キヤノン EOS-1Ds Mark II 作例

一眼レフ

キヤノンEFマウント・35mmフルサイズ・1,670万画素

2004年11月27日発売

EOS-1Ds Mark IIの仕様

EOS-1Ds Mark IIは、2004年11月27日に発売された、有効約1670万画素のフルサイズ一眼レフである。画素数は撮像素子だけでなく、現像に使う当時のパソコンの能力も考慮して決められ、初期の画作りも後処理のための素材性を重視した。高速なEOS-1D Mark IIと並ぶ最上位機として、スタジオや商品撮影から現像・転送まで、業務の流れを含めて高解像度画像を扱う製品だった。

シリーズ
EOS-1Ds
位置付け
フルサイズ高画素の業務用最上位一眼レフ
先代
EOS-1Ds
ライバル
D2X

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投稿写真 475枚

東名事故

東名事故

「東名事故 なぜ医師の乗用車は中央分離帯を越えたのか」 https://mainichi.jp/articles/20170613/k00/00m/040/096000c 状況図を見ると、乗用車は合流域(左側の白線がない部分)を過ぎた直後に左ガードレールに ぶつかっているようです。この衝撃の反動で中央分離帯のガードレールに突進したようです。 時速100キロ時の衝撃というのはその反動も凄いということでしょう。 ドライバーはセンターラインを見ずに左白線ラインだけを見て走行していたのでしょうか。 そうなってくると合流点では左白線ラインを見失ってしまい、気がつけばガードレールが目前に。 という事態になったのかもしれませんね。 参考映像・・・【衝撃】夜の新東名で起きた事故の一部始終を収めた映像がヤバすぎ! https://www.youtube.com/watch?v=O5UEf40q_ts この映像は、左車線を巡航していたスイフトが、追い越しをかけた後ろのオデッセイにぶつけ られて、(オデッセイはそのまま逃走しています)、その衝撃でスイフトは左ガードレールにぶつかり、 さらにその衝突の反動で、最後は中央分離帯のガードレールにぶつかったという映像です。 とにかく高速度でガードレールに斜めからぶつかると、その反動も物理法則にしたがって、強烈 であるということでしょうね。 上の医師ドライバーの事故は、ガードレールにぶつかった後のブレーキ痕跡がないということで、 そのままの物理的運動量で中央分離帯に向かっていったということのようです。もしドライバーが ブレーキを踏んでいれば中央分離帯のガードレールを飛び越えるという最悪の事態にはならな かったかも知れません。 新聞なんかでは、ドライバーが左ガードレールにぶつかってから、故意的に右に急ハンドルを切った という記事があったりもしますが、それは大きな間違いですね。 高エネルギーの物理運動法則は、ドライバーがハンドルをどのように切ろうとも関係なく、ガードレール にぶつかった入射角と同じ角度で反対側に飛び出します。それは玉突台のボールと同じような 事になるはずです。 それで最初のガードレール衝突後にドライバーができる唯一の手段は、ただブレーキを強烈に踏む ということだけでしょう。車にABSシステムがついていればややましという程度ですが、とにかく おもいっきり、タイヤロックさせてもいいから車のスピード(物理運動量)を少しでも落とすという以外に 方法はないと思います。 今回の事故でドライバーは巡行80キロ時で走っていという記事もあるのですが、これも間違いです。 80キロは2回目の中央分離帯飛び出し時の速度です。おそらく最初の衝突時は100キロ時だった ろうと思います。それが1回めの衝突で80キロに落ちたと考えるべきですね。 今回の事故はぶつかられたバスのドライブレコーダーの映像が話題になって、対向車線から飛んで くる映像ばかりに気を捉えがちですが、本当に大切なのは最初のガードレールの衝突時の分析です。 合流点では左側の白線は消失する。これをうっかり見落としてしまったのが事故の最初の原因です。 次の失敗は最初のガードレール衝突時(衝突後も)にブレーキを踏まなかったこと。 この2つですね。空を飛んでしまったのは不運としか言いようがありません。 時速100キロ時走行でフルブレーキを踏んだ経験のある方はあまりおられないでしょう。 私もないです。まあ80キロ時以下では何度かありますけれど。 ハンドルさえまっすぐにしていれば案外に車はまっすぐに停止するんですが、場合によってはハンドル も同時に切って車を回頭させ衝突を回避する方法もあります。 とにかく普通のドライバーは高速時走行では、ブレーキもハンドルも怖くて操作できないというのが 実態ではないでしょうかね。とにかく怖くなったらブレーキを踏む。それもおもいっきり。普通はそれで なんとかなるでしょう。一番いけないのが思考停止状態でいることです。 もっと行けないのがあって、ブレーキのつもりが間違ってアクセルを思いっきり踏んでしまうことです。 ところでブレーキとアクセルを踏み間違う人はシートを後ろ寄りにしている人が多いんじゃないかなって 感じてます。MT車ではクラッチがあるので、そのクラッチを全押しできる状態がベストなシート位置なの ですが(全押しできないとエンジンが掛からない)、AT車はその感覚がなかなか掴めませんね。 とにかくシート位置や背もたれ角度など、ドライビングにとって正しい姿勢をとることが一番に大切な ことです。シート位置が後ろ寄りだと、ブレーキとアクセルの関係が曖昧になるからです。 それからやはり、高速走行はスピードを控えめにして走るというのが安全走行の第一です。 そして全車との車間距離です。(これができていない人が多いです) それから車というのは重量機になります。1トンの物体が100キロ時で走行するからです。この重量機 を扱うのに不向きというか訓練ができていない人が案外にいます。 工場でも重量機械を運転する人は冷静で沈着な人が望まれます。というか、そういう人以外は運転 できません。何千万何億円とする機械を壊されるだけでなく事故でも起こせば死人もでるからですね。 車に乗れば性格が変わって乱暴になるという人はそもそも車の運転に向かない人です。しかしそう いう人でも訓練によって沈着さを身につけることができます。日頃はおっちょこちょいだけど車に 乗れば鷹揚として正確に運転できる人。こういう人も結構いますから。 写真は新潟県、親不知海岸です。 「親不知(おやしらず)完全走破 国道8号線 」 https://www.youtube.com/watch?v=MpiyP4bcMMw&t=28s 大型トラックのドライブレコーダーですね。カメラの取り付け位置が高いので、洞門の天井に擦りそう な雰囲気です。(^^ゞ 乗用車のドラレコの映像は多いのですが、トラックのはあまりないので貴重 です。

琵琶湖

琵琶湖

今回の東北行、最後の寄港地だった琵琶湖です。その前で、愛馬にご苦労さんと言いつつ、また 人馬一体ということでのポートレート撮影です。 もう15年以上前の車であり既に15万キロを走破しています。 当初、ホントにこの古い車で片道1千キロを一気に走れるのだろうか?と不安でしたがそれは杞憂と いうものだったようで、全くノントラブルで走りぬくことができました。この後に車検を受けたのですが 交換したのはブレーキパット類だけでした。 日頃のメンテナンスが良いのだ、ということでしょうか。そうだったら嬉しいですね。(^^ゞ 車というのはカメラと違って自分の命を預けているわけで、メンテナンスは疎かにできません。 いい加減な扱いをするとしっぺ返しは自分に降りかかってきます。 この車で遠出をしたのは、最初に九州、ついで北陸、そして今回の東北が3度めです。九州の時は ノーマル仕様で行きました。タイヤも小さくてホイールもスチール。カーナビもETCもありませんでした。 それが今ではタイヤも大きくしていますし、カーナビもあります。特にタイヤを1インチ大きくした効果は 大きくて、乗り心地も良くなり走行による疲れというものはありません。もっとも走行は時速80キロ時 を厳守しました。空いていても混んでいても80キロ、風が吹いても夜間でも80キロキープなので、 とにかく安全性第一、余録として高燃費も出したと思っています。 放電アルミテープは、当初は直進安定性を重視しましたが、現在では全方向にしていますので、 ハンドリングもよく運転して楽しいですし、空力も良くしているつもりです。エンジンなどの機関に負担 をかけない方向に持って行ってます。 次回の遠出では車中泊をもっと快適にするために、助手席のシートを取り除きベッドをしつらえたい と考えています。ぐっすりと寝れることは大切なことだと今回は痛感しましたので。これは安全性に 直結するんですね。 ところで、80キロ時の安全第一の走りは、高速路での対面通行2車線路では特に大切です。この時 に対向車線からセンターラインをまたいで対向車が突入した場合、時速100キロ時では退避行動が まったく出来ませんから。このことが分かっていないドライバーが多くて困りますね。 4車線路以上で対向車線との間に中央分離帯なり、ガードレールがある場合は、追い越し車線路を 120キロ時で走ってもなんら問題はありません。 高速道での最高速度を100から120時に引き上げようという論議があるみたいですけど、問題なのは 対向2車線路がまだまだ多くあって、その危険な道路も自動的にハイスピードで走るドライバーが 後を絶たないだろうという懸念があることです。 対面通行2車線路での制限速度は時速70キロ時なんですね。しかしそれを律儀に守っているドライ バーはほとんどいません。そこを100キロ時で走っているんですよ。これが120キロ時で走られれば 死亡者は続出するでしょう。 自分の命すら自分で守ることが出来ないのが無知な一般人というものです。

八郎潟干拓地遠望

八郎潟干拓地遠望

何故か長い間の念願だった東北行きが叶いました。この連休、纏まって休みが取れたもので。(^^; カメラは持って行きましたが、写真撮影のために東北に足を伸ばしたのではありません。 あくまでも些細な観光というか、自分の目で見て自分の足で自らを東北の空間に留めおきた かっただけなのです。 実質6日間のドライブでしたが行きと帰りにそれぞれ1日づつ計2日は使いましたので、東北の 地に滞在出来得たのは4日間ということになります。 随分と欲張ってしまったので駆け足観光となりましたけど、北は秋田の男鹿半島・八郎潟から 鳥海山、象潟、酒田市、庄内平野、山形平野、最上川、出羽山、新潟平野、親不知、琵琶湖 北端と、気の赴くままにさ迷って参りました。 よく現地で、写真を撮るために来られたのですか?と言われるのですが、そのように言われる のは自分としては本当に心苦しくて、「いえ違います、観光に来ただけです」と即座に言い返す のが常なのですが、それは心底そう思っているわけで、私の目的は決して写真撮影ではないと いうことになります。 所謂写真撮影趣味などというものは、所詮はカメラ趣味などとちっとも変わるものではないかと 考えていて、ならばカメラ機材も、それどころか写真そのものも、単なる何かへの道具に過ぎない のだと達観する方が健全なのではないかと思うようにしています。 今回の観光で、各地でパンフレットを多量に集めることができました。ジオパーク関係のものも 多くて、これからじっくりと読んでいきたいと考えています。 ジオパークは突き詰めると自然、ネイチャーだけでなく、文化や歴史とも深く関係があり、経済や 政治、軍事とも関連付けて考えられるべきものだと思っています。 これからそのパンフレットや買い求めた冊子を読むのも楽しみです。 ところで観光、サイトシーイングとは、本来は観行というのが現実には相応しいと思うですが、 敢えてなのか、幕末明治の翻訳家は直訳的に観光という光の高貴な文字を当てはめました。 それはちょうど、フォトグラフィが光画ではなく、写真という翻訳をしたのとは真逆なのかも知れ ませんね。 旅関係では英語として、トリップ、トラベル、ジャーニィとか、いろいろとあるんですがそれぞれ 意味合いが違ってきます。私の場合はやはりサイトシーイングかなって考えます。 それで観光となるとやはりカメラを持って出かけるというのは道理に合うのかなって感じですかね。(^^; 実質6日間延べ7日間に渡る行程は殆ど睡眠もまともに取れずで肉体的には厳しかったのですが、 しかし精神的には十分に満足の行くものであり、この東北の地を見ることによって自分の中の 意識はこれから随分と変わっていくのではなかろうかと期待しています。 とは言っても気候の良い時期に、しかも日本海側の一部を垣間見たにすぎないのですが。(笑)

別子鉱山跡

別子鉱山跡

久しぶりに自分なりの写真撮影に行ってきました。 愛媛県新居浜市、別子銅山跡、東平(とうなる)というところです。別子銅山は広大な面積を 誇っており、銅山跡の遺跡は各所に散らばっています。ここ東平は比較的観光地化されていて 行きやすいところですが、それでも冬場は閉鎖されていました。 別段、自分は鉱山マニアというわけではないのですが、地中から掘り出される金属というもの には大変、興味深く思っています。この金属というものがなければ、そもそも文明は成り立ち ません。 文明=金属の歴史であって、特に産業革命以降はエネルギーも地下から掘り出されますね。 遠くに見えるのは瀬戸内海、燧灘であり、その海側に新居浜市があります。無論、この別子 銅山のよって都市化された町です。 この銅の鉱脈が海底下まで続いていて掘り出されたのですが、その銅の算出は膨大なもので あって、江戸期から昭和まで、日本の経済を支えてきました。銅は主要な輸出品だったんですね。 別子の銅に限らず、足尾の銅、石見の銀、佐渡の金、そして古くは奥州の金と、日本は貴金属 を産出して、それを輸出品として、中国や南蛮から文明文化物を仕入れていたんですね。 今でこそ、日本は高度な工業製品を輸出して外貨を稼いでいますが、そういうのはごく最近の ことであって、歴史的には日本の輸出品は金属と海産物(俵物)でした。 もしこれから日本も海洋開発ができるようになり、深海からレアアースやメタンハイドレートを産出 できればそれらも輸出品になるでしょう。 なんかそちらの方が、本来の日本のスタイルという気がしないでもありませんね。 とにかく、江戸の昔から別子の歴史は始まり、それが住友財閥というものまで作り上げ、世界に 銅を輸出して日本近代産業の基礎を作ったということは間違いがありません。 文明の基礎たる金属やエネルギーというのは、人里離れた深山とか砂漠とか海とかになるの ですが、そこから、文明にはなくてはならない金属やエネルギーを生み出されるということ。 ここで働いていた鉱夫達の食料や日用品などは全て、麓の平野部から持って来ていたわけですね。 鉱夫はただひたすら鉱石を掘りその鉱石を精錬し銅の地金としていたのです。農繁期に農民が 片手間に鉱夫をやっていたわけではありません。 そういう専業の専門家というか職業群がいて、それを纏め上げ経営する資本家もできていたわけ です。最終的には国家としての藩営とか幕府直轄とか、そういうレベルの話でしたね。 今でも石油・ガスや有望な鉱山などは、政府の国営とか、巨大資本とかが牛耳っていますから。 想像がつきにくいでしょうが、この遺跡の周囲は、操業していた当時は樹木などはなくて所狭しと 丸裸な急斜面に住宅などが立ち並んでいたんです。それらは今、全て植林された木々の中に埋も れています。この全山全てが鉱山跡の遺跡群である、と言っても過言ではありません。

Camera Profile

EOS-1Ds Mark IIについて

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

2004年9月22日に発表され、当初は11月下旬発売予定と案内された。11月10日に発売日が27日と確定し、店頭予想価格は約90万円とされた。同年4月のEOS-1D Mark II、秋のEOS 20Dに続き、キヤノンがデジタル一眼レフの主要ラインを一新した年の投入である。1プレス デジカメWatchキヤノン、35mmフルサイズ一眼レフ「EOS-1Ds Mark II」を27日に発売2インタビュー デジカメWatchキヤノン、デジタル一眼レフ開発の最前線

ラインナップ上の位置付け

メーカーは、ポートレート、スタジオ、商品、風景を担う最高画質のEOS-1Ds Mark IIと、約8.5コマ/秒でスポーツ・報道を担うEOS-1D Mark IIを、用途で選ぶ並立の最上位機とした。1Ds Mark IIは1D Mark IIを基盤として開発し、機能と操作を共有する方針だった。3公式 キヤノン1670万画素・35mmフルサイズCMOS搭載 EOS-1Ds Mark II

36×24mm、有効約1670万画素の自社製CMOSを搭載し、EFレンズを35mm判フィルムと同じ画角で使える。EF-Sレンズは対象外である。45点エリアAF、21分割評価測光、視野率約100%のペンタプリズムファインダーも備え、既存のEOSシステムでフルサイズの画角を使う構成だった。3公式 キヤノン1670万画素・35mmフルサイズCMOS搭載 EOS-1Ds Mark II4公式 キヤノンデジタルカメラEOS-1Ds Mark II機種仕様

外装はマグネシウム合金で防塵防滴に対応し、最高1/8000秒のシャッターにはメーカーが20万回の耐久性を公表した。本体は156×157.6×79.9mm、電池なし1215gで、電池はニッケル水素のNP-E3を使う。5公式 キヤノンカメラミュージアムEOS-1Ds Mark II6プレス PC Watchキヤノン、1,670万画素フル35mmデジタル一眼レフ「EOS-1Ds Mark II」

先代からの進化

初代EOS-1Dsの有効1110万画素から1670万画素へ増え、最大4992×3328ピクセルを記録する。新センサーの8チャンネル並列読み出しとDIGIC IIによって、この高画素データを扱う設計となった。3公式 キヤノン1670万画素・35mmフルサイズCMOS搭載 EOS-1Ds Mark II7プレス ASCII.jpEOS-1Ds MarkII発表、ワイヤレスファイルトランスミッターも登場

連写は先代の約3.3コマ/秒から約4コマ/秒へ上がった。JPEGの連続撮影枚数は10枚から32枚、RAWは10枚から11枚である。画素数の増加に加えて連写と記録も更新したが、JPEGとRAWでは持続枚数の増え方が異なっている。8レビュー DPReviewCanon EOS-1Ds Mark II Review

起動は約1秒から約0.3秒へ短縮され、発表時にはカード書き込み速度も先代の約二倍と説明された。通常感度はISO100~1250からISO100~1600へ広がり、拡張ではISO50と3200を選べる。撮影の応答とデータ処理の待ち時間にも改良が及んだ。7プレス ASCII.jpEOS-1Ds MarkII発表、ワイヤレスファイルトランスミッターも登場

液晶は2型のまま約12万から23万画素へ増え、再生拡大は最大3倍から10倍となった。ストロボ調光はE-TTLからE-TTL IIへ変わっている。高解像度画像を撮るだけでなく、撮影後に画面で細部を確認する操作も更新した。8レビュー DPReviewCanon EOS-1Ds Mark II Review

記録にはCFに加えてSDスロットを設け、公式仕様では同じ画像を二枚のカードへ残すバックアップ記録に対応する。JPEGは四種類の記録サイズを選べ、現像パラメーターを三種類、カラーマトリックスを二種類、任意に登録できる。画像の保存と仕上げを、仕事の条件へ合わせる選択肢を持たせていた。4公式 キヤノンデジタルカメラEOS-1Ds Mark II機種仕様

ライバル機種との比較

発表時の比較軸には、有効1240万画素のニコンD2Xがあった。開発責任者へのインタビューでは、D2Xの中央部を切り出す高速連写について問われ、大原副所長は1Ds Mark IIを35mm判フルサイズ用として開発し、高速連写用とは別の製品として作ったと説明した。画素数と速度を一台へ集約するより、用途を分けたラインナップを採る考え方である。8レビュー DPReviewCanon EOS-1Ds Mark II Review2インタビュー デジカメWatchキヤノン、デジタル一眼レフ開発の最前線

開発の背景

なぜ1670万画素なのかについて、村野所長は、当時目指す性能を得られるセンサーと、現像処理に使うPCの能力などを合わせて決めたと説明した。EOS 20Dの画素密度をそのままフルサイズへ広げるという選び方ではない。カメラが記録できる情報量と、その後に仕事として処理できる情報量の両方を考慮した判断だった。2インタビュー デジカメWatchキヤノン、デジタル一眼レフ開発の最前線

初期の画作りも、その後処理を前提とする。発表会報道は、標準設定でシャープネスやエッジ強調をかけず、コントラストも控えめとし、素材性を重視したと説明する。撮ってすぐの強い見栄えより、後で画像を調整する余地を残す方向である。7プレス ASCII.jpEOS-1Ds MarkII発表、ワイヤレスファイルトランスミッターも登場

業務用の大きなボディについても、開発側は一方的に肯定したわけではない。大原は重さを問題として認識しつつ、大きさには保持のしやすさとの兼ね合いがあると述べた。高画素と処理だけでなく、撮影時に支える機材としての形にも課題を認めていた。2インタビュー デジカメWatchキヤノン、デジタル一眼レフ開発の最前線

同時発表の別売WFT-E1は、有線・無線LANでサーバーへ画像を送り、撮影から納品へつなぐ仕組みを提案した。カメラのIEEE1394へ接続し、独立した電源を持つ。ただし当初の11月下旬同時発売予定から、11月10日の報道では2005年1月へ延期見込みとされた。本体の11月27日発売と、転送機器の予定は分かれている。6プレス PC Watchキヤノン、1,670万画素フル35mmデジタル一眼レフ「EOS-1Ds Mark II」1プレス デジカメWatchキヤノン、35mmフルサイズ一眼レフ「EOS-1Ds Mark II」を27日に発売

利用者の評判

2026年10月1日の価格.comボディ集計は57件、満足度4.80だった。画質4.74、ホールド感4.81に対し、操作性3.88、携帯性3.06、液晶3.31である。発売当時だけの評価ではないが、高い画質と保持への評価に対し、持ち歩きや操作、画面の項目は低く、同じ利用者集計の中でも評価が分かれている。9掲示板 価格.comEOS-1Ds Mark II ボディ レビュー評価・評判

評判の出典

2件

内容の確認日: 2026年10月1日

EOS-1Ds Mark IIで撮った写真の話題

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