Capture Oneソフトウェア 作例

無題

溜池の側にあったお地蔵さん。マスクには「コロナがなくなりますように」と小学生の字で書かれて います。(^^ゞ マントに涎掛け、帽子にマスクとフル装備なので石の地蔵さんとは思えないほど。 切花にお賽銭たっぷり、本格瓦葺の覆いと、とても大事にされているようです。溜池も大きめのクラス なので付随した神社も立派でした。近くには小学校があり、こういう地蔵さんは子供達の安全を見守る 役目があるようです。

無題

オリンパス18-35F2.0 柔らかくて繊細な描写をします。 ちょっと、自分なりに細部にこだわったネイチャー風に撮影してみました。(^^ゞ ホテイアオイですかね。 いつもの溜池撮影でしたが花が綺麗でしたので、ついそっちのほうに撮影が夢中になりました。 常には俯瞰的に溜池を回りながら早足で撮影するのですが、今回はそうは行かずで一所に留まり、 ショット数も多くなりました。自分にはあまり向かない撮影手法なのですが、これはこれで良いものです。 亀や鷺だけでなくカエルやアメンボもいて被写体には事欠かないようです。

無題

レンズはパナソニックライカ14-50F2.8-3.5で確か、購入時はDMC-L1に着いていたと記憶します。 光さえあれば十分な写りをしますが低照度ではあまりよろしくないです。(^^ゞ 

無題

これはシグマ55-200、F4-5.6というフォーサーズレンズです。小型だけが取り得で描写はよくありま せん。既存のAPS-Cレンズをそのまま4/3マウントにしたたものなのです。(^^ゞ 

無題

サギは浮き草に乗っているわけですが、長い足は折りたたんで座っているのかもしれません。(^^ゞ  こういう近くでデカイ鳥ならばピントは合うようです。

無題

このレンズはフォーサーズ50-200F2.8-3.5ですが、旧タイプですので超音波モーター採用ではなくて 鳥は撮れずで、亀ならば大丈夫というレンズです。(^^ゞ それでもピントがずれていますが。 描写はEDレンズ採用なのでなかなかよいです。

無題

MN研の投稿写真に感銘を受けました。以下はそれへの私なりの感想となっています。(^^ゞ  https://photoxp.jp/pictures/218087 これは興味深い写真を見せてもらいました。最初はコメントを読まずに写真を見ていると手前の木々 が揺れていて、風が吹いているのか?と感じたのですが少し変です。それで列車の車窓からの撮影 だったことが分かりました。まさか!という感じです。 とするとこの撮影はガラス越しであるのですが、そのあまりにものクリーンな描写には唖然ですね。 よっぽど空気が澄んでいたというわけです。台風一過ではよくあることだとは言いながら。 余談ながら、このレンズの凄さに驚いていて、おそらくEkioさんがお使いのレンズでは最高性能の描写 をするものではないでしょうか。正直私も欲しくなっています。(^^ゞ  そして関心は武甲山へと向いてきました。 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1204780.html ここでかつての武甲山の姿が見えるのですが https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68367?page=2 このように産業の発展と共に武甲山がどうなっていったのか綴られています。ここ秩父の武甲山だけ ではなく、日本各地で採石されて姿を変えた山は数多くあるわけです。自然破壊の典型ではあるもの の、この犠牲がなければ都市もインフラもできません。同じようにダムで水を確保しなければ都市は 運営できないわけですね。 よく考えてみれば写真家は、そのような都市と山の深い関係を観察し記録することができます。社会や 人々と自然との関係ですか。それはある意味、写真家の特権であるようにも思えますね。 よくネイチャー写真として、残された微細な自然を写真として撮影される方々が多いのですが、花々と か昆虫とか鳥とかですね。確かにそれは綺麗で我々を楽しませてくれます。しかしそれは本当の本質 を表現しているとはいえない部分もあるような気がしています。美意識を探求すればそこに幻想が混じる ということでしょうか。そういう細部は必ずしも普遍を現してはいないのかもしれません。 しかしながら細部に神性が宿るのも確かであって、その自然力がやがては自然回復の大本になってい るのは間違いのないところです。 この里山の写真はかつての山容ではないのですが、しかしこれはこれで現実を表していて自然な光景 だと言えますね。日本の自然回復力は強いので石灰石が採りつくされれば、やがては本来の自然な 山に戻ることでしょう。随分な時間は掛かるものの。 考えて見ますと、我々が使っているカメラやレンズですらも元は山から採られた金属や石であるわけで す。何一つ自然に影響を与えずに済むものはありません。 非常に良い写真を見せてくれました。私も地元四国の自然と社会との写真を撮り考え続けているので すが、つくづく自然は偉大であることに感じ入っています。最近はオリンパスで撮影することが多くなり ましたが、これはEkioさんの影響かもしれません。(^^ゞ 空気さえ澄んでいれば大きなカメラに負けない 描写をしてくれます。 思うに掲示板のこの板は、オリンパスとかペンタックスをお使いの方か多いようです。小型カメラであって 色んな意味で負荷の少ない機材のように思えます。日本的なカメラとも言えそうですね。

森の神社

私の場合、特別にフォーサーズが好きというのではなくて、オリンパスカメラで且つパナソニックセンサー を搭載したカメラが好きなんだろうと考えてます。 E-M1は1600万画素のパナ製センサーを搭載していて、後継のE-M1マークⅡやⅢ、MXはソニー製の センサーなんですね。E-M5やE-M5マークⅡもソニー製です。パナソニックはイメージセンサーの製造 から撤退したと思うので、1600万画素のセンサーが最後になったようです。 そんなわけなのでE-M1から以降にはあまり関心がないんです。もちろんパナソニックのカメラという手も あるんですが、出てくる絵としてはパナよりもオリンパスが好きです。 そういう個人の好みの問題ですけど好みゆえに単純に、こだわりというものが出てきます。(^^ゞ  E-M1に着けて撮る場合、自分の手持ちのレンズでは、このオリンパス14-35f2がもっとも気に入ってい ます。このレンズはデジイチ用の古いレンズでして、ミラーレス用のマイクロフォーサーズ用のレンズでは ありません。それでイマイチ使い難いところがありますが、静止風景しか撮らない私の場合では問題が ないです。 このレンズとパナソニックセンサーとオリンパスエンジンの組み合わせが最高と思っていて、その抜きん 出た透明感(抜けの良さ)と発色が気に入っています。 私の場合の撮影とは、事物という被写体の撮影をするというよりも、その場の空間と言いますか、空気感 を写しとめたいという気分があるんです。空気感という言い方はあまり好きではないんですが良く使われ ますね。つまり事物と事物との間の空間の意味というのがあって、その中にこの自分も存在しているわけ ですが、なぜ此処にこのようなものがあるのだろう?とか、どうして今ここに自分が居るのだろうか、という ような問いかけを常にしていきたいと考えているからです。 神社はよく撮ります。鎮守の森が好きですし、溜池の撮影をしていけば必ず神社が付随しているわけです し里村には神社は当然のものだからです。この神社というのは点々と建物や石造物が配置されている わけですけど、その本質は空間だろうと考えているのです。もとあった自然林を伐採してそこに空間を作 る。無論、自然の森の存続も大事で本質的な意味があるんですけど、この森と新しく創出された神社空間 というものはセットになっていると考えています。そして建物等の事物が極めて直線的な配置になってい るのも面白いです。 神社仏閣というのは村の公共の空間でして、よそ者でも自由に入ることができます。これは本質的なもの でして、そこに宗教的なものがあるのは間違いがないです。都会の市場やマーケットや何とかタウンなど も自由空間ですが、この市場(しじょう)やレリジョン(宗教)は元は同じものかも知れませんね。 何人をも拒まないという、そういう空間です。道や広場もそうです。この開かれた空間というものが、写真 の撮影には最も向くといいますか、私はそういう場や空間を撮影の対象にしているというわけです。 文明が発達し所有権というものが芽生えて、例えば田畑というものもそうです。そういう囲い込みが出来 たわけですけど、本来の自然というものはそうではなくて誰でも自由に利用できたわけです。同時に自然 の脅威というものも平等でしたが。オオカミやトラに襲われるとかですね。 写真を撮影するという行為は、そういう文明が発達する以前の狩猟採集の時代の雰囲気を残していると 私は考えているのですが、そうだからこそ、自由に撮影できる空間と場というのは深い意味があるのだろ うと思ってます。 神社というのは文明発生後に、人々か意識的に残した自由な空間だろうと思いますし、当然に自然の 樹木や岩石や川も保存しております。そして自然発生的な宗教観もそこにあるんだろうということです。 かつての大自然がミニチュアとして凝縮して保存されているのです。 田畑というものが時代と共に発達して、より高度な生産性を持つ都会とか工場とかに変わったとしても、 神社だけが永遠にそこに存在する。その意義に思いを馳せるのは面白いですね。 とにかく何やかやと言いながらも、神社の空間に足を向ける自分がいます。建物の周囲は自然林ですの で建築物の傷みは激しいですし、狛犬なんかも遠慮なく苔むしたりカビが生えたりします。しかしそれで も昔から人々はそういう神社の在り方を変えようとはしませんでした。国家的な神社仏閣は長期の保存を 考えていますが、村にある神社などは自然と一体になっている感覚が濃厚に漂います。 溜池とか広大な田地を造成すれば、当然に大規模な自然破壊を伴うわけでずか、そこに付随して神社 を設ける。鎮守の森として自然を残していく。そしてそこに誰もが入ることができる。そういう文明のやり方 をこの国の人々はやってきたわけです。これからも永遠にそういうものは続いていくのでしょう。 パナソニックのセンサーは、これは極めて日本的なセンサーではなかったかと思っています。オリンパス はそのパナセンサー以前はコダックのCCDセンサーを使っていました。米国メーカーですね。シグマにし てもそのセンサーは米国製です。日本製というのは無論ソニーやキヤノンもそうですが、これらはメジャー メーカーですので日本的というよりも国際的です。 そういうことではパナセンサーはマイナーであって実に日本的だったような気がしていますね。それでこれ らも大事に使って行きたいかなって思ってます。 フルサイズのカメラと比べれば、フォーサーズのカメラは慎ましやかです。センサー密度が高いので細や かな描写とならざるを得ません。パワーで押していくカメラではないですね。広大な大自然を撮るには向 かないように思いますしね。 日本的だ、ということではもうひとつ日本的だなって感じるのはペンタックスやリコーです。 メジャーメーカーのキヤノン、ソニー、ニコンとは違うメーカーは、なぜか日本的なイメージがしてくるのは 私だけかも知れませんが、大事にしたいメーカーですね。

掲示板「カメラ一覧」の使い方(続き)

こういうオータスのようなレンズで撮る写真というのは、まさにデジタル時代のリアリティな画像というわけ で、従来の写真のリアリズムとは異なることを知っておくべきです。むしろ計測器の世界ですか。 オータスとかフォビオンは風景とか物撮りでは敵なしの存在ですが、そこに人物が入ってくるとその画像 は従来型の写真の範疇となりその威光をやや失います。それはどういうことかというと人物の存在感の 前ではデジタルリアリティやはり万能ではないということですね。 https://cweb.canon.jp/gallery/s/archive/exhibition093.html 例えばこの北井一夫の写真では風景の中にポツンと小さく人物がいるだけで(ただし人物は視線をこちら に向けいて存在を主張しています)、その写真は風景写真ではなく人物写真となるわけです。 その人物の存在感がその光景全体を制覇しているようで、およそレンズがどうのカメラがどうのとかいう 話ではなくなってくるのです。 人の視線ということを考えて見ましょうか。オートフォーカスで瞳AFとかいうのがカメラではありますが、こ れは画期的なAFシステムでして、人物撮影において対象者の眼というものの存在が如何に大きいかとい うことなんですね。人物の存在そのものも偉大ですが、とりわけ顔とか目は重要です。 北井氏の写真はたとえ人物は小さくともその顔の眼の視線の威力が大きいというわけです。それで写真 の占める面積では風景写真でありながら、これはポートレート写真であるということになるのです。 写真とはやはり人を撮ってナンボというところがあります。どんな下手な写真でも、機材がボロであっても 人物を撮った写真には敵いません。それでネットで数多くの写真を閲覧しても、その画質を問わずに、と いうか、画質なんかを乗り越えてしまうのが人物撮影であるわけです。 もし風景とか物撮りだけが写真ならば、オータスやフォビオンの写真が最高の写真であるわけですが、 現実は人物という写真によって大きく覆るわけです。 ただし注意しなければならないのは、人物写真でも人物と撮影者との心の対話が発生していない写真と いうものがあるわけです。そういうケースでは人物はモノ化してしまっているのがわかります。 これはモデル撮影でよくあるのですが人物を撮影する場合に優れたカメラやレンズを駆使する場合は、 そのことが返ってマイナスになっているような場合です。撮影者と対象者の心の交わりを、レンズが邪魔 をしているというような例。つまりは人物撮影においてはデジタルリアリティはあまり追求すべきでは ない、ということなのでしょうか。 人の視線には2つありますね。ひとつはここで言った写真の中の人物撮影の視線。持つひとつは撮影者 自身の視線です。この2つを考えなければならないのでして、例えば風景写真では撮影者の視線しか 存在しませんが、人物写真では被写体の人の視線も加わるわけでして、その2つの力関係を与しなけれ ば写真というバランスが崩れてしまうのでしょう。 オータスやフォビオンというような高画質機材で撮影者の視線の力が強すぎると、被写体の人の視線が 萎縮され無視されたりするわけですね。それで優れた機材で、もしポートレートを撮るのならば人物を小さ くしていなければなりません。アップで撮りますと写真が崩れてしまいます。 この論理をもっと追求していくとどうなるのか。風景写真に於いても本当に撮影者自身の眼でもって力ずく で押していってもよいものがどうか。撮影者の考えだけで風景を撮ってもよいのがどうか。というような諸 問題です。ここに実は写真の独善が生まれるんですね。 この独善的な写真に陥っている人は多いんですよ。写真の鑑賞者の見方まで制御したいという欲望が そこにはあるんだと思います。しかしそのような写真は、一見して凄いねって思わせるものの、長い眼で みれば面白くない写真となります。 余談が続きましたがレンズの話に戻しましょう。(^^ゞ  オータスのような優れたレンズは、写真というよりも人間の視力がそのまま延長したような感覚を受けま す。まだ写真となっていない生の視力がモニターに広がるというイメージですか。これこそがデジタル時代 のリアリティな画像というわけでしょう。 非常に明るい優れたレンズは、裸眼で見るよりも光学ファインダーでそのレンズを通して光景を見るほう がより良く見えます。YKさんはソニーを使っていたのでそのレンズを光学ファインターで見られたのかどう かは不明ですが、購入されたオータスはニコン一眼用ですから光学ファインダーのカメラでレンズを通し た光を見ることができるんですね。 YKさんはオータスに夢中になって全てのオータスレンズを揃えてしまったわけですが、その間に多分ほか のレンズは購入されていないでしょう。カメラにしても新規更新せずに(アルファ7RからⅡになったものの、 Ⅲには行っていない)、ただひたすらオータスの魅力に見入ってしまったかのようです。 それほどにオータスというレンズは他の機材とは別格であったというわけですね。 優れた機材、とりわけレンズというものは人をして虜にさせるようです。あるカメラ評論家は、レンズは世 界の翻訳である、というようなことを言われていました。もちろんレンズだけでなくカメラ(センサーと映像エ ンジン)やPC関係も画質と大きく関わっているわけですが、このレンズほど顕著に画質が他のものと比較 できるモノはないわけです。レンズを換えれば世界がこれまでとは変わって見える、というわけです。 シグマなどはカメラ・センサーが優れているわけですが、着けられるレンズはシグマに限られています。 それで私もシグマ最高と言われるレンズを着けてみましたが、確かにそれまでのレンズとは異なっていて それ以降、レンズに目移りすることがなくなりました。 YKさんもおそらく、オータスを手にしてその最高の翻訳世界を垣間見たわけでして、もはや他のレンズに 食指することはなくなったのかもわかりません。もちろんこれは画質だけの話ですよ。しかしながら デジタル時代のリアリティの究極を見たのは確かでしょう。そのレンズをソニー6000万画素で見ればまた 違うでしょうが、多分たいした違いは感じられないでしょうね。 それほどにレンズというものは飛びぬれた能力をもっているようです。これはレンズというものが純粋に 物理的光学性能によって出来ているのであり、カメラのセンサー・映像エンジンのようにデジタル制御技 術が含まれていないからでしょうね。PC・モニターも制御が入ってますしね。 レンズにもデジタル制御は入ってますがそれはAFとかです。画質としては物理的光学性能のみです。 オータスはAFがないのでデジタル制御は絞りのみですかね。つまり純粋にアナログ技術だけで醸し出す 能力に惚れてしまったということでしょう。それが画質としてのレンズの魅力のように思います。 オータスよりも優れているものは存在します。中判デジタルカメラとそのレンズですね。フジとかペンタック スの中判デジタルカメラです。しかし非常に高価になります。AFも付いているので撮影はオータスよりも 容易かもしれません。特にフジはカメラが小型なのでこれを購入する方は多いでしょう。 オータスは既存のフルフレームカメラを使うことが出来て割安感があります。オータスの魅力は全ての デジタルカメラ(APSカメラも含めて)で使うことができるという点ですね。キヤノンとニコンの一眼レフのマウ ントがありますが、これで非常に多くのカメラで使えることができます。中判デジタルカメラのレンズだと そうはいきません。 レンズの良し悪しは相対的なものなので比較対象がカメラとして多いほうが有利です。フルサイズ6000万 画素のカメラでもAPS低画素カメラでも使用できるわけです。 フルサイズでオータスよりも優れているレンズも当然に存在します。NIKKOR Z 58mm f/0.95 S NOCTなん かですね。しかしこれも中判レンズと同じく汎用性がありません。ニコン・ミラーレスのカメラにしか着きま せん。それにしても、このニコンのレンズはMFなんです。究極の性能を追い上げていこうとすればAFでは 難しいのでしょうか。よく分かりませんが。 ツァイス・オータスのレンズは、所謂サードパーティ製のレンズですね。日本のコシナが製造しています。 そういうことではシグマやタムロンと似ていて、ボディを選ばない汎用性が持ち味です。気分的にレンズ メーカーというか、サードパーティ製のものは自分は好きです。サードパーティ製=安物というイメージが あるとすれば、それは私にとっては嬉しい評判でして、高価な買い物をしているという罪悪感が薄れるか らです。(^^ゞ  中判デジタルカメラは、例えばペンタックスなどはその初期モデルなどは大分安くなっています。レンズも フィルム時代のレンズでカバーすれば敷居は低くなるものの、そもそも中判デジタルに行くという、そのこ と自体が、ある一線を越える気がして罪悪感にさいなまれますね。(^^ゞ  その点ではコシナ製造のオータスは比較的目立たなくて良いかもしれません。何よりも国産メーカーの 製造というところが嬉しいです。 それと私はシネマレンズが好きなんです。シグマがシネマレンズに参入したことは、私にとっては大きく ブランド性が上がりました。(笑) オータスはこのシネマレンズの雰囲気が大いにあります。周辺光量の 低下が少なくて収差が補正されているとか、それから広角レンズが28ミリなんていうのもシネマ的です。 シネマは写真という静止画と違い、単画像で終わらずに何処までも見続けていくというイメージがありま すね。絵画的な一枚で見切った芸術ではないので、そういう意味で私はシネマレンズに殊のほか良い イメージを膨らませているのです。言うなれば終着点のない写真ですか。 ・・・・それにしても、こうやってオータスの作例をネットで探ってみて、また自分なりに考えてみて、もう、 なんか、既に自分でオータスを使っているような気がしてきましたね。(^^ゞ もうそれだけで十分満足して しまっている自分がいます。(笑)

掲示板 「カメラ一覧」の使い方

掲示板 「カメラ一覧」の使い方 https://photoxp.jp/cameras/sony-ilce-7rm2 https://photoxp.jp/cameras/sony-ilce-7r これは「一覧」→「メーカー」→「カメラ」→「ソニー」から、アルファ7RⅡとアルファ7Rのリンクしたものです。 この一覧の項目は以前より随分と見やすくなりました。嬉しいのは投稿者名が見えることです。 それで特定の投稿者の写真を探しだしやすくなりました。同様なのは「ソフトウェア」でもそうですね。 実はこの掲示板のなかで、コシナ・カールツァイスのオータスレンズを探し出したかったわけです。 このオータスというレンズをお使いだった方は、掲示板ではお一人しかいなくてYKさんだけでした。 オータスには55・28・85・100ミリの4種あるわけですが、YKさんは全て投稿されていました。レンズテスト 板からも探りだせるわけですが、使用機種が分かっていればカメラから探るほうが早いです。 なお、一覧の「レンズ」からはミリ数だけしか検索できませんし、しかもそれが膨大になるのでサーチに 使うことはできません。 私のような記録写真を手軽に撮影する人間には、使いこなせないレンズというものかあります。ひとつは 繊細なマニュアルフォーカスレンズ、そして三脚を使わなければならないレンズです。 とくにオータスのようなピントがシビアなレンズは、ライブビューでピントを追い込んでいかないと合わない レンズだと言われていて、しかも高画素カメラで撮れば僅かなブレも目だちますので、三脚も必要という ことになります。なお同様なレンズにはTSレンズがあります。チルト&シフトのレンズでキヤノンとニコンに あります。こちらはピントだけでなく露出もシビアなのでもっと難しいレンズですね。 こういうようなレンズは撮影に於いて、歩きを主眼としスピーディに撮影するというような、そんな私の撮影 法とは間逆のスタイルになるわけで、私にとっては使いこなせないレンズとなります。 このオータス・レンズは手短に言いますと、フルフレーム高画素機を中判デジタルカメラ化させるための レンズと言っても過言ではないでしょう。上記のYKさんの作例を見てもらえれば分かるように、他のレンズ とはその描写が次元を異にしております。 一番の相違はコントラストと発色です。解像力や収差のこともそうですけど、本質的な違いはこの色の 出かたということですね。それを得るために面倒だけど三脚とライブビュー撮影になるというわけでしょう。 しかしながらネットでさがしておりますと、このオータスを手持ちで撮影しただろうというケースに出会いま した。人物スナップ撮影でしたので三脚を使っていないのは確かです。使用カメラはニコンDfでしたので、 フルサイズながら高画素機とは言えません。中判デジタル的な使い方ではないのですが、しかしその 発色とコントラストは飛びぬけていて、やはり中判カメラの雰囲気です。 「写猫亭日乗」 https://syabyoutei.exblog.jp/19755327/ おそらく画素数を制限すれば(1000~2000万画素に抑える)、いわゆる中判デジタルカメラという発想から 自由になり、案外に手持ちで、ライブビューも使わないで撮影できるのかもしれませんね。 要は発想の転換であり、作品撮りではなくスナップ的な記録撮影にも、このレンズはつかえるのだという ことでしょう。 私がこのツァイス・オータスを評価するのは、その解像力や収差補正ではなくて、あくまでも発色とコント ラストとヌケ(つまりは解像力と収差か)なのであって、じゃあ、カメラ側の画素数を抑えて使えばよいの ではないかということです。 このオータスで撮った写真を見ておりますと、他の全てのレンズが色あせて見えて仕方がなくなるという、 そういう異次元のレンズであるわけですが、とにかく価格も使い勝手も非常に高い敷居があります。 しかしながらシグマのフォビオンカメラやCCDコダックセンサーに対抗できるのは、このオータスしかない ように思えますね。シグマの場合はそのイメージセンサーで高画質を出すわけですが、RAW現像処理に 時間が掛かりすぎるという欠点があります。 そういうことではオータスのように普通のベイヤー式カメラで使うのあれば簡単です。ニコンやキヤノン、 ソニーのフルサイズ機を使えばよくて、簡易撮影では光学ファインター視の低画素カメラですし、追い込ん で中判カメラ的にしたいと思えば高画素機でライブビュー・三脚の撮影にすればよいだけです。 それと、そもそもレンズの魅力とは、こと画質に関してはデジタル制御をするのではなく、純粋に光学的な アナログでやっているというところに本質的な魅力があります。一方のイメージセンサーは電子回路です し映像エンジンの影響下にありますが、そこのところに大きな違いがあって、やはり物理的なアナログで 画質を出すというレンズの魅力は大きいですね。 レンズ沼とは良く言ったもので、優れたレンズには引き込まれる魅力があります。私もいつかはオータス レンズが欲しいなあって思いながらも、その高価格とMF故の使いにくさに躊躇がありますね。 この掲示板は比較的高解像度の画像をアップできますので、カメラやレンズという機材の性能を知るには とても有意義な掲示板となっています。過去の写真を容易に見れるというのもメリットですね。最近、管理 人様がカメラメーカーの一覧を使いやすいように整備してくれたお陰で随分と助かりました。 またYKさんはお写真もレベルが高くて大いに参考になりました。お礼を申しあげます。 ※写真は大水上神社。讃岐国二宮ですので社格はトップクラスで歴史があります。でも辺ぴな田舎にあ るんですね。最近は神社巡りが流行しているようで、私をも折を見て参拝(撮影)するようにしています。 レンズはオリンパス14-35F2ですが、オータスのようなヌケの良さ、コントラストと濃い発色があるレンズです。(センサーがパナソニック製というのもあるんでしょう) 私が愛用しているシグマのレンズは優れてはいますが、そういう利点は少ないわけですね。ぐっと抑えた 沈んだ発色ですので、それもまた私の好みではあるんですが、シグマとは違った雰囲気が欲しいとなると こういうツァイス的なレンズを使いたくなるんです。(^^ゞ 

日本の未来

最近はオリンパス・ミラーレスとシグマ・コンデジしか使っておりません。いずれも簡易にカメラを持ち出し て撮影することが出来、そんな不精が板についてきました。(笑) 一眼レフを持ち出そうかという気がなかなか起きないのですが、いつまでも小型のカメラでやっていくと 云うわけにはならないのですがその切っ掛けがなかなか掴めません。 写真はやはり自分だけのものではなくて、ましてや公共のインフラを使っての掲示板に投稿ともなると、 多少はそれなりに見せることも考えなくてはなりません。 占星術的に見て、この年末が一番厳しい状況になるかなと予想しています。特に11月は要注意ですし、 それが年末年始にまで続きそうです。そして長い眼で見ると小氷期の到来となります。気候が変動し 気温が低下するとなると、本当の意味での不況がやってきます。食料とエネルギーさえあれば世界は 安泰なのですが、これからはそうは言っておられない気がします。 そういうようになりますと、これまでようにのほほーんと写真道楽はやっていかれないように思いますね。 皆さんはコロナのことばかり気にしているかも知れませんが、風邪の流行などは本当の不況や食糧難 の前には消し飛んでしまうものです。 気温が低下するといっても1度か2度くらいなので、よく考えてみれば私の若い時期に戻るだけの話なの でそんなに心配はないのですが、それは日本だけに限っての話です。世界的にみれば高緯度地域の 気温低下は大きな問題です。小氷期は長く続きますので、これからはその時代に備えても根本的な改革 をしていかなければなりません。 前回のマウンダー極小期は1645~1715年と続きましたが、これは日本では江戸期初期の新田開発の 時期と同じです。各地で浅海の干拓や沼地の開拓、山間部の新田開発が行われました。香川でもその 多くの溜池の造成がこの時期に行われたのです。それでも東北などでは冷害で苦しみました。 香川では山間部の中間村の田地の圃場整備はほぼ終わっていて、後は後継者が受け継ぐがどうかの 問題です。これからは平野部の再開発といいますか、広域田圃に作り変えることをしなければなりませ ん。宅地の乱開発は見直さなければなりませんね。田舎の同級生がやっている農業法人は25ヘクタール 経営ですが、各田地が狭すぎて大型機械を持っていても入りきらないのが多いのです。効率は悪くて 平野部の圃場整備が急務となっています。生産性を上げること、これが大事です。 とにかく現時点でもきちんと農地を整備して法的にも見直していけば、日本は少なくとも香川県は食糧を 自給できる能力があります。四国4県も同様です。 日本では稲作が向いているのであって、家畜の飼料としても米作でやっていかなければならないでしょ う。カロリーベースとして現在の2倍の生産量が必要だろうと思います。考えてみればそれは大変なこと なんですね。 思い出してみますと、コロナ以前に県外を車を走らせて他見を見学してみたのですが、見聞して回ったの は全て農地でした。(^^ゞ 一般的な観光地などには関心がないので田園風景こそが私の原風景だという ことでしょう。香川とちがって北陸東北九州の田地は立派でした。諫早湾干拓地などはこれから生きる はずです。造っていた良かったと皆が思えるようになるでしょう。私が思うに宍道湖や猪苗代湖、琵琶湖 浜名湖、諏訪湖、霞ヶ浦などは干拓・埋め立てすればよいのではと考えています。秋田の大潟村のような 肥沃な農地になるわけですから。 前政権の観光立国なんてのは机上の話であって、もうそんな時代には戻らないだろうと考えています。 人間は食えてナンボの話であって文化などは贅沢病なんですね。風光明媚な湖を見ながらこれは立派な 農地になるだろうって見ていたのは私くらいだったかも知れませんが(笑)、しかしこれからはれそが現実 になるはずです。エネルギー確保として洋上風力発電は大事です。地熱発電も温泉観光よりも価値が ありますね。とにかく食えなくてもいいのか?の脅し文句の前には観光も文化もないからです。 こんな感じでこれから日本も大きく変わらざるを得なくなります。

無題

ちょっと面白そうな記事がありましたので上げてみます。(^^ゞ  価格コムOtus 1.4/55 [ニコン用] 「一生かけてこのレンズ1本を味わい尽くしたい」 https://review.kakaku.com/review/K0000623794/#tab この記事の中でリンクを張られているのが、 「Simplicity / Ken Rockwell -シンプルということ- 」 http://d.hatena.ne.jp/Blue-Period/touch/20131013/1381670801 米国の写真家ですがサイト氏によって和訳されています。 さて実際のところ、じゃあケン・ロックウェルさんがシンプルライフを送っているかというと決してそうでは ないのですが、しかし書かれていることは実にまともで真実を突いているところがあります。 また価格コムの方も、非常に高価なレンズを購入することへの言い訳にケンさんの言葉を引いているわ けでしてね。つまりご両人とも実際の行動と語る理想とは違っていたりするわけです。(^^ゞ  これを矛盾として捉えるのではなく、そもそも矛と盾との相互邁進があったからこそ、結果としての本当の 真実というものが見えてくるというのがリアルな現実なのかなと私は思っています。 ケン・ロックウェルさんも価格コム氏も言っていることはシンプルなのでして、撮影に持ち出す機材は最低 限にすべし。つまり1台のカメラと1・2本のレンズだけで、ということなのでしょう。 そして、これを文字通り実践されているようなのが、キヤノン板におられます。(^^ゞ  現在は野鳥三昧の撮影なのでおそらく他のレンズは持ち出していないのではないでしょうか。 カメラ1台レンズ1本での撮影は、この私も現在進行中で試しているわけですが、以前のように複数の 機材を持ち出しての撮影とは、やはりちょっと違うねえっていう気がしています。 何がどう違うのかはまだうまく説明できないのですが、確実に言えそうなのが機材に関する関心が薄くな るということ(想定内)と、もうひとつは、他者の写真に対する関心も弱くなっていくということでしょうか。 キヤノンの人に特徴的なことは、自分の投稿するキヤノン板だけしか感心がないということです。同様な ことはMN研の人達にも多少は言えそうです。(板としてですが) それがどうのこうのと言うのではなくて、 そういう現象が見られるということなんでしょう。そしてこれはとても注目すべきことだと考えてます。面白 い現象ですから。 もしかすると多くの機材を駆使するということは多様な見方ができるということで、これもまたある種の写 真のやり方なのかもしれません。生物多様性に通じるとしころがあって、全体として生き残りが高くなるの はやはり多様性の獲得でしょうか。 この掲示板がこの先、短く感じられるのはその多様性を失いつつあるということかもしれません。 確かに個人としての観点からは一台一本のカメラで十分であって、それで自分の写真を追求することが できるかもしれません。しかし全体視ずれば必ずしもそうではないのかも分かりませんね。 やはり思い返してみますと、私が影響を受けた投稿者はやはり多様性の機材の人でしたし、たとえ捨て ハンであったとしてもコメントをもらって写真について考えることができたわけであったので、やっぱり写真 は自分だけの他を振り向かない路線で行くのでは限界があるように思えます。 ケン・ロックウェルさんの提言は考えてみればマトモ過ぎるのであって、理想論として現実には即していな いということが言えるかも知れませんね。現実というものはもっともっと複雑なのであって理想論で言える ものではないからです。

小氷期の到来

この河川で雨も降っていないにも関わらず、この水量は香川県としてはこの時期、異常です。常には干上 がって水は流れていないはずですから。おそらくこれから本格的に日本でも異常な気候が定着するような 気がしています。 ネットではマウンダー小氷期の再来と噂されていますね。8月の長雨は香川ではこれまで体験したことの ない長雨でした。それで稲作の作況指数は随分と落ちているように感じます。 水の乏しい香川で降雨があるのは嬉しいのですが稲が実る時期に長雨というのはいけません。ただこれ は作付け時期をずらすことで解決するかと思いますが。 試験止水のダムが予想を超えて水量を上げていて面食らっていますし、確かにおかしいところがあって 心配になります。香川県は非常に安定している天候が特徴なのですが(少雨晴天)、その安定した香川で もおかしいとなると、他見では押して図れるというものです。 文明の出す廃熱の温暖化ど同時に、太陽活動の低下が重なっているようでして、これからの食料確保が 心配です。大陸の西部地域は旱魃で東部地域は豪雨となっているわけですし、さらに気温の低下が重 なったり相殺したりするようです。 太陽活動の低下は疫病の発生だけでなく一番の問題は作物の不作です。食糧難となりますからね。 コロナ禍で世界政府とでも言うべきものが強権をもって経済活動を低下させましたが、それだけで済むと は思えません。世界の食料配分をこれからどうするのか、それができなければ戦争になりますから。 菅政権が倒れました。今後は戦争があると考えて、実力をもったトップが座らないといけません。 正直いって庶民は食うものさえあれば良いわけですが、日本の食糧自給率は極めて厳しい現実があり ます。太陽活動は一旦低下すると数十年は回復しません。(マウンダー極小期は1645〜1715年) 日本の農業を復活させる必要が急務です。平野部の宅地乱開発を止め水田の広域再開発、山間部の 農業の再生が必要です。人的にも法的にも技術的にもです。 早い話、米さえあれば日本人は生き延びしていけるので、広い農地と若い後継者さえあれば大丈夫で すね。そして食料だけではなくエネルギー確保も当然に。これは原発再稼動と石炭火力でなんとかいけ そうです。

無題 写真②

カメラひとつにレンズ1本を装着したまま。こういう機材は気軽に撮影ができるという大きなメリットが あります。気軽に出かけられ、撮影にに於いても余計なことを考えることがないのでスピーディですし それだけでなく肉眼でモノを見るということに集中ができます。 よく見ることが出来ればよく考えることもできるので、もしかすれば本当の撮影とはこういうものでは ないかなって感じますね。多くの機材を背負っての撮影とは、要するに他人に見せるための撮影であ るので、どうしても自分自身が不自由になるところがあります。 撮影中に、こうこういうように撮れば鑑賞者にとってよいかなって考えると、肝心の自分の為の写真が 撮れなくなってしまうんですね。もちろん職業カメラマンは鑑賞者のことを第一に考えて撮影をしなけ ればなりません。しかし私のように趣味で写真を撮るだけの人間は本当に自分のためだけに写真を やっていければ十分です。 数多くの写真テクニックが写真を他者に見せるために、その手段として発達してきました。そうそうし てくると写真とは他者のための写真であるという風に最後はなってくるようです。 じゃあカメラやレンズという機材のことを考えると、これはまず自分が満足する描写や画質を得るため に作られているように思います。自分が満足すれば他者もきっと満足してくれるはずだと。 しかしオーバークオリティの機材も多々あるわけで、そこまでやらなくてもいいんじゃないかっていう 機材などは、それは写真テクニックと同じように他者志向の機材になるのかもしれません。 しかし圧倒的に自分か、他者か、ということでは機材よりも撮影テクニックが大きく作用しているように 感じられます。 上手く見せる撮影術、画像処理テクニックなど、それらを駆使して究極の写真作品ができたとして、 しかしそうすればそうなるほど、撮影者やユーザー自身の満足感というのは減少してくるんではない ですかね。いや、人に見せて満足して褒めてもらって、それを自分の写真エネルギーにするという考え 方もないではないですが、職業写真家ならいざ知らず、趣味として写真をやるにはまどろっこしすぎる のではないでしょうか。といいますか構造的に言ってそれは歪を含んでいます。 ではこの私は自分の為の写真をやれているのか?と自問しますと、単純に言って写真は健康の為と 世界への関心を失わないためにやっているとして、それへの回答としては十分合格していると考えま す。これは道具としての写真術ですか。 そうは言いながらも純粋に、写真の文化としては落第であって何もできていないよねって思ってます。 この文化ということではどうしても他者の眼を借りなければならないからです。 撮影時に於いては、主に自分の記録として道具として写真をしているわけですが、実際にこうやって 写真をアップする時には、少しでも見栄えのよいものを選んでいる自分がいるわけです。また写真の絵 としていけそうな光景を撮影時にも撮っていたりしますね。 つまり完全に自分の為だけの写真はできないのであって、どうしても他者の眼を意識した写真も混じる ということですか。そうは言っても自分の為の記録としてのみ撮った写真でも、他者の眼で見ても面白い かなっていう写真もアップしています。 写真①は人に見せようとして撮った(媚びた)写真であり構図とミリ数を変えて十数ショット撮りました。 写真②は自分の記録としてのみ撮ったもので1ショットだけでした。 私としては写真②が気に入っています。

カメラと歩行

カメラと歩行 https://photoxp.jp/pictures/217836 キヤノン板ですが、この2番。カメラの重さについて取り上げています。 カメラや機材には重いカメラと軽いカメラがありますね。デジイチは重いですし高級機はさらに重いです。 加えて高額レンズを着ければさらに重くなります。軽いカメラではコンデジやミラーレスがあるんですが、 ミラーレスでもBG(バッテリーグリップ)やマウントアダプターでデジイチのレンズを着ければ重くなったりし ます。 今回、私は2か月ほど、コンデジのシグマdpクワトロや、ミラーレスのオリンパスM-1(BGは着けずで、 ミラーレスレンズで)ばかりで撮影しました。カメラは重さとしては持っていないのと同じ感覚でした。こう いうのはこれまで何度も繰り返してきたのですが、やはり軽いカメラは長続きしない気がしています。 コンデジやミラーレスで2.3か月。重めのフルサイズミラーレスにBGとデジイチレンズでもせいぜい半年で す。 ひとつの理由としては、やはり光学ファインダー見ることができないという点。もうひとつはやはりカメラの 重さでしょうか。私の場合、撮影中はずっとカメラを手に持ったままでやります。2台持てば1台は肩掛け をしますが、とにかく1台のカメラは常時手に持ったままです。 このカメラの重さは極めて重用だと認識しています。上に紹介したリンクでも、50代以降は体力温存と いうのが写真撮影では大切な要素になっているものと考えるからです。 私が撮影中はカメラを肩かけせずに手に持ったまま歩くのは、この体力を作るためですしその結果として の精神的な意欲も温存したいからです。 人が手ぶらで歩くというのは生理学的に言って理にはかなっていません。人はサルから進化しましたが、 そのサルは前足である腕が発達した動物でした。人が直立し歩行したときにはおそらく手に何かを持って いたはずです。武器としての棒や石とかそういうものがあったのではないですかね。 同じく2足歩行をする動物に恐竜がいました。中には前足が退化した恐竜もいました。しかし恐竜の2足 歩行は尻尾でバランスをとっていますので力学的に言えば3足歩行とでも言うべきものです。 人類が2足歩行をしたとき、その片手には棒とか槍を持っていたとすればまさにこの恐竜の3足歩行を 真似たものとなっていたわけです。そうやって初めて完全な2足の直立歩行となるんではないですかね。 そういうわけなのて、ある程度の重さのカメラ機材は重要かなって考えてます。手に持つ機材の重さは 個人差がありますのでミラーレスでも十分という方もおられれば、重量級のデジイチでなければ、という 方もいるはずです。自分の身の丈にあったカメラを使えばよいのでしょう。 面白いことに人は老人になれば杖をつきます。3足歩行ですね。(^^ゞ 私も山を登る時は杖を使うこと があります。そういう場合はカメラは肩がけします。 若い人は体力が十分にありますので2足歩行で問題がないかもしれません。また日頃身体を鍛えている から大丈夫という方もおられるでしょう。しかしこの3足歩行は覚えておいて損はないですね。 ところでじゃあ私が何故、定期的に一眼ではなくコンデジやミラーレスを使うかと言いますと、それはデジ イチの電磁波からしばし遠ざかるためです。(^^ゞ もしデジイチが電磁波を発生させないとなればずっと デジイチを使っているのでしょうか。しかしそれでも気分転換に、偶には軽いカメラを使ってみたくなるで しょうね。 カメラというものはただ画像を得るためだけのものではないというお話でした。究極の軽量小型カメラは スマホやモバイルですかね。そういう写真もあってよいわけですが、画像を獲得するだけがカメラではな いと思ってます。

「中村哲医師」

「中村哲医師」 中村哲 ペシャワール会現地代表 2016.8.26 https://www.youtube.com/watch?v=5wYNkr4Q_us アフガニスタン 永久支援のために 中村哲 次世代へのプロジェクト https://www.youtube.com/watch?v=kjk3lgS7_1g 中村哲医師追悼の会 中村先生と共に歩む https://www.youtube.com/watch?v=r-nb4-wXBx4 ペシャワール会現地報告会《PSM工法》 2020年10月3日 https://www.youtube.com/watch?v=OttmrpU_OPA 銃撃から1年・・・中村哲さんの遺志は アフガンの今(2020年12月4日) https://www.youtube.com/watch?v=8IBdriKKk_Q 中村哲医師 銃撃され死亡、アフガニスタンで長年復興活動 https://www.youtube.com/watch?v=q7CwU7OHGbA タリバン波状攻撃でアフガン政府が窮地 米軍撤退を中国が警戒する2つの理由(2021年7月16日) https://www.youtube.com/watch?v=30JbEwkK5PE 【世界のSDGs0023】中村哲さんの遺志を継ぐグラブ・グルブディンさん「アフガニスタンで農業を教える」 https://www.youtube.com/watch?v=8UYTpPo9kao 武器ではなく命の水を 医師 #中村哲とアフガニスタン https://www.youtube.com/watch?v=i26J_xapNIA アフガン人の為なら死んでもいい 中村 哲さん https://www.youtube.com/watch?v=2hS6Rtpsu1M 【京都環境文化学術フォーラム】記念講演(中村 哲) https://www.youtube.com/watch?v=zuEY9Ib9wAM すべて長い動画ばかりですが、ドクター中村の生き方なり思想というものが極めて興味深いです。 治山治水に関心のある私としては、蛇籠や斜め堤という旧来の技術に目を見張っています。最新の 高コストの技術ばかりが技術ではないということ。全世界的な気候変動に対処するには机上の空論 ではなくて、地道な対策が早急に求められるということ。 ユーラシア大陸の東側は洪水に悩まされていますがアフガニスタンのような西側は旱魃に苦しんで いるようです。この地球的大変動を単純にCO2のせいにして他を省みないというのでは問題解決を 見誤ります。それでは経済活動自体を全体に低下させればどうなるか。それはコロナを口実にして 今やっているところですね。車や人が動くかわりにICT技術でもってカバーをすること。経済活動に於 いての発生する総熱量を制限するという発想です。これを10年くらいやれば気候変動はどうなるか。 そういう実験をやっているのではないでしょうか。 しかし私がこの中村博士の思想で学ぶべきことは、植物や植生を復活させることではないかと思う わけです。考えてみれば熱帯樹林の森林を伐採し畑にすれば確実に気温は上がるのではないです か。視点を変えてみれば地球環境とは植物世界の環境ではないかということ。植物世界の復権です。 そういう視点がどうもすっぽりと抜けているように思います。 https://photoxp.jp/pictures/217815 この問題は上のリンクで考えてみたことの続編になっているわけですが今後も続けて考えて見たい ことだと思っています。

重装備写真

https://photoxp.jp/pictures/216997?focus=1 これはキヤノン板でS9000さんを相手にして論じたことですが、私としてはオタク論議をしていたわけで はなくて、GGさんの写真論を結論付けたいとして語ったわけです。 結論としてはこのリンクの22番の最後の、 >最後に余談ですが、群馬県と長野県は内陸県です。海から遠いと、どうしてもコミュニケーションが苦手  なところがあるようです。それはご本人たちが一番よく知っているわけでしてね。  しかし写真もまた、表現やコミュニケーションであるわけで、言葉と違って読み取るには大変難しいので  すが、気持ちを人に伝えることができます。 これですね。(^^ゞ ただし、コミュニケーションが苦手というよりも、内陸県で育った方は考えかたが純粋で あって意思も強いということとして捉えています。山の中の地域というのは人と人との交流が少ない分、ご 自分の思想や考え方というものを強く育てるところがあるように思えます。そういうことでは正統派の写真 論であるわけですね。 GGさんは確か群馬県の育ちだったろうと思いますし、ニコンをお使いの方も群馬県におられました。長野 県ではキヤノンで、とある板で投稿されていました。 しかしこれらの方々は今では掲示板に投稿をされていません。今では写真に対して気合を入れておられ た方は皆無に近くなってますしね。 高級機と高級レンズを駆使して真摯に写真をやっていくという時代は、もう過ぎたのかも知れませんが、 そういう時代もあったのだということでしょうか。 群馬県といえば漫画「イニシャルD」とか(笑)、富士重工のスバルを思い出してしまいます。他にも連合赤 軍事件とか日航機ジャンボ墜落事故もありましたか。 スバルというのは元は中島航空機なんですが技術に拘りがあり、そして原理原則に忠実です。性能と品 質、安全には特に。これらは飛行機を作っていたころからの社訓のようなものかもしれません。朴訥なま での車作りであるわけですが、それゆえに未だに小メーカーなのですがその人気は世界的に評価を受け ています。 まあ、写真というのはオーソドックスな原理原則だけではいかないところもあるわけで、軽めのフットワー クでもいけるんですね。重装備の写真術だけではないというわけです。 私などは重量級の機材を持ちながら、撮影としては軽さの写真で行っていたわけですし、発言としても 芸術の看板を背負った重装備写真を批判していたところがあります。そこらあたりがGGさんには気に食 わなかったろうと思いますね。 高級機材を駆使して芸術的に写真をやるというのは、実はカラーフィルム時代に完成した写真術なんで すね。その典型が中判フィルムカメラです。ところが写真にはそれ以前の、黒白フィルム写真というものが ありました。私が写真として薫陶を得たのはこの時代です。この時代のカメラは重装備なんかではありま せんでした。例えばライカM型はスナップ用の小型機です。そして写真は黒白なので、カラーと比べれば 軽いです。黒白は情報量が圧倒的に少ないですから。 こんな感じなので私の写真の思想は芸術には振っていないんですね。多くの写真人はこの時代をあまり 知りません。それで軽めの写真は不真面目に写るんではないでしょうか。 しかしながら現代のデジタル写真というのは、この黒白フィルム時代に良く似ているんです。容易に写真 を始めることができますし、自家現像というのも同じです。 それで内陸県の方は写真の歴史というものをあまりよく知らなかったのではないかと思っています。 そして現実として、デジタル写真を重装備(フルサイズの高画質・高画素)でやりますと、ユーザーの眼と 脳はかなりな負担を覚悟しなければなりません。私はこれにいち早く注目して意識した人間だと思ってい ます。それで旧来の重装備の芸術写真では実際にはやっていけないから無理なんだということを書いて いたわけです。 画質というのは確かに素晴らしいものです。微細な感覚まで表現できますし。高性能のカメラとレンズを 駆使し撮影も綿密にして、現像するPC/モニターも最高のものを使えば、確かに素晴らしい画質の写真が できます。それで写真の鑑賞者の方は満足がいくでしょう。 しかし撮影者の側としては、自分を犠牲にしてまで写真の趣味をやる必要はないのではないかということ ですね。それよりも画質を捨てた、撮影そのものを楽しめる軽めの写真術でいいんじゃないかと思うんで す。 画質だけでなく綿密に撮影をしようとすればファインダーをよく見てカメラに近づけて、そしてショット数も多 くなります。それは電磁波の害を多く受けるということです。EVFのファインダーでも別の害がありますし。 とにかく写真は自分を犠牲にしてやるもんではないです。 写真を鑑賞者の為に行うんではなくて、撮影者が安全に楽しめるように、考え方を変えていかなければな らない時代だと思ってます。 今現在、この掲示板で数多く写真を上げてらっしゃる方はそこそこの使いやすい廉価機で、ご自分の楽 しみの為に写真をやってらっしゃる方が多いですね。そして閲覧者の、写真を鑑賞したい方々が期待する ような、高級機材を駆使して投稿する方はほぼなくなってしまいました。 ※投稿写真はプロ機に重量級のレンズの撮影です。APSレンズをフルサイズカメラで、しかも開放値で とってますんで周辺の減光、画質低下が激しいです。レンズ性能をみているような写真ですが、こういう 写真もありか、ということで。山頂の鳥居は、「天空の鳥居」と言われている観光スポットになっています。

占星術

ビルゲイツというお金持ちかいるんですが、彼のホロスコープで占星術をしてみますと、大雑把ですが 65歳の現在はあまり運がよろしくないようです。(1955年10月28日22時生まれGMT-9時として) だいたい50歳代半ばまでは良かったのですが、特に60歳を過ぎてからはいけないようです。再び運が向 いてくるのは60歳代末からですかね。 なんでこういう話をするかと言いますと、ビルゲイツは今回の新型コロナウイルスと深い関わりがあるから です。たしかモデルナの筆頭株主ではなかったですか。ゲイツ財団ですけどね。それからWHOにも深く 入れ込んでます。もしゲイツの現在の運に良いところがあれば、今回のワクチンは成功ということを示す ことにもなるかなって思ったんですが、期待に反して(笑)、そうではなかったようです。火星とか海王星 とかの凶星がきてます。ちょっと急ぎすぎたんではないですか。と言いますか騙されちゃったとか。 ビルゲイツは一人の人物としてみれば、としても良い人ですね。そしてお金へのセンスがあります。何と いってもパートナーの運が良くて、それでマイクロソフト創業時代もホールアレンという天才と組めたわけ でしょうし、また良い奥さんも得られたわけです。しかしやはり本当に自分で考えて社会的に活動できる かというと、それはちょっと心もとないところがあります。 彼は典型的なオタクではないでしょうか。オタクというのは何が大事であって、そして何を無視するかの 見分けができない人らしいのですが、さらに一般常識にも欠けるところがあるらしいですね。 それで彼も信用してはいけない人を高く見てしまうところがあるんではないですか。彼が講演で言ってるこ とは全て受け売りだと思いますよ。自分が考えているのじゃなくて誰かの言った言葉をそのまま言ってい る感じです。もっともこの見立てはデータが違っていれば外れになります。(^^ゞ 

自然免疫

最近はずっとコロナ関係の本ばかり読んでますね。当然そういう本にもいい加減なものがありますが、 テレビや新聞よりはましです。何よりも日本人の医者が誠意を持って書かれている本というのは良いもの です。 それで私も自然免疫を付けなくちゃって、最近は意識して体重を落としてます。まあ、間食を止めれば 自然に落ちるだけのことです。(^^ゞ  やはりどんな本を読んでもワクチンは効きませんって書いてます。(笑) 効かないだけならいいんだけど 将来にどう副作用が出るか。それが未知数ですね。しかしそんなものと無関係で、自分の自然免疫を高 めるというのは健康の基本です。コロナに関してはそれだけで通用しますし、本当はそれしかないという のが真実です。 半場期待していた土星と天王星の凶星の表れがでましたね。米軍のアフガニスタン撤退。中東は再び不 穏になるようです。バイデン政権の一段目の成果です。土星と天王星の凶星は2023年の3月くらいまで 続きますので、まだ2年半は続くことになります。東アジアだって安泰とはいえません。

無題

ちょっと一気に写真を上げてみました。最近はもう投稿がめんどうくさくなっていて、掲示板を見るのも コメントするのも写真をアップするにも意欲が減退しています。しかし誰かが写真を投稿していかないと この掲示板は廃れてしまうのは確かです。 コロナ禍であらゆる活動が狭められていて、社会全体が沈んでいますね。活力が大幅に落ち込んでい ますから。本当はこういう時にこそ新しい考え方の写真が登場すべきなのですが、そうはなかなか行き ません。(^^ゞ  今回は最近使っている小型のカメラで投稿してみました。持参するのはその小型のカメラ一台と替えの レンズが一本あるかないかという撮影ばかりです。それでほとんどカメラを意識することはありません。 手ぶらと変わらない感覚ですかね。複数台の大型のデジイチのカメラとは大違いです。 しかしどんなに小さなカメラでも、そのカメラがあることで、出かけよう、見てみよう、という意欲が湧いて きます。そこにカメラという存在感と意義があるのであり、写真というものの効用だと思ってます。 上げた写真は熟考などせず適当に見つけたものばかりでおよそ作品などとは言えません。単なる記録 写真です。こうしてみると石仏が多いのに気づきます。たぶん石像は人物撮影の私なりの代替物だろう と思ってます。(笑) 撮影地は香川と徳島高知ですね。人と接することも避けての撮影ですのでどうして も心象的な写真ばかりになってきます。 とにかくカメラを手に持って山海に遊ぶということには、こういう時期だからこそ大きな意味があるのだと 考えていますね。そしてカメラは何でもいいんだということ。それはつくづく思いますね。 そういうわけで近頃は新しい機材(と言っても中古しか買えませんが)に対する意欲が消滅しつつあります。 これはこれでよいのかなって思うところもあって、そろそろコレクションマニアとしての看板は下ろかなって 思ってます。(笑) 簡単なカメラとレンズ一台だけで十分に撮影の意欲は保たれるということを知りまし たから。もしかすればこれが新しい時代の写真の行き方なかではないかと思うところがあります。

無題

最近は画像をせずに写真行為ができないものかと考えています。一般的には写真=画像であるわけで すが、この画像がデジタルの場合は大いに問題となるわけで、多くの方々がそこで躓いていると思うんで すね。 結論から言いますと写真とは画像ではなく、また機材でもなくて、人(ひと)なんではないかということです。 この人というのは、写真人であり和製英語で言えばフォトヒトですか。(^^ゞ ここら辺り、たぶん管理人さん も最近はそういう考え方になってきているみたいです。 写真画像を分析する場合、かつてはカメラやレンズという機材で分類していたようです。写真雑誌の廃刊 が相次いでいますか、それらは大体は○○カメラとか名が付いていました。この掲示板でもカメラメーカー ごとに分類されているところがありますね。もちろんジャンル別というのも昔から存在していますが。 これは機材で分析するのが手っ取り早いからでしょう。 しかしながらここで機材を扱うカメラマンも一種の仮想的機材として考えれば、そこにヒトとしての分類や 分析も可能になるのではないかということです。やがてはAI(人工知能)も写真を撮るだろうとすれば、この 考えはあながち的外れではないだろうと考えています。 大体のカメラマンはというか写真人は終生よく似た傾向の写真を撮りつづけるのであって、その写真人の 写真に対する見方とか考え方が有意性を持っているものといえそうです。 そして何よりも、写真文化には最終的というかその文化のエッジとして、写真作家活動というステータスが あるわけですが、それは機材でもジャンルでもなくてやはりヒトなんですね。その人の思想や哲学です。 https://photoxp.jp/pictures/217321 ここに管理さんの今後の掲示板運営のあらましのようなことが書かれています。 「具体的には、個人単位で掲示板を作れるようにして・・・」というような一節があり、それ多分、価格コムの 写真投稿版であるフォトヒトと同じようなやり方で行くのかなって思えてきます。 確かに現在の写真動向を見ていくと、そういう人を単位とした類分けでないと難しいところがありそうです。 これは多分、投稿者名でも表示が可能というくらいの意味だろうと思ってます。 とにかく、写真とはやはり最終的には写真を撮るカメラマン、写真人というヒトのなせる技であり、その写 真人としての活動、つまりは哲学思想が世間に対しての本当の意味を持つ、ということではないでしょう かね。 多くの写真人は、大まかには文科系や芸術系の人間であり、ごく稀に理系の方もおられるという構図に なっています。それで私の場合はこの少ない理系としてのキャラクターを買って出ているのですが、そう いう技術系の眼からすれば殆どのカメラマン氏は不用心です。そんなんで写真がまともにできるはずが ないだろうと思うのですが、事実そうなのであって長くできている人は偶々の運でやっているに過ぎない ところがありますね。 デジタルカメラ、デジタル技術の発展は凄いものがあって、私はもう着いていけてません。今のデジタル 写真は生身の人間ができるものではなくなって来ているように思えるのですが、兎に角あまにも技術だけ が進み過ぎてしまったかのようです。そういう現状のなかで敢えて写真をやっていきたいとなると過去の 写真のセオリーには無かったようなことまで持ち出してこなければいけないような気がしています。 写真≠画像というのはそういう意味で書いているのであって単純に捉えてもらっては困ります。 最近の私の撮影は投稿写真のようにオリンパスのミラーレスにほぼレンズ一本を着けたまま、という具合 でやってます。撮影に際しては何も考えずにこのカメラ1台だけを持っていく。簡単ですね。(笑) 当然にミラーレスなので電子シャッター設定で、そしてコンデジ風撮影の背面液晶視でやってます。この 撮影手法が一番に身体への負荷が少なくて済み、どんなに撮影しても身体への悪影響は最低限となり ます。 そして膨大な写真がゲットできるわけですが、その殆どの画像はPCモニターでは見ておりません。撮影時 に記憶のあった手応えのあった画像群をほんの少し見るだけです。そして基本的に画像処理は最低限と しています。撮影時ほぼそのまんまですかね。 最近はそんな具合で、たしかにカメラを持って出かけるものの、その実、写真撮影の為にやっているので はないよね、というところですかね。(^^ゞ  写真の為に出かけるのでなければ、じゃあ何のためにやっているのかと言うと、それはすこぶる単純で あって、自分の興味のあるものをこの眼で見たいから。ということに尽きます。(^^ゞ  つまりは写真の為の写真はしない。写真の為だけの行動はしないぞ、ということです。付随としてカメラや 写真はあるかも知れないけどあくまでオマケです。 多くの写真人は自分のためではなく、なんだか分からない写真という空気の為に写真をやっていることに 私も遅ればせながら気がつきました。これは明らかに行き過ぎでしたね。こうこういう写真をすればみんな が喜ぶのではないか、という間違った動機で写真をやっていただけだと思うのです。 添付した写真は四国高知県東洋町の淀ケ磯、という南下すれば室戸岬というところの海岸です。景勝地 でも何でもなくて撮影の為に車を停めるにも苦労しました。四国徳島の阿南市辺りから、紀伊水道側の 太平洋を南下するのが国道55線なのですが、その国道を散策しながらここが最も景観的に相応しいので はないかと考えたからです。 それは弘法大師空海の若きし頃の修行の道であったわけでしょうね。たぶんここらの海岸の道なき道を 歩いたのだと思われます。1200年前の話ですから当時は海岸線の浜を歩かざるを得なかったと思います。 この先、ずっとずっと先に室戸岬はあります。そして最難関はこの磯浜ではなかったろうかということで しょうか。撮影時はずっと雨でしたので、また夕暮れの撮影だったので画質は最低限ですね。だいたい カメラ自体が画質を云々するカメラではありません。レンズもパナソニックの安物のズームレンズです。 この道は遍路道でもありまして、この偶に歩き遍路の巡礼が見受けられます。私もいつかはこの55線を 歩いてみたいものだと考えていますがさてどうなることやら。(^^ゞ  弘法大師空海の人となりは極めてユニークですね。これほどの人物が讃岐に出現したとは思えないほど なのですが当時の日本の文明領域は狭かったので可能だったわけでしょう。 空海は只単に当時の先端の思想技術を日本に招来しただけ、とも考えることができます。しかしながら 当時の東大を中退して山野に放浪した若き時期があったことを思えば、それだけではなかったろうという ことです。自身の内面から吹き出る衝動のような希求心があったればこその新仏教思想の導入だったろ うと思います。同時にそれは正に時代の要請でもあったのかもしれません。 占星術的に言えばもはや21世紀の現在は平安時代の空海の時代ではなく、その後の法然親鸞や栄西 道元日蓮の時代となっています。それであまり空海を知ったところが今の時代には役に立たないたろうと 思うのですが(笑)、やはり過去を知ることは大切です。空海の思想は例えていえばカラーフィルム時代の 思想ですかね。デジタル写真はその後の鎌倉仏教の思想でなければ解けないと思ってます。

無題

写真の面白さはやはり画像にこそ有り得ます。写真行為そのものは画像を超えるべきものであるわけで すが、それを他者に伝えようとすれば、どうしても画像しかないというのが現実です。 そこにジレンマがあるのですがそれを解決し乗り超えなければ写真の文化を成立させることができませ ん。今回私が使ったカメラは画質としても機能としても最低限のカメラです。中古で2万円もせずに手に 入れたカメラですが雨でも夕暮れでも十分に働いてくれました。これで十分じゃねえ?ってところです。 親鸞さんはただ南無阿弥陀仏と名号を唱えるだけで往生ができると言いました。空海さんのように重装備 の思想や物量モノではなくて、その名号もこのオリンパスも到って簡単至極ではないですか。(^^ゞ  しかしナムアミダブツと名号を唱えるだけでは満足ができないのが我々凡人です。どうしてもモノが必要 になり、この写真のように下々のものまでが石仏などを必要とします。(笑) そういう私も石仏や地蔵はよく撮ります。それらを見かければ本能的に撮影をしてしまうのは、この私も 庶民以外の何ものでもないという証しということですか。(^^ゞ  本当はカメラやパソコンなんか必要としなくとも写真ができればよいのですが、そうはできていません。 いずれはそういう時代になるかもしれませんが、それはそれで恐ろしい時代かもしれませんね。人間自体 がカメラやコンピューターになるということですから。 ですからこの地蔵さんのように、簡単な道具やモノで写真ができるのが一番だということになりますか。 カメラやパソコンは道具です。カメラは日本製が多いので律儀に道具の分際を守ってくれていますね。PC はやや最近は逸脱してきておりますがね。 ではスマホはどうでしょうか。単純に自分の道具だとは言い切れないようななっていますね。むしろ主人 はスマホで、人間があやつられる道具としての様相を見せて来ているようです。スマホがなければ日がな 日も暮れないという具合で。 私も最近携帯を新調したのですが、電話だけできれば良いのにと思いながら実際は無用なデータ通信を 勝手にやっているのが最近のモバイルだということを知りました。OSは従来の日本製トロンではなくアンド ロイドOSだったのでそういうことをするのでしょう。これはスマホやモバイルがクラウドの端末ターミナルで しかなくなったといういうことです。主人はユーザーではなくクラウドのメーカーですね。 今はそういう時代ですか。我々が機械や道具を使っているのではなく、それらに使われているということ。 そしてそういうことに誰もが一向に気が付かなくなっている時代だと言うこと。 そういうことではデジカメは日本製ゆえにまだそこまで行ってませんね。私のように自分本位でカメラを使 うことができます。PCもまだそういう領域にあります。 もし仮に自分で撮った写真データをカメラから取り出せなくなって全てクラウドに直送されてそこから許可 を得てやっと見ることができるという、そういうカメラになると皆さん、どうしますか。(笑) 不都合な写真は自動的に削除されたりして。またご丁寧に画像処理された写真になっていたりもして。 そんなのはもう写真ではないですよね。まあ画像ですはあるんですが。もしアメリカや中国がカメラを作れ ばそういうことになりかねないです。 今回のウイルス&ワクチン騒動をみておりますと、所謂クラウド達は全人類の免疫すらも我が物にしよう としているが分かります。人の免疫機構は脳や精神と並んで最も高度な仕組みなのですが、それらを全 てクラウドの端末化にしようという企てに驚いてしまうしかないです。 しかしこれは成功するのでしょうか。ウイルスを果たして家畜化できるとでも彼らは思っているのでしょう か。そこに見えるのは人類への多少のダメージと仕掛け人達の破綻かも知れないのに。 占星術的に言えば彼らクラウドの目論見は失敗するでしょう。これまでの20年間の時代とは違う時代が これから訪れようとしていますから。とにかく現在はまさしく戦時下にあります。 余談ながら免疫とはお腹であり心と深い繋がりがあるように思えます。こころを強く持つということはなか なかできることではなく生まれつきなところがあるんですが、自分の好きな楽しいことをしていれば良いの かなっていうところはあるでしょう。それで写真が好きならば塞ぎこまず積極的に撮影をしていきたいです ね。人間、好きなことをするというのは大切です。そして黙々と歩きましょう。 写真というのは一瞬の目の前にあるものだけが真実、というところがあります。いろいろと未来のことは 分からないものなのですが、この場の真実だけはきっちりと見ていくということ。写真人としてはそれだけ で十分なのではないですかね。 とにかく今のカメラはそういうことではまだ個人の自由に使うことができます。自分の考えで写真をしカメラ を扱うことができます。カメラかスマホか、と問われれば私はすぐさまカメラだと答えます。 この地蔵さんの写真ではカメラを車から出たり入ったりしたのでフィルターやレンズの曇りが凄くて困った のですけど、それで画像は鮮明ではありません。しかしこういうのも逆にいいかなって感じるところがあり ます。(^^ゞ 鮮明に写るだけが写真ではないのだというところですか。実は曇ってしまったレンズもあるの ですが、そういうレンズも上手くやれば使えるかもしれませんね。