メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 70D |
ソフトウェア | Digital Photo Professional |
レンズ | 180mm |
焦点距離 | 180mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/1024sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3300x2200 (3.7MB) |
撮影日時 | 2019-05-03 01:05:16 +0900 |
花畑の撮影で、「見た目のとおりに撮りたいけれど撮れない」と嘆くスマホ女子に出会ったことがあります。
最近のスマホは高性能な様子ですが、人間は視覚情報を脳内で最適化してふんわりときれいなイメージに変えてしまうので、肉眼の印象と撮影結果は一致しない、だから「記憶色」「印象派」という言葉もある、と。
であれば、逆に、視界の一部にフォーカスして他を思いっきりぼかしたほうが、むしろ印象風景に近づくのでは、と提案しました。
ところで、人間には稀に、映像記憶の能力を持つ人がいるそうで、例えば三島由紀夫氏がそうだった、取材のためのカメラを必要としなかった、と伝えられています。
私も、おそらく映像記憶の能力を持つと思われる人の、鉛筆による風景画(下書き)を見たことがあります。
風景を描く人々は、時にデッサンスケールを使って全体の構図を決めて、大まかな配置を書き込むなどして、細部を描いていくようです。例えば https://photoxp.jp/pictures/202157
しかし、その人は、現場ではなく、自宅で、ご自身の記憶の中の景色として、プリンターがインクをジェットするように、用紙の端っこからざっこざっこと描きだしていくそうです。出来上がった絵をみればわからないことですが、描きかけの絵を見ると、それがよくわかりました。
たいへん残念なことに、その制作途上の絵がその人の遺作でした。
ところで、映像記憶、視覚情報の最適化、の延長上に、渡り鳥は俯瞰した光景を映像記憶し、その他の情報(太陽高度、嗅覚など)と照合しながら渡りを行っている、という説があります。
人間の場合、特別な経験をした場合、その光景の記憶に付箋紙がついてしまうようで、私も2歳11か月当時の、曾祖母の葬儀シーンを記憶しているのですが、周囲に「幼すぎる、覚えているはずがない」と信じてもらえないところを、健在だった頃の祖母(つまり曾祖母の娘)の記憶と一致していることから、祖母は理解してくれたものでした。
周囲は、「祖母の話を聞いて逆に記憶映像をつくっているのではないか」というのですが、そういうことができればいろいろ苦労はしない(笑)
その曾祖母の葬儀に関する記憶風景は、現在思い出すと、祖母の実家と私の実家の風景が混濁した映像が出てくるため、良好には残っていないようです。
しかし、娘や息子と話してみると、3歳前後の記憶はわりと残っているそうで、平凡な日常は記憶していないが、大きなケンカや悲しい出来事は印象にあるらしいです。ということで、記憶にはときに付箋紙がつくと思われるところです。
写真趣味はそうした「記憶の最適化」「記憶の付箋紙」に沿って整理していくと楽しみが深まるように思いますが、ときにそう思うというだけで、普段は目の色変えてざっこざっこ撮影してしまいますね。暇ができれば整理していきたいものです。
最適化
気が付かないままでいるのかも・・・
自分が使用しているPCもモニターに慣れてしまっている
以前ハワイに行った時この掲示板を旅行会社のPCでチエックしたら意外と明度が違っていた・・・
海外で無料のWi-Fiルーター使うのを躊躇してホテル以外は使わなかったからです
明度はともかく鳥は夜に渡る
鳥たちの視力と位置情報を取得する動物的感
もうちょっと分けて欲しいです
おはようございます。
初めはスマホから出てくる写真に満足していたスマホ女史さんにこんな感じに撮りたいという欲が出てきたのですね。
いずれ一眼に進まれる可能性があります。
記憶なんですねれどね、昔はどこで何を何個積んでどこでおろしたなどのデータを一月分以上覚えていたのですが
最近は昨日の事もねぇ~ちょっとヤバいんです。(^_^;)
みなさまおはようございます(*^^*)コメントありがとうございます。
>F.344さん
最適化という言葉から、モニターの最適化について連想されるのが素晴らしいですね。私は、自宅PCと職場PC、自分のスマホ及びかみさんのスマホ、で時々チェックするくらいです。
明るさは、炎天下で撮影しているときなど、ヒストグラムも見て確認することがありますが、私は70D、かみさんはX50で機種固定しているため、意図に沿わず明るさ暗さが狂っている、ということはほぼなくなりました。
鳥の視覚は、偏光や紫外線も感知するそうなので、その視覚を借りられたらおもしろいかもしれないし、混乱するかもしれませんね(笑)
>裏街道さん
見た目のままに撮りたい、ということでしたら被写界の深いスマホのほうが有利かもしれませんよ。この場合、スマホ女史さんは、スマホ・一眼の違いではなく、撮影ツールと肉眼の違いに気づいたということでしょう。
電話番号とか覚えづらくなってきました。メモが欠かせないです。
この映像記憶というか、写真撮影の場合でしたら視覚情報記憶ですかね。撮影は裸眼やファインダーを
見ながら撮影をしていくわけですが、その記憶と結果として撮れた写真画像との関係ですわ。思い通りに
撮れていたとか、そうじゃなかったというのがあるんですが、とにかくその視覚記憶がなければ比べること
すら出来ません。
この視覚記憶が一番強く発揮されるのが一眼レフですかね。ミラーレスやコンデジの液晶での記憶では
曖昧さがあって、そもそも自分が何を撮っていたことすら漠然としていたりします。
デジイチでも腰だめ速写ノーファインダー撮影だと、PCモニターで見る画像が始めての出会いとなるわけ
で、視覚記憶の片鱗すらありませんね。これ、誰が撮ったんだろうって。(^^ゞ
例えば病気が何かで自分の視覚記憶が一日しか持たないとすれば、撮影後の翌日に見た写真画像は、
撮ったこと自体は覚えいていてもその視覚記憶が失われていますので、それらの写真は自分が撮ったと
いう記憶の裏づけのない写真となり、それは本当に自分の写真なのかどうかは難しいようなところがあり
ますね。
写真は自分の視神経の延長であり記憶の増強であるというところがあるので、記憶の欠損でその延長線
が断ち切られると、はて写真とはなんだろうという根本的な疑問が芽生えてまいります。
しかしながら実際にこの病気になった人はその都度自分の行動のメモをするそうです。最近ならばスマホ
でも撮影するということにもなるでしょう。そして翌日にそのメモを見ながら失われた記憶の再構築をして
いくんでしょうね。ですから一般的に言っても、撮った写真をPCで再度見ることで、視覚情報は補強されて
くるということかも知れません。
私も、たまに自分の撮った写真を過去に一度もPCで見なかった撮影写真は、記憶の補強ができていませ
んので、あれ?こんな写真も撮っていたんだって不思議がることになるんですが、最近は撮影後にPCで
閲覧ビューすらしないことが多くなり、さらに加齢も加わって誰が撮ったのか分からない写真が日増しに
増加していますね。(笑)
最近は自分の脳のリソースを無駄にしたくないっていう考えが出てきて、無駄なことは覚えないようにして
おります。(笑) メモで済むことはメモをして無駄に頭に記憶させないということ。最近というかずっと昔か
らそうしているわけでして、頭がちびる(方言)ことは1ミリたりともしたくないといいますか。(笑)
それで撮影時にもその場の光景を可能な限り現場処理をして即時に法則性を見出していくという手法を
とっております。そしてその現出した法則だけを覚えておくんですね。細かな視覚記憶はカメラに任せれ
ばいいじゃないかと。だいたいその為のカメラなんですしね。
綺麗なお姉ちゃんを見れば、その場で私の脳はフル回転して、その綺麗さはどこから来るのかと見つけ
出し、また過去の記憶と照らし合わせて、ああやっぱりそうなのかとその見出した法則に納得するわけで
す。と同時にカメラがかってに姉ちゃんを撮っていてもそれは私の与り知ることではありません。
とにかくこの現場主義が気に入っていて、これと光学ファインダーの記憶が私の現在の写真の全てという
ところがありますね。脳がちびることを極力避けようと思えばもうPCモニターで自分の写真は見ないでい
く。これが多分、現在最先端の写真流儀なのかもって密かに感じています。(笑)
それにしても光学ファインダーのフレーミングとは不思議なもので、余計な周囲の光景を排除すればその
撮影時の視覚情報記憶は裸眼に比べれば数倍に倍力増強するんですね。考えみればこれは不思議で
すよ。裸眼での光景記憶とは何が根本的に違います。集中化が出てくるんでしょうか。
若い姉ちゃんカメラマンのオタク化が進んでいるんですか。(^^ゞ まあオタクというかマニアはマニアなん
でして、男女差はさほどないと思いますよ。それよりも理系か文系か芸術系の差が大きいかと。
ニコンのレッドは私も一度見たことかあります。山で見かけて高齢者の男性でしたが、しばらく後を着いて
いきましたよ。(笑) 私もペンタックスの蛍光レッドのを持っていてこれで撮影していると地元の人がすっ
飛んできて、あんた何撮っりょるんなーって。(笑) しばらく話し込んで地元情報を貰えましたが。まあ、
赤のボディは目立ちますね。しかし女性が使う分には衣服も色物ですからさほどではないと思います。
おはようございます。コメントありがっとす(^^)v
そのとおり、おっしゃるとおり、オタクにも理系・文系・芸術系がありますのよん(*^o^*)
あるいは、技術系・文化系・スポーツ系とわけてもかまわないですね。オタクが「体育会」の対義語だと理解している人もいますが、ちゃんと体育会系のオタクもいます。 ある意味、余裕有る生き方、の総称であり、たまたま現代ではオタクと呼ばれているが、歴史上何度も発生した存在でありましょう。つまり、成熟した市民社会に与えられる神様からのご褒美なのです。ということで、私としては「オタク」という表現をポジティブにとらえています。くけけけけけけ。
さて、吉例オタク話いきますか。
オタクを歴史になぞらえてお話しましたが、40年前、私が高校生のときに「世界史オタク」の女子に出会ってます。
教師も知らないようなマイナーな事実を詳しく知っており、その話しもとても楽しいタイプの女子でしたが、なぜか世界史のテストでは得点がのびない。極端に悪いわけではないが、平均点程度。教師によると、「歴史好きなのはわかるし、特定の分野は非常に深い知識を持っているが、興味の有無で分野ごとの偏差が大きすぎる。また、得意分野でも、独自の見解を語りすぎるため、得点を損している」とのことでした。
受験勉強においてクラスメートは戦友なので、彼女ともいろいろ話しをしたものですけれど、彼女の言い分は「志望校に合格できる点数は確保しているから、好きな歴史は好きな分野だけ勉強したい」となかなか合理的なものでした。
しかし、この子は単なる歴史オタクではなく、他の、普通の女子は引いてしまうネタでも、目を輝かせて聞いてくれました。「F-14とF-15はどちらがどの点ですぐれているか、戦ったらどうなるか」などなど。つまり、オタク類型の中でも、「好奇心突出型」なわけで、「知らないことがあると目が輝く」タイプでした。(ただしF-14はアニメの影響で女子にも人気のアイコンでした)
「歴史オタクなのにテストの点が伸びない」のは、「カメラオタクなのに写真が下手( ̄0 ̄)。。。」にも通じるものですが、そこは優しい視点で眺めるべきで、世の中一般の規範基準にとらわれず独自の考えを持っている、とも言えます。
まあ、私がこの「世界史オタク女子」に好意的なのは、この子が学年屈指の美少女であったことも大きいですね。現代の美人女優に例えれば、新垣結衣さんに迫る美形。この子の記憶が強いため、私は世間一般のオタク女子に対する地味なイメージについてとても懐疑的に思っています。※「屈指」はオタクの基本用語。
この美人オタク、人生の目標においては、世間の基準に沿った努力を怠らなかったようで、大学進学後、夢であった女子アナに一発採用され、活躍した後に寿引退し、現在は家庭経営に専念しています。
もう20年以上会っていないですが、そろそろお孫さんができた頃かな。