無題
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 40mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/1250sec.
絞り値 F4.0
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4096x2713 (5.69MB)
撮影日時 2012-03-19 22:29:03 +0900

1   kusanagi   2024/5/12 22:28

高松・長田さん 亡き父設計の建物改装 「峰山往来文庫」
https://www.yomiuri.co.jp/local/kagawa/news/20240308-OYTNT50229/
図書館の構想が浮かんだのは、パソコンでの設計作業がきっかけだった。図面を印刷して点検すると、引いたはずの線がないことがあり、「デジタルと紙では、脳の認識が異なるのではないか」と考えるようになった。

穏やかな時間を過ごす峰山に小さな図書館が誕生 「峰山往来文庫」
https://www.nicetown.co.jp/life/77371/
建築士・長田慶太さんの“思いつき”から始まったプロジェクト。子どもも大人も画面(直接光)から情報を得る現代は、紙などの間接光から情報を得る機会が減少。ますます画面から情報を得る世界に間接光から情報を得る場も大切なのではと考えた長田さんは、そのツールとして“本”に辿り着いたそう。

2024.05.10 四国新聞記事抜き出し
「自然の中で本との出合い 高松・峰山に図書館、廃屋を改修 地元設計士が運営」
構想の切っ掛けは新型コロナウイルス禍で画面越しの対話が増えた現象。それが当たり前になることで
ネットの情報に疑いを持たなくなる人が増えるのでは、と危惧した。スマートフォンなどの画面が発する
のは直接光。一方、本の情報は周囲の光が紙に反射して間接光として脳に届く。間接光の方が情報を
より客観視できるという説もあり、その違いを体験して欲しい。…

こんな紹介記事が新聞に掲載されていたわけですが、ネットで調べると現在のところ、けっこう人気の
ようです。瀟洒な感じのレストラン(兼、私設図書館)が人気の元なんでしょうけど、そんなことよりもデジ
タルスクリーンと紙の印刷物の相違に考えが及んでいる人も、偶にはいるんだなあっていうことで紹介
しました。
現在はもう教科書すらデジタル化しようという時代です。そんな時代に何を言ってるのか?という気も
しないではないのですが、しかしフィンランドのヘルシンキでは数年前、小学校の全教科をデジタル化
しようという計画がなされたのですが、父兄から紙の本を使わなければ本当の学校ではない、と反対
をされ中止になったそうです。

小学生なとの子どもにデジタルスクリーンを与えると、当初は学力が伸びるだろうと思います。エストニア
の例がそうですね。しかし始めは良くて後が悪い、という良くあるパターンになると思います。高校や
大学生になると、もう学力は伸びないだろうと思いますし、大器晩成などはもう望むべくもないでしょう。
そういうことを知っているかどうか。日本の文科省は教科書のデジタル化には本気じゃないです。
それと同じようなことが言語にも言えるかもしれません。バイリンガルは人間として伸びないのじゃない
かと薄々感じている人は多いと思います。
もっとも元々非常に知能の高い子どもには、デジタル化もバイリンガルも関係ないです。易々とこなして
いきますからね。でもそういう知能の高い子どもは極僅かです。

そして写真にも、このデジタル化の大波に飲まれているのが現在の写真情況なんですが、写真が紙から
スクリーンになり、またテレビと同じような動画志向となり(静止画ではなく)、それで現在では写真をする
ことの意義は、大きく薄れているというのはおそらく間違いがないでしょう。
まだ今は、デジタル写真でも、紙にプリントすることで往年の写真の意義を取り戻すことができますが、
これがスクリーンだけの鑑賞となりますと、やがては写真そのものが動画(つまりはテレビです)に食わ
れてなくなってしまうように感じられます。しかしまあ、写真という静止画ファンも多いので、そうはならない
でしょうが、静止画が斜陽の文化であるのは間違いがないところでしょう。
でも斜陽文化だから、趣味としては面白いんですげとね。また静止画は動画に比べてローコストで手軽
なことが優位を持ちます。

投稿写真は2度目の高知・室戸行きでの道草撮影。芸西村の琴が浜かな。写真に写っているのは南側
の半分、北側にもこれ以上の長い浜があります。人工物の少し高いところからの撮影。
高知県は浜がとにかく多いです。そして久しぶりのカラーでの撮影。やっぱりカラー撮影は綺麗でいい
ですね。(^^ゞ 
この日は何とバッグごとカメラを忘れて撮影に行くところでした。高速道に乗る前に気が付きましたが、
もう大分、写真には疎くなっている証拠ですかね。(笑)

シッポ座さんの投稿で、写真に真実はあるのかどうか。というのがありました。
手早く言うと、写真には真実も正義もありません。写真は紙であり現在はデータです。そんなものに真実
などあろうはずがありませんね。
ただし真実と正義は、写真そのものではなく写し手にあるんではないですか。カメラマンや編集者やそう
いうメディアです。そういう人達の努力や自己犠牲です。ですから、あくまでも人です。人間にこそ、真実や
正義というものが宿るのであり、写真という媒体はあくまでも中性的なモノなのではないですかね。
独裁者は写真を使って虚実と不正、嘘と悪をばら撒きます。写真はそういうものにも利用できるのです。
真実を知りたくない人達にとっては、独裁者のプロパガンダは心地よいものです。

今のロシアはプロパガンダの国営放送テレビしか見ない人達が大勢います。自分と身内に被害が出ない
限り、プーチンの嘘の報道は通るようです。しかしロシアが戦争で疲弊しているのは事実であり、それが
やがてはロシアという国の分裂に繋がるのでしょう。真実を見ないということはそれは一時の幻の幸せ
であり、決して長続きするものではありません。嘘は長続きしないんです。それで心ある人達は苦労を
して真実を求めるのです。

肖像権とか個人情報とか、そういうのを言い出したのは最近であり、時代がネット社会になってからです。
このインターネットというのは誰でも参加できるのですが、それゆえに嘘が多いのです。そして悪も。
しかし馬鹿と悪人は何時の時代にも一定数いるものです。これは大数の法則です。しかしそういう人間は
そもそも真実ではないので長続きしません。いや長生きできません。何かの拍子で簡単に死んでしまう
のです。鰯のように弱いので直ぐに嘘と悪に染まるのです。つまり逆に言えば、真実とは強い人間にしか
宿らないのですね。運勢のレベルから言えば、人間社会も弱肉強食なんです。

戻る