Capture Oneソフトウェア 作例

つまらないこと

「ネット右翼になった父」 (講談社現代新書)、こういう本が出ています。 https://bookmeter.com/books/20551437 「シニア右翼」中央公論新社 というのもあるような。2つとも関心がないので私は読んではいないです。 「【特集】なぜ、父はネット右翼になったのか?ルポライター鈴木大介さんが家族と向き合い、見えてきたものとは」 ネットラジオ https://www.youtube.com/watch?v=RjFsbWVxCnA 「ネット右翼になった父」の本は、離れて暮らしていた父と子の相克を描いた本のようですが、読んで みれば結構しんどいかもしれませんね。私は読むつもりはないですが。 [第226回|前編]ネット右翼ってどんな人?反韓・反中・反LGBT・反生活保護……なぜ恵まれた人たちがあれほど攻撃的になってしまうのか? https://www.youtube.com/watch?v=WEMFoodDZZA ネット右翼…中心は50~60代、大卒以上、自営・中間管理職…200万人くらい居るそう。と書かれてます。 実際は70代の方も多くいると思います。仕事は退職されて、働くことはしていないと思います。それで 実社会からは断絶されていること。つまり孤独な状態。家族との同居も薄いでしょう。 お金の面では普通より恵まれているのではないですか。ほんとに食うや食わずの人達ではない。 ネット接続ができるわけですし、パソコンを持っているわけなので極貧というのではないです。 それから200万人いるというのは大げさで、実際は2万人でしょう。極めてマイノリティです。 こういうネトウヨ(ネット右翼)に共通するのは、その書き込みが偉そうで上から目線という現役時代 の癖が抜けていないということです。自分は優秀でお前らとは違うんだ、というエリート意識です かね。 お金にも余裕があって、まあ高級時計は買えないけれど、普通の暮らしはできている人達です。 こういう人達が暇になって、老人だから行動力もなくなって、それでネットPCの前でブツブツ言ってる というイメージです。 ただしこういう方は恵まれてはいるけれど、勉強はしていないですね。本なんかほとんど読んだことが ないでしょう。若い頃は受験勉強をしたけれどそれだけで終わって、以降ずっと勉学に励んではいま せん。仕事の勉強は多少はしただろうけど狭い範囲に終わっています。 そういう方たちが、暇になりネットをするようになって、にわか右翼になる。そういう日本万歳、中韓ダメ なんていう動画は腐るほど流れています。さしたる知識もなく、今まで漫然と生きてこられたので、 そういう動画のレベルというものが低品質であるということにも気がつきません。 だいたいもう頭が半分くらい性能ダウンしているので、考える力そのものが衰えていますし。 反日だ反日だと騒ぎたて、だいたいその言葉の意味すら分からないでしょうし、文章を読む能力すら 喪失しているという感じです。精神年齢は子どもという感じです。 それからネトウヨの人は、身体を動かしていないです。そういう仕事に就いたこともないんじゃないかな。 身体を動かす習慣がある人、肉体労働をしていた人は、上から目線なんて詰まらないエリート意識は 皆目ないですから。 例えば、写真でも身体を動かす撮影というものをしている人は、ネトウヨにはなろうと思ってもなれま せん。それでこの掲示板に写真を投稿している方たちは極めてマトモで正常です。 まあ、老人(小人)閑居して不全をなす、ということでバカバカしい限りです。 それからネトウヨに罹るともう寿命は残り少ないという証しです。冒頭に紹介した書籍は、父が亡くなっ てからの思い起こしの本であるわけです。 バカバカしいけれど、何とも哀れで悲しいのがネトウヨなんです。 ネトウヨ人は、自分の孤独を癒すために色々とネットに書き込みをするんでしょうけど、相手にしてくれる 人がいないのが哀しいです。それはあまりにも思考のレベルが低すぎて、みなさん唖然とするから です。どうしていいか、どう扱っていいかが分からなくなるのです。 それでネトウヨとは、痴呆症の一形態ではないのか、と思うことにしています。つまり、ご病気です。 写真は耕作放棄地。田の跡地がオナモミ(ひっつき虫)の群生となってます。

無題

「石内都 STEP THROUGH TIME」 https://www.tokyoartbeat.com/events/-/Miyako-Ishiuchi-Step-Through-Time/okawa-museum-of-art/2024-08-10 https://bijutsutecho.com/exhibitions/14117 世界的写真家 石内都に聞く「本質を見る力」 https://www.youtube.com/watch?v=eZfNoJuElik 森美術館「六本木クロッシング2022展」インタビュー#4:石内 都|"Roppongi Crossing 2022" Interview #4: Ishiuchi Miyako https://www.youtube.com/watch?v=jS5e35TYo_o 群馬県桐生市の大川美術館で、石内都さんの写真展をやってるそうです。 ネットなんかではなく本物の写真を見る機会はなかなかないので、良いチャンスなのかも。 私が若い時に始めて写真に興味を持ち出したのは、それまで絵やデザインをやっていた関係で 自然と写真にも眼が向き、これは面白そうだということで始めたわけです。絵のほうが頭打ちに なっていたというのもあります。 デジタル写真の場合は、パソコンが趣味でやっていて、その延長線上で写真にも。というところかな。 しかし写真や絵でもコンピーターでもないですね。写真は写真で独自のものですから。 それと写真はやはり、撮影が大事です。撮影をしない写真趣味なんてありえないです。 カメラを持って黙々と歩くって言うのは好きです。またカメラという形も好きですね。 正直言って、私には絵の才能も写真の才能もありません。芸術の才能というのは絵でも音楽でも なんでもそうですが、生まれついた圧倒的な才能がなければモノになりません。 写真はちょっと違うでしょうかね。才能だけでなく、経験とか思想とかが入り込む余地があります。 私が生まれつきの才能でもってやれているのは占星術ですか。これは写真趣味をやめていた時に 始めたものですが、普通の常識思考では皆目歯が立たないものてして、生まれつきという気が します。何やら数学の才能に近いものがありそうで、普通の人には分からないだろうと思います。 私は思うに、もし写真にも生まれつきの才能というものがあるとすれば、それは歩く才能、移動する 能力ではないかと思ってます。うろつく、というか徘徊?いや逍遥する能力ですか。(^^ゞ  そんな才能なんてあるのかな?というところですが、少なくとも私にはそれがあります。一人で一日中 歩いていても平気だし、車で一日中走っていても苦になりません。 もちろん写真にも人物を撮るとか接写をするとか、移動力には直接関係ないのも多くありますが、 まだ見てない新しいものに出会いたい、とにかく見てみたいということでは、移動力という才能や歩く 能力が写真の基本だという気はしてます。好奇心とそれを実現する移動する能力です。 ですからもし自分が移動する能力を失えば、写真はできなくなります。 歩く力、握力、顎力。この3つの力が免疫力と脳の能力を高めると本にありました。脳免疫系という らしいです。顎力とは食べるときの噛む力のことですが、歩行力と握力は写真撮影とカメラで鍛えられ ますね。そうか、私が撮影中はずっとカメラを手に持つべし、としていたのは握力のことだったのかと 納得です。

メモ

原口一博 レプリコンは打たないで!日本人を実験台にするな!新著『プランデミック戦争』で明らかになる新型コロワク後遺症と副反応の真実 https://www.youtube.com/watch?v=AqvKYcuLxxQ  ※10月からこの書籍が発売される 原口は立憲民主党の九州佐賀県選出議員 【緊急特別対談】 原口一博×水島総「国民の命を守り抜け」 [桜R6/9/10] https://www.youtube.com/watch?v=9zhpcOR8ygk レプリコンワ○チンとは?ウイルス学者が語る日本導入の是非 宮沢孝幸【赤坂ニュース157】参政党 https://www.youtube.com/watch?v=sA6VRRaRUOg レプ時代に僕たちが気をつけること。これだけはやってほしい注意点をお伝えします。 https://www.youtube.com/watch?v=0oYzSnG1BTo なぜ日本だけ...?新ワ◯チンについて全部話します 【秘密結社コヤミナティ】 https://www.youtube.com/watch?v=3wegtHC506E mRNAワクチンとは?ワクチン実施は〇〇開催のためだった!村上康文【赤坂ニュース169】参政党 https://www.youtube.com/watch?v=GJeNMhrLwYs レプリコンワクチンの問題点は?人から人に移るって本当か!?村上康文【赤坂ニュース170】参政党 https://www.youtube.com/watch?v=0BYEFQGQAxg ---------------------------------------------- 〔過去の政府発表ニュース〕 2021年8月25日 国産ワクチン 10月にも治験 少量接種で済む「レプリコン」 https://www.youtube.com/watch?v=tcVdTISE4hY 2021年10月18日 127gで全国民に接種“少量で効果”ワクチン治験開始 https://www.youtube.com/watch?v=gdynySuQgmY 【解説】国産“次世代”ワクチン 特徴・副反応は? https://www.youtube.com/watch?v=kgEwTXYUdts 23/11/28 新型コロナ「次世代ワクチン」製造・販売を承認 南相馬市で原薬製造 国産ワクチンの供給拠点に【福島発】 https://www.youtube.com/watch?v=uG5Q6j6KSMQ ----------------------------------------------- Meiji Seika ファルマ現役社員が告発本を出版!なんと26歳の健康な同僚が2回〇種後に〇亡していた!本のタイトルは「私たちは売りたくない!」 https://www.youtube.com/watch?v=P-Yc2wQ7DbE   ※告発本「私たちは売りたくない」チームK 方丈社刊  世界初の自己増殖型ワ◯チン💉日本人で人体実験!?😱😱😱 山岡鉄秀 【赤坂ニュース 079】 令和6年5月13日 参政党 https://www.youtube.com/watch?v=1kh0HFdmmrs  ※政府はワクチンに関して政府発表とは異なる情報に対して潰す政策     インフルエンサーへの圧力 秘密結社コヤミナティは断ったようだ 【山本太郎】世界で唯一日本だけ承認したレプリコンワクチン。国民は接種を拒めるのか?【れいわ新選組】 https://www.youtube.com/watch?v=NgmLFa1yOV8 ------------------------------------------- 原口さんは占星術では森永さんにホロスコープが似てます。極めて日本人的な愛国者です。 私のように個人主義的で日本人的ではない人間が言うのもなんですが、こういう人達が表に 出現するようになってくると、日本は最終的な、つまりぎりぎりの危機的状況になっているという ことかもしれません。 今、日本は孤高の接種国と奇妙がられていて、さらに毒性の高いレプリコンワクチンが普及し、 そしてインフルエンザワクチンも遺伝子化するなど、遺伝子操作大国と化してくるようです。 海外からの観光客から気味悪がられてインバウンド減少にも影響するかも分かりません。 日本のアニメやコンテンツなどにも影響がでそうですね。 今後はさらなる超過死亡の拡大、国民の労働層の健康劣化などが予想されます。高齢者が 減ってくれれば国の負担は少なくなって助かるかもしれませんが、同時に若い層も健康度や 体力の低下で労働の質が低下し、さらに少子化にも拍車がかかるということで良いことは ほとんどないです。 しばらくコロナやワクチン禍のことは忘れていたのですが、相当な事態になっているみたいです。 私の知識は22年からあまり進んでいなかったので、今回ネットでの情報収集、そして本屋で関連本 をごっそり買ってきました。拾い読みをしていく予定です。パラッと見ただけで事態は深刻ですね。 当人の体内で作られるスパイク蛋白が、周囲の他者にも拡散(シェディング)する危険性も言われ ています。これが事実ならば外国人は日本には来ません。観光客だけでなく、外国人労働者も 日本には来なくなり、日本経済は立ち行かなくなります。 日本のグローバル企業は生き延びるために日本を捨て海外に本拠を移すでしょう。しかし諸外国 は日本人社員や家族が海外で働き住むこともすらも拒否しかねないです。全世界的に日本人 排除が進み、排日の嵐になりかねないですね。 諸外国から日本列島は隔離排除され、世界から孤立した日本は鎖国状態となり、江戸時代のように 3000万人しか養えず人口が1/4となり、人口崩壊と文明崩壊が起こります。 感染を恐れて外国からの支援は望めず、日本は世界から見捨てられます。あげく原子力発電の 核燃料も制御できず、被爆列島と化して数百年は立ち入り禁止とかに… これでは漫画「虎鶫・とらつぐみ」と同じ情況ですね。(笑) 話は変わります。 若い人の登校拒否や引き篭もりは大きな問題ですが、それとは別に高齢者の孤独な引き篭もり 問題も重要です。言われるまであまり関心がなかったわけなので、これからは少し注意して いかなければと思ってます。 この掲示板の利用者はほとんど高齢者が多いんじゃないかって察しますが、皆さん元気で撮影 をされてます。そういうことでは写真趣味は高齢者の健康維持には良いのですが、しかし高齢に なり、且つ障害も抱えてしまうと、写真の撮影はままなりません。 たとえば脳卒中などで手足が不自由になっただけで簡単には撮影はできなくなります。 本当は、そうならないために健康維持としての歩き撮影が有効なのですが、すでに不自由になっ てしまった後だと、障害の度合いにもよりますが、写真は極めて困難であるのは想像できます。 不自由にならない為の策ばかり考えていて、なった後のことは私は何も考えていなかったです。 そこは盲点でしたね。 占星術では、人の健康には二種類あって、ひとつは病気になったりはしても大事に至らない場合。 もうひとつは日頃は元気でも一旦悪くなるともう二度と元に戻らないケース。大病です。 歩く人に大病なしと言います。それほどに歩きは健康維持に重要なファクターなのですが、知ってる 人は知っていて、知らない人はしらないですね。健康度の2種類のうち、重篤な大病を避けるため です。日頃歩いていても病気にはなりますが、それは比較的軽症で治る病気です。 問題は元に戻らない大病にならないようにするために、歩き習慣をつけるということです。 私の場合、前者に悪い星が多くて多病ですけど、後者には良い星があるので大病には至らない というケースになるのではないかと思ってます。しょっちゅう不定愁訴は出るんですが、そこで原因 を特定して潰します。それでなのか大事は至らないということかも知れませんが、慢心は禁物で、 さらなる注意が必要です。 障害が起きたとしても、私が長年にわたって獲得した知識と実践の技術は有効です。その最大 のものは①東枕法であり、これは不変です。そして②食事法もさほど変わりません。 しかし③運動は変わらざるをえません。 歩こうと思っても歩けない、外もできないとなると大きく改変する工夫が必要です。 ④環境条件である住居は障害が起きる以前に完結しておく必要があります。簡単な改修だけで すむ様にしておくこと。 障害者用の車を使える範囲の軽度の傷害であれば良いのですが。右足と右手の自由が利けば 普通の車で運転ができます。車を失うと自由が狭められ世間が狭くなってしまいます。 身体さえ元気であれば、仕事を選ばなければ働くことができ、収入も得ることができますが、障害 となるとお金を得る手段は限られます。外界はネット空間だけになり、そこで得られる収入は投資 しかないような気がします。 しかし投資はギャンブルです。そのギャンブルは大変な体力を使うわけで、若くて健康な人でも 長くやっていれば身体はボロボロになってしまいます。ただ緩やかな中長期の投資だと、体力を 使わない占星術を利用して投資をすることができます。投資は基本的に同類他者からの収奪に よって成り立っています。このことは忘れないでいたいです。 しかしそれも脳が元気という条件が付きます。眼と脳があるうちは占星術の投資で収入を得る こともできるかもしれませんが、それすらも衰えるとなるともう無理かな、というところ。 人間は可能な限り自助努力で生きなければなりません。その力が尽きた時はじめて他力の援助が 期待できるのだと思っています。 自分を第一に大事にしないといけません。自分のことが自分でできて、はじめて他者への理解や 心遣いや助力ができるのであって、自分を不摂生にしておいて他者がどうのこうのは無いですね。 日本人は自分を、自分の身体を大切にしない人が多すぎるような気がしてます。病気になれば それは医者が直すものと勘違いをしているような人。自分の身体なのに他人に丸投げとか。 占星術では重篤な病気に掛かる人とか大怪我をする人は、第1室牡羊座や第8室蠍座に凶星がある 人です。幸い私はそれがないので気がらくなのですが、やはり一定の割合でそういう人もいるわけ です。ただそういう人は他の分野に秀でているわけで、その分野の能力で自らの身を助けることが できます。 私の場合、というのもいちいち気が引けるのですが、占星術では職業運と家庭運は恵まれています。 それで身体運というのが実はあまりよくなくて弱点と言えますね。それでその弱点を潰して向上させる というやり方をここ20年以上続けています。 自分の恵まれたところはそのままにしておき、不得手なこところを重点的に注力するというやり方です。 昨今の学校教育は得意分野をさらに伸ばして、というやり方を唱えているようですが、それだと不得意 なものはますます不得手で終わりますね。それではいけません。 満遍なく全方位に能力を発揮できるようにしておかなければ世間では通用しないですから。 一発個性重視なんていうのは会社では通用しません。 現在の身体の体力や健康とは、それに先立つこと20年前の決断と努力と持続の結果です。 それくらい以前から準備をして継続していかなければならないという喩えですね。 学力や能力でもそうです。いくらいい学校を卒業しても、社会に出てからも日々努力をして学習を し続けなければ50になればただの人、いやそれ以下になります。つまり慢心をしていてはいけない ということです。 そうは言っても何事も遅すぎるということはないです。高齢になっても自分を改めることに遅すぎる ということはないのです。 占星術では時間は永遠なんですね。始まりの時点はあるのですが終りはありません。だいたい性別 すらありません。人生の終わりの期日は決められていません。 前回取り上げた田中一村ですが、60歳末に亡くなっています。実は占星術では60代末が彼の運勢 の最高の時点だったりするんですね。実際に彼の代表作は60歳代に生まれています。自分の命を 削って描かれた絵ですね。そして没してから社会に評価されて、70歳代で名声を獲得しました。 存命という自分の命のあるなしに関わらず運勢というのは動いていたわけです。 よく世間では死んでしまえば全ては終わりね、って言われたりしますが、占星術では正しくないです。 ただ肉体や身体が消滅するだけで運勢の歯車はその後も続いています。そこに自意識があるか どうかは不明ですが、占星術的時間は続いていて消滅していません。 年齢という数値に拘っていてはいけませんね。それよりも今現在の生き方が何よりも大切です。 考えてみれば我々が意識できるのは永遠に現在です。現在というものが続いていて、それで机上 としてのみ、過去とか未来とかという抽象化がなされるだけです。 写真というのは、過去も未来も撮影することができませんね。それは我々が現在時間にしか生きて いないからです。 写真に関しては、現代では誰もが簡単に写真ができます。昔の黒白写真自家現像のように難しい わけではなく、カメラとパソコンさえあれば容易にできます。ですから写真の趣味なんて、さほどのもの でも何でもないんですね。 写真には何か高度なものがあるんではないか。写真をすることは高尚なものだ、とかはありません。 今ではスマホで、綺麗な写真を子どもでも撮れますから。 そこらへんを勘違いをされている人が結構いるかも知れませんが、現実の写真事情をよく知らなけ ればなりません。 ネットで写真のことを大げさに語られるユーチューバーが多くおられますが、何を言っているのやら、 と思ってます。 https://photoxp.jp/pictures/32430 https://photoxp.jp/pictures/32431 この写真は、私がこの掲示板を見始めた時の、とくに印象に残っている写真です。 古い工場を博物館とした会場の撮影らしいですが、そのあまりにもの自然な姿に感動しました。 あっ、こういうのがこれからのデジタル写真の時代なのだろうと思ったわけです。 こういう写真、今では誰でもスマホで撮っていてる写真ではないですか。ただそのリアリティはさすが 写真専用機であるわけですが。 これは圧倒的な記録写真ですね。写真はそれだけでいいんではないですか。 誰もが褒めてくれる綺麗な写真を撮ろうとか、遠くへ行って珍しいものを撮ろうとか、そういうものは 写真の本質ではありません。あくまでも現在の自分の生きている時間を記録するのが写真です。

メモ

田中一村展 奄美の光 魂の絵画 https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/9272 日本画家・田中一村の大回顧展が東京都美術館で、奄美の花鳥・風土を描いた代表作など250件超が一堂に https://www.fashion-press.net/news/111834 「田中一村の絵画」展 奄美の自然に身を委ねて2018/5/13 https://www.sankei.com/article/20180513-DFQTZTH35JKF7OKCZXC4QNJNZM/ 2024 9.18 芸術家が求めた理想郷とはなんだったのか、旅路の果てに辿り着いた先は理想郷であり得たのか。彼らの旅を辿ってみよう。Text: Kosuke Ide / Map: Shingo Suzuki https://brutus.jp/tanakaisson_amami/ 最高傑作「アダンの海辺」を描いた田中一村 田中一村記念美術館 鹿児島県奄美市 https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/2036/ ★【動画】:田中一村 | 奄美大島を描いた日本画家 | 【若冲と一村】by 岡田美術館 https://www.youtube.com/watch?v=IXLPk6V-3sY 【動画】:テレビ朝日アナウンサー 桝田沙也香の恋するアート 第1話 https://www.youtube.com/watch?v=JCLKdG8l73A ★動画を見ていただければ、一村の大体のことは分かるようです。私が凄いなあと感じているのは やはり奄美時代の作品ですね。特に有名な大作の2点。極めて写真的な構図だと思ったら、一村は 写真もやっていたとかで納得。 彼は神童と言われたこともあって、若年期の星が多くて、それは還暦法では60~70歳代になります。 こういう絵画や、そして生き方もあるんだということで、写真人にも参考になるだろうと思ってます。

雑文

シッポ座さん。今回の迷惑コメント投稿は、私が取り上げた森永卓郎さんの日航機事故に関する 投稿から始っています。実は以前に同様に日航機事故で、青山透子さんの著作を取り上げた時は 何もなかったんですが、さすがに森永さんという著名人のフォローだと反響があったねっていう ところです。 それで私がこの話題を投稿しなければ、コメント投稿はなかったと思いますよ。 迷惑コメントを連発している人はたった一人です。暇人でネットで嫌がらせ投稿が趣味という人間 ですね。彼は写真は好きなようですが、カメラは持っていないというか、撮影することができない 人種らしいです。 となると無職の引き篭もりの人種のように思われます。自分が撮影をできないので、他の人が撮った 写真を見て、それで癒しとする不思議な人のようです。けっこう歳くってるみたいです。 最近、そういう人種が増えてきているというか、一生匿名人種なので世間的には存在しないとなる わけですが、唯一ネット空間だけが生き甲斐、そして自分を発露する場となっているようです。 ペンタックス板でもそのような人が居られましたが、彼はまだましで、世間様に迷惑をかけるのが 趣味という人ではありませんでした。 そしてペンタックスの人は、自分でカメラを持ち、早朝に撮影をされていましたからね。 最近は投稿をされていないようですが、あまりにもの密やかな趣味というか、そういう世間からは 遠ざかり、ひっそりと目立たないような御自分の生き方に、私としても同情心はありました。 ペンタックスの人は言わば良い人で反社会的ではなかった方なのですが、今回の人は反社会的な 人物です。仕事は就職をしても続かないでしょう。彼は自分こそが苛められている、差別されている と思っているはずです。お金はどうしているのかな。両親にもらって生活しているのかな。 とにかく、そういう人間がすごく増えているというこの日本の現実があります。 そういう人達は一言で言うと、これはあまり言いたくないのですけど、知能が平均より低いわけです。 現在、そういう人達は生きるのにものすごく苦労してます。 平均的な仕事はできません。というか、社会全体が高度化して、普通以下の知能では働けなくなって いるわけです。 数十万人、いや百万人はいるのではないかと思われる、そういう引き篭もりや登校拒否をしてしまう ような若い人達は(上はもう50歳くらいだそうです)、高齢の両親にすがって生きていく。もしくは 生活保護を申請して受理されはいいかなって、そういう生き方でしか生き抜く術がないんですね。 そしてそういう自立できない若い人達が今はどんどんと増えてきているわけです。 現在、高校生の12人に1人は通信制高校に在籍しています。それはどういうことかというと、中学時代 に登校拒否になり、出席日数が足らずで普通の全日制高校に入学できないからです。 そういう子ども達が、なるほど通信高校に行って、大検を受けて定員不足で喘いでいる三流の大学 にまではいけるでしょう。 しかしそこを卒業すれば就職をしなければなりませんが、どこの会社も雇ってくれませんね。もちろん そういう子どの中には、たまたま若い時期に不運が重なって不本意に不登校になってしまったという 人はいます。そういう子どもは、もともと頭は良いですから、不運な時期を過ぎれば正常な人生に戻る ことができます。 しかし頭もよくない、そして反社会的な運勢に生まれた人は、もうどうしようもないわけです。 私は迷惑コメンターの文は読んでいません。ちらっと見てもめちゃくちゃな書き込みじゃないですか。 読もうとしても読めませんから。 まともに日本語すら話せないわけです。そういう人間を雇って給料を支払うような企業はひとつもあり せん。まだ日本語が不得手な外国人を雇うほうがましとなるわけです。 反社会的な人間は、世間は、ましてや日本政府は、そういう人間を必要としていません。しかしその 人の親はそうではありませんね。 札幌首なし事件でもそうですが、最後まで子どもを庇おうとしていました。挙句、両親まで犯罪に 巻き込まれてしまったわけです。人の親としてこんなに苦しく情けないことはありません。 シッポ座さん。これが今の日本の現実なんです。さすがに知能が低くて、かつ反社会的な人間は 僅かでしょうが、とにかく自立できない人達はいっぱいいて、それがさらに増えつつあるのです。 学校すら行けなくなるという、集団生活ができないという、そういうことは我々世代には信じられない ことです。もう子ども達の生命力が枯渇しているというしかないです。 迷惑コメンターの彼にしてみれば、ほんとは写真をしたい、撮影にも出かけたい。しかしそれが できない。金もないし外に出るのは怖い。人と接するのはさらに苦手。そんなところなんてすが、 せめてネットでうっぷんを晴らすしか他に方法がないというわけでしょう。 どうしてこんな子ができるのか。昔はそんな子どもはいませんでした。 私はここに、戦後の日本社会の嘘が、そういう歪な子ども達を作ったのではないかと思ってます。 子どもというのは嘘で育てられると駄目になります。正直に本音で育てると、どんなに厳しく育て ても、子供が駄目になることはないですから。 昔も当然に知能の低い子どもはいました。当然ですよね。しかし頭は悪いなりに正直に素直に 生きてきたから周囲に眼をかけられてちゃんと生きてこられたのです。線が太いというか正義心 があったわけです。 しかし今の引き篭もりの人は正直でないです。それは親が嘘をつくことを教えたからでしょう。 社会が嘘(建前)でまみれていて、人の親もそういうように自覚なく、子どもに嘘で接していたんでは ないですか。そんな気がするんですけどね。 嘘を教えられると子どもは脳をやられるんです。もう大人になってからはその脳の仕組を書き換える ことが難しいです。ただ非常に知能の高い子どもだと成長する間に自我の力によって修正ができ るんですけど、知能が平均以下だと難しいようです。 まあそんなわけで、シッポ座さん。そんなに大したことではないんですよ。騒いでいるのはたった一人 の特別な引き篭もりだけです。 https://photoxp.jp/pictures/229800 こでも彼は出没していますけど、完全無視されていますよね。アホなこと書いてます。 ところでこの写真で、おおっ、と私が思ったのは、たしか腕時計の人物は後期高齢者の人だったと 思います。それにしては肌が綺麗でびっくり。シミが殆どなく日焼けもさほどに。75歳以上には見え ません。(^^ゞ ※写真は山里でみかけた廃屋。私は昔から廃屋を見かけると写真に撮ってます。 何だか引かれるものがあるんですね。廃屋と地蔵さん、この2つは必ず撮っています。(笑) 崩れかかって自然に帰りつつある家。カビや苔でぼろぼろの地蔵さん。なんか共通するものが ありますね。 それは時間の経過です。もしくは時間そのもの。もの事、最後に解決するのは時間です。

雑文

鎌倉Mさん、久しぶりです。他の板でちょくちょくと書評を書かれているのを見て、私も釣られて 買って読むことがあります。中国戦狼外交とか。 青山透子さんの著作は大体は眼を通しています。最近では小田周二さんの著作を読みました。 小田さんは阪大卒のエンジニアなので著作の内容は綿密で秀逸ですね。流石だと思いました。 論理に破綻がみられないので、この事件の核心に迫っているのではないかという気がして います。 そもそも今回の掲示板への書き込みの発端は、森永卓郎さんが、この日航123便事故に関して のタブーを破るということで、3大タブー暴露の著作を表わしたことに始ります。 もっとも私は青山さんの著作自体は以前に読んでいて、内容自体に新鮮味はなかったのですが、 ただ青山さんのようにマイナーな作家ではなく、テレビ出演もこなしていた森永さんのような著名人 がこの事故事件を取り上げたということに、強く感銘を受けたと言うことなんです。 正直申して、この事件の真実を明らかにすることは、平和に慣れきった現代の日本では難しい かなって思ってます。多くの国民の精神が耐えられないのではないかということですね。 実際にこの掲示板でも、私のコメントを見ただけで、同一人物の書き込みの方が脳痙攣を起こして いますね。 戦前ではこういうような軍部の独走はよくあったことなんですが、今の若い人はそういう歴史を全く 知りません。生まれて初めて知るような事柄に未成熟な精神が持たなくなるわけです。 そうは言っても、真実というものは何時かは表に出ようとする強い力が働くものです。地中深く形成 されたマグマの岩石が長い年月の、のち地上に現れるように。 そして日本列島は震災大国であって、自然は定期的に多くの人命を奪い去っていきます。多くの 命が理不尽にも奪われることは別段、異常でもなんでもないわけですね。またウクライナや パレスチナを見ていれば、そういうのが歴史だと感じ取ることができるはずです。自然災害も戦争も 結果として同じことであるわけです。 ですから123便の真実が明らかになったとしてもそんなに驚かないでいてほしいものですね。 以前、東日本大震災の被害を受け死亡者が甚大だった大川小学校跡地に行ったことがあります。 裏山に逃げていたら全員助かったわけですが、強弁に主張する人がいてわざわざ溺れるような 避難ルートに行ってしまったわけです。現地をみればバカバカしいほどの愚行が行われていたこと が直ぐにわかりました。裏山は校舎の直ぐそば。子どもでも老人でも登れるような山でした。 愚かにもほどがある、ということでした。 つい先だってのコロナ禍とmRNAワクチンもそうですね。2022~2024年の超過死亡グラフを見れば それがワクチン過というのが直ぐに分かりますが、多くの人々は真実を知ろうという気持ちが今でも ありません。 私は100年前のスペイン風邪のワクチン過剰摂取による大規模死亡の歴史を知っていましたので、 新型コロナもそのワクチンも、政府説のその根拠を全く信用していませんでした。 「新型コロナウイルスは人工物か」宮沢孝幸著PHP新書で、オミクロン株も人工物だというのがあり ます。 しかし私の珍仮説では、人は自然物を学んで人工物を作りますが、ならば同様に自然物たるウイルス も人が作った人工物から学んでいくことが出来るわけで、現在はそういう新時代に突入したという 気がしています。 最初の流行は人工ウイルスの不本意なリークだったろうと思いますが、最初が人工で自然としては 不自然ならば、その後の変移も自然が人工に学んだ手法を真似て、ウイルス自身が自然に、いや 不自然に変移して、オミクロンができたものという気がしてますね。 mRNAワクチンの考え方は最初にその手の本を読んだとき、よくは出来ているけど、山中伸弥氏の iPS細胞細胞に比べればあまりにも稚拙すぎる考え方だと感じました。自然はもっもっと複雑であって 裏の裏をかくことができるものです。 また人の免疫機構は脳のシステムと同クラスの高度なものです。それもまた進化をし続けている。 そういう領域に踏み込むことの危険性を感じましたね。 それと同様な試みが、現在の世界を覆うICT技術とAI知能です。このグローバルに単一なシステム化 によって脆弱性は一挙に加速し、それが破綻したとき、人類は文明を維持することが困難になる 可能性があります。世界が単一の文明になったとき、歴代中国王朝で起きたような人口崩壊が 起きるだろうということです。 便利なものほど不便なものだ。不便なものもそうは悪くない。そういう昔の智恵を忘れた人類は 文明を崩壊させる危険性領域に到達したという気がしてます。 都市伝説とか陰謀論というのが流行しています。 しかし、人間は一部の陰謀を巡らし悪行を企む悪賢い人達がいて(宇宙人でもいいです)、それで 多くの人が死ぬのではなく、ただ単に、人は無知で愚かであるから、犠牲者が後を絶たないだけ なのです。 人間は愚行を犯して改めないものです。大川小学校でも、「先生、裏山に逃げよう」という小学生でも 分かることを教師は理解できませんでした。 日航123便でも、垂直尾翼と油圧を失った後でも飛んでいた、そして横田基地に着陸できるという 事実を正しく見ることができなかったために、その後の愚行と犯行を重ねたわけです。愚か以外の 何ものでもないじゃないですか。 私は写真人ですから、目前の事実とそれから導き出される真実を大事にしています。写真をすると いうことはそういうことなのであって、なんら高尚なことをすることではありません。 とにかく良く見る。そして考える。それだけで充分であり、その積み重ねが人生を豊にすると思ってます。 ※写真は住居としての最小のもの。土台と柱と屋根です。これが建築の3要素の基本。柱はセメント に埋め込まれた掘っ立て式です。これ、丈夫なんです。柱と横板は、ほぞ組をしてますね。ちゃんと 大工さんが作ったのが分かります。もう少し大きければ人が住めますかね。(笑) 鎌倉Mさんの二コン板「洋館」の写真はじっくりと見せてもらいました。日本で作られた洋館なので 基本は日本の伝統建築そのものです。随所に洋館のスタイルが織り込まれていて見飽きません。 実は今、家のリフォームをしていて(その前は会社の建物のリフォームを)、色々と考えさせられる ところがありますね。 日本人の持つ美学の、「見かけさえ良ければ、その機能や健康を犠牲にしてもよい」という美意識 が大きな問題になってしまったようです。私は日本の少子化の大きな一因として、今風の建築の、 不健康な作り方と、購入する側の美意識に問題があるのではないかと感じています。 いわゆるシックハウス問題。アトピーやアレルギー、花粉症のみならず、若い人達の健康度、体力、 精力も、昔と比べれば格段に落ちているのではないですか。 衣食住は生きる上での基本中の基本。それが大きく揺らいでいるように思います。 実は使っていなかった洋間がひとつあって、今それを改装しています。塩ビクロスを剥がし、基礎の ベニヤ板も剥がして、無垢の杉材の内壁にする予定です。でもDIYでするとなると大変ですね。(笑) ついでに耐震補強と隣部屋への通路も設けようと考えてます。 そんなわけで時間は足りなくて写真を撮影する余裕がないのが現状です。

無題

JBpress「御巣鷹山、カメラマンが事故直後に見た忘れ得ぬ光景」 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61629 https://jbpress.ismedia.jp/articles/gallery/61629?photo=7 7枚の写真がありますが、写真を大きくしてみることができます。 最後の縦写真がタイトルの「忘れ得ぬ光景」です。 広角で全ピント写真ばかりが黒白写真ではなく、中望遠でぼかしをいれる黒白写真も 当然にあります。 123便事件は戦後40年で起きました。そしてさらに40年が経ち2025年が現在です。 1945年は敗戦時ですね。前の戦争はもう軍隊がめちゃくちゃやってました。挙句国民と と将兵合わせて300万人の犠牲がでました。 瀬嶋龍三の回顧録「幾山河」で、たかだか石油が入らなくなるということだけで米国と 戦争をするのか。と当時の陸軍参謀本部長が呟き、瀬嶋は上司に二の句を次げられ なかったようです。当時の軍人(トップです)は馬鹿ばっかし。国民を虐殺し国家を滅ぼし てもカンケーねー、っていう頭しかなかったわけです。 そういうサイテーの時代から日本の戦後は始まりました。1985年といえばまだそういう 糞軍人が生き残っていた時代です。ちなみにその時の総理もクソ軍人のなれの果て でしたから。そう言えば別班なんていう中野学校のままごと遊びもしていたようです。 そういうわけで事件当時は現在の自衛隊とは違う内容なんですね。 「防衛省、パワハラで「背広組」複数幹部を懲戒処分へ」 https://www.yomiuri.co.jp/national/20240707-OYT1T50021/  昨年12月には「制服組」と呼ばれる自衛官を中心に計245人の処分が発表された。  悪質と判断された将官級の幹部自衛官は2階級降任となった。 こういう組織改革をバンバンとやらなければ組織というものは腐ってしまうのです。戦前の ようなことが2度とあってはならないわけで、そういうわけで私は1985年の日航機撃墜と 乗員乗客への虐殺行為は、最後の戦前の悪しき軍隊の名残りかすのようなものだったと 思ってます。 しかしだからこそ、今はマトモな時代なら、この事件は公にしなくてはならないものだと思っ てます。国民に、世界に向けて明らかにして罪を認め罰を受けなければならないわけです。 それを行えないような自衛隊では、次の戦争(中国との)では負けます。 今の自衛隊は米軍と深く結びついていて、日本独自では作戦のひとつも立てられないと いいます。私はそれで良しだと考えます。米軍はまともな軍隊であり自浄能力もありそして 強い軍隊だからです。その命令系統に自衛隊が属しているのなら安心感がありますから。 日本人は信用しないけどアメリカ人なら信用ができる。そういう私のような日本人は多いです。 日本人の生き方として、まともな強国に従属することこそが最善の道だということかもしれません。 日本とは良くも悪くもそういう国民性なんではないですかね。 123便事件を最初に知り解明し、そして驚愕したのは、間違いなく米軍であり米国政府でしょう。 青山さんや森永さんは、その事実をもとに日本政府を経済的政治的に従わせてきたという 考察をしていますが、確かにその通りでしょう。 しかし本当はそれだけで済むわけではありません。最大のターゲットは自衛隊です。自衛隊を 米国つまり米軍が見てもマトモになって使えるように変えてきたはずです。 自衛隊を米軍化する。その結果が現在の自衛隊の姿であろうかと思っています。米国による シビリアンコントロールですね。 日本の軍隊は伝統的にトップが駄目なんです。政治も行政もそうです。しかし中間から下は 昔も今も世界随一といってよいほどに優れています。特に中間層が抜きん出ているといいます。 そういう組織は改革がし易いですね。 正直言って、大多数の国民はあの事件の事実の重みに精神的に耐えることができないでしょう。 マトモな民主主義国家になるには事件を明らかにすることが望ましいのですが、現実的には 日本の国民はそれに耐えられないとなると、寝た子は起こさないというのがベストな策かもしれ ません。日本という国はそういう国なんだということです。 ※日本で最高の家というか建築は神社仏閣です。この写真のような家に住めれば最高です。 神社建築の源流は稲作文化での穀物倉庫であったと言います。よって、床が高いのです。 しかしそれは本殿ですね。 写真は床高の神社の本殿ではなく拝殿なのでやや民家的ですね。人が住むことができるのは 拝殿や社務所となります。(笑)

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写真とは何か。おそらくパパママ愛交者さんをはじめ、多くの一般の方々は、 写真=画像=綺麗で癒しでしょ。という程度だろうと思ってます。 しかし私は違います。 写真=真実=社会正義となります。 日航123便に関して、小田周二さんの著作を読んでいるところです。3冊ほど出版されていると 思います。女性の青山透子さんの著作と比べて硬派であり、強い説得力があります。これで 私はこの事件に関して、疑惑などではなく確信に変わりました。 事件当時の1985年と現在とは時代も随分と違ってきています。事件は既に歴史的な出来事 であり、現代史のひとコマという気もしないではありません。事件からはもう40年近く経っている ため、当時20歳だった人は60歳になっています。40歳以下の人は生まれてもいない。 しかしこういう誤魔化しをそのままにしておくと、それ以降の全てがいい加減な嘘の歴史になって しまうのです。 国民の多くは政府に盲従しその謀略に騙されていますから、ほんの数パーセント、もしくは0コンマ 以下数パーセントの人しか真実に迫られていないと思ってます。 しかし政府間レベルではこの事実は各国間で共有されているわけです。米国政府は当然として、 中国政府もロシアも北朝鮮もそうです。当時の日本政府と自衛隊の低レベルさに呆れ果てている のではないですか。そして日本国民も馬鹿ですかねって感じです。 この程度の国だったら脅せば従うだろう。たとえ戦争になったとしても自衛隊など恐れるに足らず、 ということになります。ただまあ、40年前と現在とでは質的向上は見られるかもしれない、という ところはあります。もうアホな戦前の幹部はとっくに退陣しているからです。 この事件以降、日本の国際的立場はジリ貧であり経済は低迷するわ、若い人口は減っていくわで、 良いところは何ひとつありません。 123便を操縦していた高濱機長は自衛隊出身の機長でした。満身創痍となった747ボーイングを 操って妨害さえなければ無事に横田基地に着陸できたそうです。最後の最後まで諦めずに墜落 直前に追撃されるまで飛び続けたわけですから、これはサムライと言わざるを得ません。 しかしサムライ死して自己保身の輩だけが生き残った。これが今の日本の姿です。 高濱機長の偉業は最後のところで機体を立て直し、生存者4名を確保できたことだといいます。 首謀者側は全員抹殺を狙っていたのですから、彼らにとっては誤算となります。 私はこれを見て、空母エンタープライズを廃鑑に追込んだ富安俊助中尉の特攻を思い出しました。 富安俊助中尉は映画「永遠のゼロ」のモデルとなった人です。 特攻という愚劣な作戦でも、兵士として成果を挙げた人物がいたということです。 1995年8月20日に米国の地方紙にアントヌッチ証言なるものが出ました。事故から、ちょうど10年。 これは米国政府の何らかのメッセージが感じられるような報道でした。もうそろそろ真相を明らかに してもいいんでないかい?というような。同盟国の米国としても、あまり日本が没落しても困るという ところがあり、ちょっと観測球を上げたのかもしれません。 もう直ぐ来年で事件から40年が経ちます。日本は、そして日本人は本当にこのまま永遠に、日本国碑 なる墓標の墓場までこの秘密を持っていくのでしょうか。 国を変えるのは世論です。国民の大多数をしめる善良であり愛すべき普通の人々です。その普通の 人達が、真実と正義は綺麗な癒しよりも大切だ、と考え方を変えれば国は動きます。 私はこの数年が事件解明への最後のチャンスだと思っています。来年、再来年に世論が大きく動けば 真相が明らかになるのではないかということです。そしてその世論の原動力になるべき世代は やはり若い世代しかありません。 事件当時は生まれていなかったとか、まだ子どもであったという若い世代でしょうが、現在はネットの 時代であり豊富なサイトを見ることができます。また書籍もネットで直ぐに購入できます。 当時の時の権力者はマスコミさえ抑えておけば、時間が経てば忘れ去られるに違いないと考えた でしょうが、インターネットの時代ではそうはいかなくなっています。彼らにとっては現在は想定外の 時代となっています。天網恢恢疎にして漏らさずとなっているわけですね。 「日航機墜落現場を写した私が伝え続けたい記憶 37年前の御巣鷹山を取材したカメラマンの写真」 https://toyokeizai.net/articles/-/610696?display=b https://toyokeizai.net/articles/-/445451 https://toyokeizai.net/articles/-/365720 「小平尚典サイト」 http://nkohira.shopdb.jp/ 「Moments of truth - フォトジャーナリストが御巣鷹山で見た真実の記録 小平尚典」 https://www.youtube.com/watch?v=QKzu_oe9KZQ 当時の取材カメラマンの撮影はまだ黒白フイルムも使っていたようです。トライXやTMAXですか。 小平氏の写真集も出ていますのでそれを見ることもできます。 改めて感じるのは、カラー映像ではなく、黒白写真の凄さです。

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愛好者さん。 だたリンクを貼って、ハイお終いではなくて、多少の自分なりの考えのコメントを書いていただくと 有り難いかなって感じています。 愛交者さんは2Bチャンネルのファンのようですね。私も検索にかかって偶に見ることはありますが、 ライカ(ブランド)好きの東京人のサイトであって、地方の田舎者には関係ないなって感じがして ます。 主催者は結構な人数のファンを抱えていて、講習会というか撮影会なんかも開催しているようです。 ビジネスモデルとしては成功しているようです。 愛好者さんは写真が好きで、多少は写真論にも関心がある方と見受けました。 私はもう写真からは遠ざかったような状態で、カメラ機材は眠ったままです。とはいえ、撮影は続け たいと願っていて、もう少し涼しくなれば歩き運動としての撮影に出かけなければと思ってます。 私自身はスーパーエイジャーの老人を目指していて、そのために写真撮影が有効利用できれば、 機材投資をした甲斐があるのでは、と思ってます。(笑) この健康推進モデルとしての写真論は、恐らくこのフォトXP投後者全般で言えることかと思っていて、 みなさん言葉には出さないまでも、元気で撮影に励んでらっしゃいます。 スーパーエイジャーとは身体が健康なだけでなく、ボケない、若い人と同じように脳がクリアである ということを意味します。ご存知のように、写真は歩かなければ撮影はできません。つまり歩く足と カメラを持つ手がなければ写真はできないのです。それがスーパーエイジャーに繋がります。 自分は撮影をせず、ネットで写真鑑賞だけの愛好者は眼と頭だけでできるのかも知れませんが、 写真の撮影とはそういうことであって、つまり全身運動なるのが写真なんです。 愛好者さんが単にネット写真の鑑賞者なのか、それとも実際に写真の撮影をされるのかどうかは 知りませんが、ネット写真愛好だけならば、それは人生に於いてほとんど意味を持ちません。 写真の概念は広くとらえることも可能ですし、単なる画像嗜好に狭めることもできます。そこは 人それぞれの考えであるわけですが、私としては広範囲なエリアの写真論を展開しています。 写真=画像。これは1次元的2次元的な狭い考え方となります。もっと広い3次元4次元的な思考法 では、普通の人から見れば写真と写真サイトからは食み出していると思われるかもしれませんが、 私としてはごく普通の展開をしています。 写真すなわち画像。そういう考え方を私はしていません。 写真は画像のみであると信じておられる方は、それはそれでよいのではないかと思います。 実際にも多くの方々の写真の捉え方は、写真はビットマップ画像そのものです。それをPCなりスマホ のスクリーンで観る。それだけだと思います。たまに家族のプリント写真もする。もしくは新聞や雑誌 の写真をみることも。写真としてはそれらの画像が全てではないでしょうか。 新聞と言えば、8月31日の日経新聞で、「IN FOCUS」~写真が語るニュース~で「増える不登校、 居場所を探して」と題して、不登校に陥り、しかし新たな居場所としての特別な学校での彼らの姿を 撮影しているページがありました。 新聞なので黒白写真なのですが、ネットではカラー写真となります。でも黒白写真でも充分に写真 としての威力があり、撮影者と被写体者の気持ちなるものが私にも伝わってきます。 やはりプロが撮った写真は違います。そういえば東日本大震災でも当時の朝日新聞で、 毛布に包まって呆然と廃墟に立ち尽くす若い女性の写真が掲載されていて、そのプロ写真家の 実力に圧倒された記憶があります。 フォトXPなんかの趣味サイトよりも新聞や雑誌の写真のほうがよっぽど鑑賞に値する写真なのです。 フイルム写真の頃はカメラ雑誌があり、アマチュアはレベルの高いプロの写真に接することができ ました。でももう今はネットしかない。平易ではあるかも知れませんが、つまらない時代になった と感じています。 『日航機墜落123便:隠された真実』 #日航機墜落事故 #航空事故 #都市伝説 https://www.youtube.com/watch?v=TzBU686DEJc AI画像がたっぷりと見られます。まだ突っ込みどころ満載のAI画像ですが、やがては世の中に 出回る大半の写真がAI写真になる可能性があります。そのAI写真を鑑賞して、それを自分の 写真趣味だとする人も出てくるでしょう。 AI写真、簡単に言うとCGです。コンピューターグラフィック。しかし人間が操作して創作するCGで はなく、AIコンピューターが作るCG。AI画像や動画はAIコンピューターのほんの一部の能力に 過ぎませんが、いま世界はこれらに膨大な資源を宛がってAI文明を作ろうとしています。 CO2削減もSDGsも関係ねーっていうところ。 たとえばスマホで撮った写真をAI加工をして、あたかも大型カメラで撮ったような写真にする ことも難なくできるようになります。モデルガンのゲームの撮影現場を本物の戦場のように 見せることも可能でしょう。 そういうようなAI時代になったとき、写真の真実性というものはどうなってしまうんでしょう。 とにかく写真人は、AI写真に限らず、本物の写真と偽物の写真を見分ける能力を養うことは 大事です。 ※夕暮れで、人家の明かりが灯るだけで気がほっとする自分がいます。色んな家があって それぞれの家庭で生活が営われています。衣食住、これほどに大事なものは他にはありま せん。でもそれだけでは不足です。やはり人は歩いて動かなければなりません。 こういう腰掛地蔵はちょっと珍しいかな。

日航123便

日航123便の真相に迫る⑱【謎の黒い点の正体(前編)】 https://www.youtube.com/watch?v=8fUcylFJDyc 日航123便の真相に迫る⑲【黒い点の正体を科学的に検証する(中編)】 https://www.youtube.com/watch?v=SQp4lQjsYiE 日航123便の真相に迫る⑳【黒い点の正体を科学的に検証する(後編)】 https://www.youtube.com/watch?v=6WuF6AaXSRY 日航123便の真相に迫る㉑【黒い点の正体を科学的に検証する(完結編)】 https://www.youtube.com/watch?v=uZP0Q51QYFs ママパパ愛好者様のご要望にお答えして、写真の話題をリンクしました。 森永氏、つまりは青山氏の本の内容には突っ込みどころが多々あって、この窓枠写真もそうです。 私は最初からこれはゴミが写っていると分かりましたが、世間には写真のことを知らない人が多い わけです。さらに拡大すればオレンジ色が出てきた、というのは当たり前のことでフイルムの色素 が出てきただけです。 他にもジェット燃料問題もあってガソリンの臭いがする燃料も使われているんですね。 事実として分かるのは、この123便墜落事故がマスコミではタブーになっているというのは確実 のようです。そうであるのに関わらず、毎年夏になればマスコミは御巣高山の慰霊の話題を しつこく取り上げます。東日本大震災、阪神淡路大地震、終戦の日と同等レベルの取り上げ方 であるわけで、これは背後に何かあるよねって考えるのが普通の感覚です。 つまりは日本に古くからある怨霊信仰です。奉りであるわけです。 ※写真は国道沿いにある古い喫茶レストラン。もちろん昭和の時代です。

日航機123便墜落事故

森永卓郎×深田萌絵 『言ってはいけない』失われた30年と日航機事故 https://www.youtube.com/watch?v=KWkH6pxtBtc&t=1078s 森永卓郎氏が暴露!「日航機123便墜落事故」と「対米従属」に隠された恐ろしい関係[三橋TV第843回] 三橋貴明・saya https://www.youtube.com/watch?v=J0tp0u7wUEk 森永卓郎さんと対談!! https://www.youtube.com/watch?v=BeHMO_7aulI 【後藤達也vs森永卓郎】人類史上最大のバブルで日経平均の今後は?全てを暴露【新NISA】 https://www.youtube.com/watch?v=iDPwEX2A73Y あまりテレビを見ない私なので、森永卓郎さんは知りませんでした。それで大変に面白い人ですね。 氏の最近の著作を2冊ほど読みましたが、本来は難しいことを分かりやすく平易に書かれていて、 物書きとしては売れっ子のようです。 それで、問題は、日航機123便墜落事故です。書かれていることは既に他の方の著作のとおりなの ですが、売れっ子の森永さんが書かれた、そして売れる本となった、ということが何よりも大事なの であって、それでこの出版以降、ネットでは他のユーチューバーなどもこの話題を取り上げるように なりました。 この日航機事故の真相が明らかになると、日本どころか世界中が震撼する事態になるだろうと思って ます。日本中が大津波に襲われる如くだろうと思います。 1985年の出来事ですので、今の若い人は生まれてもいないわけです。歴史的事件、現代史の出来事 なんだろうと思いますけど、まだ50年は経っていないわけです。 問題なのは、だた自衛隊が誤射して日航機が落ちたということではなく、政府は積極的に事件の隠蔽 と抹殺、つまりは目撃者となりうる乗務員乗客の殺戮を計ったというところが、前代未聞なんです。 事の決定をしたのは当時の内閣総理大臣以外にはありませんが、自衛隊がその命令に従ったという ところも大問題です。日本を護るべき軍隊が、おなじ日本人の同胞を殺戮する。これは幾ら命令だと いってもありえないことです。そんなことをすれば軍隊自体の存在意義を失うからです。 もしこの事件が森永さんや青山さんの書いているとおりであれば、日本の国は引っくり返ります。 それを政府や自民党は恐れているから絶対に真相を明らかにさせないのでしょうが、しかし真実という ものが何時までも隠しとうせるというものでもないんですね。 もし隠し通してしまうと、肝心の日本と日本人が駄目になっちゃいます。真実と正義というのはそんな ものでして、秘密は墓場まで持っていくとか、そんなアホみたいなもんではないんです。角を隠して 肝心の牛を殺す。そういうことなんですね。 フライトレコーダーやボイスれコーダーは日航が保管しているようですが、既に内容は失われていると 思います。これを解析して発表すれば真実か明らかになるなんていうことはないでしょう。 それよりは当時の関係者が真実を語るようになるかどうかです。命を掛けて証言を語ることができるか どうか。 本当の軍人ならばそういうことをしなけばなりません。日本の為に。それができないような軍隊ならば、 中国には負けるでしょう。そしてサムライのいない自衛隊に国民の税金をだす必要はありません。 森永さんはこの事件を海外のメディアが取り上げてくれれば、と語っていますが、そんな情けないこと ではなくて、この事件はあくまで日本の国内問題であり日本人自身の問題なのですから、日本人が 自発的に解決すべき問題であるわけです。英国のメディアが取り上げて社会問題化したジャニーズ とは次元が違うわけです。 私はこの日航機事件は、日本が再生するかどうかの試金石であるのであって、今後もなんの解決も 見られないのであれば、いずれは日本の国は消滅していくでしょう。そういう瀬戸際の意味での大事な 試金石です。真実を明らかにできないような国であれば、日本国と日本人が存続すべき理由があり ません。 もし来年当たりに、この事件の真実の掘り起しができないようであれば、おそらくもう日本の再生は 無理かもしれません。 若くて優秀な人は海外に出ましょう。もしくはグローバル化した日本の大企業であれば、日本が 消滅しても海外を拠点に生き延びることができます。間違っても公務員になんてなるもんではありま せん。東大出が官僚になりたがらないというのも頷ける昨今ですから。 ※古い駅ですが今風に改装しているようです。無人駅でしょうね。

雑感

デジタル写真は浦島太郎の龍宮城であると申しましたが、それは画像だけに限ってのことであって、 今や、デジタル写真が画像だけの秘め事であると考えている人は殆どいないでしょう。 現代のデジタル写真術とは、撮影と称しての健康維持の為の自律運動であると言うべきです。 それを意識するか、無意識でやるのかの違いはありますが、殆どのアマチュア写真人は画像の ためではなく、撮影という運動行為の為に写真活動をやっているものと思っています。 フイルム時代に比べればランニングコストは格安で写真ができます。言い方を変えれば写真の 画像自体には価値が無くなっているということでもあります。そこで自然に価値観の移動が起きて、 価値がなくなった画像の獲得が目的ではなく、撮影をするという事自体に価値観を見出している ということです。 写真の為と称して、実は撮影という、まずは家を出て、遠くに行って、歩いて運動をするという、 そういう一連の野外活動にこそ、その目的と価値感を見出しているということです。 写真画像はその行為行動の副産物でしかなく、いわゆる証拠写真・記録写真なのです。自分 はそこへ行ったよ、歩いて歩いて疲れたけど、これがその時の証拠だ、というわけです。 しかし黒白写真はちょっと違います。いにしえの写真本来の目的と意義をもったままの写真で あるというわけです。 カラー写真だとパチパチ撮っても後で見ることはほとんどなく画像を見直すことはありませんね。 しかし黒白写真はそうではないです。意識して黒白写真だけを撮った場合ですが、撮影後に かなりじっくりと撮った写真を見ているわけです。 これが本来の写真行為なんですね。デジタルカラー写真は今や使い捨て写真であるわけで すが、デジタルモノクロームは写真本来の価値観を保っているというわけです。 そういうのは、カラーでのデジタル写真でも、マニュアル操作で撮ったものは黒白写真と同様 な綿密な写真行為となるわけです。 マニュアル撮影も黒白撮影も、撮影時には上手く写っているかどうかは分かりません。むしろ 失敗のほうが多いでしょう。 ここで確認をしておきたいのですが、私が言う黒白デジタルとは、カラー写真から黒白写真 に変換した擬似黒白写真ではありません。最初から黒白写真で撮ると決めていて、カラー 撮影はしないという写真です。 実際にそういう撮影をして見ますと、撮影後に黒白写真として見れる画像は殆どないことに 気づきます。大概は何が写っているか分からないとか、自分が撮りたかったものとは違うと いうことになって、その成功率というか歩留まりは極めて低いのです。 多くの写真人は、黒白写真を画像のひとつの表現としてでしか考えてなくて、そういうものは 似非黒白写真だというわけです。 そうではなくて、今日の撮影は黒白写真で行く、と決めれば本当に黒白データでしか記録 しないということなんです。実際にはRAWプラス黒白データとなるわけですが、カラーにも 変換できるRAWは見ません。そのカラーを見てしまうと、本当の黒白写真をやる意義かなく なってしまうからです。 カラー画像を見てしまう黒白写真はカンニング写真です。ですから、私はカラーデータを黒白 写真にしたらなかなか良かったね。という写真はあくまでカラー写真であり、本当の黒白写真 ではないと考えています。 逆にまた、古い黒白写真をAIでカラー化した写真も、カラー写真ではなくてあくまで黒白写真 の範疇になるんです。 このことを理解できる人はまずいないでしょう。なぜならばこれは4次元思考であるからで、 それができる人は数パーセントしかいないからです。 同様なことは、デジイチで古いマニュアルレンズを使う場合にもおきます。実絞りでの自動 露出撮影ができずで、マニュアル撮影になります。露出は絞りもSスピードも手動。 ピントはなかなか合わないというか、まず合いません。 ちなみにこれがミラーレスカメラであれば実絞り露出はOKで、かつピントも正確であります。 ソニーミラーレスカメラがオールドレンズファンに人気だったのは、この理由によります。 とにかくデジタル一眼レフでのオールドレンズ撮影は大変難しいのです。 黒白写真はその点は撮影は容易です。自動露出もAFも使えます。しかし写真として黒白 オンリーで撮るとなると、うまく表現できている写真はごく僅かだと直ぐに気づきます。 使える写真となる成功率がカラー写真に比べて極めて低いのです。 最近は黒白写真が人気のようですが、その殆どは本当の黒白写真ではなくて表現として の黒白であって、いわば画質を黒白にしただけのカラー写真なんですね。 本当の黒白写真はそれとは違う別次元にあります。これをやっている人はいません。 そういう私も、モノクロ専用機を使うまで出来なかったわけですから。ペンタックスモノクロ機 を使ってやっと初めて気が付いたというか、黒白写真の本質に目覚めたわけですから。 もっとも現実的にはカラーデジタルカメラで簡単にモノクロ専用機として使うことができます。 最初はモノクロモードJPEGのみでの撮影を進めます。それを1日といわず何日も黒白だけの 撮影で行く。慣れてくればRAW撮影でも可能です。キヤノンDPPの場合、黒白モード設定 にしておけばカラー画像を見ないで済みますから。 投稿用に画像を間引きする場合もDPPでやれば画質の劣化は最小限ですみます。 キヤノンフルサイズでの黒白撮影は、もちろんモノクロ専用機には敵いませんが、相当に 良い画質で黒白写真を堪能することができます。 カメラの画素数の1/4で出力すれば、机上論ではベイヤー補正を受けない写真となる気が しています。2000万画素であれば500万画素で投稿できます。 黒白写真では、突き詰めると解像力とシャープさが命、というところがありますね。それは フイルム時代の黒白写真で、どんないい加減な撮影をしても(ピンボケやアレブレ)、印画紙の プリント時に緻密なプリントをすれば良い黒白写真になる、ということとよく似ています。 この引き伸ばし機に相当するのがデジタルの現在ではRAWソフトであり、現在ではキヤノンDPP が最高であると私は思っています。 マニュアルレンズでピントも露出もいい加減であったとしても、そのソフトでピシッと決めれば 良い黒白写真となるでしょう。 この黒白デジタルのみを数ヶ月やれば、写真に対する考え方が劇的に変わってきます。 さて、カラーであろうが黒白であろうが、写真を撮るという趣味とは、おしなべて・・・ 「【放置禁止】知らないと絶対後悔「70代以降も脳が老化しない人の10の特徴」を専門医が解説」 https://www.youtube.com/watch?v=BHg4M9WgHus スーパーエイジャー。ずばり、歩くことでしょう。 冒頭に掲げた、写真とは撮影であり、健康維持の為の歩くことであるということです。 この歩きの写真術では、スマホはだめだと思ってます。あくまでも写真機、カメラでないと。 もちろんサブ機としてのスマホは問題はないです。 ではなぜカメラでないといけないのか。それは一定の重さがカメラにはあるからです。だいたい 1キロから2キロ。そういう重さが歩きにはちょうど良いのであって、つまり歩いている間中は 必ず手にカメラを持ったままで歩くのだ、ということです。 スマホはポケットかバックに入っていて、撮影するときだけ取り出して撮影するでしょう。 それだと意味がないということです。撮影とは歩くことなのであって、写真を撮るのは2の次 のことです。本末転倒をしてはいけませんね。 カメラは常に右手か左手の内にあり、その手で撮影するわけですが、本当は両足で撮影を するというのが正しいかも知れません。もっと正確に言えば4つ脚か3つ脚で撮影をしている というわけです。 ですからスマホでは写真はできないんです。スマホでは歩けないんですね。 カメラで気をつけなければならないのは電磁波です。モーターの磁波、EVFの光線は大敵 です。これを上手く避ける撮影をしなければなりません。 ※投稿写真はタバコ栽培農家の葉タバコの乾燥小屋です。現在はもう使われていませんが 昔は多くの農家が葉タバコを栽培し、葉の乾燥をしていました。屋根の棟に空気拭きが あるのが特徴です。薪を燃やしてその熱で強制乾燥をしていました。それを専売公社に 売っていたんです。

雑感

人間の思考、考え方の方式には次元という物差しを使えば分かりやすいかなって考えています。 まず1次元思考・・・直線的です。順次物事を追って考えていく。仕事の作業でマニュアルという ものがあります。これが1次元思考にあたります。誰がやっても同じようになる仕組です。 2次元思考・・・平面的です。この世の中の7割くらいの人に当てはまります。行くか戻るかだけで なく左右ににも行くことができます。写真はこの思考力がなければできません。平面技術ですから。 3次元思考・・・全体の2割くらいの人かこの思考法ができます。本物の大工さんや機械屋さんは この能力がなければ家も機械も自由に組み立てられません。頭の中で家か組み立てられ、エンジン が作動するという具合です。 写真でいえばこの3次元とは画質の観念に当たるのでしょう。の画質こそが平面の写真に立体感 を与えてくれるからです。 そして4次元思考。これは立体に時間軸を付け加えたものです。この思考法は極数パーセントの 人だけができる思考法です。歴史や広い知識を知らなければこの思考はできません。 ただ歴史や知識があるだけでなくロジック的な能力があり、少ない要素から論理の組み立てをして 未来を類推する能力があります。 これらのことは脳の思考力の階層であって、強く高い思考ができる脳が有利となるわけです。 これは、筋力が強い、胃腸が強いというように、そういう各臓器の優劣があるというだけのことなの ですが、そう考えれば大したことではないのかも知れません。 この4次元思考を写真に当て嵌めると、写真という画像を超えた写真力があるかどうか、ということ になります。写真が画像段階で完成していると思う人は3次元思考で終わっているわけです。 それよりも以上の写真世界があると考え人は、この4次元思考の写真世界に行くことができると 思っています。 例えばデジタル全盛の時代にフイルム写真の観念を持ち込むことができる人は写真の4次元思考 ができる人だと思っています。また黒白写真も本格的には、写真の長い文化的歴史を知っておく 必要があり、それを踏まえたうえでの黒白写真ができれば、それが4次元的思考の写真となるので しょう。ただ黒白という画質だけで満足しているならば、それは2次元3次元の写真なんですね。 写真の文化が最高に高まったのは、戦争中を除くと戦後の1950年代から、黒白写真がカラー写真 に取って代わられた70年代までです。たった30年間なんです。その頃の写真は写真は文化の一つ のジャンルであり、写真家は文化人でした。その時代の写真というものを知らなければ本当の 黒白写真は出来ない、ということだと思ってます。 そしてカラー写真が全盛になってからは、写真趣味は大衆の風流文化や娯楽になってしまった と考えられます。 私は個人的には黒白写真時代の最後の1970年代の10年間を黒白フイルム写真として過ごしました。 これはかなり貴重な体験でありました。しかし自家現像の暗室が維持できなくなり、時代のもカラー 写真流行となってからは写真をすっぱりやめました。写真を復活したのはパソコンが出現し、さらに デジタルカメラとなってからですね。 そしてデジタル写真を20数年間やったわけですが、1年前にデジタルのモノクローム専用機という ものが出現して、やっと過去のモノクロ写真を思い出したというわけです。その時点で、私の写真は 3次元を超えて4次元の写真となったと思ってます。 ですから私の4次元写真は始ったばかりなんですね。(笑) ただそれ以前に、写真とは画像だけ の世界ではなく、カメラを持って歩いて撮影するという、歩きの健康法としての写真行為に意識が 行っていたというのがあり、それもひとつの4次元思考の写真作法であったのだと考えています。 私はこの4次元的思考法に強く引かれていて、これからも意識して時間軸を取り入れた考え方を しなければと思っています。 私が写真趣味が遠ざかって次に向かったのは占星術でしたが、これはもとより4次元思考が なければ出来ないものであって、その訓練をしてくれたのが黒白写真だったんだろうなって今では 思っています。 黒白写真が全盛だった時代は、まだ日本が健全だった時代でした。ですから往年の感覚で黒白写真 を行うということには深い意味があるのだと私は思っています。 現在ではデジタルで黒白写真をするしかないのですが、それはそれで心構えさえマトモであれば 今でも黒白写真はできると思ってます。 私は本当のデジタル写真はこれからなのではないのか、と思うところがあります。そのためには やはりデジタル黒白写真は必須だろうと考えてます。 こういう具合にして、写真に時間軸思考を取り入れて行うのが4次元式写真術ということになります。 私がカメラ機材に入れあげていた時は、まだ写真を3次元としてでしか捉えられていませんでした。 それが往年の黒白写真の文化を思い出したとき、画質追求の機材狂いは瞬時に止まりました。 ペンタックスモノクロームを購入して1年余となりますが、以来、購入した機材はほとんどありません。 3次元思考と4次元思考にはそれくらいの違いが出てきます。 黒白写真が全盛だった時代、戦後の1950~70年代こそが本当に学ぶべき写真の時代なのですが、 面白いことに住宅に関してもその年代が良質の家なんです。80年代以降になってくると、シックハウス の家になります。化学物質を大量に使った材料で組み立てられていて、そこで住む人々の健康と命 を脅かしています。 4次元思考とは、直観力の思考法でもあります。 言葉で説明はできないけれど、直感的に正しい、というのはよくあることです。4次元式思考が 出来る人は、直観力の人でもあるのです。言葉の科学的な証拠や説明がなければ信じない、という 人はそもそも4次元思考ができない人です。 動物は言葉を操れませんが、それでも自分の直観力にしたがって生きているのです。人間も結局は そうなんですね。言葉による説明は単なる後付け結論にすぎません。 この20年間余、デジタル写真をして来ていて、どうしてこんなに機材(カメラやレンズ)というものに 写真所身として負担が掛かるのか、それが不思議でしようがなかったのです。私の昔の記憶では、 黒白フイルム写真時代は、最低限の少ない機材で満足できていたのに。という疑問が常に付きまとっ ていました。 その解けなかった疑問は、デジタルでも黒白写真にしてから瞬時に溶解したわけです。 黒白写真とはカラー情報を捨てた写真です。代わりにカラーでは得られない高解像力を得ることが できますが、それは黒白写真の本質ではありません。黒白写真の本質とは、カラーという、人間が 表面的に惑わされやすい部分を、敢えて捨てさった写真だということです。 言わば、色惑い。色狂い。色香に惑わされること。それを無くしてしまった写真なのです。 写真がら色をなくしてしまったほうが写真の本質に迫れる。そういうことなのではないでしょうか。 モノクロ写真は色情報がない分、写真を良く見て(読み込んで)想像力を働かせなければなりません。 カラー写真は色によって直ぐに分かるということで、一瞥して終わりです。この違いは大きいです。 黒白写真画像を見て、自分の頭の中でもう一度組み立てなおすのが黒白写真の醍醐味です。 その脳内の組み立ての再構築によって画像は3次元のイメージとなります。 そこがカラー写真(2次元のまま)と、黒白写真(3次元再構築)との決定的な相違だと考えています。 カラー写真は画質を上げることで3次元にしようとしましたが、黒白写真は脳内イメージングの作用で 3次元の写真となるわけです。 カラーデジタルカメラで黒白写真をすることは充分に可能ですが、デジタル黒白写真専用機は それとは全く世界が異なります。その超絶な解像力とシャープさ、そしてリアルな抜けの良さは、 別世界の写真が撮れると感じるほどでしょう。 そういうわけて、私としはキヤノンRフルサイズ・モノクローム機を大いに期待しています。(笑) カラーデジタルで黒白をするのと、モノクローム専用機で黒白写真をするのとは、家屋で例えて みれば、前者は強制換気をする現在の気密住宅(有害な化学物質をたっぷりと使った)と、昔の 従来工法の土壁と漆喰で、何もせずとも自然換気ができる家くらいの差があるでしょう。 どちらが自然な黒白写真ができるかは明らかですね。 やはり黒白写真は専用機でやるのか自然です。 こういう例え話をすると、カラー写真とはいかにも人体に有害なことをしている写真なのか? と かんぐってしまうほどです。(笑) それはないわけですが、少なくともその鑑賞に黒白写真より 脳を疲れさせるのは事実です。ですからカラー写真から黒白写真に移行するだけで、ユーザー には脳的な余力が生じて、写真趣味以外のことをする余裕が生じます。 私がモノクロ写真に転換して、それで家のリフォームに邁進できるよになったのはその余力の お陰だということなのかも知れません。 つまりカラー写真趣味は、そのカラー情報の処理に脳力のかなりの部分を使ってしまい、精神的 脳力的に他の事をするだけの余力がなくなってしまうのです。そういう気がしています。 現代のデジタルカメラ写真の趣味は、言わば風流としての趣味です。言葉としては風俗とでも 娯楽趣味でもいいんですが、とにかく、かつてのように文化としての趣味、と言いますか生き方と しての有用実用な学問ですかね、そういうのではないのです。 そこのところはキッチリと区別しておいたほうがよさそうです。 これからはデジタル写真も、一部はそういう学問的な方向に進む可能性があります。それはきっと デジタル式の黒白写真を通してでしょう。デジタル写真趣味をする大部分の方は、依然として風流 趣味でやっていくのでしょうが、ごく一部の方だけがデジタルモノクローム写真を使って、学問領域 の写真に行くのだろうということですか。 この風流文化の写真と、学問分野の写真を分けて考えないといけません。 娯楽としての風流趣味は楽しい余暇の過ごし方なのですが、学問としての写真は個人の生き方 の問題提起をして行こうという写真となってくるのてす。 この2つは方向というか世界観が違うのですね。もちろん次元論としても異なるわけです。 今となって思うわけですが、デジカメを始めて20年余、楽しかったのだけと、それはやっぱり停滞と 迷妄の自分史だったと思います。それを覚ましてくれたのが黒白写真でした。 普通のカラーのデジタル写真は、浦島太郎の龍宮城の世界でしょうか。夢を見ているというような。 非常にバーチャルな世界だろうということです。それはリアルな現実ではありませんね。 そういうわけで、デジタル写真は黒白写真こそが本当のリアルな写真であろうかと思っています。 ※投稿写真は以前に上げたものかも知れませんが、新しい観光地にできた宿泊施設です。 屋根は今流行りのガルバニウム鋼板。壁は焼き杉板でしょうか。シンプルな美があって好まれそうな 外観となっています。最近では屋根のみならず外壁にもガルバニウムを使う例が出できています。 しかし問題がひとつはありそうです。磁波、つまり地磁気を減衰させることにより健康面への危惧が 懸念されます。軽量鉄骨家屋と同じく、一時の流行に終わりそうな気がしています。

無題

大平山は340メートルと、香川にある平均的な山のクラスなので親しみが持てますね。 この大平山に登れば眼下に北関東平野が一望できるというのか良いです。 世の中には、街の人と田舎の人とか言う具合に大きく二分できると思うのですが、例えば、東京など の都会の人と地方の人。また同じ地方でも街部の人と田舎の人とか言う具合に。 この、街に育つか、田舎で育つかで、人は大きく違ってくると思ってます。 街部に育った人はどういう人かというと、自然が少ないので人為的環境下の人治的な考え方をします。 法治的でもいいですよ。つまり、世間的な世界、社会という人間によってのみ作られた世界が全て である、それが最上位の法則であると思ってそれを信じて育つわけですね。 他方、田舎で育った人は、その社会環境よりも、より上の自然環境化での大自然の法則というものが 身に付くように思います。大自然とは神の法則(人間社会よりも上位にある)と言ってもよいのですが、 とにかく、街の人は人智の法則下で暮らし、田舎の人はより上位の人智を超えた自然の普遍世界を 知っているということかも知れません。 押なべて町の人は頭が良いといわれますが、それは記憶力がよいわけです。つまり物覚えがよい。 そして田舎の人は、深い考えをするので町の人のように眼から鼻へ抜けるようなスマートさはありま せんが、実は田舎で自然に親しんでいる人は、記憶力ではなくロジック思考に優れていて、知能指数 が高いわけです。 別の言い方をすると町の人は記憶力と言葉の発信力優先の文科系の人。田舎の人は複雑で高度な 思考が出来るが発信力が弱い理科系の人に例えられるでしょう。知能指数はロジック思考を計るもの ですから、それが高いのは田舎の人であり地方の人です。さらには国際的には低開発国の人達です。 パソコンで言えばロジック思考はCPUであり、記憶力とはメインメモリとかハードディスクのような記憶 装置ですか。ちなみに生成AIは並列処理ができるGPUを使いますが、かなり記憶方向に振った思考法 になるのでしょう。私はこの生成AIを人口知能としてはあまり評価はしていません。ですが実用的で 役に立つものではあるわけです。 世の中が平和で順調な時代は街の人の思考法や遣り方が優位に立ちますが、時代が大きく変る 時代には、街の人のやり方では変革すべき時代を超えられません。歴史を見ていると世界と時代が 大きく変るとき、必ず地方から新しい勢力が出てきて中央政権を倒していきます。 日本の歴史でも貴族の朝廷から関東武士団の幕府へと。幕末明治では徳川を滅ぼしたのは西国の 地方の勢力です。世界が大きく変るとき(それはあくまで自然の力です)、過去の記憶と口先だけでは 対処できず、物事を根本から考え直す能力が求められるのですが、それには高いロジック思考力が 求められ、それで地方や田舎の人達が求められるというわけですね。 ところでインターネットやSNSが全盛ですが、これはあくまでも人智の社会の都会的な世界です。 あくまでも約束事の世界であって、けっして自然な法則下にあるものではありません。今これに日本人 の若い人達全員が染まっていて、地方の人も田舎の若者も、すっかり都会化してしまっているかの ようです。 ですから田舎で住んでいる人も最早自然を知らず、人為的な環境下で育ってしまうことになります。 はっきりいって、これは今の日本人が滅ぶという前兆であり、もちろん日本の国と国土はなくなりませ んが、遠からず我々古い日本人はいなくなります。 歴史的には縄文時代から弥生時代にかけて人口は数分の一になったようです。気候変動などの 大きな災害があったのでしょうが、その時代の変動に当時の日本人(縄文人)は対処できず、結果、 大きく人口を減らし、そこに大陸からの弥生時代の文明を持った新しい人達が渡来したというわけです。 彼らは水田稲作の技術を携えていました。これは2000年前の話です。 おそらく現在の日本の都会化された若者では、これからの大自然の変動に対処できず、滅びに 向かうでしょう。そしてこれからの世界が温暖化に向かうのか、それとも逆に寒冷化に向かうのかは 現時点では不明ですが、おそらく寒冷化に行くのではないでしょうか。小氷河期の再来が来るよう に思われます。温暖化で人々は死にませんが、寒冷化では食糧不足となり危機的状況となるから です。温暖化でも寒冷化でも、とにかくその移行期の極端な気候変動が問題なんですね。 それを察してか、日本の若い人達は子どもを産まなくなりました。日本や韓国、ロシアなど高緯度地域 の国では少子化が止まりません。また世界的に人口が増えているのは、グローバルサウスと言われる 南側の暖かい国の人達です。この日本でもやがては東南アジアからの移民で成り立っていくように なるのでしょうか。 そういうわけで現在の日本は、2000年に一度の大きな変革期に向かっているという気がしてます。 「衝撃の真実!縄文時代から弥生時代に急激に人口が減少した理由と現代の人口問題との関係」 https://www.youtube.com/watch?v=svasdBysgW4 縄文時代の最後、弥生時代にかけて、2300年前に、人口が減少。26万人が7万人に。 ちなみに縄文時代の遺跡は殆ど関東以北の東北などに多く、関西以南では少ないのです。縄文時代は 縄文海進といわれるように温暖でした。気候的にも植栽的にも北日本が豊かだったんですね。 しかし弥生時代への移行期には気候変動が激しく食料が欠乏したと思われます。そして寒冷化へと 気候が安定しだした頃に、大陸から弥生人が渡来し、海退して出現した沖積平野で水田の稲作が営わ れるようになったと思われます。そして古墳時代へといきます。巨大建築の時代です。それを支えた のは稲作の文明です。 縄文時代の神社の名残として有名なのが茨城県の鹿島神宮と香取神宮です。伊勢神宮とならんで 神宮の名がつく別格の名刹です。縄文時代では関東平野のかなりの部分が海でした。ただ茨城県の 太平洋側は標高が高いので縄文の昔は栄えていたと思われます。 私も大昔、鹿島工業地帯で1~2ヶ月ほど住んだことがあるのですが、当時は鹿島神宮を知りません でした。今なら是非に行ってみたいところです。 話は戻りますが、SNSなどのネットでは、書かれていることは9割方は嘘です。フェイクですね。ネットでは 嘘になるようなバイアスが掛かるんですね。この掲示板でも馬鹿げたことを書く投稿者が偶にいますが、 それはあくまでネットという場だけのことで、それは投後者が本心のことを書いているというのとは違い ます。 つまり雑音がネットでは多く発生するということです。9割は雑音で意味がないと捉えるのが本当ですね。 車に乗れば日頃は大人しい人が暴走するというのと同じであって、ネットと言うのは安易であるが故に 信用が置けないものなのです。 そんなネットに若い人が一喜一憂するのは時間と労力の無駄というものです。 そういうのは自然の恵みに触れて育ち、今もそういう自然な環境で暮らしていれば、自然に分かること なのですが、都会化した街部ではなかなか分からなくなっているようです。 ネットでモニターの向こうにいるのは人間ではなく、あくまでもサーバーコンピューターです。本当の 人間は雑音にまぎれて、居るのか居ないのか分からないほどです。そういう具合に考えていかない とネット社会では上手く処すことができません。ネットとはリアルではなくてバーチャルなんです。 私はこのインターネットととかデジタル環境というのは、普通の人の知能では正しく向き合えないの ではないかと考えています。またこれから人工知能の時代に突入するわけですが、さらに普通の人 では使いこなせないだろうと考えています。 簡単に言うと、AI時代はIQが120以上でなければ難しいのではないかと思っています。普通の人の 平均は100ですが、100と120では20もの差があり、それは80の人が100の人を理解できないのと 同じくらいの落差があるんでしょう。IQ80の人はこの世の中では生き辛いわけですが、それと同様な ことが普通の人でも起きるということです。 ですからこれからの時代、普通レベルの人でも物事を考えなくなるでしょう。考えることはAIに任せれ ばいいわけですから。しかしそもそも人間は考えることで、脳が発達しその思考力で他の動物達より 勝り、動物としての頂点に到達してきたわけですが、その大前提が崩れ去ることになります。 人類の8割の人が考えることを放棄すれば確実に人類は滅びます。 人工知能が人類を滅ぼすという考え方を私はしませんが、人間が怠けて自ら滅ぶということは ありえると思ってます。 AI人工知能とは、冒頭で書いたような、人為的な街人の考え方しかできない機械です。決して 人間本来の思考力というものではありません。ですから、シンギラリティとか言って、AIが人類を 知能として超える時代が来るというのは全くの大嘘でフェイクですね。コンピューターという機械は 記憶と計算は得意ですか思考力はありません。それはAI時代でも変わらないものです。 AIが凄いなんて言っている人は都会や街の人の考え方をする人間であり、基本的に考えることが 苦手な人でしょう。 しかしまあ、AIは道具として実用的に役に立つというのは間違いありません。しかしAIが知能として 人類を超えることも、ましてや人間に取って代わることなどは永遠にありません。 ※投稿写真は古い撮影。 家をリフォームしたので、写真の部屋はもうありません。雑然とした物置のような部屋でしたが気に 入っていました。

無題

写真への関心から少し遠ざかってみて改めて感じることは、やっぱり写真趣味最大の御利益というか、 得られる利益は「歩き運動」の習慣です。それも漫然とした習慣ではなく、どれくらい歩けばどの程度 の効果があるとか、前足たる手に持つカメラの重さまで関係があって、そういう詳細にわたるノウハウ を得たことだろうと思います。 私の写真は昔から、逍遙游写なのであって、写真と歩きとは切っても切れない関係なのですが、それが 高度に研ぎ澄まされたということかも知れません。

無題

弘法大師が若い時期に修行をしたという室戸岬。荒波で削られた海岸洞窟です。ここで寝泊りした のではないですか。

無題

室戸岬から太平洋を望観。船の航路になっているんですね。たまに大型船が通過します。

無題

室戸岬の灯台。なぜかUFOのデザイン。

無題

灯台近くの公衆便所で見つけた虫。

無題

室戸の半島は大きな台地状をしています。おそらく地質時代の過去に海底だったものでしょう。

無題

台地の上に開墾された村の水田。溜池もありました。

無題

太平洋の波は瀬戸内とは違って、やはりこれぞ海という感じです。

無題

室戸市の室津にある四国霊場。龍宮城の雰囲気。

無題

室戸岬最端にある四国霊場。写真は引き算の美ではなく足し算の美だとか。

雑

RAWデータの方が劣化度が少ないとかどうとかではなくて、そもそもカメラがカメラ内で最初に作成する データは全てRAWデータなのです。RAWとは生の、という意味ですね。 それでは何故、普通はJPEGデータが作成されるのでしょうか。わざわざカメラ内でRAWからJPEGに 変換(現像)するということは、どういうことなのでしょう。 それはRAWデータが大きすぎてメディアに書き込むのに時間が掛かりすぎからです。そして当然にデータ 量そのものも大きすぎる。メディアの容量を圧迫しますね。 そして画質としては、比べるのはRAWとJPEGではなくて、TIFFとJPEGでなければなりません。モニター の画面で見ている画像は、おそらくTIFFとかJPEGでしょう。それはRAWソフトによって様々であって、 安価なRAWソフトではマトモな画像を見ることは出来なくて、現像してやっと綺麗な画像になるというのも 多々あります。 つまりRAWデータそのものを直接見ることは出来ないと思います。モニターでこれがRAWデータだと思っ ているものはPC内でRAWソフトが瞬時に現像したTIFFなりJPEG画像だと思いますよ。 RAWデータから現像して、最高の画質を得ようと思えば、それは圧縮の劣化が無いされるTIFFデータで なければなりません。しかし現実的にはTIFFはデータが大きくなりすぎて、またTIFFデータを見ることが できないPCもあったりするので、現実的にはJPEGとなります。 そのJPEGデータも現像時に画質のランクを選択できるように、圧縮の劣化度を選ぶことかできますね。 圧縮の劣化度が少なければ高画質でありデータは大きく、圧縮度が大きければ低画質となりデータは 少ないです。また現像時にピクセル数もチョイスできますし。 RAW、TIFF、JPEGの違いが分からない人が多いと思うのですが、そこはきっちりと理解できていないと 混乱の元になります。 JPEG設定でもきちんと撮影すればRAWで撮影したものと変わらないと言っている人もいますが、それは 大間違いです。カメラによっては優れたJPEGを出すカメラもないことはないのですが、普通はRAWと JPEG撮影では圧倒的な画質の差があります。RAWが100点だとするとJPEGは30点から50点くらいの 画質しか出てきません。 高級なレンズを付け、撮影をみっちりとやったとしても、JPEG撮影ではそれらの投資と努力が無駄に なるというわけです。逆に言えば、安物のレンズでいい加減な撮影をしても、RAWで撮影し、そのRAW ソフトもプロ級の高価なソフトを使えば良い画質を得ることができます。簡単に言えば安価なソフトは 現像をしても画質が悪いです。 私がいいねって感じるのは、デキシオ、キャプチャーワン、フォトショップ(&ライトルーム)ですか。メーカー 純正ソフトではキヤノンDPPとかシグマですかね。 RAW、TIFF、JPEGが混乱するのは、大きくて高画質の高性能のモニターを使っていない人が多いから です。エイゾウなどのプロが使うモニターと、PC内のグラフィックカードが優れていれば画像の違いを 自分の眼で見ることができます。スマホの閲覧なんかでは写真は金輪際、分からないんですね。 RAWデータは未現像のデータなので、このデータを一般の人が貰っても写真を見ることができません。 さらにRAWデータはメーカー独自のデータですから仕様が変わる可能性があり、たとえば古いカメラの RAWデータなどは、それを現像するソフトウェア、及びそのソフトを搭載できるOSもなくなってしまっている こともあます。つまり汎用性を持ちません。 時代を超えて通用する画像データはTIFFとJPEGだけですね。この2つは100年後も見ることができる と思います。 人様にデータをプレゼントするのならば、PC(ノートPCも含めて)かタブレットで見るわけですが、同時に プリントをすることあるわけですから、最低限、数メガバイトのJPEGデータでお渡しするのが普通かと 思います。数十メガバイトの高画質JPEGデータをもらってもPCが動かないといったこともあります。 逆にまた数百キロバイトのスマホでしか見れないデータをもらってもねえ。 ですから数メガバイトのJPEGデータという限られた制約のなかで最高の画質を見せたい、と思えば RAWデータで撮影して画像処理をして差し上げるのが正解だろうと思いますよ。もちろんピント外れは ダメですし画面が傾いていてもいけません。暗部は持ち上げてハイキーは飛ばないように。 そういうことをしてキッチリと良い画質と色味をだそうと思えば、もうRAW撮影以外にはないですね。 結婚式の写真とか、舞台発表とかの写真だと、高性能AFレンズでピントは正確に、そして連写撮影も しなければならないで、本当に大変です。そしてその後の画像処理もあるわけで、はっきりいって報われ ません。(笑) 素人さんは簡単に、良いカメラだから撮れてると思うわけでしょうけど、実際は四苦八苦 してるわけですしね。 そんなわけで、我々アマチュアは人様の写真を撮って差し上げる、なんてということはしなくてよいんで す。アマチュア人は自分の撮影したい写真だけを撮ればいいんです。そう思いますよ。 今の時代、みんなモバイルを持っているんだから、素人でも自分で写真を撮ればいいだけの話です。 今後の家族写真という話題では、写真はプリントをしない限り、データのままでは写真は最終的に全て 消滅しますね。PCに保存している写真、クラウドに載せている写真、すべて無くなる運命にあります。 しかし家族写真なんて、そういうものは大昔はありませんでした。戦後からですね。そういう写真がアル バムとして出現したのは。 ですからこれからのデジタルデータの時代、全ての写真データがなくなったとしても、それは大昔の時代 に戻るだけのことでして大したことじゃありません。 今の時代、ネットでは膨大な写真と映像が溢れていますが、そんなもの、大きな戦争や自然災害が あれば簡単に無くなる運命にあるわけです。今のネットの写真やデジタル写真というのは、この一時 だけの、幸せの時間の写真なのであるわけで、けして永遠性を持ちません。 私は仕事柄、思うわけですが、一般の人はデジタルデータを信用しすぎです。データは間違いのないもの だと勘違いをしていますし、永続性があるものとも誤解をしています。皆んなどうしでこんなに人がよい のだろうかと不思議に思うほどです。きっとそういうのは平和ボケなんだろうということでしょう。

無題

今回上げたこういう写真もボケ&無地写真の類かも知れませんが、私としては、いま私が関心がある 室戸岬の一光景として捉えています。 太平洋側は海から朝日は昇るけど、夕日は海に沈まないと思われがちですが、ここ室戸では夕日も高知 湾に沈むのです。高知湾と言っても大きいですから事実上の太平洋でしょう。 若い時から何故か、この室戸が好きなんです。香川から近いというのもあります。3時間で行けますから。 (高速道1時間+55号線2時間) 往復6時間ですから、朝に出発しても帰宅は深夜になります。 高速道のない時代は片道4時間掛かりました。もうしばらくすれば高速道が延長され、2時間になるか も。 それでもあまり苦にならないところがあって、それはやはり太平洋の匂いを満喫できるからでしょうか。 いま自分が関心のあるものを撮る。芸術写真の為の写真撮影ではなくて、自分の知的関心の延長線上 で写真をするということは極めて大事だと考えています。 今回は、室戸岬の台地で農業を営む農村を見ることができました。標高は100から200メートルの、ほぼ 平らな台地で農業(水田とハウス農業)が営なわれています。とにかく目前に太平洋が一望できるという、 絶景の村ですね。一般の観光客は、そういう台地の村があることを知りません。 もっとも、写真の撮影地は台地農村ではなく、スカイラインへ登る道路からの撮影です。ここらで海抜100 メートルくらいでしょうか。もし津波が起こったとしても此処までは押し寄せてきません。

無題

おっと、下の投稿写真。間違えました。 こちらが投稿したかった写真。

無題

ペンタックス板・続3 ボケ多様の写真、もしくは無地部面積の多い写真などは写真ではなく、CGと同列のグラフィックアート であると申しましたが、見方を変えれば、脱写真であるということです。 そしてこれには物凄い利点があります。それは特に昨今の高画素カメラの時代では際立っていて、 意図的に情報過剰の弊害を防いでくれるということです。絵としてはとてもシンプルです。何が写って いるかを考える暇さえ与えないほどの情報の少なさが特徴ですね。もう一瞬で、これはこの絵であると 分かってしまいます。もはや考えるまでもなく見るまでもないというわけです。 それでこういうボケ写真や無地写真は、情報過剰に疲れた人達の多い現代では特に求められている 画像なんだろうと言えますね。時代の要求にマッチしています。 https://photoxp.jp/pictures/225904 こういうのもボケ写真のひとつなのですが、要するに意図的な情報削除であるわけです。 この情報削除という指向自体が脱写真そのものの考え方です。とにかく現在のカメラや写真は写り過ぎ るというわけで、その反作用として出現したのが、ここでいうところのボケ写真、無地写真の存在意義 なんだろうということですね。ですから、脱写真なのです。 過多情報化し過ぎた現在写真に対して、これまたその反作用として意義があるということで、私が選択 したのが黒白写真でした。色情報をすっぽりと削除することで、その要求を実現したわけですが、 この黒白写真はあくまでもレガシーな手法です。 黒白写真は写真の領域に留まっているということで脱写真ではありません。しかしボケ写真や無地写真 は、写真の領域を突破して脱写真になったと私は考えます。 写真か写真でないかは、それは現実的であるかないか。それが決めるでしょう。黒白写真はあくまでも 写真として、この現実世界に留まっていて、つまり写真の領域に収まっているのですが、脱写真はグラ フィックアートとすることで、空想世界、虚空世界、今で言うところのバーチャルな世界となっているよう です。 そこのところが決定的に違うところです。 そういう風に考えると、ボケ・無地写真とは、作者にとっては意図せずして時代の最先端の画像を実現 させたものだ、ということかも知れませんね。 私は古いオーソドックスな人間ですから、そういう時代の最先端の画像を自分に取り込むということは 恐ろしくてできません。写真という概念の頚木から外れることができないということで古過ぎる人間かも しれません。 私が黒白写真を選んだのは、それがコンピューターもネットもない時代の産物だからです。最新でも 1960~70年代の技術です。そういうものに回帰をするということで黒白写真を選びました。 そういう絶対的に安心できる写真技術なのですが、この古さが私には安心感となっています。 デジタル写真の実現した、圧倒的な解像力とシャープさ、ゆえに情報量が多すぎる結果となり、その 過剰情報に溺れることから逃れるために、古い技術である黒白写真になったわけです。 ボケ写真・無地写真も、黒白写真と同じように過剰情報から逃れるということでは共通するのですが、 私は後ろに下がり、彼らは前に進んだわけです。その選択と決断が真反対となりました。 実はもう私としては、アイフォーンなどのスマホ写真でもう充分ではないかと考えています。クラウドに 写真を保存するのはちょっと気に入らないところはありますが、そこを省けばカラー写真はスマホで 良いんじゃないかっていうことです。 スマホ写真の良いところは、全ピント写真(パンフォーカス)が得られるというところです。センサーが 1インチくらいですからボケ写真なんかは得意ではありません。しかしそこが安心できるということです。 正直言って、ボケ写真・無地写真は、写真の持つ属性の力学として、本当にそんな写真を撮っていて、 大丈夫なのな?という不安感があります。 もしかして人間として大丈夫なのか、という薄気味悪さがあるんです。これは理屈ではなく私の予感です。 その点はスマホ写真は、さらにはドローン(MTさんのような)ですら、写真として安心感があります。 センサーサイズって、フォーサーズがそうですが、小さいほうが安心感があります。 ※投稿した写真は、20ミリですのでフルフレームでは30ミリとなります。やや広角というレンズです。 私としては前出の40ミリよりも圧倒的に、この広角側描写が好きです。30ミリとなりますと、小石に ピントを合わせながらも、水平線も画面に入れることができました。 レンズミリ数もボケも人の好き好みだと言ってしまえばそれまでです。それ以上、議論は進みません。 結局は撮影者の世界観に尽きると思うのですが、その世界感に、より多くの人達の賛同しが得られる のかどうか、それが広い意味で写真としての結果となります。 その世界観に広がりがあるのかどうか。それとも詰まっているのかどうか。 ボケ写真は袋小路に入ってしまった写真なのではないかと思えてきます。自ら世界を閉ざしているの ではないかと。 写真は平面の2次元の表現とも言いますが、現実は3次元であり、可能な限り写真は3次元的な広がり を持つべきだと思っています。けっして2次元世界に閉じ込めるべきではありません。 その写真を他人が観て、現実の空間を想像できないと写真としての価値が削がれているということに なります。 ボケ写真には空間の閉塞感がつきまといます。無理に2次元の世界に閉じ込められているという気分に させられますね。 ボケ写真も、無地空間写真も、そして抽象的CGアート(一頃騒がれましたが今はすっかり廃れました) もそうですが、たいへん窮屈な画像世界となるようです。やはり現実の光景には敵わないということ なのではないですかね。 それにしても、なぜ人は敢えてボケ写真を求めるのか。そもそも現実にはありえないボケ世界ですが、 そこに人工的な作り物への奇妙な安心感?があるからですか。私にはもの凄く無理をしているような 気がしてならないのですが。 とにかく私にはボケ写真というものが分かりません。理解しがたいものとしてこの世にあるわけですが、 これを好む人もいるのも事実です。

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ペンタックス板の続きです。 普通、写真機を持てば、それを持ってどこかへ出かけたくなるものです。それはどういうことかというと、 カメラというものは、自分の世界の拡張を自然に促すということでしょう。そもそも写真機は人間の、 見るという行為の強力な拡張力を持つからです。 ただ、その世界の拡張というものは、その人がどれだけの身体力や機動力を持っているかで違って くるわけです。自分の脚だけだとせいぜい数キロの範囲しか広げられません。 そしてもうひとつあります。カメラ自体の性能です。単焦点レンズとズームレンズでは拡張力が違い ます。一般的にはズームレンズが範囲が広い。そういう要素は、絞り、AFの有無、連写力、そういう ものでも違ってきます。 例えばカメラが不順でレンズを絞り開放でしか撮れないというのは、カメラの拡張性能に制限がかかっ ているということです。 さらに一番大事なことは、人は何に向けて写真を撮るか、撮影の対象物は何?ということです。 どんなにカメラの性能が上がっても、何を撮るのかというのは、人の自由な選択に任せられています。 何を撮るのか、また別の言い方をすれば、何は撮らないのか。 撮らないもの、カメラを向けないものが多くなると、写真には制限が多くなります。 ペンタックスな人は物凄く多くの制限を自らにかけています。それはストイックなほどて、カメラは1台、 レンズは1本、カメラ不調で絞り開放でしか使えない。そしてそれを修繕もしない。撮影はRAWではなく JPEGのみ。 撮影場所は歩ける範囲内か、しかも早朝の短い、人が無人の時間帯のみ。田園地帯の住まいならば 自然と撮影できるものは決まってきます。 さらに、カメラを向ける方向にも制限を掛けています。足元か頭上か。距離的には数メートル範囲内 で。近接撮影のみです。 どうしてこんなに制限だらけのことをするのだろうか、それを自らに課すのだろうと疑問に思うわけで すが、そもそも本来カメラや写真というものは、自然な拡張力を持っているものなのに、態と強力な 制限、縛りをかけてしまっていることに、普通の人ならば絶対に疑問に思うわけでしょう。 そんなことをしてまで写真をやっても仕方がないだろうと、普通は思ってしまいます。 しかしペンタックスな人は、そうは思っていないわけですね。 使っているレンズは良いレンズで43ミリF値が明るくボケがよくでます。開放値でしか撮れないのでさらに。 撮影する対象は近接撮影ばかりなのでこれもボケがでます。 そういうことなんです。ペンタックスな人はボケの写真が欲しいわけですね。ボケさえ出ていれば対象は 多分なんだってよいわけです。ピントが合って全シャープな写真ではなく、ボケばかりの画像が欲しい わけで。 多くの制限をかけて不思議だなってことではなくて、ボケの写真を得ることだけに邁進していたという ことのようです。それで霧が掛かっていれば遠景の撮影ができたわけですね。霧中のボケですから。 ボケの美意識とは多分、物事を詳細に見ないことです。また、リアルな事実を遠ざけることです。ボケ 表現は、本来裸眼の現実にはありえないものであって極めて抽象的です。 ペンタックス板では、昆虫や花や鳥を撮る高齢者の先輩も投稿していますが、けっしてボケではありま せん。可能な限り、リアルにシャープに撮ろうとしています。ペンタックスな人と同じ近接撮影であるわけ ですが、ボケは排除しています。しかしそれが普通の感覚ですよね。 ボケとはアウトフォーカスのことです。スマホやコンデジは撮像素子が小さいのでボケ、アウトフォーカス の写真が撮れないので、スマホのユーザーはデジイチなどの大きなカメラが欲しいと言います。 それは遠近感がボケでもって表わせるからですね。遠近感とはリアルなのでそれは良く理解できます。 しかし徹底的にボケの写真ばかり撮るというのは、これは普通の感覚ではないです。 それと良く似た感覚では、空とか海とか、さらに徹底して引き算の構図でもって、写真としてのリアルさ を排除した絵画風の写真が、不思議に不良コメント投稿者には人気だということがあります。つまり 写っているものが少ない、非リアルさ、がいいということでしょうか。 つまり無地の面積が多いほどよいという。そういう感覚はボケ写真にも通じますね。 そういうことを考えると、ボケ写真とは一種の抽象力、想像的イメージのことではないのかなって思え てきました。写真という道具を使った絵画というものです。 そう言えばチルトレンズを使って故意にボケを作る写真があります。そもそもチルトは狭いピント面を 広くするために使うレンズなのですが、それを逆用してワザとボケを大きくするというのは普通の感覚 ではなく、空想力を大いに発揮されているのだろうということです。 このようにボケの多用、構図の無地部の拡大をするようになると、リアルさが本命の写真の範囲を 超えた絵画的抽象性の世界、つまり絵画のジャンルなのだろうということですね。コンピューター・ グラフィックと同列に並ぶ、非写真だろうと思います。 そういうわけで、私としては所謂ボケ写真は写真ではないと思うようになったのですが、もし、ボケ写真 を無理やり写真とするならば、それはけっこう危ういことなんではないかと考えてます。 ボケはボケに通じるということで、一旦ボケ写真に嵌ってしまうと、もしかすれば二度と抜け出せない のかも知れないなと思う時があります。 ※私ごく偶にはボケ写真を撮ります。準望遠側で近接物を撮れば自然にボケ写真となるがらです。 そして殆どの撮影は広角側での全ピント写真となっています。私にとってのボケ写真とはその程度 のものです。

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高松・長田さん 亡き父設計の建物改装 「峰山往来文庫」 https://www.yomiuri.co.jp/local/kagawa/news/20240308-OYTNT50229/ 図書館の構想が浮かんだのは、パソコンでの設計作業がきっかけだった。図面を印刷して点検すると、引いたはずの線がないことがあり、「デジタルと紙では、脳の認識が異なるのではないか」と考えるようになった。 穏やかな時間を過ごす峰山に小さな図書館が誕生 「峰山往来文庫」 https://www.nicetown.co.jp/life/77371/ 建築士・長田慶太さんの“思いつき”から始まったプロジェクト。子どもも大人も画面(直接光)から情報を得る現代は、紙などの間接光から情報を得る機会が減少。ますます画面から情報を得る世界に間接光から情報を得る場も大切なのではと考えた長田さんは、そのツールとして“本”に辿り着いたそう。 2024.05.10 四国新聞記事抜き出し 「自然の中で本との出合い 高松・峰山に図書館、廃屋を改修 地元設計士が運営」 構想の切っ掛けは新型コロナウイルス禍で画面越しの対話が増えた現象。それが当たり前になることで ネットの情報に疑いを持たなくなる人が増えるのでは、と危惧した。スマートフォンなどの画面が発する のは直接光。一方、本の情報は周囲の光が紙に反射して間接光として脳に届く。間接光の方が情報を より客観視できるという説もあり、その違いを体験して欲しい。… こんな紹介記事が新聞に掲載されていたわけですが、ネットで調べると現在のところ、けっこう人気の ようです。瀟洒な感じのレストラン(兼、私設図書館)が人気の元なんでしょうけど、そんなことよりもデジ タルスクリーンと紙の印刷物の相違に考えが及んでいる人も、偶にはいるんだなあっていうことで紹介 しました。 現在はもう教科書すらデジタル化しようという時代です。そんな時代に何を言ってるのか?という気も しないではないのですが、しかしフィンランドのヘルシンキでは数年前、小学校の全教科をデジタル化 しようという計画がなされたのですが、父兄から紙の本を使わなければ本当の学校ではない、と反対 をされ中止になったそうです。 小学生なとの子どもにデジタルスクリーンを与えると、当初は学力が伸びるだろうと思います。エストニア の例がそうですね。しかし始めは良くて後が悪い、という良くあるパターンになると思います。高校や 大学生になると、もう学力は伸びないだろうと思いますし、大器晩成などはもう望むべくもないでしょう。 そういうことを知っているかどうか。日本の文科省は教科書のデジタル化には本気じゃないです。 それと同じようなことが言語にも言えるかもしれません。バイリンガルは人間として伸びないのじゃない かと薄々感じている人は多いと思います。 もっとも元々非常に知能の高い子どもには、デジタル化もバイリンガルも関係ないです。易々とこなして いきますからね。でもそういう知能の高い子どもは極僅かです。 そして写真にも、このデジタル化の大波に飲まれているのが現在の写真情況なんですが、写真が紙から スクリーンになり、またテレビと同じような動画志向となり(静止画ではなく)、それで現在では写真をする ことの意義は、大きく薄れているというのはおそらく間違いがないでしょう。 まだ今は、デジタル写真でも、紙にプリントすることで往年の写真の意義を取り戻すことができますが、 これがスクリーンだけの鑑賞となりますと、やがては写真そのものが動画(つまりはテレビです)に食わ れてなくなってしまうように感じられます。しかしまあ、写真という静止画ファンも多いので、そうはならない でしょうが、静止画が斜陽の文化であるのは間違いがないところでしょう。 でも斜陽文化だから、趣味としては面白いんですげとね。また静止画は動画に比べてローコストで手軽 なことが優位を持ちます。 投稿写真は2度目の高知・室戸行きでの道草撮影。芸西村の琴が浜かな。写真に写っているのは南側 の半分、北側にもこれ以上の長い浜があります。人工物の少し高いところからの撮影。 高知県は浜がとにかく多いです。そして久しぶりのカラーでの撮影。やっぱりカラー撮影は綺麗でいい ですね。(^^ゞ  この日は何とバッグごとカメラを忘れて撮影に行くところでした。高速道に乗る前に気が付きましたが、 もう大分、写真には疎くなっている証拠ですかね。(笑) シッポ座さんの投稿で、写真に真実はあるのかどうか。というのがありました。 手早く言うと、写真には真実も正義もありません。写真は紙であり現在はデータです。そんなものに真実 などあろうはずがありませんね。 ただし真実と正義は、写真そのものではなく写し手にあるんではないですか。カメラマンや編集者やそう いうメディアです。そういう人達の努力や自己犠牲です。ですから、あくまでも人です。人間にこそ、真実や 正義というものが宿るのであり、写真という媒体はあくまでも中性的なモノなのではないですかね。 独裁者は写真を使って虚実と不正、嘘と悪をばら撒きます。写真はそういうものにも利用できるのです。 真実を知りたくない人達にとっては、独裁者のプロパガンダは心地よいものです。 今のロシアはプロパガンダの国営放送テレビしか見ない人達が大勢います。自分と身内に被害が出ない 限り、プーチンの嘘の報道は通るようです。しかしロシアが戦争で疲弊しているのは事実であり、それが やがてはロシアという国の分裂に繋がるのでしょう。真実を見ないということはそれは一時の幻の幸せ であり、決して長続きするものではありません。嘘は長続きしないんです。それで心ある人達は苦労を して真実を求めるのです。 肖像権とか個人情報とか、そういうのを言い出したのは最近であり、時代がネット社会になってからです。 このインターネットというのは誰でも参加できるのですが、それゆえに嘘が多いのです。そして悪も。 しかし馬鹿と悪人は何時の時代にも一定数いるものです。これは大数の法則です。しかしそういう人間は そもそも真実ではないので長続きしません。いや長生きできません。何かの拍子で簡単に死んでしまう のです。鰯のように弱いので直ぐに嘘と悪に染まるのです。つまり逆に言えば、真実とは強い人間にしか 宿らないのですね。運勢のレベルから言えば、人間社会も弱肉強食なんです。