ため池とキツネの物語
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 70D
ソフトウェア Digital Photo Professional
レンズ 180mm
焦点距離 180mm
露出制御モード マニュアル
シャッタースピード 1/790sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 3000x2000 (4,597KB)
撮影日時 2019-09-14 23:00:57 +0900

1   S9000   2019/10/6 08:56

おはようございます。トメンコありがとうございます(*^^*)

 ため池を撮影したことは何度かあるにはあるのですが、実は私、ため池にカメラを向けるのはあまり好きではありません。ここで紹介した怪異談以外にも、小学校の頃は、異なる地区から通う友だちからたくさんのため池にかかわる怪異談を聞いたものです。我が家の怪異談は、おばあさんがちゃんと家に帰ってきたのですが、帰ってこなかったものもあったり。
 地元の一番山奥にある池にも、竜神伝説を聞いたことがあるのですが、そういうものも含めて、要するに「危ないからため池に近寄ってはいけません」という大人からの圧力なのです(#^.^#)
それは自分が親になってみればわかる、と。
 そういうこともあって、ため池は懐かしい原風景ではありますが、同時に畏怖する存在でもあります。
 しかし、そうは言っても、ため池は、地域の共有物であり貴重な財産、資源なので、子供も大人になれば、その保全を行う人材になってもらわねばならず、その点で我が地区では、子どもの成長、学問の成就、足腰の健康を願う神社(祠)と、五穀豊穣を願う神社をつなぐ参拝道がため池の管理用通路を兼ねていて、ため池に対して畏怖だけでなく畏敬の念を持てるような仕組みとなっています。(そう思っているのは私だけか?)
 成長した息子をため池の除草や農道の補修などの村普請に連れて出るときの父親は晴れがましい顔をしており、息子もまた地域の人々に戦力として紹介されるにあたって、責任を実感する、と。そして農業においては家父長制がしっかり残っており、代を嗣いで指揮権を得た息子(この場合、私の兄)の判断に対しては、父親も口をはさめません。(ただし陰でぶつぶつ言うので慰め役は私)
 というわけで、今では兄も、ため池堤防の除草や水路の見回りなどは立派に役割を果たしており、頼もしい存在です。

 さて、写真のオハナシ。
 ため池をはじめとする農村景観に造詣の深い写真家、英伸三氏が審査員を務める「ため池写真コンテスト」が毎年行われています。主催は、「全国土地改良区連合会」通称「水土里(みどり)ネット」。
http://www.inakajin.or.jp/eventinfo/tabid/198/Default.aspx
 平成11年から始まって、今年が20周年という、なかなか歴史のあるフォトコンテスト。
 過年度の作品を見ると、ため池堰堤を除草する人々の写真も入選してます。またポピューラなのが、川ざらえならぬ池ざらえのシーン。これは最近、某テレビ番組で話題になった影響もあるのかな。
 満濃池は毎年登場してます。岡山もため池の数では上位だが、岡山での撮影はこのコンテストであまり見かけないのは、私のようにため池に畏怖を持つから、ではなく、おそらく、撮影していると地元の人から「おめーはなにしょーんなら、はよいねえ」と罵声を浴びせられるから(*^^*)
 
 池ざらえと言えば、地盤を通じて海とつながっていて、さらえようがないのが、山口県萩市の明神池。これは、また別のテレビ番組で「海生生物が暮らす池」と紹介され、有名になりました。100年近く前に、池そのものが天然記念物に指定されているので、もともと知られていたようです。海水の池なので、農業用のため池にはなりえないものですが(笑)
http://spinfo.jp/yamaguchi/hagi/myojinike/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%A5%9E%E6%B1%A0_(%E8%90%A9%E5%B8%82)

2   S9000   2019/10/1 23:24

 国営備北丘陵公園の、キツネオブジェ。
 この公園もまた、農業用ため池の「国兼池」の周囲を公園とした、湖畔景観が基調のいわば「ため池公園」です。(国交省と農水省がケンカしそうなテーマだが、国交省所管、私も仕事で少し関わりがある)
 国兼池については、人柱伝承もあるとか。
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=1953


 さて、狐に化かされる、というオハナシはよく聞きますね。
http://jinjakannushi.blog89.fc2.com/blog-entry-897.html
 以前、「女狐が人間の青年に恋をし、その恋人から奪うためにあの手この手を使うが果たせず、最後には青年と恋人の子供(女の子)として転生し、目的を果たす(愛を勝ち取る)」という、悲しくも切なく美しい物語(マンガですよ)を読んだことがあります。

 ため池とキツネ、いうキーワードでは、祖父から、祖父の祖母が体験した怪異談を聞いたことがあります。おそらく大正末期から昭和初期のことだと思うのですが、そのおばあさんは働き者で、日が暮れてしまうまで畑仕事をしていて、帰宅する途上、道に迷ってしまい、しまいには自分がどこにいるのかもわからないバーディーゴ状態となり、耳慣れない水の音が聞こえる道ばたで立ち往生してしまった、と。しかし聡明な人だったようで、「これはいかん、狐に化かされた、動くと危険だ、明るくなるのを待とう」と座り込んで、朝までじっとしていたそうです。朝になって気が付くと、尾根筋ひとつ違う、別の集落に迷い込んでいて、しかも水の音は、ため池の余水吐けを水が越していく音でして、下手に動いていたらため池に転落していた危険もあったとのこと。
おばあさんは帰宅してから 「帰宅の目印にしていた提灯がどうしても見えず、ずんずんと歩いてしまった」と家族に説明したそうですが、実家では大騒ぎになっていたと思われ、それで祖父も明確に記憶していたのでしょう。

 私の実家がある地域は、ひとつの大きな山塊の外周ぐるっと、ため池+同じような農家群(茅葺き、黒板等)+水田、段丘畑が展開する、特徴のないよく似た集落が点在しており、月のない夜に方向感覚を失うと、どこも同じに思えてしまうことはありえる。疲労や体調不良などで方向感覚が鈍っているときにこういう空間識失調がおこって、それを昔の人は「狐に化かされた」(備前では、狐に引かれた)と理解したわけです。
 また、山仕事をして帰宅するときには、集落の構造上、山の裾野にもれなく深いため池が配置されているわけで、空間識失調の状態で迷い込むととても危険なわけです。そのためか、祖父母は、私たち孫が山遊びをすることにいい顔をしませんでしたね。山について入会の概念がなく権利関係が厳しい土地柄であったことも関係しているとは思いますが。

3   kusansgi   2019/10/5 22:34

S9000さんの溜池の話、大変に興味深く読ませていただきました。お仕事柄、案外に身近な存在
だったのかも知れません。それから実家が溜池の村だったんですね。私と同じです。
「プローグ 水辺遍路」
https://bunbun.hatenablog.com/about
https://bunbun.hatenablog.com/
「満濃池 スーパースター」
https://bunbun.hatenablog.com/entry/2014/03/28/065217
「満濃池 キングオブ溜池」
http://459magazine.jp/journey/13657/
「ドローン空撮」
https://www.youtube.com/watch?v=3SE3VdYiQxw
https://www.youtube.com/watch?v=UhAO9tOpWf8

ちょっと、満濃池の話がでましたので、改めてご紹介をということで。(^^ゞ
とはいえ、満濃池を知っている県外の人は稀ですし、観光地ということになってますけど訪れる人
は殆ど県内人ばかり。とにかく溜池って地味なんです。それと溜池は現役の産業(農業)施設です。
観光遺跡じゃないんです。それに溜池は全国に普通にあるわけなので有り難みが薄いってのも
ありますね。
そんなわけで写真としての対象になりにくいところがあります。溜池そのものに興味がなければ
わざわざ撮りに行こうかという人は稀でしょう。なお満濃池に付随する形の国営満濃公園にはカメラ
を片手に季節の花々やイルミネーションなどを撮影しにいく人は多いですね。

こういう撮影、カメラマンが集まらないというか、人があまり注目しないようなところの撮影というのは、
その被写体そのものに関心がなければダメなのですし、しかも撮影は記録撮影主体ということに
なります。
私はこのような撮影をほそぼそとこれまで続けてきて、これまでにも備讃瀬戸の島々、海岸線や
河川遡行、里山登行、田園散策、神社などを撮影しています。溜池などは原則、周囲を歩いて回ると
いう具合ですので、撮影よりも散策自体を重視していると言ったほうがよいかもしれません。
私は掲示板でよくカメラのことなどを書いたりするので、写真好きと思われているかも知れませんが、
本当は写真そのものにはほとんど関心がないのです。凝った撮影などしませんしね。

記録撮影ならばスマホで十分、という意見もあるかも知れませんが、スマホではやはり写真になり
ません。私にしてみれば、画質が伴わないと本当の記録撮影にはならないということなんですね。
喩えて言えば、料理には凝らないけれど、素材には凝ってしまうというところでしょうか。このたとえ
で行くと、スマホ写真は加工食品みたいなものです。あまり身体には良くないと思ってます。
(例外的にパノラマ撮影は良いですね。ステッチング撮影なので当然かと)

それから溜池の風景としては、満濃池がキングというわけではなくて、大小各池それぞれに良さが
あるわけでして、写真の出来具合は溜池の規模とは関係がありません。

4   kusansgi   2019/10/6 23:19

溜池が子どもたちにとって危険、というのは世代によって感覚が違うようです。S9000さんの世代は
既に学校や村では危険と捉えられていたようですが、私の世代、団塊の世代及びその後の世代
では、溜池は子どもたちの格好の遊び場でした。学校にはプールがないので子供らは溜池や河川で
泳ぎを覚えていたのだし、そういう自然や半自然の中で伸び伸びと遊び暮らしていたんですね。
もちろん溜池で溺れて死んでしまう子供もいたんですが、なにせ子どもの数が多いので、一人くらい
欠けても平気というか、社会全体では自然淘汰いうくらいに大らかに捉えられていたんじゃないです
か。(^^ゞ 今はそんなことをすればただでさえ少子化なので大変なことになりますが。

ただ気になるのは、あまりにも自然の危険性に対して臆病になってしまうと、国民の強度が落ちて、
対外国的な競争に負けてしまうのではないかという点です。自然は子どもたちにとって最初の生きる
試練であるわけで、その時期に箱入り息子になってしまうと、その後に自分で人生や対外競争を
切り開らいていくという気概が出てこなくなるかもしれませんね。
実はこの弊害は既に現れていると指摘する方もおられて、団塊の世代までは日本は世界に対して
勝負ができていたのですが、その後はでんで弱くなりましたよね。特に今の若い世代は実力不足て
あるということを若い人の中でもハッキリ言う人もいます。
囲いの中の決められたルールのなかで成績を上げるのは得意でも、ルール無しの世界で、自分で
ルールを発見して他国をリードしていくという、何でもありのこの世界の競争の中で、負けてしまって
いるということになるかも知れません。
外国人労働者にバカにされて、仕事をやめて引きこもってしまったという若い人の記事を見るにつけ、
今の若い男性は弱くなってしまったんだなあっていう気がしてます。

「ため池写真コンテスト」はチラシなど配られていてわりと有名ですね。それでアマチュアカメラマン達
が良い風景を発見していただくと、それに釣られて一般の人々も溜池を、これまでの危険というイメー
ジとは違った観点で、見直すきっかけになるわけです。
写真の最大の価値はやはり発見なのですね。
それらの写真に感化されて、自分らも溜池の美しさや自然に触れてみたいと考える人達が増えて
くると嬉しいですね。是非とも子供らを連れて溜池散策や遊びに楽しんで頂きたいと考えています。
いきなり奥山のキャンプ場に行くよりも先に、里山の半自然にまず触れてみるのが適切かと思います。

また大人になってからでも自然に親しんで自分の中の自然を取り戻すことはできます。今は大変な
登山ブームなんですが、高齢者の登山者はわりと子どもの時に自然に触れていました。それを再び
取り戻したいというのがあるでしょう。しかしそれだけでなく、人間はいくつになっても自分の中の自然
を取り戻すことができるんだということではないでしょうかね。

多くの人は、人工の、人為的に決められたルール、つまり人と人、人と社会のルールに慣れ親しんで
いますが、それだけで人生がより良く生きられるというものではありませんね。例えば病気になれば
それらのルールはまず役に立ちません。これは自然のルールによってなりたっているからです。
そもそも人工のルールは自然界の法則のもとで、その上乗せ分として作られているので、自然界が
変われば、たちどころに人工ルールも変わってきます。また変わらなければ人間は生きていけません。

そんなわけで写真という道具をお持ちの方は、それを有効利用をして自然に触れて、御自分の中の
自然を取り戻していただきたいなって感じてます。溜池は身近にある取り付き安い自然(半自然)です。
写真はなぜか人工ルールで評価されてしまうようなんですが、しかし写真という道具を利用して自然
のルールを発見してくというのは十分に可能です。といいますか、こちらの方がより大切という気が
しています。

池ざらえ、水抜きは溜池ばかりでなくお城の堀でもあります。
掻い掘りですか。これは水質改善の為のようでしたが。
https://arekore-joho-cafe.blog.ss-blog.jp/2019-01-31
萩市の明神池によく似たものが香川では安戸池があります。ハマチの養殖をやっています。今は釣り
で有名なのかも。

上で取り上げた、「日本全国 池さんぽ」市原千尋著、三才ブックス刊。は書籍となって書店に並んで
います。今年の8月刊。本の中のイラストが素敵です。

補足として。
スマホだけで写真をやり、それで自然を取り戻す写真ができるかというと、それは無理です。スマホは
あくまでも人工ルールの写真しか撮れませんし(例外はあります)、またスマホでネットを利用するという
のは多大な身体の負担を意味します。スマホで写真は出来ませんし、スマホでは写真掲示板を見る
ことも、また参加することもできません。

5   S9000   2019/10/7 20:51

 こんばんは。おお、kusanagi翁、あいかわらず盛りだくさんのコメント、感謝です。
 ということで、子供時代のオハナシに。
私の出身地域の場合、子供の減少により小学校の統廃合が行われたのが昭和40年前後で、私はそのしばらく後の入学なので、ため池ならぬ、わりと新しい25mプールで泳いでいました(笑)
「児童数が減ってきたので統廃合した」と、社会科の副読本郷土資料に書いてあったのですが、統合によってけっこう大規模な小学校になっていたため、子供が減っているとは少しも思いませんでした。ところが、統計上は確かに減っている、と。ただし、地区の人口は昭和40年代に比べて現在は約2倍に増えており、それでなお児童の数は減少しているので、少子高齢化というのを実感するところです。(目に見えて、兄弟姉妹の数が減っている)
 さて、統合前の小学校にプールがあったという話しは聞かないので、もよりの川や池で泳いでいたのかも。前後して、町内、郡内の小学校に次々と25mプールが整備されたため、学校の先生方が話し合ったのか、水泳の熟達度に関する統一的な基準が創設され、持ち回りの水泳大会も開かれるようになりました。たとえば「10m泳げれば8級」「25m泳げれば7級」・・「3種類の泳法で50m泳ぎ、かつ潜水して10m泳げれば5級」など。
そこから先は「50m○秒以内」といったタイムによって決まってくる。そして、上位級の子供たちを集めて、夏休みの水泳特訓教室(通称「とっくん」)が開催され、先生方の指導にも熱が入ること入ること。
この点、まさに。まさにぃ「人工的なルールの中で競う」の世界、こうやってドメスティックな日本人が作られていく、あははははははは。
 プール関係のトリビアとして、「児童一人のお尻には0.14グラムの便が付着している」前提で、消毒塩素の濃度が設定されています。消毒層に腰をかがめる程度じゃいけないわけで、プールのこの塩素のにおいが苦手という友達もたくさんいましたが、私は水泳以外に得意な体育がなかったので、好きでした。しかしこの塩素が当時の持病、副鼻腔炎に悪さするらしく、医者から低学年の間は水泳を止められていましたが。

 とまあ、ため池で泳いでいた時代を知らない私ですが、最近は、水質改善のおかげか、あるいはトライアスロンの振興によってか、オープンウォータースイムが盛んになっており、大規模なため池では大会も開かれているようです。


6   S9000   2019/10/7 20:54

 一方、城の堀をさらえる様子を見たことはありませんが、紹介されたリンクでの亀丸城お堀さらえでの「思ったよりゴミが少なかった」というのは感銘を受けましたね。いいことです。
堀をきれいにする、という話題では、広島城の堀は、大掛かりな浄化事業を全国にさきがけて実施しています。まちづくりの負の面を、大金かけて補填した事例であり、威張れたものではありませんが(どの口が言う?)
もともとは広島城の堀は川とつながっていたものを、通水している部分を埋め立てて街区に組み込んでしまったため、閉鎖水域になり、そこに白鳥やら鯉やらをぶちこんだため、その排泄物や餌による富栄養化が進み、昭和の終わり頃には何をやっても効果の出ない、くさーいドブ池にあいなりました、の図。
 そこで、もとどおり川とつなげればよい、という発想に至り、西隣を流れる旧太田川から水をひき、3日半で水を総入れ替わりするように措置したのが、平成初期の「広島城堀川浄化事業」。
けっこう大きな事業で、私も初期の段階で多少関わりました。
(旭川と岡山城の関係も同じだが、岡山城はより低コストな浄化対策をほどこしている)
 堀への導水路、また川へ水を戻す復水路ともに、広島城隣の中央公園を通しており、公園内のせせらぎ水路として特に桜の季節には市民に広く親しまれています。

 この事業によって、水質はかなり改善されましたが、川の水を引き込んだだけなので、もとの川以上の水質にはなるはずもなく、多少の臭気は残っています。それでも、事業以前の異臭漂う状況はさすがに脱しました。この事業について、広島城築城400周年を期して、と理解する向きもあるのですが、一番大きい契機は、1994年に行われた広島アジア大会のテニス会場がこの堀のそばにあり、関係者から環境改善を強く要望されたことだったと考えられます。
 ところがそれから四半世紀が経過して、この中央公園には、近年、サッカースタジアムを建設する構想が持ち上がっており、これらのせせらぎ水路は大半がスタジアム予定地に飲み込まれてしまうため、この形のままでは存続できません。おそらく暗渠化して、水循環の機能は残すと思うのですけれど、お花見や植木市など、中央公園広場とこのせせらぎ水路の風物詩は消えてしまうでしょう。
特にしだれ桜と水路の花筏とのコラボは見応えがあり、素敵な撮影スポットでもあります。(写真「ただものではない方」「裏街道さんサービスショット」は、この水路沿いで撮影している、https://photoxp.jp/pictures/200949 も参照)
しかしながら、しょせんは、人の手によって作ったせせらぎであり、街の姿はこうして変わっていくものなのですが。

「いかに悪魔的な文明であっても、しょせんは人の手で作ったもの」(「さらば宇宙戦艦ヤマト」劇中の台詞)

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