最近ふと気がついたのですが、花鳥風月さん、このところ見かけないですね。
いつの間にか、投稿もコメントもなくなったという感じです。このことを誰も話題にしないので、
いなくなったということにすら気が付きませんでした。
こういうネットの掲示板は、ある程度の簡単でいいから挨拶程度の平易文が書けないと他人との
交流ができないところがあります。独創的な俳句文によるコミニケーションだけでは限界があった
ということでしょうか。
といいますか、根本的には俳句と写真の組み合わせはミスマッチだったと私は考えています。
俳句は世界で最小の芸術なのですが、本当はペンと紙すらも要らないという、極限にまで
無駄を排した芸術です。それに余計な写真を付けるという、その事自体が間違いではなかった
かということですかね。
それに現代の俳句は単純な花鳥風月を題材にしていません。今の俳句は作者の心理を題材に
していますから。そういうのも時代はずれだったように思います。
それから俳句云々という以前に、デジタル写真のし過ぎはあまりにもリスクが大きいなあって
いうことでしょうか。花鳥風月さんは颯爽と掲示板に登場し、投稿につぐ投稿で各板を席巻して
参りました。その撮影量は膨大だったろうと思います。
短期間に一気に多量の撮影と投稿をして、気分的には燃え尽きたという感じだったのかも
しれませんね。
こちら最近は全くカメラを持つことはなくなっています。このまま写真から遠ざかっても構わない
のではないかと思うほどです。(^^ゞ
ところで花鳥風月さんはブログを開設しているようで、そのタイトルが「廃空」です。
http://haikuiyahaikuu.blogspot.jp/
俳句をする人は俳人といます。ならば廃空では廃人になるんですか?
このメッセージは強烈ですよね。(笑)
まあこういう結末になることは最初から予想をしていました。とはいえ実際にこういうリアルな
結果を見せつけられると、こちらもビビってしまいます。それはデジタル写真とは遅かれ早かれ
誰であっても廃空への道を歩むことであると暗に示しているかのようだからです。
私も今年に入ってからカメラに触ることもなく撮影は一切していないのですが、感じることは
物忘れが少なくなったとか、仕事の作業の段取りがスムーズに行くようになったこととか。
またお客さんからの仕事依頼が増えたなって感じることもあります。
パソコンのメンテナンスはずっと前にも増してやってますから、パソコンからは遠ざかっていなくて、
カメラだけから離れているということなんですよね。
一番に考えられるのは、写真画像を見ることと、それから単にパソコンの作業をすることとは
別の次元のことであるということかもしれません。それからカメラを持てば、どうしても電磁的に
被爆をしてしまうということもあります。
パソコンの画面はビジュアル的になったとは言え、基本は言葉です。日本語であれ英語であれ
言葉の羅列が映し出されるのであって、それを目と脳で読み解いていくのがパソコン作業ですね。
ところが写真画像となると、これは文字ではなく画像そのもので、情報量的には膨大になるんです。
全く次元が違うのですし実際にデータ量としても大きく違います。
目から入る情報量は膨大であって、写真画像をよく見よう、細部まで見ようとすれば、これは大きな
負荷が脳に掛かるっていうことでしょうかね。私は今、パソコンはやってますが、ただし写真画像
は見ていないんですね。
そういう違いが大きいのじゃないかなって思います。
花鳥風月さんがどのような理由によって「廃空」になったのか。ご本人に聞いても答えられない
でしょうけど、要するに撮影時の電磁波と、画像鑑賞からの脳疲れの両方だろうと私は推測して
おります。そしてこれは他人事ではではなくて私自身にも忍び寄る危機なのであって、他山の石
としたいと思っております。
最近、ウインドウズ10を導入したんですが、大きな問題があって使いにくいパソコンになっている
ような気がします。それは自動更新の問題ですね。これを手をつくして停止しても、まだ忍び寄って
くるというやっかいなもののようです。
10の本体そのものはなかなか良いなっていう気はしているんですが、この自動更新がキャンセル
できにくいという問題で、まだまだウインドウズ7に頑張ってもらわんとね、と思ってます。