メーカー名 | OLYMPUS IMAGING CORP. |
機種名 | E-M1 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 18mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/8sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 2000 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1200x900 (498KB) |
撮影日時 | 2014-01-22 11:14:16 +0900 |
カメラひとつにレンズ1本を装着したまま。こういう機材は気軽に撮影ができるという大きなメリットが
あります。気軽に出かけられ、撮影にに於いても余計なことを考えることがないのでスピーディですし
それだけでなく肉眼でモノを見るということに集中ができます。
よく見ることが出来ればよく考えることもできるので、もしかすれば本当の撮影とはこういうものでは
ないかなって感じますね。多くの機材を背負っての撮影とは、要するに他人に見せるための撮影であ
るので、どうしても自分自身が不自由になるところがあります。
撮影中に、こうこういうように撮れば鑑賞者にとってよいかなって考えると、肝心の自分の為の写真が
撮れなくなってしまうんですね。もちろん職業カメラマンは鑑賞者のことを第一に考えて撮影をしなけ
ればなりません。しかし私のように趣味で写真を撮るだけの人間は本当に自分のためだけに写真を
やっていければ十分です。
数多くの写真テクニックが写真を他者に見せるために、その手段として発達してきました。そうそうし
てくると写真とは他者のための写真であるという風に最後はなってくるようです。
じゃあカメラやレンズという機材のことを考えると、これはまず自分が満足する描写や画質を得るため
に作られているように思います。自分が満足すれば他者もきっと満足してくれるはずだと。
しかしオーバークオリティの機材も多々あるわけで、そこまでやらなくてもいいんじゃないかっていう
機材などは、それは写真テクニックと同じように他者志向の機材になるのかもしれません。
しかし圧倒的に自分か、他者か、ということでは機材よりも撮影テクニックが大きく作用しているように
感じられます。
上手く見せる撮影術、画像処理テクニックなど、それらを駆使して究極の写真作品ができたとして、
しかしそうすればそうなるほど、撮影者やユーザー自身の満足感というのは減少してくるんではない
ですかね。いや、人に見せて満足して褒めてもらって、それを自分の写真エネルギーにするという考え
方もないではないですが、職業写真家ならいざ知らず、趣味として写真をやるにはまどろっこしすぎる
のではないでしょうか。といいますか構造的に言ってそれは歪を含んでいます。
ではこの私は自分の為の写真をやれているのか?と自問しますと、単純に言って写真は健康の為と
世界への関心を失わないためにやっているとして、それへの回答としては十分合格していると考えま
す。これは道具としての写真術ですか。
そうは言いながらも純粋に、写真の文化としては落第であって何もできていないよねって思ってます。
この文化ということではどうしても他者の眼を借りなければならないからです。
撮影時に於いては、主に自分の記録として道具として写真をしているわけですが、実際にこうやって
写真をアップする時には、少しでも見栄えのよいものを選んでいる自分がいるわけです。また写真の絵
としていけそうな光景を撮影時にも撮っていたりしますね。
つまり完全に自分の為だけの写真はできないのであって、どうしても他者の眼を意識した写真も混じる
ということですか。そうは言っても自分の為の記録としてのみ撮った写真でも、他者の眼で見ても面白い
かなっていう写真もアップしています。
写真①は人に見せようとして撮った(媚びた)写真であり構図とミリ数を変えて十数ショット撮りました。
写真②は自分の記録としてのみ撮ったもので1ショットだけでした。
私としては写真②が気に入っています。