シグマ sd Quattro H 作例

ミラーレス

シグマSAマウント・APS-H・3,860万画素

2016年12月20日発売

sd Quattro Hの仕様

sd Quattro Hは、APS-HサイズのFoveonセンサーを搭載し、2016年12月に登場したレンズ交換式ミラーレスである。一眼レフ用のSAマウントを残しながらミラーを取り除き、既存レンズの利用と細部の解像を両立させようとした。フルサイズより小さいAPS-Hの選択には、画素数だけでなく、ファイル量と処理速度を考慮するメーカーの判断があった。

シリーズ
sd Quattro
位置付け
APS-H Foveon搭載のSAマウントミラーレス
ライバル
sd Quattro

sd Quattro Hについて詳しく読む

投稿写真 285枚

無題

⓪『写真が1枚余ったので追加』 里山を歩ている人たちの殆どが健康のために歩いていると言います。 私もそうです。そして写真撮影もそういう健康維持、体力増進のためにやってます。 撮影と歩きと健康増進は三位一体になっていて区別することができません。 ではなぜ健康であらねばならないのか。これは言うまでもありません。健康を喪失 すると高齢者でなくとも悲惨なことになるからです。 健康の維持には、歩きだけでなく他にもいろいろとあります。睡眠、食事、環境など。 でも歩きという運動も位置は高いですね。 そして生きている以上、何かの目的が人間には必要です。ただ健康であるだけでは 足りません。自分の命を何に使うのか。これが肝心です。 ただ生きて健康でいて、金を稼いでそれで終わりっていうわけにはいかないのです。 その何かの目的に、写真というものがほんの少しでも役に立つことがあるのか。 それはあって欲しいと願っています。 写真は目前のものを見るということでしかも子細にもれなく見ることが求められます。 よそ見をする必要はなくて、ただ純直に見ることが大事かなということです。 本当の写真をやっている間は、人生を過たなくてすむのではないかと密かに期待する のです。 しかし写真を続けていても不純がでれば意味を失います。 今回いろいろと書いてみて思うに、やはり黒白写真は良かったなあっていうことです。 モノクロはほんとにストイックであるのです。余計なことをしなくてすむ。 無駄な回り道をしないですむ。自分に正直になれるという気がします。

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①『本格的な黒白写真をやることの意味』 シグマsdクワトロを使った黒白写真ですが、画質的にはペンタックス・モノクローム 並みの画質を出してくれます。とは言えシグマとペンタモノクロームとの決定的な 相違は、シグマはカラー写真が出来、ペンタはモノクロしか撮れないということです。 私ごとを言いますと、20歳代に10年ほど黒白写真ばかりやりました。カラーでは ほとんど撮影していません。当時はフイルム写真です。そしてその黒白写真をやめて以降、 写真がデジタル化するまで写真趣味からは長く遠ざかっていたのです。 それでデジカメ、とりわけデジイチが出現してからは本格的に写真をやり始めたのです けど、それは自分の過去の黒白写真時代とは大きく違いすぎたということです。 フイルム黒白写真時代は本当に満足して自分の写真をやれていたと記憶するのですけど、 デジタルになってからは心底から満足できていなかったと思ってます。 それはなぜなのか。なぜ満足できないのか。不満足だったのか。そういう疑問が長く続い ていたわけですが、その疑問を解く切っ掛けとなったのが、最初は軽い気持ちで買った モノクロ専用機機でした。 思いつきにせよ買ったのだからと、じゃあ当分はモノクロ写真だけでやってみようか。 という気持ちになり、これがすぐに飽きてしまうのかと思いきや、2年近くモノクロ写真 でばかり撮影したのです。 長く黒白写真が続けられたのは、そこにはやはり、若い時に黒白写真でばかり撮影して いたという経験というか、遺産のようなものがあったのかもしれません。本当にカラー では撮影せず、モノクロでのみ撮影をしました。 主力はペンタモノクローム機でしたが、普通のカラー機でも黒白で撮影をしました。 そこで自分がガラッと変わったと意識できたのは、現象的には新規のカメラやレンズという 機材への欲望というものが完全になくなってしまったということです。 それは思い出すと、黒白フイルム時代でもそうでして、機材の物欲というものがなくても 少ない機材で十分写真をやれていたことと同じだったんだと、明確に自覚できるように なったことです。 若い時期の黒白写真時代は少ない機材で十分満足していましたから。 それで結局は、カラー写真というものが自分の写真に対して不純物を生んでしまう元凶 なのではないかと、そういう理解ができたということでしょうかね。 しかしそれでも、ちょっと違うわけです。 今、私はカラー写真に戻して撮影していますけど、それで以前の機材物欲に戻ったかと いうと、ぜんぜんそんなことはなくて、今も機材に対して無欲的な状態が続いています。 実は黒白写真になってから、それを切っ掛けにして、そこからの本当の内面的な変化と いうのがあって、それで自分の気持ちが、写真という物ものではなく、撮影すること自体 の方向に向きだした、というのがあるのじゃないかって考えてます。 要するに黒白写真って、画質的には何にも面白くないから、必然的に絵的な、画像的な 関心がなくなってきて、じゃあその分は、ということで、撮影行為そのものや被写体の 対象物に関心の方向が変わってきたのだと、今ではそのような思うようになってます。 その撮影への関心というものでいうと、やはり現在の里山歩きですかね。写真とか 撮影とかと言う前に、里山に行くこと自体に意味を見出せられているということですか。 無論ついでに撮影はするんですけど、自分の本当の関心はもはや写真ではなくて山そのもの になっている。それから最近は古い街道の街並みなんかも撮影しているんですが、それも 写真ではなくて、古い町並みへの関心が先に立ってます。 結局、里山歩きも、古い町並み自分も歩かなくちゃならない。その自分の足で歩くため に撮影というものがあって、そこで昔に夢中になった写真趣味というものが生きていて、 今でも持続できているという気がしています。 多分、今の私にとっては、カメラも写真も、歩くための単なるアクセサリーというか、 そうじゃなくてツールのようなものになっているのかも知れません。 昔を思い出してみると、黒白フイルム時代も、写真そのものではなく、つまり写真という 物ではなくて、写真を通じてなし得られることに自分の関心があったということです。 ここは重要でして、言うなればモノではなくコトであるということ。 モノ(物)とコト(事)はインバウンド観光で言われていますが、重要な概念だといえます。 目移りのするカラー写真は、どうしてもモノに関心が行ってしまって、大切なコトが 疎かになってしまう。 こういうことを私はデジタルモノクロ写真で再発見をしていたということです。 黒白写真は切っ掛けの入り口に過ぎなかったと言えそうですけど、カラー写真という色欲 の壁はものすごく高くて、私はモノクロ機を手にするまでそれを打破できなかったのです。 今風の言葉で言えば、カラー写真を断捨離したということでしょうか。 断捨離といえば、モノそのものを捨て去る、脱却するという風に捉えられるかも知れませ んが、私はカラー時代に手に入れた数多くの機材はそのままになっていて捨てていません。 しかし私にとってはそれらのものは有用なガラクタという意識になっていて、写真にそのもの には、もう結びついていない気がしてます。 でもガラクタは良くできていて、過去のカメラ技術の歴史を垣間見ることができ、そういう 視点で見ているのだと思ってます。 カメラにとって最も大切な要素は、まず手に持つことが容易でなければならない。そういう 観点でカメラ機材を自分なりに改造をしているのですが、これは本当は写真とは関係がなく、 モノ自体の持つ意味合いの方が強いです。 カメラは里山歩きの為のツールのひとつであるという意味合いです。 写真には何かがある。特別なものがあるという観点は、私の中では消失しています。画質 なんてそんなに意味はないのだ。構図も技法もそうですし、とにかく写真をよく見せよう というあらゆる技術は、カラー写真を捨てた時点で霧散してしまいました。 やはり、カラー写真を脱却するというのは、相当な意味があるんだなと思っています。 でもカラー写真から自由になるというのは、たぶん普通にはできないことだと思います。 何よりも私自身がそうでしたから。 デジタルカラー写真の束縛から抜け出るには20年以上もかかりました。それもモノクロ機 という切っ掛けがあったからで、それがなければ今でもカラー写真の罠に捕らわれたまま だったろうと思います。

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③『白黒写真の本当の意味は難しい』 黒白写真ばかりやっていると、ほんとに写真として見せられるものが少ないということに 気が付きます。カラー写真よりも圧倒的に情報量が少ないので見栄えがよくないわけです。 それでこれは黒白なのだという意識をして撮影しないとならなくなります。 撮影の時点からしてカラーと黒白は違ってくるのです。 いうなれば、意識して黒白の眼というものがないとモノクロ写真はなかなかできません。 カラー写真は何もせずそのままでも画質というか色でごまかすことができます。なんでも ない写真でも意味があるように見せかけることができます。しかしモノクロは写真に物語性 を込めないとよい写真になりません。 黒白写真が難しく、写真学校の学生が今でも黒白から写真を始めるというのは理由のある ことのようです。 それから写真を鑑賞する側から見ても、黒白写真は、漫然と見て感じるのではなく、 写真を読み取るという作業が必要で、カラー写真のように曖昧では済まされなくなります。 黒白写真は難しい。しかし遣り甲斐があるということで本当に写真をするのならば白黒写真 は自分なりに極めなければならない気がします。 黒白写真をやるにはモノクロ専用機なるものは本当は必要ではありません。普通のカラー のカメラでモノクロ撮影すれば十分なのですが、どうしても一時的にカラー画像をみてしまう というRAWデータ現像では純粋にモノクロ写真を味わえないというジレンマが出てきます。 そこで思い切ってJPEG画像で撮影してみるという手法もありだと思ってます。 黒白写真専用機が出てきたのは、おそらくそこら辺のまどろっこしさを克服するために、 思い切ってモノクロセンサーを採用して、カラー写真は絶対に撮れないということをしたの だと思います。 とにかく本格的にモノクロでばかり撮影するようにすると、誰でも写真に対しての考え方 が変わってくると思います。 そうは言っても今の私は、モノクロ写真にも特別に関心がなく、もはや写真は何でもいい、 という大雑把な考え方をしています。それよりも写真にかこつけて里山をあるのが楽しい、 ということなのです。

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④『レンジファインダー式カメラ』 私がよく使っていて今も使いやすいと感じているのは、いわゆるデジイチのスタイルの カメラです。ボディ真ん中に出っ張りがあって、だいたいそこにストロボが仕込まれている。 グリップは大きく深くて、とにかく持ちやすい。レンズの装着位置はほぼ真ん中。特別に 左に寄ったりはしていません。 このスタイルはメカニカル式光学一眼レフから始まったと思います。真ん中の出っ張りは ペンタプリズムが収められていたのです。当然にファインダーはその真後ろ。レンズ位置 と同じになります。 この光学一眼スタイルと違うカメラも多くあります。コンパクトカメラ、コンデジがそう です。レンズ位置ではなく、カメラの左端に光学ファインダーというか覗き窓があって 現在ではそこにEVFが位置しています。カメラの上部はフラットです。 このカメラは小型カメラに多く採用され、レンズ交換式だとライカM型なとが代表的です。 国産ではフジのXプロ1などがそう。スタイリッシュで低くデザインされていて、デジイチ よりも小型にできています。 ファインダーは殆どがミラーレス式のEVFなのですが、Xプロ1は光学ファインダーも備わって いて、とても凝っています。これはレンジファインダー式のカメラに似せています。 純粋なレンジファインダー式カメラは、ライカM型とかエプソンR-D1くらいしかないと思い ますが、ある意味でXプロ1はそれよりも現代風の凝り方をしてますね。 なおレンジファインダー式カメラはピント合わせで二重像合致式を採用しているわけで とても高価なアイテムです。 このレンジファインダー風のカメラ、レンズ交換ができないコンデジも含めると一大勢力 のカメラになり、カメラデザインのデジイチ型と双璧をなします。 しかしこのカメラ群には大きな欠点があり、バッテリーグリップが想定されていないという ことです。デジイチのように大きなグリップが後付けできず、確かにグリップそのものは 発売されていますが、申し訳程度のものであり、左手でカメラを持つことなどはできません。 この手のカメラは、撮影に邁進するというよりも、所持してそのデザイン性を楽しむカメラ となっています。ライカM型などはその典型です。所有欲を満たすカメラなのです。 しかしライカなどは大昔ですが、報道にもさらには戦場でも使われたカメラなんですね。 けっして飾って愛でるカメラであって良いはずがありません。 ベトナム戦争では広角ではライカM型、望遠ではニコンFといった使われ方をしていたカメラ です。 私としてはそういうスタイリッシュカメラも大きなバッテリーグリップを装着して デジイチ型と同じようにアクティブに使っていきたいと願っています。 それで当然ながら一眼レフ用のバッテリーグリップを付けて、撮影時の保持力を強化し、 さらに右手も左手でもカメラを長く持つことができるようにしたいのです。 それで今現在、そういうカメラを改造中です。よいバッテリーグリップがないものかと 物色中です。 外観がレンジファインダー風カメラは別の投稿で取り上げているパナソニックL1も そうであり(シグマ・sdクワトロモそうでした)、これで上手くいったので、今度は レンジファインダー式カメラでもやってみたいということです。 私にとっての最高のカメラとは光学デジイチであり、あの使いよさを全てのカメラに 通用させていきたいのです。

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⑤『高齢者の写真感覚』 シグマクワトロもパナソニックL1も、デジイチスタイルではないけれど、バッテリー グリップ装着により、格段に使いよくなったカメラとなりました。 素直にペンタックスやソニーのデジイチを使っていればよいのですが、ついつい欲が 出てきました。(笑) どちらもデスストックされていたカメラなので、購入したのはジャンクのバッテリー グリップのみ。今は過去に無駄に買ってしまった無駄にカメラの清算をしているなと いう感じです。 私にとっては持ちやすいカメラこそが正義なのですが、使われるフィールドは里山です。 これはかなり厳しい使われ方をするというわけですね。 ロープを張った急斜面を上り下りする時も、よほどでない限りカメラは左右の手の どちらかにあります。頻繁に左右の手に持ち換えます。カメラは草木に擦れ、泥など もつきます。 カメラは身体のバランス取りにも役立ち、いまやそれがなくてはまともに歩けないと いう感じになっています。もう里山歩き時には自分の体の一部になっているという 感じです。 それで撮った写真は見ません。(笑)この掲示板にアップするために少しばかり現像 するだけ。写真撮影は、里山歩きの道具であって、写真を撮るためにカメラを持って 行くわけではないからです。いうなれば歩きの為のリズム取りとして撮影をしている という感覚です。 しかしこれは私だけのことではなくて、長く写真をやってきて歳を取ればだいたいが みんな、そんな風になるんではないですかね。 高齢者の写真感覚ってそんな感じではないかと思っています。

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この写真は失敗の例です。 クワトロで撮ったのですが、設定を誤り、JPEG撮影でした。レンズは廉価タイプです。 レンズはともかく、フォビオンでJPEG撮影は駄目だということ。フォビオン機は 特にRAW撮影限定のカメラなんですね。 私としてはカメラやレンズは何でもいい。という考え方なのですが、やはりRAW撮影 が前提です。JPEG記録は本当の意味で厳密な撮影ではない、という考え方をしています。 やはり間に合わせのものなんですね。 カメラは最初から圧縮データであるJPEGで撮影できるのではなく、まずRAWで撮って それからカメラ内で簡易にJPEGデータに移行するのが、JPEG設定撮影の基本的意味と なっています。 やはり良いRAW現像をするにはPCのパワーが必要です。 しかしRAWでさえあれば、カメラやレンズは選ばないという立場です。 廉価レンズにはそれなりの長所や欠点があります。良い面としては小型で取り回しが よいということ。しかし画質は劣り、明るさも足りず、AFなどの機能も落ちます。 高級レンズは性能は高いのですが、大きくて重くて機動性がスポイルしてしまいます。 しかしこれらは選択の問題であり、ユーザーは時と場合によって使い分けていますね。 ところで、私の考え方としては、カメラのスタイルとして、最高だと信じるのは、 フイルム時代後期からデジタル時代にかけて、光学一眼レフとして完成したスタイル が、もっとも使いやすいカメラだと考えています。 その理由として、ひとつ、撮影として一定の大きさがあり使いやすさが保たれている。 二つ目に、グリップが大きくて深い。バッテリーグリップも同様になっている。 この条件にマッチしているのが光学一眼レフだと思っています。 デジイチの後継としてミラーレス機が出ましたが、ややボディが小さく操作類が 密集していること、グリップがやや小さく浅いということ。これらの欠点が目立ち ますが、デジイチに次いで使いやすいカメラであることには違いありません。 それでは、私が此処で言う光学一眼レフの前の時代といいますと、それはメカニカル 一眼レフの時代となります。期せずしてそれは現在のミラーレス機とほぼ同じ大きさ なんですね。 私も黒白フイルムでさんざん使いましたが、カメラは持ちにくい。グリップが小さく 中にはグリップ自体がないというのも。そして大きさの割りに重かったです。 金属ボディは冬場には冷たくて辛かったです。 それがデジイチ一眼の時代になって、私としては初めてその高機能なカメラを使った わけですが、最初は、大きいなあって感じたものの、プラスチックボディは軽く 感じられ、大きなグリップは手にピッタリとくる。これは良いなと感嘆したものです。 もう、完全に撮影することに特化していて、大きかろうが重かろうが関係なし。 というメーカーのシグナルが届くかのようでした。 考えてみれば、あのフイルム後期からデジタル初期にかけての、光学一眼レフの スタイルこそが、撮影第一主義のカメラだったんじゃないかなって思っています。 カメラと言う道具が最高に輝いていた時代だったと思います。 後期フイルム一眼レフの時代は、私は写真から遠ざかっていたので、そういう高機能 一眼レフを使ったのは、デジタルになってからなんです。レンズはAFになっている。 シッターチャージは自動オートローディングになっている。カメラのグリップは 大きくて深くて滑りにくい。ボディは基本プラスチック製。金属製でもマグネシウム 合金なのでアルミ製よりも冷たくない。 カメラはかなり大きくなった。昔のメカニカルカメラしか知らなかった私としては 驚きの大きさだったけれど、とにかく使いやすい。カメラはこんなに進歩していた のかと驚いたものです。 最初はニコンとかキヤノンのデジイチを使いました。その圧倒的な使い良さは、 私を撮影に夢中にさせるには十分であり、日々が撮影三昧でしたね。 今となっては懐かしいのですが、2000年から10年間ほどはデジイチに夢中でした。 しかし、長所は同時に欠点でもあります。 デジイチは高機能でありすぎるが故に、写真が撮れ過ぎる。カメラに夢中になり すぎる。ということでもあるわけで、次第に自分の中に反省が生まれるわけです。 ちょうど時代はミラーレス機になっていき、機能性をやや落としてもいいんじゃ ないかい、という時代の雰囲気になりました。そしてスマホの登場で、カメラ自体の 脚光性も低くなりました。そういう状況が今も続いているわけですね。 そして、個人的なことですが、黒白専用機が登場し、最初は軽い気持ちでそれを 使ってみました。 このモノクロ機というカメラは、私にとっては特別な意味を持っていました。 なぜならば、私が若い頃に使っていたカメラはフイルム・メカニカル機でしたが主に 黒白フイルムで使っていたからです。 当時の私の写真とは、黒白であったんです。それをデジタルで追体験できるという ことで、昔と同じくカラーは止めて完全に黒白だけで撮影をしました。 ここで自分の中で起こったことは、カメラ機材に対する関心がなくなったということ です。撮影の意欲は減じなかったけれど、機材への欲望はゼロになった。 これは驚きです。今でも何故そうなるのかは正確には説明できません。 ただ、分かったことはあります。当時の黒白フイルム写真の時は機材への関心は ほとんどなく、カメラ2台くらいでレンズも数本で実用的な範囲に収まっていたという ことで、それはデジタルになってもモノクロ撮影だと同じ状態に落ち着くということ だったわけです。 つまりはカラー写真だと、そのカラーという色が色欲として出てしまい、それが機材 への欲望に現れていただけだったと、そういう風に今は理解しています。 今はもう黒白ではなくカラー写真撮影に戻っていますが、数年かけて黒白写真ばかり 撮影していたあの感覚は健全であって、もうカラー写真時代の機材への無闇な熱量は 戻っていません。 私の写真への熱狂はデジイチのニコンやキヤノンから始まったわけだけど、それに とどめを差したのはペンタモノクロームだったわけです。なお途中で水を差したのは ミラーレス機のソニーでしたけれどね。 駆動するものがいれば、それに歯止めをかけるものもいる。カメラというのも面白い ものです。 ペンタK3M3モノクロームは普通の光学デジイチです。ニコンやキヤノンのデジイチと なんら変わらないです。高機能のボディです。使いやすい。しかし絶対にカラーでは 写真できません。そこだけが違います。 カメラボディは使いやすく、バッテリーグリップは純正ではなく自作グリップに しました。実は自作の方がピッタリしたからです。持っていなかった広角レンズを 買ったのみで(シグマ製)、それで2年ほど使いました。 このモノクロ機で私の写真に対する考え方がガラリと変わったのですが、どうして そんなに威力があったのか。今でもその理由を上手く説明できていません。ただ単に そういう時期に自分の運気が来ていただけだったのかもしれませんし、歳をとった というだけなのかもしれません。 今はカラー機に戻して使っていますけど、もう昔の自分ではなくなっていてカラーの 画像を見ても何かの欲望が起きるということはないです。 どうしてもということで、ひとつだけ理由としてあげるとすれば、モノクロ機の画像 はカラー機のそれとは本質的に違うのだろうということです。 言うなれば究極のリアルさがあるのです。カラー機をモノクロモードにしても絶対に 得られないもの。 ずばり言うと、カメラのRAW撮影とJPEG撮影くらいの相違が、その専用機にはあるのだ ということです。それを一旦知ってしまうともう元には戻れない。それはRAW撮影を していた人間がJPEG撮影には撮れないということに匹敵するかもしれません。 究極の画像の探求は、モノクロ専用機を経ずしては得られないだろうということかも しれません。たぶん一番近いのがフォビオンセンサーだろうと思ってます。それでも フォビオンはカラーセンサーなのでやはり不純です。ペンタモノクロ機の純粋性には 及ばないです。 この圧倒的な、写真としても、画像としての純粋性に触れたからこそ、お遊びとして のカメラ遊びに二度と戻れなかったのだろうと思うところがあります。 今の私はカメラの持ちやすさ、撮影のしやすさというだけに拘って自作改造をして いますが、それは本道である里山歩きの為の遊戯でしかありません。 写真そのものは、もういいんだ。それよりも山道を歩くということに意味を見出して いるだけです。 写真や画像ということでは、モノクロ機で完成させられたんじゃないかって感じて います。どんなに頑張っても、たった一台のモノクロ専用機には敵わなかったと いうこと。 これはフイルム時代でもそうだったんだと思ってます。黒白専用フイルムのコダック には、どんなカラーフイルムも敵わなかったわけですし。 シンプル・イズ・ベスト。これが黒白フイルムやモノクロ専用機の優位性です。

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今現在、シグマのカメラは、こんな具合になっているようです。 ちょっと動画を見てみました。 「実際どうなの?SIGMA BF徹底レビュー!購入後に使い込んでわかった真実。」 https://www.youtube.com/watch?v=nV09kw6oUxg 【神回】SIGMAの製造工場に潜入。1枚のガラスからレンズができるまで。 https://www.youtube.com/watch?v=iV8biDZGNNg こういう感じになっているのですが、細々と趣味的なイメージのカメラでやっているよう ですね。 以前のように、他社のマウントのレンズで稼いで、同時に自社のカメラでもユーザーから 人気を博するいうようなことはしていないようです。フォビオンセンサーは完全に捨てた ようです。 とにかくそれは、シグマは真っ当なレンズメーカーになったというところでしょうか。 かつてのフォビオンファンの人達で、シグマBFが欲しいという人は殆どいないでしょう。 シグマからフォビオンカメラはもう今後も出ることは決してないと言えます。 久しぶりにSDクワトロHを使いました。さほど撮影していないのにバッテリーは2個使い切り ました。カメラは熱を持ちます。バッテリー消費が早いはずです。そうそう、シグマはそう いうカメラでした。 AFは他メーカーに比べれば、とても遅いのですが、SD-1に比べれば連続撮影が可能であり、 なによりもAFは正確です。 フォビオンカメラらしくショットは絵的に外れが多いのですが、稀に良く撮れたものは とてもリアリティがあります。そのリアルな絵作りはベイヤーカメラでは得られないもので、 これがあったからこそフォビオンファンはシグマを熱烈に支持したんですね。 しかしそれが他のカメラメーカーを悪い意味で刺激しました。シグマは嫉妬を買いました。 自作グリップの具合が想定外に良い感じです。三脚穴ネジで止めるだけでなく、カメラボディ 側に大きなガイド穴があり、それに落とし込む金属棒をグリップ側に自作で作って 連結させたのが利きました。 ガシッと止まってグリップに緩みがなく、とても持ちやすくなりました。 とにかくカメラは手に馴染んで、長時間持つことができないと意味がないので、この自作の グリップは私にとっては根本的な解決となりました。連動ピンをつくりましたので、この グリップはsdクワトロ専用になりました。 残念ながら自作グリップはドン柄だけなので内部にバッテリーを仕込むことはできません。 純正のグリップはなんと、最大バッテリー3個で動作するようになっています。いかに電気 食いのカメラだと分かります。 そしてパソコンの方は、20年来、長く使い込んでいるコアi7の初期モデルではなくて、10年 くらい前のi7-7700Kと、ライゼン7-1700のPCにRAWソフトをインストールしました。 どちらも古いPCですが、20年前のPCから比べればとても速いです。ウイン11と10をインス トールです。 殆ど撮影するだけで、私は殆んど現像はしないのですが、それでも現像が出来るけど敢えて しないのと、しようと思っても十分にRAWソフトが使えないのとは、気持ちがぜんぜん違い ますからね。(笑) 過去のシグマフォビオンには、 SD9 SD10・・・・・フイルム時代から続く光学一眼モデル。フルサイズファインダーなので、        APSセンサーに合わせた枠取りフレームがユニーク。これが意外と良い。 SD14 SD15・・・・APSサイズ専用の光学デジイチ。レンズ倍率は1.7倍だったかな。 SD-1メリル・・・・APS-Cサイズの1.5倍センサーサイズに拡大。そして高画素センサーとなった。        このカメラが歴代フォビオンカメラの最高峰となり、光学一眼レフでも        完成形ともなる。 SDクワトロ クワトロH・・・・デジイチのレンズを使ったミラーレスカメラ。フォビオン式と             ベイヤー式の折衷タイプの画像エンジンを搭載。Hタイプは             1.3倍率センサーを搭載。            ・・・・と、合計7機種、そしてコンデジのdpシリーズが存在します。 全て独特で個性的であり、実にリアルな写真を出してくれる場合があります。場合とは どういう意味かというと、外れショットはとても多い、ということですけどね。(笑) このどのモデルでも、デジタルとは思えないほどの硬質で強い質感の絵を堪能することが できます。 こういうように、絵が良かったけれど今はない、というカメラにフルフレームCCDを使った カメラがあります。コダック製CCDを使ったカメラですね。オリンパスで当初発売されて いたカメラがそれに当たります。 良かったけれど現在は存在しないというカメラは、画質は面白くもカメラとしての機能に 及ばなかったということで、時代に淘汰されたものとなっています。 現在のカメラは全て、CMOSタイプのセンサーだと思います。カメラは工業製品である以上、 いたし方のないところです。 しかし一人のユーザーとしては、何でもかんでもを時代に合わせるのがよいというわけで はないと思うので、古いセンサーや古いカメラを持っていれば捨てずに今でも使い込んでいく、 というのはありだと思います。 それからセンサーだけでなく、レンズ交換式カメラは、もう全てミラーレス方式となり、 光学一眼レフのものはなくなりました。当然に交換レンズも新製品は出ていません。 私はこの光学式一眼デジタルがミラーレス方式よりも好きです。自分で好きだから、時代に 乗り遅れているなどとは感じずに楽しくデジイチを使っています。 世の中には時代の流れに合わせて生き、その時の権威性を重んじる人間と、時代とは関係なく 自由に生きる人間の2種類が存在するようです。もちろん私は後者のほうです。 自動車が内燃機関からモーター駆動になり、マニュアルミッションからオートマチックとなり そして自動運転方式となるのは時代の流れです。どちらが優れているとかは言えないわけで、 ただそこには工業製品としての時代の流れの淘汰があるだけなのです。 しかし全ての消費者やユーザーが時代に乗るのではなく、自分の好みに留まる人達がいます。 フイルムカメラのユーザーは今も存在します。「写るんです」カメラは今も売れ続けていて、 ポラロイド方式の「チェキ」も全世界で愛用者が多数います。

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ところでフォビオンも光学デジイチも、私としては既に手元にあるから捨てずに有意義に 使って行こうとしているのであって、別に新しく買ってまで使うものではありません。 そこのところは抑えておきたいものです。 今回のSDクワトロの自分なりの復活は、既に改造バッテリーグリップというノウハウを 得ていたので簡単にいけたのですが、もっとも大変だったのは、デジイチで漏洩電磁波が 高いモデルの場合でした。これを克服するのに長い年月を要しました。 イオス5DSとかアルファ900とかが典型的でしたが、撮影時に大変な電磁波が出ています。 それが顔面や頭部に被爆して文字通り頭痛がするほどでした。 これを解決したは、自分の撮影方法を根本的に転換するという、その為に自分の撮影する 対象すら変えるというやり方をしたことです。 これが現在の私のノーファインダー撮影の始まりなんですね。これを教えてくれたのは ミラーレスカメラであったという経緯がありました。 デジイチは漏洩電磁波が強いから駄目だ。として、いち早く私はミラーレスに行きました。 そしてミラーレスでは、EVFではなく背面スクリーンを見て撮影をしたわけです。だって EVFなんて見づらいですからね。眼が悪くなってしまう。 そして背面スクリーン撮影に慣れてくると、その動作が一眼レフのノーファインダー撮影と 同じだと気がついたのです。そうか、デジイチもそのようにして撮れば、電磁波の影響を 受けずに撮影ができるのだ、と。 こういうは頭で理解するだけでなく、無意識の手や体の動きで学ぶことが大事なので、 慣れるにはけっこう時間が掛かりました。本当に何年もかかったと思います。 なお、ノーファインダー撮影でも手は被爆しているので、やはり電磁波漏洩の少ないカメラ の方が安全です。 カメラは何でもよく、野山などを歩いて撮影することこそが大切だと何度も書きましたが、 同時に、カメラが手にないと、歩くこともできない自分でもあるわけです。(笑) カメラさえ手に持っていれば、かなりの無理もでき登山できるのですが、カメラの電池と メディアが切れれば、私自身のバッテリーも切れてしまって下山します。 そういう妙な役割をしているのが私にとってのカメラであるわけなんですが、要するに カメラ依存体質であるんだなっていうことでしょう。(笑) この依存性はどうしようもないとして、ならばその依存の方向を自分でコントロールする ようにできれば良いんじゃないかなって考えています。 実はあるときを切っ掛けに、新しい機材を購入する意欲を完全に失ったことがあります。 それはモノクロカメラを購入して、数ヶ月間、モノクロばかり撮影をしてからです。 モノクロで撮れば、レンズというのは皆同じに感じます。センサーの違いもさほど感じ ないです。 ということは、カラーだから人は色々と欲が出るんだなって、そういうことを発見した わけです。カラーこそは諸悪の根源であったということです。(笑) 普通の人はモノクロといってもカラー写真の一つとして捉えているでしょう。しかし私は 違いました。若い頃、写真を始めた時の感覚を、それは黒白フイルム写真でしたが、 その自分の感覚を取り戻そうとしました。それで徹底的にカラーを遠ざけ、ひたすら モノクロのカメラでのみ撮影をしたのです。 これで付き物が落ちたのか、以来、新しい機材は購入していません。 今はジャンクのバッテリーグリップとか、ストラップ類とか、その程度のものしか買って いません。機材とは言えないものばかりです。 今は山道を歩き、ノーファインダー撮影に磨きをかけ、バッテリーグリップの製作をして これまで使い切れていなかったカメラを掘り起こしています。 ストラップやその金具ひとつでカメラは変わります。また自作グリップでカメラを持ち やすくする、ということでもカメラは大変化をとげますね。それが撮影意欲を掻き立て、 カメラを手にもって里山をあるく原動力になっているわけなので、不思議と言えば ふしぎです。 それは私が生涯の座右の銘座としている「神は細部に宿る」ということだと思っています。 細部を疎かにしては何事も始まらないということ。物事の本質はほんの些細な細部の変化 で始まっているということでしょうか。 それじゃあ、その細部に注目することから始めよう、というわけです。 ストラップ金具やグリップの装備で、とにかくカメラを持ちやすくしたい、ずっと手に 持ったままで疲れないようにしたい。という些細な願望の追求の結果であるわけですが、 当初はほんの小さな工夫の試行錯誤から始まっています。 しかし結果としてカメラを持ちやすくすることが、撮影への意欲、歩きの原動力に繋がる のだなあって、これは後から気がついて分かっただけのことなのです。 最初は些細な物事の変化が、やがては大きな変化に繋がるということ。 おそらく、これがこの世界の成り立ちの本質だと考えています。 小さなナスカンやリングスプリングひとつで、邪魔に感じていたストラップが綺麗に 収まり、撮影時や移動時に邪魔にならない。それどころかスルッと伸びるストラップに 美意識すら感じてしまう。最近は女子高校生のように、カメラにちっさなアクセサリーや お守りを付けることすらしています。 ちっちゃな縫いぐるみ、高齢者が持つ手のカメラに揺られてる。(笑) 自作の後付グリップの威力は圧倒的です。自作グリップは、かなり昔からやっているん ですけど、当時は金具類を組み合わせて、既存のグリップに取り付けるという類のもの でした。既存のグリップ部を太くするとか、その程度のものでした。 しかし現在は既存の縦位置バッテリーグリップそのものを改造して取り付けていますので、 大きく頑強になり保持する能力は格段に強力になりました。大口径のレンズを取り付け ても大丈夫です。 小さすぎて持ちにくいし操作も辛かったカメラが、大型プロ用デジイチ並に持ちやすい カメラになる。これはデジイチだけでなく小型のミラーレス機やコンデジにも有効です。 こういう自作のグリップは電気的にボディとは連結していませんので、バッテリーグリップ のレリーズもバッテリーも使えないのですが、それでもカメラを保持できるということで 大変有効なものです。簡単にバラせてバッグに入れられます。 カメラは大きくなり、多少は重さも嵩みますが、何よりも持ちやすさの改善で、私には なくてはならないものになりました。

Foveon

今年もでそうにないです・・来年まで我慢できるか不安。

雪

来年も最後の積を待つ・・皆さま良いお年を。

周防灘

海の側で生まれ育ち‥こういう景色が落ち着きます。

酪農

農業を志す若者が増えることを願います。

酪農

猛暑で生乳の量が減るので、今年度末もバターが足りないと思う。

暮れの空

祝・fp発売5周年なるイベントを25日にアメリカでやるらしい、Foveon開発出直し5周年でもある。

蜻蛉

シグマさん‥レンズ屋さんなのでレンズの新製品は多数、発表されますが・・・Foveonのフルサイズは? 今年の春の社長の発言では、ベイヤーセンサーと比べての解像力の優位性は無い・Foveonの弱点と言われる色の雑味にこだわりたい 酒で言えば、精米度の高い純米大吟醸より純米酒・・そんな意味合いだと私は解釈しました‥良いセンサーが出てくるでしょう。

夏

過去の撮影ですが好きな写真です。

蓮

Sigma70f2.8art SAマウント Foveonフルサイズは来年❓・お目にかかれるかな?

Foveon

2024CP+での山木社長の発表動画を見てFoveonの2024年発売は無いと言えるでしょう 素子の研究開発はそれなりの成果があるようですが、問題は量産化へのアプローチが出来ていない、半導体の分野は研究開発、量産化へのアプローチ、精密に大量生産可能・・それぞれの分業分社体制になっており・・研究開発が出来ても、量産化できる技術開発、精密に大量生産できる工場の・この流れの中でシグマは、研究開発ではAPS-Cサイズで課題を煮詰めている段階ですが、次の量産化できる技術開発で煮詰まっているようです 気長に待つしかないでしょう・・私はLマウントへの移行も完了して受け入れ態勢はでき上っておるのですが・・ひたすら待つしかないのです。

写真

この掲示板の写真投稿者は随分と限られてきて、ほんの一握りの方たちだけの掲示板のようになって しまいました。 しかしながら写真やコメントの投稿はせずとも、掲示板の視聴だけはしているという多くの人達がおられ るということでしたね。管理人様はそのように言っておられましたので。 それはきっと、そうなのでしょう。 なぜこの私は写真を撮るのかと申しますと、それは単なる歩きの健康維持というところが大きいです。 歩くことは大切で特に野山に散策することは足腰の鍛錬になり、また自然に触れることで喧騒な日常を 忘れることができます。写真やカメラはその為の道具にしかすぎません。 そして写真を投稿するのは、写真というものを通してこの社会との接点を見出したいからですかね。 撮影をしてそのデータをパソコンで現像するまでは私の写真行為ですが、その写真を投稿した瞬間から その写真は私のものではなくなります。この社会の皆さんの、視聴者の方々の写真となるわけです。 写真を撮影することは、例えば被写体としての多くの人々と、そして自然が相手ならばその自然との 出会いというものがあります。それらは撮影者個人の特権とも言うべきかもしれません。 私がこの私の内部に閉じこもらずに、人々や自然との接触点というものがあるということ。写真撮影は 最初から開かれているものなんですね。被写体という存在がなければ、写真は一点も撮れずで存立す ることすらできません。 そしてその被写体の数々を記録し写真として収めることができるわけです。それは私と被写体との 出会いの記録であるわけでしょう。 そしてさらにこういう掲示板というものを通して、世間の多くの人達の眼に触れることができるのも、 写真のもうひとつの大切な意味であるわけです。こごても写真は開かれているというわけです。 私が最初にカメラなるものを見たのは、手に取ったのは十代後半の頃でした。それまでカメラには何の 関心もなく、家にあるカメラですら触ったことがありませんでした。それで私が最初に出会ったカメラは、 友人が購入したペンタックスSPでした。当時私はデザインの勉強をしていましたので、やはり写真を 知ることは必要だよねって感じていたんですね。そういうタイミングの良さというものがありました。 それで友人のカメラを借りたり、先輩のニコン、また自分も中古のキヤノンなどを手に入れて、当時は 黒白フィルム写真でしたが、自家現像を含めて次第に写真にのめり込んでいきました。 十代末の精神的にも柔らかい時期でしたので、写真というものが私の精神形成に及ぼした影響力は とても大きかったと思います。当時はカメラ写真雑誌も多くて、写真の文化という度合いも高度だったと 言えます。また私の交友関係は写真を主軸にしてましたね。 そこで私が学んだことは、やはり当時の写真はジャーナリステックな視点が強くて、今のように芸術的 とかネイチャーとかいうのはあまり言われていませんでしたね。それはともかくとして、写真の原点とも 言うべき自分と被写体との関係ですか。それはやはり社会や自然という、外界と自分との関わりという ものが最も大切だなっていうことでした。また写真というモノがれっきとして存在することの確かさ、とい うものも魅力でしたね。 いくらアタマで何やかんやって言っても、写真では目の前の事物というものが最優先するわけです。 アタマで考えた理念が写真になるわけではないので、被写体というリアルな現゛質の存在が大切じゃない かって、なるわけです。この考え方は今も私は変わってないですね。 写真にはそれを始めた時期というのは重要で、成人になって精神が固まってからでは遅いかなって感じ るところがあります。もっとも写真にはいろんな考え方があるので老人になってからでも写真はできる わけです。しかしその内容は若い頃に始めた人とは随分と違うことになるでしょうね。 まあそんなわけで写真に入門したのは早かったほうですが、以降随分と写真から遠ざかった時期が 長かったです。写真を再び復活してのはパソコンが出現して画像処理が出来始めてからです。昔とった 杵柄というわけです。当初はフィルムカメラとPCスキャン、それからデジタルカメラですね。 最初は面白おかしく写真三昧でしたが、やがてこんなんではあかんなって感じました。大昔の自分が 最初に感じていた新鮮なあの写真の感覚。自分と写真と社会との関連性。写真における哲学や思想と いうものも考えていかないといかんのじゃないかって感じ始めたわけです。 そういうところにこの掲示板というものがあり、そこで自分なりの写真感というものを書き始めることに なったわけです。 そんなわけなので私の書くことは普通の人とは随分と違います。単純に写真の楽しさとか写真の技術 とか、そういうものを期待して読むとがっかりするでしょう。たまに勘違いをして私の文章を読んで何のこと やらわからへんって言う人がいるんですが、それは当然のことですね。 写真の原点が肌で理解できるようになるのは歳をとってからでは遅すぎるからです。また私がカメラや PCでの危険性を書くのもそういうことです。電磁波とかVDT症候群とか。これらも写真の原点と密接な 関係があるからです。フイルム時代にはなかったことですが現在では看過できない写真の原点のひとつ になるからです。 時代と共にカメラも写真も変わっていきます。しかしその原点というものは昔も今も変わっていません。 写真の本当の楽しさというものも実は変わっていませんね。変わってしまうのはユーザーです。それは 時代と共に変遷していきますから。 私が写真を始めた当初は、写真を趣味とする人はごく僅かでした。一眼レフを持ち、自家現像プリントを する人は極めて少ない存在でしたね。自動露出もAFもない時代でしたから。そういえば私が子供の頃、 叔父が写真趣味だったようで二眼レフを持ち、私もよく被写体に収まってましたっけ。私が写真人に なったのは叔父からの血筋があったのかもしれません。 昔と比べればカメラも写真方式も随分と変化していきましたが、それでも写真そのものに基本的な違い というものはないと思っています。 もしそういうものに興味のある方がいらっしゃれば、私の書き込みを読んでいただき、何らかの助けに なればいいかなって感じてます。今はもう健康維持として写真をやっているような体たらくですが、少しず つでも写真の初心を思い出しながら書けたらなあって思ってます。 写真カメラ雑誌の休刊が相次いでいます。カメラも売れなくなってきているのかな。写真に興味がない人 が多くなっているのかも知れませんが、そういう時代の流れとは関係なく、写真の良さや面白さというの は依然としてあるわけですから、写真というものに興味があるという方は、この掲示板を覗いていただき たいと願っています。 コロナ禍で撮影もままならないという時代ですけど、でも写真の面白さはこれからですかね。(笑)

デジタルカメラとは《 1部 》

デジタルカメラとは《 1部 》 これからの投稿は、このコメント投稿の継続版ということになります。 https://photoxp.jp/pictures/216816 相変わらずの超高画素高画質機の問題です。もうこの課題を熟慮考察し続けて随分な年月が経っている と思います。 ところで人は何故に超高画素高画質機を欲しがるのでしょう? いろんな理由があるでしょうね。まずは 高精細な写真画像が欲しいということ。これは当たり前ですが。(笑) メーカーが出す最高価格のカメラ が欲しいという人もいるでしょう。最新の高級機を使っているとかっこいいから。(笑) まあ三重県です。 中には最新のカメラを手に入れようとしても、もうそういうカメラしか売ってないから、というのもあります。 とにかく、自分は最新の高精細な写真画質を探求したい、というのが真っ当な購入理由かもしりません。 この私も超高画素高画質機を所持していますが、実は自分からの欲求によって積極的にそれらのカメラ を購入したことは一度もないんです。すべてこの掲示板の他の方の影響によって、そういう超高画素高画 質機のカメラを、中古ながら買ってしまったという、そういう類の消極的な考えの人間だったんですね。 ニコンD800から始まってクワトロHまで全て他者影響の下にあります。アルファ7Rやイオス5DSもそう。 私が自分の考えで欲しいと思って買ったカメラは2000万画素のカメラまでです。最近ではイオス1DXとか ですね。 随分以前になりますが、ソニーアルファ7という2400万画素カメラを購入した時(当時の最新の高画素機)、 その画像を見ながら強く思ったことは、これほどの高画素機は自分には必要ない、の一言でした。当時は ニコンD700とかの1千万オーバーのカメラを常用していて、2000万画素超えのカメラの必然性を感じられ なかったのですし、何よりも当時のPCでは表示や処理に時間がかかり、且つなによりも高品位モニターで 見る写真画像が辛かったからです。 私が超高画素高画質機のカメラのトンでもない弊害に気づいたのは、シグマのカメラを集中して使ってい た時期です。1年くらい他のカメラを使わずにシグマの、当時はDPメリル、SDメリル、dpクワトロでしたか。 とくにDPメリルは4機ありましたので2連結合セットして2セットとして使ってました。メリルは連写撮影撮影 が駄目なカメラでしたが結合することで2倍撮れ、さらに2セットなので4倍撮れたわけです。加えdpてクワト ロ2がありました。これは比較的連写撮影が可能でした。 そんなわけで鈍重なシグマの超高画素高画質機を際限もなく撮れるようにしたわけです。当然にPCモニ ターの閲覧時間も増えていきました。シグマの画像、撮ったのはよいものの、その閲覧に、当然に画像 処理にも想像以上の時間と労力を食われてしまっていたということです。 その結果なのてすが、私の仕事場における立場は怪しくなっていきましたね。自分ではわからなったの ですけどとにかくそういうことです。危うく大口の顧客を失う寸前のところまで行って私も眼が覚めました。 原因はシグマの超高画素高画質機にあると。それで以降、シグマカメラをメインで使うことはありませんで した。この後もdpクワトロ0、sdクワトロHと購入していますが、そういう超高画素高画質機のカメラを手放し で使うことはもうありません。 これは病理学的にはVDT症候群といいます。 ネットからコピペしますと・・・VDT症候群とは パソコンなどのように、ディスプレイやキーボード等で構成さ れているものをVDT(Visual Display Terminals)といいます。 VDT症候群とは、その機器を使用したデータ 入力作業や、液晶やブラウン管などの画面を見ながらの作業を長時間続けることで、目や体、心に支障 をきたす病気のことです。 ・・・これですね。私も知らずしらずのうちにこの罠に陥ってしまっていたというわけです。 VDT症候群は別の言葉で言えば、反射光の光で見る世界(これが世の中のほとんど)ではなくて、直射光 で見る特別なスクリーンなんです。その光源が蛍光管であれブラウン管であれLEDであれ、その光に向 かって眼を開けているわけなので通常の世界とは違うものになるはずです。 直射光は、有無を言わさず眼と脳に直接飛び込んでくるという気がしますね。反射光の一例である紙媒 体ですと、新聞にしろ書物にしても書かれていることが正しいとかどうかは、それを判断する脳は余地を 残した正常なままなのですが、直射光は違うという気がしています。よくネットで炎上したりとか過剰反応 をするのは、その内容がどうのこうのではなく恐らく直射光の光の成せる技なのかなって思ってますね。 それが証拠に過剰反応をされる方は文章の内容をよく読めていませんから。飛び飛びの単語で反応して いるだけです。そこに著しい知力の低下を感じざるを得ません。 昔の刑事ドラマなんかで、容疑者の顔にスタンドライトの光を当てて尋問するってのがありましたが、直接 光は人の正常な判断力を失わせてしまうようです。ですから画像の画質や画素数とかの情報量問題以前 にストレスのないモニター環境にしておくというのが大事です。 テレビでもネットでも広告で事業が成り立っていますが、それは直接光のなせる技であるとも言えるでしょ うね。反射光の広告よりも強力な広告媒体なんでしょう。 私の場合、デジタルカメラにおける漏洩電磁波問題は比較的早く知ることになったのですが、これとても 明確に理解できたのは車の事故に遭遇してのことですからね。人間というのは自分が痛い目に会わなけ れば結局、何も改めることなどは出来ないということなんです。それどころか痛い目にあっても分からない 場合がほとんどですね。 このVDT症候群は、以前から私も良く知っていたのですが、それがまさか自分にも降りかかってくるとは 思いもよらなかったというのが残念ながらの事実でした。 そうですから、VDT症候群によって悪影響を受けるのは、たかが写真趣味だけでは終わらないというわけ です。自分の全生活や仕事にも大きな影響を受けてしまうということ、これが肝心で重要ななんです。仕 事関係、社会的立場、家庭やご夫婦のことなど、全てに多岐にわたります。 それを言いますと、漏洩電磁波問題は自分の身体の健康力の低下だけで済むようで、比較的に被害は 低く抑えられます。それとても健康低下は病気の引き金になりますからね。 このVDT症候群にいったん陥った場合、写真は即止めなければなりません。あらゆる写真活動を停止す るのが無難ですが、とにかく超高画素高画質機は絶対的に即時停止、もう当分は使ってはなりません。 これは本人は気が付かないのですが、脳をやられるというか強いストレスで、脳が正しく機能しなくなるか らのようです。いわゆるゲーム脳とかゲーム依存症とかと同じことになるんですね。依存症というのはそ の悪影響下が常態になって自分では制御できなくなるということです。麻薬なんかと同じです。 そして自分では気が付かないのですけど、脳知力の低下も見られます。他人からみると、あいつは最近 どうなっているんだ?まともにやれていないじゃないか、と見られるわけです。それが事実なんですね。 超高画素高画質機の写真画像というのは、例えば1000万画素から2000万画素に行った場合は、これは 普通の脳の正常な機能範囲内にあるわけで一応は何も問題は発生しません。しかし2000万画素から 4000万画素に行ったとしますと、仮に脳の処理能力が2000万画素余という上限があるとして、4000万画 素のうちの2000万画素分の画像の情報処理能力はオーバーをして溢れ出ることになるわけです。 ちょうどダムの水を想像してもらえば分かるのですがダム湖が満杯になれば緊急放水をしなければなら ないですね。それは危険な状態だというわけです。人は仕事や生活において多くの情報処理をしている わけですが、それらの処理能力と画像の処理能力に区別はありません。それが写真の趣味でダム湖を 満杯にして異常放水までしなければならないという状況、これは如何にもまずい、ということが理解できる と思います。 脳のキャパシティは一定ですので、写真趣味で無駄に使ってしまうだけでなく危機状態にまで陥らせてし まうということが、如何にも危険だということ。それだけですまず、ダム湖も土砂で狭まって貯水能力が 落ちてしまったり、ダムに亀裂が入ったりもするでしょう。そうなるともう後戻りすることもできなくなります。 ですから、たかが超高画素高画質機の画像なんて大げさな、とは思わないことです。モニターに映し出さ れたものは強制的に脳内に侵入してくるのです。デジタルカメラは視神経の延長であるとは良く言った もので、この危険性には驚くべきものがありますね。 PCモニター(PCのビデオカード性能と液晶モニター)は高品位なものを使ってはなりません。安物の小さな もので良いのですしその方が安全です。カメラがいくら超高画素高画質機であっても出力のPCモニター がそれを映し出さなければ問題は大きく低下しますから。 そして何よりも入力側の超高画素高画質機は慎重にして使うことです。出来れば使わないのがベストで しょう。

渓谷Ⅲ

kusanagi氏が、どうでもよい投稿写真に、ごたごた書いてましたので全否定しておきます。 投稿を修了するのは、投稿写真と関係のない私に関するK氏の間違った推察、以前Fujiを撤退した時にも同様の間違った推測がありましたが・・投稿写真とは関連の無い、まるでストーカーのような書き込みに、お付き合いしたくない・それが理由です。 Fujiを撤退したのは、中判へ移行する1歩でした、使わないレンズ、カメラを死蔵するより、使ってもらえる人に引き渡す、これが私の信条です。 dpquattroに満足はしておりません、sdquattroHへの移行は当然の流れです、Aps-cにスペックダウンして、使いやすくする??これ大間違いです、Aps-hで使った方が絵に余裕があります、 将来のFoveonフルサイズへの布石のため、現行のSaマウントは増やさないようにしております。 投稿画像は、Aps-hです、レンズはDCですので4対3のフォーマットです。 K氏は、掲示板の皆さまの投稿を全てダウンロードしてコレクションしているようですが、何に使っているんでしょうね、不思議です。

花 Ⅱ

この掲示板、サーバーが新しくなり投稿画像がスッキリしました。 自分の画像の色がどう見えるか、息子のPc,友人のappleから見たり・・楽しませていただきました。 感染症も状況が悪化する日々、撮影活動を自粛、投稿も終わりにします。

花

沖縄が梅雨入り・・紫陽花の季節になります。

空 Ⅲ

巣ごもり中なので2019年の撮影 山の上でも公園があり、人は群れて子供は走り廻り危険です。

Camera Profile

sd Quattro Hについて

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

シグマは2016年2月23日、APS-Cのsd Quattroと、より大きな撮像素子を使うsd Quattro Hを同時に発表した。この時点では価格も発売日も未定であった。1プレス ASCIIシグマがAPS-Hセンサー採用sd Quattro Hなどを発表

Hの発売日が告知されたのは12月7日で、12月20日発売、価格はオープンとされた。発売に合わせて現像ソフトSIGMA Photo Pro 6.5と、遠隔撮影用のSIGMA Capture Pro 1.3も提供する予定であり、カメラ本体に加えて撮影後の処理やPCからの撮影を支えるソフトも整えられた。2プレス ASCIISIGMA sd Quattro Hの発売日決定

ラインナップ上の位置付け

公式カタログは、APS-Cのsd Quattroを画質と基本性能のバランスを求める機種、Hをさらに高い解像感を求める利用者向けとして分けた。Hは別マウントの新システムではなく、SAレンズを用いるシリーズ内の上位側である。3公式 シグマSIGMA sd Quattro / H カタログ(2016年版)

撮像素子は26.7×17.9mmのAPS-Hで、装着レンズの画角は35mm判換算で焦点距離の約1.3倍となる。三層を合計した有効画素数は約3,860万画素だが、トップ層は6,200×4,152画素で、通常のHIGH画像は6,192×4,128画素である。平面上に3,860万個の異なる撮影位置が並ぶセンサーという意味ではない。4公式 シグマsd Quattro H 公式仕様

Quattroの層ごとの画素数は、下層・中層・上層が1:1:4となる。上層の輝度情報を下二層にも利用し、データ量と画質のバランスを取る構造である。メーカーの「5,100万画素相当」という解像力の訴求は、三層の合計画素数や通常記録画像のサイズとは別の指標として読む必要がある。3公式 シグマSIGMA sd Quattro / H カタログ(2016年版)

ボディは約147×95.1×90.8mm、電池・カードを除いて約635gで、動画記録を持たない静止画専用機である。約236万ドットのEVFに加え、背面には画像用の3型約162万ドット液晶と設定表示用のサブモニターを備える。画像と撮影設定を別々の画面で同時に確認する構成だった。4公式 シグマsd Quattro H 公式仕様

先代からの進化

レンズ固定式のdp Quattroで使われたQuattro技術をレンズ交換式へ展開し、Hでは撮像面もAPS-Hへ拡大した。三層の信号を扱う画像処理系にはTRUE IIIを2基搭載し、高解像センサーからの情報を並列に処理する。操作面ではシャッターボタン近くにQSボタンを置き、上面のLOCKで不用意な設定変更を抑え、フォーカスピーキングやファインダー内拡大も利用できた。3公式 シグマSIGMA sd Quattro / H カタログ(2016年版)

RAWには異なる仕上げの経路がある。14bitロスレス圧縮のX3F/X3Iに加え、12bit無圧縮のDNG出力に対応し、互換性のある現像ソフトを選べるようにした。ただしDNGとJPEGの同時記録、カメラ内でのDNG現像には対応しない。ビット深度や圧縮方式も異なるため、同じデータを拡張子だけ変えて保存するものではない。5公式 シグマsd Quattro H English Manual

SFDモードは、露出を変えた7枚をX3Iとして保存し、SIGMA Photo Proで合成してノイズとダイナミックレンジを改善する方式である。AまたはMモード、ISO100、RAW HIGHに固定され、三脚の使用とレンズOSのOFFを指定する。合成結果をカメラ上で確認することもできず、通常の1枚撮影とは異なる、撮影からPC処理までを含めた使い方となる。5公式 シグマsd Quattro H English Manual

連写はDCクロップOFFの場合、HIGHで最高4.4コマ/秒・8枚、LOWで最高6.2コマ/秒・16枚である。DCレンズを装着すると初期設定ではAPS-C範囲へ自動クロップし、HIGHの画像サイズは5,424×3,616となる。DCレンズを使えることと、APS-Hの全域をそのレンズで撮影できることは別であり、クロップのON/OFFは手動でも切り換えられる。5公式 シグマsd Quattro H English Manual

ライバル機種との比較

最も直接的な選択肢は、同時に発表されたAPS-Cのsd Quattroであった。APS-C版は23.4×15.5mm、有効三層合計約2,950万画素、HIGH画像が5,424×3,616である。6公式 シグマsd Quattro 公式仕様 Hは同じ外形に大きな撮像素子を収め、通常記録の画素数と同じレンズで写る範囲を増やした。本体質量の差は10gであり、Hを選んでもボディの外形がさらに大きくなる構成ではなかった。4公式 シグマsd Quattro H 公式仕様

開発の背景

山木和人社長はCP+2016のインタビューで、Foveonが描く細部では小さなピントのずれも目立つと説明した。ミラーレス化の理由に挙げたのは、ミラーショックを避けることと、一眼レフで問題となる焦点精度への対応である。解像性能を実写で引き出すために、光学ファインダーとミラーを持つ方式から離れる判断をした。7インタビュー Imaging ResourceSigma Q&A at CP+2016: CEO Kazuto Yamaki

その一方、マウントは一眼レフ用のSAを維持した。山木氏が述べた理由は、既存の顧客が手持ちのSAレンズをそのまま使えるようにするためである。ミラーのないカメラへ移行しながら、利用者のレンズ資産を引き継ぐことを優先した設計であった。7インタビュー Imaging ResourceSigma Q&A at CP+2016: CEO Kazuto Yamaki

APS-Hの採用にも処理系を含めた判断がある。山木氏は、フルサイズにするとファイルが大きくなり、処理も遅くなることから、APS-Hが顧客に適した大きさだと考えたと説明した。撮像面を拡大するほどよいという選択ではなく、Foveonのデータを扱う負荷までを考慮したサイズである。7インタビュー Imaging ResourceSigma Q&A at CP+2016: CEO Kazuto Yamaki

一眼レフ用レンズを使うことはAF方式にも関わった。山木氏によれば、既存レンズではコントラストAFだけだと遅くなるため、位相差でピント位置へ近づけ、コントラストAFで最後を合わせる方式を採った。速さと最終的な合焦精度を分担する考え方であり、SAレンズの継続利用とミラーレス化をつなぐ仕組みだった。7インタビュー Imaging ResourceSigma Q&A at CP+2016: CEO Kazuto Yamaki

利用者の評判

複数の専門媒体が共通して評価したのは、低感度での細部の解像である。一方、AFや書き込みを含む反応は遅く、動体を追う用途よりも静物や風景に向くという評価でも一致した。高解像の静止画に撮影の力点を置く性格が、実写での評価にも表れている。8レビュー DPReviewSigma SD Quattro H Review

DNGによって現像ソフトの選択肢が広がる点も、複数媒体が利点とした。ただしファイルの大きさは留保となっている。こうしたDNGの評価は、専用ソフトを用いるX3Fや7枚合成のSFDとは経路が異なるため、すべての現像方法に同じ結論を当てはめるものではない。9レビュー Photography BlogSigma sd Quattro H Review

評判の出典

3件

内容の確認日: 2026年10月1日

sd Quattro Hで撮った写真の話題

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