1: 物と情報の管理1 2: 携帯データより4 3: 『写真よさようなら』2 4: 『写真は芸術表現なのか?それとも…』1 5: koni pan ss1 6: 写真はなぜ「歩き」なのか1 7: 細部へのこだわり1 8: 脱モニターの時代5 9: 日が暮れた2 10: 夏のにおい2 11: カメラマンはいつまでも馬鹿をやってはいけない2 12: 黒白写真の真の意味1 13: 青空が嬉しい6 14: 写真家というか、カメラマンは馬鹿にならんといかんぜ2 15: 鉄茶2 16: 小さな港3 17: 夜4 18: you have,I have6 19: 黄色い猿も学ぶっちゃ学ぶこともある4 20: 橋の1日4 21: 3年後の私は何を学んだものか3 22: ペリリュー島の戦い5 23: 歴史5 24: 歩く6 25: tamron 200-500mm f5.6_31a3 26: vivitar 135/3.5typeⅱ(fifteen blades )2 27: 大きな盆栽のよう3 28: デジタル時代の写真4 29: 写真の時間軸3 30: 感化される写真3 31: 瀬戸内の光景2 32: konipan ss1
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | PENTAX K-3 Mark III Monochrome Ver. 1.00 |
レンズ | |
焦点距離 | 23mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 320 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2000x1333 (645KB) |
撮影日時 | 2024-12-29 21:10:44 +0900 |
久しぶりにネット&文字うち兼用のパソコンを新調しました。と言ってもタダで頂いたもので中古です。
2台あって、一台は正常動作するのですが、もう一台は開けないサイトが多数でます。ネットワークが
正常に動作していないようです。そのうちに直したいと思っているのですが時間がかかりそうですね。
両方ともウインドウズ10なのでネット閲覧には問題がないですし、省エネタイプの小型なのは良いのですが、
今まで使っていた大型タイプのものに比べれば、画質が良くないてす。〈笑〉
大型のパソコンを使う意味はつまるところ、アナログ的な画質にあるんですね。そういうのは撮影の方でも、
スマホと専用デジカメの違いというのと理由は全く同じです。
大型のPCは出来る限りネット接続はしないようにして、画像処理などの作業に使うわけです。これだと
OSはウィンドウズ7などの古くても問題がなく、むしろセキュリティ関連のソフトを載せなくてもよいので
高性能になります。もちろん画質を高めるために大型のグラフィックカードも入れられます。
モニターも貰ったのですが、LEDモニターのもありました。一見して綺麗なイメージですが、私のように
態と輝度を落として使う場合は逆に見にくくなり、やはりバックライトは古い蛍光管タイプのモニターが
私には向いています。室内の照明はLEDにしていますが、モニターは蛍光管タイプが良いという気がします。
今作業に使っているPCは省エネ・小型スリムタイプでウイン10プロ、CPUは16コアのようです。Mドット2の
SSDというか記憶装置が載ってます。起動は速いです。ただ容量が少ないので外付けHDDを追加しました。
もう一台は同じくウイン10でスリム型。8コアで1TBのHDDで手堅い設計です。
両方とも小型で省エネなので同時に使用することができます。モニターは安物の22~23インチで輝度も発色
も落として目に優しくして使ってます。1枚はDELLのノングレアで、もう一枚はアイオーのグレアタイプ。
文字うち作業をするのはノングレアの方ですね。
今回感じたのは、パソコンというのはやはり機械モノですから、自動車と同じように日ごろから使ってい
ないと不具合がでるということです。毎日少しづつコンスタントに使っていると動作は安定してきて、
ソフトウェア的にも不具合が消化され、そう簡単に壊れるということがありません。ただ消耗品として
電源部だけは交換する必要があります。それは車のバッテリーやタイヤと同じです。そして内部のファン
等の清掃は必要です。車で言えば洗車やワックス掛けと同じですね。
とにかくモノはメンテナンスを施し大事に長く使っていきたいものです。
このところ忙しかったので長らく撮り溜めた写真のバックアップができていませんでした。何と4年間
も放置されていたんですね。これは拙いということで、今回2重のバックアップをやりました。数日は
かかりました。
私は写真は撮影しても後は見ないタイプですが、それでもデータを無くしてもよいというわけではありま
せん。データの記録は大切で、自分が、歩き、動いたという記録でもあるので、大切なものです。
今回、10台くらいの中古PCをもらったのですが、引き換えに内部の情報データは管理保存するということ
になっています。サーバーPCが4台、データ満載です。ワークステーションやマックもあります。ただで
もらったのが却って高く付きそうです。まあ、壊れてもいいけど情報漏洩だけはいけませんからね。
そこだけ気を付けていればいいかな。
私はガラクタ集めが趣味なので、自然とモノが集まるのですが、普通の人だとそのモノやデータに押し潰さ
れてしまうようになります。それを防ぐにはモノはきちんと整理をするということです。整理のノウハウ
を持っていないと、その物量に負けてしまうんですね。
それでそういう整理のノウハウがない人は、可能な限りモノは持たないほうがよいです。断捨離ですか。
ダンシャリ。私のガラクタ・コレクションは、パソコンとデータ、カメラと写真、書籍、さらに工具文具
という具合ですが、その全部を記憶しているわけではなくて、ただ関連付けて整理しているだけです。
そして実は私はモノそのものにはあまり欲望はなくて整理すること自体が楽しみというところがあります。
そしてモノや情報には、人間の個体の能力を超えた価値があるということですね。それを知っているので
安易にモノは捨てられないというところがあります。
メーカー名 | KYOCERA |
機種名 | KYV41 |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 3.5mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/199sec. |
絞り値 | F2.2 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | スポット測光 |
ISO感度 | 400 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 750x1000 (594KB) |
撮影日時 | 2025-06-08 01:13:13 +0900 |
全て売却終えた後のカメラが誘ってるような気がして
ついうっかり購入しちゃったカメラ
ゾーンフォーカスだもんで。。
ふはは!
AGFAMATIC 4000
https://yossyheim.com/agfa-agfamatic-4000-pocket-sensor
https://ameblo.jp/ayumuhito12/entry-12690208321.html
私は110カメラは使ったことがなくて、そういえばAPSフィルムも使ったことがありませんね。
上のサイトでは、このアグファのレンズを取り出し、ニコン1 V1で撮影した画像は面白い試みです。
私も昔はジャンクのフイルムカメラをバラして遊んでいた頃がありましたが、それも昔の話です。
自作パソコンの遊びと同様、家に篭りっきりになり、運動不足になってしまうので若い時期しか
できませんね。高齢になると運動は健康維持には欠かせないものとして切羽詰った課題になるんです。
なお、写真趣味とカメラ趣味とは当然に関連はあるのですが、本来は別の趣味という感じです。
どちらかというと機械&光学趣味ですか。デジカメだとコンピューターが加わります。機械や電気、
コンピューターの遊びをやってますと、結構、仕事なんかにも役立ちます。
そういえば最近、サーバーコンピューターを3台もらいました。一応は動かせるだけにして、それで
お終いにしようと思ってます。1台はスイッチングが壊れているやつでしたが裏技で起動できました。
富士通、ボロですね。(笑)
この数年、歩きの撮影があまりできていなかったので体力が落ちてます。それで無理をすると体が
ガタガタになるんですね。やはり足腰の下半身は極めて大事で、それがしっかりとしていると、
上半身を使う仕事が出来るという具合です。この3ヶ月ほど休みなしでやりましたからね。これから
はゆっくりと過ごしていこうかと思ってます。
メーカー名 | PENTAX |
機種名 | K-5 II s |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3000x1987 (3.97MB) |
撮影日時 | 2013-04-10 02:23:17 +0900 |
今私が撮影に取り組んでいる高知県室戸半島の、海岸段丘の台地の俯瞰写真です。掲示看板を撮影。
これは室戸市ですが、田野町/安田町に跨る大野台地はもっとスケールが大きいです。
https://www.47news.jp/4780923.html
長野県などに行きますと、これが河川の河岸段丘になりますね。
普通の海岸部の沖積平野と違い、完全な水平平面ではないのですが、そこは台地なので多少の傾斜はある
ものの、広大な農地が広がっている様は、ちょっと異世界ですね。遠望して太平洋が見えますし。
室戸半島は地震の度に隆起を繰り返すようで、台地の部分はかつては海岸線だったところです。それが
証拠に、田畑の石垣に丸石(河口部や海岸部でしか生成されない)が積まれていて、なんと山の中で丸石が。
という具合で不思議感がいっぱいです。(笑)
普通、車で室戸岬まで走らせると55号線を(画面右下)走るんですが、この段丘の台地は全く見えなくて、
海の反対側は峻険な山が連続しているようにしか見えません。県外の観光客はその山の上に農耕地がある
などとは想像もできないでしょうね。
台地に上がるには海岸線の道から登るわけですが途中は鬱蒼とした原生林です。このまま行っても大丈夫
かなって不安になりますが突然開けて農地が広がっている様は、感くるっちゃうという具合。
山の中の台地だと、水は?という気持ちになりますが、背後にもっと高い山が控えていますので問題は
なく、植えられたばかりの水田に滔滔と水が流れていました。
田地の土は独特の赤い土で、これは地質学的には古代三紀から中新世の付加体というもので、太平洋の海底
で堆積されたものが陸地としてくっ付いたものです。花崗土と違いきめ細かくて保水性はよさそうです。
ミネラル栄養分もあると思います。
私がする写真は、こんな具合で写真の為の写真ではなく、自分に関心がある対象を見てみたい、行ってみたい
という延長線上に記録としての写真があるわけで、芸術とか表現などとは何も関係はありません。
この海岸段丘の台地は、高知県の海岸部の散策でたまたま見つけてしまったもので偶然の産物なのですが、
最初は南海トラフの津波被害はどうなるの?から始まった高知行きからです。津波非難タワーを散策し、
ついで室戸市にある地震のたびに起こる隆起現象に関心が移り、そしてその隆起が地形をも形作っている
台地にたどり着いたというわけです。
ところで、なぜ写真が芸術や表現であってはまずいのでしょうか。
その疑問が湧いてきませんか。自分は芸術などに興味があるから是非に写真でそれを試してみたいと
いう方もおられると思います。
しかし写真は原理的に大変リアルなもので光学的な道具を使ってやります。その構造は人間の目の仕組み
とさほど違わない構造になっています。ほぼ同じと言っていいです。それでそういうリアルなものに
過剰な追加物を入れると、人間は正常な判断とか価値観がくるって来るのではないかと思うのです。
これは脳の基本的な機能を根本から揺るがす可能性があります。そこらあたりは大変難しいのですが、
結果として写真に過剰な芸術的装飾を付加すると、そういう人間は邪悪に染まる可能性が高いです。
自ら悪を具現するか、もしくは他の悪人に感化されるようになるわけです。そういう病的な結果になって
しまう気がしています。簡単に言うとその人の運が悪くなってしまうし能力も落ちます。
ですからこの問題は、写真人が自らの写真を云々という事態に留まらず、メディアやネット上で流れる
画像や映像が、過剰に画像処理されたり、AIで作成されたものが多くなると、一般の鑑賞者視聴者にも
大きな悪影響を与える可能性が非常に高くなるということです。
AIで生成された画像が人の脳内の記憶に蓄積されるというのは、これは考えてみればとても怖いことです。
もちろん芸術や表現が絵画で行われるのならば問題がないでしょう。(しかし幼児や子供には不自然な
抽象画はいけないかもしれない) しかしそれが、その芸術表現が元よりリアルを前提した写真において
行われることが問題なんですね。これからAI画像が一般化して広く流れるようになると、世の中全体が
不本意なことになる可能性が高いと私は危惧しているのです。
SNSのキラキラ写真ですら、若い少女がコンプレックスに包まれ気落ちして自殺するということもある
わけで、この問題はもっともっと注意深く考慮されるべきだと考えています。
ちなみに私は学生時代、絵画やデザインをやっていました。皆さん方よりも絵を描くことを知ってると
思います。それで私は写真を始めて、当初より写真が芸術だとか表現だとかは一切考えたことがありません。
写真は記録という一辺倒でやってきました。表現をやりたければ絵を描けばいいんです。
とにかく写真で芸風を装うのは、皆さんが思っている以上に危険なことがある。そういうことをちょっと
追加しておきます。
写真の怖さ、というのがあるわけですね。この問題は70年代には真剣に写真論として取り上げられた
ことがあります。写真がモノクロフイルム全盛時代だったころです。
当時、黒白写真という時代の中で、写真の有様に反旗を翻した一群の若い人達がいて、ある意味では
表現手法といえるものを写真に取り入れようとしたことがありました。
当然に当時の風潮からは大反発を食いました。コンポラ写真といって多くはアレ・ブレ・ボケの作風
だったのですが、これは写真をある意味、逆説的に絵画化する試みだったのかも知れません。
でも今から考えれば、黒白であり明らかに現実とは異なるものだったので、さらにカメラ雑誌だけの
発表だったので、一般的には悪影響は与えていなかったと思います。当時の若い写真家の間だけで
行われただけですね。そういう私も当時は若かったので影響を受けていたわけですが、表現と言っても
綺麗すぎる写真をわざと汚くするものだったので現在とは間逆でしたね。当時の緻密で綺麗でリアル
という写真こそが、すまし顔過ぎて絵画的だ、返ってリアルではないじゃないかという反発心から
起きた運動です。
しかし今の現在のデジタル写真によるキレイ過ぎる画像処理過多やAI画像は事情が大いに異なります。
今は一般の人々を直撃し、若い成長期の判断力のない人達をも巻き込んでいます。
このコンポラ写真、コンテンポラリー写真の日本版ですが、昨今事情では若い一般の人達の間で、
チェキなどの簡易プリントカメラが流行ったり、古いコンデジの作風が良いということでブームに
なったりするのと同じなのではないのかなっていう気がしています。
デジタル時代のコンポラ写真という意味で捉えると大変に興味深い現象です。少し前に流行った
若い人達のフイルムカメラ回帰もそうだったのでしょう。今も昔も若い人は時代に敏感で且つ率直
ですから、時代の嘘を見抜くんでしょうね。
そういえば今の時代の、老齢なアマチュア写真人がやたら画像処理過多の表現写真をしたがるのは、
認知症世代特有の現象と言えなくはないです。これは逆バージョンですかね。(笑)
「写真よさようなら」森山大道
https://www.shashasha.co/jp/book/farewell-photography-2
https://www.sankei.com/article/20170828-K3VCQMHRHFLMJCO2DF2RQ4B4FI/
1970年代初期にコンポラ写真は流行ったのですが、戦後からはじまった写真ブームはひとまずここで
頂点に達しました。それは黒白写真の時代が写真文化として極まったということを意味します。
そして1970年代後半から80年代以降となると今度は完全にカラー写真の時代になります。
カラー写真は黒白写真と違い、基本、メーカーの現像所で現像と印刷をします。黒白の場合は撮影者が
現像とプリントもするのが一般的でしたから随分と違いました。写真の成り立ちが違ってくると写真文化
もリセットされます。今現在のアマチュア写真家で古株の方はこの時期に写真を始めたと思います。
カメラも変わっていきましたね。黒白時代はメカニカルカメラでしたが、カラー写真時代はAFになり
モータードライブ装備のカメラになりました。京セラコンタックスなどはMFでしたがMDでした。
写真はカラー情報を獲得し新たな出発をしました。ただフイルムカラー写真は個人が自分で現像や
プリントができません。それで黒白時代のような言わば画像処理ができないわけで、カメラマンは
撮影オンリーとレンズ選択で自己表現を楽しんでいたというわけです。
当時のフイルムカラー時代の熟成期にはライカカメラがブームになったのではないですかね。
田中長徳氏などか盛んにライカの撮影に際してのオタク感覚を言っていたような記憶があります。
私は90年代末にPCデジタルスキャナでもって写真を再開しました。ほぼ20年ぶりの写真復活でした。
その時代が、2000年代に入ってデジタルカメラの時代になってきたわけですね。
当初はコンデジでしだか一眼レフもデジタル化の時代になりました。ニコンとキヤノンがデジタル化
の先端を開き、それからは怒涛のごとく写真もカメラもデジタル化まっしぐらでした。この時期に
私はその時代の先端を走っていたようです。すでに私は90年代にPCオタクでしたから画像処理などは
できて、もちろんデジタルカメラもコンピューターですから。
この時期、多くのフイルムカメラマンがコンデジやデジイチになったわけです。写真屋さんが対策
におおわらわになった時代です。フイルムカメラマンが当初はデジタルカメラを敵視していたのですが
やがて皆がデジタル化して、もうカメラマン全員がデジタル赤信号を渡りだしたわけです。デジタルカメラ
全盛の時代です。
そして2010年代からスマートフォンが登場します。高性能カメラが付随しているのでコンデジがまず
廃れます。やがてデジイチ並みの高画質にもなります。合わせてデジイチの光学一眼レフからミラーレス
のタイプに移ります。これは対スマホ戦略という意味も多少あったように思えます。
スマホの画質が高性能になったのは内部の画像処理が巧みになったのも一因です。カメラマン自身も
画像処理技術を磨いていった時代です。
つまりデジタル写真の2000年以降は、カラー写真でありながら写真屋という業者に出さずに、自分で
現像や画像処理やプリントが出来る時代になったわけです。これは言うなれば、かつての黒白フイルム
時代が再びやってきたというを意味します。当時の黒白フイルムの自家現像が基本でしたから。
私は2000年代に入り直ぐにデジイチを手にし、PCで自家処理ができましたから、これは革命的な変革
で写真文化は大きく変わるだろうと気がつきました。デジカメやデジイチが登場する以前から、PCの
スキャナで写真が出来ていたので、この状況の変化に気づくのは早かったわけです。
今にしておもえば確かにそのとおりになりました。むしろやり過ぎるぐらいになったわけで、その弊害が
今の写真界を覆っているという現状です。
そして現在、画像処理の極めつけと言うべき生成AI画像の登場です。もうメーカー自身が画像処理の
ツールは当たり前という時代になり、スマホ写真は自動で画像処理した写真しか得られなくなりました。
本格的な生成AI写真時代はこれからでしょうけど、多くの一般の人が利用するのは明らかです。
現在はこういう写真時代を生きているわけです。
そして再び「写真よさようなら」の反旗が出てくるということです。
デジタルAI時代の写真とは一億総認知症時代であり、写真が人間に対して害を加えるような時代に
なっていくわけです。そうなってると、もう作られた写真などは見たくないという見識者が多くなる
でしょう。国によってはAI画像は禁止、というのも出てくるかも知れません。オーストラリアで若年期
のSNS禁止というのと同じですね。
私は皆さんよりも速くデジタル写真を始めましたので、このデジタル写真の弊害に気づくのは早かった
と思います。デジイチをミラーレスに変えた時期から分かりだして、写真は撮影はするものの、自分
の写真を見ることは止めにしました。撮りっぱなし戦術で、撮影は歩き運動になるからやっていました
が、それだともはや写真は辞めてしまっているのと同じ状況でした。
私はいち早く、デジタル写真よさようなら、をやっていたのでしょう。そして最後の難関であった
機材依存を黒白デジタルで突破したというわけです。
写真の歴史50年余をかいつまんで書きました。(笑)少しは参考になったでしょうか。
つまり時代というのは繰り返すわけですね。シッポ座さんが現在の状況で、写真にさようならを
告げるのはマトモな人間ならば当たり前の行動だということです。すでにこの掲示板でも以前から
離れていった人が多くいます。
こういう時代において、今なお写真を続けられるのは、写真は記録だと明確に理解している人と、
すでに脳みそが壊れてしまった人だけです。この2つに分けられるでしょう。
デジタル写真、当初の00年代はまだフイルム時代の延長でして、ただカラーフイルムをデジタル素子
に変えただげでした。それが本格的にデジタル時代になっていったのはミラーレスカメラやスマホの
登場の時期からですね。格段に画質は鮮明になり電子シャッターが登場し、同時に画像処理ソフト技術
も向上しました。そして今現在はデジタル写真の頂点を極めた時代であると言えます。
これから生成AI写真が本格化するわけですが、本当に一般の人々に受け入れられるかどうかは不明と
いうところがあるでしょう。いやそもそも、人工知能というもの自体がこれからの次の時代に覇権を
握るかどうかも分からないところがあります。プロフェッショナルの間では有効でしょうが、一般では
拒否反応が起きる可能性があります。
その弊害が大きすぎれば人々はAIを拒絶する可能性も高いわけです。ユーチューブなどでは生成AIの
画像が多く使われるようになりましたが、作られる画像のワンパターン性にうんざりするところが
あり、もう私はそういう画像は眼をそむけて見なくなりました。
生成AI画像が写真足りうるか、と言えばもちろん写真ではありません。肝心の撮影が抜けているから
です。写真としてはあくまでも画像処理の強力版という立ち居地です。
私はAI画像は、拒否をする人と、そのまま受けいれる人の2つに人々が分かれるのではないかと思い
ます。知力の乏しい人はAI画像で満足をするわけです。およそリアリティに乏しく、そしてフェイク
な画像です。スマホ向け動画でもAI動画がありますね。キレイすぎるし女子フィギアスケートの動画
ですが、人間として、もしくは物理的にありえない動きをしてます。しかしそういう動画を本物として
疑わない人も多く出てくるわけです。何度も書きますがこういう偽の画像や映像を脳内に記憶として
溜め込むことは極めて危険だと思います。
こういう時代において、敢えて自らが写真をする意味はあるのか。と問えば勿論あるわけです。
今の時代の一般的な人の写真というのは、これはもう膨大な量を多くの人達が撮影をしているわけ
ですし、しかもそれがインターネットにも多く載せられています。
しかし今の時代、写真は極めてプライベートに収斂してしまって、若い人の写真観というのは、
写真の対象ははあくまで自分だけ、その仲間だけという範囲を超えなくなりました。写真に社会性
が失われたのです。昔の家族写真もそうだったわけですけど、もっと範囲が狭くなっています。
自撮りなんていうのが象徴的。自分と仲間とそれしか写っていないのです。撮影地は観光地だけ。
実際に若い人のハイアマチュア的に写真に関心のある人の写真を見せてもらってもそうなんです。
めっちゃトリミング(いやフレーミング)してます。
年配のアマチュア人の自分は野鳥だけ、鉄道だけとかで自らの関心を狭めています。たしかに肖像権
とか個人情報とか言い出してややこしくなると気後れするのは分かりますが。
こうなってると一般的にこの世界を記録する人が居なくなるわけですね。膨大な画像はあふれ出て
いるけど、本当の写真は少なくなった。実に逆説的な時代になっています。
かえって時代の光景が見えなくなった時代です。画像は溢れているけど写真としては低下している
というわけです。
昔のフイルム時代の写真をスキャンニングして復活させるというのは興味深いです。私も半世紀前
の写真のストックがあります。フイルムにして数百本は眠っていると思います。スキャナで読み込む
のは面倒なのでミラーレスカメラで接写撮影は出来ないかなって考えてます。
若い人は知り合いの高齢者の方の写真を説得して譲り受けるという手もあります。写真は文化財でも
あるので死亡して失われてしまうのは惜しいです。
今では古いモノクロ写真もAIでカラー化ができ新鮮となります。生成AIはプロが使うと生きるツール
なんですね。何でもかんでもAIは危険、というわけではありません。
そういう温故知新から新たな写真世界が見えてくるというのもあるのではないですか。
こんな感じで長々と記しましたが、私としてはこれまてどおり、歩きの撮影を続けるばかりです。
写真とは記録、写真で歩き、それを続けるだけなのです。
今回は私が運よく半世紀にわたる写真の歴史を知っていたことが幸いかなって感じています。
写真よさようなら、は過去にもあったということで、けっして今が特別の時代ではないということ
です。
メーカー名 | PENTAX |
機種名 | K-5 II s |
ソフトウェア | Capture One 9 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 45mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F5.0 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 80 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4096x2713 (6.03MB) |
撮影日時 | 2013-03-19 23:20:07 +0900 |
『写真は芸術表現なのか?それとも…』
写真は芸術であるとか、表現のツールであるとか、そういう考え方をなされている人はとても多いの
ではないかと思います。
しかしそういう思い込みがあると、場合によると写真というのが自分の心の重荷になることがあるので
はないですか。
私は写真とは最初から記録であると思っていて、芸術のひとつだとは全く考えていません。ただ撮影時に
少しでもカッコよく記録できればそれに越したことはないね、というぐらいです。
シッポ座さんのお父さんか撮られた写真はあくまで記録です。そりゃあ妻や子供たちが綺麗に撮れて
いればそれに越したことはない、というのはあるでしょう。しかし芸術的に表現をしようとして撮影を
されたことは一度もないと言えます。
撮影時に心の何で考えたことは、子供たちが元気ですくすく育ってほしい。女房も達者でいてほしい
という純粋な願いだけだったろうと思います。
最近はインスタグラム等のSNSで、すんごく綺麗に写真しないと駄目、だなんていう風潮があります。
そういう綺麗過ぎる画像を見て、鑑賞者がコンプレックスをもってしまうことがあるそうです。
写真投稿のために見栄を張り無理をして衣服を買ったり旅行したりして、自分の承認要求を満たす
というのもあるようです。
スマホにしてもキレイキレイモードがあって、自分なのに別人の自分が撮れる?というようなことも。
それから過剰に肖像権とか個人情報を振りかざすというのも写真を狭めていて、それで写真と言えば
自分と仲間だけの自分撮りや、写真は観光地でしか撮ってはいけないもの、とかも。
私のように何処でもスナップ写真を撮っていると、怪しいやつ、不審なやつと見られているようです。
これはら明らかに行き過ぎで、写真が人を不幸にしているわけですね。写真はもっと自由であるべき
なのに。
写真が芸術的な表現であるというのは、最初にそういう風に考えた人がいて、特に従来の絵画との関連で、
そんな具合になっちゃったのだろうと思っています。
写真が芸術であり、綺麗に上手く撮らないといけないという風潮は、本当は大嘘でありフェイクなん
ですが、一旦そう思い込むと人間というのはなかなかその思考を脱出することができなくなるようです。
一種の洗脳であり、これを子供のときから、また写真を始めたときから受けた人間は、その思考法から
自由になることができなくなるのです。
私が写真を始めた1960~70年代は、写真とは芸術なんかではなく、飽くまでも記録であり、キレイ過ぎる
写真はリアルではないと返って排斥される時代でした。
ですから私は記録以外の写真を撮ったことがありません。カメラという道具は記録するためのもので
あって、けっして表現することを押し付けてくるものではありませんでした。
写真が表現だ芸術だという風潮に変わったのは多分、1980年代以降でしょうか。その時代、私は既に
写真から遠ざかっていたので実際はよくは知らないのですが。
私はカメラやレンズのコレクターでもあるので(要するにガラクタ集め趣味のこと)、カメラ機材が
増えても気になりません。パソコンもコレクションしてますしね。本もそうでした。(笑)
カメラが芸術表現の為のツールであり、モノとしてのカメラが無言でお前は表現せよ、と訴えてくる
のならば、私はとっくに発狂しているでしょう。アゲー・サゲー氏が言うように病気であるというわけ。(笑)
ちなみにアゲサゲ氏は写真は芸術であるから点数が付けられると信じて疑わない人物です。他人の
私的な記録に点数を付けられてもねえ。勘違い馬鹿というのは昨今多すぎる気がしてます。
この掲示板では写真を真面目にやればやるほど行き詰ってしまう投稿者がいるわけですが、何度も
いうようにそれは、写真は芸術で表現であるから、そうしないと自分の心が苦しいというようになって
くるわけですね。
私がいうところの、写真は記録、というのは紙とペンのようなもので平易なメモ書きであるということ
ですよ。だから写真は画像ではなく歩きだ、何ていうことも平気で言うわけですね。
こういうように私が言うと、それは写真に対する冒涜だ。と本気で怒り出す人間がいます。
宗教と同じで洗脳を受けるということは、厄介なことなんですね。日本人の美意識は宗教的なまでに
強力化されていて、それが今、民族的なまでに足かせとなって日本人を滅ぼしつつあると私は看破する
わけですが、洗脳されて固まった頭を持っている人間にとっては、私は宗教的な異端者であるのてしょう。
私が特別に掲示板で攻撃されるのは、そういう理由があるわけです。
俳句とか短歌というのがありますね。あれも最初は平易な言葉で書く単なるメモ書きだったわけです。
それが誰かが芸術なんぞに高めて(人としては低めてかもしれない)しまったので話がややこしくなった
わけです。日本人は凝り性で生真面目なので、何でもかんでも芸術にしたがる悪い癖がありますね。
茶道とか生け花、書道なんていうのもそうです。作法とか美意識とか、そんなの詰まらんことでは
ないですか。とくにいけないのは一旦確立された作法や思考法を永遠に変えたがらない日本人の
特質です。改革を嫌うので大勢と自分の考え方が違ってくると止めるしか選択肢がなくなるのです。
全てかゼロか、なんですね。硬直的です。
とにかく写真は表現芸だ、という思い込みは人の脳内にこびり付くわけで、これが写真そのものを
駄目にしているところがあります。写真は綺麗でなければならないとばかり、やたら画像処理をし過ぎ
てみたり、メーカーすらもAI的補正を掛けたりするわけです。
最近、若い人の間で古いコンデジが人気のようです。画質は荒いのですがスマホのように自動補正が
掛かっていないので絵が自然だ、という訳です。それが本来の記録としての写真であるわけで、
誤った写真の洗脳を受けていない、若くて率直な人はちゃんと的を着いているわけですね。若い人は
何時だって柔軟な考え方をする人が現れます。しかし多くの知力のとぼしい若い人は間違った写真の虜に
なってしまうのです。
もう何度も書いたのですけど、私がモノクロ写真を本格的に初めて、機材の浪費壁が止みました。
写真に色彩というキラキラ感がなくなるとカメラもレンズもみな同じって感じになるので、色々と試して
みたりする必要がなくなるのです。
モノクロカメラを買って2年ほど。もうすっかり浪費壁もなくなったのでそろそろカラーでも撮って
みようかと思っています。写真はモノクロで十分完結するのであり、写真の本質は色彩ではないという
ことが分かりました。それさえ分かれば目的は達成したわけです。
しかし当初は、モノクロカメラを手にしたとは言え、最初は自分をモノクロ化するのは大変でした。
しばらくはモノクロカメラしか手にしませんでした。普通のカラーカメラでもモノクロは撮影できる
わけですが、カラー情報を内在しているため、JPEG+RAWで撮影して、PCではそれを別フォルダ保存して
モニターで見るのはJPEGフォルダのみ、ということをしてました。
それぼと苦労を重ねて自分自身をモノクロ写真向きにしたわけですが、その結果として自然と機材に
対する無駄な欲望というものが無くなったわけですね。
カラー写真という、頭にこびり付いた積年の垢を削り取るのは実に大変だったということです。
写真は芸術で表現だ、というのは私に言わせれば、そういうこびり付いた垢や焦げのようなものでして、
これを取り去るのは大変だろうと思ってます。しかも私のモノクロのケースとはもうひとつ次元が違う
わけですね。
シッポ座さんが思い切って手持ちの機材を処分した、というのは大いにうなづける話です。
たぶんそうしないと、こびり付いた脳内の思い込みをクリアにすることは出来ないと思いますね。
本当に写真が好きならば、将来また写真を始めるわけで、とにかく今は写真から離れてみる、という
のはベストな選択肢だろうと考えます。
お父さんの撮った写真等は大変に参考になろうかと思います。純粋に記録として撮られた写真なので
学ぶべきことは多いと思いますね。家族写真というのは写真の原点というところがあります。家族の
記録ということ以外を考えていないからです。
写真は記録である。リアルな事実や真実の記録であるという当たり前のことが忘れられて久しいです。
この真実を取り返さないと写真をすることが苦しくなるだけです。なんだ、記録だけだったのかと分かる
と写真は気楽に続けられます。
道理で養老さん都内コンリートの地面を見てこわいと思ったと話していたこと合点いきました。
個人事なので書かなくても良いことですが最近写真を辞めました。
フィルムもデジカメも全て売却しました。
写真は親父が撮影したであろうフィルムネガをスキャンしたものです。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4295x2688 (6.54MB) |
撮影日時 | 2024-11-19 00:54:18 +0900 |
前回のシッポ座さんの言う、AIよりも人間がこわい、というが気になっています。
そういわれてみればそうかもしれない、というところがあります。実は実例として非常に他者に悪影響を
与え続けている人間を知っているのですが、大体の人はその悪影響を与える人物の影響下に陥ってしまう、
つまり悪に陥落してしまうという不思議な現象を知っています。
私としては本当に不思議でしようがないのですか、その他者に悪影響を与える人物の癖は同じことを何度も
繰り返して話すということをしています。しかも人為的に狭ばめられた環境下でそれをやるわけです。
私は同じことを言う人間は信用しないのですが、というか、そもそも一度聞けば分かるわけで、くどくどと
話しを繰り返す人間は何らかの意図があるとして、それはCM広告と同じで、聞く耳を持たないわけですが、
大概の人はそれに引っかかってしまうようです。
悪意のある人間の悪影響に落ちるのかどうかは、おそらく人の知力の強弱によるものではないかと考えて
いるのですが、何度も言うように知力は学力とは別物ですよ。これを勘違いしている人が多いのですが、
とにかく知力は弱いものが強いものの悪影響を受けるという、そういう基本的性質があるようです。
そもそも悪意の人物は自己の中に知力の弱い部分があるわけで、まず自分みずからが自分の悪意に影響を
受けて染まって、そして他者にも同じようにその悪意を伝播させていくわけですね。
こういう悪意の流通を絶つには、何と言っても自分の知力を高めて強くするというのが一番です。弱い知力
は他者の悪意の餌食になるということ。これを知って対策を立てておけば大丈夫というわけです。
この知力というのはざっくばらんに言うと、直観力のことです。学校で習う学力とは別のものです。
この直観力を鍛えるということ。私はこれは自然に触れることが一番のことだと考えています。人工環境下
では直観力は鍛えられません。
その人間の背後に自然があるのかないのか。あれば直観力、つまり知力が高くて、逆に自然がなければ
その人は直観力、知力が低く弱いということです。そう考えれば学力はあっても騙させる人がいるという
のが理解できようかと思います。特に自分の直観力知力を削って学力を身につけた人が一番危ないという
わけです。例としてはオウム真理教の高学歴信者が悪意の教祖に影響を受けた事件がそうです。統一教会
の被害者でもそのようですね。
自然さえ身に着けていれば、といいますか自分が自然であれば他の人間の悪意の影響は受けようがない、
ということになります。風林火山というのもきっとそれだと思います。
知力というのはある程度は生まれつきというところがあります。これは仕方がないのですが、それでも
鍛えることができるのが知力や直観力です。
写真の撮影はこの知力を鍛えるには最適なものだと私は思っています。カメラさえ手に持てばたとえ街中
を撮影しても自然の中にいるのと同じになります。
ただし写真の画像趣味というのは逆に知力を貶めるところがあります。撮影でせっかく知力を高めても
後の画像いじりで知力を低下させては何にもなりません。画像は自然に受け入れるようにしたいですね。
そして写真は鑑賞すべきものではなくて自分が撮影するものです。シャッターを押した時点で写真の
9割はは終わっています。残りの1割は確認するだけのものです。
最近はこの知力が低下している人が多くなっているという気がしています。それは人々が自然から
遠ざかっているからかもしれません。なによりもまず人は歩かなくなった。口にする食物も自然なもの
が少なくなった。
そういえば私が知る冒頭の悪意の人物は歩いていません。座り仕事であり運動もせず車かバイクですね。
若い時よりずっとそういう生活を続けているようです。
そういうことでは歩かない人間は悪意に染まる可能性が高いということです。人間は動くようにできて
います。動物というのは動くことが基本です。動いてはじめて人は正常に生きれるようになっている。
しかしその動くというのはあくまで自分の足で移動するということであり機械を使うのは動くということ
ではありません。
撮影ら臨んでは必ず歩きましょう。そして何度かに一度は長距離を歩く習慣を身に着けましょう。
渡良瀬遊水地の谷中湖一周は約10キロ、遊水地全体の周囲は約30キロだとありました。30キロでも1日
で回れますね。10キロだと普通です。
写真撮影はまずそういうところから始まると私は考えています。とにかく歩くのです。歩かないところ
からは写真は生まれないと確信していますから。歩かない写真は単なる画像です。その画像に命を与える
のが歩きという活動です。この写真と画像の違いはものすごく大きいのです。
歩くことによって見える光景があります。歩かないと見えなくなる景色があるわけです。そこを知り、
画像として捉えるのが写真だと思うのです。
写真は良い趣味だと言われることが多いのですが、それは歩きが写真趣味の属性として備わっているか
らだと私は考えています。身体が不健康になり歩けなくなってからでは遅すぎます。10年先を見据えて、
歩くことができるうちに、写真趣味ということにかこつけて歩ければ、これほど素晴らしいことはありません。
歩きの効果は即効で現れます。そして歩きは人を裏切りません。(筋肉は裏切らないという)
こんな風に書くと、私がシッポ座さんに何やらアドバイスをしているように思われるかも知れませんが、
それは文脈上の仮の設定なのであっと、本当は自分自身に言い聞かせているわけです。何度も何度も書いて
自らの決心を新たにしなければ人の心と言うのは揺らぐのです。
それほどに重要なのが、歩くという行為です。
人間には五感とか六感といわれる感覚器官があります。車の自動運転が話題ですが、今のところ視覚のみ
の感覚(センサー)でやっているようです。可視光とレーダー波、超音波もあるかもしれません。これに
音声や音を聞いたりする聴覚を加えることは可能です。大体はこれで車の自動運転は出来るようでして、
いずれは自動運転の車が主になるでしょう。
車は安全に走るだけなので単純ですが、人間個人のアドバイザーとしての人工知能やロボットができると
すると、もっと広範囲のセンサーが必要になります。触覚や嗅覚・味覚といったものも。また人間には
検知しにくい電磁波や放射線のセンサーも付け加わるでしょう。
やがては人間の感覚器官を超えた人工知能が誕生するのは時間の問題だろうと思ってます。
ありとあらゆることで人間は人工知能に勝てなくなる時代が来そうですが、ただ人間は失敗をするという
こと。そしてその失敗から学ぶことができるという長所があります。人間は失敗ばかり、誤ってばかりして
いるのですが、そのことこそが人間の可能性を大いに高めています。
機械は誤らないように失敗しないように作られるのですが、もしくは誤っても修正する機能が付加されて
います。そのように機械は合目的的に作られていますが、人間は逸脱してもぜんぜん平気というところが
ありますね。(笑)
人間というのは行き当たりばったりでして、とにかく生きられればそれで良しというところがあります。
人間は知能を獲得して進化しましたが、これだって成り行きだったかもしれないのです。高度な知能を
持つのは哺乳類ですが、それは億年もの間、恐竜にいじめられたからかもしれません。当時の哺乳類は
ねずみほどの小さな生き物でした。恐竜というニワトリくらいの大きさから巨大な恐竜まで、かれらが
地球を支配していたわけで、哺乳類などは彼らの餌でしかなかったわけで。
人工知能のことで是非とも知っておきたいことは、AIが模擬しているのは人間の大脳皮質の新しい脳の部分
だけです。これは人の学力を生み出す部分だろうと思います。ここが良いと学校の成績がよく高学歴となり
一流会社に入れます。皆さんが普通に頭が良いと思われているところですね。
しかし脳は大脳皮質だけではなく大脳基底核、大脳辺縁系、視床下部などの、人間の感情・欲望・価値観
(善悪のこと)などをつかさどるところがあります。こういう発生学的に古い部分の脳はAI化することはできない
だろうと思っています。
しかし人間として本当に大事な部分は正にそこですよね。人の基本的な生き方を決めているのはそういう
脳の中心部分なんですね。機械によって決してシュミレーションすることのできない脳の大切な部分。
シッポ座さんが言いたかったことは、この部分の働きのことではないでしょうかね。私がいう本当の知力や
直観力というのも、同じく脳の中心部分の働きだろうと思っています。
そういう脳の構造も大事ですが、人間は脳だけで出来ているのではなく、身体全体が全て大切な働きをして
いると見るべきです。体全体で全てが何一つ無駄なく大事な役目の働きをしていると考えると、なぜ歩くと
健康に良く、知力を高めるのかが分かろうかというものです。写真は歩きの撮影が大事で、画像に思い入れ
が過ぎると写真ではなくなっちゃう、というのもきちんと道理が通るわけですね。
※前回投稿した写真は黒白モニターでやったため、セピア色が付いているのに気が付きませんでした。
今回は色を抜いての再投稿です。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3820x2688 (7.16MB) |
撮影日時 | 2024-11-19 00:54:18 +0900 |
モノクロ専用のモニターが手に入りました。知人がネットでジャンク品をゲットしたのですが、結局
自分の用途には合わずでタダでもらいました。医療用のレントゲン写真を表示するモニターなのですが、
やはり専用のビデオカードが必要ということで、普通のカードでは不本意にしか表示できないようです。
(上下並列2面表示でしか) しかしその画質の一端は垣間見ることができ、圧倒的な解像度とシャープさ、
高コントラストにさすがだなって思いました。モノクロカメラと同じ理屈なんですね。
まあ、これは遊びでの話です。
私が普通に使うPCのモニターは一時完全モノクロにしていたのですが、ほんの少しだけ色を付けること
にしました。全くの無彩色だとかえって分かりづらいところがあるわけで。物事は極論ではなく少し
中道に振ったところに良いものがあるのかもしれません。
生成AIとか人工知能の話をすると一般の方には理解できないことだとは十分承知していますが、今この
時代が雪崩をうってその方向に邁進しているわけですね。あと10年経てばとんでもないことになっている
のは確実です。
このAIはたとえばプログラミングができる人には朗報とも言えるものでして自動で短期間で労力を伴わず
にプログラミングコードを書いてくれるわけです。しかしプログラミングの知識がない人にはまともには
使えません。万事がそれでしてプロの優秀な人にとっては生成AIは最高のツールであり武器になるわけです。
そうすると結局は優秀な人達にとっては大変な利益をもたらすのですが、そうではない人達にとっては
おそらく不利益しかもたらされません。
ですからAIを使えるか使えないかで大変な格差が人々の間で生じるということになります。
今現在のインターネットやPCコンピューターでもそうなんでして、一般の人達は馬鹿みたいな使い方しか
出来ていないでしょう? 今でもそうなんだからこれからはその格差というのはもっともっと開いてしまう
というわけです。
機械より人間のほうが恐ろしいというのは確かにそのとおりです。機械は善悪の概念がありませんが、
人間には悪い人間と正しい人間がいます。弱い人間と強い人間も。(機械にも強弱がありますね)
そして時代にも正悪と強弱の時代分類があるんですね。
その時代と人間を区分している本質的な要素は同じものです。それで時代が悪くなれば悪人がはびこるし
時代が良くなれば善人が活躍するのです。
この本質的な仕組みがあるからこそ、機械はどんなに高度になっても人間を超える知能を獲得すること
はできません。しかし機械にはパワーがあります。核兵器などはその典型です。それで人工知能にも
ものすごいパワーがあるんですね。それが証拠にAIデータセンターを稼動させるには大電力を消費し
原発が必要になるほどです。
人工知能が核兵器並みに危険であると言われるのは、その強烈無比なパワーによるものです。核もAIも
それを制御する人間が悪人であれば、もしくは弱い人間であれば、人類を滅ぼしてしまいかねないわけ
ですね。
日本人は自然災害と人災の区別が厳密にできていないところがあります。原爆を落としたのは人間です。
しかしそれを自然災害とあまり区別せずに捉えているようなところがありますね。大地震は自然災害
ですけど原発を建設し破裂させたのはあくまで人間であり人災であるわけです。
そうは言っても結果として、自然災害も戦争などの人災も同じような苦しみを人々にもたらすわけで
あまり区別するのもさほどの意味がないところがあります。
週刊現代で落合陽一氏(筑波大準教授)のカメラが紹介されていました。ライカM型です。レンズは
ノルテルックス50ミリF1.2。2本同時に購入し、そのうち1本がキリッとしなくてソフトフォーカス
レンズのようなものだったそうで、その不良品がいたく気に入っているそうです。そういうレンズの
画像はAIでは表現できないと。(笑)
私はあくまでアマチュア写真家ですから、写真でお金を稼ぐことはできませんし、ジャーナリストでも
ないので写真に対しての社会的な使命感というのもありません。自分だけのささやかな写真活動が
できればそれでよし、というところです。
そういう場合に、写真とは細部にこだわるべし、という気持ちが強くあって、特に画質というものを
これまで大事にしてきました。黒白写真にしてから画質は大分捨てたのですけど、それでもこだわり
はまだありますね。
落合氏の記事を読んでいると、そういう売れっ子の有名人でも同じようなことを考えているのかと思い
苦笑しました。
細部に宿る写真の何かが欲しいからこそ私はこれまで写真を続けてきたというところがあります。
神は細部に宿る、これをモットーにして写真に限らず全ての物事に対処してきたところがあります。
普通の人達とはまったく視点が違うのでもとより理解してもらおうなんて露ぞ思っていません。
私がモノクロに拘るのもその細部への関心からです。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (1.96MB) |
撮影日時 | 2024-11-19 00:54:18 +0900 |
脱画面の時代。
【まじか‼️】スマホがなくなる日は、近いのか?OpenAIの新デバイス計画の謎
https://www.youtube.com/watch?v=VjvAT3nqz4I
今現在、パソコンはマウスとキーボード。スマホは画面タッチで操作をしていますが、これはモニター
というカラー画面があるからできることで、GUI、グラフィックインターフェイスの操作法であるわけ
です。それ以前はキャラクターインターフェイスでテキスト文字をキーボードでコマンド打ちをしての
操作でしたね。いずれにせよモニターがあって出来得たことです。
私はこの、GUIというカラーモニターが大いに問題を引き起こしていると提言をしたわけです。
デジタル写真をする場合、このモニターでの操作を避けることはできません。デジカメで写真を撮った
場合、まずカメラ背面モニターで見ることができ、そしてデータをPCに持って来て、現像なり画像修正
を行うわけでずか、それにはモニター画面での操作か欠かせません。
この画面を見なくて写真ができないのか?と問えば、フイルム時代はそんなの無かったじゃないか、と
言ってもデジタル写真ではモニター画面を見ることは不可欠なんですね。
それで対抗策として私は黒白写真で行こう、となったわけです。しかしこれはあくまでも対策であって
根本からの解決法ではありません。対症療法的な対策法というか逃避行動であるわけです。本来はモニター
画面なんか見なくて写真ができればいいんです。つまり脱モニター画面。
それがスマホやPCの次の次世代のデバイスでは画面なくしてコンピューターが操作できる、つまりは
デジタル写真も脱画面が適そうな雰囲気になってきました。
この新聞記事を読んで、これだって思いましたね。
「スマホの次は脱画面」オープンAI、新端末開発へ。アイオー・プロダクツ買収。音声操作に商機。
io Productsとはアイフォーンのデザインを主導した元アップルのジョナサン・アイブ氏が創設した会社。
つまり今現在のスマホと言うコンピューターデバイスの操作感を決定付けた人物なんですね。
アイブ氏は、自分がデザインしたスマホやPCという利便性と高いデバイスというものが、益と同時に
そのマイナス面も大きくて、様々な問題を引き起こしていることを知っていたわけです。またそういう
自分への責務というものを感じていたそうです。
ですから画面を無くするというアイデアは実に的を得ていると私は思っています。
私は画面を黒白にすることで対処しましたが、画面が無くなれば、これこそは根本的な解決法になるわけです。
それから私もユーチューブの動画も見ますが、実際は画面は見ずに音声だけ聞いているわけです。またそういう
音声内容の濃いものしか見ません。
そうなのでモニター画面をなくして音声でいく、というのはこれからの時代に即したやり方でしょう。
生成AIは高度になってきて、もはや画面を見て人が一々操作をするということが不要になったわけですね。
ということでやがてAIによって全く新しい形のデバイスが登場するということなんです。
モニターという透過直射光、特に眼にきついカラー画面が無くなればこれは革命的です。思い切ってコンピューター
を使うことができるというわけです。
ただここで大きな本質的な問題が新たに発生するだろうということは避けられません。
たとえば画面に映った文字配列でのキャラクターインターフェースの場合は、人に思考というものを要求され
ましたが、これから起こるAIインターフェースではその思考は必要がなくなるという根本的な問題が出てくる
わけです。
つまりコンピューターを自分で操作するこということがなくなり、むしろコンピーターに人が操作されるという
ことになるわけですね。
殆どの人はAIの知能に敵わない時代になりました。IQが120オーバーでないともうAIには敵わなくなってくる。
そうなると人は自分より高いIQのAIデバイスの言いなりになっちゃうんですよ。人が自分の意思をAIによって
奪われるという本格的な時代に突入します。
まあ、それは置いといて、とにかくしばらくは画面からの脱却ができるようになるということでは革命的な
変革の時代になってきそうです。とりあえずモニター画面の症候群からは脱出できるようになるわけです。
そして自分を取り戻さなければなりませんね。
そうなんでしょうね
どちらかといえばaiとか人口知能とかってより人が一番こわいです
ネットで見られる、得られるものはあまり信用しません
とはいえグーグル先生頼りなところもあるのですが
できれば自分で知り得た情報や知見、経験から得たいと思います。
実物があるのなら自分の目で見て触って確かめて、五感ややわこい皮膚のような触覚とは違うのでしょうけれどちょっと怪しいんじゃないかーって
そういうのって人間だから分かる感覚なんじゃないかな?って
そういうのを大切にしたいですね
人が書いたもの、そうでないもの、意図的に書いたであろうこともの、人が入っていないものは何となく違和感感じますからね
病気の投稿写真だ
何時か出掛けたひたち海浜公園で撮影した写真
konica autoreflext3
asahi takumar 200mm f3.5
lomography cn 400
メーカー名 | KYOCERA |
機種名 | KYV41 |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 3.5mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/10016sec. |
絞り値 | F2.2 |
露出補正値 | +0.3 |
測光モード | スポット測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 750x1000 (523KB) |
撮影日時 | 2025-05-23 23:18:26 +0900 |
無人販売所にてすいか百円!
冷蔵庫にて絶賛冷却中!
梅雨入りしてないけれど夏に近づこうとしています
メーカー名 | PENTAX |
機種名 | K-5 II s |
ソフトウェア | Capture One 9 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 80 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4096x2713 (5.34MB) |
撮影日時 | 2013-03-19 23:33:14 +0900 |
カメラマンはいつまでも馬鹿をやってはいけない。
なぜならば、その馬鹿癖とは、結局は透過直接光という電磁波(広義の意味で、可視光線も電磁波のひとつだ)の
悪影響の結果に過ぎないのだから。つまり可視光電磁波弊害です。
これに気が付いた掲示板の投稿者は多いです。私もやっと遅ればせながら分かったに過ぎません。
可視光弊害はデジカメだけではなくてパソコンやネットでも同じく悪影響がでてきます。当然にスマホでも。
要するにモニターを持つ電子機器(その最右翼は古くはテレビだろうしパチスロなんかもそう)は、人の運勢を停滞
させます。人生時間の無駄使い、つまり消尽をさせるのです。しかも当人にはそれに気が付かせずに。
これを名付けて、私は浦島太郎シンドロームと言うことにしています。
今現在、一時的にPCモニターを黒白表示にしていますか、エヌビディアのコントロールソフトでやっています。
エヌビディアといえばグラフィックカードのメーカーですから、そういう黒白表示の要望があるということを
分かっていたわけですね。仕事で長時間作業をする人は、こういう問題に敏感なはずです。それでその要望を
汲み上げていたというわけでしょう。
ウインドウズ10や11だとOSからもできるようです。なんにせよ、しばらく黒白モニターでやっていこうと思って
ます。いろいろと知ることができるのではないでしょうかね。
メーカー名 | PENTAX |
機種名 | K-5 II s |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 10.0mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1.0sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 80 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1356 (1.05MB) |
撮影日時 | 2013-03-19 19:35:09 +0900 |
私がモノクロ写真撮影をするようになってから、もう2年近くが経っています。
当初の切っ掛けは単なる思い付きで、ペンタックスのモノクローム専用機を購入したことから始まりました。
しかしこれでモノクロ、黒白写真にどっぷりと嵌ってしまったわけです。以来、殆どの撮影がモノクローム撮影です。
もうカラー撮影に戻ることはないでしょう。自分には黒白写真が似合っていると思っています。私には黒白写真で
十分だと考えていますし、それで必要にして十分だということです。
黒白写真にしてから、まず機材への関心がまったく無くなってきました。と言いますか、次から次へと機材に欲望が
出てくるという方が異常なのであり不自然だったわけです。
私が20歳代に黒白フイルム写真で撮影し自家現像をしていた頃は、その機材は最低限のものでやっていました。
カメラが2台、レンズが数本というところで、それ以上欲しくもなかったし必要もないことを自覚していましたから。
一方、デジタルカメラで、カラー写真をし出してから20数年が経ちますが、それこそが普通ではなくて異常な時期で
あったわけで機材の欲望に翻弄されていました。それがデジタル黒白写真で正常に戻っただけなんですね。
なお、参考までに書くと、一般的に言って写真人の傾向として、機材への偏重か、もしくは撮影が過多か、という
ことであり、そのどちらも傾き過ぎるのはいけないということです。やたら毎週のように撮影に出かけて過ごすという
のも、それはそれで欲望に駆られているということです。
と言うことで、黒白撮影にしてから写真に対して過剰な思い入れ、というものが無くなったということです。それが
黒白デジタル写真の最大の効用であり、もしかすると全てかもしれません。
そうなってくると自分への、写真以外の関心というものが芽生えてくるわけです。それが自然です。
カラーデジタル写真では写真への過剰な思い入れというものが有り続けたということで、それが不自然であった
ということなんですね。それが正常な関心の配分に戻ったと言うことなんです。
所詮は写真です。たかが写真なんであって、それが自分の中で過剰に膨らんでいたということ自体が自然では
なかったということではないんですか。
デジタル写真、これはカラーのデジタル写真のことですが、人をして異常なまでに感心が増大して、もうそれしか
見えなくなる、という不自然で異常な事態になるということ。
それをズバッと切ってくれたのがモノクロデジタル写真でした。なんだ、写真なんて、こんなものだったのかと。
そう目覚めさせてくれる威力が黒白デジタル写真にはあったわけですね。
これ実は、写真だげてなく、パソコンやスマホでもそうですけど、モニターを持つ電子機器装置一般にも同様に言える
ということに気が付きました。
これらの製品は、つまりパソコン、スマホ、デジカメに共通するのは、画像モニター自体が発光し、その透過光で
人間の眼に直接、光が入ってくるものなんです。これは直射光ですね。
比較対比をしますと、紙の印刷物とか紙焼き写真というものは、光源が別にあり、その反射光ではじめて見るもの
なんですね。直射光と反射光、それは太陽と月くらいの大きな違いがあります。
この直接透過光の製品が本質的には曲者であるということなんです。大げさに言えばこれがこの今の世界を
ぐちゃぐちゃにしているっていうことです。
そして私としては、それへの対抗的な対策が黒白写真であったということに過ぎないんですね。画像を黒白オンリー
にすれば、透過直射光の神通力が見事に消えうせてしまう。そういうことなんです。
正直、モノクロ専用のモニターが欲しい。そう思います。黒白モニターならばネットの全てをモノクロで見ることができ
ますから。
フイルム写真、紙焼き写真でも普通の人は、時期的に言ってカラー写真から始めているでしょう。しかし私の場合
は黒白のフイルム写真から始めていました。1970年代ですね。無論カラー写真はありましたが手軽なのは黒白
フイルム写真でした。
カラー写真から始めた人はフイルム時代でもけっこう機材オーバーでやっていたようです。やはり反射光写真でも
カラーとなるとどうしても過剰になるみたいです。
白黒文化というのは文字印刷本が今でも白黒です。白い紙に墨で文字を印刷する。印刷も既にカラー時代ですけど
多量の文字情報の場合は今でも黒白文化で一向に変わらないのです。
ただしネットではカラーですね。どんなサイトもカラーで色づけされています。ここに紙文化と電子文化の違いが
あります。モニター文化というものはカラー表示、RGBがスタンダードなんです。
ということで、ここからが本題。ウィンドウズ7でも黒白表示ができそうなので早速やってみました。
"Salvatore" - Isabeau Levito performs to Lana Del Rey at 'Gold on Ice' 2024
https://www.youtube.com/watch?v=sCYYgtYK0bY
ショパン - 春のワルツ - (トスカーナ 4K) Chopin - Spring Waltz
https://www.youtube.com/watch?v=zrX_pYsQEp8
映像でもカラーでなくとも黒白画面でも美しいですね。なんら不足がないではないですか。
フォトXPを開けば、皆さん全て黒白写真で投稿されているみたいな。(笑) ちなみに黒白画面だと広告があまり
気になりません。
そういう時代の背景というものを知っておく必要がありますね。皆さん、パソコンもスマホもデジカメもインターネット
も夢中になって、もはや奴隷状態でやっているのではないですか。少しの時間があればスマホを取り出して見て
いるじゃないですか。電車に乗ればスマホ、レストランの椅子に座ればスマホ、信号待ちの歩道でも、自転車に
乗りながらでもスマホです。
それらは全て原因は、表示がカラーだからですよ。また透過直射光だからなんですね。
そういう時代の仕組みというものが私も段々と分かってきました。やはりそういう時代はおかしい、どこか間違っている
ということが分かったからこそ、私は確信的に黒白で写真をやることにしたんです。それは黒白の本を読むことと
通じる、この時代への正常な反応というか反旗というべきものかも知れません。
カラーデジタルで写真を撮って、そして投稿写真として黒白写真に仕上げる、と言いう方が増えてきたかもしれません。
しかし、私の黒白写真への考え方とはぜんぜん違います。皆さんはひとつの表現として、流行的に黒白写真を
しているに過ぎません。それは一時的なものです。私の場合は黒白撮影しかしませんから覚悟が全く違うんですね。
写真の本質はカラーでなくともできるわけでして、黒白写真時代でも写真文化があったわけですし、むしろ黒白写真
の時代のほうが写真文化は高かったです。
つまり写真というのは白黒で十分にできるわけです。写真として何ら本質に毀損はないのです。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | EF 24mm F2.8 |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F11 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 160 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1000x667 (771KB) |
撮影日時 | 2025-05-08 21:35:17 +0900 |
ガキ写真じゃ〜
ようやく部品が届き交換したものの各部一々見ていたら不備な点がでたので
色々と整備していたら結構な時間が過ぎてしまいました。
古い車両なので当然といえば当然なのですが
いじっている時間よりも互換性のある部品を見つけるのにネット調べに時間を費やしてしまいました。
現行車種ではないのでアナログ、電子制御もないので単純だけど
それが何だか頼もしく油まみれもまた楽しく。
いつもの遊水池にて。ここは何にも無いのですが九州で言うならライダーの聖地にも似て、気分は晴れ晴れなのでした。
good job!
誰だお前!sageだろ
クソな写真だな
sippozaくん、がんばれ!クソみたいな輩に負けるな!!!
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1024x683 (544KB) |
撮影日時 | 2024-11-16 23:33:42 +0900 |
写真家というか、カメラマンは馬鹿にならんといかんぜと思う
幕末、尊皇攘夷ということで馬鹿騒ぎをしていました。倒幕ですね。そりゃあもう直ぐに刀は抜くわ切腹はするわで
西国大名の下っ端サムライは大騒ぎをしていたんです。馬鹿丸出しです。それで実際に天下を取れば攘夷なんて
アホはしません。ようするに攘夷なんて嘘っぱちの方便だったわけです。
幕末、幕府を倒したのは九州や中国四国といった西日本の諸大名下の位の低い若い侍です。例外的に水戸藩が
尊皇派だったんですけどね。
西日本の人間は馬鹿ができます。ここが東日本の人間と違うところですね。日本の首都は江戸期以降ずっと東京
です。地理的にそこしかないです。しかし幕末期、東日本の江戸幕府は対外政策で躓きました。そこを突いたのが
西国諸国であったわけで、もしこの時期に倒幕ができずにそのままいけば、外国勢力に傀儡化されで日本は落ちぶれ
ていたでしょう。仕方がないから西日本の人間が出張ったわけです。
時代が大きく変わるとき、馬鹿ができる人間が登場しないとその国は持ちません。嘘でも何でもいいから変革する
ことが大事なんですね。人間は馬鹿にならないといけないんです。馬鹿ができないと、すまし顔では何もできずに
終了してしまうからです。戦争ではスピードが肝心でチンタラやっていると全てが終わってしまうんです。
写真はフイルム写真からデジタル写真へと変わりました。それはここ20から30年のことです。しかしそれが本当の
黒船だったかというとそうではなかったのです。本当の大変革は今やって来つつあるAI画像です。もう写真というのは
風前のともし火の危機的状況になっているんですね。それに気が付かない人が多いです。
フイルム写真が懐かしい?とんでもない。デジタル写真ですら懐かしむような時代にこれからなってきます。
私kusanagiがコメント主体で掲示板に投稿しようと考えたのは、写真がアナログからデジタルの時代という時代の
変わり目に、その変革期のレポートを買って出ようと思ったからです。つまり自ら進んで馬鹿を買って出ようと思った
からです。嘘でも何でもいい。とにかく書いてやろうということでした。それが時代の記録になるだとういうことで。
この私の馬鹿さ加減を知っているのが匿名のコバンザメさんです。九州の人らしいので分かるのかもしれません。
写真は人それぞれ、個性という名の自分勝手でいい。なんていう流暢なことを言っていると、その自分勝手なこと
すらできない時代になってしまいます。
日本は光学技術を握っていました。それでフイルム時代もデジタル写真時代も第一線でやれました。しかしAI写真
では、文字通り黒船であり日本の企業は大手米国AI企業の下請けでしかなくなります。それがどんなに面白くない
ことなのか分かっていない人ばかりです。
まずはAIで米国や中国に負けないような企業を日本企業が立ち上げる。これをやろうとしているのがソフトバンクです。
AIは駄目だとか、そういう攘夷論ではないんですね。AI時代於いても日本は写真や映像を握っていないといけない
のです。
これから10年20年後、今現在デジタル写真を謳歌していた人がどれだけ生き残っていることやら。
とにかく、写真はお澄ましでは何もできません。馬鹿になり切らないと。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F10 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2000x1333 (1.65MB) |
撮影日時 | 2024-11-17 00:09:06 +0900 |
このところ、古い愛車の調子が悪くなってきて、なんとかならんかなと試行錯誤の連続。
まずはプラグ交換。前回交換してから10万キロは走ってる。その時は長寿命のプラグとプラグコードを奢ったのですが、
今回はもうあと2万キロ弱乗れればいいということで、安物プラグで交換。コードはソケット部が緩んでいたのでカシメて、
内ひとつは銅線巻きで対処。またスロットルワイヤーが緩んでいたの清掃とでテンション張り。
それでもまだ不調。アイドリングは正調になったけど発進時にもたつく。ストール現象すらも。それでこれはエアインテーク
関係かなと目星を付け、まずは試しに市販のパーツクリーナーで清掃。そして15,000円もしたけどISCV、アイドリング
スピードコントロールバルブを新品に交換。(この交換は2度目) まあまあと良くなったけどまだまだ。
そして今回はクレ・エンジンコンディショッナーなるものでエアインテーク部をアワアワとクリーニング。強力な化学反応に
よって、かなりエンジンは改善してきました。こんどはソレをプラグ穴から燃焼室に吹き込もうかと考えています。
23万5000キロ走破の24年ものの古いスバル軽自動車です。目標は25万キロ走破。(笑)
今までは調子は良かったのですけど、このところのガソリン高騰で、それまでハイオクガソリンを給油していたのを
レギュラーガソリンにしてから不調になったので、やはりハイオクに含まれている添加剤で保っていたのがレギュラーに
しことでボロガ出たなあというところか。
そして違法だけどブローバイガスをエアインテークに戻す経路を遮断。車検時につければいいとして大気放出で。
こういう話は車とかバイクを自分で整備している人だと分かるかなと思います。
そしてこういう知識は全てインターネットで、とくにユーチューブで学んでます。車に限りません。家もリフォームもそう。
全く初心者で無知であっても、自分で学べばやり方が見えてくるんですね。
ただし自分で学ぼうという謙虚で真摯な態度が必要です。少しづつちょっとづつ学んでいく。チリも積もれば山となるで
いつの間にか自分でも信じられないほどに通になっていくんですね。
最初から頭から拒否していたんでは何事も改善していきませんね。俺はよく分かっている、学びなどいまさら不要だ、
と思っていると学力は向上しません。知識を学び実践して経験を積んでいく。軍隊だと訓練といいますか。
車も家のリフォームも私は素人だったれど、身体の知識に関しては昔から多くを学んでいました。しかし今でもそれ
だけでは全く不足だということで学びを続けています。最近ではウイルスとワクチン、そして免疫力ですね。相当に
難しくて理解できたとは言えないんですけど、それでも大分賢くなったような気がします。
免疫や糖質制限以外で、最近、おやっと思ったのは、鉄分の補給です。これを今年の1月にそういう著作を読んで
腑に落ちるところがあり、すぐさま実践。私は実践力と現場力が高いんです。机上論なんてしないですしね。
いろいろと私が人様にアドバイスをすると、大体の人はすぐに言い訳けをして理解しようとも実践しようともしません。
それは本気になっていないからですね。自分が駄目になるのはまだ先だと思っているだろうし、なったはなったで、
誰かが助けてくれるように楽観視しているんでしょう。そういう人が殆どです。
それで鉄分の話に戻すと、肉の赤肉などのヘム鉄は食物から摂るしかないんだけど、ホウレンソウなどの普通鉄は
簡単に摂れるんです。たとえば鉄なべ、鉄瓶、鉄急須など。しかしもっと簡単にやれる方法があります。
お茶を入れる磁器の急須に鉄釘(軟鉄の一番安いやつ)をバラバラと入れてお茶の葉にお湯を注ぐだけ。これで濃厚な
鉄茶が飲めます。
私はこれに気が付いたというか、あり得るかもと感じたのは、引越しをして体調が悪くなりました。当然に水道水が変わ
りましたね。以前より美味しい水道水となりました。これはすぐに分かりました。考えてみると以前のは金気水に近かった
わけです。金気の水道水が来るのは、ひとつは源泉水が金気を多く含んでいる土地である場合。また鉄製の水道管が
錆びている場合です。
金気水は美味しくないのだけど、しかし鉄分が水から補給できるというメリットがあります。水の変化から自分の身体に
鉄分が不足しているんではないかと、その著作を見てピンと来たわけですね。日ごろ自分の体調を観察していると何か
変だ。とわかるようになります。
そういう時に鉄分補給の本に出会った。早速に実践。以来ずっと続けていてもう4ヶ月ですかね。引越し以来落ちていた
体調や体力が復活できたという気がしてます。なんでも新しいことを始めてから3ヶ月を過ぎると効果が眼に見えてくるん
です。これは長年の経験からです。
この1ヶ月ぜんぜん休みなしで動いています。それでもしんどいとか疲れたという気がしません。それは鉄分補給の
お陰かなって思うようになりました。
鉄分は栄養素ですから食物と同じで即効力があります。誰でも3ヶ月やれば効果を確認できます。
お茶は葉っぱでいれる煎茶とかの類ですね。タンニンを含んでいないと駄目なのでコーヒーでは駄目かと。(笑)
なお急須が必要です。ペットボトルのお茶は無理かと思います。鉄釘は小さめの方が鉄分が溶けやすいです。螺子釘
とかコンクリート釘のような合金ではなく、普通の最安値の軟鉄の釘でないと溶けません。
鉄釘茶は、私にとっては久しぶりのヒット作となりました。時期的に糖質制限と同時にやってしまったのでどちらの
効果が分かりにくいところがありますが、鉄茶はかなり効果があるようです。
阿字ヶ浦の入江です
2011年11月頃に重い腰をあげて電車を乗り継いで出かけた先が阿字ヶ浦でした
海へ出る途中の小さな町のスーパーで昼飯にと立ち寄った先
店員さんに聞くとここでも船が流されたよと話していました
その頃に知り合った者同士で写真展を開こうという話が上がり、そのうちの一人が
それなら被災地へ行くよと言っていたのですが私個人の気持ちはそんな気持ちを持って写真を撮るもんじゃない、そう心の中では思っていました
偶然被災地が地元の同僚がおり若し出掛けるなら家に泊まれるように話しておく、そう話して下さる方も居ましたが写真を撮るなら自然景に咲く桜の季節にと思っています
なんでもかんでも話すものではないこと、話さなきゃいけない・先に人生を駒を進めない、そういったこともあるのかなと感じます。
女性の人や人間を写真撮影するのは好きですが昨今のいわゆるポートレートというのに魅力を感じずに今を生きている人間が撮りたいんだけれどな
cam;konica autoreflext3
lens;hexanon 1.2/57
film;fujicolor 100
デニスストックだったか白黒写真の男性が大きく手を伸ばして
出会いを表した写真が好きです
哀愁が感じられるよおな
写メはさっき傘をさして撮ったものでーす
pngファイル変換したのでデータ表示無しっす
Dennis Stock ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Dennis_Stock
残念ですが日本語版がなくて英語です。1950~60年代のアメリカ、とりわけ芸能人の写真を撮った写真家ですか。
ジェームスディーンの写真集が有名ですね。スナップ写真が主なんてすが大変生きいきとして時代を超えて訴えかけて
くるものがあります。彼はマグナムフォトグラファーでもあるんですが、やはりライカで撮っていたみたいですね。というか、
その時代は小型カメラといえばライカしかなかったですから。
ライカは小さくてシャッター音が静かで、すばやいピントで速写しやすいカメラでした。日本製のカメラで言えば、オリンパス
OMー1(初期のメカニカルカメラ)がもっとも近いカメラかなって感じます。
写真には他人が見てのという表面的な外見を繕うのと、自分の心の内面を醸し出すのと、大きく2つがあると思うの
ですが、鑑賞する側として強く印象に残るのは、やはり撮影者の気持ちが込められた心象的な作風のものです。
それも形骸化していない独自の斬新で新鮮なイメージで撮影された写真ですかね。
しかし独自イメージの表出ができる人は限られていて、これはやはり高度な知性がなければできないことなのです。
よく、感性という言い方をされますが、正しくは知性であり知力です。アナログ的なボリューム感のある知力が
いわゆる感性というものであって、それを持つ人はそんなに多くありません。
そして鑑賞者側としても、その感性的な知性を受け取ることのできる人は少ないのです。だいたい大部分の人は
心象的な表現を理解することができません。
ほんとうに写真をいうものを理解できる人は昔も今もわずかであって、現在において大いに画像は溢れていますが、
それは即物的な信号以上のものではないようです。それ故に私は、それらを写真ではなくて画像だとしています。
写真を本当に理解できる人は、古今東西、わずかな人達であり、それは昔も今もちっとも変わっていないのですね。
そう考えると気が楽になるというか、写真をする人は自分の写真を分かってくれる人はほんの僅かであるという、
そういう諦念がまずできるのであって、そういう意味では気持ちが楽になるのではないですか。
簡単に言うと、IQ85の人、100の人、115の人とは、同じ写真を見ても見方がまったく違います。普通の平易な文章
を読んでも違うのだから、ましてや写真や映像といった高度なアナログ情報ではまったく結果が違ってくるのです。
それを皆が同じであるという間違った思い込みというか、それは誤った教育の結果であるわけですけど、そういう
大嘘を信じているから誤解が生まれるんであって、とにかく知力の違いによって写真というのは多様的な面を見せる
んですね。
知力の低い人ほど、自分は人より賢いと思っていたり、自分は他人の写真をよく理解できていると勘違いをしてしまう
ものなんです。そういう人は自分の無知すら分からないほど知力が低いというだけのことなんですが。
以下のリンクは映像として一流のものだと思ってます。車に関心が無くても楽しめるというか、映像が綺麗ですし、
米国の郊外の風景も大いに楽しめます。凄いと思うのはバック音楽が一切ないこと。無駄なしゃべりもないこと。
それでいて魅了する映像は一流の証拠だと思ってます。
Ford Galaxie, 1962...
https://www.youtube.com/watch?v=dtGEOPv6A2s
1962 Ford Galaxie, Clean-Up And Repairs
https://www.youtube.com/watch?v=7qGokPEuzEc
Bigger Engine.
https://www.youtube.com/watch?v=6frWPdXwPpA
One. Last. Ride.
https://www.youtube.com/watch?v=UYtw1e7Mt_Q
Big Block Torino Upgrades/Repairs.
https://www.youtube.com/watch?v=14sqcKDAjIo
SimonFordman
https://www.youtube.com/@SimonFordman
昔の波トタンです。今でも売ってますけどね。最近はこれがガルバリウム鋼板と言って、鉄板に亜鉛メッキ
までは同じですが、さらにアルミニウムをメッキし樹脂塗装したものが人気です。それが屋根材や壁材にも利用
ざれています。
私としてはこのガルバには問題があって、全面ガルバにすると携帯電話が繫がらないそうです。ということは
地磁気も遮断する可能性があるということですか。鋼板がトタンよりも分厚いのでしょう。
一時、軽量鉄骨での住宅が流行りましたが、今は完全に廃れています。軽量とはいえ鉄骨材の柱や梁や
床の根太や束材が、地磁気を捻じ曲げ人の健康に影響を与える弊害が出ていました。それでなのかどうかは
不明ですけど現在は個人住宅には使われていないようです。
現在の個人住宅は木造であり、材木はボンドで接着した集成材です。
中古住宅購入のメリットは、集成材ではなく本物の無垢材の材木を使った住宅が手に入ることですね。
今流行で皆が使っているから大丈夫、というのは時代感覚で見れば危ういことが多いのです。自動車でもハイブリット
やEVが人気ですが、変動電磁波が始終出ていて体には良くないです。燃費が大事なのか、健康が大切なのか、
よく考える必要がありますね。
人間が動くとエネルギーを消費し、熱力学の法則で気温が上がるというのは、移動に自動車等の交通機関を
使うからです。飛行機などは最たるものです。最近は生成AIでコンピューターを動かすだけで膨大な電力を消費し
、発電所が足りないという問題も出ています。
人間が生身の個体として歩いたり考えたりする分には殆どエネルギーを使いません。それよりも生きているだけで
代謝する体温や消化などのエネルギー量のほうが大きいのです。
現在では産業構造自体がグローバル化し、サプライチェーンというのですが、自動車でも半導体でも家電品でも、
多国籍他地域にまたがって部材が海や空を行ったり来たりして完成するという具合です。その全地球的移動の
エネルギーは膨大でありコンテナ船や貨物航空機が世界中を駆け巡っています。
エスディージーズや地産地消ということでは国家間の貿易に関税などの障壁を設けるのは理屈に合っています。
江戸時代、人々の移動はもっぱら歩くという、資源やエネルギーを使わないやり方でした。船の航路はありましたが
風力を利用していました。地場の農地で太陽光で稲や作物を育て、牛馬で耕し水車で穀物を搗き、人々の移動は
自分の足で歩るける範囲だったのです。
現代の文明は地下資源を使ってのやり方であり、その石油やガスや石炭、そして金属類の地下資源がなければ
成り立ちません。そもそも地下資源のエネルギーというのは、何億年何千万年という時間を掛けて、時の太陽光
エネルギーが蓄えられたエネルギー資源であるわけです。
個人でも何十億円という資産を相続すれば贅沢ができるでしょう。その資産は先祖様が働いて稼いだ年収の
積み重ねであるわけです。我々の文明はそういう地球の遺産を食い潰しているだけといえるわけです。
水力や風力、太陽光発電のような持続可能な自然エネルギーだけで現代の我々の文明は維持できません。
そもそも近代の始まりの産業革命にしても石炭という地下エネルギー資源があって初めてなしえたものです。
また農耕という文明も、土壌という有限の資源によって成り立っています。土壌や地下水もまた地下資源の
ひとつなのです。
人が動くと体温が上がるという意味で捉えれば、これは大切なことであって体温は人の免疫力の維持には
なくてはならないものです。最近は低体温症の人が増えていますね。歩き、運動をするように人の体はできて
いますので、座ったまんまというのは体に悪いのです。立って歩くというのが人間や動物本来の姿であり、
疲れれば伏すというのが自然です。
しかし立ったまんま、というのも体によくありません。とにかく動くということ。これを忘れれば人は人でなくなり
ます。ゾンビになるんですね。映画のゾンビは激しく動きますが、それは生前に歩かなかったことへの強い反動
ですかね。認知症になって徘徊をして歩き回るというのと同じで。(笑)
人間が動くと温度が上がるとの説もありますが
歩み続けるものですがね
ageだろー!だれだおまえ!
O***Mだよ。
新しい遊びを覚えました
14tube + bellows + zuiko 1.2/55
今、古い大型ラックのバラシをやってます。20基くらいはあるでしょう。鉄材を組み立てている螺子はもう錆びていたり、
ペンキで塗られていたりするので、そう簡単には外れません。両方とも6角ボルト・ナットだとインパクトドライバーと
ボックスレンチで簡単に外れるのですが、ボルトのほうが丸頭だとナットにインパクトを当てても空転して外れません。
最初はサンダーでボルトの丸頭を削ってはずしていたんですが、これは時間が掛かる。少し工夫をして交差する鉄材を
ねじってみると、その摩擦負荷で外れることが分かったりします。しかしねじれができない場合は、今度はサンダーで
丸頭に縦筋の切れ目を入れて、ちょうどマイナス螺子頭のように加工すれば、そこにマイナスドライバーを当てて外れる
ようになる。・・・・という具合に、工夫、くふうのオンパレードでやらないといけないんです。
インパクトドライバー3機にボックスレンチ、スパナ、マイナスドライバー、そしてサンダー2機、という具合に機動力を最大
にしても大変なんですね。しかしいくら道具を揃えて機動性を高めても、やはり工夫をしていかないと作業効率は上がり
ません。
この大型ラックの鋼鉄材を基にツーバイフォー方式で連結して組み立てれば、目指すガレージというか倉庫の柱&壁財
となり、比較的容易に建設ができるわけです。
とにかく資材の高騰で、可能な限り安くやりたいので廃材の利用は不可欠です。本職に頼めば200万はしそうな倉庫を
自分で組み立てるわけですから、無い頭を総動員してやっていかないといけません。(笑)
10坪くらいの倉庫を建てたいんですが、空間的には6畳間が3つという具合です。床はブロックを並べて、その上にモルタル
で化粧塗りしてフラットに。そしてラック廃材の鉄材で組んでいく、という具合。屋根の梁は足場材のパイプで行きます。
そして材木を張って屋根材・壁財を張込むという感じか。
そんなわけで廃材を集めてます。鋼材、アルミ板、木材、石材、ブロック、ベニヤ板、石膏ボード、電設材とにかく何でも
利用できるということでタダ同然のものを溜め込んでいるんですね。(笑)
私は螺子1本、釘1本も無駄にしません。再利用します。蒲鉾の板ですら捨てずにとっておいてます。
写真機材も新品を買って喜んでいるうちはまだ子猿です。古いジャンク品を組み合わせて自分なりの機材とする。
写真の面白さは機材に負うところが大きいので、工夫如何で楽しみは倍増すると思ってます。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/1579sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 50 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1000x667 (614KB) |
撮影日時 | 2025-04-24 19:54:59 +0900 |
ある日中における橋を逆光から見た景色
目先の雲間からは強い日差しがまっすぐに伸びる
橋の上を走るタンクローリー車、ダンプカー、
春の季節を生き残った草木が河川の流れに沿うように生えている
いつもの日常における景色
この橋の写真を見て、私が以前にアップした写真を思い出しました。
「北上川支流」
https://photoxp.jp/pictures/203710
この写真は通常の1/4RAWの画素数で撮影しているんです。オリジナル画像は随分と低画素なんですが、
それを水増しして投稿してます。これは普通と逆ですね。通常は高画素で撮影して低画素で投稿しますから。
ですからピクセル等倍で見ますとぼんやりとしています。
なぜこんなことをしたのか。それは津波被害や原発事故の撮影をしたので、自分はよそ者であるからと、
謙虚の気持ちを形にしたかったというところがあります。
シッポ座さんの写真もピクセル数が低くて、あえて高画素では投稿されていません。
川の写真は好きですし、また興味深く見ることにしています。川を見ればその地形や気候が見えるというところが
あり、その地域の自然環境は川が表しているということで、大変重要であると思ってます。
橋の写真も好きで、橋があれば必ず撮影をしています。橋といえば映画「マディソン郡の橋」を思い出します。
Lennie Niehaus 映画「マディソン郡の橋」 Doe Eyes (Love Theme from "The Bridges Of Madison County)
https://www.youtube.com/watch?v=kYW-tZ4bFMw
カメラマンが使っているのはニコンFですね! 私も使ってました。
この映画は、非日常における橋を介したラブロマンスですけど、美しい映像でアメリカの田舎がよく分かった
映画でした。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/2048sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | スポット測光 |
ISO感度 | 160 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1667x2500 (2.88MB) |
撮影日時 | 2023-04-23 02:30:45 +0900 |
2023年4月22日に残しておいた写真データでした
本日は曇天あまりに固執していると周りへ目がいかなくなるものです幸いにして人間には目、耳、口、ありました
lens;tamron 80-200/2.8 30aにて
この写真、すごい写真です。圧倒的な存在感ですし、空気感に立体的な空間感覚が満ち溢れています。そして
光の芸術でもあります。ものごとの本質を掴んだような感覚を得たような、そういう気がする写真になっていると思います。
うまく言葉では言い表せないのですが、不思議に、しかし絶対的な何かの手ごたえのある感覚を覚えるわけです。
シュールでありながらリアル感覚。広意義の印象派とも言えますが無論ポエムではなく厳しさがあります。しかし懐かしい
感じもするのです。過去にいつか見た光景。しかし未来にもいつか見る風景であるかもしれない。
tamron 80-200/2.8 30aというレンズの特質もあるかも知れません。古いレンズだと思いますが、F2.8なので当時の
高級レンズだったろうと思います。最新のレンズだとあまりにも写りすぎて(コーティングし過ぎ)詰まらない物も写っちゃうので、
ここらの時代のレンズがちょうどいいのかもしれません。
写真はどんなに本人が頑張ってみても、レンズやカメラという道具の制約下にあることは避けられずで、やはり自分
が表したいイメージの路線に沿ったカメラやレンズでないと難しいわけです。写真はそういう機材の選択から始まると
いう気がしてます。
こういう写真を見てしまうと、私も、もう一度、写真を復活してやってみたいなっていう気分になってしまいます。(笑)
とにかく久しぶりに、絵ではなく写真を見てしまったという感覚。
しかし今は忙しくて、とにかくリフォームをやり遂げなくては、という強迫観念が迫ってきているので。(笑)
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (1.3MB) |
撮影日時 | 2024-09-29 02:09:30 +0900 |
自転車をあげるって言われているのですが、歩きが一番と思っている私には必要がないのではないかと考えていました。
しかし自転車は、押し歩きというスタイルも可能なんですね。そういう使い方もできるといことで貰おうかなっていう気が
してきました。
シッポ座さんからの啓示ですかね。前後に大きな籠がついているので荷物がいっぱい積めます。それを乗るのではなく
押して歩くということ。そういう使い方だと私のセオリーと矛盾しないのです。
パワーマックG4ですかね。ポリタンク型のやつ。3台ほどもらいました。もとより3~4台所持しているのでコレクションが
増えるっていうだけ。これでネットはできないですし使い道はないのですけど、イラレやフォトショがインストールされている
ようなので少しは遊べるかな。(笑)
私の特技、みんなから不思議とよくモノを貰うんですね。食い物もなぜかくれたりする。顔に、ちょーだい、って書いている
のかな。(笑) 貰うものは基本断りません。ありがたく貰う。お返しなんかしたことがない。それでも不思議に次から次へと
くれるんですね。
これ、占星術的には分かっているんです。私には0歳の大吉星があるからです。つまり赤ん坊です。赤ん坊だから貰って
当然、ということか。
しかし私の総合的な精神年齢は40~60歳代なんです。これ、べらぼーに精神年齢は高いんです。普通の人はだいたい
10歳代から20歳代の人が多いわけですが、私の精神年齢は皆さんとは隔絶しています。ですから殆どの人は、私の
思考が見えません。見えないんだけど、ただひとつ、私には赤ん坊の年代星があるので、それだけが見えるんですね。
あっ、こいつは馬鹿だと。ベイビーだなと。(笑)
そして、この0歳、赤ん坊の星が、実は私の占星術の駆動力になっているわけです。
ですから、世の中の殆どの人が、私の思考力と感性の挟み撃ちになって、いわば翻弄されます。唯一、私と同じ高い
精神年齢を持つ人だけがそれを避けられるわけです。
高度に精神年齢が高いということは、別の言い方をすれば知能が高いということでしょうか。高すぎて困ってしまうという
ところがあります。普通の人とは30ポイントくらいの差があるでしょう。
ですから普通の人とはまともに話ができないので、それで小学校高学年のころから読書生活に行きました。それは今も
続いているというわけ。本を書くレベルの人くらいしか話し相手がいないわけですね。
考えてみればこれはかなり不幸なことかも知れません。
【ペリリュー島の戦い】終わりなき持久戦…地獄の戦場に残された戦跡を現地からわかりやすく解説 【大人の教養チャンネル】
https://www.youtube.com/watch?v=_ddnRi69v4U
この中で、火炎放射器とガソリンというのが出てきます。これでパッとひらめく人がいればすごい。
そう、つまり日航機123便事件のことです。
ペリリュー島の戦いは終わらない。永遠に日本人の心の底に溜まったままです。それと同じように都市伝説としての
日航機123便は無くならないのです。終わりなき旅路であり、永遠にさ迷ったままなのです。
こういうのもあるのでついでに視聴してくださいな。
「民間人1万人が自決…サイパン島に残された戦争の爪痕を巡る 地獄の戦場を現地からわかりやすく解説」
https://www.youtube.com/watch?v=KDXNWjWWj7M
「日本兵52万人が犠牲に…フィリピンに残された戦争の爪痕をめぐる 最悪の戦場を現地からわかりやすく解説」
https://www.youtube.com/watch?v=gmY-X670Vrc
ドントテルミー・ア・ライさんが現地に行ってレポート解説をされています。非常に良い番組です。
通常、頭がいいっていうのには2つの意味があるんですね。
普通は学力があって良い学校を出ている人。多分ご本人も自分は頭が良いと思っているかもしれません。
もうひとつは学力とは関係がない純粋な知力です。別名知能指数ですか。
学力というのは幼児期からそういう環境にないと身につきません。街部に生まれて家庭も子供に学力を
付けさそうというような環境に育ち、本人も先生の言うことをよく聞いて勉強をしてって感じです。
もう一方の知力というのは生まれつきのものです。ほぼ遺伝子ですか。
学力が身について頭の良い人っていうのは当然に勉強ができてよい学校を出て就職も良いところへ。という
コースをたどります。世の中が平和で穏やかな時代であれば、こういう人は大いに活躍します。
その頭の良さっていうのは大体は記憶力と計算力です。過去の知識に基づいた思考法でこれからの未来
も予想できるっていう感じなんでしょうね。
ところが世界というか時代というのは変化します。時代の変革期っていうのがあるんですね。そういう時には
こういういわゆる頭の良い人っていうのは思考の停止をしてしまうんです。過去の教えられた思考法にない
場合は脳がフリーズしてしまう。ここが学力秀才の大きな欠点というか限界です。
そこで出てくるのが学力はないけれど生まれつきの地頭の良さを持っている人。こういう人はゼロから思考
を構築していくことができるので、過去に事例がないケースでも対応できるんです。時代が大きく変わる場合、
活躍をするのは学力型人間ではなくて、この知力型のタイプです。
パソコンに例えれば、知力とはCPUです。ロジック回路が優れていてスピードが速い。そして学力型は記憶型
なのでHDDやSSDタイプなんですかね。最近ではGPUっていう感じもします。
ちなみに最近流行の生成AIというのはあくまでも学力型の模擬知力です。本当の知力というのではありません。
何故こんな話をするかというと、時代は現在大きく変わりつつあるからです。
それで日本の国も日本人もそれに対処をしかねているからです。このまま旧来のやり方にしがみついて、
何も新しいことをしなければ間違いなく日本人は滅びます。滅びないまでもアジア化した日本に変わって
しまうでしょう。それでも構わないと言えばそうなんですが、それじゃ面白くないっていうことですね。
しかしそんなことよりも、学力ではなく本当の知力が醸し出した思考力のほうが遥かに面白っていうことです。
学校では絶対に教えてくれない考え方があるんですね。そしてそれこそが真実だったりする。
たとえば精神年齢とは。(運勢年齢でもある)
10代未満・・・・・・・2星座・・・かに座・ふたご座
10歳代・・・・・・・・・4星座・・・しし座・おうし座・おひつじ座・いて座
20歳代・・・・・・・・・2星座・・・みずがめ座・おとめ座
30歳代・・・・・・・・・2星座・・・てんびん座・うお座
40歳代・・・・・・・・・1星座・・・さそり座
50歳代・・・・・・・・・1星座・・・やぎ座
という感じ。
皆さんが普通知っている○○座というのは、太陽の星座だけのことです。他にも上昇宮(地球)、火星・金星・
月(ムーン)、水星木星土星天王星海王星冥王星といろいろあるんですね。星座だけでなく宮室もアスペクトも
色々とあるんです。
それでも上記の表を見れば、ほとんどの人が30~40歳代でその人生の多くを終えているということになります。
一般には早熟であり、太く短くの人生型なんですね。だいたい10年の伸びしろがあるので、それで多くの人達は
10歳代から20歳代でピークに達するのです。そういう運勢年齢であり、精神年齢であるということです。
ネットでよく、中坊(中学生の坊や)という言い方をしますが、言いえて妙なものです。
老後はどうか。これは山羊座が握ります。蠍座も少し。ここらに充実した星があれば60歳を超えてもかくしゃく
とした老後が送れるでしょう。そして還暦法といって60歳を過ぎれば0歳に戻り、再び2度目の星が巡ってきます。
とはいえ、山羊座そしてその守星である土星がないと実質を伴わないかも知れません。
つまり山羊座・土星とは山の頂点なのであって、ここに何かの星がないと極めるということができない人生になる
かもしれません。山羊座・土星とはこころざし(志)なんです。この星がある人は馬鹿なことはしません。
そして知力の話に戻りますが、これが最高なのが山羊座・天秤座・牡羊座・蟹座です。この4星座の星を強く
持つ人は圧倒的です。再度申しますがそれは基本、学力とは関係がないです。
そうは言っても悲しいかな、こういう能力は生まれつきのものなんですね。学力のように努力して何とかなるという
ものではないのです。つまり受け入れるしかないものであり、そこに顕教と密教の大きな違いがあります。
参考までに言うと、私は山羊座・天秤座・牡羊座・蟹座を強く持ち、射手双子座や魚乙女座という薄い星座を殆ど
持たない人間です。かなり偏っていますが、それだからこそ見えてくるものがあるようです。
なぜこういう話をしたのか。それは世間一般の常識では学力が万能であって、それにひれ伏しているところが
あるからです。自分は学力も学歴もないからつまらない人間だと思ってしまうところがありますね。
反対に自分は勉強をして学歴も職歴も高かったから普通の人より偉い人間だと思っている人もいるかもしれない。
しかしそれは真実ではないんです。
もうすぐ6月末からトランシット(現行の惑星運行)で、土星と海王星が牡羊座に。木星か蟹座にきます。
先ほどに述べたように、強力な星座に巨大惑星が集中するわけですね。山羊座・天秤座・牡羊座・蟹座という
一流の星座に大きな惑星が来るということは、世の中が時代が大きく変わるということなんです。マトモな世の中
になるということです。そしてそれはすでに現在、始まっています。
知力には2つのアプローチがあると考えてます。ひとつはロジックですね。論理的な整合性がとれていること。
これは大事でして、たとえば嘘を言う人、悪意はなくても自分に無意識に嘘をついている人は、どこかに論理性の
矛盾や破綻があるからです。
もうひとつのアプローチは現場での観察力です。とにかく現場で直接に見ること、聞くこと。これが大事です。
人には他人の脳の中に入って行ける能力があるのですが、これは脳のネットワークを利用しているんではと
考えてます。しかしそれには直接その人と会うことがなければなりません。
脳内に侵入できるかどうかは別として、やはり直接会って眼というか五感でよく観察するというのは大切です。
この直接に当人の顔や声やしぐさを観察するという、これが現場力の最たるものであって、これは写真と密接に
つながる話です。
思考をめぐらして論理力で検証することと、そして現場での深く詳細な観察力。この2つが知力の2大分類です。
細かく分けるとさらに分けられるんですがこの2つが飛びぬけて高いと、その人の知力は優れているということに
なります。
そして知力にはスピード、思考力のスピードが大事です。圧倒的に速く正確であることが求められます。
のんびりとしていては駄目。つまり競争力が優れていないといけません。そして思考が同時進行的に複数でも
進められなくてはなりません。並列に複数の思考を巡らせる能力。さらに現場力から得た情報を即座に絡ませる
能力も大事です。
こういう思考のスピードというのは知能指数に直結しますので、たとえば一度聞いたこと見たことを忘れない
こと。相手や物事の事象の数手先を読む能力。そういう論理回路のスピードの良し悪しというのが知力そのもの
という感じです。
学力や知識はあっても、のんびりとした性格の人は知力が落ちます。そういう人は自分がこれまでに得た経験を
ことさら大事にしてそれから出ようとしないところがあります。経験や経歴、学力学歴を大事にする人は新しいこと
をするのが苦手なんですね。それは知力が細いからです。しかし知力がある人はゼロからの出発をいといません。
手先の器用な人と不器用な人というのがいます。それからさらに機械との親和性が高い人と低い人とかも。
こういうのも知力と密接な関わりがあります。それから他人とも協調性が高い人と低い人とも。これも知力と関係が
あります。美意識のセンスがある人とない人とかも。
とにかく全ては知力で推し量れるところがあって、まさに人間とは知力で生きている動物だといえますね。
知力というのは生まれつき、というところがありますけど、実は生活習慣でかなり変えられるものでもあるんです。
スポーツ選手は知力が高いのですが、それは運動をしているからです。またそういうノウハウを持っています。
そして食事も大事です。食事の質も。とにかく食べ過ぎる人、そして運動というか動くのが苦手な人は知力が
眠っていて目覚めていません。
そして知力には脳そのものを動かす訓練が必要です。その最適な訓練とは人と会い会話をすること、そして読書も
ですね。
まあ、こんなところで人間の知力というものは先天的ながらも、自意識で上げることが可能です。
それでこれで知力が全てかというと、そうではないんです。運という要素が加わらないとその知力を生かせません。
その運力とは大地の地球のというか、もしくは天からのエネルギーを受けとること。それを利用することが大事です。
人間の個人の運も、そして世界や社会の運というのも刻々と変わっていきます。とにかく変わるというのが世の中
の常でして、その変化に機敏に察知して自分を変えられる力が必要です。何事も結果オーライというところがあり、
そういう運の流れに乗ることが大事なのです。
この運力。これこそが私が長年にわたって追い求めてきたものであるわけです。
それはずばり、電磁気力です。特に最近のように電磁気文明が高度に発達してくると、その人工的な弊害がかなり
大きくなって、自然な電磁気力を利用することができ難くなっています。
そうなってくると、本来の知力を向上させることも大事だけど、それに劣らず電磁気力を上手く制御することが、いや
それ以上に大事だということになるのです。
知力というと反発をする人が多いのですが、知力は精神的な活動の総体だと考えると分かりやすいかと思います。
頭が良い人とだけでなく心が豊かな人もその本質は知力です。愛というのも同じくその本質は知力です。
そして現代という時代は、豊穣すぎて過ぎたるところがあり、また産業化でもそうで本来持つ知力を発揮できない
時代でもあるようです。それは運力でも同じように言えて、人間がもともと持っている能力を発揮できない時代でも
あるんですね。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4096x2731 (4.68MB) |
撮影日時 | 2024-09-29 02:34:59 +0900 |
米国との関税交渉開始 でも石破内閣では役者不足 / 赤沢大臣は甘利氏にアドバイスを求め 本格交渉に臨むのは経済安全保障の猛者たちか?
【渡邉哲也Show】20250418-647 Vol.1 (2025/4/18)
https://www.youtube.com/watch?v=s1h_bXfluaE
弱音を吐くしかない中国 本当に八方ふさがりに / トランプ関税で中国が協議申し入れ? 弱みを見せられない習近平…
【渡邉哲也Show】20250418-647 Vol.2
https://www.youtube.com/watch?v=BUtozDX3ibg&list=PLoMREUbYtkxLfi-RiHe-DSaib8eJ7DaC0
中国半導体の末路 米国無じゃ何もできない / 米国内から共産色を一掃しようと躍起のトランプ大統領 ハーバードにも容赦なし
【渡邉哲也Show】20250418-647 Vol.3
https://www.youtube.com/watch?v=swk2UzxFHs8
疾風怒濤のトランプ関税 狙いは中国包囲網と新国連 / 甘利氏が赤沢大臣にアドバイス 本当に打つ手なしの石破政権
【渡邉哲也Show】一般公開ライブ 20250418-648 Vol.1 (2025/4/18)
https://www.youtube.com/watch?v=b-ydZ5JXFlU
トランプ大統領が創造するのは 無法な中国が無い世界 / 軍事力ではなく中国の一番痛い所をつき じわりと追いつめるトランプ戦術
【渡邉哲也Show】一般公開ライブ 20250418-648 Vol.2
https://www.youtube.com/watch?v=TxKPktdsQmM
赤沢大臣が渡米し日米関税交渉開始 トランプ疾風怒濤の戦略 / 台湾も米国と関税交渉を開始 その中で裏技を使えば台湾を国家承認‼
【渡邉哲也Show】 今週の渡邉さん 20250418
https://www.youtube.com/watch?v=Xjta5ex-kMU&list=PLoMREUbYtkxLfi-RiHe-DSaib8eJ7DaC0
トランプ関税の本質はこんなところだろうと思っています。
それと2025年7月の天変地異というのは、このトランプ関税が現わしている世界的な転換なのではないかとも考えています。
グローバリズム1極構造から米中の2極態勢になるっていうことじゃないですかね。それは大変換なんですよ。
つまり今後は米ソのような2極冷戦構造に舞い戻るっていうことであって、そもそも世界が1つにまとまるっていうこと事態が本質的に
おかしいというところがあるので、これは世界がマトモになるっていうことじゃないでしょうか。
日本は歴史的に大昔から、中国に付くか、アンチ中国で行くかの繰り返しバトルの歴史です。
ところで少子化の本質は中国化での結果というところがあるんじゃないかって思ってます。韓国もそうですよね。
残念ながら日本列島は小さいので、日本独自のオリジナルな文明を構築することはできません。それて歴史的に中国大陸につくか、
もしくは中国以外の文明の手助けを得て日本独自路線を行くか、その二者択一しかないんですね。
私が関心を持っている神社宗教は、古代イスラエルの影響下にあって創造されたものじゃないかなって考えています。
飛鳥時代に大陸から中国仏教という大きな文明パワーが押し寄せたとき、アンチ中国の日本人は中国以外の文明でもって
対抗しようとしたのではないかと思ってます。中国以外であれば何でも良かったんです。たまたま古代イスラエルのマイナーな
文明も来ていたのでそれを利用したのだと思いますね。
そうやってバランスをとってやってきたので日本は中国化せずに独自の文明発展を遂げられたのだと思ってます。
トランプ政権の本質は対中国政策(冷戦)なのであって、高関税を掛けて世界経済を貶めるというものではありません。ただ中国を
外してしまうと結果的に一時的にも経済は落ち込むというのはあります。それは仕方がないということで、長い眼で見れば日本に
とっては有利な結果が待っています。
そもそも歴史的に中国が栄えれば日本は沈み、日本が興隆すれば中国は萎むっていうシーソー関係があるわけです。これを
忘れてはいけませんね。全世界どこに行ってもチャイナ製品で溢れかえるという時代はもう御免こうむりたいものです。
日本の政局も昔から親中派とアンチ親中派の戦いというか相克なのであって、今この現在の政権もそうです。親中派の勢力は
かなり強いんではないでしょうか。色々な利権とかお金が絡んでいるんでしょうね。そういう自己利益のためなら日本が没落しても
構わないという人間は多数居るはずです。
歴史を学べば世界や世の中が見えてくるし未来のことも分かるようになります。歴史は大人の教養です。
写真投稿サイトとトランプと何の関係があるあるのか
お前病気だな。
・・写真よりマ〇〇キが生き甲斐なんでざますよ・・
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/80sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4096x2731 (5.99MB) |
撮影日時 | 2024-09-29 02:08:43 +0900 |
この掲示板、広告が表示されなかった貴重なPCがなくなると、当然に広告が出張ってきて、正直言ってあまり閲覧
する気がしなくなりました。もっともこれは想定内ですけどね。
とにかく最初にすることは広告を消すこと、全部消すこと。それから掲示板を見ることになるので面倒至極です。
広告の量と、掲示板や投稿写真の質は反比例します。これは当たり前のことなのでいまさら言っても仕方ないわけ
ですが、とにかく最初に広告を消す儀式はしっかりと行ってください。
「歩く マジで人生が変わる習慣」 池田光史著 この本、かなり面白いです。シューズについても深く追求して書か
れているので参考になります。現代のねじれない靴が筋力と間接を弱らせていると。そして、足は1ヶ月で変わるとも。
良い靴やシューズを選んで歩き、生活するのはもはや必須という時代になったようです。
シッポ座さんがバイクを押して6時間、というのは、これも歩きですね。バイクを押して歩くことに意義があった、という
ことになります。貴重な体験をなされた、と思います。
人間は歩かないと写真は撮れません。もしくは写真を撮るためには歩かないといけません。写真と歩きは不可分の
関係なので、写真趣味の人は多かれ少なかれ歩くことになります。そして歩くことは考えるということなので、今の
時代、考えることができるというのは、写真とは良い趣味だといえそうです。
バイクは押して歩くこともできる。自転車もそうです。カメラと同じく、良い道具だということです。
自転車遅乗り競争というのが運動会であってような気がするんですが、バイクや自転車を押して長時間歩くという
競技もあってよいのではないかと思ってます。
アシスト付き自転車は坂道でも漕いで走れますが、普通の自転車は長い坂道は押して歩かないといけません。
これがまた良いんですね。坂を上りきると後は猛スピードで下り坂、一気に帰り着く。というのを島巡りで体験したこと
があります。あの爽快感は今でも忘れられません。
カメラという道具は重さがあります。この重さ、というのがいいんです。もし重さと大きさがゼロというカメラがあると
すれば、それは写真としては面白くありません。私がスマホ写真をあまり評価しないのはスマホが、コンデジもそう
ですが、カメラとしては軽すぎるからです。
カメラというのは、あの重さがあるから、自分の思ったような写真を撮れるんですね。ここを忘れてしまうと写真趣味
としては残念なことになります。重いカメラという道具をわざわざ手に持って歩くということ。そこに深い意義があります。
コンデジ撮影の場合、私はグリップ等を追加して、わざわざ重く大きくして使っていました。スマホもそういうことが
できそうですね。タブレットで撮影をする人がおられますが、あれは大きさ重さからいうとカメラという道具になるでしょう
か。そういえば折りたたみ式スマホを持たしてもらったことがあって、あれ結構重くて長電話だと腕が疲れた。(笑)
サムスンかなんかだったかと思うのですが、あれだと重いのでよりカメラらしいか。
でもやはり本物のカメラにはスマホもコンデジも敵いません。手に持って歩くように最初から作られているからですね。
もうあまり写真を撮らないので、カメラバックは大工道具を入れたりビス螺子を入れる箱やバッグになっています。(笑)
自分でリフォームをしているので電動道具などや大工道具がだいたい揃ってきて、それを入れるバックにカメラバック
がぴったりと合うというわけ。
大工仕事は趣味として面白いのですが、残念ながら歩きがないので写真趣味には敵いません。写真撮影趣味、
これは趣味としては最高です。
このオッサン、広告ブロックのやりかた知らんのかね
ま、xpの運営のために一人ぐらいせっせと広告みてやらにゃいかんぜよ
広告を消すこと、全部消すこと。それから掲示板を見ることになるので面倒至極です。そりゃめんどうっすね
広告の量と、掲示板や投稿写真の質は反比例します。これは当たり前のことなのでいまさら言っても仕方ないわけ
ですが、とにかく最初に広告を消す儀式はしっかりと行ってください。
失礼なこと、いわはるもんだ。真面目に投稿してる人にたいしてあやまりなさい!
もうあまり写真を撮らないので、カメラバックは大工道具を入れたりビス螺子を入れる箱やバッグになっています。(笑)
自分でリフォームをしているので電動道具などや大工道具がだいたい揃ってきて、それを入れるバックにカメラバック
がぴったりと合うというわけ。
そんなら大工さんに転向なさいな、人気のない写真は
やめなされ
あんだけ叩かれたシッポ座くんとやら、きみのおかげでこちらお山の大将はくだらないコメント書くことでストレス発散しているようだから、もう大将にコメント要求するようなことはおやめなさいね!おやすみ