レンズテスト
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写真は高松市歴史資料館にあった千石船の小型の模型です。 しかし世の中には実物大の、しかも実際に航行できる千石船があるんです。 「北前船(千石船)復元」 復元北前型弁才船「みちのく丸」 http://www.town.noheji.aomori.jp/category/864/864.html?section=33 全長32メートル・全幅8.5メートル・深さ3メートル・高さ28メートル・重さ100トン・積載量150トン(千石積) https://blogs.yahoo.co.jp/kinos5000/56053967.html (青森港に隣接する「みちのく北方漁船博物館」が凄いそうです) 「みちのく丸」動画 https://www.youtube.com/watch?v=jtnoQ_-kVHE https://www.youtube.com/watch?v=1DaGTFa13zk https://www.youtube.com/watch?v=Wv5Dr2wh-T4 船体寸法を比較してみますと、この「みちのく丸」と、高松藩の御座船とはあまり違わないようですが、 御座船はデコレーション部が付いていて本体は細い船体です。かたや「みちのく丸」は実質船体が 太く大きいのです。それで500石と1000石の積載量の違いが出ていますね。 なおこの写真の弁財船の模型は800石です。
香川の石の歴史ということではやはり城郭の石垣は欠かせません。 先日の台風24号の雨が原因で石垣の一部が崩落したようです。 この写真はその崩落が少しだった時の、看板の写真の撮影です。
これが現在の崩落の写真。一段めの石垣はさらに崩れ、さらに二段目の石垣までも崩落して しまいました。大変なことになりましたね。(^^ゞ
積石塚古墳のある山から見た高松港と市街地。向こうの平らな山が屋島。さらにその向こうの 大きな島が小豆島です。 地方都市の典型の高松市ですが、街というのは大きくてもこれくらいに留めるのが良いような 気がします。下方は市営墓地。
石清尾山古墳群のひとつ石舟積石塚です。長く狭い幅の尾根伝いにあり、全貌を写真で捉える ことはドローンでも飛ばさない限り不可能です。(松の木に登るという手もあるぞ。笑) 最初の撮影では24ミリ広角だったのでお話にならず。二度目は12ミリ~20ミリを持参しましたが、 それでもこの程度のにしかなりませんでした。 前方後円墳ですが、この石棺があるのが後円部ですね。写真の向こう側が四角い前方となります。 もともとは3段くらいに階段上に綺麗に並べられていた石積みですが、今ではこのように崩れて しまっています。しかし膨大な量の石があるんですね。 こういう石積み古墳が、ごろごろと幾つも、この山(香川独特の天辺が平らなメサ地形の山)には あるんです。 この石は山に転がっていた小石を集めたのではなくて、山頂部にある大きな岩を砕いて積石と したようです。讃岐生安山岩です。かなり硬いのですが、摂理を利用すれば上手く割れるみたい です。 無論豊富な鉄器がなければ出来ないわけで、当時の香川は早く開かれていたということですね。 1500万年前に日本海ができ、日本列島が大陸から分離した後の、1400万年前から1300万年ころ にかけて、瀬戸内地方は火山噴火が活発だったそうです。(フィリッピン海ブレートの誕生) その時出来たのがこの火山岩の安山岩です。 香川の山の頂上部はこの安山岩が覆いかぶさっていて、その下側の母岩は深成岩の花崗岩です。 花崗岩は良質だとお金になりますが、安山岩だとコンクリートやアスファルトの砂利にしかなりま せん。しかし昔はこの石を古墳に使っていたのかと、ちょっとばかり感心しましたね。(^^ゞ 香川にも豊富な石の歴史があるようなので、これからしばらくは石材の歴史を探して写真にしたい と考えています。ちなみに写真の石棺は、この山の石で作られたのではなく別の山で採れた石を 加工して運び込んだみたいです。標高は200メトール以上はある山なんですが。 石棺は手前側が本体で向こう側が蓋のようです。
高松市歴史資料館での撮影です。我が高松藩の御座船です。(^^ゞ 少しパンフレットから抜きだしますと・・ 近世の大名は各種の船を持っていました。中でも主力を関船と言い、最も大型のものを 大名の専用船として御座船(御召関船)といいました。 関船はもともと秀吉が朝鮮へ出兵した時に軍船として造られたものです。江戸時代になり 参勤交代が制度化されると、西国大名の関船は飾りのある屋形を載せた豪華船へと変身 しました。 高松藩主の御座船「飛龍丸」は初代松平頼重が1669年に造ったものです。52挺立(2人掛) 全長31.8メートル、全幅9.4メートル、全高24.5メートル、帆は18反、積載量は制限500石 ぎりぎりの497石あり船体は白木づくりでした。(幕府は諸大名に500石以上の軍船を持つ ことも建造することも禁止した) この飛竜丸は、初代の寛文年間、2代目は宝暦年間、3代目は寛政年間と続きます。写真 の模型は最も豪華だった宝暦の御座船です。数ある御座船の中でも最高に豪華な船だった そうです。 むろん参勤交代でも使用され、高松から大阪までの航路でした。当時ですから小さな港伝いに 行っていたわけですね。なぜこれで江戸まで行かんのだ?という疑問もでますが、当時は その航路で参勤交代をするのは禁止されていたのでしょうし、またあまりに豪華すぎて 外洋を走るのには向かない船だったんでしょうね。 こういう船が造れるというのが香川(高松藩)の自慢だったんでしょうし、事実、造船技術も 用船能力も一流でした。その伝統は今でも続いていて香川県は造船王国でもあるんです。 しかこの模型にどれほどのお金がかかっているんでしょうね。(笑) しかしそれだけの 値打ちのある展示品でした。 船好きの頼重公の道楽と言ってしまえばそれまでですが、こういう高級船を造り維持して いったことが現在の造船大国に繋がっているとも言えるわけですね。
●東北の、例えば蔵王などは雲海の見える高所にまで容易に車で登ることができます。 考えてみますと、そういうなだらかで、しかも高山であるっていう山は、これが日本の山の標準だとは 言えないところがありそうです。もちろん四国でも、剣山とか瓶ヶ森とかのラインはこんな感じなんで すが、そこにたどり着くのは大変でありしかもそんなにはないんですね。 ところで、最近はちょっと日本の山の山容とでも言いますか、山の形態などが、何かしら人間に与える 影響について考えるところがあるんです。 例えば四国でも、瀬戸内側の、中央構造線以北の山は、香川が典型的なのですが山は低くて傾斜 も緩くてなだらかな山の形をしているんです。中国地方もだいたいそうです。 同じ四国でも南側は峻険です。高知も徳島も、そして和歌山も、山が若くて切り立っていますね。 そして複雑な褶曲山脈地帯であるわけですが、その山の中に入りますと視界が悪くて息苦しい感じが 常につきまといます。 谷にいると空が狭くてね。日はすぐに暮れるしで。もちろん尾根に登ると見晴らしは良いわけですけど 今度は向かい側に見える集落に行こうと思えば、また谷を下って登ってと大変なんです。もちろん道は 舗装はされていますけど狭くてくねくねと曲がりしかも急斜面ですし。 こういう視界の悪さ、そして移動には大変不便というのが褶曲山脈地帯の大きな特徴です。 四国にいると、一方ではなだらかな瀬戸内の見晴しのよい平野の地域と、それから峻険な山脈地帯と その2つがあるのだということがよく分かるのです。 瀬戸内側でも凄いところがあって、愛媛の四国中央市ですが南側は衝立のような1千メートル以上の 連山(中央構造線)があって北側は瀬戸内です。平野部は僅かであってその東西に細長いところに みんな住んでいるんですね。南側の高い連山の圧迫感は相当なもので、しかも北側は海なので移動 にも制限があるんです。(そう言えば神戸もそうですね。六甲山は1千メートルですし) ●話は変わりますが、香川には東北ファンの人が多いんです。東北を旅行したりとかする人が多いん ですよ。リピーターになりますし。 どうしてかなって不思議に思っていたんですが、自分でも東北の地を見てよく分かったことがあります。 それは広さと高さの規模こそ大きく違えても、平野と山の形がよく似ているんです。 山はなだらかで傾斜がゆるいということ。平野部も大きいし。そして山が峻険な連山になっていない ということです。(そういうのは九州も北海道もそうですね) しかしながら日本の中には複雑な褶曲山脈地帯というのがあります。なんといっても本州の中部の 山岳地帯。そしてフォッサマグナ地帯です。さっき言った南四国から紀伊半島にかけてもそうです。 こういうところは、そういうところに住んでいない人間からすれば驚きの山岳地帯なんですよ。 講談社ブルーバックス『フォッサマグナ』藤岡換太郎著というのがあります。 内容はかなり難しい本ですが良く売れているそうです。この藤岡氏は他にも海や山や川の地学の本 を多数だしています。 この本の中で、明治の始め、ドイツ人ナウマンが始めて日本のフォッサマグナ地帯を見て驚愕した そうです。平らな地帯からいきなり数千メートルの衝立のような連山を見たからですね。こういうのは 世界のどこにもない、驚きだというわけです。 確かにこの掲示板でも、そういうアルプスの駿立した光景を見せてくれる人がいて私などはいつも圧倒 されています。 「空から見た日本」 https://www.youtube.com/watch?v=dxuE5JqTO-I&t=151s ●とにかく同じ山と名が付いていても、山には様々な形態があるということです。 そしてね、私は考えるのですが、人間には『視界』と『移動性』というものが人間形成に於いて重要な 役割を果たしているのではないかと思うのです。(視界は視力と言ってもいいですかね) 東北でもこちら香川でもそうですが、山はなだらかですし平野部もあるということで、非常に視界も 移動性も良いんです。すこし高いところに登れば数十キロ先まで見渡せます。そして移動を妨げる 駿立した山々がありませんので移動も楽なんです。 ちなみに人間は、例えば完全な平らな平野にいるとしますと、その視界は僅か数キロに過ぎません。 それで少し高いところに登ればぐっと視界は開けます。これは水平線と同じで地球が丸いから起こる 現象です。 それで山のない大陸の大平原に住んでいる人々は、ある日突然に騎馬の盗賊に襲われる危険性が あるんですね。平らな平原は視界性が乏しい、かつ移動性は最大なのて襲撃を受けやすいんです。 平原ですから隠れる場所もありません。日本ではこういうのはないですが中国にはよくあります。 そんな感じて人間には『視界』と『移動性』というものは大変大事なことで、これが乏しいと物事をあまり よく見ることができなくなるし、移動の自由をあまり感じられなくなるというところがありますね。 ところで写真には写実と抽象(芸術とかアート)の2つがあるように思えます。そういう具合に大別すれ ばということです。 この写実派と抽象派ですが、『視界』と『移動性』と深く関係しているのじゃないかなって思うんですね。 視界・移動性の優れた能力を持っている人は写実派の写真を撮るというような。反対に視界移動性 の能力が乏しい人は抽象派に走るというような気がします。 (同じ人物の画家でも若い時は写実画であり、歳を取ると抽象になるのは眼も体力も衰えるからです。 そういう抽象画が幼児の絵に似てくるのは、幼児も眼も体力もないからですね。) よく物事が見える人はわざわざ写真を抽象化する必用はないと考えるのですし、よく見えない人は 抽象こそが写真だろうと思うのでしょう。 まあこの2つがあってこそ、写真の文化というものは豊かになるんですしね。そのどちらが優れている とかそういうことを言っているのではありません。 ●さらに話は大きく変わります。 これは写真の話ではなく、掲示板の話なんですが、よく平気で虚妄のコメントをなされる方が稀に います。これはどうしてそんなことをするのか以前から不思議でしようがなかったのですが、(それを その人の生まれつきの人間性に求めるのは容易です)、それはどうも、『視界』と『移動性』と深く関係 しているのではないかと思えてきたのです。 つまり視界も移動性も悪いところで住んでいたり人間形成の時期を過ごしてきた人は、そういう嘘を ついても相手にバレないだろうという自信があるみたいです。自分自身の視界移動性と悪さと同じ レベルで相手もそうだろうって考えるみたいですね。 しかし視界移動性の優れたところに住んでいる人間にとってはその程度の虚言は丸見えなんです。 平気で嘘を付く人は大都会の人に多いようです。しかしながら都会に住んでいても皆が嘘をつくという のは無論当たりません。そうは言いながらも、他人がついた嘘を見破れないというのは都会人には ありそうな気がします。また気付いていても気が付かないフリをする。真実を黙殺するんですね。 ここでの問題は作り話の蒙昧が悪いと言っているのではなくて、そういう虚言を見抜けない、もしくは 許してしまうという人達がいるということが大変興味深い現象だと私は言っているんですね。 ではなぜそういう嘘が見えない、見ないふりをする人達がいるのだろう?というのは、これもまた 『視界』と『移動性』に関わる問題なんではないでしょうか。 この視界移動性は、冒頭に述べたような自然の山のことばかりでそうなるとは限りません。現代に おいては大都会の巨大な人工物が『視界』と『移動性』を大いに妨げていると思うからです。 現代の大都会は特に東京は3次元的な様相を見せています。ビルは山であり巨大な岩であり大木の 森林です。そういう場所で幼年期の人間性を形成していきますと、本質的に、『視界』と『移動性』の 乏しい人間性能になってしまうのではありますまいか。 この嘘をつく人を容易に見破ってしまうのが地方の人間です。とりわけ地方でも地形的に『視界』と 『移動性』の良いところでいる人達です。 そしてこの、『視界』と『移動性』の問題は、それが良い場合は写実派の写真になり、よくなければ 抽象派の写真になるということでもあります。 写実的写真とは、撮影にあまりテクニックを弄せずに素直にやっていこう、ということですね。絵画と 違い写真はそのままで写実ですから。他方の抽象派は、ハイアマチュアに多いのですが凝った撮影 テクニック(構図やフレーミングなど)を多用します。 それで中部山岳やフォッサマグナ地帯の写真家は、非常に凝った写真を見せてくれるところがあり、 その高度なテクニックに感心をしています。しかし関心はするけどそれだけです。 他方で『視界』と『移動性』のよい地方で撮影される方は、見たまんまの素直な写真を撮られる方が 多いようです。もちろん見たまんまと言っても被写体によってはその見たままにするのに高度な テクニックを多用している場合があるのでして、けっして手抜きというのではありません。またそういう 地方の方は抽象的な雰囲気の写真を撮られても描写がストレートなんですね。 この、『視界』と『移動性』のことは、自然と人工物とを区分けせずに同等に扱っています。ですから 大都会と言っても立体化する以前の、だらだらと平面的に伸びた市街地は無視しています。 大昔の東京とか、現代でも地方都市などは平面的な市街地であり、そういうのは農地や疎林とあまり 変わらないでしょう。私が問題としているのは、立体化した大都会は自然の山岳地帯と同じような 様相を呈してくるんじゃないかなっていうことですね。 四国の徳島の山岳地帯では平さんとか○平さんとかいう人達が多いんですね。これは源平の合戦 で落ち延びた平氏の末裔と言われています。ほんとかどうかは分かりませんが、落ち武者が山中 深く隠れて住むというのはあり得そうです。 四国山地の山深く入ってしまうともう追手は追えないというか諦めざるをえません。追えないと同時に 向こうの落ち武者も再び打ってでるということも出来ません。それは山中では『視界』と『移動性』が 失われるからです。 彼らが歴史に登場することは二度となかったわけです。 もしかすれば立体化した大都市は危ういのではありますまいか。東京に良い視界と身体レベルの 移動性を取り戻さなければ日本の舵取りは難しくなる。どうもそういう気がしてならないわけです。 せめて政治の中枢だけは、栃木か茨木あたりに移動するのが正解のように思えるのですね。そして 企業は本社機能を地方都市に移すべきです。 アメリカがニューヨークとワシントンを役割を分けているのには意味があるのです。そういえば中国も 第2の北京を増築しているそうです。 立体化都市が人間性に及ぼす影響、とかでネット検索を掛けても何もでませんでした。都市における 緑の効用とか頓珍漢なものしか出ません。まだそういう視点を持った研究者はいないようです。 この大都市や地方を『視界性』と『移動性』という視点で考察しているのは、私が最初のようです。 広い意味での写真論になるんですが、それだけに収まらずで文明論にまで波及することができます。 私の予感では3次元立体化都市はいわば現代における戦艦大和・武蔵ですかね。 とにかく少なくとも写真に於いては、この『視界』と『移動性』というのは写真の撮り方や作風にあらわ れて来ますし、それだげてなく、写真は真実を表すという本質論の問題にも大きく関わってきます。 この問題は場合によっては写真の土台骨を揺るがすことになるんですね。 そのことに気づいていない人が多いんじゃないでしょうか。 追加・・東北の場合ですが、地形的に見て『視界』と『移動性』はとても良いわけですが、実は例外が ありますね。それは積雪の期間です。1年の1/4は雪によって視界は妨げられ移動性も著しく制限 されます。 四国では中央構造線を超えて南側に行けば『視界』と『移動性』の制限区に突入するわけで、狭い 地域の中で2つの顔を見ることができますが、東北の雪国では全く同一の場所で季節によった2つの 体験ができるということになります。これはちょっとおもしろい現象のような気がします。両方の世界 を見ることができるというのは意義があります。 またこの『視界』と『移動性』論を世界的に拡大してみることも可能ですね。残念ながら私にはその見聞 がありませんのでなんとも申し上げることができません。ひとつだけ気づいたのは英国の地形です。 英国の写真を上げてくれる方の写真をみて、『視界』と『移動性』が非常に良い国なのではないかと 感じました。 ●歴史家の秦郁彦氏が書いていたのですが、(氏は旧日本軍研究の第一人者です)、かつての謀略 や残虐行為を行ったA級戦犯の人達に聞き取り調査をしていて、彼らの多くは知性も高いし人柄も悪く ないのですが、それが集団の組織となると、なぜあのような愚劣な行為をしてしまうのか。それが最後 まで分からなかったといいます。 碩学の老研究者にしてこの言葉を吐かせるという人間の不思議さ。 しかしながら、ここにも『視界』と『移動性』論を持ち込むと気持ち、分かりかけてくるような気がするの です。 私もあの先の大戦の著作を読むときがあるのですが、正直申して、いつも最後まで読み切ることが できないのでいるのです。あまりにも酷すぎて読むに耐えられないところがあるんです。満蒙開拓団の 悲劇を調べるのは苦痛でありいつも挫折してしまうんです。 その苦痛というのは直接的な惨劇の事実ではなくて、そもそもあの悲劇を起こした官僚や軍人の蒙昧 さに私の精神が耐えられなくなるんです。どうしてこの程度のことが見えないのだ?こんな大切なこと をなぜ無視してしまうのだ?という無能の馬鹿さ加減に苛立ちがつのるばかりになるのです。 このフォトXP掲示板を見ていて、あーなるほど、世の中にはこういう人間がいるのだと。そういうことが 薄々分かりかけて来たような気がします。それも現在進行形で。 『視界』と『移動性』のよくない人間というのは、個人的には優秀でよい人かも知れませんが、歴史的に は彼らは決定的な過ちを犯すタイプなのだということです。 もちろん当時の軍人や官僚が全て蒙昧であって『視界』と『移動性』の能力が欠けていたというわけて はありません。当時の組織というのが『視界』と『移動性』を大いに妨げていたということだと思います。 旧軍は視界性もよくなく人的な移動性にも大いに欠けていたということですね。 石原莞爾という軍人がいました。山形県出身の天才的な人物だったんですが、彼は当時の世界の 世の中を透徹して見えていた人物ですね。満州事変を起こした張本人と言われていますが、もし彼の 采配通りに物事が動いていればああいう結果にはならなかったのではないと思う時があります。 石原の失敗は、世の中は『視界』と『移動性』の悪い人間の方が多いのだということに気が付かなかっ たことにありそうです。 石原は戦犯には問われていないのですが、手違いがどうだとか言われていますが、おそらく連合軍も 石原を裁けなかったというのが本当だろうと思ってます。 それから『視界』と『移動性』論には地域性だけでなく時代性というのもあります。 秦郁彦氏が旧軍に深く疑問を呈したのは、氏が『視界』と『移動性』のクリアな時代に思春期を迎えて いたからですね。しかし『視界』と『移動性』が曇る時代もあるのだということを忘れてはなりません。 軍がおかしくなったのはそういう曇の時代でした。ついでを言うと今もまた再び曇りの時代が来ている ということなんですね。 今の現在も『視界』と『移動性』の良くない時代だとすれば、こういう時代における写真傾向というのも、 まずは期待ができかねますね。蒙昧な虚偽の写真こそが今風なのであるということになりそうです。 ※この私なりの写真論は下手に読まれないためにわざと多重性の展開をしています。字面を追っても まず理解できないのが普通です。読んで頂く必用はないのですが、現時点の時代の記録として書いた までです。 ※この投稿写真は肖像権の問題を鑑み、ギタリストのギターだけを切り取っています。 退屈な野山の写真ばかり続きましたので、たまにはこういうのもいいかと。(^^ゞ 私はもうこういう写真は撮りませんが、頼まれ事で仕方なく撮影をしたまでです。 正直申して私はもう写真をやっていません。写真と見えるのは実用としての記録画ばかりです。 それから写真はしていなくても、カメラは続けています。写真とカメラは別のものであるという認識が 私にはあります。ついでに言うと本当にカメラに関心があるものはブランドとは無縁です。 ブランドを追ったり自慢をしたりするのはあまり機材に対する関心がない人間のすることです。 分かりやすく車で説明すると、車というメカに関心のあるものは自分の車を改造したりよく走らせたり しますが、ブランドばかりに眼が向いている人間は高級車を買うことに関心があるだけです。それを ひらひらと乗り回して人に見せることが快楽だったりします。 しかし普通の正常な感覚としては車は実用の道具であり、どこそこに行くために車を利用するばかり です。
このところ、涼しくなり過ごしやすくなりました。もう、夏は終わったかな?っていうところです。 それにしても、今年の日本列島は災害続きでした。いやここ数年は災害が立て続けに続出 しまくっているという感じがします。 とは申しても、こちら香川県内は平安そのもので、災害とは無縁というか太平を貪っていると いうところなのですが、唯一怖いのは南海トラフ大地震だけです。これは東南海大地震とか 大震災とか、既に名前まで付けられている有様で、もしこちら香川に大被害が出るのならば、 太平洋側の諸県の被害は、もう想像を絶するという具合になるわけです。日本列島の半分は のたうち廻るというような。しかし地質学的には避けようのない地震なのですから、どうしようも ありません。 この南海地震以外、香川には危険な直下型の活断層もありませんし、また地形的に風水害も 起こりようがなく、火山は遥か遠くだし、原発もかなり離れていて避難ということにはならない だろうし、もし戦争になっても核ミサイルの標的になり得るところはありません。 地域エゴまるだしですが、こういう災害の少ないところに住んでいて良かったなあっていうのが 香川県民同士、いつも語り合う最後の締めくくり話になります。(^^ゞ この夏は、私、相当に根を詰めて撮影をしてきました。溜池と神社、及び里山の撮影が主目的 でしたね。この3ヶ月くらいで一年分以上の撮影をしてしまったという気がします。 もう目的以外の撮影は全然していないので、カメラを持ってテクテクと一人歩いて撮影する というスタイルが板についてきました。 ちょうど、電子シャッターカメラの導入と重なったこともあり、それで撮影回数が多くなったという ところがあります。もちろん撮影ショット数も膨大です。撮影した写真はほとんど見ていません。 撮影に忙しくて見る暇もないというところです。もっとも撮影しても撮りっぱなしというのが本来 の私のスタイルですからこれで普通です。 さすがに撮り過ぎたところがあり、今後はゆっくりとやっていこうと思っています。 溜池めぐりは、当初は膝の痛みに負担を掛けないということで始めましたが、その膝も予定通り 今は違和感もなくなりました。 今考えてみますと、あの膝の痛みはパソコンの電磁波というよりも殆どの原因は膝下においていた 多数の三脚群が原因だったようです。三脚の保管には注意をしなければいけませんね。(^^ゞ まあ私のように三脚コレクションをする人間はいないわけですが。 これから涼しくなれば、ずっと中止していたパソコン趣味に戻るつもりです。 ※久しぶりの雨で、いつもは枯れ川の香川の川も多少は水が流れていました。
雨の撮影になりましたが、片田舎の秋祭りです。豊作と水の恵みの感謝を込めて。 祭り行列の最後は、最新式太陽光発電の溜池にて神輿がドボンです。(笑) 画像の発色が凄く悪くてガッカリなんですが、雨が降るということで仕方なく、このレンズを 持ち出しました。ピントも怪しいし遅いしで、散々なニコンでした。天気が良ければ問題ない カメラとレンズなんですがね。(こういう時にはキヤノンは実力を発揮してくれます) この太陽光パネルと神輿の組み合わせが撮りたくで出かけましたが、一応は祭り行列とか の写真も記録として撮影しました。1400ショットくらい。その画像を今後見ることは永久に なさそうですが。 驚いたのは、この祭り、市や地域が観光としていうことで力を入れているのですが、それで フォトコンテストもあります。したがってカメラマン・カメラウーマンはとても多いのですが、 そのほとんどが高齢者なんです。 それも70歳から80歳代までが多い。若いカメラマンはほとんど見かけませんでした。 この祭りは比較的高齢者でも撮影が易しいというところがあって特にそうなったのでしょうが、 10年位前に撮影した時は、そんなんでもなかったんですけどね。
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