母が浜も高屋神社 も同じですが、それらと違って場所が狭いので多くの人達に来てもらうというわけにはいきません。 この場所で撮影していると、地元の方が自分の写真のプリントを持って、盛んに宣伝してくるんですね。 自称ボランティア宣伝マンを買って出ている方なのですが、このウラシマビレッジを県外資本が作ったと 言っていて、こういう間違った宣伝は困ったものですね。(^^ゞ これは上にあるとおり、地元資本です。 地元の資本でなければ、こういう観光的に優良な土地を占拠してもらっては困りますからね。 考えてみますと高度成長時代の香川の海浜は、埋め立てによって製造業の工場で占拠されてしまった わけですし、そして現在では観光産業によって、僅かに残った景勝地も開発されようとしているわけです。 こういう資本の論理というものがありますから、海浜の観光資源は、よそ者に食い荒らされては困るわけ です。製造業は資本と技術力がモノを言いますから県外資本でなければできなかったのですが、観光産 業は第3次サービス産業ですから、工夫をしで地元の人達でやらなければなりません。 しかしまあ、この自称ボランティアガイドのオジサンはとっても元気でした。(^^ゞ お使いのカメラはソニー の廉価機であり、十分に活躍しているようです。 この場所には、夕日の撮影に来られていたハイアマチュアグループの方が4人おられて、まだ日も高いと いうのに準備をしていました。少し若い人1人と高齢者の方が3人。香川の方たちです。ただ三脚の前で ボーっとしているだけ。時間の無駄という気がするのですがご当人達は満足げ。使っているカメラはニコ ンやキヤノンの最新フルサイズ高級機。レンズも高級レンズで三脚や雲台も一流のものです。 無理やり話しかけて聞き出そうとしましたが、まあ実際、彼らも写真には飽きてきていて半ば惰性でやっ ているという感じでしたね。機材だけは一流であり意欲は三流というところですか。先ほどのボランティア のオジサンとは大違い。結局、大げさな機材を揃えると、自分の写真を見失うというのは、どうやら法則の ようなものになりましたかね。(^^ゞ  写真というのはやはり機材負けするところがあり、むろん例外はあるものの大概の人は高級機を手にす ると撮影意欲が大きく減退するようです。と言うか本当は、写真だけのために写真を撮っていては限界 があるということかもしれません。

雑感②

雑感②

② 面白いなあと感じたのは望遠三脚を並べた4人の中でひとりだけ、野鳥も撮る言う人がいました。その方 のカメラはニコンZ9です。今回、一番アクティブに感じた人でしたね。 なるほど、野鳥撮影はよっぽど面白いのかと思いました。普通の撮影では簡単に撮れすぎてしまって 写真が面白くなくなる。しかし鳥はそう容易くは撮らせてくれませんからね。殆どの撮影はもう鉱脈が尽き てしまっているのですが、そうではないジャンルもまだあるということで、野鳥撮影はこれからもブームが 続くと思いました。 Z9はミラーレスの電子シャッターオンリーの最新カメラです。それで電磁波被爆というのがありません。 シャッター数が多くなりがちな野鳥撮影には最適なカメラだろうと思います。 電磁波漏洩のないカメラですが、大きな欠点もあります。EVFは、撮れたっ、という感覚が得難いカメラだ ということです。それでショット数はさらに膨大になります。加えて撮った画像をPCモニターで見なければ 最終的には、写真としてゲットしたかどうかが分からないという点です。それで長時間のモニター作業と なり、今度はDVT症候群に悩まされる結果となるのです。 そういう感覚はビデオ撮影と良く似ています。もはや写真というよりも動画趣味に近い感覚ですね。 カメラはこれから出る製品はミラーレスばかりになるはずです。デジイチとして残るのは普及用のクラス だけで高級機は全てミラーレス機になる予定です。 それで写真撮影としては、自信のない撮影となり、これは写真の根幹を揺るがすくらいの事態となるはず です。 電磁波被爆を選ぶのか、DVT症候群を選ぶのか。これは究極の選択となるわけですが、これからの写真 趣味はそういう選択をしなければならないでしょう。

雑感③

雑感③

③ 「マユリ~ナの暇つぶし 香川と九州 食べ歩き」 http://kure1129.livedoor.blog/archives/25312139.html さぬき市にある大川オアシスという大型のドライブインです。60年前の昭和の時代に作られたということ で、そのノスタルジックな雰囲気が若い人達にSNSなどで話題となり今脚光を浴びているようです。 この、若い人達が時代の人気を牽引するというのは今も昔も変りません。現在は昔と違い個人発信が てきるのが以前と違うところですね。 どんなものかな?って行って来たわけでずか、印象に残ったのは全館ピカピカに磨き上げていることでし た。設備は古くとも清掃されて清潔感があります。もちろん景勝は抜群でありレストラン内部から海を見る ことができます。設備は大きくて、昔に地元バス会社が造ったものですが駐車場も広くて現在でも通用す るものです。 前回のウラシマビレッジでも感じたことですが、最近では脚光を浴びる観光地なりその設備としては、 お金を掛けないで、むしろ古い設備を利用して行くというやり方のようです。多分もう新しいものには今の 若い人は飽き飽きしているのではないですか。以前のようなスクラップ&ビルドでは人を呼べない。それ よりも過去の文化を醸し出してくるものが良いと言うことのようです。 三豊市のウラシマビレッジは、上モノこそ木造の新築ですか基盤(傾斜地なので鉄骨構造がある)は、古 い店舗のそれを再利用しているはずです。たしか昔は小さなお店が建っていたんですね。それで大規模 なリフォーム建築とも言えるものです。 古い設備の継続利用とか、リフォームで再利用していくというのは資本的にも有利です。観光産業は地元 でやって行きたいとなると大きな資本は投下できないからです。宣伝にしても、若い人達が利用するSNS やインスタグラムに乗っかかるのが安上がりです。豪華なパンフレットを作り、いくら宣伝しても効果は薄 い時代ですから。 とにかくお金を掛けないで知恵を絞ってやっていくというのが現在の観光業であるべきということですか。 香川は小さな県ですし大自然も温泉も目玉の観光地もありません。むしろB級観光地として意識して 少ない資本で、広く観光者を集めるというやり方でなければうまくいかないでしょう。 最近は古民家などの不動産業も盛んです。都市部の人達のセカンドハウス需要を狙っているんですね。 リフォームをしますので地元建築業が潤いますし、若い人が来れば人口減少の歯止めにもなります。 働き方がネットを使ったリモートになりますと、何も都会に住まなければならないという分けでもなさそう ですね。

雑感④

雑感④

④ 香川の魅力は、まずは瀬戸内の穏やかな海です。晴れの好天気が常であり冬も暖かい。何時来ても くつろげないということがありません。海岸線は長くて起伏に富んでいます。内陸部も同様で箱庭のような 優しさのある地形です。 それから新しい観光のひとつとして、ただ風光明媚であればそれでよいというのではありません。そこに 住む人々の県民性というのもこれからは大事になってくると思っています。 香川と言うのは都会の人達と相性が良いのではと思うところがあります。古い村的な田舎ではないんで すね。排他性はなくてむしろ個人主義を重んじる自主独立の精神が県民性の特質でしょうか。日本一、 社長の比率が高く女性社長も多いです。 香川は明治政府に随分と苛められました。やっと香川だけが独立して県となったのは随分と後になって からです。香川では高校の私学というのがありません。無論あるのですが有名校は全て公立校です。 それで学費も安くつきますし、その公立校のレベルは高いです。これも県民を挙げての、御上に頼らない 精神の現われだろうと思ってます。私学というのは公立校がいい加減だからできるわけで。 そんなわけでこれからの観光産業というのは、もはや昔と違った観点から考えなければならないだろう と思っています。媚を売らない観光業、よけいなお節介はしないという観光業。過剰なサービスではなく セルフサービス的な観光業ですかね。セルフサービスで思い出しましたが日本で最初にガソリンスタンド がセルフになったのは香川です。うどん店でセルフには慣れてますから。 香川はうどんで有名になったわけですが、こういうエピソードがあるそうです。客が、「おやじ、ネギが切れ ているんだけど・・・」 そういうと店主は、表の畑にネギが植わっているから、それをとって食え。 客は素直にネギを刈り取って自分で包丁で刻んで食ったと言うお話です。(笑) 香川は災害に非常に強いです。そもそも盆地(瀬戸内盆地)ですから風雨にさらされることかありません。 大河川もなく枯れ川です。日本では珍しく水不足に悩ませられる県です。それと香川の大地の基盤は古 い花崗岩であり強固だということです。地震に強い県ですね。香川平野にポコポコと出ている小山は 全て花崗岩の山です。(山頂部は安山岩) 海岸部の砂浜は花崗岩の白砂です。 香川には雨が降らないこと。これが香川の独特な県民性と深く結びついていると私は考えています。 降雨が少なく川の水もなく、加えて大地が花崗岩質だと地力が低くそれで食物の生産力が低いということ だと思います。つまり貧乏な県であるということ。自分で工夫をしなければならなくてそれが自主独立の 精神を生んでいるのではと考えています。その典型例が膨大な数の溜池です。 それらの溜池のほとんどは地元の民が自主的に作り上げたものです。どんな小さな細流でも堰き止めて 池とするのです。この池がなければ香川ではネギ1本育ちません。その溜池は常に保守が大事で手を 抜くと決壊します。 ですから香川の農地や大地は天から与えられたものではなく住民が作り上げたものかもしれません。 手放しの自然の恵みではなかったわけです。きわめて人工的な大地です。そこのところが他県とは本質 的に違っていると思ってます。香川が箱庭や盆栽のような風景だと感じられるのは、人が作り上げた人工 の土地だからでしょうね。 他県の人が香川に来てどう思うのか。大体は穏やかな瀬戸の海と、絵本のような小山が印象にあるよう ですが、少し突っ込むと、なぜ晴ればかりなの?水はどうしているんだろう?という疑問を抱いてくれるだ ろうと思います。自然の恵みが少ないということはどういうことを意味するのか。そこから様々な考えが 浮かぶのではないですか。

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