メーカー名 | SONY |
機種名 | α7S |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 16mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/60sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 1600 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1368 (1,808KB) |
撮影日時 | 2018-10-09 20:05:28 +0900 |
高松市歴史資料館での撮影です。我が高松藩の御座船です。(^^ゞ
少しパンフレットから抜きだしますと・・
近世の大名は各種の船を持っていました。中でも主力を関船と言い、最も大型のものを
大名の専用船として御座船(御召関船)といいました。
関船はもともと秀吉が朝鮮へ出兵した時に軍船として造られたものです。江戸時代になり
参勤交代が制度化されると、西国大名の関船は飾りのある屋形を載せた豪華船へと変身
しました。
高松藩主の御座船「飛龍丸」は初代松平頼重が1669年に造ったものです。52挺立(2人掛)
全長31.8メートル、全幅9.4メートル、全高24.5メートル、帆は18反、積載量は制限500石
ぎりぎりの497石あり船体は白木づくりでした。(幕府は諸大名に500石以上の軍船を持つ
ことも建造することも禁止した)
この飛竜丸は、初代の寛文年間、2代目は宝暦年間、3代目は寛政年間と続きます。写真
の模型は最も豪華だった宝暦の御座船です。数ある御座船の中でも最高に豪華な船だった
そうです。
むろん参勤交代でも使用され、高松から大阪までの航路でした。当時ですから小さな港伝いに
行っていたわけですね。なぜこれで江戸まで行かんのだ?という疑問もでますが、当時は
その航路で参勤交代をするのは禁止されていたのでしょうし、またあまりに豪華すぎて
外洋を走るのには向かない船だったんでしょうね。
こういう船が造れるというのが香川(高松藩)の自慢だったんでしょうし、事実、造船技術も
用船能力も一流でした。その伝統は今でも続いていて香川県は造船王国でもあるんです。
しかこの模型にどれほどのお金がかかっているんでしょうね。(笑) しかしそれだけの
値打ちのある展示品でした。
船好きの頼重公の道楽と言ってしまえばそれまでですが、こういう高級船を造り維持して
いったことが現在の造船大国に繋がっているとも言えるわけですね。
昔の千石船は本の挿絵等で見た事がありますが後ろの部分が細かすぎてよく分かりませんでした。
こういう模型だと分かりやすいです。
ガワだけでも似せて就航したら人気が出そうな気がしますー。