180mmレンズ 作例

ただひたすらに今を待つ

ただひたすらに今を待つ

 「帰ってきた70D・・・」を撮影したポジションより、もう50cmくらい寄れる場所からの撮影。仕切りロープいっぱいです。カワセミ君との直線距離は、もしかすると5m弱かもしれない。物理的にこれ以上寄れないし、もしよれば飛び去ってしまうでしょう。  縮景園で、ロープを越えて撮影する人は見ないですね。ベンチに土足で上がった写真講師さんは見ましたが。  颯爽と飛ぶカワセミ君ですが、鳥類のおきてとして、食ったらさっさと消化し、排泄して、パワーウエイトレシオを維持しないと、敏捷に飛べなくなるのでしょう。人間の三倍の血糖値も、飛ぶエネルギーを得るため、かな。また本でお勉強しよう。  というわけでカワセミ君、じっと消化する、の図。21分間、一度もダイブしなかったようです。(映り込みした人に承諾をもらうために4分ほど席を外したのでその間は不明)  かといって、ひなに運ぶ餌、かなり大きな魚をくわえて飛んでいるので、小さくても馬力はある様子。 「カワセミの子育て―自然教育園での繁殖生態と保護飼育 」(矢野亮著)を読んでます。何らかの事情で親鳥が離脱して残されたカワセミの雛を育てるのは、とても難しいそうです。生魚の切り身を与えただけではだめで、魚をまるごと呑ませて、あらゆる栄養分を補給する必要があるとか。雛のときの給餌に失敗すると、カワセミの生命線である油脂腺に発育不良が残り、採餌のため水に飛び込むつどびしょぬれになって、そのうち飛べなくなり、餓死か捕食されるか、となるそうです。  カワセミが、ゴムボールが跳ね返るように、リズミカルにダイビングして元の場所に戻るのを繰り返すことができるのも、羽に油を供給して、水をはじく状態を保っているからなんですね。消化タイム中、羽づくろいを入念にやっているのも見かけました。  カワセミ君が休んでいるこの岩は、1つの島の一部であり、大敵は猛禽類のみ心配すればよいようです。今の季節はヘビもこない、かな。  

帰ってきた70Dと帰ってきてくれたカワセミ君

帰ってきた70Dと帰ってきてくれたカワセミ君

 メンテナンスから帰ってきた70Dを持って、久々に縮景園に撮影に赴くと、いつもの定位置にカワセミ君が帰ってきてくれました。  うんにゃ、定位置に帰ってきたのは私のほうか(爆)   写真「距離感」に含まれていた、もうひとつの重要な情報というのは、岩の下方にある干満の痕跡。縮景園は京橋川から導水しているので、干満に応じて給水が途絶え、一日のうちに水位が上下します。排水口の敷高より水位は低くならないので、これはそれほど大きな影響はないのですが、京橋川は一日の水位差が2m以上あり、特に冬場は、干潮前後は川のほとんどが干潟になってしまいます。 カワセミが足場にする、岸辺の樹木や護岸からは、水面がはるか遠くなってしまうわけで、採餌に支障が出ると。それで、冬場は縮景園の池でカワセミを見る機会が多いのだろう、と推測しています。  しかし、池の周辺には営巣に適した地形があんまりないようで、夏場の繁殖期には姿を消してしまうのかも。ただし、私自身が7月にカワセミを園内で目撃しています。  こういうことは断片的な情報ではなく、きちんと観測しないと本当には推定できないんでしょうね、うんうん。

俺様の距離さ!

俺様の距離さ!

 タムロン150-600mmの最短撮影距離2.2mに魅力を感じているのは確かですが、現用のシグマ180mmマクロが 「ふざけるな!この距離は俺様のものさ!」と叫んだような気がしました。  メジロ君との推定距離は約2m。飛び去ってはまたここに戻ってくる、よほどお気に入りの場所と見えます。    タイトルの元ネタは、浮谷東次郎「俺様の宝石さ わがアメリカ横断紀行」より。若くして散ったレーサー浮谷氏は、ヤングジャンプに連載された漫画「栄光なき天才たち」でも紹介されてます。 「人生に助走期間なんてない。あるのはいつもいきなり本番の走りだけだ。」  これはどうも中学、高校の教育方針に異議を唱えたセリフだったようですが、私は凡人なのでなかなかそうは言い切れません。  が、カワセミは親に採餌訓練を受ける期間はほんの10日ほどだそうです。カワセミの平均寿命が2年と言われるので、教育期間は生涯のわずか70分の1。そう考えると、人間が幼稚園から大学まで20年近く、何らかの教育を受けるのは、長すぎるのかもしれません。ただし、教育期間中も人間は、先輩として、あるいは助手として何らかの形で年少者や入門者を育成するもので、カワセミも一度巣立った幼鳥が若鳥に成長して、給餌等で子育てをヘルパーする傾向もあるそうで、そのことを含めると人間の教育期間と大差ないかもしれません。(すべての個体がヘルパーするわけではないようだが)  この写真は、カワセミじゃないですね、メジロですね、あははは。  本日、自分史上初めて、「目白押し」という言葉が、このメジロ由来のものだと知りました。メジロが押し合いへし合いしながら枝にとまる様子からきた言葉だそうで。

カワセミが登場する物語

カワセミが登場する物語

・・・よだかはまっすぐに、弟の川せみの所へ飛んで行きました。きれいな川せみも、丁度起きて遠くの山火事を見ていた所でした。そしてよだかの降りて来たのを見て云いました。 「兄さん。今晩は。何か急のご用ですか。」 「いいや、僕は今度遠い所へ行くからね、その前一寸ちょっとお前に遭いに来たよ。」 「兄さん。行っちゃいけませんよ。はちすずめもあんな遠くにいるんですし、僕ひとりぼっちになってしまうじゃありませんか。」 「それはね。どうも仕方ないのだ。もう今日は何も云わないでくれ。そしてお前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚を取ったりしないようにしてくれ。ね、さよなら。」 「兄さん。どうしたんです。まあもう一寸お待ちなさい。」 「いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすずめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあわないよ。さよなら。」  宮沢賢治「よだかの星」より    「やまなし」では、水生生物にとって恐ろしい捕食者として描かれているかわせみが、「よだかの星」では美しい小鳥、そして主人公よだかの弟として描かれています。  なお、よだか、かわせみ、はちすずめを兄弟と設定したことは、分類学上、まずまず正しいという意味のことが、ウイキペディア解説に書かれていました。宮沢賢治は教師でもあったせいか、当時の科学(特に天文学、地学)に、劇中で言及するシーンが見られます。なお、同じ作者による「銀河鉄道の夜」はまぎれもなく死後の世界、臨死体験を文章化した物語であり、松本零士氏も「銀河鉄道999」でその要素は踏襲した面が見受けられます。  「やまなし」は、水中から見た水面の光彩の美しさが、「よだかの星」では、終盤の、よだかが命を燃やし尽くす飛翔のスピード感と夜空(星空)の美しさが特筆のもので、こういう美しい文章表現ができる才能は、ひとつの言語につき数世紀に一人でも出れば上出来ではないかと思うところです。つまり宮沢賢治のあと日本語ではまだ出現していない。(元ネタは略)    「よだかの星」終盤の、よだかが命を燃やして飛翔するシーンは、おそらくは漫画「レース鳩0777(あらし)」の、一羽の優秀なレース鳩の落命シーンにオマージュ引用されていると思われます。こちらは漫画表現の中で、無類のスピードを誇ったレース鳩が、最初は飼い主と自身の名誉のために、次に疲労と激痛を忘れるために、最後には飛ぶという、鳥の本能にだけ従って、肉体の限界を超えて飛び続け、津軽海峡に命を散らせます。 「レース鳩~」はたいへんよく整った漫画ではあるのですが、劇中ではおびただしい数のレース鳩が落命するため、読後感はけっして爽やかではないですね。現状は電子書籍化されており、一部、当時の演出で現代にそぐわないものをマスキングした状態で読むことが可能。  この物語にはカワセミは登場しません。

夏の思い出

夏の思い出

 真逆の季節に思い出す。  撮影時にEOS70DのAWB微調整を誤操作したまま撮影を続けていたのは、データをさかのぼってチェックしてみると、2018年の6月頃から、のようです。そこからずっとマゼンタ傾向。  で、DPPでAWB微調整をキャンセルしたからといって、撮影時にカメラがそういうコマンドを受けて動いていたからには、今更操作しても、おかしな具合にしかなりませんなあ。カメラが文句言ってます、「あんた、そうしろって言ったじゃん。誤操作かどうかなんて、機械にわかるわけねえええだろぉ!今更ガタガタ言うなよ、ボケ!」  この色合いは、ホワイトバランスは撮影時設定のオート(誤操作の微調整つき)、ピクチャースタイルのみポートレートに変更し、オートライティングオプティマッツァを控えめでかけてます。  カメラは誤操作のAWB微調整コマンドに従って、一生懸命に動作してくれたらしく、DPPで微調整をキャンセルすると、盛大な緑かぶりの、やや不健康に感じる色あいになるので、いかんともしようがない。  意図して操作したのでなく、移動中に操作部に触れて変な設定が入ってしまった可能性が高いので、今後は操作の敏感度を下げる、ロックボタンを併用するとか考えないといけないなあ。あるいは電源を切って歩くのが一番。  

欣喜雀躍・喜びのスズメダンシング

欣喜雀躍・喜びのスズメダンシング

 それを言うなら「カワセミダンシング」。  獲物をゲット、嚥下して喜びのあまり踊り狂うカワセミ君・・・のはずはなく、この日のお気に入りの岩の上を飛んで移動し、今まさに着地しようとするところ。  見ているかぎり、カワセミはほとんど歩行しないですね。地面の上の餌をさがす習性はなく、枝や石などの足場に身体を固定するのが足の役目みたいです。(歩く姿の報告例も見られるが、雀やイソシギほどには歩かない)  「鳥に愛情のような感情はない、本能に基づく反射により行動している」という話が、最近のNHK番組「チコちゃんに叱られる」で紹介されていましたが、「抱卵するガチョウの、卵が巣から出たときの反射行動」というのが高校の生物の教科書に載っていて、やはり「本能と反射だ」とする説を習った記憶があります。  しかし、獲物ゲット後のカワセミ君は、明らかに楽しそうです。こちらの感情移入かもしれないが、私は動物にも感情はあるだろうし、人間の感情も根本的には本能で説明できるように思いますが、いかがなものでしょう。(根拠はない)  例えばカワセミの下クチバシが赤いのと、人間の女性が口紅をひくのと何が違うのねん?くけけけけけ。

キングフィッシャー健在

キングフィッシャー健在

 見事に獲物をとらえた、の図。だけどこのくらいではおやつ程度かもしれない・・・  獲物をふりふりして、その水滴が光りながら落下してました。この後、一気に嚥下。  本日の縮景園、河野瀬美緒君。同じ場所で撮っていた人の情報では、11時から15時の間で、4,5回は目撃できたそうです。私が待機したのは14時30分から15時45分くらいまでで、都合3回目撃しました。この一枚の前後、この岩から見ていただけでも3回ダイブし、そのうち少なくとも1回は餌にありついた様子。水面まで遠いけれど、光線の具合か何かで魚が見つけやすいのか、それともこのポジションがお気に入りなのか。  今回は撮影場所に私を含めて3人いましたが、会話をしたのはそのうち一人とだけ。もう一人の方は寡黙でしたが、お互い、カワセミを見つけて構えると以心伝心で撮影に入り、会話は不要でした。  おもしろかったのが、二人並んで撮影していると、後ろから一般の女性が「あ、カワセミいるねえ」と歓声を上げたので、二人同時に横に50cmほどずれて、その女性のために観覧場所をゆずったことでした。これも以心伝心。我々のための特等席が用意されているわけではなく互譲の精神が必要であります。(そうしないとよくないことが起こる)  今日は鳥デーでした。宇品海岸でイソシギ、ウミウ、トンビ。あと目撃だけですがジョウビタキとルリビタキ。縮景園では鴨とカワセミとメジロ(メジロは目撃のみ)。あとは道すがら、雀も撮影。

カワセミ君の展示飛行

カワセミ君の展示飛行

 縮景園にて、見事な展示飛行を敢行してくれたカワセミ君。  短時間のうちに、定点を結んで八の字低空飛行を披露。この一枚のあとは、バンクして橙色のかわいいお腹を見せてくれました。すでに影っているので連写では暗い結果が大半でしたが、ところどころ木漏れ日スポットがあって、そこを通過するときに美しい色彩が得られる、の図。追いかけるのはたいへんで、ピントはきてませんがご容赦あれ。  もちろんフォトグラファーにサービスしてくれたわけじゃないですが、縮景園のような人工的な自然環境においては、カワセミ君は人慣れというか、人間と共生しているかのようです。京橋川と水を循環させることで、餌になるボラの稚魚や小エビ、貝類などが豊富であるし、人間がいることで、ある程度外敵も排除されているかもしれない。特殊な例外をのぞき、人間はカワセミに危害を加えない。  もちろん、上空にはミサゴもいるし、カラスもたくさんいるのですが、ミサゴはボラ、カラスは土鳩のほうがたやすい獲物のようです。    ・・・で、野鳥フォトグラファーたちは縮景園の中で浮いた存在となっていて、大口径の長玉レンズ軍団は一般客から「何あれ?」という扱いです。そんな中でも、小規模な装備のわてくしは、「オーラが薄い」らしく、一般客から「シャッター押してくださいな」と頼まれることもあって、そういうときは栄誉だと思っていそいそと対応します。撮影後、儀礼とわかっていても「ああやっぱり写真やっている人は違うな」と言ってもらって調子に乗る、の図。  一人で撮っていると、180mmマクロは巨大なレンズで、少々怖がられてもしたかないのですが、鳥撮りさん方の中では「あんたもしかしてバカですか?」というくらいの短いレンズのようで。  ただし、「あの鳥は何ですか?」と尋ねられても、こちらの知識が浅いので、「ごめんなさい、わかりません」と言うしかない。そうすると、知らないわけないだろう、素人の相手なんかできるかってしょってやがるぞ、という感じで悪態をつかれたこともあります。それはちと悲しいことで、本当に知らないのだからどうしようもない。いくらオカヤマケンジンでも、知っていることを隠したりはしない。そういうことを避けるためにも野鳥の勉強はやっておこうと思う正月でした。

鳩と川瀬美子ちゃん(2018)

鳩と川瀬美子ちゃん(2018)

2018年2月、縮景園で人気を集めた雌個体、通称、川瀬美子ちゃん。(誰もそうは呼んでませんが)  当時の撮影データが、未整理で残ってました。仕事で、広報用の撮影をする機会が複数あったこと、人事異動に伴う身辺整理が忙しかったから、放置していたのかな?  飛来した鳩に警戒の目向ける川瀬美子ちゃん。だけどこの後のカットでも同じ位置にい続けていたので、トラブルは起こらず、普通にすれ違った様子。  鳩にちなんで、漫画話。  鳥を扱った漫画は多くありませんが、1970年代後半に週刊少年チャンピオンで連載された「レース鳩0777(あらし)」(飯森広一)が記憶に残っています。実在の人物をモデルにした「ぼくの動物園日記」など、動物ものに偉大な足跡を残した飯森氏ですが、漫画家の通例として60歳を前にして世を去っており、新作を読むことはできません。「レース鳩~」は全14巻と、飯森氏最長の連載。  数百kmないし1000km超の距離で行われる鳩レースをめぐり、鳩を擬人化して鳩同士のライバル心や向上心、友情、飼育者との信頼・友情関係、また鳩の飼育者である少年少女の物語をからめた、読み応えのある作品です。  ここでは、鳩の帰巣本能は地磁気読み取りや太陽コンパス説に加えて、地形の映像記憶、さらにはそれらで説明できない謎の能力があるという設定で、悪条件下でも帰巣する、超能力鳩のような描写がされており、現実の鳩レースにおける帰還率ではありえないような高い数字が達成されています。  物語は、終盤の「北海道稚内から放鳩し東京を目指す1100kmレース」をクライマックスに据えて、レースをめぐる飼育者の駆け引き(卑怯な手段もある)、鳩同士の争いに加え、微妙な気象予測をめぐるレース主催者の葛藤が描かれます。1970年代の気象予報技術では台風の動向が読み切れず、レーススタート後、レース鳩たちは台風に向かって飛ぶことになるという恐ろしいプロットが用意されており、台風にぶつかる前にも、猛禽類の襲撃で多くの鳩が命を落とす悲劇的展開。ここでは現実のレースに準じた帰還率が描かれ、主人公である鳩のみが飼育者のもとに生還するという、大団円で14巻の物語が完結するもの。  現実の鳩レースの脱落鳩は、猛禽類に襲われ命を失う、逃げ切っても迷子になり帰巣を諦め野生化する、途中でツガイになる鳩を見つけてしまう、といった例があるようで、鳩レースの統括団体は迷子レース鳩の保護に関して呼びかけをしており、実際に連絡により回収される鳩もあるようですが、その鳩の背中に明らかに猛禽類の爪痕が残っていたりするそうです。  「レース鳩~」で登場し、鳩を襲う猛禽類は、ハヤブサ、イヌワシ、フクロウなど。その他にも、夜目の効かない鳩が街灯を頼りに道路上を飛びトラックに正面衝突してしまう(普通車とトラックの車高差に気づかなかった)、おのれの体力を過信した鳩が低空飛行する中、強風で切れた電線に接触して感電死するなど、現実にありそうな事故と、擬人化した鳩の葛藤や駆け引きがうまく描かれ、中だるみのない物語でした。  鳩を擬人化した描き方に重点があるせいか、人間が単純化され愚かに描かれている点もあり、これは動物マンガによくみられる傾向ですが、バランスよくおさまっています。  現在は電子書籍で閲覧可能。連載当時は、この漫画の影響で鳩レースが小ブームになったそうで、いわば鳩レースにおける「サーキットの狼」みたいなもの。