リコー PENTAX K-3 Mark III Monochrome 作例

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食

食

写真撮影は、「歩き」ということで健康によい。これは何度もくどいほど書いています。手に持つ カメラも程良い重さで、それを撮影中は何時間も手に持ったままなので、それも体力増進になる。 ちなみにカメラ持ちの歩きは自然と、なんば歩きになります。これは日本人の歩き方です。 しかし撮影の健康へのアプローチは、もうひとつあるんですね。 例えば丸一日を撮影日に当てますと、朝から撮影に出かけますが、朝食は抜きです。水分は摂り ますけど。そして撮影と歩きに夢中になりますと、時間を忘れて、というか時間がもったいないので 昼食も摂りません。つまり、帰宅してからの1日1食となるわけです。 これはプチ断食というものでしょうか。だいたい睡眠時間を含んで16時間くらい何も食べ物を摂取し ない時間が続くと断食効果が現われてきます。オートファジーというのですが、身体の細胞レベルで 免疫力が活性化されるんです。 1日1食撮影、これは意識してもうずっと何年も、写真の撮影をしだしてから実行しています。カメラを 持つとカメラマンは貪欲になるので食事をする時間すらケチりたいわけです。(笑)  とにかく写真撮影となると全てを無視して撮影のみに邁進をするのがカメラマンです。しかし結果的に、 食の回数を減らすことで健康増進になっていたわけですね。強行撮影をしても体力は落ちませんし。 このことは経験的に分かっていたわけですが、今回、健康本を多種読んでいて、改めてその効果を 学問的に知ることになりました。 撮影をせずとも、誰でも週に1回くらいは1日1食の16時間プチ断食をするのは良いんじゃないでしょう かね。そもそも1日3食は食べ過ぎだとあります。改めて自分の食生活を見直す切っ掛けとなりました。 東京影展亞洲未來單元世界首映《黑之牛》|11/08(五)見證奇蹟 https://www.youtube.com/watch?v=87zuFu1oTX4 この映画は黒白のようです。映像美が評判のようですが、黒白にすれば自然と鑑賞者に想像力が 働くので画面が美しく感じられるんではないでしょうか。 黒白写真、モノトーンは色という欲望を最初から排除します。無欲であるべし、という写真になりますか。 それほど大袈裟ではなくて、色は飽食に繋がるということで色の無い写真もいいんではないですか。 健康に関する多くの著者達が口を揃えて言うには、戦後の日本の飽食が現在の少子化に結びついて いると語ってます。高度成長以降の日本の衣食住の全てが飽食現象であり、やがては日本人種の 消滅に結びついていたというわけです。これは真実だろうと思いますね。

無題

無題

森永卓郎さんが亡くなられましたが、最後は流れ星のようにフルスピードで輝きながら駆け抜けたという 感じです。ああいう生き方は最高ですね。もちろん大変優秀な人だったから可能だったわけで、普通の 凡人には真似できません。 私はテレビを殆ど見ないので、森永さんを知ったのは、氏かガンになってから出版した本を読んで初めて 知ったという具合です。それからは幾冊かの著作を拝見し、ネットで動画を見ましたが、分かりやすくて 大いに好感が持てました。 日本人は死を恐れない人が多いです。死とは自然なものであって、人は土から生まれて土に帰るだけ。 という感覚かもしれません。人間は細胞レベルでは死は日常的に当たり前のものです。殺戮もあるし 自死も普通にあります。そして死してもその養分はリサイクルされるというか次世代に受け継がれていき ます。 コロナの遺伝子ワクチンの影響でしょうか、日本は急激に人口が減っているようです。生まれる子どもは 少なく、死亡する人が多くなりました。来冬からインフルエンザワクチンも遺伝子化されるのでこれから もっと加速されるでしょう。 長い眼で見れば、日本は今、そういう運勢の時代に生きているというわけです。良いも悪いもなくて、 そういう時代に今はなっているというだけなのでしょう。それに流されるのもよし、反旗するのもよしです。

無題

無題

撮影中に88歳のオバサンと話す機会に恵まれましたが、オバサンが最初に発した言葉は・・ 私のカメラを見て、「あんた、ええ身分じゃのう。^^ゞ」ということでした。つまりカメラで遊んでいる身分 を彼女なりに揶揄したわけです。 こういうぐあいにスパッと言ってくれる人は、私は大好きです。 いつもは笑って聞き流すのですが、今回の私は反撃にでました。「いや、オバちゃん、違うんで。」 「こうして野山を歩くことが健康にいいんや。人間は仕事ばっかりで歩きが不足すると必ず病気になる んでや。」 「ええかなオバちゃん。オバちゃんは農家の仕事で、この傾斜地の畑を年から年中、歩いて いるから元気なんやで。」 「つまり仕事をしながら同時に健康になっている。しかし普通の人は座った まんま、立ったまんまで仕事をしているから、仕事以外に特別に野山を歩くことが必要なんや。」 と、 言いました。 これは本当のことなんですね。例えば島の人はみんな元気。瀬戸の島と言うのは山の中腹に住んで いるようなもので、生活をすること自体で運動になっているわけです。農作業をすれば尚更。 歩く人に大病なし。とりわけ山に住み歩く人は。ということです。 私は人生最後の仕事、というか目的が写真撮影であっても良いのじゃないかと考えてます。もう充分に 社会人としての役目を果したんだから、後は健康で病気をせずにピンピンコロリといけたらいい、それが 最後の人生の目的みたいなものです。 ですから歩ける人は歩こう。カメラを手に持って外に出かけて歩こうじゃないかということです。歩けなく なった人は、せめて心の中でも歩いて、いい空気を吸おうじゃないかということです。可能な限り、杖を ついても車椅子を漕いでもいいから外に出かけようじゃないかということです。 犬も歩けば棒に当たる。人も歩けば何かに出会います。それが人として生産的だということです。 趣味のカメラを持って道楽かましているように見えるかも知れませんが、そうじゃないんですね。例えば 私は薬はひとつも飲んでいません。歯医者以外の医者には掛かったことがないです。私は医者を信用 していませんから。しかし優れた学者や医者が書いた本はいっぱい読んでいるし、すぐさま実践をして います。まあ検査は受けているし医者と話をすることはあります。でも真には受けない。 それで、写真をするっていうことは、画像を弄くる芸術でも風流でもなんでもなくて、とにかく歩いて身体を 生産的に保つことだ、と私は確信しています。ただ自分が健康であることだけで世の中に役立っている と思うわけです。なので撮る写真は、ただ自分が歩いた、出合ったという証しであるだけで、それだけの ものなんですね。万歩計みたいなものです。

眼の視点

眼の視点

プライベート写真で大切なことは、眼の視点だろうと思ってます。視角度と言ってもいいですか。 それから眼の動線がどこへどう続いていくのか、そういうのも。距離感も大事です。 つまり写真は三次元的だということです。立体的で視線が動的に動いて、視聴者の眼も誘導させる というのが重要です。パッと見て綺麗、なんていうのは平たい平面の絵です。色が綺麗とかも。そう いうのは動きがない死んだ写真ですかね。 写真に立体的な感覚を醸し出すというのは、撮影者が立体的に世界を見ることが出来て、かつ思考 するのも三次元的でなければなりません。これができるのは人類の2割の人だけ。さらに動線を誘導 するというのは時間軸を織り込んだわけで4次元感覚でなければなりません。もっと高度になるという ことです。 カラー写真はどうしても色彩に眼が奪われるので二次元の平面の絵から脱却しづらいというのが あります。モノクロだと最初から色を諦めますから、より高次元の写真に行き着きやすいというわけです。 写真の上達が早いのはやはり黒白写真でしょう。そこでノウハウを獲得して、再度カラーに戻れば、 自分が、ぐっと写真のレベルが高くなったね、と自覚できるかもしれません。

黒白

黒白

黒白写真は、私にとっては懐かしく、写真を始めた当時の若い時分を思い起こしてくれるものです。 そういうところが皆さんの、現在のカラー時代における、ものめずらしい写真としての黒白写真とは 違うところです。 私はただ自分の過去が懐かしくて黒白写真をやっているに過ぎません。と言えるような黒白写真 なのですが、AI時代のような過剰すぎる昨今の時代への反逆、というのもあるかもしれません。 アンチテーゼともいえる黒白写真ですが、私の写真時代において、最後にこの黒白写真、デジタル 式だ、が来たのは幸運ともいえるべきものです。 フイルム黒白とデジタル黒白写真とは、似ているようで違う部分があります。そのひとつが黒白写真 専用のカメラの出現です。フイルム時代では黒白しか撮れないカメラはありませんでした。フイルム を詰め替えればカラーが撮れます。それを思うと、デジタル時代のモノクローム写真は過激です。 撮影中、88歳のオバサンと話す機会に恵まれました。元気な農家のおばあさん、今も山がちの 果樹畑の仕事をしているそうです。この山がち畑の仕事というのが良かったようです。足腰を鍛えられ ますから。聞くと東枕とか。やはり、という感じ。

無題

無題

「苦しい状況から抜け出したいと思っているあなたへ!!ホリエモンがヒントをくれます!!」 https://www.youtube.com/watch?v=rvwXImDiLXI この冒頭の部分がモノクロ映像になってます。その後はカラーなのでモノクロとカラーの基本的な違い が見た目で分かるようになってます。 「起業を志す方へ。東京大学 駒場祭2023 堀江貴文講演「アントレプレナーシップ(起業家精神)について」」 https://www.youtube.com/watch?v=HRPkW_IUWcI 最初のところで近代文明とレンズの関係が話されています。写真に関心のある人には興味深いです。 堀江氏はAIや脳や知能に関しても造詣が深いです。大体は正しいと思ってます。 彼はすごく精神年齢が高い人なんですね。占星術で言えば太陽は蠍座で上昇宮は山羊座です。火星 は天秤座で天王星と土星が密接にリンクしてます。天才的ですし、たまにとんでもないことをしでかし たり言ったりしますが、実は案外にマトモな人間なんですね。 基本は極めてオーソドックスな人間です。まあ興味があれば彼の動画を検索をしてみてください。 ネットで「ひきこもり」と検索をかけますと、幾らでも出てきます。それらを丁寧にひとつづつ見ていった わけですが、ひとくちに引きこもりと言っても、その段階は様々です。普通の人が一時的になる場合も ありますし、高齢者になってから足腰か立たなくなって引きこもる場合もあるでしょう。 しかし重度の引きこもりという場合だと明らかに何らかの疾患がありますね。精神的な病気とか知能 の遅滞とか、そういう場合だと解決は難しくて、法的な手続きを踏んで社会的な保護の申請を受けなけ ればならないでしょう。そういう権利が基本的人権として我々国民にはあります。 知能が高く健康で優秀な人は、この世の中を生きることは容易いわけです。さほど努力らしいことを せずとも高収入を得て社会に認められることができます。しかしそういう人がいる一方で、それと同数 の、生きることすら困難な人達がいるというわけです。そういう冷徹な現実を知るということでは、引き こもりの問題は、痛切にこの世の中の隠された真実を知る良い切っ掛けとなりました。 堀江氏は引きこもりの人とは真逆の位置にいる人なんですが、でもまあ全ては生まれ持った運命の なせる技だとすれば、さほどの違いではないのかもしれません。 AIの進歩は急激ですが、堀江氏のいうようにIQ100くらいまで進化しているにしても、それがそのまま 200位までに行くことはないと思ってます。それで仮に100で止まるにしても、現実的にこの世界の人口 の半分くらいの人は既にAIに知的に敵わなくなっているというのはあります。 さらにAIがロボットという肉体を獲得しますと、人類の半分の人は労働力としての活躍の場がなくなると いうことです。仕事がなければ稼げなくなり生活が困難になります。つまり子どもを生み育てることが できなくなるということですね。政府が無償で金を配るという手もありますが、それは人間として正常な 生き方とはならないので意味がありません。 依然としてこの世界を牽引しているのは人類人口の、大きく見て2割から、シビアに見れば数パーセント の優秀な人達ですね。この構図はAI時代でも変わらないと思います。そういう優秀な人達は、数学の 大数の法則によってランダムに生まれ出てきます。ご両親が知的に高いから子どもも優秀とはならな いわけです。ですから世界の人口が減れば当然に技術発展は止まります。 ですからAIの出現というのは結果的に文明力を低下させる方向に向かうだろうと思ってます。 しかし人類は充分に、いや過剰なまでに文明を発展させ続けてきたわけで、もうここらで一休みをする のはちょうど良いのかもしれません。 戦争の武器における核兵器と同様に、AIの出現は度が過ぎた行き過ぎという気がしています。

年末参拝

年末参拝

毎年、大晦日の日に地元の金比羅山に参拝する習慣が私にはあります。一度、一日に登ったところ、 混雑で身動きがとれなくて、これは駄目だということで年末参拝になったわけです。 ですから新年の新たな、というのではなく、過ぎたこの1年間の感謝の気持ちでの参拝となりますか。 何とか曲がりなりにも1年間を無事に過ごせたという、その有り難さ、ただそれだけです。 金比羅山は海抜400メートルなので軽く登るにはちょうどよい高さです。香川には200から600メートル の小さな山が多数存在します。メサとかビュートとか地質的に言う、山とは言えないほどの小山群で すが、これが香川の景観に一役かっています。 新年だからといって、私には特別な気持ちはなく、そもそも一年の区切り、という考え方もしていません。 そういう世間一般の感じ方や考え方をしない性質なので、常に今現在、今日一日こそが大切だという ことでしかないと思っています。 とは言え、今年の2025年は、その夏において占星術的には大きな区切りのようなものがあるような 気がしています。6月末から7月なかけて、有意な星の配置が見られるからです。相当なことが起きる かも知れないと感じています。とにかくこれからも淡々と生きていく、いや生き延びていく、それだけを 心がけていくしかありません。 今年の参拝は、この1年間、あまり撮影をしてこなかったので、つまり歩いていないというわけで、下りに ちょっと膝が痛みました。やはり体力をつけるには写真の撮影はとてもよいものだということを改めて 実感しました。とはいえ、仕事は相変わらず忙しく、加えて家のリフォームも切羽詰っていますので、 撮影はなかなかままならないという事情は相変わらずです。 写真は浦島太郎であるという、そういう感じ方を以前からしています。つまり撮影というか写真というもの に夢中になり、世界の流れに気が付かないでいる。そういう雰囲気をもつものとして捉えているのです。 しかしそれは別段悪い意味でのみ、考えているのではありません。 世間のこととは関係なく、自分が今もっとも大事であり、それに邁進することはけっしてマイナスのイメージ ではないわけです。世界や世間がどうであれ、自分は自分でしかないわけですし、自分を大切にする ことは最上位の価値を持つものと思えるからです。 コロナ禍というものがありましたが、地方に住んでいることもあって、私の写真撮影には影響はありません でした。そんなの私には関係ないことだ、というわけです。マスク?そのなのくだらない。ワクチン?嘘を 言うな。てな具合です。世間の動向に一喜一憂するなんて、およそ写真精神からは掛け離れたものです。 写真の精神というものは、わが道を行くというか、周囲に惑わされない心を作るものだと思っています。 世間や他人に媚びた生き方をしない。忖度もしないし空気も読まない。そういうのが本来の写真精神 だろうと考えます。だからといって子どもっぽい我がままを通すというのではありません。そういう甘えは 他人に依存しているわけで写真精神ではありません。 人には知能の発展段階があり、本当の写真の精神に行くことができない人も多いわけです。むしろそう いう人達が大部分であり、写真もどきをやっているだけの人達が普通であるわけです。しかしそれは それでいいわけです。そういう人達はそういう生き方に生まれた人達であるわけですし、そういう人達と 自分とは違うわけですから関係がないわけです。 参考までにそういう考え方に確信が持てたのは、宮口幸治氏の3部作「ケーキを切れない非行少年たち」 の著作から大きな影響を受けています。私としては既に占星術から、人の能力、精神の発展段階には 大きな差があることは分かっていましたが、これで確信が持てたわけです。 人は見かけには拠りません。コロナワクチンを接種しなかった主婦の話しをしましたが、もっと凄い人が いて、夫のガン体質を何とかしたいという切実な情況にあった女性。なんと私が唱える東枕法を夫婦揃っ て実践をするという、そういう人も世の中にはいるわけです。 運勢的にはそういう時期に到来していたということかも知れませんが、これには驚きでした。世の中には 自分より上の人達がいっぱいいる。そう感じた瞬間でした。 東枕や電磁波の害に関しては、なんなく理解し且つ的確な逆質問もしてくるという男性を2人知っています が、両人とも東大卒なので、やはりということで驚きはしませんでした。しかし普通の主婦の女性が、本質 を理解できないまでも実践で応えてくれるというのには、世の中には想像を超えた人達がいっぱいいる ことを教えてくれたわけです。 写真でもそうでして、写真のことは何も知らない人達から的確なインスピレーションを受けたりします。 むしろ素人さんのほうが写真をよく知っているのではないかというわけです。 見ず知らずの御婆ちゃんに、息子の年代に当たる私のカメラを見て、お前、道楽はするなよ。と厳しく 諭してくれたこと。私がブログをしていたとき、アップした一連の写真群で、あの写真が一番良いね、って、 実に的確な論評をした若い女性。 私としては既に写真から遠ざかっていると思っています。あまり撮影かできないのもそうですが、人生も 終盤に差し掛かっているので、最後の願いである自分の占星術の確立を最終目標としているからです。 しかし少し遠ざかっているからこそ、逆に見えるものがあって、やはり写真の精神の凄さというものが 自分の心のなかで明確になりつつあることです。 写真はともすれば道楽(金と時間と労力の消尽)に陥りやすいのですけど、しかし上手く行けば人生の 生き方を学ぶことができるわけです。一瞬々々を大事にし、いわば武士道精神に通じるものがあるという ことですか。 若い頃、武道をやっていたのだけど、そこで武士道精神なるものを学ぶことはありませんでした。まあ、 ケンカをしても負けへんで。というくらいの青臭い考えしかなかったわけです。そして写真をすること でその精神を学んでいたように思いますね。それをはっきりと自覚できるようになったのは、やっと最近 なんですね。 若いフイルム時代は10年やったけど、今回は20年ほどやれました。やはり10年くらいでは分からない けど20年以上やってくると見えてくるものがありそうです。最初は20年余も無駄な時間を過ごしてしまった のでないか?と思ったりもしたんですけと、そうじゃない。この写真をしていた20年は有意味であったと 思えるようになっています。 見かけさえよければ、本来の機能や効力、健康や命すら犠牲にしてもよい。これがともすれば陥りがちな 日本の美学で美意識です。日本人の美意識は西欧の宗教精神に匹敵するほどの民族の根幹に位置し、 極めて重要です。この美意識の日本精神の意味を論破しているのは、なにも私が言っているのではなく、 数多くの論者や学者が共通して言っていることです。 それと武士道精神とはどうも違うようです。武士道は禅宗と相性がよいみたいですね。 とにかく私が感じている写真精神なるものは、日本人の王道の美意識手はなく、むしろ傍流とも言える 武士道とか禅宗の系譜に属しているような気がしているわけです。 日本が海外で人気で、訪日客も多いわけですが、それは彼らが日本的な美意識に引かれるからでしょ う。例えば浮世絵とか祭りなんかは日本美を全面的に押し出しています。これはハレの世界です。 京都は美しいですし、東京は毎日が祭りのようなものです。占星術ではこれは獅子座で太陽です。 誰にでも分かりやすく、魅力的で人気なわけです。 しかし武士道は少し違いますね。地味です。分かり難いです。ご馳走いっぱいではなく、一汁一菜って 感じじゃないですか。そして実質的です。ケの日常の世界です。本来の効力を見掛けのために犠牲に するなんてことはありません。そして多くを望みません。しかしこれが隠された日本の生き方なんですね。 日本人が幕末で開国させられたとき、先の大戦で敗戦したとき。そういう切羽詰った時にそれまての 生き方を変えられたのは、そういう地味だけど実質的な切り開く能力を持っている武士道精神のような ものではなかったろうか、と思うわけです。占星術では蟹座の後半です。じつはこちら方がより日本的 特性となります。日本的霊性というものでしょうか。 ちょっと話を広げすぎました。 ところでこの掲示板の大きな欠点は、残念ながら致し方のないことではあるんですが、広告の多さです。 この広告によって、XP掲示板は昔と比べて質が落ちたと思われます。投稿写真が広告に埋もれて どうにもならなくなっているという感じです。 実は私は広告表示のないパソコンで掲示板を見ています。そういうPCもあるんですね。ですから今の そのPCが潰れたらこの掲示板は見なくなるかも知れません。たかが広告と言うなかれ。広告の画像が 写真を侵食しているわけでして、影響を受けやすいタイプの人はまるで広告のような写真画像を投稿する んです。 しかし広告掲載のお陰でこの掲示板が維持されているというのは確かなことなのでそこはしようがない なあと諦めるしかありません。広告と広告類似投稿はスキップする、ということで。

三脚の頑迷さ

三脚の頑迷さ

しばらく写真屋には顔を出していなかったのですが、久しぶりに訪れ、手ぶらで帰るのは何だかなと 思い、小さな雲台を買いました。こないだ三脚を整理したときに小型のジッツォ三脚に雲台がないのを 見つけ、今回買った雲台はそれにピッタリと合いました。 三脚、私はもう使うことはないのですが、コレクションだけはあります。使わなくても眺めているだけで いいのが三脚というやつです。(^^ゞ  よく言われるのが、写真は写真を撮るのが上等で、機材にかまけるのは劣等だというものです。 これはあたかも常識にように言われるのですが、それは常識ではなくて無知というものです。 写真行為は、機材に眼を向けるか、撮影という名の旅行(旅費)に意を注ぐかの2つにひとつであって、 そのどちらにも金が掛かります。 ただ孤独な時間があればよいというのでは写真は出来かねるのです。これは実際に自分で写真を やってみると分かります。シンプルな机上論ではすまないのが現実であり写真もそうなのです。 機材に眼を向けるというのは、つまりは画質を求めるからです。レンズはその最たるものですが、 カメラも内臓する撮像素子や映像エンジンによって全てのカメラはその画質が異なります。もっと言えば データを展開するPCの違いというのもそうです。内蔵するビデオアクセラレーターやモニターによって 画質は違うのです。ソフトウェアもそうですしプリンターもそうです。 画質というのは、写真の世界での重要な要素となり得ます。何でも良いから写ればよい、とはならない わけですね。 被写体を求めて旅行をする、小さな一日旅から数日をかけての旅行。さらには海外旅行というのもあり ます。小さな旅でも一回の旅費でカメラやレンズが買える金額を使いますね。 旅行撮影か外面的な旅ならば、画質探求は内面的な旅となります。前者が上等で後者が下等とは ならないのが写真のもつ本質的属性です。その2つに優劣はないものと考えます。 写真を鑑賞する場合、その画像データを正確に最良に映し出すPC環境が望まれます。一般的なPCや ましてやスマホ何かでは撮影者の意図は読み取れません。なんでもいいから映ったものが写真だ、 というのは、それは無知というものです。 このように常識とされているものには無知というものが極めて多いのです。自分の常識をまず疑って 掛からなければいけませんね。 しばらく私も写真から遠ざかってみると、いろいろと写真なるものに対して、離れて見てはじめて分かる ものが多々あります。没入していた時期は当事者であるから見えなかったことが、後に離れてみると 理解できることがあるというわけです。 https://photoxp.jp/pictures/231222 シッポ座さんの投稿ですが、古いレンズをお使いなので、ゴーストやフレアーがでまくってます。それが また良い雰囲気を醸し出しているのです。そういうレンズの欠点ともいえるものが写真としての表現力 にもなるという、つまり画質の探求というのは機材の全てを駆使して行なうものなので、自然と機材は 増えてくるというのが写真の宿命でもあるわけです。 シグマのシネマ用レンズに、ノンコーティングのレンズがあるのですが、高価ですが人気の機材です。 そのノンコートレンズをスチル用に出してくれれば嬉しいのですが。 ところで、この写真、地平線が少し傾いているでしょう? それがまた雰囲気にマッチしているんです。 三脚というのは、私にとって機材として今や無くてもいいものなのですが、この三脚にはその展開や 設定をすることで、ともすれば無くしがちな写真の作法というものを思い出すことができるのです。 シッャターを切るということの大切さを教えてくれるわけです。 デジタル時代では、手振れ補正技術や高感度センサーによって、ほぼ使わなくなった三脚ですが、 やはり無言で語るものがあります。 一写一写を大切にする精神性ということですかね。 それで…撮影旅行も機材遍歴も、ほどほどでよい。そのように三脚が語りかけてくれるような気がして ます。(^^ゞ  この1年半ほど、黒白写真を撮るようになってから、機材は全くといってよいほど購入していません。 赤外線が撮れるフィルター(買ったけど使ってない)、ソニーカメラの予備バッテリー(これも使ってない)、 そして今回の三脚の雲台ですね。 それにしても久しぶりに購入したのが、なんの役にもたたない三脚であったわけで、自分としては 面白可笑しい気がしてます。 この三脚の本体は以前購入していたものてすが、勿論いつ買ったかも覚えていません。おそらく雲台 なしで、ただ綺麗だったから買って置いたのでしょうね。新品同様でした。メーカーシールが剥がされて いたので安かったと思います。しかし装備はフルバージョンです。 そして今回、それにピッタリと合う自由雲台を手にしたわけです。サイズも色合いも一致。これは不思議な 気がします。こんなにうまい具合にいくものかなあって感じ。 三脚の美しさは、そのシンプルな利用法と仕組にあります。ただぶっ立ってカメラを保持する、それ以外の 意味を全て拒否する頑迷さもあります。この三脚は小型なのでソフトケースに入れて肩に掛ければ持ち 運びは比較的容易ですが、大型の三脚(私のコレクションの大半は大型)は実に厄介です。車からそう 遠くない場所でしか使えません。 ひたすらに安易な撮影を拒否するのが三脚という代物です。今となっては実に不思議な存在ではない ですか。とにかく私はそういう頑迷さが好きなんですね。(^^ゞ 

写真の持つ秘められた力

写真の持つ秘められた力

結局、写真というのはデジタルであろうがアナログであろうが、撮影をいかに多くやっているか。 それに尽きると思ってます。撮影量と、掲示板の投稿量とは必ずしも一致しないわけですが、 やはり投稿数が多い人は大概は撮影の頻度が高いわけです。 コンスタントに投稿をされている、ORCAMさん、スラムさん、youzakiさん、MTさん、鎌倉Mさん、 そしてMN研の諸氏方々など。 まず、量をこなすこと。それから始るのであって、そして長く継続をすること、となります。それを 数年、十数年とやってまいりますと、自然と精神力というようなものが出来上がります。 自意識であれ、自前の精神的な空間であれ、呼び名は何とでも付けられますが、とにかく誰の ものではない自分だけの世界の構築、というようなものが出来上がるのです。 まさしく継続は力なりです。 そうは言っても、この自分の精神世界というものは、自分自身では見え難いものなんですね。 自分はただ淡々と写真の撮影をしているだけ。と単純に感じているだけかも知れませんが、実は そうではありません。自分では気がつかないだけであって、ふとしたことで他者(写真を知らない 人達)との違いというものを実感する場合があります。 いつの間にやら自分に付いている力、というものを気が付くことができるでしょう。身体的にもそう ですね。撮影は歩くことですから、体力はアップし健康度も普通の人より高くなっているわけです。 写真の力というものは秘められている力です。そう簡単に表に出てくることはないのですが、いざという 時に、その力を実感することになります。 しかし何度も書きますが、写真という趣味は非常に贅沢な趣味なんですね。デジタルになってもそれは 変わりません。孤独な自分だけの時間が持てること。それはほんとうに贅沢でリッチなんです。 それで写真は高齢者の人達の趣味とかになるわけですけど、若い人ほど写真の効果は高いです。 10代20歳代にやっていたら本当に良かったと言えるわけです。 写真をすることは真実に近くなるということです。それで騙されない惑わされない自分を作ることが できます。そして人をして、この人はこういうレベルの人なんだ、というとが分かるようになります。 こういう物事、そして人間を見ることのできる趣味なんて、写真以外にはそうはないわけですね。 私がやっている占星術というのもそうなんですけど、これも前駆として写真をやっていたから出来たと 思ってます。世の中にあまたある占いの9割は嘘なんです。ですから真贋の眼を持っていない人には できません。玉石混交のなかで本物だけを見分ける能力。それは写真習慣からできたものだと私は 確信しています。ですから私の占星術は写真がメタモルフォーゼしたものだと思っています。 要は、写真とは直観力を養うのです。まあ占星術はそれだけでは出来ずで読書趣味が加わらないと 無理なんですけどね。でも直観力だけで充分なのであって、それを鍛えることができるのが写真で あり、その撮影なんです。 コロナワクチンを1度も接種していない女性を2人知っていますが、ごく普通にありふれた人達です。 50代で。 2人とも頭が良いとか学歴があるとか、そういうではないんですよ。しかし聡明で明朗な人です。 知識もそんなにないわけですが、まさしく直観力でワクチンを拒否したわけですね。夫と諍いになった とかそういうのもあったようです。 ワクチン拒否にはただ直観力だけでは無理で、自我をもっていないとできません。自分を第一と考える そういう明確さが必要なんです。確固たる信念がないとできません。 占いは9割方嘘であるといいました。でも世の中ってみんなそんなものなんですね。殆どが嘘でフェイク なんです。写真だってそうです。本当の写真の意味は残りの1割にしかないんです。そももそ嘘という 約束事でこの世の中は成り立っていて、それでなんとなくうまくいってるわけです。巨大な社会を成り立た せるにはそういう嘘が必要なわけですね。そういう具合でフェイクもちゃんと意味があるわけです。

空間を感じる

空間を感じる

前回のコメントは、写真なるものを、撮影する側ではなく鑑賞者側からの視点で考察してみました。 そういう視点はそもそも私本来の得意ものではないのですが、しかし主に他者の写真を鑑賞する 立場の人もいるだろうということで書いたまでです。 私の立ち居地はあくまで撮影する側なんですね。それで私がカメラを持って撮影に望むとき、最も 大切にするのは、その場の空間の佇まいというものを確りと味わうということです。 その空間、2次元にしろ3次元にしろ、自分を包む空間というものがあるわけですね。その空間に 親しみ、深く味わい、可能ならば写真として表現をしたいっていうことです。 特別に、あるモノを撮りたいというのではなく、あくまでも空間の雰囲気を知りたいわけです。発見 したいと言ってもいいかもしれません。そもそも、モノにしても、その空間というものがあるから存在 できるのであり、モノとは空間の醸し出す抽出物であるとの認識が私にはあります。 ですからモノを撮っていて実はモノを撮っているのではないのです。また人を撮っていても人では なく、人を包む次元を撮りたいと思っているのです。 神社というのは面白くて、その本質は空間そのものという気がしています。神社には色いろなアイテム があるわけですが、本当はそういうものはどうでもいいことなんです。鳥居があり灯篭が狛犬がいたり そして建築がありますね。古木や巨樹もありますし、磐倉もそう。 しかしそれは神社や古神道の本質ではないわけです。本当に存在しているのは敢えて言えばその場の 結界ですか。結界という約束事の空間がその本質なんだろうということです。 ですから私の写真に於いても、そういう空間や次元、結界のようなものを眼前に見出し、それを知り、 追求して、我がものとしたい。そういうことだろうと考えています。 写真で撮れるのは光の明暗度とそれから類推できるモノの形だけです。しかし撮影の場では、光だけ でなく、風も、温度湿度も、冷気や匂いも、さらに電磁場も感じることができます。そういうもろもろの気を 感じることが、私の撮影における最大の楽しみであるわけです。 そういう気だけでなく、歴史物であれば時間の流れ、時の積み重ねも知ることになるわけです。 最近、県下で美味い米は何処にあるのか。と考え、いろいろと行って見たりして感じたことは、やはり 地力が豊かで且つ気温が良くて、そして水が豊富であるところがベストだと感じました。無論、有機農法 で作るのが必要なのですが、それだけでは足りずで、地場の地力がないところでは限界があるなって いうことですかね。 各地の道の駅で、その場所で採れた玄米などを買い食し、また田地や用水や池なども散策してみて、 トータルとして美味い米が採れるのは、県下では土器川という1級河川の地域であるのが分かりました。 この土器川、昔は吉野川が流れていたところで、狭い県下では分不相応の川幅を持ち、その川が造った 平野も大きいです。 そういう河川と平野も、言わば空間なんですね。その空間を知ることが、実際に食して美味い米に巡り 合うことに繋がるわけです。その空間とは地理的には2次元で、現地に行けば3次元であり、遠く思いを 馳せれば地質時代という4次元の空間になるわけです。 そういう空間を発見し、実利的にも食べて栄養とすることができるわけです。空間とは単なる気持ちの 感じ方だけではないんですね。思考することができ、モノとして栄養物とすることもできる。 そういうトータリティのある空間を、写真撮影において感じとれればなあと思っています。 写真を撮影する側からすれば、出来上がった写真の画像はほとんど意味がありません。 写真を人様に見せる必要すらなく、自分が撮った写真を見る必要もないのかもしれません。あくまでも 現地の空間を味わうのが一番であり、撮影は2の次。撮影をしていればその結果はその場で分かります。 (背面モニターを見て、なんていう意味ではない)  撮影行為はあくまでストーリーであって本質ではないですから。画像はあってもなくてもいいんです。 そういう撮影至上主義、撮影資本主義というのが求める全てなのであって、写真は全て撮影の場で、 その空間で完結するものなのです。 瀬戸の島で、20キロ近く、まる1日掛けて歩き撮影をしたことがあります。そうすると最後には疲れで 朦朧としてくるわけですが、そこで眼前に出会う光景というのは、空間というものを通り越して、自己の 内面にも及んでくるということが分かります。空間というものは外部にあるだけでなく、自分の内部にも あるのだということです。外次元、内次元と言ってもいいわけです。 そういうものは画像としては表わすことができません。しかし内面的には存在はしているわけです。 ですから写真というものは、画像が全てというわけではないんですね。 写真とは極めて孤独で、自己中心的な行為です。自分というものがなければ写真はできません。人は 何かしらの写真の哲学をもって臨んでいると思います。人真似の哲学というのはないんですけどね。 その自分の考え方に沿って、写真をしているわけでして、考えてみればこれほどに贅沢なことはそんなに あるものではないです。 日本人の多くの人は自分が無いといわれています。自分は自分以外の何かであるということですか。 しかし、写真をしようと思えば、自分というものを強く持たなければできません。 それは我がまま、とか自分勝手本位というのとは違います。それは子どもですから。そういうのではなく 自分1人で写真ができる成立するというのが、本当の自意識のある写真行為ということになります。 まず自分がなければ写真はできない。 それに加えて自由な時間と金銭も必要だというわけです。ただ嬉しいことにデジタル時代では最初の 投資だけで、後は低ランニングコストで写真ができるようになったことは喜ばしいことです。フイルム時代 はそうではなかったですからね。 健康な身体も写真には必要です。写真とは歩きなので歩ける体力と健康が最低限の条件になります。 私も含めて高齢者にとっては、これが最大の難関になりそうです。 写真をしていくことは、つまり撮影をしてくことなんですが、それをやればやるほど自分を強くすることが できるのではないかと思っています。それは自分の空間を作り上げることなのではないかなって感じる ことがあります。それを自意識とでも言っていいのかも知れませんが。 多くの人達は、家族のため子どものため、会社や社会の為に生きていたのではないですか。自分を 捨て置いて他者のために、金のために生きてきた。そこに本当の自意識はありません。 写真を撮っても家族写真であったり、アマチュア写真ては、写真を撮って人に褒めてもらったり喜んで もらったりすることを目的とする。それは本当の写真ではありませんね。利他主義の延長線上にある ものです。 そうではなく、本当に自分だけの、自分ファーストの写真を撮りたい。そこにこそ写真の本当の真髄と いうものがあるような気がします。相棒は手に持つカメラのみです。 私が若い頃、カメラを持って写真をしている人を見てカッコイイなって思ったのは、その人が手に持って いるカメラがスマートでかっこいいからだったわけで、それ以上でもそれ以下でもなかったわけです。 写真展を見て、雑誌の写真を見て、写真って良いなっていうよりも、まず撮影する人の姿が良いなって 感じたからこそ、私は今も写真をしているわけです。 余談ながら私が使っているカメラは全てカスタマイズされいます。それでよく人からカッコイイとか言われ ますし、撮影していて、良い趣味だねって言われます。今はもう素直に褒め言葉を受け取っていますが それは私が今もカメラはカッコイイという原点に忠実だからなのかも知れません。 私の写真の相棒・親友は今もカメラだけなのです。

あるがまま

あるがまま

いつの間にか、冬というような季節となってしまいました。冬とは申しても、こちら瀬戸内は年中暖かく、 今も秋の延長という季節であって、いわゆる冬は無くて、やがて春になるという感じです。 それで、夏が恋しいという季節になったな、というところですか。(^^ゞ  相変わらず時間に追われる生活をしていて、じっくりと写真撮影をすることができません。 写真趣味とは、やはり本当に贅沢な趣味なのであって、時間的、金銭的な余裕というものがなければ 出来ないのだと、つくづく思います。 とにかく、撮影という事にかこつけて、野山を歩くことが今の私の写真に対する考え方の全てです。 ORCAMさんは、ことデジタルカメラ趣味ということでは大変に頑張っておられるのではないですか。 一番に大事なことは、とにかく撮影に出かけるということ。カメラを持って出かけて、カメラを手に撮影を するということ。そういうことではその撮影量、撮影頻度ということでは、氏は掲示板の中では随一の人 だろうと思います。 得られるものが写真であろうが、画像であろうが、そんなものは2の次なのであって、まずは撮影です。 そして歩きです。これか一番に大事なこと。 ただ少し気になることがあって、絵がキツイです。コントラストが高いということ。これは多分、白内障が きているのかな?という気がします。明暗度が暗いというのも、そう。 あまりPCモニター像を見すぎるのも問題かなって感じます。眼は大事にしないといけませんね。 良く撮影するということでは、スラムさんも撮影を多くこなしています。ただ少し残念なのはスマホでの 撮影であって、これは電磁波が大きくその被害を受けてしまいます。コンデジでよいからカメラで撮影 するのが写真としては本当かなって感じます。 久しぶりにキヤノン板のS9000さんの写真を、そして有益な論評を拝見しました。やはり知的能力の 高い人でないと、本当の写真をすることは難しいのではないかと思ってしまいます。単なる画像趣味で はなく、きちんと写真をするということは、これは一般の人にはかなり難しいのかも知れませんね。 「スズメは減っているか? 」 https://photoxp.jp/pictures/230958 スズメが減って、セキレイをよく見かけるのですが、ではなぜスズメが減少しているのかは長らく疑問 だったわけです。このS9000さんのお話で疑問が氷解したように気がします。 スズメが営巣できない住宅や、機械化農法による稲作の刈り入れ手法の変化は納得ですし、なるほど 生活ゴミのそれも多少あったのかと。 これで思い出すのが、瀬戸内の海の漁獲量の大幅減少のことです。瀬戸内法、瀬戸内海環境保全 特別措置法によって、海がキレイになりすぎて栄養値が乏しくなり、逆に魚が住みにくいようで、それで 昔と比べて漁獲高が大きく減ってしまいました。特に備讃瀬戸では壊滅的な有様となっています。 それで最近はその措置法の一部を改正する方向になってきているようです。 白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき 水清ければ魚棲まず。綺麗すぎる水の中では、魚は生きられない。江戸中期、白河侯松平定信が行なっ た「寛政の改革」が僅か6年で幕を閉じたのは有名な話です。 要するに、綺麗ごと。これが蔓延すると返って世の中は駄目になってしまう。最近ではその綺麗ごとが 世間を席巻したのはご存知、コロナパンデミックとワクチンブームですかね。またネットSNSでも綺麗ごと の押し付けがままあるようですし。 建前論ばかりの綺麗ごとが流行るのは、つまりは現在が思考力が減退した時代になったというわけ でしょうか。時代の劣化現象とも言いますが、知的思考能力の乏しい人ほど、これに飛びついてしまい ます。 現実の世界は極めて複雑でありそれを読み解き解決するのは至難の業なのですが、綺麗ごと蔓延の 風潮はそれを一切パスしてしまいます。 もちろんそれで上手く行くはすがないのですが、綺麗ごと人間にはそれが見えません。あげく残念な 結果になるのが落ちです。 こと、写真に於いても、綺麗ごと、建前論に染まる風潮が昔からあるわけですが、それはそれ、人々にはその能力に様々な段階があるわけなので、今更とやかく言っても始りません。 結果としての写真画像やコメントはともかく、こと写真においては、まず撮影をするという能動的な身体力 の発揮が何よりも大事だというわけです。 どんな画像をたたき出そうとも、人はその撮影において、とにかく身体的には頑張っている。ということ です。勿論、身体プラス思考力の高まりが出来ればこれに越したことはないわけですが、多くを望むこと は現実的ではありません。 撮影に望んで、その対象物を絞るということは大事ですね。S9000さんも野鳥撮影に限定して注力されて います。いま自分が必要とする対象に写真を限定するということは、その写真の質を高めることになる わけでして、この絞込みは有効ですね。 そして写真は絵作りではなく、自分の視力の延長線上で捉えるのが最も有効であって、キレイすぎる絵を 求めるあまり、自分の視点が定まらないというのでは写真とはなりえません。 写真を鑑賞する側からすれば、こういう写真を見て、自分もそういう写真を撮ってみたいとか、そういう 光景の場に自分も行って見たいとか、さらにはこの写真のような人に会ってみたいとか、そういうイマジ ネィション掻き立てられる写真画像が求められています。 それこそがリアリティのある写真なのであって、ただ単に画像的に美しいとか、構図がキレイだね。という のでは、それは絵遊びの段階なのであって、写真を鑑賞する側にとっては面白くないのです。 絵遊び画像でも、その現場では撮影者は身体を動かして頑張っているだろうとは一応は想像できるので すが、でも、ああ、そうですか。で終わってしまうわけですね。 とにかく、久しぶりにS9000さんのお写真を見せていただき、私としても写真のやり方を少し思い出した ような気がしています。 写真なるものを、鑑賞する側の視点で考えてみるというのも、これはこれで大事かなって思います。 撮影する側では、とにかく撮影だ。歩いて撮影することが健康の維持に結びつくわけだから、撮影一本 で良いわけです。しかし鑑賞する立場の人達の思いを馳せることは、これは言うなればプロ作家の視点 を持つということです。 そういう場合に、一番に大事なことは、既に述べましたが、徹底的に撮影する被写体を絞り込むことで はないかと思ってます。テーマ意識ですね。 そのテーマというのは、表現ではなくて探求でないといけません。よく、色んな表現を履修して、自分は 写真のレベルが高くなったとか、写真表現の引き出しが多くなった。という風に思われている人がいる かも知れませんが、鑑賞者側から見ると、そんなものはどうでもよくて、とにかく観る側の立場からすると、 何はともかくリアリティなんですね。リアルでないと訴えかけてこないわけです。 リアリティということは、自然であるというこです。あるがまま、ということ。 人様の写真をみて、やはり良いなっていうのは、肩肘を張らずに自然な雰囲気の写真なんですね。 その反対に我を全面に押し出したているような写真はパスですね。スルーですか。

擬似写真

擬似写真

「画像と写真」ということでは、つまり言葉を言い換えれば、画像とは擬似写真であるわけです。 疑似、疑惑、偽造、等々。よく似た言葉がありますが、それはどこまで行っても画像であって、擬似 なる写真であって、写真とはなりえないわけですが、しかしながら、現在では擬似写真でいいんでは ないですかね。私はそう思います。 そもそもフイルム写真と比較すれば、デジタル写真は根本的に画像であって、擬似写真しかできない ものです。そんなことはフイルム写真の経験がある方はには、とっくに自明の事実であり疑う余地の ないものです。 フイルム写真をやったことのない人。その経験をお持ちでない人には、とにかく画像という擬似写真で 充分なのであって、それで満足できているのですから、何も問題がないのではないですか。 パソコンの話ですが、私がパソコンに突入したしたのは随分と遅くて、ウィンドウズ95からでした。 しかしその直後、それ以前のOSである、つまりビジュアルインターフェイスではないキャラクターインター フェイスの、エムエスドスとかリナックス(当時の)に行ったんですね。先祖返りをしてしまったわけです。 しかしそれが結果として凄く良かったです。実にコンピューターを扱っているなあという実感が持てた わけです。(実用としてはMSドスでしか動かないソフトウェアを使うという理由もありましたが) 私の場合は、一旦、昔の基本に立ち返るという風にしたわけですが、しかしこれは人によるわけで、 単に好みの問題に過ぎないわけです。 もしデジタル時代に写真を始めたならば、過去ではなくもっと未来に眼を向けるという方向もあるわけ です。では最新のデジタル写真とは何か。 ひとつ浮かぶのはドローン撮影です。そして何と言っても動画でしょう。そういうのはもう写真なんか ではなく完全なる画像であり、とにかく写真なんか古くさい。今は画像の時代じゃないかと胸を張って 言えるわけですね。 ドローン撮影。私はこれを以前からやりたいなあって思いつつもまだやっていないのですが、理由は 簡単で、三脚撮影と同じく、健康に寄与しないからです。つまり歩かなくなるから。(笑) しかし画像としてはこれほどに面白いものはありません。視点がぜんぜん違うからですね。

画像と写真

画像と写真

画像人か、写真人か。デジタルかアナログか。 その両方を駆使できなければならないわけですが、どちらかを取れ、と言われれば私は後者を 選びます。 黒白写真は私としては、黒白専用機で撮るか、もしくはカラー機でも黒白設定で撮影することに しています。カラー画像を安易にクリックひとつで黒白にして、ハイ黒白写真の出来上がり、とは いかないわけです。 それが迷いなくできるのは、今はやりの画像人間であって、写真人ではないわけです。それで アナログのフイルムの経験が豊富な方ほど、安易な黒白画像はしませんね。これはこの掲示板 でも顕著です。カラー写真で押し通すわけです。そのような人は写真人であるわけです。 画像人間は文字を書いても、なにを書いているのか分からない文章を平気で投稿します。 キーボードが滑ったような仕方でやっているわけで、きちんと手書きで紙に書くことから始めない といけないようです。まだ小学生のほうがましなのではないかというわけですが、とにかく高齢者で ありながら、いや、それだからこそ、もう危ないのかも知れません。 文章というのは、予め頭の中で組み立てながら、同時に手を動かして時間差を置いて字を書くという わけですが、これが多分、できないのではないかということです。 また画像人間は、口語体しか知らない人であって、文語体が読めない書けないというわけです。 そういう深い言葉の綴りの文章というものが書けないと、それは画像人間では有り得ても、写真人 とはなり得ないわけです。 何故ならば、写真とはその画像の背後に潜む思考というのを多量に含んでの写真の成り立ちである からです。感覚的に思い浮かんだワードを吐き出すだけでは、写真の思考には至らないからです。 写真をしようと思えば、まず、画像を捨てなければなりません。 画像しか知らない人間は、それで一時は完全な無になるわけですが、その無の状態から、少しづつ 徐々に写真なるものを始めるしかなさそうです。しかしそれができる人はほんの僅かですね。 写真雑誌やカメラ雑誌がなくなってから、画像人間が急激に増えたのではないかと思っています。 そういう雑誌類は、コロナ禍で決定的な淘汰を受けてしまいました。それでコロナ以後は、益々画像 ばかりとなって、写真がなくなってしまったわけです。 コロナ禍、ワクチン禍の影響はもの凄いものがありそうで、それで私としては徹底的に、このコロナ 時代なるものを徹底検証していくつもりでいます。

フイルム写真とデジタル

フイルム写真とデジタル

フイルム写真とデジタル写真の違いというのは何でしょう。 それは撮影枚数です。昔は36枚撮りフイルムを5本も撮れば、今日はたくさん撮ったなあ、って 感じでした。それから撮影した時点と、現像&プリントした時点にズレがあります。デジタルだと その日のうちに帰宅して画像を見ることができます。 つまり量と速さが違うわけです。それは圧倒的だと言っていいほどの相違です。 というとは、デジタルでもフイルムライクな撮影をしようと思えばできるわけですね。 まず100~200枚くらいしか記録できないメディア1枚で撮影に望むこと。撮影中に記録画像を 見ないことは勿論、撮影後も数日は寝かせておくということです。 そういうことになりますと、もはや欲張りな撮影はできなくなります。きちんと自分が撮影したい テーマを決めて、自分はこれこれのものしか撮影しないと決めなければなりません。 それは決意と言ってよいくらいで、なんでもかんでも撮影するということは画像の世界であり、 それが写真の世界に行くとなると、撮影対象を厳選して望まなければならなくなるということです。 それからやはり、写真は紙プリントであり、デジタル画像はモニタースクリーンでもいい、という のがあるんですが、デジタルを使った写真ライクな手法でも紙だしで鑑賞するのが望ましい ことは言うまでもありません。 私の場合は昔とはいえ、実際に黒白フイルムで撮影し自分で現像&紙焼きをしていました。 そういう経験があるわけで、それがデジタル時代となってもいまだに生きているという感じなの で、写真をする上では大変有利に働いているわけです。 やはり実際のフイルム写真経験は貴重であって、何ものにも代え難い宝物となっています。 デジタル画像しか知らない人に投げかける言葉は私にはありません。そういう無駄なことを しても時間と労力の無駄なのでやりませんが、若い人で、これからフイルム写真に挑戦して みたいという方には期待をしたいですね。そういう人は飛びぬけて優秀な人であるわけです。 今はまだフイルム写真ができます。フイルム1本千円、プラス現像代千円みたいてすが、 後はスキャナで自分でやれます。

デジタルとフイルム

デジタルとフイルム

久しぶりにフルタイムで撮影をすることができました。とは言っても半分の時間は車の移動でしたが。 いつもの数時間とか半日などで、ちょこっと撮影するのとは違って、やはり一日中の撮影だと 歩きの 運動になって良いですね。これだから写真はやめられないところがあります。 最近は、何はさておいての急務ということで、コロナウイルス、コロナワクチン、そして免疫システムの 読書に掛かり切りで、200冊くらいは本を読んだのではないでしょうか。頭の中がごっちゃまぜになり そうですが、今後は仕上げのノートも取ってみようと考えています。 紙の本の読書、そして手書きノートというのは、最高度の思考力を養うことができます。 かたや、パソコンやインターネットというものがあるわけですが、そればかりに頼っていては、人間、 退化するんですね。退行して思考力を失います。手書きは良いもので、キーボードで字を打つのとは 違って、じっくりと考えながら物事を進めることができます。 そう考えると、写真に於いては、フイルム写真とデジタル写真の相違というものは、アナログとデジタル の違い。また、紙の読書とネット閲覧。ペンの手書きとキーボードというものに例えられると思ってます。 本当の写真はフイルム写真でしか味わえないですね。デジタルだけでは写真とはならないように思い ます。デジタルは飽くまでも写真でなく画像です。どこまで行ってもデジタル写真は画像しか得られ ないということですか。 デジタル写真には思考がありません。言うなれば感覚だけですかね。 ですから、デジタル写真しか知らなくて、フイルム写真の経験が乏しいという人は、本当の写真という ものを知らないでいるわけです。デジタルだけで写真をやって行くと、どこまで行っても画像のレベル に閉じ込められていて、写真の本質を知ることは永遠にできないだろうと思ってます。 モニタースクリーンで本が読めるか、そんなの読めないに決まっているわけです。やはり紙の本で 読んで、紙のノートに手書きするのが本当の読書なんですが、それと全く同じ理屈で、写真はデジタル だけではできないです。 読書の本、出版はなくならないですね。今回のコロナやワクチンの問題で、つくづく分かったのは、 マスコミは嘘ばかりであるということ。プロパガンダでしかないということ。それでテレビと新聞しか 知らない人は完全にアウトです。 少なくともネット情報に接していないと真実が分からなくなってきます。またマスコミの端くれというか、 週刊誌とかはまだ正しい情報が書かれています。そして規制が激しいのですがとにかくネットは 頑張ってます。そこに加えて、私は新刊書を読むので、さすがに紙の本ですから情報は最も正確で、 しかも内容が頭に強く入ることになります。 200冊くらい買った新刊書の半分以上は古本屋で買ったものです。最近の古書店の本は綺麗ですね。 綺麗ということは最初に本屋で買って読んだ人は、パラッとめくるようにして眼を通しただけであって、 それでハイ分かったということで古書店に売り飛ばすわけですが、それでは本当に理解はできません ね。本というのは再読、熟読をしないと本当に頭には入らないわけです。 もっとも本を持つ、蔵書をするということは大変なことで都会の住宅事情の方はできません。 そういえばカメラもそうですよね。綺麗キレイに使って、新しいデジカメが出たから今のカメラを売り 飛ばしてニューのカメラを買う。そんなんじゃ本当の写真なんで出来ようはずもありません。 あーっ、もっともそういう人が多く居るから、私は中古カメラも中古本も安く手に入るわけですけどね。 とにかく、ワクチンは大変なことでした。私も3回ほど接種しているわけですが、回数が増えれば増える ほど、人の免疫系を壊しています。何もせずに過ごしていくと、そのうちに大変なことになるわけです。 ですから対策が急務でして、一日でも早く手を打つほうが良くて、強く意識して免疫力を高めていか なければなりません。 高齢者はもとよりですが、若い人でも基礎疾患や持病がある人は、何もせずにのほほんと過ごして いますと、そのうちに間違いなく病気になります。寿命も縮まるでしょう。脳か心臓かガンか膠原病。 そんなところです。このワクチン後遺症、これから逃れるためにはな並大抵の努力では足りません。 まあ、考え方を変えれば、世界の人口は多すぎるというわけで、高齢者が長生きしても仕方がない ということでしょう。そういう人口の間引き、ということを考えれば、ワクチンにも意味があるということ なのかも知れませんが、少なくとも私は間引かれる方には入りたくないですね。(笑) いやもう自分は充分に生きたし、やることはやったので、そろそろ逝ってもいいかなっていう人は スパッといっちゃってくれていいわけです。ただ介護保険を使ってうじうじと税金を使って長生きして ほしくはないですね。 それにしてもトランプさんは元気ですね。酒もタバコもやらないそうです。親父さんは厳しい人でして、 軍隊式の学校にぶち込んだそうです。そういう親を持ったからこそ、不屈の精神でやれるんで しょうね。 そういえばイーロンマスク(今、伝記本を読んでる)も厳しい子ども時代をすごしています。やはり親は 厳しければ厳しいほどいいんだなっていうことです。おそらく大谷選手もそうなんじゃないかな。 甘やかされた子どもは一生、不幸になります。子どもの能力を奪ってしまうんですね。 そうそう、免疫系から言っても、赤ん坊の時から甘やかしは駄目なんです。弱い体になってしまいます。 そういう厳しさのない、甘やかされた時代が現在の日本なんですが、そういう日本でワクチン後遺症 が出てくるというのは、これは必然かなっていう気がしてます。なるべくしてなっているということでしょう。

ヤミ

ヤミ

ちょっと老婆心なから。… 匿名さん。ORCAMさんだけには関わるのはやめたほうがいいです。この方、以前はGGとか のネームで投稿していたんですが、その後2度ほどネームをくるくる変えて現在のORCAMに なっています。 この掲示板は色んな人が(コメントも含めて)投稿されてるんですが、この人だけは別格です。 本物の嘘人です。 それで、分かっている人はORCAM(GG)氏を相手にしていません。少し前もペッタックスで投稿を されていた人が、たぶんORCAM氏の本性に気がついたのでしょう。去っていきました。熊が 出たから危ないねって。(笑) こういう人に関わると、御自分の運勢をなくしてしまいます。たかだかネットなんだから、という のは間違いで、運のやり取りというのは距離は関係ないんですね。相手をリアルで知らなくても 他人の運勢を削る人間っているんです。 匿名さん、カモにならないようにしなくては。それとも、もう従属されているんですか。まあ、もう 少ししたら、彼の本性が分かるようになるでしょうけど。遅きに失してはいけません。 写真には光の部分と闇の部分があります。多くの人達の写真は光がテーマなのですが、中には 闇こそが生き甲斐、という人もいるんですね。誰それと言っているんではありませんよ。 そういう光も闇も含んでの写真であるわけなので、闇の権化のような人でも、それはそれで 写真人類のひとり、と言うわけです。 写真には落とし穴があるんです。大概の人はその落とし穴を落ちないようにすり抜けているわけ ですけど、稀に落っこちちゃって身動きができない人がいます。 もうこうなると写真をすればするほど悪化していく一方なのですが、それだけで済まずに、周囲 に毒素をばら撒くわけですね。 この掲示板は懐が深いわけです。ぺンタックス板にリコーのカメラを投稿しても咎める人は いないようです。リコー板にペンタックスを投稿するのは良い訳ですけど。ペンタックスはリコー 資本ですけど、ブランドとしてのペンタックスは生きています。まずリコー自身、ペンタとリコーを 混同するようなことはしていませんね。 こんなことは些細なことです。 ところで、ORCAM(GG)氏が投稿して、写真データを載せているサーバの記憶装置は私が寄贈 しました。サーバ本体はカズさんが。メモリ装置はキヤノン板の人で。 そんなわけで、ORCAM(GG)氏の画像は、宿敵?クサナギの手の中にあるんですね。これ知って ましたか。だからと言って、それを自慢したりはしたくないですし、さらにORCAM(GG)氏の写真 を排除したいとは露ほども考えていません。 なぜならば私は闇の写真も必要だと考えているからです。光の写真と闇の写真を両方掲載して、 それでみんなに考えてもらう。そういう掲示板であれば、と思うからです。 どっちの写真をしたいと思いますか。どっちの人間になりたいとおもいますか。という具合です。 もちろん私がどう考えようと、そんなことは一切関係なく、掲示板の運営者は管理人さんお一人です。 ところで匿名さんは九州の人ですか? 福岡県? 私は九州の人には縁があって各県全てに 知り合いがいました。それぞれ県民性が微妙に違っていて面白かったです。いまはもう殆ど交信 もなくなってしまいましたが。 九州の人はとにかく皆さん個性があってそれを互いに大事にしています。みなさん好い人ばかり でした。 ORCAM(GG)さんは愛知県にお住まいですけど、出身は群馬県でしたっけ。ここは独特の県でして 近県の栃木県や茨城県ともぜんぜん違うみたいですね。 日航機123便の墓標がありますし、谷川岳や浅間山という、(谷川岳遭難世界一、浅間山山荘事件)、 闇の力が強く働く場所のようです。とても興味深い県であるわけです。 いつかは行って見たいな群馬県。というところ。 私は写真とは、その極めて強力な力は闇から生じるものと想像しています。占星術で言えば蠍座。 そういえば群馬県にいながら富士(光です)をテーマに撮り続けている人がいます。気持ちは分から ないではありませんが、一般的に言えば少し残念ですね。もっと地元群馬県を撮ってほしいような 気がします。 とにかく写真は光に憧れます。これは誰もがそうです。 しかし写真とは根本的に闇があるから光が際立つのであって、闇の存在を無視しては成り立ちません。

メモ

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新型コロナワクチン5種類を比較 レプリコンを使用する医療機関は?ワクチン選択の現状【大石が深掘り解説】 https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zXl_8emndQw やはりファイザーですね。 そして問題の明治製菓は、ベッドを抱えた大きな病院と、高齢者施設のようです。 そういうところは閉鎖空間なので、正直ホッとしたところ。 しかし考えてみれば、老人の施設に入所すれば、もういいようにされるということです。入った時点で それは覚悟していないといけないということ。 ですからたとえ手足が不自由になっても、ご自1人だけになっても、住み慣れた自宅で頑張らないと いけないということです。ご自身で自らを介護しながら、頑張っていかないといけません。 ついでなのでもうとつ、大石解説を。 コロナワクチン接種後 手足に赤い斑点 2年たっても消えず…医師「40年で一度も見たことない症例」スパイクタンパク検出が意味するのは?【大石が深掘り解説】 https://www.youtube.com/watch?v=Q1GlPBCkgxo ワクチン由来のスパイクタンパクの映像がみられます。(佐野栄紀医師(高知大学特任教授)) ところで今回のノーベル賞は平和賞で日本が受けました。 これって違和感のある人が多いんじゃないですか。新聞もさほど喜んで取り上げていません。 深読みをすれば、これはファイザー社の日本人に対する御礼なんじゃないですかね。日本では 大変儲けさせてもらいました。ありがとさんね。というところ。 前回は変な科学者のカタリンカタリコがノーベル賞を受けましたが当然にファイザーが決めてます。 そして今回の日本人へのプレゼントもそうだ、というのは何とも分かりやすいですね。 ノーベル賞と世界遺産が大好きな日本人を馬鹿にしているんでしょう。変人博士といっしょに されたんではね。(笑) でもそのカタリコの紹介本は1冊読んでます。その本の表紙の顔は 奇顔です。 こういうとてつもない時代になっているわけですが、そういう中で写真というものを考えていかない といけません。良心的な医者は患者に対して、とにかく歩きなさい。と勧めます。しかし歩かない 患者も多いようです。歩くのが苦痛な人っているわけですね。 私は歩くことは見ること、発見することであり、同時に考える時間でもあって、日頃難問として 考えていることを歩きながら反芻して考える癖がついています。歩くことは考えることだ、という わけです。 しかし考えることがもう苦手、という人も多いんですね。それってもう人間をやめたんじゃないか なってとも思えるんですけど、思考力がなくなってしまっている人は多いです。 広く言えば認知症や痴呆症の前段階であるわけですけど、本格的にそういう段階になってくると、 今度はめちゃくちゃ歩き出すんですね。徘徊というやつです。電車やバスは使わずに、ただひたすら パジャマ姿で歩きとおします。そして警察に保護されます。 そういうとき、痴呆者は何か考えているかというと、ただ昔に通っていた会社のある方角に歩く だけでして、全くの無我で歩いているんじゃないかと想像しています。 でも、認知症になってから無心で歩くんではなくて、なる前に病気にならないようにと思って歩かな いと。 歩いている時、人は自由です。車で走っている時もそうですね。動物は移動するのが本能であって じっとしている動物なんていません。歩くことは動物としての人間の本能そのものであって理屈 ではありません。 その、人としての本能を上手に利用しているのが写真の撮影です。ですから写真をするという ことは、人としての本能に忠実であるということであるわけです。 歩いて立ち止まり写真をとる。また歩いて、という具合です。しかしそれ以外の撮影以外の写真 の要素は、それは本能というのではありません。 良い画質にしたいとか、絵として様になるようにしたいとか、こんなカメラが欲しいとか言うのは 写真としては邪道ということになります。本能からは外れているからですね。 そういう邪道に陥ったとき、病魔が忍び寄ります。不運が襲います。くれぐれも良い写真を撮ろう とか皆んなに認められる写真を撮ろうとかは思わないことです。ただ写真を撮っているから自分 は大丈夫だ、とは思わないことです。そんなに甘い話はありませんから。 しばらくは投稿する写真はモノクロームで行こうかと。モノクロ撮影もありますが、カラーでとった 写真もモノクロにして上げることにしています。もうモノクロでもカラーでも拘りなく写真ができる ようになったのでモノクロだけにする必要はないのですが、ああ、黒白だとkusanagiだと瞬別で きるので便利かと思うからです。 コバンザメのようにくっついていた匿名氏もいなくなったみたいですし、変人GGさんは相変わらず ですけど。まあ皆さんも歳なので無理はなされないことです。 写真が好きな人。撮影が好きな人、そういう方々はみなさん同士で仲間のようなものです。 古書店で20冊ほどワクチンや免疫の書籍を仕入れました。これから他の書店も回ってみなくては。 本を読むのは時間と労力を必要で大変ですけど、撮影とリフォームとも兼ね合いで無理せず やっていくつもりです。

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⑤ ワクチンの話ばかり続いてしまいましたが、これは今、逼迫している事柄だからですね。 高齢者が多いこの掲示板では、定期接種と化したコロナワクチンの接種を受けようか、 どうしようかと、お考えの方もおられるでしょうから。 https://www.noda-iin.jp/news/2024/47.html これは一例ですが、医院のサイトで… 新型コロナウイルスワクチンの定期接種(ファイザー社:コミナティ筋注シリンジ12歳以上用のみ取り扱います)を開始いたします。 と書かれていますね。この医院ではファイザー製のみ打つてくれるということです。 こういう具合に、各医院では通常1種のメーカーのワクチンしか用意していないと思います。 ですから近くの医院に行って、武田製のワクチンをと言っても、当院ではそれはございません となるわけです。事前に医院で電話をして、どのメーカーのワクチンなのか確かめる必要が あります。 https://www.city.suginami.tokyo.jp/news/kansensho/covid-19/vaccine/use/index.html 杉並区でも、 医療機関により使用するワクチンは異なりますので、直接医療機関にお問い合わせください。 とあります。 おそらく各医療機関で人気なのは実績のあるファイザー製でしょう。しかし5社で分け合っている と思うので人気のワクチンメーカーは早々になくなるかも知れません。 だふん不人気なのは明治製でしょうか。苦笑。それで人気ワクチンが無くなれば不人気ワクチン を使わざるを得なくなるかもしれません。まあ、一番いいのは打たないことです。 最近身体が鈍っていて、それで歩かなければと思い立ち、無理やり時間を作って撮影をしています。 ところが、足が重い・・・・・・。ぼとぼと、としか歩けず。とほほほほ。それでも歩かなくてはと思い、 時間が掛かってもいいからカメラを持って歩いて撮影をしています。 歩くことは手っ取り早い免疫をアップさせる手段です。

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③ 前出の「新型コロナワクチン影の輪郭」の、あとがきで、こういうような一節がありました。 --------- コロナ禍に苦しむ日本社会を報道してきて気づいたことがある。 多くの人が、自分の頭で物事を考えなくなったのではないかという点だ。国が言ったこと、 医療機関が言ったことを全て鵜呑みにするばかりで、どうすべきかを自分の頭で考え、 疑い、判断しなくなっているのではないだろうか。 「国がいうことは正しい」と、最初から疑問すら持たない人が増えたような気がする。 ワクチン接種後に苦しんでいる人達の多くも、もともと「反ワク」ではなかった。むしろ、 ワクチンの効果を期待して接種した人がほとんどだから。 接種後の副反応で自分が歩行困難になっても、大切な家族を失っても、ワクチンには 一定の効果ょを認めている人もいるくらいだ。 ただ求めているのは、「国が主導する形で接種を促進したのだから、責任を持って 救済すべき」ということ。 そもそもワクチンだけでなく、効果と副作用・副反応だ。本来は効果を伝えつつも、 副作用・副反応のリスクも同時に伝えることが求められるが、新型コロナワクチンに ついては、この副作用・副反応を伝えることを極端に嫌う人が多いようだ。それも 医療関係者だけでなく、コロナワクチンを接種してきた人達まで幅広くだ。 医療関係者であれば、自分たちが接種を勧めて打たせた行為が「間違っていた」 とは思いたくないだろうし、自己否定に繋がる側面もあるから、リスクがあるのを 伝えることは嫌うだろう。接種した人も同じだ。激しい副反応が出ていない人で あれば、なおさら副反応に関する報道は理解に苦しむはずだ。 ---------  これ、文章としては3項目のうち、1番下から中の2番目、そして冒頭の5行と なっているのです。 つまり、多くの人々、被害を受けた人達も含めて、ワクチンは正しかった。自分は 偶々運が悪かっただけで、だから国が責任を持って補償をしてくれと言っている わけです。 なんとも優しく良い人達という気が私としてはしています。 私は最初から、コロナ騒動もワクチン接種も、国を挙げての陰謀であると確信して いましたので、ワクチンが正しかったなどとは一滴も思わないのですが、多くの 善良な日本人の感覚はそうではなかったということです。 遺伝子ワクチンは人間の免疫システムを壊す働きしかしなくて、それで副反応が 出なかった人達は、人が本来持つ自然免疫でワクチンを無効化できた人だったわけ です(つまり毒物を消滅できた)。 副反応や後遺症が出た人は免疫機構が弱かった(もしくは鋭敏すぎた)からワクチ ンの本来の効果が出ただけのことでしょう。 どう考えても、ワクチンが正しかったとは言えないわけです。 そういう認識に到っている人は殆どいないのではないかということなんです。 自分はたまたま運が悪かった。でもワクチンは間違っていない。 国が勧めたのだから国が責任を持ってね。 その程度の認識しかできていないただろうということです。 正直言って、これは私としてはビックリです。 国としてはワクチン接種は自己責任だと言っていたではないですか。義務化は されていませんでした。努力義務とか変な言葉を使ってましたけど、義務でも 強制でもなかったはずです。任意の接種でしたね。 その結果で被害にあったならば、それは自己責任であるべきであり、国に補償を 求めるのは筋違いという気もします。 薬物というのはワクチンであろうがなんであろうがリスクを伴います。それは常識 でして、重篤な患者の場合は、死ぬか助かるかの瀬戸際だから、危ない薬でも 博打で打つわけです。効果が出て助かれば儲けもの、という具合。 健常者に打つワクチンでもその基本は変わりませんね。 そういう認識が一切なくて、自分の都合の良い言葉やニュアンスだけを受け取っ ているという気がしてます。 私はそこに日本人の甘えと狡さがあるのではないかと感じています。 この善良で平和な日本人の小狡さがある限り、まだまだ日本で遺伝子新薬 の実験はできるのではないかと、製薬会社は考えるだろうと思います。 ワクチン1本15000円、これを実費で全額支払え、となっていたら殆どの日本人 は打たなかったでしょう? タダだから打ったのではないですか。 でもタダほど高くつくものはないとの諺があります。そのとおりになったわけ ですね。 ワクチンで死亡したりとか、その後遺症が出て苦しんでいる人達の多くは、 とても元気で活動的で、スポーツをやっていたという人が多いという印象を 受けます。 しかし見方を変えてみればそういう活発にしていた人達は過労でもあったと 言えるのではないですか。有り余る体力で無理をしていた。それはつまり 免疫力が落ちていたとも言い換えられますね。 そこを突いたのがワクチンでした。普通の健常に人であれば自然の免疫 で無効化できたワクチンでしたが過労で免疫力の落ちていた人には利いて しまったというわけです。そしてそれが本来の遺伝子ワクチンの効力です。 ちゃんと効けば副反応や後遺症があるのが正解なのです。 こういうことを書くと、ワクチンで犠牲になられたり苦しまれている人を冒涜 しているように思われるかも知れませんが、そういう意味で書いたのでは ありません。 ワクチンで身内をなくされた方々、ご自身がワクチン禍で苦しまれている 方々は心底、後悔をしているのです。なぜ息子に接種を勧めたんだろう、 どうして自分は打ってしまったんだろうと大変な後悔でいっぱいなのです。 しかし一方で1回もワクチンを打っていない人が国民の2割はいるんです。 自分は持病を抱えているから打たない。自分の信条や予感から打たない。 そういう人達が多くいたわけです。 国に補償を求めるのはいいでしょう。ぜひそうしてください。そうしないと 生活が成り立たないでしょうから。しかしその国の補償費は国民の税金 から出ています。そのことも忘れないでくたさい。

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④ 人の免疫システムというのは、脳の機能と肩を並べるくらいの複雑で 巧妙なスーパーシステムです。 哺乳類の免疫システムでもっとも高度なのは知能の高い人の免疫だと 言います。そして人それぞれによってそのシステムは異なるようです。 大まかな基本は同じですが、微細では人毎に異なります。そして進化も し続けているそうですね。 私が思うに、人の心は脳だけでなく、この免疫機能も、心の形成に密接に 与っているのではないかということです。こころが穏やかで落ち着いている 人は免疫が優れている、という風に捉えることができそうです。 その免疫の中心は腸です。つまりお腹。武士が切腹するのは腹ですね。 断腸の思いという言葉もあります。 つまりそこにこそ、人の心というものが内在しているのではないですか。 脳は合理的で冷たいですね。頭の良い人っていうのはそんなイメージ。 しかしこころというのは暖かくて柔らかくて、という感じです。 人間は脳だけでは生きていけません。心がないとだめなんです。 その自然が与えてくれた免疫という、かけがいのないものを、遺伝子操作 することによって破壊しようとしている。それが現在の文明の実態であり 現実です。 一方の脳は、AIによって蹂躙されようとしていますね。これは同時進行 で破壊が進んでいるということです。 これはもう正気の沙汰ではなく、人類が滅亡の危機にすら陥っている ということです。 こういう認識を持てる人は、ある本に書かれていましたが、人々の 2パーセントであるということらしいです。私の言い方で言えば4次元の 思考法ができる人です。 しかしそれは脳の働きだけで言ってますね。 私が注目しているのは日本人の20パーセントの人達がワクチンを打って いないという事実。ここにこそ希望があると思ってます。こころがある と言い換えてもいいですね。こころを破壊するような薬は打たない。そう いうことだったかと思います。 そして脳と免疫はリンクしているという気がしてます。脳の働きが落ちると 免疫も落ちる。免疫が衰えると脳も衰える。 えーっ、脳のぐにょぐにょした姿と腸のぐにょぐにょは似ていませんか? 発生学的には当然、腸が先です。草食動物の腸は長いです。そして 草食動物は優しいですね。 とにかく脳と腸の免疫は密接に繋がっていて、どちらかを高めればもう ひとつも高められるという気がしてます。 とにかく、これからの破壊的な時代を生き抜くには、脳も免疫も全力で やらないと生き延びられないだろうということです。

メモ

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① コロナワクチン被害に関して、他とは少し違うタイプの本が出ています。 「新型コロナワクチンの光と影」方丈社刊 「新型コロナワクチン影の輪郭」同上 両方とも大石邦彦氏の著作です。所謂、大石解説。ユーチューブでお馴染みですが、CBCテレビ アナウンサーの方です。CBCテレビとは名古屋の地方局ですかね。全国的なキー局ではありません。 そもそも名古屋はユニークであって、中日新聞や東京テレビもそうですし。 比較的まともなマスコミであって独自の取材でやられているようです。 今回のコロナ騒動、ワクチン禍問題では、大手マスコミのテレビや新聞が信用できないという事態 になっていて、それで私としては、ネットやネット動画、週刊誌、そして著作出版に眼を向けざるを 得ないようになりました。 興味深いことに、日経新聞などの書籍広告では、所謂反ワクチン関係の新刊書の広告を堂々と 載せてくれているのです。私はそれで出版情報を知り、本屋で注文をしています。 週刊誌でも取り上げられるのは大手マスコミと違い、記者クラブに属していないので真実の報道 ができるそうです。 多くの日本人はテレビを視聴し、新聞を読まれているわけですが、そこにはワクチン推進の報道、 プロパガンダ記事しか載せられていません。コロナ流行に関しても嘘ばかりですね。 テレビと新聞が正しい報道をして、週刊誌やネットなどはイカサマであると固く信じて疑わない 人達は、容易に政府や製薬会社の洗脳を受けています。 そして百人に1人なのか、数百人に1人くらいなのかの割合で重篤なワクチン被害に遭い、苦しんで いるというわけです。勿論亡くなられた方も大勢おられるわけです。 超過死亡と言って、日本全国で2021年2022年の2年間で通算20万人くらいの方が、それ以前の 平均的な死亡率を超える何らかの理由で死去しているわけです。これは事実です。 例えば東日本大震災では2万人の方々がこの超過死亡になられたわけですね。20万人と言えば 大きな市が丸ごと消失するほどの規模です。この2年間で20万都市の住人が死亡してしまった。 これってウクライナ・ロシアの戦争で亡くなった人達と同じレベルではありませんか。もしくは ハマスやヒスボラの人達とおなじような。つまりこれは戦争のレベルなのです。 戦争は遠い国ばかりで起きているのではない、というわけです。 そして被害を受けた方は死亡した20万人の人達ばかりではなく、その何倍にも及ぶ後遺症を 抱えてにっちもさっちもいかなくなった人達がいるわけです。それは戦争での負傷者の数と同類 のものなのでしょう。この2つ合わせて死傷者という言い方をします。 そういう大被害を受けている、受けつつある、そしてこれからも受け続けるであろう、というのが、 今この日本の現実であるわけです。 例えば100万都市があるとして、その内の20万人が死亡し、80万人の方が負傷している。これは 原爆並みの規模ではありませんか。また100万人と言えば地方の県レベルですから。それが丸ごと 壊滅しているといわけです。 話を元に戻しましょう。 大石氏の著作は読みやすく、一般の人でも読むことができます。特に女性の人達には親近感 を得るでしょう。そして思うに、ごく普通の生活をしていた方が、平凡だけど善良で家庭をもち 家族と平和に暮らしていた人が、一瞬にしてその幸せを奪われるというわけなんです。 善良で何ひとつ悪いことをしていない人達がワクチン接種により地獄を見る。そしてさらに医療機関 の多くは患者の味方ではなくさらに患者を苦しませているという現実があります。 ワクチン後遺症を調べて様々な著作を漁っているのですが、一般の人にも読みやすい本と いえるかもしれません。著作の中には強烈すぎるのもあって、その内容に普通の人には耐え られず違和感を持たれる場合もあるんですが、この本に限っては柔らかく書かれているので お勧めです。 なお、この本の印税は被害に遭われて苦しんでおられる団体に寄付されているそうです。

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② 長い間、自分は写真をやってきて、感じることは、写真というのは自分の見る力というものを 知らず知らずのうちに養うことができるのではないかということです。 ワクチンで被害を受けた方々は、みなさん善良な人達ではありますが、やはり御自分のもの事 を見る能力や、自分で考える力というものが、やはり不足していたという気がしないでもありません。 皆が言うから、国がいうから接種した。というのが多いです。 中には強い職場での圧力で副反応に何度も苦しみながらも複数回接種して最後にはどう にもならなくなったという方もおられます。しかしそれでも覚悟を持ってその職場を去れば打つこと はなかったわけです。 そこに自分の見方や考え方の不足というものが感じられるわけです。 写真撮影というのは、よっぽどでない限り、自分の意思に従って撮影をします。撮るのも 撮らないのも自分の意思決定の結果です。どういうふうに撮るのかも自分の見る力と考え方に 基づきます。誰それがやっていた写真画像を思い出して、それと同じような写真を撮る人間 などいないわけです。まあ、偶にはいるかもしれないけどそういう写真はクズです。 長く写真をやっていると自分の考え方が自然と身につく。何よりも見る知るという直感的な 感覚が研ぎ澄まさせるのではないでしょうか。 ご自分で長く写真をやっておられる方は、この写真の感覚をよく知っています。写真とは真実 を見ることであり、それが正義に直結するということを理解されています。 しかし写真をしなくて与えられた写真画像しか知らない人は容易に騙されるわけですね。 もちろんそれは真実ではありませんし、邪悪なものです。 今回コロナワクチンでは多くの善良な人達が騙されて苦しみ、命を落とされました。なんとも 歯がゆいことですね。 それでこの私としては、デジタル写真暦20年余。若い時のフイルム写真暦10年を入れれば 30年余の写真の経験があるわけです。それでなのかコロナ騒動が始った時点で、これは おかしい、陰謀論の臭いがしていている。として調べました。この調べる能力があるのは 写真とは関係がないわけですが、私にはそういう能力があるようです。占星術などがそう。 それで自分の写真的直感に基づいてワクチンは接種していません。もっとも世間的には 3回はしたことになっているのですがね。嘘も方便であり身を守る術です。 もし自分が写真をやってなければ、もしかすれば考えもせずにワクチンを打っていたのかも しれません。ワクチンを打っても確率的には副反応も後遺症もでない確立が高いです。 しかし出たかもしれませんね。 それから感ずることは、学歴・学力・知能(知力)の問題です。 学力、特に基礎学力が高ければ自然と高学歴になります。無論経済力も必要ですが。 しかしそれらと知能とは別物です。これを混同している人が多いですね。知能というのは 遺伝です。脳が優れているというわけで、心臓や肺が強い、筋肉か強い、肝臓や腎臓が 強いというのと同じで、その機能が生まれつき優れているということです。 しかし学力や学歴というのは育った家庭環境や地域性と関わってきます。地方の田舎 で親が子どもの学力に関心がなければ、どんなに知能が高い、地頭が優れていても 勉強はたいしたことはなく大学にも行けないかもしれません。 それで問題になるのは、知能指数が120という子どもが2人いるとします。1人は田舎で のほほんと育った人。もう1人は都会で教育熱心な親に育てられた人。 のんびりと自然に囲まれて育った人は、その120の知能の半分くらいしか使わずに 大人になります。もうひとりの都会で育った人はしっかり勉強して一流大学を出て 一流企業に勤めます。その時点で知能の120を全て使い切ります。つまり伸びしろは ゼロ。かたや田舎もんは社会に出てもまだ半分の能力しか使っていないので、社会に 出てから、大人になってからも大いに伸びるということです。 全ての教育は洗脳である。ということから高学歴の人は学力が高い分、融通性に 乏しく、自分を変えることができないかもしれません。もっとも知能が130や140という べらぼうに高い人はたとえ高学歴であっても頭は柔らかいですね。 知能が高いかどうか。それは対面して話をしてみれば10分くらいでだいたい掴めます。 学力とか学歴などは問題外で職業も関係ありません。 流石に学力(英語が堪能とか)や学歴が高い人が社会では高い地位に付くのですが、 それは世界が平和で変動しない場合です。現在のように激動の時代では、それらに プラスする知能の高さが必要です。 しかし知能が高すぎると(130とか140とか)、学者には成れても政治家や企業家には 向きません。一般の人々(知能が100前後)と乖離してしまって上手くいかないのです。 そうなって来ると知能は110から120で良いから、学力や学歴が乏しい人が有利であり、 求められるということです。そして脳だけではなく強い身体を持っている人が良いの です。体力や免疫力が強ければ少々のことではへこたれません。(進次郎さんのイメージ) 実はこれはこのまま、もうすぐやって来るRNAワクチンや医薬品の時代に対処できる 人間像となります。 コロナやワクチンの話を身近な人達にすると、私の話に理解を示してくれるのは、 その多くが女性です。そして学歴の高い男性は反発をしてきます。頭が硬直してし まっているので聞く耳を持ちません。そしてやはり女性は年齢に関わらず優れて います。もともと柔らかい頭であり、学力も学歴も高くないからでしょうかね。 来年辺りからインフルエンザワクチンもmRNAタイプになるみたいです。コロナと複合 して接種ということになるかも。そして各種の薬も遺伝子タイプになると思われます。 これはどういうことかと言うと、人が本来持っている免疫というスーバーシステムを 壊してしまうということです。 免疫というのは極めて脳に近いですね。その脳の能力を破壊するのが教育、そして AIでしょうか。同様に免疫を破壊するのもRNAの遺伝子産業ですか。そういうフラクタル な関係があると私は見ています。 ( 23年7月に南相馬市にmRNA医薬品の原液を製造する工場が完成しました。 工場ではmRNAワクチンの原液製造から製剤化までを一手に行う予定で、年10億人 分の製造が可能です。mRNA医薬品の受託製造工場は国内初で本格稼動すれば 世界最大規模となります。経産省が補助金を出しています。 事業者はアルカリスというmRNAクチンの米国企業。武田薬品と、創薬ソルーション・ プロバイダー・アクセリードを共同で設立。500億円を投じてmRNAワクチンの一貫 製造工場を25年にも設立予定。) 武田はこれが本命だったようです。 脳を壊し免疫も破壊する。全てはお金の為です。人類は滅亡の危機に瀕するかも しれません。というのは大げさですが、日本は危機に瀕すると思います。 それらから、せめて自分だけでも生き延びるということを真剣に考えないといけま せん。実はこれから免疫システムを学びたいと思って書籍を多量購入中です。 自分がこれからも生きられるかどうかは分かりませんが、できる限りのことはやって みようと思ってます。

2025年メモ

2025年メモ

新型コロナワクチンに反対されている方は大勢おられるんですが、その中の一人で内海聡さんと 言われるお医者さんがいます。若いですが大変優秀な人です。 その方が気になることを言っておられました。 2025年に日本はなくなるという、こと。数年前から言っているそうです。 つまり来年ですね。 これは期しくも、たつき諒さんの津波予知予言と時期が一致しています。 内海氏は津波予言などとは関係のない人で、日本の医療政策の現状を憂えての発言であるわけ ですが、それが、たつき氏の予言と年代が不思議に一致するというのは、これは極めて興味深いです。 メモ 占星術では、2025年4月5日に土星と海王星か魚座25度で正確に合します。ついでに水星と金星も 合です。それに火星(蟹座)がトラインとなってます。これらは布石かもしれません。 問題の7月5日はと言うと、土星と海王星は合したまま牡羊座でつるみ、木星が蟹座でスクウェアと なっています。そして太陽は蟹座。つまり木星と合です。 占星術的には巨大惑星の土星・海王星と木星が合&スクウェアというのが問題となります。それに 太陽や月が絡む構図。それらは大きな災害を引き起こす星相だからです。 ただこの3つの天体は牡羊座と蟹座というカーディナルサイン(能動星座)であることが重要です。 簡単に言うと、一発ドカーンときて後腐れがないというやつです。 付け加えると、土星と木星が正確にスクウェアになるのは6月18日です。(火星と天王星もスクウェア) 一番に考えられるのは東南海トラフ大震災というのが思い浮びますが、たつき氏さんの予知では 純粋な津波だという。?ふーむ、そこら辺が私にはよく分かりません。 とにかく巨大な地震なり津波が日本列島を見舞うと、もうワクチンとかそんなのは消し飛んでしまい ます。そんなアホなことをやってる余裕はゼロですから。 たつき氏と内海氏は生年月日を知ることができ、それで占星術してみますと、お2人に共通するのは 太陽が射手座(預言者の相、なにしろゼウスですから)と、そして蠍座や冥王星が強いことです。 蠍座・・・私はその星や星座を強く持っていないので実感が涌きませんが、ある種の能力を持つタイプ のようです。破滅予知とでも言いますか。 うつみ さとし(そう) ・ たつき りょう この音感も良く似てます。(^^ゞ  そして非常に重要なことは、内海氏には海王星があります。たつき氏には不明ですが、津波予知を する方ですから当然に海王星なり魚座が潜んでいるはずです。 予知能力というのは、この魚座・海王星がモノを言います。それとトラインの関係にある蠍座や蟹座 が援助するという構図関係です。 ちなみに、予知と予言とは少し意味が違うんです。予言は預言であり神の信託(神託)ですから。 私はこの海王星と魚座が強く、かつ蟹座が強力にバックアップしているので占星術というものがやれ るんですね。予知力…まあ別名、蒙昧とも言いますが。(笑) 海王星は惑星としては太陽系最外惑星です。外部宇宙空間にもっとも近い。この海王星と天王星が 常識外れの天体で、天才的な人は皆これを持っています。 冥王星は海王星よりも外の天体ですが準惑星であり、やはり小粒です。スケールの大きさでは海王星 や天王星に敵いません。しかし一発突破の能力がありそうです。 脱線ついでに言うと、太陽系で最大の惑星は木星と土星。この2つが時代を決します。言わば正統派 ですね。私はこの2つがもの凄く強いです。 この木星・土星、さらに海王星・天王星。そして太陽が豊穣の海であり、スケールの大きさであるわけ です。地政学的に言えば、欧州と北米。そして日本。ただ太陽の帝国日本は、やがてはその太陽を 中国に受け渡すようです。(もう、しているのかも) 脱線が過ぎましたが、問題提起として、たつき氏と内海氏が同時に2025年を指し示しているということ が興味深いということなんです。私としては一点突破の集中力の蠍座が乏しいので、正直なところ、 2025年というのが、もうひとつピンとこなくて理解ができないでいますが。 2025年に大災害なんかが起きて、日本は滅びるというのであれば、まず株式は手仕舞いしましょう。 そして預貯金は外貨で所持しましょう。日本株・円とも大暴落しますから。 2025年の日本国総理は石破さんかな。米国大統領はトランプ氏かな。若い総理や女性総理・大統領 では無理でしょう。 スケジュール的にはもう1年もないので、やれることはやっておかないと後悔します。 後述:石破さんが新総裁になったようです。木星が双子座を運行しているので順当なところ。 米国大統領選では、この木星がトランプ氏にもハリス氏にも微笑むのですが、今の時代の趨勢から 言ってトランプ氏になるんですね。ハリスさんは大統領候補になれただけでヨシとしないと。

無題

無題

現在、リフォームは中止して、コロナワクチン後遺症の本をばんばんと読んでます。 ワクチン後遺症は、これは当人の方にとってはかなりな問題でして、それから新たなシェイディング という問題も発生しているといわれていて、これも大問題です。 シェイディングはワクチン後遺症を発生させている人から、他の正常な人にスパイクタンパクなどの 発散物質が伝播するというやっかいなものです。ワクチン禍と同様の症状がでます。 私はもうコロナもワクチン問題も5類になって済んだものとして考えていたのですが、この後遺症問題 とシェイディング、さらに今回、レプリコンワクチンいう新しいワクチンが登場してきて、もしかすると これから日本は大変なことになるかも知れないと思いました。 はっきり言って、これはもう戦争です。 比喩で言っているのではなく、本当の本物の戦争が始まったということかもしれません。今は戦争を 知らない世代ばかりなので、私がこう言っても理解できないかも知れませんが。 コロナワクチンを一度も受けていない人が日本で2割もいるそうです。そんなにいたのか、と驚く数字 ですが、これはどういうことを意味しているかと言うと、駄目になった日本人と言われながらも、マトモな 考えを持っている人が2割もいたのか、ということです。 20パーセントも正常な人達がいる。正常な、というのは身体のことではなく、精神的なことを意味して います。 そしてこれまでのコロナワクチン禍で地獄を彷徨った人やその家族の人達もいます。 ワクチン非接種者2割というのは、私が以前から考えている考え方と一致しています。 1次元と2次元しか見られない普通の人達は8割いるということ。そして3次元の思考が出来る人は2割 いるのだ、という、アレです。 とにかく、2割の方が真実を見据えていたということで、非常に嬉しく思っているわけです。 がしかし、そういう人達も、これからレプリコンワクチン接種が始りますと、そういう、まともな非接種者 にも、接種者から間接的に伝播や感染をするということで、もう無事ではすまなくなります。 この国はゾンビ大国になる可能性が出てきました。 これは大変だということで、今は情報を集める作業に邁進しています。 ワクチン非接種者、またワクチンは打ったけれど幸いに症状が出なかった人、またワクチン禍から 立ち上がった人達の、それは私も含めて、重大な健康と命の問題であるわけです。 久しぶりに撮影をしました。やはり歩かないと健康は維持できないと判断し、何はさておいても歩きは 大事だ。ということで。 免疫力は落ちるし体力は低下するしで、しばらくぶりですので軽く歩くという感じです。 撮影で歩きをする時は、いつも食事は軽くして半ば軽い断食ということでやってます。2重に健康には 良いかなっていうところ。 しばらくカメラを使っていなかったし、現像ソフトも立ち上げていなかったので操作を忘れ気味です。 写真は海岸にある小さな神社。杉板塀が気持ちよいです。バベの木(ウバメカシ)は瀬戸内のありふれた 雑木です。RAW撮影ですがDNGなのでJPEGというかTIFF撮影というところ。次は本物のRAW撮影を してみるか。

つまらないこと

つまらないこと

「ネット右翼になった父」 (講談社現代新書)、こういう本が出ています。 https://bookmeter.com/books/20551437 「シニア右翼」中央公論新社 というのもあるような。2つとも関心がないので私は読んではいないです。 「【特集】なぜ、父はネット右翼になったのか?ルポライター鈴木大介さんが家族と向き合い、見えてきたものとは」 ネットラジオ https://www.youtube.com/watch?v=RjFsbWVxCnA 「ネット右翼になった父」の本は、離れて暮らしていた父と子の相克を描いた本のようですが、読んで みれば結構しんどいかもしれませんね。私は読むつもりはないですが。 [第226回|前編]ネット右翼ってどんな人?反韓・反中・反LGBT・反生活保護……なぜ恵まれた人たちがあれほど攻撃的になってしまうのか? https://www.youtube.com/watch?v=WEMFoodDZZA ネット右翼…中心は50~60代、大卒以上、自営・中間管理職…200万人くらい居るそう。と書かれてます。 実際は70代の方も多くいると思います。仕事は退職されて、働くことはしていないと思います。それで 実社会からは断絶されていること。つまり孤独な状態。家族との同居も薄いでしょう。 お金の面では普通より恵まれているのではないですか。ほんとに食うや食わずの人達ではない。 ネット接続ができるわけですし、パソコンを持っているわけなので極貧というのではないです。 それから200万人いるというのは大げさで、実際は2万人でしょう。極めてマイノリティです。 こういうネトウヨ(ネット右翼)に共通するのは、その書き込みが偉そうで上から目線という現役時代 の癖が抜けていないということです。自分は優秀でお前らとは違うんだ、というエリート意識です かね。 お金にも余裕があって、まあ高級時計は買えないけれど、普通の暮らしはできている人達です。 こういう人達が暇になって、老人だから行動力もなくなって、それでネットPCの前でブツブツ言ってる というイメージです。 ただしこういう方は恵まれてはいるけれど、勉強はしていないですね。本なんかほとんど読んだことが ないでしょう。若い頃は受験勉強をしたけれどそれだけで終わって、以降ずっと勉学に励んではいま せん。仕事の勉強は多少はしただろうけど狭い範囲に終わっています。 そういう方たちが、暇になりネットをするようになって、にわか右翼になる。そういう日本万歳、中韓ダメ なんていう動画は腐るほど流れています。さしたる知識もなく、今まで漫然と生きてこられたので、 そういう動画のレベルというものが低品質であるということにも気がつきません。 だいたいもう頭が半分くらい性能ダウンしているので、考える力そのものが衰えていますし。 反日だ反日だと騒ぎたて、だいたいその言葉の意味すら分からないでしょうし、文章を読む能力すら 喪失しているという感じです。精神年齢は子どもという感じです。 それからネトウヨの人は、身体を動かしていないです。そういう仕事に就いたこともないんじゃないかな。 身体を動かす習慣がある人、肉体労働をしていた人は、上から目線なんて詰まらないエリート意識は 皆目ないですから。 例えば、写真でも身体を動かす撮影というものをしている人は、ネトウヨにはなろうと思ってもなれま せん。それでこの掲示板に写真を投稿している方たちは極めてマトモで正常です。 まあ、老人(小人)閑居して不全をなす、ということでバカバカしい限りです。 それからネトウヨに罹るともう寿命は残り少ないという証しです。冒頭に紹介した書籍は、父が亡くなっ てからの思い起こしの本であるわけです。 バカバカしいけれど、何とも哀れで悲しいのがネトウヨなんです。 ネトウヨ人は、自分の孤独を癒すために色々とネットに書き込みをするんでしょうけど、相手にしてくれる 人がいないのが哀しいです。それはあまりにも思考のレベルが低すぎて、みなさん唖然とするから です。どうしていいか、どう扱っていいかが分からなくなるのです。 それでネトウヨとは、痴呆症の一形態ではないのか、と思うことにしています。つまり、ご病気です。 写真は耕作放棄地。田の跡地がオナモミ(ひっつき虫)の群生となってます。

PENTAX K-3 Mark III Monochromeで撮った写真の話題

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