メーカー名 | OLYMPUS IMAGING CORP. |
機種名 | E-M1 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 7.0mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/30sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4603x3453 (8.4MB) |
撮影日時 | 2014-03-05 23:56:56 +0900 |
こういうオータスのようなレンズで撮る写真というのは、まさにデジタル時代のリアリティな画像というわけ
で、従来の写真のリアリズムとは異なることを知っておくべきです。むしろ計測器の世界ですか。
オータスとかフォビオンは風景とか物撮りでは敵なしの存在ですが、そこに人物が入ってくるとその画像
は従来型の写真の範疇となりその威光をやや失います。それはどういうことかというと人物の存在感の
前ではデジタルリアリティやはり万能ではないということですね。
https://cweb.canon.jp/gallery/s/archive/exhibition093.html
例えばこの北井一夫の写真では風景の中にポツンと小さく人物がいるだけで(ただし人物は視線をこちら
に向けいて存在を主張しています)、その写真は風景写真ではなく人物写真となるわけです。
その人物の存在感がその光景全体を制覇しているようで、およそレンズがどうのカメラがどうのとかいう
話ではなくなってくるのです。
人の視線ということを考えて見ましょうか。オートフォーカスで瞳AFとかいうのがカメラではありますが、こ
れは画期的なAFシステムでして、人物撮影において対象者の眼というものの存在が如何に大きいかとい
うことなんですね。人物の存在そのものも偉大ですが、とりわけ顔とか目は重要です。
北井氏の写真はたとえ人物は小さくともその顔の眼の視線の威力が大きいというわけです。それで写真
の占める面積では風景写真でありながら、これはポートレート写真であるということになるのです。
写真とはやはり人を撮ってナンボというところがあります。どんな下手な写真でも、機材がボロであっても
人物を撮った写真には敵いません。それでネットで数多くの写真を閲覧しても、その画質を問わずに、と
いうか、画質なんかを乗り越えてしまうのが人物撮影であるわけです。
もし風景とか物撮りだけが写真ならば、オータスやフォビオンの写真が最高の写真であるわけですが、
現実は人物という写真によって大きく覆るわけです。
ただし注意しなければならないのは、人物写真でも人物と撮影者との心の対話が発生していない写真と
いうものがあるわけです。そういうケースでは人物はモノ化してしまっているのがわかります。
これはモデル撮影でよくあるのですが人物を撮影する場合に優れたカメラやレンズを駆使する場合は、
そのことが返ってマイナスになっているような場合です。撮影者と対象者の心の交わりを、レンズが邪魔
をしているというような例。つまりは人物撮影においてはデジタルリアリティはあまり追求すべきでは
ない、ということなのでしょうか。
人の視線には2つありますね。ひとつはここで言った写真の中の人物撮影の視線。持つひとつは撮影者
自身の視線です。この2つを考えなければならないのでして、例えば風景写真では撮影者の視線しか
存在しませんが、人物写真では被写体の人の視線も加わるわけでして、その2つの力関係を与しなけれ
ば写真というバランスが崩れてしまうのでしょう。
オータスやフォビオンというような高画質機材で撮影者の視線の力が強すぎると、被写体の人の視線が
萎縮され無視されたりするわけですね。それで優れた機材で、もしポートレートを撮るのならば人物を小さ
くしていなければなりません。アップで撮りますと写真が崩れてしまいます。
この論理をもっと追求していくとどうなるのか。風景写真に於いても本当に撮影者自身の眼でもって力ずく
で押していってもよいものがどうか。撮影者の考えだけで風景を撮ってもよいのがどうか。というような諸
問題です。ここに実は写真の独善が生まれるんですね。
この独善的な写真に陥っている人は多いんですよ。写真の鑑賞者の見方まで制御したいという欲望が
そこにはあるんだと思います。しかしそのような写真は、一見して凄いねって思わせるものの、長い眼で
みれば面白くない写真となります。
余談が続きましたがレンズの話に戻しましょう。(^^ゞ
オータスのような優れたレンズは、写真というよりも人間の視力がそのまま延長したような感覚を受けま
す。まだ写真となっていない生の視力がモニターに広がるというイメージですか。これこそがデジタル時代
のリアリティな画像というわけでしょう。
非常に明るい優れたレンズは、裸眼で見るよりも光学ファインダーでそのレンズを通して光景を見るほう
がより良く見えます。YKさんはソニーを使っていたのでそのレンズを光学ファインターで見られたのかどう
かは不明ですが、購入されたオータスはニコン一眼用ですから光学ファインダーのカメラでレンズを通し
た光を見ることができるんですね。
YKさんはオータスに夢中になって全てのオータスレンズを揃えてしまったわけですが、その間に多分ほか
のレンズは購入されていないでしょう。カメラにしても新規更新せずに(アルファ7RからⅡになったものの、
Ⅲには行っていない)、ただひたすらオータスの魅力に見入ってしまったかのようです。
それほどにオータスというレンズは他の機材とは別格であったというわけですね。
優れた機材、とりわけレンズというものは人をして虜にさせるようです。あるカメラ評論家は、レンズは世
界の翻訳である、というようなことを言われていました。もちろんレンズだけでなくカメラ(センサーと映像エ
ンジン)やPC関係も画質と大きく関わっているわけですが、このレンズほど顕著に画質が他のものと比較
できるモノはないわけです。レンズを換えれば世界がこれまでとは変わって見える、というわけです。
シグマなどはカメラ・センサーが優れているわけですが、着けられるレンズはシグマに限られています。
それで私もシグマ最高と言われるレンズを着けてみましたが、確かにそれまでのレンズとは異なっていて
それ以降、レンズに目移りすることがなくなりました。
YKさんもおそらく、オータスを手にしてその最高の翻訳世界を垣間見たわけでして、もはや他のレンズに
食指することはなくなったのかもわかりません。もちろんこれは画質だけの話ですよ。しかしながら
デジタル時代のリアリティの究極を見たのは確かでしょう。そのレンズをソニー6000万画素で見ればまた
違うでしょうが、多分たいした違いは感じられないでしょうね。
それほどにレンズというものは飛びぬれた能力をもっているようです。これはレンズというものが純粋に
物理的光学性能によって出来ているのであり、カメラのセンサー・映像エンジンのようにデジタル制御技
術が含まれていないからでしょうね。PC・モニターも制御が入ってますしね。
レンズにもデジタル制御は入ってますがそれはAFとかです。画質としては物理的光学性能のみです。
オータスはAFがないのでデジタル制御は絞りのみですかね。つまり純粋にアナログ技術だけで醸し出す
能力に惚れてしまったということでしょう。それが画質としてのレンズの魅力のように思います。
オータスよりも優れているものは存在します。中判デジタルカメラとそのレンズですね。フジとかペンタック
スの中判デジタルカメラです。しかし非常に高価になります。AFも付いているので撮影はオータスよりも
容易かもしれません。特にフジはカメラが小型なのでこれを購入する方は多いでしょう。
オータスは既存のフルフレームカメラを使うことが出来て割安感があります。オータスの魅力は全ての
デジタルカメラ(APSカメラも含めて)で使うことができるという点ですね。キヤノンとニコンの一眼レフのマウ
ントがありますが、これで非常に多くのカメラで使えることができます。中判デジタルカメラのレンズだと
そうはいきません。
レンズの良し悪しは相対的なものなので比較対象がカメラとして多いほうが有利です。フルサイズ6000万
画素のカメラでもAPS低画素カメラでも使用できるわけです。
フルサイズでオータスよりも優れているレンズも当然に存在します。NIKKOR Z 58mm f/0.95 S NOCTなん
かですね。しかしこれも中判レンズと同じく汎用性がありません。ニコン・ミラーレスのカメラにしか着きま
せん。それにしても、このニコンのレンズはMFなんです。究極の性能を追い上げていこうとすればAFでは
難しいのでしょうか。よく分かりませんが。
ツァイス・オータスのレンズは、所謂サードパーティ製のレンズですね。日本のコシナが製造しています。
そういうことではシグマやタムロンと似ていて、ボディを選ばない汎用性が持ち味です。気分的にレンズ
メーカーというか、サードパーティ製のものは自分は好きです。サードパーティ製=安物というイメージが
あるとすれば、それは私にとっては嬉しい評判でして、高価な買い物をしているという罪悪感が薄れるか
らです。(^^ゞ
中判デジタルカメラは、例えばペンタックスなどはその初期モデルなどは大分安くなっています。レンズも
フィルム時代のレンズでカバーすれば敷居は低くなるものの、そもそも中判デジタルに行くという、そのこ
と自体が、ある一線を越える気がして罪悪感にさいなまれますね。(^^ゞ
その点ではコシナ製造のオータスは比較的目立たなくて良いかもしれません。何よりも国産メーカーの
製造というところが嬉しいです。
それと私はシネマレンズが好きなんです。シグマがシネマレンズに参入したことは、私にとっては大きく
ブランド性が上がりました。(笑) オータスはこのシネマレンズの雰囲気が大いにあります。周辺光量の
低下が少なくて収差が補正されているとか、それから広角レンズが28ミリなんていうのもシネマ的です。
シネマは写真という静止画と違い、単画像で終わらずに何処までも見続けていくというイメージがありま
すね。絵画的な一枚で見切った芸術ではないので、そういう意味で私はシネマレンズに殊のほか良い
イメージを膨らませているのです。言うなれば終着点のない写真ですか。
・・・・それにしても、こうやってオータスの作例をネットで探ってみて、また自分なりに考えてみて、もう、
なんか、既に自分でオータスを使っているような気がしてきましたね。(^^ゞ もうそれだけで十分満足して
しまっている自分がいます。(笑)