180mmレンズ 作例

シベリア!

シベリア!

 突然の食べ物ネタ。帰宅途上に買い物していて、菓子パンコーナーに並んでいたのが懐かしくて、衝動買いしました(爆笑!)  ずいぶん昔からある、カステラ生地で羊羹(または餡子)をはさんだ、素朴な菓子パン(というか洋風和菓子)。緑茶にも紅茶にも珈琲にも合うのです。  漫画「美味しんぼ」にも登場したほか、今年の大河ドラマ「いだてん」でも、人見絹枝さんの大好物として紹介されています。  史実でどうだったかは不明だが、甘いものが嫌いな女性はまずいない。また、陸上女子アスリートさんは、慢性的に甘いものに飢えておられるそうですが、油脂分の多い洋菓子よりも、こうした和菓子の方を好む(というか薦められる)そうです。 https://www.oricon.co.jp/news/2139502/full/  この「シベリア」で有名なお店がこちら。行ったことはありませんが・・・ https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/nishitamao/17-00445    ところで、食べ物・静物撮影も苦手種目です。蛍光灯の下で食べ物を撮ると、どうもイケてない感じになる、ということだけは昔から知っていますが、かといって他に方法もなく。  昼間に窓から差し込む冬の太陽の光が一番、お菓子には合うのですが、おそらく明日の昼まで残ってはいまい、ふははははは。

イルミ冬物語2018

イルミ冬物語2018

 こちらも「宇多田ヒカルさん世界観再現キャンペーン(子供たちに見せたい景色)」の一枚。いやいや、脳内キャンペーンです、どこにもそんなものはありませんよ、念のため。  広島市植物公園イルミネーションイベントにて。  こちらは、ホワイトバランスを「くもり」で冷ややかな感じの色を暖かみのあるものに変え、ピクチャースタイルを「忠実設定」にして玉ボケがひとつひとつ見えるように。ピクチャースタイル「オート」ないし「ディテール重視」ではエメラルドグリーンがつぶれて塊になってしまうため、「忠実設定」。  ・・・エメラルドだからといって、PS「エメラルド」をここで使うと、盛大に色飽和します。あれは、瀬戸内海の海の色を強調するときとかに有効。  ALOはほとんど変化がないのですが、わずかに暗部がしまった印象となるため、ここでは「効き目:標準」で使用しています。  で、ここでのレンズは、何かとハンディキャップも多い、シグシグ180mmマクロ。タムタム70-200mmは最大望遠で1/30でもきっちり止まる、「鋼鉄の手振れ補正王」ですが、シグシグは「俺はマクロレンズなんだよ、止めたきゃおめえが息と心臓止めてろよ、ボケ!」というふてぶてしい態度の手振れ補正ですので、この前後のカットで打率2割くらいでした。

ご飯茶碗のように

ご飯茶碗のように

 ご飯茶碗のような純白秋桜。yamaさんの純潔に続くシリーズです。  今回もオート・オート。ホワイトバランスを太陽光にかえると少し白が濁り、緑もくすむようです。背景の薄緑を生かしたくて、ピクチャースタイルはオート。同じことをマニュアル操作しようとすれば、ピクチャースタイルを「忠実設定」、色合いスライダーをプラス2に、マニュアルホワイトバランスのクロスゲージ調整(そう呼ぶのかどうか知らんが)を少し上へ、そして露出をプラスすると、この感じに近づきます。(その場合、コスモスの花弁のディテールがより繊細に表現される)    そういうことができる、ということをある程度理解しておいて、余裕があればやってみるということでよい、と思いますね、うんうん。  で、ご飯茶碗が出たところで、きぬむすめの食後感想。  朝ごはんに炊き立てを食べて、昼ご飯に冷えた弁当飯として食べて、夜、残ったご飯をレンジで温めて親子丼で食べて、と3食いただきました。今回はさらに水加減を考えて、炊き具合もよく調整したのですが、やっぱり食味は、ヒノヒカリ>きぬむすめ、でした。  ヒノヒカリの12時間経過した冷や飯でも、独特の甘みが美味しく感じられるもので、それがきぬむすめにはありません。しかし、淡泊な味わいが悪いとばかりも言えず、丼ものには向いているように思いました。  今年のきぬむすめがベストな出来とも言えず、この結果だけで、ヒノヒカリ>きぬむすめ、とは決定できないですね。  

ピクチャースタイル・オート

ピクチャースタイル・オート

 70Dを使い始めておよそ6年、ピクチャースタイルは撮影時はオートに固定しており、必要であればDPP4作業時に変更しています。が、今更ながら「オートとは何がオートなのか」について疑問を持ち、キヤノン社のホームページなどで調べて見ると、「人の顔、色、明るさ、動き、コントラスト、距離などの情報をもとにカメラが自動的に、撮影状況を解析するEOS シーン解析システムによりオートマチックに制御されるピクチャースタイル」なんだそうです。[スタンダード]をベースとしつつ、EOSシーン解析システムからの情報をもとにシーンに合わせてきめ細かく色調を制御し、自然や屋外などのシーンでは青空や緑を色鮮やかに、夕景シーンでは赤みを強調してくれるのだそうで。 この一枚では、背景の緑グラデーションを一番よく表現してくれるのがピクチャースタイル「オート」で、主役のバラの色も、少し鮮やかすぎるように感じますがファインダー内、肉眼で見ていてもこんなかんじでした。これが「オート」による作用だというのは、ピクチャースタイルを「スタンダード」に変更しても花の色は変わらず、緑が変化するのみということでも理解できます。  ということで、「EOSシーン解析システム」は、よい仕事をしてくれているようです。  「気にすることはない。彼らは彼らの仕事をしている。」(城山三郎「官僚たちの夏」劇中の台詞より)

金田正一氏を悼む

金田正一氏を悼む

 日本プロ野球史上、前人未到の400勝を達成した金田正一さんが亡くなられました。享年86歳。  リアル球界での活躍に加え、「巨人の星」「侍ジャイアンツ」などの野球漫画でも活躍されました。ご冥福をお祈りします。  「巨人の星」では、速球投手として不安を覚えた主人公星飛雄馬に、変化球を教えてくれと懇願され「ドアホ!自分で新しい変化球を考えろ!」と一喝するなど、最終盤に至るまで、飛雄馬の精神的な支えとなる大先輩として描かれています。  この一喝場面は、当時売り出し中の速球投手、鈴木啓示氏がオールスターゲームで金田氏に「スローカーブを教えてください」と頼んで、「教えてほしいのならゼニ持ってこぉい!」と一喝されたというエピソードを下地にしたものと思われます。  ちなみに鈴木投手は、どちらかというと飛雄馬が左投げから右投げに転向した「新巨人の星」での登場場面が多いのですが、鈴木氏にもまた、幼少の時、右腕を負傷して父親により左腕投手に変更されたというエピソードがあり、あるいは「新巨人の星」物語のスキームをそこから得ているのかもしれません。    さきほどの「銭持ってこい」は、鈴木氏本人の述懐では「クラブ活動じゃないんだ!」という前置きがあったそうで、高卒新人で、先輩後輩の上下関係にも学生気分が抜けていなかった(かもしれない)有望投手にカツを入れたのかもしれませんね。  昭和はますます遠くなりにけり、です。

ため池とキツネの物語

ため池とキツネの物語

 国営備北丘陵公園の、キツネオブジェ。  この公園もまた、農業用ため池の「国兼池」の周囲を公園とした、湖畔景観が基調のいわば「ため池公園」です。(国交省と農水省がケンカしそうなテーマだが、国交省所管、私も仕事で少し関わりがある)  国兼池については、人柱伝承もあるとか。 http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=1953  さて、狐に化かされる、というオハナシはよく聞きますね。 http://jinjakannushi.blog89.fc2.com/blog-entry-897.html  以前、「女狐が人間の青年に恋をし、その恋人から奪うためにあの手この手を使うが果たせず、最後には青年と恋人の子供(女の子)として転生し、目的を果たす(愛を勝ち取る)」という、悲しくも切なく美しい物語(マンガですよ)を読んだことがあります。  ため池とキツネ、いうキーワードでは、祖父から、祖父の祖母が体験した怪異談を聞いたことがあります。おそらく大正末期から昭和初期のことだと思うのですが、そのおばあさんは働き者で、日が暮れてしまうまで畑仕事をしていて、帰宅する途上、道に迷ってしまい、しまいには自分がどこにいるのかもわからないバーディーゴ状態となり、耳慣れない水の音が聞こえる道ばたで立ち往生してしまった、と。しかし聡明な人だったようで、「これはいかん、狐に化かされた、動くと危険だ、明るくなるのを待とう」と座り込んで、朝までじっとしていたそうです。朝になって気が付くと、尾根筋ひとつ違う、別の集落に迷い込んでいて、しかも水の音は、ため池の余水吐けを水が越していく音でして、下手に動いていたらため池に転落していた危険もあったとのこと。 おばあさんは帰宅してから 「帰宅の目印にしていた提灯がどうしても見えず、ずんずんと歩いてしまった」と家族に説明したそうですが、実家では大騒ぎになっていたと思われ、それで祖父も明確に記憶していたのでしょう。  私の実家がある地域は、ひとつの大きな山塊の外周ぐるっと、ため池+同じような農家群(茅葺き、黒板等)+水田、段丘畑が展開する、特徴のないよく似た集落が点在しており、月のない夜に方向感覚を失うと、どこも同じに思えてしまうことはありえる。疲労や体調不良などで方向感覚が鈍っているときにこういう空間識失調がおこって、それを昔の人は「狐に化かされた」(備前では、狐に引かれた)と理解したわけです。  また、山仕事をして帰宅するときには、集落の構造上、山の裾野にもれなく深いため池が配置されているわけで、空間識失調の状態で迷い込むととても危険なわけです。そのためか、祖父母は、私たち孫が山遊びをすることにいい顔をしませんでしたね。山について入会の概念がなく権利関係が厳しい土地柄であったことも関係しているとは思いますが。