視覚情報の最適化
花畑の撮影で、「見た目のとおりに撮りたいけれど撮れない」と嘆くスマホ女子に出会ったことがあります。
最近のスマホは高性能な様子ですが、人間は視覚情報を脳内で最適化してふんわりときれいなイメージに変えてしまうので、肉眼の印象と撮影結果は一致しない、だから「記憶色」「印象派」という言葉もある、と。
であれば、逆に、視界の一部にフォーカスして他を思いっきりぼかしたほうが、むしろ印象風景に近づくのでは、と提案しました。
ところで、人間には稀に、映像記憶の能力を持つ人がいるそうで、例えば三島由紀夫氏がそうだった、取材のためのカメラを必要としなかった、と伝えられています。
私も、おそらく映像記憶の能力を持つと思われる人の、鉛筆による風景画(下書き)を見たことがあります。
風景を描く人々は、時にデッサンスケールを使って全体の構図を決めて、大まかな配置を書き込むなどして、細部を描いていくようです。例えば https://photoxp.jp/pictures/202157
しかし、その人は、現場ではなく、自宅で、ご自身の記憶の中の景色として、プリンターがインクをジェットするように、用紙の端っこからざっこざっこと描きだしていくそうです。出来上がった絵をみればわからないことですが、描きかけの絵を見ると、それがよくわかりました。
たいへん残念なことに、その制作途上の絵がその人の遺作でした。
ところで、映像記憶、視覚情報の最適化、の延長上に、渡り鳥は俯瞰した光景を映像記憶し、その他の情報(太陽高度、嗅覚など)と照合しながら渡りを行っている、という説があります。
人間の場合、特別な経験をした場合、その光景の記憶に付箋紙がついてしまうようで、私も2歳11か月当時の、曾祖母の葬儀シーンを記憶しているのですが、周囲に「幼すぎる、覚えているはずがない」と信じてもらえないところを、健在だった頃の祖母(つまり曾祖母の娘)の記憶と一致していることから、祖母は理解してくれたものでした。
周囲は、「祖母の話を聞いて逆に記憶映像をつくっているのではないか」というのですが、そういうことができればいろいろ苦労はしない(笑)
その曾祖母の葬儀に関する記憶風景は、現在思い出すと、祖母の実家と私の実家の風景が混濁した映像が出てくるため、良好には残っていないようです。
しかし、娘や息子と話してみると、3歳前後の記憶はわりと残っているそうで、平凡な日常は記憶していないが、大きなケンカや悲しい出来事は印象にあるらしいです。ということで、記憶にはときに付箋紙がつくと思われるところです。
写真趣味はそうした「記憶の最適化」「記憶の付箋紙」に沿って整理していくと楽しみが深まるように思いますが、ときにそう思うというだけで、普段は目の色変えてざっこざっこ撮影してしまいますね。暇ができれば整理していきたいものです。