海へ
海へ
海へ
写真の社会性って何だろうって、そう改めて考えると、なかなかに難しいものです。 もちろん写真を使って社会に真実と変革の一滴を投じるのは、ジャーナリストという職業の方々です。 特に紛争地域での報道は必然的に戦場カメラマンとなってしまい、命がけの仕事になります。 一般の人はそのような、だいそれたことは出来ませんね。しかしプロのジャーナリストが使う写真も、 我々アマチュアが使う写真も、実は同じものです。特別に違ったことをしているわけではありません。 では何が違うのかというと、そのカメラを持つ人間の意識、矜持が違うということになります。 そういうプロの方々の高い意識があるからこそ、それが社会に流布されて認められているからこそ、 翻って写真を知らない大勢の一般の人達が、多少なりともアマチュアも含めた写真家達を尊敬して くれるのではないかと考えています。 では逆の事を考えて見ましょうか。写真を使って悪辣非道な犯罪をしたり、独裁者の命じるままに 写真を使うような、そんな国の民衆は写真家を尊敬しませんね。そのような国ではアマチュア写真家は カメラを隠すようにして写真趣味をやらなければなりません。 ジャーナリストだけでなく、プロもアマも綺麗で素敵な写真を撮り、それがメディアや各種の媒体で 広く浸透しています。こういう美意識というものも大事なものです。綺麗な観光地の写真を見て、じゃ、 私も行って見たいね、となるのも写真や映像の力だからです。 しかし美しくしようと気が入りすぎて、実際とは違うものになってしまっては、それは嘘になります。 現実とは違う作り物になります。 そして知らないうちに、善意ではあるんですが独りよがりな写真になってしまう可能性がありますね。 そうなってしまうと、それは真実とは違う社会性の乏しい写真となるわけです。 それと我々カメラマンが世間様にある程度は認められた存在であるということは、これは意識の高い 写真家達のお陰であって、その方たちにある意味で寄生していると言いますか、もたれかかっている ということでもあります。タダ乗りと言ってもいいですかね。これではさもしい感じがします。 ですから可能な限り、一人ひとりが自分なりの思いでもって、写真の社会性というものを常に意識して おく必要があります。 そうは言っても私自身もついつい忘れがちになることです。ついつい自分勝手な欲望でもって写真を 穢させているというのが現実です。改めて心して写真をやっていかなければと思っています。
私などは典型的ですが、写真は人様に迷惑のかからない程度に、個人的な楽しみでのみ、密やかに やって行きたいというのがあります。なによりも撮影そのものが楽しみであり、屋外に出かけて、カメラ を手に持って歩くというだけで十分に満足というわけです。 それ以上は何も望まないのであって、それならばよく考え見れば自分の撮った写真を投稿する必要も ないわけですが、そこは写真というものですから、この掲示板を使わせてもらって下手な写真を上げ ています。 この、そこは写真というものですから・・・というのが、全ての写真には多少の多寡はあるものの、社会性 というものが属性として存在しているのだ、という証しでもあるんです。 写真は完全に個人的なものではありえないということ。そこには幾ばくかの社会性世間性というものが 必ず内在しているということ。これはきはり写真の本質になるのだろうと思っています。 なぜならば写真とする対象物は世間様から預かっているものだからです。大自然が被写体という場合 でもそこには神的な社会性というものがありますから。 そもそも本当に自分だけのものがこの世の中にあるものなのか。と問えば自信をもって自分のモノ、私の ものだと言えるものは殆どないことに気づくはずです。すべては世間に世界に通じているものばかりです から。
今回は小型のカメラでもって、そのぶん長い距離を歩くことにしました。 このペンタのカメラはモノクロ機なのでレンズには凝っていません。シグマの広角ズーム、標準ズー ム、オマケで超小型望遠ズームの3本でやってます。全て含めても2キロもないカメラなので手軽です。 このモノクローム専用機こそが、もしかすれば私の本来の姿のカメラのカタチであり、私の写真なのか も知れません。撮影は全てJPEGのSサイズです。 RAWは現像ソフトが不満なので、一応は同時記録はしていますが、鑑賞もアップ写真も全てその JPEGからです。画素数は800万画素くらいで、かつてのAPSカメラレベルですね。これがモニターでの 鑑賞にはちょうど良く、そのまま見て少し処理してアップしています。 実に手間要らずで簡単です。 レンズには凝っていない、というのは正確な言い方ではありません。実はカラーで良い色を出すペンタ のレンズも多少あるのですが、モノクロでは思うような、つまり私が思い描く画質になりません。それで カラーではイマイチだなっていう、シグマの有りふれたレンズこそが、私のモノクロ表現にピッタリだった のです。 モノクロでも細密なグラデーションをモノにしようと思えば高級レンズでいいんでしょうが、私のモノクロ 表現はざっくばらんで、かつてのフイルムのトライXを目指していますので、ちょっと違ったわけです。 これには過去の経験があって、モノクロ写真を始めたころは、安物のF値の暗いレンズでやってました。 実はそれでちょうど良かったんですね。少し余裕が出来てF値の明るい、コーティングの優れたレンズに したわけですが、モノクロ写真としては上手くイメージどうりにいきませんでした。 モノクロのイメージには合うレンズというものがあることをその時知ったわけです。 本来、モノクロ写真は秘めやかで控え目のものです。私にとってのモノクロは、アートなどとは関係のない ものでして、昔はカラー写真が高くて出来なかったからモノクロでやっていただけのことです。今の私は カラーは面倒くさいからモノクロでやっているだけ・・・という事にしてやってます。(笑) カラーは欲望を刺激します。それでもっと良い画質のレンズやカメラが欲しくなるから、次々とエスカ レートするんであって、本当にモノクロしか撮れないとなると、レンズは最小限になりますね。 それから、あえて黒白専用機を買おうか、という人はまずいません。なぜならば新しいカメラの購入 とは、自分の欲望を解放するためにするのであって、それはモノクロカメラとは本質的に相容れないの ですし、むしろ相反するからです。 そういう意味で、モノクロ専用機は極めて精神的なものです。 ですから精神的にさえ確りしていれば、普通のカラー機をモノクロ機にすることは可能です。しかし 人間は精神的には弱いものですから、現実にはそうすることはなかなか出来ません。(笑) このカメラのモノクロの画質(解像力)としては、フルサイズの数千万画素のカメラと同等の性能だろう と推察します。ライカのフルフレーム6000万画素のモノクロ機となると話は別になります。 このペンタモノクロ機は、その光学ファインダーは素晴らしく、当然にカラーのファインダーです。 その素晴らしいファインダーを見てショットし、それで撮った画像をモニターで見ると、残念なことに モノクロでしか写っていません。(笑) が、その時点で私の欲望はシャットアウトされるんですね。じゃあ、これで行くしかないじゃないかと。
モノクロ専用機は需要がないので必然的に高くなります。それは自動車のMTミッションの車と同じ です。今はMT車を買おうと思えば商用車を除けばスポーツタイプの高価な車だけとなります。 中古車も高価格ですね。もともと売れていなくて玉数が少ないのです。それと同じでモノクロカメラ は中古市場でもゲットすることが難しいでしょう。 とは言いながら、ネットで探してみますと結構でてきます。しかし価格が新品と変わらないですね。 ペンタモノクロームの中古が出ているということは、何となく買って、それで面白くないということで すばやく手放したのでしょう。ちょっと諦めるのが早い気もしますが、写真に対する考え方が確りと していないと、モノクロ機は難しいです。カラーカメラしか経験のない人はモノクロ機を扱えないのかも しれません。 手持ちのカメラでモノクロ機を模倣しようと思えば可能なのですが、これにはコツがあります。 RAWでは撮らないこと。JPEGで撮影することが必要条件です。RAWで撮ればカラー化が直ぐにできる からですね。これではモノクロ機とは言えません。そして撮影途中でモード変換しないことです。 今日はモノクロでいくと決めたから、始終その設定を変えない透徹した意思が必要です。 そういう風にすれば全てのカメラはモノクロ機にすることが可能です。 現実的なのはモノクロJPEG+RAWで撮影して、PCに入れる時に完全に別フォルダにすれば、目指す モノクロのみにアクセスできます。RAWはついでに保存しているだけで今は必要のないものです。 ともあれモノクロ専用機は必要ないねって私も今は結論付けています。フルサイズでもAPSでも2000万 画素以上あれば十分にモノクロ化したカメラができます。 今のデジタル世代の若い人がモノクロ写真をどのように考えているのかは知りません。中にはフィルム カメラのモノクロをやってみたいと考えている若い人もいるかも知れません。 私の場合は単純に、自分が昔に慣れ親しんだモノクロ写真の延長としてやっているという感じですね。 モノクロはいわゆる美しい写真は撮れません。美術的に良い写真を撮ろうと考えてモノクロをやると がっかりするでしょう。 多くの方がモノクロ写真というと、それはカラーで撮ってそれをモノクロ化して遊ぶということだろうと 思います。それをモノクロ美として考えているのではないですか。 そういうものと、モノクロ機、もしくはモノクロ化したカメラ機とは根本的に違います。 そういえば私のことですが、遠征撮影に出かけたとき、意識して全て低画素RAWで撮影をしたことです。 低画素RAWで撮影をすれば、そのデータはもう高画素で現像することはできません。 そういう考え方と、モノクロ機。モノクロ化機とは似ています。 なぜそうするのか。そうしなければならなかったのか。その答えはそう簡単には出てきません。 もしかして・・・不便を楽しむ。足らずを喜ぶ。 そういうものがあってもよいのではないか。ということに尽きると思ってます。
ペンタモノクロームは2500万画素のカメラです。1素子で1単位のモノクロのピクセルを形成します。 カラーカメラの場合はどうでしょうか。これは4素子でRGGBという、レッド1素子グリーン2素子ブルー 1素子という4つの単位でカラー画像を形成しています。簡単に言うと4000万画素のカメラは実は 1000万画素のカメラであったというわけです。それでは面白くないわね、というわけでその1000万 画素を分割補正して4000万画素にしているだけなのです。 そこに画像補正というマジックがあるのであって、それを嫌うという潔癖な人は画像の補正をしない タイプのカメラ、例えばシグマのフォビオン素子のカメラなんかをありがたがります。 印象してフォビオンは極めてシャープで解像力感があります。ぼやけていない、ごまかしをしていない という印象がみなぎっていますね。(^^ゞ それと同じでモノクロ専用機は実にシャープで高解像の画像が得られます。同じレンズでもモノクロ 専用機とカラーカメラで撮るのとはまったく別の印象を受けます。誤魔化しが利かないので、こと解像 と怜悧さに関してだけは、そのレンズの真骨頂を垣間見ることができるのです。 私がペンタモノクロ機でシグマのレンズを使うのは、多分シグマはフォビオン素子で解像力とシャープ にだけは鍛えられているからかもしれません。もしくはシグマのレンズは伝統的に発色がイマイチな だけに、その2点だけは特化しているのかもしれません。 机上論的に言えば、モノクロ機2500万画素とは、4倍して1億画素、もしくは現実的に3倍して7500万 画素のカラーカメラに匹敵しているというわけです。あくまで解像力とシャープさだけに於いて。 この数値は恐るべきものでしょう。7500万画素のAPSカメラはありません。6000万画素のフルサイズ が今は限界ですから。中判となれば1億画素はありますね。 そういうカメラの解像力やシャープ力が小型のAPSカメラで手に入るということで、そう考えれば面白い カメラではあるんです。そしてセンサーにカラーフィルターがありませんから、感度が高くなります。 これで優位になるのが星間写真です。赤外線除去フィルターを取っ払えばさらに面白くなるんでしょうね。 そういう解像力とシャープ力で装着レンズを通せば、大体のレンズはボロをだします。弱点をひらけだし オイラはこの程度でしたってなるわけです。 しかしながら、私はそんな究極の使い方はしません。(笑) わざと画素数を落としてJPEGで撮って、 フイルム時代の雰囲気が出ればそれで良いじゃないかというわけです。 私の写真とはそんなもんです。
私が今やっているモノクロ機による黒白写真は、かつての自分の黒白フィルム写真の継続版なんで すが、もしかすれば今の時代では、それはスマホ写真になるんじゃないかなって感じるところがあり ます。 つまり簡単で手間をかけない写真です。そして小さなレンズが少しあればよくて、お金もかけないやり 方ですね。 それで撮影はJPEGの800万画素くらいで撮ってます。そしてレンズはペンタックス純正ではなくて シグマのレンズでやってます。その方が私のイメージする黒白写真になるからですね。 この撮影のレンズはフィルム時代もAFカメラが出た時代のレンズです。80年代のものでしょうか。 28-70ミリF3.5-5.6かな。数百円のジャンクレンズ。 さすがにこれはやりすぎかもしれません。普段は10年位前のデジタル時代のシグマを使っています。 そこらあたりがちょうどよくて、私の考える黒白写真にはペンタ純正レンズでは今ひとつで、どうやら カラー写真と黒白写真とは使うレンズが違ってくるという感じです。これは過去のフイルム時代でも 感じたことがありました。 だいたいフイルム時代のトライXとかネオパンSSSのイメージが出ればいいかなって感じです。 ですので、普通の方がカラーで撮ってそれをアートの一環としてモノクロームにするやり方とは、その 写真文化がまるで違いますね。昔はカラーフイルムは高価すぎてモノクロで写真をするというわけで したから。つまりコストの問題であったわけです。 デジタル時代ではカラーもモノクロも同コストですが、やはり手間が違ってきます。カラーではJPEGは 難しくRAW撮影となります。その点モノクロはJPEGでもいけるって感じですから。
なぜモノクロなのか、と問えば単純にモノクロ機を買ってしまったから。という答えしかでません。(笑) 手に入れた以上は使わなくても元が取れない。それだけの話ですね。 今から考えればこのカメラを買う必要はなかったと感じています。手持ちのフルサイズの数千万画素 のカメラをモノクロ化して使えば(JPEGで撮影です)、画質的にはこのペンタと変わらないからです。 厳密に言えば違います。しかしそんな細かいことを言っても始りませんしね。 このカメラをネットで調べるとけっこう中古が出てます。しかしプライスは新品と変わらないです。 おそらく興味本位で購入してモノにならなかったので手放したのでしょう。デジタルカラーは色や画質 を楽しむことができます。また各種レンズを使う楽しみもありますね。 しかしモノクロはそれがほとんどできません。それとモノクロ写真はイメージングが大事でして、自分 なりのモノクロイメージを持っていないと続けることができません。 幸いに私の場合は若い時期のモノクロフイルムの経験があったので、さほど苦慮せずに自分のイメージ を構築できたと思っていますが、カラーから写真を始めた人には難しいでしょう。 そもそも黒白写真は清貧の写真だといえます。使うレンズはむしろ安物が良くて、写真を画像だとして 見るのではなくて、撮影する対象物への自分の関心こそが主体となります。被写体に対する関心や 思い入れがないと黒白写真は続けられないでしょう。 黒白写真をカッコイイとかそんな考えを持っている人が私の黒白写真を見るとがっかりするでしょう。 しかし黒白写真が珍しくて価値があるなんてことはないと私は考えています。スマホのように手軽に 撮影できること。それだけなんです。
久しぶりの撮影です。まだまだ蒸し暑く、大汗をかきながら四国霊場のひとつを登って参りました。 このレンズ、本体はシグマの24-35ミリですが、レンズ先端にワイドコンバーター(キヤノン製、多分テレビ カメラ用)を着けましたので、とにかく重いです。めちゃくちゃに重たいです。 レンズ中心以外は見事に流れてしまいますが、そこが面白くてこれからも使っていきたいと思ってます。 相変わらず変なレンズが好きで、重い機材を苦にしない、むしろ運動になってよいのだ、と考える 変態カメラマンをやってます。(笑) フロントコンバーターレンズは重くなるのですが、F値が変わらないのが嬉しいです。
こちらは素直にEF24-70です。このレンズはズームが伸び縮みするレンズなので重いワイコンを着ける とレンズが壊れてしまいます。シグマはインナーフォーカスタイプなのでワイコン装着が可能です。 シッポ座さん、団地の撮影とは面白いものを見つけましたね。 高度成長期に多く作られたであろう各地の団地は、もう高齢者達の住処となっているようです。団地で 育ったであろう子どもたちはもうとっくに巣立ってしまい、残されたのはお年寄りばかりです。 入り口からみえる樹木が濃く、木々も大きく育ったようです。かつては子供たちが駆け抜けた玄関場は 今はひっそりとしているような。 時代と共に世の中も世界も変わります。その変化に合わせたカメラの眼でもって写真をやっていければ 面白いですね。 私も、ともすれば忘れがちになる写真の社会性。やはりこれを失っては写真は成り立ちません。 思い起こさせてくれたシッポ座さんに感謝です。
【生命の起源】原子はなぜ“生命”になったのか|解明・宇宙の仕組み (ディスカバリーチャンネル) https://www.youtube.com/watch?v=3Lx4Yu54FCg この映像を見て大いに参考になることがあります。それは生命の発生自体は案外にありふれたことか もしれませんが、その生命が持続し進化することは極めて難しいということです。 この映像でもその最大の難関は、多細胞生物への進化ですね。それと大気酸素の発生とはどうやら 深く結びついているようです。生物が酸素を利用できるようになれば飛躍的に進化は進むからです。 現在の地球上の生物(直接的には植物)は太陽の光エネルギーを利用しています。生命発生時は そうではなかったようですね。この光のエネルギーを利用して我々人類も(植物を食らうことによって) 生きていられるわけです。 ごく最近ですが、人類文明も光エネルギーを直接に電気変換してエネルギーとして利用できるように なりました。これは生物が葉緑素を発明して以来の大進化のひとつです。 狭い日本に居ては分かりませんが、この太陽光発電は生物の育たない砂漠地帯に設置することで 持続可能なエネルギーを得る最大の手段となりそうです。 それは本来砂漠地帯に無駄に注がれていた光エネルギーを利用するものですから、それを文明地帯 で利用しても、地球の総体的な熱エネルギー収支は変わらないわけです。 広大な砂漠の面積を覆う太陽光パネルの設置は、地球の気候や生態圏すら変えてしまうほどのものに なるでしょう。 What If We Covered the Sahara With Solar Panels? https://www.youtube.com/watch?v=62ASvupr8Zg&t=291s サハラ砂漠全体をソーラーパネルで覆い尽くすと何が起こるのか? https://gigazine.net/news/20210713-sahara-solar-panel/ サハラ砂漠で太陽光発電。実現すれば欧州で使用される電力7,000倍分をカバー、しかし問題も https://ampmedia.jp/2020/03/24/sahara/
イーロン・マスクという人がいます。こんなに面白い人はなかなかいるものではありません。 変顔で写真に収まる人でも有名です。(笑) イーロンのホロスコープはネットでは見つけることが出来ませんでしたが、彼は南半球の生まれなので 各惑星のサインの意味がダブルになるのが要注意な点です。 太陽は蟹座、月は乙女座、火星は水瓶座ですが、同時に山羊座・魚座・獅子座でもあるようです。 そしておそらくアセンダントは、獅子座か水瓶座というのが順当だろうと考えられます。 イーロン・マスクのスペースXは実にユニークですが、使っている技術は既に出来上がっているもので して、それを現代風にアレンジして、ローコスト化、大量生産化して現実味を持たせています。 彼の目標は火星に人類を送り込むこと。まるで少年のような夢を語りますが分かりやすくて良いですね。 きっと火星には到達できるでしょう。しかし火星に住み続けるには現代の技術では難しそうです。 しかしスペースXの作る大型ロケットは太陽系の探索には革命をもたらすことは間違いのないところです。 こういう面白い人物が世に出てくるのがアメリカというものです。 50年前、人類は月に到達しましたが、私としてはあまり面白いものとは考えませんでした。なぜならば 使っているロケットがICBMの大型版でして、私が子供の頃に絵本で見たロケットの姿とは違っていた からです。ところがスペースXのロケットは翼が着いていて、絵本で見たロケットとそっくり。そして何度で も燃料を給油すれば再び飛び続けることができる。そもそも宇宙ロケットとはそういうものでしょう。 とにかくイーロン・マスクは分かりやすくて良いのです。(笑) 人類が宇宙に関心をもつのは、やはり時期というものがあって、巨大惑星が射手座から魚座の間に 留まる期間がそうです。特に土星が重要ですかね。かつてのスプートニクやガガーリン・アポロ計画も そうでした。I国際宇宙ステーションISS計画もそうでした。今回も土星や木星がそういう位置にいたため 宇宙への関心が出ていますが、現在もやがて数年後には良い位置に惑星がいなくなりますのでブーム は下火になるでしょう。 果たして今回の時期に火星まで行けるのかどうか。あやしいところですが、とりあえずは月にまで 行ったところで計画は頓挫してしまう可能性は高いです。しかしそれからも地道な惑星探求等は続くと 思われますから、私としてはスペースXの大型ロケットを使ってこの太陽系を探求するプロジェクトの方に 関心があります。 イーロンマスクとスペースXの最大の功労はその革新的なロケットにあるように思います。持続可能な 宇宙探査がこれからも可能になります。
今年の異様な猛暑も、少しは柔らぎつつあるかなって感じですね。 それにしても今年の夏は大変な暑さでした。この猛暑、占星術ではどうでるのか?と、研究中なの すが、難しいですね。猛暑も冷夏も紙一重というところがありそうです。ただ1年で1星座を運行する 木星がカギを握っているのは間違いがないと考えています。 そしてこの夏、木星は牡牛座で天王星と合しています。牡牛座の守護星は金星です。この金星と いうのは見かけはキラキラと輝いて綺麗ですけど、天文学的には灼熱地獄の星です。そういう金星 地獄の有り様を少しばかり彷彿とさせてくれた夏でした。(笑) 今年はスーパーエルニーニョが発生しましたので、来年か再来年は冷夏の可能性があります。 とにかく今年ほどの暑い夏はそんなに連続して続くものではないと思っています。そうは言っても 上下動の波を繰り返しながら、グラフは段々と右肩上がりになっているのは事実です。 人類の文明がもたらす総熱量がその大元になっているというのは確かだろうと言えますし、これは 世界中が豊かになればなるほど人為的な温暖化は進むものです。CO2を減らせばストップが掛かる というような単純なものではありません。 石炭石油ガスやウランなどの地下に眠っていたエネルギーを解き放てば熱エネルギー保存の法則 だけで、気温や海水温が暑くなるのは道理です。しかし地下資源なくして文明は成り立ち行きません。 風水力と太陽光だけでは今の文明を維持することは到底不可能ですから。 長い眼で見れば文明の温暖化は高緯度地域側に有利です。ロシア・カナダ・北欧とかです。温暖化 は全ての地域で悪くなるというものてもないわけですが、急速な温暖化は凍土の崩壊など困った ことも多いのです。 しかし一方で寒冷化が進むという見方もあるようです。プチ氷河期ですね。太陽活動が弱まれば 地球は太陽磁場の恩恵が得られなくて銀河から降り注ぐ宇宙線による雲の発生頻度が高くなり、 結果として寒冷化するという理屈だそうです。しかし現実は文明活動による温暖化が勝っていると いう感じです。 CO2の増加は悪いことばかりではなく農業生産の増加をもたらします。人類にとって一番大事なの は食料です。カロリーベースの穀物です。もうひとつは水資源です。そして忘れがちですが豊かな 農業生産をもたらす土壌です。人類を食わせているのは結局のところ、資源としての土壌と農業水 なのです。 ロシアがウクライナに攻め込んだその理由の最も大きなものはチェルノープルの黒土という土壌の 獲得だろうと私は思っています。 四国に引き篭もりの私ですが、たまに県外へ旅行に行くのは、農業にとって大切な土壌と水を見て みたいからなんですね。それは私のライフワークのようなものです。 「うちの郷土料理 農水省」 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/index.html 例えは栃木県は、 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/area/tochigi.html クリックすると各料理の詳しい説明と大きな写真も得られます。 トップ写真の中禅寺湖は観光地として有名ですが、私はそんなものには関心はなくて、本当に大事 なのは栃木の豊かな山野と農耕地です。そしてその農作物や河川から採れる魚などの料理は興味 深いのです。 耳うどん、とっても可愛くて食べてみたいですね。干瓢料理はさすがに多いです。内陸県なので魚料理 には工夫が多くて感心しています。どじょう汁はこちら香川にもあります。 「ちたけ」きのこは珍しいですが美味そうです。かてそば、とは面白い食べ方です。ソバだけより美味い と思います。うどん料理が多いのは米と麦の二毛作なんでしょうね。 個別料理を読み進めていくうちに栃木の農耕地や自然環境が垣間見えて、このサイト、なかなか為に なるのです。 ところでこういう料理の写真は良いですね。料理写真は難しいのですが、このサイトの写真はプロが 撮っているという感じです。郷土料理はカラフルで美しく、見たことがないものがいっぱいです。 郷土料理はその地方に行かなければ食べられないものです。県外旅行の楽しみのひとつですね。
日航機事故に関する青山透子氏の一連の著作をほぼ読み終えました。 ノンフィクション作家であるわけですが、その調査力のさることながら文章が文学的にも名文です。 氏の著作を読まれた方は多いだろうと思いますが、その内容が凄くて、おそらく95%の方は理解する ことができないだろうと感じました。 私の実直な感想としては、これは戦争の形態であるということ。また戦争や軍隊というものはこういう ものであるということです。今で言うところの情報戦であり超限戦のようなものが過去の日本にもあった ということでしょう。過去の歴史を振り返って見てもこういうのはざらにあるわけです。 しかしそれと歴史の真実の追及とは異なります。隠蔽された真実を明らかにするのが歴史の使命とも 言えます。いつかはきっと真実が明らかにされるだろうと信じます。 日航機事故だけでなく、多くの方々は全てに於いて本当の真実というものを知ることができません。 人々が信じているのは単に他者から意図的に集団的に教え込まれたことだけです。自分の力で獲得した もの、つまり自意識とも言えるべきものは殆どないというのが現実です。 人工知能の発達の根本は、半導体の高度化と深く結びついています。おそらく物としての半導体技術 の発展と共に、半ば自動的に人工知能は形成されていくのだという気がしています。やがては半導体は 自意識すら獲得していくだろうとも思います。 しかし意識の下に無意識があるように意識の上にも無意識の海があります。そういう意味では意識とは 可視光線のバンド域のようなものなのかも知れません。見えている帯域は狭くて、それが見えても見え なくてもさほどの違いはないのではないかということです。 人々の95%の人達が自己意識ではなく集合的な無意識に生きていたとしても、それが本来の自然の 姿であるのだということになりそうです。 ここからは敢えての奇妙な文脈の連想になりますが、我々が行っている写真とはその可視光線を利用 しています。赤外線や紫外線やエックス線、電子線の写真もありますが特殊なものです。私としては その可視光線の写真をいうものを、自らの意識の発現であると思いたいのですが、果たしてそうなって いるのかどうか、怪しいところがあります。 改めて自分自身の意識とは。可視光線たる写真の意味とは。と、問いかけてみたくなります。こごては、 つまり、意識≒可視光線≒写真だとしているわけですが、これは新たな小さな問いかけに過ぎません。 95%の人達が日航機事故を理解できないだろうというのは彼我の半導体の性能がそこまで達していな いからとするのはいささか早計かも知れませんがやはり理解しやすいことです。 それはカメラの性能にも言えて、とにかく高画素高感度高画質の高情報高機能の高性能なカメラを追い 求めてきたのは、その基本に写真画像の意識化への、自動的進化というものがあるような気がしてい ます。カメラのセンサーというのもこれもまた半導体のひとつなのですから。 ところでスラムさんが面白い投稿を続けておられます。投稿画像は一律640x480 (206KB)ですね。 これはごく初期のコンデジのレベルです。この写真を見るには大変な想像力と蓄えた知識が必要です。 この小さな画像を見るには手順があって、まず画像をダウンロードしてから、ピクセル等倍以上に拡大を して、画像を大きくモニターに表示して鑑賞することです。ジャギーが目立つ写真となりますが、これで 十分に写真となるかと思います。 そうして見ると美しい栃木の田舎風景が眼前に広がることになります。そこから個人の想像力と知識で もって意識内写真として鑑賞することになります。 現時点の技術でもって可能かどうかは分かりませんが、AIでピクセル水増しのAI補完処理ができれば よりリアルな写真となることでしょう。しかしそれを人間の意識でやることに意義があります。 とにかくスラムさんの写真は多くの人達が陥りがちな模倣と装いの写真ではないようです。 写真は見せる技術でもありますが、それと同時に意識的に見ようとする技術でもあります。見ようとする 能力が乏しければ写真は上手くいきません。認知力認識力は写真の始まりというわけです。 カメラの高性能化は見せる技術だけでなく、本当は見る技術にも向かわなければならないわけですが、 案外にそれが疎かになっているように思えます。というよりも、もう人間の視力を軽く超えてしまっていて 数千万画素のカメラ写真画像を見るのが辛くなっています。年齢のせい、というのも大きくありますね。 青山透子氏の検証の中で、私にはどうしても腑に落ちない部分があります。 それは日航機の機長の判断です。操縦が利かなくなってそれでも飛び続けて、その途中に横田基地に 着陸するという選択がありました。実際に横田方面に方向を一時的に向いている軌跡があります。 しかしなぜか方向転換をして北方(山岳地帯)へ向いて飛んでいったわけです。北へ向えば山に激突 するしか選択はありませんね。これが私には理解ができません。 追従しているファントム機に撃墜するぞと脅されたから?というようなことを匂わせる部分がありました。 しかし本当に自衛隊機が民間機を撃墜できるはずがありません。ロシアじゃあるまいし。 撃てるなら撃ってみろ、と考えるのが普通です。もちろんミサイルを撃たれたら100%全員死亡ですが、 そんなことができるはずがないとして横田へ強制着陸をするのが、500名もの人命を預かっている機長 の正しい判断であるわけです。 もしも本当に脅しに屈服して山岳に激突して自滅する道を選んだのなら、その機長の責任は極めて 重大です。しかし横田へ降りようとしても全く操縦が利かなかったのなら、それは機長の責任ではあり ません。垂直尾翼の7割を失えばどこへ飛んでいくのかわからない、というのが本当だろうと思います。 関東平野は広大です。もし瀬戸内の海が干上がれば関東平野に匹敵する平野が生まれますが、感覚 として群馬や栃木から東京都心までは、香川から大阪市までの距離がありそうですね。 関東平野は元々は海だったのですが、周辺の山岳からの土壌流失でもって平野が生まれました。 ちょうどお椀のような縁のある形の海だったので土砂が太平洋に流れ出されずに済み、関東平野が 生まれたそうです。 東京、江戸を造ったのは徳川幕府です。河川を付け替えてまでの大工事で江戸を日本の中心地とした わけですが、その遺産でもって今も将来も東京は日本の首都であり続けるでしょう。 しかし関東南部は定期的に地震が発生するという弱点を持っています。100年前の関東大震災では 10万人の死者がでましたが、当時の木造家屋の大火災が起きたからですね。木造家屋が密集すれば 放火ですら大火災が起きる場合があります。 しかし現在はそれは克服されています。同程度の震災が起きたとしても被害は少ないでしょう。 問題は核爆発が都心で起きた場合がどうなるのか、ということです。地下シェルターは?と言うこと。 だふん何も考えていないでしょう。 東京に核爆発が起きた場合、その後背地である群馬栃木茨城の重要性が増します。膨大な避難民が 発生します。負傷者も。それを収容する責務に追われるでしょう。最近の核ミサイルは多弾頭ですから、 東京川崎横浜千葉埼玉などは一瞬にして壊滅すると考えるべきです。 東京の繁栄は考えてみればひと時のものではないですか。と同時に日本は何度も焼け野原らなりなが も復活した歴史をもっています。きっと次回も大丈夫だろうという考えが日本人の中にあるのだろうと 思います。死を恐れない国民性ですかね。 そういうことでは東京は不死鳥のようなものかもしれません。 航空機事故はネットで多数のケースを見ることができます。解決できていない事故も多数存在します。 日航機事故のそのひとつです。都心の羽田から大阪の伊丹まで。高度に人工的に集積された都会 から都会への航空便でした。都心都会の繁栄というものは人為的でひと時のものです。死を恐れない 人達がつくりあげた繁栄のひとコマという気がするのは私だけでしょうか。 旅客航空機というのは成層圏を飛行します。エベレスト山よりも高い高度です。その気圧は?気温は? そして人間の感覚を超えた亜音速での飛行。 自分としてはそんな航空機に乗りたいとはちっとも思いません。都心都会に住みたいとも思いません。 田舎で住んで一生を終えるのが最高です。落ちてきた飛行機があれば上野村の人達のように全力で 対処してあげますが、違和感はどうしても付きまといます。 日航機墜落事故。読んで見てどうしてもぬぐえないのが、この違和感の感覚です。自分とは別の世界 のように思えるんですね。たしかに作者の言っていることは真実だろうと思ってます。ほぼ間違いの ない事実に迫っていると考えてます。 東日本大震災の悲劇、例えば大川小学校などには関心を寄せ、どうしても現地に行きたくなって震災 の随分後ですが実際に行って参りました。しかし日航機の墜落した現地に行きたいか?、写真を撮って みたいかとなると、どうもそういう気は私には起きそうにありません。 要するに田舎と都会とは大きな乖離があるように思えます。だいたい都会には緑がない。自然が消滅 している。そういうところにカメラを向ける気が起きません。すべては人為的な約束事で出来上がって いる。自然の法則下にはない。私にはそういうものが心底は信じられないのです。 これは私の身体的な感覚ですから変えることができないものです。地方の田舎に生まれ育った人間 というのはそういうものではないですかね。野良猫がどうしても人間に対して気を許さないのと同じ です。飼い猫だとそうではないのですが。変な例えだけどこれが一番しっくりとくるかな。(笑) 占星術は人為的なものだと思う人が多いかも知れませんが、実は大自然の法則です。太陽系宇宙の 法則なんですね。この占星術が私の頭の中の中心に常に存在しています。 日航123便墜落事故 1985年8月12日18時00分発予定 羽田発 実際は12分遅れての出発でした。西の空に獅子座火星が沈むその時刻でした。 参考までに書くと 全日空58便 雫石自衛隊機衝突事故は 1971年7月30日12時45分発予定 千歳発 実際は45分遅れでしたが、出発予定時刻には天底に水瓶座火星が。 太陽とか火星が、獅子座や水瓶座の時、加えて出発予定時刻のASC/DSC/MC/ICに火星が位置する とその航空便は危険なんです。苛烈な偶然が作用する可能性が高いのです。 航空便は予めその出発時刻がわかっています。危ういな、と思えば乗らないことです。 こういう航空機事故の研究をしていて、青山透子氏の著作に出会ったわけです。
狛犬さんは写真の被写体足るべきものですね。私も最初は、小さくて可愛いタイプの狛犬さんに出会って から、狛犬の面白さに気が付きました。以来、積極的に狛犬さんを撮影しています。 狛犬は神社にいます。石灯篭などはお寺にもあるんですが、鳥居と狛犬は一応、神社のテリトリーです。 この神社に対しては、私は最初は香川に多い溜池(農業インフラ)の撮影をしていて、それで大きい池に も、また小さな池にもそれなりに、大体は溜池に神社が付随していることに気がついてからです。小さい のは祠ひとつというのもあります。 もちろん溜池とは関係なく独立して立派な構えと歴史を持つ神社も多々あります。 神社は長い伝統があるわけですが、溜池の神社というのは、その成り立ちは容易に想像できて、それは 池という巨大なインフラ、人工物を造れば当然に多くの自然が破壊されますね。その自然への鎮魂が 大本に有るのではないかということです。 現在でもダムを造れば、その場に管理棟と見学館ができます。それとおなじ理屈で神社が建てられた ものと思います。 私は村の小さな鎮守の神社を巡るのが好きです。だいたいはその地所の農業生産力に比例して、神社 が立派であるか質素であるかが決まります。まあ先祖纏りのお寺もそうですね。広大な地所豊かな村の 神社や寺は立派ですから。 ところで最近は有名な神社めぐりが流行っているそうです。戦後はお寺巡りが流行った時期がありまし たが、最近の流行は神社だったり、そして古墳もそうですね。そういう古来日本のイメージをだしてくれる ものが人気になっているという気がしています。それを言えば、お城ブームもその最たるものでしょう。 おそらくこれは、総体的に寺という仏教から離れてみたいという日本人の感覚の変化だろうと私は考えて います。つまり仏教は中国伝来であって、その中国は今や日本を経済的軍事的に脅かす存在となって しまい、それへの日本人としての違和感というか恐れというものが無意識の根本にあって、それで仏教 的なものを遠ざけ、その対抗勢力の歴史を持つ神社、神道に行くのではないかということです。 そういえば最近は少子化を受けて先祖の墓じまいというのが密かに流行っています。それもあまりお寺 には関わりたくないという意識の表れかもしれませんね。 実は歴史的には神道や神社というものは、仏教伝来への対抗策として出現したものです。大陸からの 新宗教が突如日本にやってきて、まさにその当時、国家全体を揺るがすほどの事態だったろうと推察 されます。もちろん神道的なものは大昔から縄文の時代からあったわけですが、仏教という強力で 体系化された外来の宗教が伝来してからは、その仏教に対抗する旧来の勢力の結束として、日本古来 の伝統を形有るものとして作り出したのが神社です。神道もそうでしょう。 そして面白いことに、その神社には、もっと以前の外来の古代ヘブライの宗教が混ざって織り込まれて いるということですね。つまり大昔のイスラエルやユダヤ教や景教の影響がうかがえるんです。 神社の空間というのは独特ですね。この狭い日本でやたらひろい境内をもっているでしょう。草ひとつ はえていない地面の広い空間があります。日本庭園を思い出してもらうと、その神社の空間というのは 日本的ではないですね。 そして構造物というか、ストレートな門(鳥居)から拝殿までの幾何学的な配置も日本的ではありません。 確かに建物のスタイルはお寺を少し変えたようなものですが、その空間とレイアウトが異様です。 私はこれは古代ヘブライの文化が今に神社として残存しているものと考えています。 そして狛犬というのは古代オリエントの獅子像だということです。たとえばエジプトのスフィンクスと同じ です。もちろん犬ではなくライオンですね。(^^ゞ 中近東の古代の遺跡では獅子像は数多くみられます。 神殿を護る像です。鳥居も原型は二本の塔ですがそれも神殿の入り口の象徴です。 ともあれ、古代の、多分古墳時代の日本では、古代中近東辺りからの文明文化、それを担うヘブライ人 が多く日本に渡来したのではないですかね。 群馬や千葉県だったかな、関東ですが古墳の埴輪にユダヤ教の神父さんのような山高帽を被りヒゲの もみあげがある埴輪が出土します。 https://mag.japaaan.com/archives/182625 https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p181-011.html これって面白いですね。(^^ゞ 古代オリエントと言えば日本人の感覚では西欧です。そして仏教は中国。大本はインドやガンダーラ なんですが。とにかく中国に対抗しうる勢力として古代の西欧を引っ張り出してきたのが神社だったり するんではないですかね。 そういう風に捉えると実に面白いです。それからお城ブームなども、これは戦国時代から近代の軍事施設 であって、その当時は世界史的には大航海時代であり、その城郭の思想には西欧の思想が色濃く反映 されています。 ここでも西欧が出てくるんですよ。 つまり中国伝来の仏教、その仏教建築と親和した日本的なもの(仏閣)から、西欧的な神社や城郭に 日本人の関心が移行しているということで、とても面白い現象だと私は思っています。 おそらく多くの日本人は、日本文化というものは中国朝鮮から伝来して、その中国の文化、それ以外の ものはないと思っているはずです。そして大航海時代と幕末になって初めて西欧文明に触れたと。 実際に教科書ではそのように教えられています。しかし実際は歴史はそのようなものではなかったのか もしれませんね。今と同じようなグローバルな時代が古代日本もあったのではないかと私は思うのです。 21世紀の現在、米中の覇権争いは現実のものとなりました。中露対米西欧です。この構図から離れて これからの日本の未来を考えることはできません。 政治家や経済人の中には米国ではなく中国につきたいと考えている人もいるでしょう。しかし多くの 日本人はおそらく西欧や米国側につくんだと考えているような気がします。特に政治や思想などには 何の関心のない市井の人は、中国は嫌いという感覚の人が多いような気がします。左側のマルクスレー ニン主義の思想をいまだに内在している人たちは中露なんでしょうけどね。 ヨーロッパのウクライナにあたるものが東アジアでは台湾です。大陸中国の立場から考えれば、台湾は 中国の一部であり台湾を取り込むのは当然だと考えるのでしょうが、米国はそうは考えません。 台湾を取られれば太平洋の入り口に穴が開き、それは即太平洋の覇権争いになります。それだけでなく 日本も韓国も東南アジアも中国化するようになるでしょう。 台湾のTSMCを見るように、台湾や韓国や日本は21世紀の産業の源である半導体産業の集積地です。 最先端半導体とそのソフトウェアが21世紀の文明の決め手であるので、この面でも台湾を中国に渡す わけにはいかないのです。いくら人工知能の時代だからといっても、それを実現できるのは高度な半導体 があったればこそなので、その最先端半導体の生産は米粒の形の台湾でしかできません。 ※写真はイースター島のモアイ風な風貌でした。(笑) この角度でしかお顔を拝見できずで木の葉が 写ってしまいました。レンズはMFナ55ミリF1.4。イオス1D系は確実にMFでピントが合わせられるので 凄いと思ってます。やはり5D系はややいい加減ですから。 狛犬は日本だけでなく中国にも韓国にもアジアにも多く存在します。よっぽど面白く可愛いと皆が思った からなんでしょうね。ヨーロッパでは有翼獅子になるようです。
少し遠眼にした写真ですが、海浜の公園での、中国の楽器、二胡を演奏されている方です。 色々と楽曲を聴かせて頂き、ついでにお仕事関係の写真もタブレットで見せていただいてと、いつも のように、さて私は写真を撮りに行ったのか、世間話をしに行ったのか分からないようになりました。(^^ゞ 写真撮影+歩き運動+世間話、というのがどうやら私の写真スタイルのようなものになっています。 この方は高音用と低音用の二台の二胡を持たれていて、その2つの音色を聴かせてもらいましたが、 二胡は小さいので、同じバックに収まるのがミソでした。 なるほどー、これはカメラ2台体制で撮影に臨むというのと良く似ているなと。(笑) しかし写真はその場で人様を楽しませることは出来ませんが、楽器はやはり圧倒的です。音楽は多く の人を楽しませ和やかにするする力があります。音楽を楽器を演奏できる人は羨ましいなと感じた 次第です。 音楽は人様を喜ばせることができますが、私の写真はそうではありません。人様や自然から光景として 貰うだけのものですね。そのお返しが全然できていないわけです。一方的に奪うだけというわけです。 そこのところが何とも苦しく不甲斐ないなあって常々思ってます。 写真は密やかな個人趣味なんではありますが、そうは言っても、とにかく私がカメラを持って撮影をする ことで、その行為、そのスタイルというもので、写真の何たるかを人様に想像してもらえれば良いかなっ て思うことにしています。 昨今では写真を撮って、その写真を人様にあげたところで、そんなに喜ばれるものではありませんね。 写真はもう誰でも何処でも容易に撮れるものになっているからです。写真や画像は溢れるほどですから。 写真そのものに値打ちはもうあまりなくなりました。 私が最初に写真をやっていた50年前はそうではなく、撮った写真を後で送付してさしあげると喜ばれ ました。当時は写真をする人は少なくて、ましてやレンズ交換式のカメラは珍しいものでしたから。 しかし今や、何方も所持しているスマホで綺麗な写真を即撮ることができるのが写真です。時代は変わっ たものです。 一人で黙々と撮影をする。その姿というかそのスタイルが、あえて見せ所というかそれしかないという 感じです。デジイチが出始めた当初は私も人出の多いところで、祭りとかイベントなどで撮影をしていま したが、今やそのようなところは避けています。もうそういう場所はカメラでいっぱいで、私が出る出番は ないと思うからです。 デジタルカメラを始めて20年余、この年月でもすらも写真事情は大きく変りました。今はもう人混みを避け て、出来るだけひっそりと撮影をするだけですね。しかしそれでも現地の人とお話ができるのは有り難い ことだと思っています。 この時代の、写真や画像が溢れるばかりの世相。もう写真そのものの値打ちなどほとんどないのでは ないか、というのが現実です。それでも写真を撮影をやっていきたいという、私の密やかな願い。 どんなに時代が変わろうとも写真は続けていけるのだろうか、という疑問もありながらも、カメラマンが 存在する限り写真はなくならないだろうとも思っています。
バイク好きの方が最近はとても多くなったような気がします。とくにコロナ禍で加速したような感じです。 占星術ではバイク好きは牡羊座・獅子座・射手座という火象宮の方ですね。大体の人はこの3つの内 のひとつは持っているので、まあ皆さん全員バイクは好きだということなります。(^^ゞ バイクは腰を痛める、というのを聞いたことがあります。振動がよろしくないんでしょうかね。乗り心地 の良いスクーターならば問題ないんでしょうか。よく知りませんが。(^^ゞ 『海水温が史上最高を更新、地球環境に厳しい影響 』- BBCニュース https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-66413956 EUの気象情報機関、コペルニクス気候変動サービス提供のようです。 ここに掲載されている折れ線グラフが凄いことになってますね。2023年8月の20.96度は これまで最高だった2016年3月の20.95度を超えました。海水面温度は3月ごろが最高になって 8月は下がるのですが(地球の平均温度なので)、今年は下がらずにずっと上昇を続けました。 それで過去の2016年3月の占星術チャートを見てみますと、面白い絵がでてきました。 射手座土星と魚座海王星と乙女座木星がT字のスクウェアになっています。つまり巨大惑星が 強固なアスペクトを形作ると異常な気温状態になるということでしょうか。 そして今年の8月。魚座土星と魚座海王星は合してこそいませんが同じ星座入りです。さらに 牡牛座木星と牡牛座天王星はほぼ合。つまり巨大惑星が魚座と牡牛座という2つの星座に集中 しているんですね。その4つの惑星の角度は90度内に集中してしまった、というわけです。 水瓶座土星が魚座に入ることによって形作られた惑星集中のパターンですが、土星の魚座入りは 今年の3月半ばからです。土星と海王星は足が遅いのでしばらく魚座に留まります。再接近は確か 2025年夏だったかと思います。 木星は動きが速く、木星は2023年5月半ばに牡牛座入りしたのですが、2024年の6月には牡牛座 を抜けて双子座入りします。木星は1年間だけ同じ星座に留まります。とにかく木星だけでも この惑星集中パターンから脱却しないことには、この異常事態は収まらないと考えられます。 2025年7月1日は南海トラフ大地震の時といわれています。?^^ゞ その時、土星と海王星は1度内の角度で牡羊座1~2度で合。木星と太陽は蟹座初めで合。天王星と 金星は牡牛座最後で合。火星と月は乙女座で合。そして土星海王星と木星太陽は矩のスクウェアの アスペクトを形作っています。(これが決め手) 太陽を含めた巨大惑星がタイトなアスペクトを作るとき、何も起こらないということはないですね。 南海大地震などの天変地異が起こる可能性は十分にあると思います。 そして興味深いのは、その2025年の夏は冷夏だったとのことです。いつになく涼しい夏。 未来のことなのに、冷夏だった、というのも変な表現ですが。 星の動きを見ておりますと今年だけでなく、2024年の来夏も暑いだろうとは直ぐに予想がつきます。 しかし2025年の夏は惑星集合からは少し崩れていますので、そうは暑くならないのかもしれませんね。 とにかくかなり以前から、惑星の集中は続いていて、それがコロナ禍やロシアウクライナ戦争、そして 異常な気象と続いている原因のようです。 気温が上昇するのは二酸化炭素増加などの長期間の積み重ねの人為的な影響が根本にあるので しょうけど、CO2だけでなく文明の活動によるトータルな熱量の増加も見過ごせません。またそれたけ でなく自然な太陽活動等の影響も大きいのでしょう。 詳細は分かりませんが、とりあえずの動きは占星術でも追えると私は考えています。 太陽活動といえば、現在は黒点が出ない時期なので太陽の活動は低下しているといわれています。 しかし何事にもタイムラグというものがあります。とくに海洋の海水面温度というのは比熱が大きく バッファが大きいので、今年の暑さは過去の積み重ねが一気に出たという感じです。 【太陽活動の影響】太陽の異変 宇宙線が揺るがす気候変動|ガリレオX第15回 (2011年放送) https://www.youtube.com/watch?v=-jZJ7BcWwTE 10年以上前の放送ですが、現在の異常気象を見事に言い当てていますね。放送では太陽系宇宙 環境が地球に影響を与えていると言ってますが、まさしく占星術はその太陽系宇宙の擬似科学でも あるんですね。(^^ゞ それにしても今年の夏は例外的な暑さだなって感じていて、それがグラフに表わされていて、納得 した次第です。それでこの夏は写真撮影は私は止めています。7月の始めに撮ったのが最後で、 9月いっぱいまでお休みにしようと思ってます。 ちょくちょく撮影は休む、というのが私のやり方で、過去には半年ほど撮影しなかったこともあります。 撮影と野外の逍遥遊を休んだときは、こんどは読書に励むというパターンなってます。(^^ゞ 最近読んだ本で面白かったのは 「間違える脳」櫻井芳雄 岩波新書 脳の実際の仕組というのが、面白いことに占星術と考え方や仕組みにそっくりなんですね。有る特定 の部位が何々の機能に定められているというのではなく、その代替機能はあらゆるところに備わって いるという説。 脳は極めて可塑的で融通が利くというか、これは機械的なコンピューターなんかとは決定的に違う ところですが、占星術でもその考え方でいかないと上手く読めないというのがあるんです。 そして脳だけでなく、実はこの身体も可塑性代替性が強くて一筋縄で捉えられないのが健康学や医学 です。 ところで、趣味の写真と、他の趣味を同時進行するというのは難しいですね。 過去には写真と俳句を組み合わせてやるという人が掲示板におられましたが、やはり長く続かなかっ たようです。また写真と音楽などともやはり同時進行はむつかしいのでしょう。 写真というのか簡単なように見えて、本格的にやるとなるとやはりいろいろと考えることが多いです。 写真をやるときは写真だけが趣味、というのが無難ですね。 私も写真以前はパソコン趣味でしたが、写真に入ってからはパソコンは実用だけに振ってます。 写真とパソコンは比較的近い趣味ですけど、それでも同時進行は難しかったです。 私の占星術の趣味はといえば、これも写真趣味とは同居できません。しかし占星術と読書は私の場合 一緒になっていて問題ないんですね。それで定期的に、写真と歩きの趣味、読書と占星術、との2つの 趣味を交互に繰り返して続けてます。 私の場合、写真と占星術・読書の趣味が、この掲示板では混合されていますが、本当は別のものを 無理やりくっつけているというわけです。この掲示板ゆえの(長文が可能)特別な異端的なことをしてい ます。 しかしただ写真なのだとしても、例えば私の場合はやはり読書趣味からの、歴史や農業や産業、地理 や地学の影響を強く受けていて、単純に写真的な美学や記録性だけでやっているわけではありません。 そういうのは、植物の博物学、昆虫や野鳥学、天体や星辰の知識でもって写真をやっておられる方が 非常に多いというのとまったく同じですね。 写真趣味を長くやれている方は、そういう付随する知識や趣味が豊かであるという気がしてます。 それで写真という画像のみの美学に狭めてしまうと写真趣味は長続きしないという感じです。
最近はバイク女性が多くなりましたね。男ができるものは一通り女も出来るものだということでしょう。 写真も釣りも昔は男だけの世界だったんですが、女性の二人連れの釣り人も多いです。バイクだと 女ひとりで、ということもあるんですね。 それにしても夏日浅子さんとかの素敵なバイク女性、うまく撮影できましたか。(^^ゞ 写真慣れしている人は別ですか、普通の女性は改めての撮影となると、なかなか狙ったイメージに ならない場合が多いですからね。 この頃は旅先でも、一人で黙々とスマホを弄っている人がいて残念なところがありますが、何にせよ 見知らぬ所へいけば積極的に現地の風に触れ、人とも交流したいものです。 カメラを持って写真を撮っておりますと、そもそも私は撮影は一人で、且つ、人様のいないところで 撮影をするのですが、一時の出会いの地元の人と話し込むことはとても多いです。 実はこれには種があるんですね。種というのは、種も仕掛けも・・というタネです。 それは私が大型のカメラを手に持って撮影をしているからですね。使っているのは大体はデジイチで すし、しかもバッテリーグリップは必ず付けてます。(これで中級機でも大型機に見えます) そして レンズも大体は大型のものです。 スマホとかコンデジしか知らない一般の人から見れば、びっくりするような代物ではないでしょうか。 「よくは知らんけどきっと何十万円もするに違いない」と思ってくれるからこそ、そこにクレジットというか、 人としての信用が生まれるんだと思います。それで見ず知らずの私にでも話してくれるんだということ でしょうね。スマホだけで撮影をしているとそう簡単には信用しもらえないと思いますから。 人は相手を値踏みするに、足元や手元を見るんではないですか。(^^ゞ しかし考えてみれば、大きくて目立つカメラを持っていて、それで信用してくれるというのは、歴代の ハイアマチュア人士達のお陰ともいえます。彼らが礼儀正しく紳士だったからこその信用財産ですから。 カメラの中でも一番信用が、というか人気があるのが、やはりキヤノンですかね。そして二コンやソニー。 ここらあたりは誰でも知ってるブランドです。ペンタックスやオリンパスも人気ですかね。 そういうブランドのカメラを信用してくれるからこそ、ついでに付属物の私も大目に見てやろうか、という ことだと思ってます。(^^ゞ こう言っちゃあ身も蓋もないようですが、カメラのひとつでもあれば、とりあえず信用してくれるということ で大変有り難いことだと思ってます。 これが車だと、逆に高級車は怪しまれてしまうというところがあります。ヤクザとちゃうか?とかですね。 高級車が犯罪に絡む事件って昔からありますからね。レクサスだとかベンツだとかは用心されますし、 やっかみを受けることもあります。 つまり車というのは金さえ出せば誰でも買って乗れます。しかしカメラはそうはいかない。インテリジェンス が一応は求められますから。(^^ゞ そこが同じブランド品でも車とカメラの違うところです。 車は事故で人を死なすことがありますが、カメラはそれで死ぬ人はいません。そういう違いもあります。 とりあえずは多くの方たちから、写真とは良いご趣味ですねって言ってくれてます。お世辞でもそう言って くれるのは有り難いことです。そんなわけでカメラを持って歩くという趣味は、この先もずっと続けて行きた いなあと願っています。 余談ですが、一般の人でも少しは写真を知っている人には、ミラーレスが最新ということで人気ですが、 全くの写真を知らない普通の人には、ペンタプリズムのあるデジイチが人気なんです。外見で判別が付く のはやはり大きさです。そして外見から判別しうるだろうところの重さです。 つまり大きくて重いだろうというカメラをわざわざ手に持っているということが、凄いねっていうことですね。 写真機であるカメラというのは、本当は金額ではなくて、その大きさ重さを、カメラマン氏は敢えて使って いるという、そのことへの多少の尊重心があるんではないかと私は思っています。 スマホでも十分に綺麗に撮れるということは素人さんでも良く知っていることです。それなのに大きくて 重い機材を使う。そのことを一般の人々は尊重してくれているのだろうと思うのですね。 デジイチ2台に交換レンズを持ては10キロくらいにはすぐなります。それで苦行僧のようにして歩いていれ ば、お布施のひとつやふたつは頂けるだろうということ。(笑)
先日、知り合いの20歳代の人から、仲よしグループ4人で連休に県外に旅したという写真群をスマホで 見る機会がありました。ほぼ私がかつて20代に撮った写真と同じ感覚ですね。(^^ゞ だた時代は変わって カメラが違いますので、そこらへんの事情を除けば、やっぱり変わらへんねっていう印象。 写真ってカメラという外部機器で撮るものですから、ほぼ人間がすることってあまりないのではないで すかね。 ただ時代は現在と、私が写真を始めた時とは違います。友人や恋人の写真を撮りましたが、主に私が 撮影をしたのは政治色の強い市民運動とかの写真を撮っていました。路上に寝泊りする人たちの写真を 追いかけたこともありました。そういう感覚は今の平和な時代ではあまりなさそうです。 この国の今の時代は、高齢者が牛耳っているといいますか、若い人は総体的に少数派であって、それで 自分たちの意見や考え方が通らない、という気持ちが根強くあるのではないかと思います。 若さは馬鹿さかもしれませんが、そういう若さ一徹の時代に対する貫通力というものが、今は失せ気味 です。それは日本だけでなく、高齢化が進む先進国はほとんどそうなっています。 しかし平和な安定した時代がずっと続くのか、と問えばけっしてそうではありません。この時代が行き詰っ てくると、そこは若い人の出番です。いつかは若い人たちが時代を引っぱり世界をがらりと変える時が 来るのでしょう。 写真を最初に始めるという、その時期に意味があると考えています。 できれば学生時代、家庭を持つ前の若い時に写真を始めて夢中になって欲しいものです。 社会人に家庭を持ってから写真を知るというのでは遅すぎて(既に常識人になっているので)、若い時 だからこそ身につくという、写真の何かがあるようです。歳をとってからの写真は模倣に終わりますね。 写真という画像に留まるといってもいいでしょう。 若い時期に学ぶのは写真という行為そのものの本質であって、その本質を感じとることであるわけなん でしょう。それは模倣の写真しか知らない人にとっては想像の他となります。 多くのプロ写真家は例外なく若い時期に写真に入っています。そして趣味写真人の多くは歳をとって からの趣味芸なんですね。その二つは似たるも非なり.、というわけですね。 写真に、もし撮影という行為がなくなれば、私は写真をしないでしょう。 カメラを持って写真を撮りにいく。この形態は現在も百年前も変わっていません。しかし今後は手ぶらで ただ眼をウインクすれば、もしくは念じるだけで写真が撮れるという時代がくるかもしれません。 でもそれは多分、写真じゃないです。 とにかく現在でも写真とは、自分の足で歩いて、手にはカメラを持って、それで写真をするということなん ですね。この歩くこと、持つこと、この二つにも大いに意味があるとするのが、私の考える写真です。 パソコンの前に座って画像をいじるのは写真画像ではあるんですが、写真そのものではありません。 弄くればいじるほど本来の写真からは遠ざかっていきますね。やがてその弄くりはAIがやってくれるよう になるでしょう。 ですから撮影はしても、その画像をPCで一度も見ることがなかった、というのも写真であるというのが 私の考えなんです。(笑) だいたいどんな写真が撮れているのかは撮影時に分かっていますからね。 カメラの液晶スクリーンを見てのことじゃないですよ。 カメラを手に持って、自分の足で歩き回って写真を撮るというその行為自体に、私は無類の喜びを感じ ています。よく知りませんが、釣り人が魚を釣ってその後は魚をリリースするうらしいてすが、それと よく似ているかもしれませんね。 (食いしんぼの私には折角釣った魚を食わないのは合点がいきませんが) しかしこれは自分にとっての写真は全くの趣味だから言えるのでして、職業カメラマンならば失格です。 ※ ところで、仕事というのは何の職業でも一人ではできません。多くの皆の努力の集合として仕事は成り 立っていますね。自分のできないところは人を信頼して任せるしかありません。しかし自分のテリトリーの ところは間違いなくやり通したいですね。 私も最近は仕事の幅が広くなってきて、それで様々な機械を使うことが多くなりました。それで思うに 機械というのは人を裏切りません。上手くいかないのは機械のせいではなく、機械を正しく操作できて いない自分せいだということです。それで使う道具や機械を徹底的に見て分析して仕組を知り、そして 改善をしていくと、当初は考えられなかった性能を発揮することを知りました。 おそらく前任者の2倍3倍の効率で今は道具や機械を動かせていると思っています。もちろん品質も向上 させてのことです。こんな具合で自分ひとりでも改善できることは数多くあり、それを日々積み重ねて いけば、結果として仕事全体に良い影響を及ぼせると思ってます。 人を動かすというのはなかなかできないです。どんな仕事や職場でもそうでしょう。しかし自分は動か せるし変えることができます。また自分の配下にある道具や機械も変えられます。人が教えてくれと言 われれば喜んで教えますが、人に無理強いはできませんね。 後は時間が解決してくれます。 そもそも人も会社(法人)も、生まれ持った人格というものがあって、彼らには彼らなりの運勢というものに 則って生きています。 例えば東枕が良いというのは人類不変の法則ですが、それを他人(たとえ身内でも)に強制することは できません。でも本当はそれでいいんですね。なぜならば不運になって始めて人は自分で深く学ぶこと ができるからです。その学びの機会を他人が奪うことはできないからです。 ※ 私自身が今、ある程度自分を変えられているのは、やはり健康であるからです。少なくとも病気では ありませんから。ですから何はなくとも健康維持だけはきちんとやっておきたいと願うのです。 例えばですが、コロナウイルスとワクチンに関しては相当数の著作を読み、週刊誌やネットでも調べ まくりました。それで健康体であればウイルスは心配ないこと。そして新型ワクチンは危険であるという ことも分かりました。それで最初からマスクなんか信用していませんし、ワクチンは一度も打っていませ ん。 周囲の人を見ると、ワクチンを打つたびに体力を焦消耗しあるいは持病が出てきたりとか、そういうのを 見ると、御上や他人を信用し過ぎる(無責任な持たれ合い)ことの危険性が嫌というほど見えてきますね。 写真というのは自尊自律の行為ですね。自分の意思でやってその結果は自分でとります。他人は関係 ないというのがその基底にあります。(水瓶座) しかしそれだけでなくて他律的な愛というのもあるわけ です。(蠍座) ですから他人に褒めてくれることを安易に期待して写真をするものではありません。 私が学生時代に写真部に出入りして、学んだことは正にそれでして、私の撮った写真は最初からケチョン ケチョンに貶されるだけでした。それでも写真をやりたいやつだけが写真をやればよいのだ。と、そういう ことを言っていたのだと分かったんですね。 今の写真の時代、互いに褒めすぎなんではないですかね。(^^ゞ もっと貶しあいをしないと写真は上達 しないというか、写真の真実やリアルを知ることはできないだろうと思ってます。 ※ 「美食地質学」入門 -和食と日本列島の素敵な関係- 巽好幸著 光文社新書 というのがあって、ここにも讃岐うどんについての興味深い考察があります。 ただし多くの人たちは知らないのでしょうが、さぬきうどんの小麦粉はオーストラリア産です。 NHK 讃岐うどん 支える小麦 産地オーストラリアと日本の開発最前線 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230510/k10014062521000.html 「ASW(オーストラリアン・スタンダード・ホワイト)」 https://flour-net.com/column/australia_flour/post.html ASWはオーストラリア産小麦生産量全体の約4%程度を占める程度の、西豪州で収穫される、日本向け 独自仕様の小麦銘柄です うどん遍路・・・? 西日本放送 https://www.rnc.co.jp/news/udonhenro2/backnumber.php 四国新聞社 https://www.shikoku-np.co.jp/udon/ こういうやつですか。(^^ゞ でもやめた方がいいです。糖尿病になりますよ。(笑) 絶対に蕎麦がいいです。上記の著書には蕎麦の話も載っていますので。
以下の投稿は、 https://photoxp.jp/pictures/224157 これからの続き、ということになります。 認知症の種類と それぞれの原因・症状を解説 https://www.taiyo-seimei.co.jp/net_lineup/colum/ninchi/003.html 認知症予防10か条 https://kaigo.benesse-style-care.co.jp/article/knowledge/ninchisho/yobou 第1条 生活習慣病を予防・治療する 第2条 バランスのよい食生活で健康を保つ 第3条 よく歩き、運動する 認知症を 予防するためにできる3つのこと https://www.taiyo-seimei.co.jp/net_lineup/colum/ninchi/006.html ポイント1. 食生活を見直す ①野菜、果物、豆類を積極的に食べる ②魚を積極的に食べる ③緑茶や赤ワインを適量飲む ポイント2. 適度な運動をする ポイント3. 社会活動に参加する とまあ。こういう常識的なことしか書かれていません。とは申せ、大切なことばかりですね。 占星術では、脳疾患系の病気に陥るのは。牡羊座(第1室)と火星、ということになっています。 認知症だけでなく脳梗塞脳溢血などでもそうです。だいたい第1室に大きな凶星がきている人 が多いです。 占星術では病気の星や星座として、魚座(12室)や乙女座(6室)が、病気の星座だといいますが そこに凶星があったとしても一時的な病気ですみます。それで回復できない病気の運としては 牡羊座(1室)と蠍座(8室)が重要です。それから太陽の凶星とのアスペクトも大切です。 占星術的な防止策としては、就寝時に東枕で寝るということ。これが最も重要です。そして 運動です。これは長時間の歩行が有意義となります。労働と運動とは違うので要注意ですね。 そして勿論ですが食事の大切さです。 東枕に関しては、東貧南病(東では無駄遣いが多い。南は病気になる)とか、南枕病人北枕死人 と、こちらでは言い伝えられています。 東貧南病と言いますと東はダメじゃん?となりそうですが、健康的にはそうではなく東枕がベスト ということになり、次いで西枕となり、南枕と北枕はどちらもダメという具合です。 この科学的エビデンスは極めて難しいです。ただ東西南北とは地磁気に対して、ということだけ は申し上げておきます。 認知症や病気運だけでなく、この東枕法は人の運勢の根幹を形作っており、これを人為的、もしくは 意識や意思によって変えることは極めて難しいということになります。 なぜならば占星術では生まれ持った時点でその一生の運がプログラミングされているからです。 その運勢予定を人為的に改変することは、まあ神様との契約に違反しますからね。(^^ゞ しかし何事にも例外があるのが世の中です。上に政策があれば下には対策がある、と中国の人 も言っていますしね。(^^ゞ この東枕効果は数年や数ヶ月での効用であり、即効性はありません。むしろ短期的にはメンケン 反応で逆の結果がでます。それを乗り越えての効用なので気の長さが求められます。しかしこれが 健康と運勢の基礎であるということは忘れてはいけません。 食事、きわめて大事です。これを突き詰めていくと一個人での話しでなくなり国の農業問題にまで 発展します。 そして食事とは口に入るもの全てですので飲酒とか喫煙というものも含みます。精神的に不安定な 人であれば暴飲暴食などもするでしょう。 私はずっと有機農法で栽培された玄米食を定期的に食しています。もうかれこれ数十年となりますか。 食事と栄養は日常のことなので強い意志だけでなく習慣づけをることが大切ですね。 納豆食は私も随分と前から継続しているのですが、最近は蕎麦食にも興味をもっています。 この納豆も蕎麦も、大体は北・東日本の食習慣です。納豆も蕎麦の健康に良いと言われていますね。 そういうのは真似ないといけません。こちら香川では納豆というと甘納豆のことですし(今はそうでは ない)、蕎麦ではなくウドンです。お陰で糖尿病罹患率ワースト何位だったかと記憶します。 食事は偏食せずに満遍なくバランスよくするのが大事ですが言うは安し行うなうは難しです。 そして、今回の認知症などの脳疾患に対して最も効果が認められるだろうと考えているのが、運動 です。しかも歩行です。さらにいうと長時間の歩きです。平地の歩行よりも山間部の歩きが良いで しょう。修験道などの難行苦行とまではいいませんがイメージ的には憧れですね。(^^ゞ 長時間というのは持久力のことでありますね。歩行と脳の関連は多くの方が言われています。 おそらく長時間の歩行は脳内の不要な蛋白質を除去排泄する働きがあるのではないかと想像して いるんですね。科学的にそうだとは言いませんがイメージ的に、です。 長時間の歩きは1日中を要します。そう滅多に実行できるものではないんですが、月一くらいはカメラ を手に持って歩けるだけ歩いてみたいと願っています。 山歩きを趣味とする人は多いですね。ただそういう方は踏破することが目的で無駄な歩きはしません。 撮影趣味の人は、徘徊的な無駄な歩きがあるというのが良いんではないですかね。 合目的な踏破は言うなれば軍隊であり農耕社会です。一種の労働とも言えますか。そして徘徊的な 歩きはそれらからの自由であり狩猟採集の文明の歩きであって、このふたつはその骨格が大きく違う と思ってます。 歩きにカメラを持つからいって、実は写真撮影はあくまで余興であって決して目的ではありません。 本来の目的は自分が歩くこと。そして色んなものを見て遊行することが目的です。 我々が言うところの「目的」とは要するに農業社会的な集団からの圧力というところがあるはずです。 スポーツで試合に勝つとか記録を出すとかいうのは典型的な社会圧であり軍隊的で労働的でストレス です。それらから自由にならなければ、脳内の不要な遺物は除去できない。(笑) そう思ってしまう のですが、こういう自由で気ままな徘徊を好むのは、占星術的に言えば海王星であり魚座です。 私はこの魚座的な考え方や行動が、認知症に対してはもっとも対策効果があるんではないかと 思ってます。行き当たりばったりで目的もスケジュールも決めずに、無理だったら平気で引き返すと いう、いい加減なやり方が良いのだろうと考えています。 認知症になりやすい人の特徴は?性格や口癖・生活習慣などについて解説 https://www.cocofump.co.jp/articles/byoki/139/ この中に、スマホが影響する認知症、とあります。IT機器を長時間使用することで脳機能が低下して しまうことが分かっています・・・と。こういうデジタル認知症が今は問題になっているようです。 これは要するにデジタル写真はほどほどにしないとデジタル認知症を引き起こしますよ、ってことですか。
シッポ座さん、下の写真、もしかしてユーフォーですか? だとすればとんだスクープ写真です。 私も一度はユーホーを見てみたいと願っているんですが、基本眼がよくないのでむつかしいかな。(笑) この掲示板は、ある一人の管理人さん個人の貴重な篤志行為によって運営されていて、商業的な利益 は全く得られていません。それどころか持ち出し一方だろうと思います。管理人さんは東京の方だろうと 思いますが、とても優秀で若い方です。個人宅にサーバーを設置し、24時間休みなく動かしているので エアコン代も含めて電気代は相当に掛かると思います。 何年か前、管理人さんがサーバー買い替えの件で、利用している皆さんへのメッセージで寄付をして くれないかとの問い合わせがあり、それで何人かの方がそれに応えたようです。今後もそういうことも あるだろうと思うので、たとえばmasaさんなんかは、そういうことには応じますよ、是非連絡してください と述べられています。 https://photoxp.jp/photoxp ですからこのサイト、この掲示板は世の中に数多くある商業ベースのものとは違うのです。 ただ管理人さんは趣味で運営されているわけで当然に本業の仕事がが忙しくて、この掲示板の細部に わたる管理はできかねています。そこは皆さんが自主的にルールを守らなくてはなりませんね。 ここで投稿されている方々は皆さん高齢者やそれに近い方々ばかりなので、若い管理人さんの御好意 を裏切らないようにしないといけませんね。年寄りが若い人に迷惑をかけては申し訳がないです。 管理人さんがこの掲示板を廃止できない理由のひとつに、過去に投稿された方々の膨大なデータが あるという事実、その実績です。それはある意味でデジタル写真の歴史をも意味しているわけで、それを ないがしろにはできないという奇特な気持ちがあるようです。 管理人さんもまた写真好きな方なんですね。そういう社会的な視野からも写真を考えておられるという わけです。 そういうわけで、みなさん好き勝手に自分の写真を上げておられるのではなく、そういう管理人さんの 意を酌んでやっているだろうと思いますよ。 今や写真趣味は殆ど高齢者の趣味となっています。若い時は仕事や子育てに忙しくて趣味なんてする 暇も金もないわけでして、それで写真趣味と言えば、家庭を持つ前の若い時期か、もしくは現役を退いて からというのは、どうやら世界共通の現象のようです。 本当はもっと若い人や女性からの投稿が欲しいねっていうところもあるんですけど中々難しいところです。 私としては、むかし新聞社でアルバイトをしたりまた出版社に勤めていたこともあるので、この掲示板に ある程度の時事情報を織り込んでみようか、ということで文字情報主体でやってます。私の場合、投稿 写真は添え物ですかね。(^^ゞ まあそういう人間も一人くらいいてもいいだろうと。(^^ゞ これもこの掲示板を社会的な場として私も考えているからですね。 それから基本的な投稿ルールとして、イグジフ情報は添付したいですね。これがないと掲示板のシステム が狂うことになります。写真に添付データは必要がない、という考え方もあるでしょうが、この掲示板は イグジフデータを付けてナンボ、ということになっています。 この掲示板は個人の傑作作品の見せ場ではなく、写真スキル上達の為の情報交換の場ですから、 イグジフ情報は添付はお願いしたいところです。 スマホなどではイグジフがでなかったりの場合もあるんでしょうが、デジカメ撮影ならば大体はでます。 私も一度、イグジフが出なくなってそのソフトウェアを入れ直したくらいです。 このデータがあれば、皆さんベテランぞろいですから、データを見て、なるほどと分かるところが随分と あります。そこらは素人さん達の写真投稿サイトとは違うところです。 ※ 話はガラリと変わりますが、写真に於いて今後大いに問題となるのは、ひとつはAI写真の登場です。 そしてもうひとつは、多分ひとつめと大いに関連するのでしょうけど、写真における認知症問題です。 この認知症はこの掲示板でも過去に既にその事例が見られていたと私は考えています。例えば写真 と俳句・川柳を組み合わせて投稿されていた方がおられたのですが、写真添付のコメント欄に俳句を ポツリと書かれているんですね。それで他の人が何を問いあせても俳句の返事しかないんです。 はたまた皆さん困ってしまって、挙句この掲示板の地勢図が変わってしまったほどの影響を与えま した。 ご本人は悪気はなく認知症的にどんどん投稿をされるんですが、それが他の人とはかみ合わなかった わけですね。それで認知症の方は情況を把握する認知力に乏しいんだと知りました。 今後出てくる可能性があるのは、コメント欄にAIを使うやりかたです。生成AIを使えば文章を書くのが 苦手な人でも名文がかけます。長文もいけるわけです。また画像処理の延長の感覚で投稿写真をAIで 変えることもできるでしょう。 そういう風になっていくと、それこそ写真って何だってなるわけでして、これからのその写真が生の写真 なのか、加工した写真なのかっていうのが問題となってくるでしょう。 どんな下手な写真でも生写真ならば値打ちがあり、一方傑作写真でも加工写真ならば見向きもされない という時代になるかもしれません。 そしてAIの流行はますます認知症を広めることになるだろうと考えます。そもそも認知症だねっていう人 が登場したのはカメラがデジタル化してネット化してからです。フイルム写真の時代に認知症的な写真 が出ることは考えられないですからね。只のようなコストでいくらでも撮影できるから認知症写真となる わけでしてね。 そして安易に考えてはいけないんですが、認知症は後戻りできません。いったんその門をくぐれば最後 は行くところまでいくのではないですか。ともあれデジタル、ネット、AIはそれを強力に遂行する力がある んではないかと危惧しています。 私はこの認知症にならないようにするにはどうしたらよいのか。今、真剣に考えています。どんな人でも 認知症になる可能性は歳とともに高まってきます。脳梗塞なども怖いけれど認知症も恐いですからね。 認知症の症状として徘徊というのがあります。随分と遠くまで出かけて帰り道が分からなくなるそうです。 この徘徊は交通機関を使うのではなくて、本当に自分の足で歩いてしまうんですね。場合によっては何 10キロも。 この徘徊は症状として悪い面で捉えられていますが、もしかすれば当人は無意識に認知症を自ら改善 しようとして、足掻いて歩き回るんではないかなって思うところがあります。 考えてみますと私の写真撮影とは、よく言えば逍遥遊行、悪く言えば徘徊です。(^^ゞ ちゃんと帰れる ので徘徊ではないのかもしれませんが良く似たものです。とにかく自分の足で歩こうとして決意すると いうのが、それが症状であれ、その防止策であれ、それらは共通するのではないかと考えるようになり ました。
渡部さとる氏の2Bチャンネルはちょくちょく視聴しているのですが、ニューカラーの話は写真の歴史を 知る上でとても役に立つ話でした。 写真を趣味とする上で、やはり写真そのものの歴史を知ることは大事ですね。ただなんとなく写真が 好きだからではなくて、自分の写真の立ち居地を知っておくことは大切だと思ってます。 ニューカラーは、時代における写真を、リアルということで突き詰めた結果に登場したスタイルのよう ですが、このリアル感やリアリズムというのは、日本語で言えば、やはり写真の真という言葉に相当 するのかもしれません。写真はその属性に於いてリアルや真実という言葉から離れられないのかも しれませんね。 どんなに美学的芸術的に優れていてもそれが時代を写すリアル感がなければ意味がない、という捉え 方は、写真が単なる美学芸術ではなく、むろん模倣芸でもなくて、現実を刻々と映し出す、実に写真た る考え方だろうと言えますか。実在感といってもいいですし、時の真実を写しだすと言ってもよいので しょうか。 マーク・パワー氏は都営交通の写真を撮られていますね。 https://www.youtube.com/watch?v=obiAJQnXOXU&t=19s 記録写真の範疇になるのだと思いますが、私の写真も社会的ではありませんが個人的な自身への 記録写真だと思っています。 さすがにこのところ暑くて写真を撮る気になりません。(^^ゞ 無理をせず写真趣味をやっていきたいと 願っているのでしばらくは撮影はお休みといったところ。 最近は黒白写真ばかりに凝っているので、何か新しいものはないかと引き出しを物色すると、黒白 写真用のレッドやオレンジのフィルターが出てきました。着けてみるとちゃんとAFが効きます。 これで多分、空の色を落とすことができ、少しは違う写真が撮れるかもしれません。 フィルターか・・・その手があったねって、そう考えると、R72フィルターというのがあるそうです。これは 近赤外線の写真が撮れるというやつです。普通の可視光はカットして赤外線のみを通すヤツですね。 ネットで調べて見ますと、これを使った赤外線写真がかなり出てきました。みなさん結構こってらっしゃる ようです。(笑) ただしこのフィルターを付けるとAFは無理だろうし長秒シャッターになるので日中野外でも三脚撮影と なります。普通のカメラでも機種によっては僅かに赤外線を通すようで、長秒シャッター撮影をすれば 赤外線写真がいけるようです。 赤外線写真は主に星天写真で使います。それ専用のカメラが時々メーカーからも発売されていますね。 しかし猛者は普通のカメラを改造して(改造してくれる店があるそう)使うようです。 こういう改造カメラは日中風景ならば手持ちで撮影できるみたいなんですね。私も三脚を使ってまでも 撮りたいとは思わないので二の足を踏んでいたのですが、ちょうど手持ちの、あるカメラが簡単に赤外 IRフィルター(ボディ内の)を取り外せて、それにレンズにR72フィルターを噛ませば手持ちで赤外写真が 撮れることを知りました。 赤外写真はカラーだと色変換が面倒ですが黒白写真だと簡単です。まあ、カラー赤外写真も幻想的で 良いんですけど面倒なことが嫌いな私には無理かもしれません。とにかく黒白はオーケーということで フィルターを注文しました。できるかどうかはまた別の話ですけどね。(^^ゞ 瀬戸内は晴れの日でもモヤ掛かりの天気が多くて、山などの遠景がクリアに描写されません。これが なんとも残念で長らく気にかかっていたんです。他所の県に参りますと空気が澄んでいてくっきりと遠景 が描写されてうらやましいなって思っていました。 そして随分と前ですが、この見慣れた瀬戸内の光景を黒白赤外線フイルムで撮られた写真を見たことが ありました。その記憶は鮮明でして、これしかないなって長らく思い続けていたんですね。 もしかすれば私にもデジタルで赤外線写真が撮れるのかも・・ということでちょっと挑戦してみようかなっ て考えてます。 ※投稿した写真は28-70ズームだったかな?期しくも自分の好みのミリ数になっていました。 最近はスタンダードレンズと言われる50ミリ40ミリ35ミリくらいの単焦点レンズを使うのが好きになって、 肉眼で見たまんまの自然な描写をしてくれるのが気に入っています。そういう単レンズで、もしくは 標準ズームレンズ一本で気楽に、歩く足の向くままに撮影できれば幸せだねっていうところがあります。 撮影に対してはもうあまり欲はなくなって失敗してもへっちゃらでして、撮影に出かけたものの地元の 人と長く立ち話をして時間を潰すこともよくあります。 欲がなくなりつつあるのはイワユル加齢現象というやつですかね。(笑) そうは言いながら、よく考えてみると自分の撮影と写真は自分が若かったころとちっとも変わっていない というところがあります。半世紀経っても自分の写真スタイルが変わっていないことに驚かされると いうか、そこに写真の不思議さを感じるんですね。と言いますか、写真というのはそもそもカメラが撮る のであって、カメラがほとんど変わっていないのだから当然と言えばそうなのでしょう。 私の投稿写真は自分のモニターで見たものよりも、ネットで様々な人が観ることを慮って意図して コントラストと濃度を強くしています。そのままで投稿すればシッポ座さんのような淡い色になります。 今はフレックススキャンを使っていますが、以前はカラーエッジとかマックを使っていました。 プロ用のモニターはやはりきつくて眼に良くないという配慮で一般用に変えました。PCのグラフィック カードは発色を優先したエヌビディアのカードですが以前はプロ用ATIとかマトロックスを長らく愛用して いました。 やはり歳をとると、モニターを見ることでの疲労感というものが気になるものてす。以前からモニター 疲れということを強く意識していて、わざわざ小さいモニターにするとかモニターの輝度設定も低めに するとかで対処しています。しかし画像処理専用のPCはあまり立ち上げたくないというのが本音です。 ネットネットを見るのは別のPCでして三菱製の古いデュアルモニターを長く使っています。(今のLED モニターは苦手) そのモニターも輝度は低くて、ディスクトップの地面はダークグレイにしています。 最近言われるブルーライト問題以前から私はモニターには気を使っています。そして電磁波問題も ありますね。ブラウン管時代は地中アースで対処していました。今でもPCなどの家電はアーシングを しています。 このモニター問題、きちっと対応していないと、写真趣味の人は、特にヘビーユーザーの方はまず潰れ ます。長く写真を継続できなくなるんですね。それから仕事で職業でPCモニターを長く見続ける人も なおさらそうです。今はもう何でもかんでもスクリーン・モニターの時代じゃないですか。デジカメのEVF からスマホ、PC、テレビとスクリーンだらけです。それでも最近は有機ELモニターになってきたので大分 ましになってきたようですが(そもそも輝度が低い)、それでも眼や脳が疲れないような配慮は必要です。 有機ELも大分安くなってきたのでそろそろ買いどきかなって感じてます。 個人的に黒白写真に未来を感じるようになりました。 ひょんなことから黒白写真に突入したのですが、カラー情報を捨てるということはカメラにとっても観る側 の人間にとっても有利なところが多くあるんではないかと考えるようになりました。 まず解像力はカラーカメラとは次元が違います。極めてシャープで解像度に関しては2倍から3倍は違う のではないかと感じるほどです。 そして何よりも鑑賞することにおいて眼や脳の疲労感が少なくなるというか、楽なんですね。 私が投稿した写真は横倒しになっていますが、オリジナル画像をクリックしてもらえれば正立になります。 2500万画素ピクセルで画素数は落としていませんが画質は落としています。それで実際はもっと解像度 があります。これをモニターいっぱいに拡大しても、やはり黒白ですから、ちょうど紙の黒白印刷のように 眼は楽で額縁の看板のかすれた文字もそこそこ読めますね。 簡単に申せば黒白写真は読み取るのには楽であるということです。色が邪魔をしないということ。 カラー写真で言えば、シッポ座さんの写真は見るのにとても楽です。発色も控え目でコントラストも低く 抑えているからです。しかし解像度は低いですね。いや低くしてるからこそ見やすい写真となっていると 言えます。 https://photoxp.jp/pictures/223923 このハスの写真など、綺麗な中間色で彩られていて、これこそがカラー写真ではないかと改めて認識 するほどです。じゃあ皆さんが投稿しているキツメのカラー写真とは何だろうか、ということになりそう ですが。(^^ゞ 思い出してみますと昔のデジカメは数百万画素、もしくは1千数百万画素くらいであって、その時代は カラー写真も観るのが楽でした。ところが2千万画素を超えるようになると写真を見るにつけ疲労感を 感じるようになっていったのではないですかね。いや無意識のうちに疲労を感じていたと思うのです。 それが黒白写真になるとガラリと違ってきて、2千万画素オーバーの同じカメラでもモノクロにすると ピクセル等倍画像でも難なく見れる感じするのは、やばりカラー情報がないからだろうと思います。 翻ってみれば、カラー画像を出すということは、よくよく考えてやらなければ過情報の押し付けになると いうことでしょうか。 モノクロに徹してやってみると逆にカラー写真が見えてくるという気がしてます。 この超過情報の押し付け、という考え方は面白いのじゃないかと思ってます。過ぎたるは及ばざるが如し ということですけど、カラー写真は本来どうあるべきかということに繋がると思っています。 情報量のもともと少ない黒白写真はフルパワーをかけられますが、情報量の多いカラー写真はセーブ していなければ過情報で潰れてしまうということでしょうか。 ペンタックス板の https://photoxp.jp/pictures/224082 この黒白写真は凄いと思ってます。水滴の丸ボケが一瞬、カラーに見えてしまう錯覚を起こすほどで、 モノクロ写真のことがよく理解されている方だと言えますね。まあ、レンズも良いです。カラーでも黒白 でもやはりレンズの良し悪しはモノを言うようですね。43ミリとf1.9露出でこれはリミテッド単レンズで あるというのは直ぐに察し出来ますから。 このようにイグシフ情報が提示されていますと理解が進むのですが、その情報がない場合は写真を 見ようという気すら起こせません。 このような優れた写真を見ると、私の写真はまだまだだねってわかりますね。ちょっと皆さんにわかる ようにと迎合しすぎたと思ってます。 ペンタK3M3MはJPEGかRAW-DNGで撮っているのですが、このDNGデータはアドビ用でして、やはり ペンタ独自のRAWデータでなければ美しい黒白画像とならないのかもしれません。それとやっぱり シグマのレンズでは限界があるのかもしれませんね。 まあ、あまり手間をかけるのが苦手なのでそこそこにやっていきたいと思っていますが、カメラの性能 をフルにだすというのは大変なことだと感じてます。 思いつくままにごちゃごちゃと書きましたが、これからもぼちぼちとやっていきたいと考えてます。
写真というのは、例えば美意識とかセンスとか、そういうのは画像とかフォトグラフとかピクチャーと しての、物としての写真だろうと思うのですが、もっと大きな長い眼でみると、そもそも写真というのは、 その写真行為を自身が長く継続することだろうと思ってます。言い方を変えると継続することでしか見え てこないものがあるのだろうと言うことです。 それともうひとつ、写真は被写体というものがあるわけなので当然に社会性や対人性を帯びてきます。 それらとの我と他者、自分と社会との関係も重要だろうと考えてます。 占星術ではそれを、つまり写真は蠍座・冥王星というもので現されるのですが、この星座なり星を持っ ていない人は、そもそも写真に興味を示しません。蠍座・冥王星は簡単に言うと、苦難の継続と他律性・ 他者愛を示します。 占星術で一番誤解を受けやすいとか、もしくは中々見えてこないという星座があります。その代表例が 蠍座です。運勢と精神年齢的には40歳~50歳代を示します。12星座のうちの年齢的には最後のほうに 出現する星座です。 写真には他に水瓶座・天王星とかが必要のようです。カメラが光学機器だからでしょうかね。ぶっちゃけ、 この蠍座と水瓶座があれば写真に関心を示し写真をしていくことができます。 実はこのふたつはあまり美学的な星座ではないんですよね。蠍座は泥臭いですし水瓶座はぶっ飛んで いたりしますから。 それで美意識のある別の星座が調味料として加わるという感じです。 この美学的で一般的な星座でもって皆さんは写真を云々しているところがあります。しかしそれは写真 の本質ではないんですね。本来の写真はけっして派手で目立つものでもないし、美しくしたものでも ないだろうと思ってます。 蠍座は一言で言えば、見る能力、見る力、見抜くことです。その能力を光学機器という技術力の水瓶座 で実現することなんでしょう。そういうのが写真の根本にあって、あとは付加価値としての味付けという ことになりますか。 しかし見る能力というのは、言い方を変えれば、ただ見ているだけで自分は主体的には参加しないと いうことでもあります。 写真を撮る無名のカメラマンと、その視線の先にあるであろう有名人や英雄や偉人とは違うということ です。写真を撮るよりも写真に撮られるほうが良いんではないかい?という落ち話しも出そうですけど、 悪いことをして写真に撮られるという可能性もあるので(笑)、私としては撮られるよりも撮るほうに回り たいですね。 冗談はともかく、趣味としてひっそりと写真行為に及ぶのは、まことに写真というのは、ひそやかで、 ささやかな趣味だろうということです。 私にしても趣味の写真で世間に対しては目立ちたくないですね。世間の隅っこでシコシコと写真がやれ ればそれで十分です。占星術的には実は蠍座というのはパワーがあるほうではないです。居るのか いないのかわからないというところがあるかもしれません。 それと写真は私にとってはあくまでも趣味です。世間に迷惑を掛けない程度に自分が楽しめればそれ でいいのだと考えてます。 よく撮影現場で知り合った方に、写真のコンテスト等に応募しているんですか?と聞かれます。 私はそういうコンテントとか展示会とか、そういう人目に自分の写真をさらしたいと思ったことは一度も ありません。そういう欲は皆無ですね。そういうことでモノとしての写真には到って無欲です。 しかし写真が職業ということであれば話は違ってきます。写真を撮られる側の人に対して、また写真を 閲覧される方に対しても、写真というものにその実利だけでなく、夢を与えないといけません。 写真というのは本当は凄いものなんだというプレゼンをしなくてはならないでしょう。ですから営業努力 というか、かっこいい姿でかっこよく撮らないといけないんですね。(^^ゞ ぷ賭してはそういう派手さも必要になります。機材にしても一流メーカーのものを使わないといけないし、 何より写真そのものに美的センスを乗せないと顧客は満足しません。権威を付加するために若い時は コンテストで優勝もしなければならないでしょうし、各種団体にも所属しなければなりません。 写真を撮られる側、もしくは写真を閲覧し見る方と、それから写真を心底楽しみながら自分だけで写真 を道楽として行うこととは当然ながら大きな乖離があります。建前と本音って感じでしょうか。 しかし写真を生業とするならば、撮られる側の人たちの気持ちに合わせないといけないんですね。それ が写真が本質的に持つ、もうひとつの他律愛でもあります。 私の場合は全くの趣味でやってますし、写真を人様に見せることもありません。この掲示板には投稿を していますが、みなさん経験の長いハイマチュアの方ばかりなのでいたって気楽です。 話が逸れましたけど、写真行為そのものの中心に蠍座的なものがあり、それは物事を見たい知りたい、 もっと深く考えてみたいというのがあるんだろうと思ってます。 つまりそれは表現欲ではなく探求欲ですかね。多分それが写真の真髄だろうと思ってます。 ※投稿写真はRAWで撮影しモノクロ現像したものです。5000万画素から2000万画素くらいに落として いますが、これくらいがカラーカメラのモノクローム現像での落としどころかなって思います。本当は1/3~ 1/4くらいの出力が理論的には合うのかもしれませんが。 解像度やシャープさではモノクロ専用機にはなかなか太刀打ちできないのがカラーカメラの宿命です。 しかしカラーカメラは現像時に個別色を調節できるという大きな利点があります。それが余裕を生むと いう感じです。言うなれば色がのってるねっていう感じですか。モノクロカメラは実際にレンズにカラー フィルターを嵌めないとそれができません。それも一回に一種だけ。元々3色のカラーフィルターを載せ ているカラーカメラの優位性はそこにあります。 印刷やプリンター出力でもそうでして、墨1色版で黒白写真を印刷するのはローコスト印刷ですが、 作品レベルの写真を印刷する場合は4色製版全てを使います。インキジェットプリンターならばもっと多く の多色インキで印刷しますね。 そういう具合で、モノクロ専用機とベイヤーカラーカメラは大きく違ってきます。モノクロ専用機もHDR撮影 をしますと多少補えるかもしれませんね。逆に申せば補完処理をしてしまうということではありますが。 ペンタックスモノクロームを手に入れて使ってみて、いろいろなことが自分なりに理解できるようになった いう気がします。より写真なるものを深く理解できるようになれたというか。高価な買い物でしたが良かっ たかなって感じます。 それとカメラ機材としてはK3M3はとても良いカメラです。これまで使ったペンタックスとは次元が違って 優れて使いやすいカメラですね。かなりカッコイイので使う気にもなれるというのがよいです。 レンズは既存のシグマレンズオンリーで行こうと決めています。 そして何よりも黒白写真は自分に合っていると感じます。そしてカラー写真という、言わば雑音を含む 昨今の写真からは自由になれるという気もしています。特に掲示板では雑音をシャットアウトできます から。写真を何も分かっていないのに知ったかぶりをするような人物は黒白写真には関心がないで しょう。 黒白写真は基本的にモノクロJPEG+RAWで撮影することにしました。これで黒白写真だけを純粋に見る ことができますし、いざとなれば高品質モノクロ現像も可能、そして記録としてカラーデータも保存して いるという2重の体制でいけますからね。ローコスト写真から高度な写真までこなせるという体性となり ます。 昨今の生成AI は危惧されている反面、プログラミング技術がなくても本格的にコンピューターが使える ようになるという革新的な面があります。 それはどういうことかと申しますと、AIレベルに達していない知能の人間には毒になるけれど、AIよりも 優れた人たちには朗報であるということです。要するに以前からあるコンピューターがより発展したという ことでしかなく、本当はさほどのことではないわけです。しかし大衆側の人間としては今回の革新は極め て危険であるというのは事実だと思ってます。特に子供たちには。 黒白写真をやるには、この場合で言うところのプログラミング技術を持っているかいないかの違いがある ように感じます。たぶん殆どの人間は黒白写真を見ても分からないのではないですか。言い換えれば 普通の人はプログラミングコードを見ても分かんないでしょう?それと同じように黒白画像を見ても何が 写っているのかが理解できないだろうと思うわけです。黒白画像を見てリアルな現実光景を脳内で再現で きないだろうということですね。
JPEG撮影です。ピクセル等倍では粒状性のノイズが出てきているのが分かります。しかしこんなもんで 十分かなって私は思います。RAW-DNGでも保存しているのでもっと良い画像を出そうと思えばできます。 私の黒白写真はローコスト写真で行きたい、そう考えればJPEG撮影に勝るものはありませんから。 私は石や岩石の写真が好きなのですが、残念ながらその質感というのはJPEGでは難しいというところ でしょうか。しかし写真は全体の雰囲気を醸し出すという観点もあるので、このやや硬い描写もよいの ではと感じます。 昔の黒白写真、昔は質感を出そうと思えば中判カメラでなければできませんでした。135フィルムの小型 カメラでは、あくまでも雰囲気を出せればいいかなっていう程度でした。そういう意味ではJPEG撮影は ちょうど昔の黒白フィルムのイメージを出してくれているようです。
これもJPEG撮影です。草花の写真を黒白写真ではなかなかイメージ的にマッチしませんね。 花はダメでも女性ならば黒白写真でいけますね。 女性ポートレートはこれからはAI化粧加工が普通になるかもしれません。というか、ポートレート全般が そうなってしまうような気がします。撮影者のセンスではなく、AIセンスの時代になるのですかね。 ベイヤーカラーカメラのモノクロモードは、シャープでリアルなモノクロ専用機やシグマフォビオンと比べ ればとても柔らかい雰囲気となります。やはりフルサイズが良いですね。APSだとモノクロモードは苦しい という気がします。 ベイヤーカメラは補完処理をしますのでどうしてもリアルさ(解像感)が劣ります。カラーフィルターの存在 もそうですね。分厚いフイルムベースを使ったような画像となり、リアルさからは遠のくのですが、その 分はホンワカなイメージを与えてくれます。このカメラはローパスフィルター付きなのですがそれが返って 良いように感じられます。 ベイヤーカメラでローバスフィルターを外したモデルでは、最初にペンタK5マークⅡSを試しましたが、 どうも画質が汚いという気がして、それ以来ローパスフィルター付きのモデルを選んでいます。 K3マーク3モノクロームは当然にローパスフィルターレスですが、それは見事にマッチしています。また シグマもローバスフィルターがありません。そういう補完処理をしなくてすむカメラは良いのですが、 カラー写真として補完処理前提のカメラはむしろ、ローパスフィルターがあるほうが良いのではないか という気が私はしています。
フィルム写真、銀塩写真とも言いますが、これは撮影時から現像・紙焼きまで全部が文化という気が しています。しかしその文化はデジタル時代では失われようとしています。もしすれば紙の印刷文化 もやがてはそのようになるかも知れませんね。 面白いことにその写真や印刷の技術が、デジタル文明を支える根本であるところの半導体製造に 使われているのです。今は半導体という加減な言い方になっていますけど、高度集積回路ですね。 この半導体製造に関して、日本の企業は多くの貢献をしています。もし日本がなくなれば世界を覆う デジタル文明は崩壊してしまうでしょう。 面白いことに高度半導体製造で脚光を浴びている台湾とか韓国は、かつては日本の領土でした。 彼らは一時期日本国民であったわけですね。そう考えると21世紀を支えるデジタル文明は日本的な 文化や精神なくしては成り立たないということになるかもしれません。 そしてもうひとつ、カメラやレンズという映像機器はダントツで日本企業です。センサーの製造でも そうです。デジタル時代は同時に画像映像時代でもあるんですが、その根本を日本が抑えてます。 ちなみに半導体製造はものすごく難しくて、それは高度科学実験か傑作芸術か、というレベルで行わ れているそうです。最初は歩留まりゼロから始めて最終的には8割くらいにもって行くのでしょうけど、 工業製品だからといって当たり前に製造できるものではないんですね。例えば露光装置、引き伸ばし 機の親分のようなヤツですけど修士レベルの技術者が何十人も掛かってやっと動かせるのです。 私も今はデジタルで写真をやっているわけですけど、写真たるものの薫陶を受けたのはフイルム時代 です。いわばフイルム写真文化の遺産でもって今も写真を続けられていると考えています。 トライXの長巻を買ってきて暗室でパトローネに詰めることから始って、フィルムの現像そして紙焼きと、 そういう経験をしていたからこそ、デジタル時代になっても写真が出来ているんだろうと思ってます。 10代後半から20代後半まで10年間、フイルム500から1千本は撮ったかなって記憶してます。 今の若い人のようにフイルム文化を知らずにデジタルだけで写真を知りやっていくというのは、私に は想像外ですけど、それはどんなものなのかなあ、という気はしています。無論写真学校に入れば フイルム文化をおさらいするんでしょうけど、そうではなく自己流でスマホから写真に行くという人は、 どんなのかな?というところです。我々とは全く違った感覚で写真をとらえているのだろうと推察しま すね。 そして最近は生成AIという新時代に突入しました。リアルとフェイクの見分けが付かないような時代 になりつつあります。もはや写真という言葉は消滅して、ほんとに単なる画像文化という時代になった ようです。 今の若い方に申し上げたいのですけど、まだ写真文化があるうちに、学生時代のうちに、できれば カメラを買って、写真を自分で作ることをやっていただきたいなあって感じてます。デジタル写真で よいので、他人から与えられた画像ではなく自分が作る写真というものを体験しておいて欲しいなあっ ていうことですね。スマホではダメですよ。キチンとしたカメラとパソコンで。 その経験は一生の宝物になるだろうと思います。全部中古でいいんです。PCもネットに直接繋ぐ 必要もないです。PCはできればノートタイプではなくディスクトップで。 そういう自分で作った写真の経験があれば、これから氾濫するであろう偽物の画像に対してもある程 度の防衛ができますから。ディスクトップPCを勧めるのはバラせるからです。パソコンはコンピューター の始まりの勉強にもなりますからね。いきなりスマホやインターネット・クラウドでは何も分からずに 一生を過ごすことになりかねないです。 正直な感想として、今回の生成AIは極めて危険ですね。確実に人々の思考の劣化をももたらすだろう と思います。多くの人々が無思慮になれば、時代は確実に悪化していきます。一部の有能な人間が この世界をリードしているんではなく、この世界と時代を作っているのは多くの大衆ですから。 技術者や企業家はそころ辺が分かっていません。政治家ならは知っていることを彼らは知らない。 現在のデジタル文明の基礎(つまり半導体製造)を作り上げているのは日本型の東アジア諸国です。 それを知っている米国や西欧諸国は日本や諸国を守るでしょう。もちろん中国やロシアといった専制 国家群からです。 これは明白なのである程度安心ができるわけですが、それは裏返しとして核戦争の危機をはらんで います。つまり核戦争の危険性を冒してでもデジタル文明を遂行発展していかなければならないという そういう際立った時代だということです。 私は人工知能が人類や天才を凌駕するとは思っていませんが、それにむけて邁進するこの時代の 危うさというものには大きな危惧を抱いています。 そう言えば、ソフトバンクの孫さんが言っていましたね。自分は時代をリードするアーキテクト(建築家) になりたかったんだと。孫さん、それは無理です。この時代をこの世界を作っているのはあくまでも 大衆です。その大衆は、孫さんのような天才に引っぱられて行くのではなく、占星術でいうところの 天体の動きによって引っぱられているのですからね。(^^ゞ 孫さんが頑張れば頑張るほど、時代は 裏目に出てしまうのではないですか。 投稿写真はJPEGで撮っています。水遊びが好きな犬だそうです。人が石を投げて、それを探すために ワン公がばしゃばしゃと、泳ぎも達者で投げた石を探し出し咥えて持ってきてました。
黒白写真というのは、本質的にストイックな写真行為になると考えてます。 だいたいに於いて、黒白だとレンズの違いというものが希薄になって、なにせ色情報がありません からね、それでレンズに凝るという気分からは遠くなります。多分センサーの違いとかもあまり気に ならなくなるでしょう。つまりレンズにもカメラにもあまり関心がなくなるわけです。 それで純粋に写真を撮ろうという行為自体に自分の関心が狭まってくるというか収斂してきます。 これは私が若い時に黒白写真ばかり撮っていたときの感覚そのものを、きっと思い出して書いて いるんだと思います。当時はカメラと適当なレンズが数本あればよくて、それ以上の物欲というもの はありませんでした。無論若かったから金がなかったというのもあります。 今回はJPEGで撮りました。それをいつも使っているソフトでちょっといじってます。ノーマルでは コントラストが低いですし、むだなアンシャープネスもありましたし。 カラー写真と比べれば実に地味です。しかし黒白写真というのは本来そういうものなんですね。 モノクロ写真が表現的に何とか、というはあくまでもカラー写真の土俵上から言っているのであって、 本当にモノクロ写真しか撮れないとなると、そういう贅沢な話ではなくなってくるということです。 RAW撮影だとまた違ってくると思いますが、私はこれがモノクロ写真、白黒写真のスタンダードで あるって思ってます。またフルサイズの高画素機でモノクロRAW撮影をすればさらに変わってくる と思いますね。そうする毎にだんだんと贅沢なモノクロ写真になるだろうと思いますが、それでも カラー写真とは程遠い写真であるわけですね。 撮影はほぼ光学ファインダーでの撮影です。ライブビューでも迅速に撮影はできますが、昔の撮影 方法に合わせました。バッテリーグリップも着けず、撮影スタイルも昔のフィルム時代のまんま。 撮影は楽しいですね。純粋に撮影だけを楽しめるという感じです。 カラーで高画質の写真画像を得る、それはいいんですがその分、もしかすれば撮影の楽しさを 失うかもしれないのがカラー写真なのかなって、撮影中、ふと感じました。 カラー写真、とりわけ高画素高画質カメラでRAW撮影、そして高級なレンズを着けての撮影などは、 それは写真の本当の純粋な喜びというものをスポイルしているんじゃないか。そんな気がしてきた わけです。
この写真は少しカラー化してセピア調にしてます。 今回使ったレンズは、シグマ17-50F2.8とペンタックス20-40F2.8-4の2本。いずれも小型のAPS用 レンズなので機材は軽いです。この軽さが昔のメカニカルカメラを思い出させます。 そもそも私にとってのモノクロ写真は、大昔の写真スタイルを思い出してみたい、というくらいの軽い 気持ちでやってます。このカメラがAPSで良かったねって思います。 考えてみますと、昔はこういう黒白写真ばかり撮っていて、それで十分に満足していて飽きなかった わけです。黒白写真というのは昔は暗室作業というのも楽しみであったので、やはりモノクロRAWで 撮影するのが順当なのかもしれません。JPEGは処理に限界がありますし、いじると確実に画質は 劣化していきます。次回はやはりRAWで撮影をしますか。 もうひとつ考えているのは、カラー用カメラをモノクロRAWモードで撮影するやり方。普通モノクロ撮影 と言えばこれを指します。RAWなのでカラーにも戻せますがあくまでもモノクロとして扱うということで。 3000万画素以上のフルサイズカメラであれば、このペンタックスモノクロームを十分にかもれると 考えています。あくまでも参考カメラ、ということですが。 小型のモノクロ専用機というのは、ペンタックスは良い発想をしたのだと思ってます。K3M3はかなり 小さくて、フォーサーズカメラとさほど違いません。今回の撮影では小ぶりなカメラというのが何よりも 軽快で楽しめました。 考えてみるとデジイチのフルサイズなんて、昔の中判カメラ並みの大きさと重さですからね。
ペンタックスの歴史・リコーイメージング https://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/pentax/pentaxhistory/course/ この最後のほうで、(さらに追加して) 2003年・・PENTAX *ist D発売 2006年・・PENTAX K100D・PENTAX K10D発売 2008年・・PENTAX K-m発売 2009年・・PENTAX K-7・PENTAX K-x発売 2010年・・PENTAX 645D発売 2011年・・PENTAX Q発売 2012年・・PENTAX Kー01発売 2013年・・社名を「リコーイメージング株式会社」 に変更 2013年・・PENTAX K-3を発売 2014年・・PENTAX 645Z発売 2016年・・PENTAX K-1発売 2017年・・PENTAX KP発売 2021年・・PENTAX K-3 Mark III発売 ・・・となっています。ネットでペンタックスのワードで検索しますと、良いも悪いも毀誉褒貶の多い 見方が出てきます。私の場合では2012年までのモデルは大体は所持しています。しかしその 強度の漏洩電磁波の問題があったのでコレクションだけで使わないカメラになっていました。 シャッターは電磁波だけでなくギッチョン音でしたしガサツなイメージがしてありました。カメラとして 最低限の評価しか下せないカメラメーカーだったんですね。 ところが今回のK3マーク3でその見方は180度ひっくり返りました。 実は645Dはわりと低電磁波でした。しかしこれはボディが大きいので例外としていました。 それで小型カメラでハッキリと低電磁波が確認されたのはK3マーク3が始めてです。そうなると スタイルのよく似たKPとかK1マーク2が気になるというものです。もしかすればこれらも低電磁波 の可能性がありますね。 このフォトXP掲示板で昔と変わらずに盛んな投稿が続いている板はMN研板ですね。そのメンバー の多くがペンタックスユーザーとなっているのが特徴です。使われているカメラはK3マーク3、KP、 K-1マーク2です。もしすればダメチョンだったメーカーがいつの間にやら優れたメーカーに変わって いたのかもしれません。そこらへんは実際にカメラを手に入れて計測器で測ってみるしか確認の 方法がありませんけど。 しかしながら、この書き方は誤解を受けそうです。デジイチの電磁波対策はどのメーカーもモデル によってバラつきがあって、対策ができているとかできていないというのは気まぐれだということです。 リコーもK3マーク3は強固に対策ができていても、次のモデルではそうではない可能性は十分に あるということです。 私はたまたま、K3マーク3という優れたカメラに出会っただけなのかもしれません。そう簡単にメーカー に信頼を寄せるというのは間違うのだということも忘れてはなりません。 K3マーク3で超音波モーター等のレンズ内モーターではなくカプラー方式のレンズを使う場合には、 電磁波問題からはMFで使うのがベターなのですが、これは結構使いやすくできています。 光学式ファインダーを利用する場合は、フォーカスエイドが働きます。電子音も出ますし。ライブ ビュー電子シャッター方式では、メインボタンを押せば拡大表示でき、そのままレリーズを押せば 拡大表示は普通表示になりそのままレリーズできます。キヤノンや二コンのように左側に拡大 ボタンがあるというのとは違います。しかし拡大ボタンはカメラ上部にして欲しかったですね。 カメラやレンズの良し悪しというのはやっぱり自分で手に入れてみないと分かりません。特に電磁波 対策が真面目にできているとかは、表に出ない情報なのでネットでも調べようがありません。 K3マーク3は偶然にというかまぐれで当たリにであっただけ、だとも言えるんですね。電磁波対策を するのかどうかはコストに関わってきます。またスペース的に技術としてできない場合もあります。 メーカーもそこら辺は苦しい事情があるはずです。 しかしながら、リコーはデジイチで行くと、ミラーレスは行かないよっていうイメージが出来つつある メーカーなので、やはり電磁波対策はこれからもきちんとやって欲しいものです。 そして予想を超えて良かったのはライブビューでの電子シャッターを、ミラーレスカメラでもないのに 搭載してくれたこと。これは凄く嬉しいです。別名サイレントシャッターともいう電子シャッターモードは 今のカメラには必須であるとさえ言えます。 K3マーク3はまだ実際には撮影をしていないのですが十分に手応えを感じています。ペンタックス 以外のブランドやメーカーがごそってミラーレス方式に行く中、ペンタックスだけは光学ファインダー を失うことなく現代化をしているということで高く評価をしたいと思ってます。 考えてみますと、デジイチのメーカーがミラーレスに行く場合、そこには膨大な投資が必要となるわけ です。ボディだけでなくレンズ群も変えなくてはなりません。それと同時にユーザー側も大きな負担を 強いられるんですね。メーカーもユーザーも損を被る。そんなの、もうエイディジーズの考え方に反して いるじゃないですか。それよりも枯れた技術をさらに磨きを掛けてみんなが得をするようにするのが 今風ではないでしょうかね。 よくピンチはチャンスとも言います。リコーは弱小カメラメーカーなので、もはや一からミラーレスシステム を構築する資力がなかったとも言えて、それならば逆点の発想で、ユーザーの皆がみなミラーレスに 賛同しているわけではないのたがらと、光学一眼レフの存続に全力を注いでいるとも言えそうです。
ペンタックスK3マーク3をはじめて触ってみました。モノクロームのタイプです。 ペンタックスはK5ⅡSまでしか使ったことがなかったわけですが、実はK7から始る角ばったデザイン のシリーズは、K5、K3と来て、直前モデルのK3マーク2までは同一ボディのカメラですね。バッテリー グリップも共用ですし。 ところがK3マーク3となってから、完全にそれまでとは別のモデルになって、全く違う別のボディとなっ ています。これがややこしくてK3マーク3は誤解を受けそうなネーミングになっています。 圧倒的に違ったのはシャッターです。K3マーク3は電子シャッター装備をしていてライブビュー撮影時 にはサイレント撮影となります。ミラーレスカメラと同じですね。または二コン850とも同じです。 そして光学ファインダー撮影ではメカニカルシャッター撮影となるわけですが、その漏洩電磁波の数値 は驚きのもので、多分私の記憶では過去最低限の低い数値がでました。 ということは光学ファインダー撮影、ライブビュー撮影のその両方に於いて、漏洩電磁波対策は万全 だったということです。 上記のK5ⅡSまでは、ペンタックスのカメラは電磁波出まくりの、ほぼ無対策というデタラメなメーカー であったわけですけど、今回のK3マーク3は全く違ってきたということですね。 現在、リコーは光学一眼レフで行くというそういうスタンスでやっているそうですが、そうであるならば 絶対に光学一眼の根源的な問題である電磁波対策ができていなければならずなのでであって、それ には見事に合格をしたということになるわけです。もしこれが過去のペンタックスと同じく酷いシャッター であったならば、30万を出して購入した意味が無くなっていたというところでした。 K3マーク3が優れた画像をたたき出す、ということはこの掲示板のユーザーの投稿写真から既に把握 したいたわけですが、電磁波の問題だけは分かりませんでしたからね。とにかくその博打には勝ちまし た。二コンやキヤノンとは違う独特のシャッター音ですがまあ、いいんではないでしょうか。 二コンキヤノンではシャッター音でシャッタースピードを感じ取れるわけですけどK3マーク3はそうでは ありません。しかし必要にして十分な性能をもっています。 連写が続くと発熱がしたりとか細かいところはありそうです。例えばカプラー方式のAFレンズだとボディ 内モーターを使うわけですが、その電磁波は高い数値です。しかし超音波モーターなどのレンズ内モー ター式レンズだと問題ではありません。古いカプラー方式のレンズを使う場合はMFでいくとか、ライブ ビューでやるかですね。 それと付属の無料RAWソフトはシルキーピックスなのがいただけません。使いにくくて使う気が起きない というか。 しかしこんな細かなことは大したことではないので、まずは優れたカメラに仕上がったK3マーク3に素直 に賛美を送りたいと思います。ペンタックスが電磁波対策なども含めて品質が向上したのは、やはり、 リコー傘下になってからでしょうかね。デザインもよくなっていますし。 私が手にしたモデルはモノクロ専用機なので、それで現像にもレンズにも凝るつもりはありません。 シルキーRAWソフトは使う気になれないので撮影はJPEG撮影とします。モノクロなので撮って出しの状態 ではJPEGもRAWも変わりません。画像修正をすると違ってくるでしょうけど、私はモノクロ写真に画像 処理で楽しもうなんていうことはないですからね。 私の場合のモノクロ写真は、あくまでもローコスト撮影ができるというだけの意味だと思っています。 表現としてモノクロが好きだというわけではないんですね。もし写真表現としてのモノクロを考えている のならば、フルサイズのカラー写真カメラで、カラーデータをモノクロ化して画像処理するほうが断然に 綺麗になると思いますよ。 現在、私が所持しているマトモに使えるレンズは2~3本だけです。古いレンズはAFでは使えないようだし MFで使うなんてのも面倒です。しかし2~3本あれば記録撮影には十分ですね。 大してモノクロに愛着があるわけではないし、それなのにモノクロ機を買ってしまったといういい加減な ところなんですが、ただ、モノクロ撮影=ローコスト写真であるという視点からちょっと気になるところが あるので使ってみようかなって考えてます。 ※ローコスト写真とは私の造語ですが、デジタルに於いては手間暇を掛けない写真というくらいの意味 です。画像に凝らないので多量撮影をしても苦になりません。ですから低画素数のカメラの写真もロー コスト写真となります。