リコー PENTAX K-3 Mark III Monochrome 作例

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雑文

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① https://photoxp.jp/pictures/225375 ペンタックスSPとは懐かしいです。私も随分と昔に、友人のSPを借りて撮影していました。友人は SVだったかな。それも持っていました。長らく借りていたお礼に、コムラー24ミリ(M42)をあげましたけ どね。 レンズって、特に電子接点のないマニュアルレンズは、一種の男の宝石類に相当するのかも知れない と思う時があります。(笑) オールドレンズを初めとするレンズ類は実用として使うレンズでもあるんですが、むしろコレクション的 要素が強いでしょう。 カメラ本体もそういう要素が強いです。これは精密機械ですね。機械式腕時計のコレクターは多いの ですけど、それなんかは典型的なコレクションする趣味だと言えます。 それから電子機器なんかもそれはそれで魅せられるちところがあります。私もPC自作趣味をしていた 当時は、あの煌びやかな電子ボードにやられていたところがあったんだと思ってます。一種の宝石の 輝きがあるんです。CPUの半導体集積回路のチップは別名、石と言われていましたから。石ってつまり 宝石のことです。(笑) 私も古いオールドレンズは好きでコレクションは増える一方だったのですが、ところが、モノクロ専用機 を手に入れ、さらに普通のカラーカメラもモノクロで撮るようになってから、機材やレンズへの興味が スコーンとなくなりました。とりわけレンズですね。これは自分でも驚きであって、今年の春まではレンズ に邁進していたのに、黒白写真に行ってからは不思議なくらいに興味が失せましたね。 これは一体何なんでしょうね。結局、レンズってカラーの色が占める割合が大きいということでしょうか。 黒白にしちゃうと、もう何のレンズでも一緒って感じですからねぇ。(笑)  ただまあ、機材への興味が失せたというのは、黒白写真とは関係がなくて、私か人生上において、そう なるべき時期に来ていたというだけかも知れません。つまりは、だんだんと写真に興味がなくなりつつ あるだけなのか、それとも違う方向に行きたかっただけの話かも知れないですから。 それにしても思うに、黒白写真は現像の一環として簡単にできるわけでして、それならばこれまでどうして 黒白写真にこだわることがなかったのか。という根本的な疑問です。20年間もデジタル写真をやってい て、そういうことは一度もなかったわけでしてね。もちろん、偶にRAWデータを黒白にして遊ぶっていう事 はあったわけですけど、それは一時的なものだったわけです。 そこのところは多分、黒白専用機を手にしたことが切っ掛けになっているはずです。このカメラを持ち出し た時には、絶対にカラーでは撮れませんから。それは、フイルム時代において黒白フイルムを一旦詰め 込むとカラーで撮れないというのと同じです。黒白専用機というのはいたって不器用なんです。 カラー写真と黒白写真の間には超えがたい垣根があるように思えます。 しかし一旦突破すれば、私に限らず、誰でも人は黒白写真でも満足が行くのではないかと思うところが あります。 特に私の場合は、大昔に黒白フイルム写真ばかり撮っていたから、その垣根も比較的低かったと思えま すね。しかし垣根は垣根で、やはり越えにくい障害物であったわけです。それがゆえに20年間もデジタル 写真をやっていてもその垣根を乗り越えることができなかったわけですから。 黒白カメラは、ほんの冗談のような経緯で購入したものです。まあ、ちょっと変なカメラが出たので興味 本位で手にしようか。という感じ。 そのカメラがこんなに自分の写真に対する考え方を変えてしまうとは想像だにしていなかったことです。 想定外という言葉がそのまま当てはまります。 これまでも例えばシグマのカメラとか、そういう変なカメラなんかに私は興味はあったんですね。それで その程度の関心で黒白専用機を買ってしまったんです。黒白機を買うその直前でも、MFの高級レンズを 買いましたがその程度の関心の延長線上にあるものでした。 誰にでも白黒写真に行く可能性がある・・・というのは、やはり難しいかなって感じます。私の場合は写真 がカラー化する以前の経験があったればこその黒白回帰であるわけでしょう。 そういうはMFのレンズやカメラを使っていたことがある人だけが、現在もデジタルでMFレンズを本当に 使えるのかも知れないからです。若い人が興味本位で一時的にMFレンズを使うのとは訳が違うからで す。MFレンズで露出はマニュアルで永続的に写真を撮るということは、きっとそういうことだと思うんです ね。 そういう写真のスタイル。基本的なスタンスというのは極めて本質的なものだと感じます。まず最初にそれ がありき、という感じで、ここをないがしろにすると全てが変になるという気がします。 結局のところ、私の黒白写真は、写真を始めた当時の自分の心意気というか心根というか、その原点に 立ち返りたかっただけなのではないかと思えてきます。 私が最初に使ったカメラは当然にMFカメラ、マニュアル露出のカメラでした。だから、黒白カメラを買う 直前に、私はオールドなどのMFレンズを物色していたんですね。その自然で且つ、さらなる延長線上に あったのが、黒白写真であったというだけでしょうかね。 写真は回帰する。永劫回帰とでも言いますか、自分の眼の延長線にある写真というものも、人生と同じ ように、回帰し繰り返すのではないでしょうか。 このように考えると納得がいくところがあります。私の場合、黒白写真はMFレンズの次に来るもので あっただけのものである、ということ。これで少し気が楽になり、次にはカラーでMFレンズを使ってみよう かなって思いました。 それにしても、黒白写真のインパクトは想像以上に大きくて、機材・レンズへの関心が吹っ飛ぶほどでした から。黒白写真恐るべし、黒白写真とでも申しましょうか。(笑)  本当に黒白写真は異世界の代物です。というのか、昔のフイルム黒白写真は自然であったけれど、現代 のデジタルな黒白写真は、世界が違うという写真なのではないかと感じます。異形とでも言いますか、 カラー写真が自然な時代に於いて、黒白を敢えて使うというのは、なんというか異物が出現する気配を 感じます。 ※冒頭にリンクしたシッポ座さんのお写真。月の写真ではありますが電線り写真でもあるんですね。 彼の非凡さを感じる写真にもなっています。

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② 前号で、私の黒白写真は自分回帰の写真行為なのではないかと記しました。 なるほど、それはある意味で当たっているでしょう。しかしデジタルな黒白写真はぞれだけではないと 思っています。黒白写真は私の機材愛というか機材への欲望を徹底的に低下せしめる働きがあるよう だからからです。 こんなことは写真を初めて初めての体験です。これまで色んな機材、カメラやレンズ、三脚からPCや ソフトや、とにかく写真に関する何でもの機材漁りに向かっていたものが、それらを全否定するように なったからですね。否定というか、感心が失せてしまったわけです。これまでの何らかの魔力というも のが一挙に消失してしまったという感じです。 返すがえす、これは驚きです。率直に言って今や自分が使うカメラは1台だけでいいです。ペンタK3M3 モノクローム1台でいいですし、それがダメなら黒白化したイオス5の1台で満足なんです。 レンズも実用として必要な数本で十分。 そういう最低限の、しかしそれでいて十分に事足りる必要最低限の機材でいいんだとなるわけです。 これまでこういう経験をしたことはありませんでした。機材は放って置いても自然に増えるものとしか 自覚してなかったですから。 こういうのはやっぱり、黒白写真がもたらした効果だろうとしか考えられないんですね。 ここがやはり重要です。 実はかつてのフイルム黒白写真をやっていた当時も、カメラ遍歴は多少ありましたが基本的にカメラが 1台か2台。レンズも数本の所持でしかありませんでした。そういうことで黒白写真というのはフイルムも デジタルでも共通して、機材愛や物欲に関してはストイックであると見られることです。 カラー写真のように豊満潤沢、飽食世界ではないということです。ここがカラー写真と黒白写真の決定的 な相違だろうと考えられます。 カラー写真をやっていても機材にあまり関心がない人もおられます。しかしそういう人は被写体に対して 飽くなき欲望を発揮するようです。色んなところへ行って写真を撮り続けていたいという。どちらにせよ、 無駄にお金を使うということでは、これは同じですよね。 言葉を代えて言えば、つまりはそれは消費意欲です。黒白写真はその消費の意欲を減退させる働きが あるようです。 消費への欲望、物欲、そういうものを黒白写真は減退する方向に向かうのだろうということ。つまり、 カラー写真とは「色」です。色気ですね。写真から色気を取り除けば、留まることを知らない欲望が自然 と削ぎ落とされるというのではないですか。これは決定的なような気がしてます。 カラー写真やデジタル写真は、以前から比喩的に感じていたのですが、浦島太郎の龍宮城であるという こと。そこですね。太郎がどっぷりと浸かった煌びやかな竜宮物語の世界に嵌ってしまうこと。それが カラー写真でありデジタル写真であるということ、なんではないですか。 そして太郎が、夢中になっていた乙姫様や鯛や平目の舞い踊りに見飽きて、帰りたいと願い再び以前 いた村に戻ったとき、太郎は玉手箱を開けてやっと現実に戻るわけです。あら不思議、そこには白髪の 老人がいただけの姿になるわけです。 亀に連れられて龍宮城に行き毎日毎夜夢のような世界を見ていたのが、玉手箱を開ければそれらは スッと消えて、別の現実の世界が待っていたとなるわけてす。 此処で言うところの、亀も玉手箱も、きっとそういうアイテムは実は同じカメラであり写真なわけです。 浦島太郎の物語は日本全国にあって、それどころか世界中にあるようです。我が県にもあります。(笑) そこに写真というものの二重性、相反する対価の価値観が潜んでいるといってもいいんではないですか。 それこそが写真というものの真の姿かもしれないです。 浦島太郎の物語は、実は人の人生の物語そのものだと捉えることができます。ハレとケの二重世界でも ありますから。そこには竜宮の夢心地もあるだろうし、冷め切った現実の世界もあるんだということ。 大げさに言えばそれは生と死の対比でもあります。 デジタル黒白写真は月光写真であるという感覚もありますね。満月下で見る世界は黒白世界です。色彩 は感じられずにモノトーンの世界があるだけ。太陽の日中世界はエネルギッシュで色香に溢れています。 かたや月光の光は密やかです。 もう自分も年齢的に緩やかに写真をやっていく時期になったと感じています。そういう時に黒白写真に 再び回帰したのではということですかね。 そしてもうひとつあろうかと感じています。カラーという旺盛な消費欲が他のものに変わっていくのでは ないかという期待です。消費には色んな意味があります。経済的に言えば生産と消費は対になっていて GDPとかの経済指標の要素です。そして言葉で生産的、消費的と言われるように、消費とは受動的な 意味合いも含んでいるように見られています。 黒白写真は画像的に言えば最低限の写真であり低成長化での消費行動のようなものです。ぎりぎりもう これ以上削ぎ落としのないような写真世界。今流行りで言えばエスディージーズでしょう。それでいて撮影 に関して言えばカラーも黒白も同じです。 黒白写真になったからと言って、私が主体とする撮影に関しては何の違いはみられません。 私が黒白写真でいい、という背景には、撮影自体は何の影響も受けず変化も見られないからですね。 ただ結果としての画像が違うだけです。 撮影は生産行為。そして得られた画像は消費行為。こう考えれば生産自体は落とさずに消費だけを落と すことができるというわけです。つまり生産したエネルギーが全て画像として消費されるというわけでは なくなってくるということ。 生産と消費は釣り合っているとすると、生産で得られたエネルギーは全て画像の消費されるのではなく、 もっと別のものに変換されて、出来れば再生産への投資に回したい。そういう願いがあるんですね。 考えてみればこれまでは無駄に金銭も時間も労力も消費していたということも言えますね。撮影自体も 無駄が多かったかもしれません。ましてやカラーとして画像に泡として消えてしまったエネルギーや物質 は無駄だったかも知れないです。こういうことをこれからは考え直すことができるかもしれません。 黒白写真が低消費であるというのは確かでしょう。フイルム時代であれば即金額に関わりましたから。 デジタル時代でも機材欲としてガラッと違ってきてます。私が注目するのはそこなんですね。 私が黒白写真をするに当たって、かつてのフイルム黒白の経験がものを言っていると思います。初めて 黒白写真をするのではない。これは二度目であるということ。そういうことでは老練です。気構えができて いるということかも分かりませんが。 太郎の物語では玉手箱を空けてからの人生が描かれていません。あれから太郎はどうしたのでしょうか。 ちょっと気になりますよね。(笑) 私が物語りの続きを書くとすれば、タイムスリップした世界で老人に なった太郎。・・・そこでやっと太郎は深い眠りの夢から覚めて、胡蝶の夢と知ったということになるのです。

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③ 写真に於ける色というもの。それは宝石の輝きと似たようなものがあります。キラキラとしていて魅力的 です。それは多分、野鳥なんかも宝石的ですよね。構造色というんですか。あのキラキラ感。それから 花なんかもカラフルです。自然界でも人工下でも多くの種類の煌びやかさがあります。 花鳥風月といいます。それは人が虜になる対象物を言った言葉なんですが、花も鳥も、そして風景も そして月も、( これは女性を比喩的に表わしているのかも知れませんね)、それらは全てキラキラとして 宝石のようなものです。女性自身が陥る衣装なんかもそうですね。バカみたいに衣服をコレクションして いますから。(笑) キラキラでカラフルで多様性がある。それらは全て色です。「色」ですね。そうですね、皆さんが大好きな お金。この典型というか発祥は金です。ゴールドですね。あの輝きと色。一説にはそれは太陽の象徴 だといいます。そのゴールドが姿を変えて貨幣になり今もって人々を虜にしていますから。 そしてもし、写真に色がなくなれば、それらのキラキラ感とかカラフルさは一挙に消失してしまうことに なります。これは劇的です。明度の上下しかなくなる写真。それが黒白写真です。 それから黒白写真という場合。決定的に意味することは、本当に黒白写真でしか撮れないカメラで フイルムであるということが大きな意味を持ちます。 黒白フイルムを詰めたカメラはフイルムを交換しない限りカラー写真は撮れないのです。もっとキツイの はデジタルの黒白専用機です。 これはフイルム時代の黒白写真よりも強烈です。フイルム時代はたとえ黒白写真を常套としていても フイルムをカラーにさえすればカラー写真がとれました。ところがデジタル黒白専用機は絶対に未来 永劫に黒白写真でしか撮れないんです。その存在感は極めて異様です。 私は思うに、カメラのファームウェアのアップデートで、手持ちのデジタルカメラを黒白化するサービス があったら面白いなって思ったりもします。そのアップデートを実行すると、もうずっと白黒でしか使え ないカメラになります。つまりモノクロ専用機となるんですね。(笑) 私は思うに、黒白専用機というのは、カラーのデジタルカメラで撮った黒白写真とはさほどに違わない と思っています。解像力やシャープさが違うだけだと。ですから高画素のフルサイズや中判のデジタル で黒白写真をとればペンタックスのモノクロームと同等か、もしかすればかもれると思ってます。 画像的には確かにそうです。 しかし私がここで問題にしている写真の黒白写真としてのスタイルやスタンスとは、画像的な技術的 なこととは関係がないんです。黒白でしか撮れないカメラがあるということ。その存在性を言っている んですね。 言い換えれば、黒白写真とは「色」というキラキラ感やカラフルさを排除したカメラであり写真であると いうこと。専用機は永遠に色を拒否したものであるという存在だということです。 私はこれに打たれたというか、圧倒されたわけです。その結果、機材の欲望が一挙に消し飛んで しまったということですか。 色という夢を打ち砕かれてしまい白髪の太郎となったような事態ですかね。 しかしこれこそが黒白写真の本質ではないか、というわけです。

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④ 絵画において黒白というのはあるのかと問えばありますね。書とか水墨画です。黒白写真はそれに相当 します。モノトーンの世界です。衣装でも白や黒や灰色しか着ない人がいますかねぇ。(笑) そしてなんといっても黒白なのは書籍の類です。新聞でもややそうです。カラーにすると価格が上がる のもあって未だに黒白というのが主流です。しかし書籍なんかは文字ばかりだからカラーにする必要性 がないという理由もあります。文字をカラーにすると却ってウザイですから。 自動車でも黒白の塗装が多いです。これは目立ちすぎるのを嫌うとか、飽きを防ぐというのもあるんでは ないかと思います。 しかし写真に於ける黒白というのはそれらとは違う要素が大きいですね。写真というのは自分の視力の 延長というところがあり、純粋に絵画とは違う側面を持つからです。鏡であり眼鏡でもあるんです。 一眼レフの場合、ファインダーに見える世界は当然にカラーというか自分の視力そのものです。ところが 撮影された結果としての写真は黒白であるというわけです。この落差が肝心で大切です。 ペンタックスモノクロームはライブビュー撮影もできます。しかしそれを使うことは例外的です。通常は 光学ファインダーでしか使いません。それで光学ファインダーのないミラーレスカメラで黒白写真をしよう かという気には全然なれません。なんか興醒めな気がするからです。 ライカも確か黒白専用機はM型が主流です。M型は光学ファインダー装備ですからね。 黒白写真は結果としての画像だけでよいのであって、撮影時にまで黒白である必要性はないのであり、 むしろファインダーは自然であるべきだと思っています。 ミラーレスカメラだと黒白撮影をする場合にファインダーにまで影響が及んでしまって、それだと撮影と いうものに画像の影響が及んでしまい、それはちょっと面白くないからですね。 黒白写真は画像が貧弱な分、撮影を大事にするやり方ではないかと思います。記録される画像には 色がなく、それでその色情報は自分の撮影時の記憶だけ、ということになります。 このごろはスマホでもパソコンでもネットでも、何でも簡単に記録したり調べられたりするので、人は 記憶も思考も弱くなっているように思えます。機械頼りなんですね。それでよいのかという問題が指摘 されたりしてますから。 私の写真術は何よりも撮影を大事にしたいと思ってます。撮影時に歩くことを心掛けているのもそうです。 結果としての画像はどうでもよいかなって具合ですね。 面白いのはカラーで撮っていたときは撮影した写真を殆ど見なかったのに黒白撮影をするようになって からは結構みているんですね。これ逆転的で面白い現象です。多分、黒白にすればどう写っているの かが気になるからかもしれません。カラーの場合は撮影時に見た記憶のとおりに写っているのが普通 ですから。

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⑤ 結局、私が強く思うに、写真からキラキラ・色々感なるものを取り除いたのが黒白写真ではないかと いうことになります。キラキライロイロをなくした写真というわけです。 そしてもっともキラキラ色々感が最も原理的に少ないのは、デジタルのモノクロ専用機ということになり ます。何故ならばこのカメラは未来永劫黒白写真しか撮れないからです。 ペンタックスがモノクローム専用機をリリースしたのは、ひとつはライカで先例があるということ。ユーザー へのアンケートで黒白専用機の要望が高かったことがあげられそうです。大体はユーザーの昔の黒白 フィルムへの哀愁から来ていたのだろうと思います。 しかし実際に発売してユーザーが使ってみると、それはちょっと違っていたという気が私はしているん です。フイルム時代の黒白カメラは同じカメラがカラーカメラになり得ました。フイルムを変えれば大丈夫 ですから。ところが黒白専用機はカラーカメラにはできないのです。そのカメラはずっと黒白のまま。 この違いは大きいです。 ですからデジタルモノクローム機は手元に於いてすっと黒白写真なるものを主張し続けるのです。 もちろんモノクロ機を購入されるユーザーは当然に普通のカラーカメラをお持ちです。なのでカラー写真 を撮りたければそちらを使えばいいだけの話です。 そうは言っても、モノクロ機の断固とした主張性は揺らぐものではありません。私は黒白機として生まれた のだからずっと黒白のままでいます、と主張し続けるのです。レンズが交換できないカメラが主張する ように、私はこのレンズのままで一生過ごします、というところでしょうか。 このカメラの暗黙の声を聞くことができるのかどうか。 そこが分かれ目だろうと考えています。多分殆どのこの黒白専用機を手に入れたユーザーはまるで 交換レンズのひとつのようにして、このカメラを受け入れているのではないでしょうか。同じモデルの K3M3というカラー機をお持ちの方は特にそうでしょう。(そういえば、黒白写真しか撮れない交換レンズ が発売されれば面白そうです。冗談です。(笑) かつて、リコーで撮像素子の部分が交換できるカメラが発売されたことがありました。APSの大型セン サーでも交換すれば使えたカメラです。しかし不人気だったのでデスコンになりましたし、中古価格も 安かったです。そういう小手先のカメラはユーザーは良しとしなかったようです。 このリコーは考えてみれば、フイルムが交換できるフイルムカメラ時代のデジタル版であったわけです が、このメーカーの思惑は通用しなかったわけですね。 ペンタックスK3M3モノクロームは非常によく出来たカメラです。基本となったカメラの出来が良かった のです。これが不出来のカメラを基にしたのであれば、この私もさほどの感化を受けなかったと思われ ます。キヤノンであればベストセラーの5Dシリーズをモノクロ化したようなものです。 使いやすくて高性能、デザインも良い。このK3M3は一般の方にも好印象をもたれています。私が使って いるのは、モノクローム専用機だとは分からないはずですので、そもそもK3M3が優れているという証し になります。イオス5Dシリーズと同等の人気度を持っています。素人さんの素直な眼を侮ることはでき ません。 とにかくこのK3M3モノクロームがなければ、私は黒白写真に邁進することはなかったわけですね。 これは確かです。 このカメラが私自身に及ぼした影響はすごくて、私はこれまでの写真に対して大きな転換を余儀なく されました。もちろんこの私の変節?は、私が過去にモノクロ写真を長らくやってたという経験があった からなのは間違いがないでしょう。多くの、カラー写真から写真を始めた御仁はこのようにはなりません。 黒白写真という文化を経験していない人には、ものめずらしいカメラで終わるのではないですかねぇ。 フイルムで出来ることはデジタル時代でもできる。つまり、アナログで出来たことはデジタルでもできる ということ。そういうことの証しにもなっています。 ちょっと残念なのは、モノクローム専用機を最初に出したのは日本のメーカーではなかったということ。 日本はいつも2番煎じで物真似の域を出ないのは残念です。

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⑥ 今回の一連の投稿写真は伊予西条市での撮影です。隣の愛媛県ですが、感覚的には香川県になる かなっていう感じです。(笑) 燧灘の沿岸地域なので雰囲気的に香川と変わりません。東予地域と 言います。東から四国中央市(川之江と三島)、新居浜市、西条市、今治市と続きます。 東予までは気軽に行くことができ、高速道を使って1時間くらい。やはりほぼ県内という感覚ですね。 伊予西条市は名峰石鎚山への入り口であり、その石鎚山系から流れ出る水が伏流水となって、西条 市の平野を潤します。 うちぬき、と言って掘れば地下水が溢れ出るということで、この出水の豊かさが西条市を支えています。 ウイキペディアよりコピペ https://www.youtube.com/watch?v=fy6chjMSmxQ 日本製の半導体が世界シェア5割を超える最盛期だった1980年代後半に世界シェア1位・2位・3位であったNEC・三菱・日立の3社は、1991年1月にNHKで放送された『電子立国日本の自叙伝』第1回でも電子立国日本の象徴として取り上げられた三菱電機西条工場(現・ルネサス西条工場)、操業を開始した1984年当時はファクトリー・オートメーションの到達点とされた「全自動化ファブ」)を筆頭として、数百億円規模の当時の最先端ファブを日本国内にいくつも建設したが、元々はメモリ向けだったその設備を法定耐用年数の5年を過ぎたあたりでマイコン・ASICの生産に転用しており、ルネサス統合後の2010年時点でもそのまま継続して運営していた。そのため、2010年当時のルネサスは世界のマイコンメーカーの中でも特に、1980年代から1990年代にかけて稼働したレガシー工場を多く抱えているのが特徴だったが、採算性の悪化から、150mmウェハ以下のライン・350nmプロセス以前のラインは全て閉鎖し、損益分岐点を下げるために工場もほとんど売却または閉鎖し、前工程は那珂工場(旧日立)と川尻工場(旧NEC)と西条工場(旧三菱)、後工程は米沢工場(旧日立米沢電子)と大分工場(旧NEC SKY)に機能を集約する方針を2013年に示した。・・・・ とあります。西条に三菱のDRAM導体工場があるのは昔から知っていましたが、訪れたのは今回が初め て。まだあったのだ・・・という感慨にひたりました。もうとっくに無くなっていると思っていたので。 半導体工場はご存知のように膨大な水を使います。洗浄水ですね。熊本のTSMCしかり。郷愁が半導体 アイランドを言われるのはその豊富な水や地下水に拠ります。 うちぬきの水はそのまま飲めます。旧加茂川の跡地にあるようで、地図で見ても古い河川の跡だと分かり ます。こういう出水は香川にもあります。特に多いのが善通寺市から多度津町にかけて。しかし西条市 の出水は、うちぬき、というくらいで、つまり地面を打ち抜くと地下水が自噴する、その水量と水域が違い ます。 愛媛県は経済的に工業が発達していて、香川県のように観光に頼ることがありません。それで観光案内 図を貰おうと思うと、市役所に行けって具合で、休日だと開いてないじゃん?ということになります。 そうだ、JR駅は置いてるかな。というような具合で、このうちぬき文化を知らない人が多いようです。 西条市で有名なのが秋祭り。ちょうさ、といって出し車ですね。とても豪華で、豊かな地域だということが よく分かります。このちょうさ文化は東予地域全域だけでなく香川の観音寺市にもあって、同様の祭りの 文化が分布しているのがわかります。 ちょうど野外音楽会が開かれていて、けっこう上手かったシンガーのお姉さんが、愛媛県は最高、西条市 もサイコーと語っておられました。愛媛県は文化的に四国四県のなかではトップだと思うので納得のいく 話です。 最近は地元ばかりの撮影です。近場で撮影して可能な限り運動として歩きたいと願っていますので必然 的に県内や近県での撮影となります。

不動明王

不動明王

10月9日に伊豆諸島鳥島近海で地震?と津波が発生しました。原因がよく分からない地震と津波 のようですが、海底の地下の深くで何らかの異常が発生したみたいですね。 これで思い出したのが、2025年7月1日の予言です。フィリッピン海プレートの真ん中で海底火山の ようなものが爆発し日本列島に津波が押し寄せてくるというヤツです。この予言は鳥島とは場所が 違うんですが、鳥島津波は何となく気になる報道です。 フイリッピン海プレートの真ん中は地震帯でも火山帯でもないんですが、スーパープルームとかホット スポット火山(ハワイ諸島のような)と呼ばれるものであれば、プレートの沈み込み帯に限定されず、 場所は関係ないです。予言では大量の軽石の出るようなので、新しい海底火山が爆発するのかも 知れません。 まあ2025年はもう直ぐなので明らかになるのを待つしかないのですが、とはいえ大変な被害が出る との予言です。遠くの海の火山ならば津波が列島に押し寄せるまでには時間がかかるのではないか と思われそうですが、大海での津波のスピードは超高速です。南海トラフ地震と並んで要注意である には変わりありません。 漫画本で、「南海とトラフ巨大地震 1」というのが出てますが、2025年2月11日となっていますね。 しかし2.11は3.11や9.11の物真似でしょう。しかし2025年というのは、れいの予言と一致しています。

雑感

雑感

黒白写真機を相変わらずメイン機としてやってますが、まだ今のところ飽きがきていません。(笑) 撮影はJPEGでのスモール画像での撮影。撮影自体は黒白JPEGであろうがカラーRAW撮影で あろうが関係ないのですが、撮影した後の鑑賞がまったく違ってきます。 例えていうと、なんというか、ご褒美の餌が貧しいというか少ないのです。(笑) 清貧で貧相なん ですよね。これにいつまで耐えられるか、我慢できるかが、黒白専用機撮影での勝負になります。 これは皆さんがカラーRAWで撮り、それを黒白写真にして悦に入るというのとは本質的に違います。 例えて言うと、毎日が豪華で贅沢な食事をしているのだが、偶には質素な一汁一菜の飯でも食うか。 というのと似ているでしょう。そうではなくて黒白機は毎日の食事は常に貧しく少ないのです。 カラー写真撮影は、これは浦島太郎の龍宮城での世界ですね。一方黒白機は太郎が白煙を浴びた あとの世界です。このどちらが本当の世界なのか。現実はどちらなのか。 写真としてはカラーと黒白は大きく違いますが、撮影をしている時の現実は違わないですね。 一眼レフならばファインダーも天然カラー色で見えます。ところが写真になってくると違ってくる。 もしかして写真というのは妄想や幻想の世界ではないですか?現実を写し止めているというのは 本当でしょうか。そういう本質的な疑問が出てくるのが黒白機のなせる技かもしれません。 撮影をしている最中に、人様とお話をすることが多いのですが、最後に決まって(あなたは)写真と いう良い趣味をお持ちですねって言われます。これには以前から違和感がいっぱいあるんですね。 私としては写真は道楽なのであって高尚な趣味でもなんでもないのですが、他人様にはそういう ように映るんですかね。・・・よく分かりませんが。 もしカメラが黒白機しかないとすると、写真趣味人口は1/10になるでしょう。歴史的に見ても写真 人口が増えたのは写真がカラー化してからです。黒白写真の時代には写真をやっている人は ほとんどいませんでしたから。 つまり、10人のうち9人は、写真の色を楽しんでいると言えそうですね。写真の本質は色なのか。 もしくは色ではない何かなのか。もちろんその両方なんですけどね。

海へ

海へ

モノクロ専用機、もしくはカラーカメラなんですがモノクロにカスタム化した専用カメラの写真というのは、 普通のデジカメとは全く違うのではないかと思って、それで敢えてこの板を借りてしばらく投稿しようと 思ってます。 それはスマホで撮った写真の専用板があるのと同じ感覚といえばそうなのかな。しかしスマホは まだカラー撮影なので普通のデジカメに近いですね。 モノクロ専用機と簡略化して言いますけど、カラー画像を捨ててしまう写真のやり方なので、普通の人 にはできない写真だろうと思います。やろうと思えば可能なのですが、それには精神的感情的な拒絶 感というものが強くて一般的にはできない、という意味ですね。 それは今までの個人的な写真の文化と言いますか精神的財産というのか、そういう写真のモチーフを 根本的に書き換えてしまうくらいの断絶があるように感じられます。カラー写真しか撮ったことがない 多くの人達にとっては、そういうことだと思うんですね。 ただし私の場合は違っていました。大昔に写真を始めた当時はモノクロ写真ばかり撮っていたわけです から、もともと写真にモノクロの個人的な文化があったというわけです。だたそれに立ち返るだけでした ので、正直言って難しいことは何も考えていませんね。 今後はペンタックスK3M3モノクロームをメインにして、加えて従来のカラー機をモノクロカスタム化した やつでやっていこうと考えてます。

村へ

村へ

写真の社会性って何だろうって、そう改めて考えると、なかなかに難しいものです。 もちろん写真を使って社会に真実と変革の一滴を投じるのは、ジャーナリストという職業の方々です。 特に紛争地域での報道は必然的に戦場カメラマンとなってしまい、命がけの仕事になります。 一般の人はそのような、だいそれたことは出来ませんね。しかしプロのジャーナリストが使う写真も、 我々アマチュアが使う写真も、実は同じものです。特別に違ったことをしているわけではありません。 では何が違うのかというと、そのカメラを持つ人間の意識、矜持が違うということになります。 そういうプロの方々の高い意識があるからこそ、それが社会に流布されて認められているからこそ、 翻って写真を知らない大勢の一般の人達が、多少なりともアマチュアも含めた写真家達を尊敬して くれるのではないかと考えています。 では逆の事を考えて見ましょうか。写真を使って悪辣非道な犯罪をしたり、独裁者の命じるままに 写真を使うような、そんな国の民衆は写真家を尊敬しませんね。そのような国ではアマチュア写真家は カメラを隠すようにして写真趣味をやらなければなりません。 ジャーナリストだけでなく、プロもアマも綺麗で素敵な写真を撮り、それがメディアや各種の媒体で 広く浸透しています。こういう美意識というものも大事なものです。綺麗な観光地の写真を見て、じゃ、 私も行って見たいね、となるのも写真や映像の力だからです。 しかし美しくしようと気が入りすぎて、実際とは違うものになってしまっては、それは嘘になります。 現実とは違う作り物になります。 そして知らないうちに、善意ではあるんですが独りよがりな写真になってしまう可能性がありますね。 そうなってしまうと、それは真実とは違う社会性の乏しい写真となるわけです。 それと我々カメラマンが世間様にある程度は認められた存在であるということは、これは意識の高い 写真家達のお陰であって、その方たちにある意味で寄生していると言いますか、もたれかかっている ということでもあります。タダ乗りと言ってもいいですかね。これではさもしい感じがします。 ですから可能な限り、一人ひとりが自分なりの思いでもって、写真の社会性というものを常に意識して おく必要があります。 そうは言っても私自身もついつい忘れがちになることです。ついつい自分勝手な欲望でもって写真を 穢させているというのが現実です。改めて心して写真をやっていかなければと思っています。

村へ

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私などは典型的ですが、写真は人様に迷惑のかからない程度に、個人的な楽しみでのみ、密やかに やって行きたいというのがあります。なによりも撮影そのものが楽しみであり、屋外に出かけて、カメラ を手に持って歩くというだけで十分に満足というわけです。 それ以上は何も望まないのであって、それならばよく考え見れば自分の撮った写真を投稿する必要も ないわけですが、そこは写真というものですから、この掲示板を使わせてもらって下手な写真を上げ ています。 この、そこは写真というものですから・・・というのが、全ての写真には多少の多寡はあるものの、社会性 というものが属性として存在しているのだ、という証しでもあるんです。 写真は完全に個人的なものではありえないということ。そこには幾ばくかの社会性世間性というものが 必ず内在しているということ。これはきはり写真の本質になるのだろうと思っています。 なぜならば写真とする対象物は世間様から預かっているものだからです。大自然が被写体という場合 でもそこには神的な社会性というものがありますから。 そもそも本当に自分だけのものがこの世の中にあるものなのか。と問えば自信をもって自分のモノ、私の ものだと言えるものは殆どないことに気づくはずです。すべては世間に世界に通じているものばかりです から。

村へ

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今回は小型のカメラでもって、そのぶん長い距離を歩くことにしました。 このペンタのカメラはモノクロ機なのでレンズには凝っていません。シグマの広角ズーム、標準ズー ム、オマケで超小型望遠ズームの3本でやってます。全て含めても2キロもないカメラなので手軽です。 このモノクローム専用機こそが、もしかすれば私の本来の姿のカメラのカタチであり、私の写真なのか も知れません。撮影は全てJPEGのSサイズです。 RAWは現像ソフトが不満なので、一応は同時記録はしていますが、鑑賞もアップ写真も全てその JPEGからです。画素数は800万画素くらいで、かつてのAPSカメラレベルですね。これがモニターでの 鑑賞にはちょうど良く、そのまま見て少し処理してアップしています。 実に手間要らずで簡単です。 レンズには凝っていない、というのは正確な言い方ではありません。実はカラーで良い色を出すペンタ のレンズも多少あるのですが、モノクロでは思うような、つまり私が思い描く画質になりません。それで カラーではイマイチだなっていう、シグマの有りふれたレンズこそが、私のモノクロ表現にピッタリだった のです。 モノクロでも細密なグラデーションをモノにしようと思えば高級レンズでいいんでしょうが、私のモノクロ 表現はざっくばらんで、かつてのフイルムのトライXを目指していますので、ちょっと違ったわけです。 これには過去の経験があって、モノクロ写真を始めたころは、安物のF値の暗いレンズでやってました。 実はそれでちょうど良かったんですね。少し余裕が出来てF値の明るい、コーティングの優れたレンズに したわけですが、モノクロ写真としては上手くイメージどうりにいきませんでした。 モノクロのイメージには合うレンズというものがあることをその時知ったわけです。 本来、モノクロ写真は秘めやかで控え目のものです。私にとってのモノクロは、アートなどとは関係のない ものでして、昔はカラー写真が高くて出来なかったからモノクロでやっていただけのことです。今の私は カラーは面倒くさいからモノクロでやっているだけ・・・という事にしてやってます。(笑) カラーは欲望を刺激します。それでもっと良い画質のレンズやカメラが欲しくなるから、次々とエスカ レートするんであって、本当にモノクロしか撮れないとなると、レンズは最小限になりますね。 それから、あえて黒白専用機を買おうか、という人はまずいません。なぜならば新しいカメラの購入 とは、自分の欲望を解放するためにするのであって、それはモノクロカメラとは本質的に相容れないの ですし、むしろ相反するからです。 そういう意味で、モノクロ専用機は極めて精神的なものです。 ですから精神的にさえ確りしていれば、普通のカラー機をモノクロ機にすることは可能です。しかし 人間は精神的には弱いものですから、現実にはそうすることはなかなか出来ません。(笑) このカメラのモノクロの画質(解像力)としては、フルサイズの数千万画素のカメラと同等の性能だろう と推察します。ライカのフルフレーム6000万画素のモノクロ機となると話は別になります。 このペンタモノクロ機は、その光学ファインダーは素晴らしく、当然にカラーのファインダーです。 その素晴らしいファインダーを見てショットし、それで撮った画像をモニターで見ると、残念なことに モノクロでしか写っていません。(笑) が、その時点で私の欲望はシャットアウトされるんですね。じゃあ、これで行くしかないじゃないかと。

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モノクロ専用機は需要がないので必然的に高くなります。それは自動車のMTミッションの車と同じ です。今はMT車を買おうと思えば商用車を除けばスポーツタイプの高価な車だけとなります。 中古車も高価格ですね。もともと売れていなくて玉数が少ないのです。それと同じでモノクロカメラ は中古市場でもゲットすることが難しいでしょう。 とは言いながら、ネットで探してみますと結構でてきます。しかし価格が新品と変わらないですね。 ペンタモノクロームの中古が出ているということは、何となく買って、それで面白くないということで すばやく手放したのでしょう。ちょっと諦めるのが早い気もしますが、写真に対する考え方が確りと していないと、モノクロ機は難しいです。カラーカメラしか経験のない人はモノクロ機を扱えないのかも しれません。 手持ちのカメラでモノクロ機を模倣しようと思えば可能なのですが、これにはコツがあります。 RAWでは撮らないこと。JPEGで撮影することが必要条件です。RAWで撮ればカラー化が直ぐにできる からですね。これではモノクロ機とは言えません。そして撮影途中でモード変換しないことです。 今日はモノクロでいくと決めたから、始終その設定を変えない透徹した意思が必要です。 そういう風にすれば全てのカメラはモノクロ機にすることが可能です。 現実的なのはモノクロJPEG+RAWで撮影して、PCに入れる時に完全に別フォルダにすれば、目指す モノクロのみにアクセスできます。RAWはついでに保存しているだけで今は必要のないものです。 ともあれモノクロ専用機は必要ないねって私も今は結論付けています。フルサイズでもAPSでも2000万 画素以上あれば十分にモノクロ化したカメラができます。 今のデジタル世代の若い人がモノクロ写真をどのように考えているのかは知りません。中にはフィルム カメラのモノクロをやってみたいと考えている若い人もいるかも知れません。 私の場合は単純に、自分が昔に慣れ親しんだモノクロ写真の延長としてやっているという感じですね。 モノクロはいわゆる美しい写真は撮れません。美術的に良い写真を撮ろうと考えてモノクロをやると がっかりするでしょう。 多くの方がモノクロ写真というと、それはカラーで撮ってそれをモノクロ化して遊ぶということだろうと 思います。それをモノクロ美として考えているのではないですか。 そういうものと、モノクロ機、もしくはモノクロ化したカメラ機とは根本的に違います。 そういえば私のことですが、遠征撮影に出かけたとき、意識して全て低画素RAWで撮影をしたことです。 低画素RAWで撮影をすれば、そのデータはもう高画素で現像することはできません。 そういう考え方と、モノクロ機。モノクロ化機とは似ています。 なぜそうするのか。そうしなければならなかったのか。その答えはそう簡単には出てきません。 もしかして・・・不便を楽しむ。足らずを喜ぶ。 そういうものがあってもよいのではないか。ということに尽きると思ってます。

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ペンタモノクロームは2500万画素のカメラです。1素子で1単位のモノクロのピクセルを形成します。 カラーカメラの場合はどうでしょうか。これは4素子でRGGBという、レッド1素子グリーン2素子ブルー 1素子という4つの単位でカラー画像を形成しています。簡単に言うと4000万画素のカメラは実は 1000万画素のカメラであったというわけです。それでは面白くないわね、というわけでその1000万 画素を分割補正して4000万画素にしているだけなのです。 そこに画像補正というマジックがあるのであって、それを嫌うという潔癖な人は画像の補正をしない タイプのカメラ、例えばシグマのフォビオン素子のカメラなんかをありがたがります。 印象してフォビオンは極めてシャープで解像力感があります。ぼやけていない、ごまかしをしていない という印象がみなぎっていますね。(^^ゞ  それと同じでモノクロ専用機は実にシャープで高解像の画像が得られます。同じレンズでもモノクロ 専用機とカラーカメラで撮るのとはまったく別の印象を受けます。誤魔化しが利かないので、こと解像 と怜悧さに関してだけは、そのレンズの真骨頂を垣間見ることができるのです。 私がペンタモノクロ機でシグマのレンズを使うのは、多分シグマはフォビオン素子で解像力とシャープ にだけは鍛えられているからかもしれません。もしくはシグマのレンズは伝統的に発色がイマイチな だけに、その2点だけは特化しているのかもしれません。 机上論的に言えば、モノクロ機2500万画素とは、4倍して1億画素、もしくは現実的に3倍して7500万 画素のカラーカメラに匹敵しているというわけです。あくまで解像力とシャープさだけに於いて。 この数値は恐るべきものでしょう。7500万画素のAPSカメラはありません。6000万画素のフルサイズ が今は限界ですから。中判となれば1億画素はありますね。 そういうカメラの解像力やシャープ力が小型のAPSカメラで手に入るということで、そう考えれば面白い カメラではあるんです。そしてセンサーにカラーフィルターがありませんから、感度が高くなります。 これで優位になるのが星間写真です。赤外線除去フィルターを取っ払えばさらに面白くなるんでしょうね。 そういう解像力とシャープ力で装着レンズを通せば、大体のレンズはボロをだします。弱点をひらけだし オイラはこの程度でしたってなるわけです。 しかしながら、私はそんな究極の使い方はしません。(笑) わざと画素数を落としてJPEGで撮って、 フイルム時代の雰囲気が出ればそれで良いじゃないかというわけです。 私の写真とはそんなもんです。

雑文

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私が今やっているモノクロ機による黒白写真は、かつての自分の黒白フィルム写真の継続版なんで すが、もしかすれば今の時代では、それはスマホ写真になるんじゃないかなって感じるところがあり ます。 つまり簡単で手間をかけない写真です。そして小さなレンズが少しあればよくて、お金もかけないやり 方ですね。 それで撮影はJPEGの800万画素くらいで撮ってます。そしてレンズはペンタックス純正ではなくて シグマのレンズでやってます。その方が私のイメージする黒白写真になるからですね。 この撮影のレンズはフィルム時代もAFカメラが出た時代のレンズです。80年代のものでしょうか。 28-70ミリF3.5-5.6かな。数百円のジャンクレンズ。 さすがにこれはやりすぎかもしれません。普段は10年位前のデジタル時代のシグマを使っています。 そこらあたりがちょうどよくて、私の考える黒白写真にはペンタ純正レンズでは今ひとつで、どうやら カラー写真と黒白写真とは使うレンズが違ってくるという感じです。これは過去のフイルム時代でも 感じたことがありました。 だいたいフイルム時代のトライXとかネオパンSSSのイメージが出ればいいかなって感じです。 ですので、普通の方がカラーで撮ってそれをアートの一環としてモノクロームにするやり方とは、その 写真文化がまるで違いますね。昔はカラーフイルムは高価すぎてモノクロで写真をするというわけで したから。つまりコストの問題であったわけです。 デジタル時代ではカラーもモノクロも同コストですが、やはり手間が違ってきます。カラーではJPEGは 難しくRAW撮影となります。その点モノクロはJPEGでもいけるって感じですから。

雑文

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なぜモノクロなのか、と問えば単純にモノクロ機を買ってしまったから。という答えしかでません。(笑) 手に入れた以上は使わなくても元が取れない。それだけの話ですね。 今から考えればこのカメラを買う必要はなかったと感じています。手持ちのフルサイズの数千万画素 のカメラをモノクロ化して使えば(JPEGで撮影です)、画質的にはこのペンタと変わらないからです。 厳密に言えば違います。しかしそんな細かいことを言っても始りませんしね。 このカメラをネットで調べるとけっこう中古が出てます。しかしプライスは新品と変わらないです。 おそらく興味本位で購入してモノにならなかったので手放したのでしょう。デジタルカラーは色や画質 を楽しむことができます。また各種レンズを使う楽しみもありますね。 しかしモノクロはそれがほとんどできません。それとモノクロ写真はイメージングが大事でして、自分 なりのモノクロイメージを持っていないと続けることができません。 幸いに私の場合は若い時期のモノクロフイルムの経験があったので、さほど苦慮せずに自分のイメージ を構築できたと思っていますが、カラーから写真を始めた人には難しいでしょう。 そもそも黒白写真は清貧の写真だといえます。使うレンズはむしろ安物が良くて、写真を画像だとして 見るのではなくて、撮影する対象物への自分の関心こそが主体となります。被写体に対する関心や 思い入れがないと黒白写真は続けられないでしょう。 黒白写真をカッコイイとかそんな考えを持っている人が私の黒白写真を見るとがっかりするでしょう。 しかし黒白写真が珍しくて価値があるなんてことはないと私は考えています。スマホのように手軽に 撮影できること。それだけなんです。

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モノクロ写真集紹介#森山大道#山下恒夫#萩原義弘 https://www.youtube.com/watch?v=uK67vrTUdyg 「ニューカラー」は何が新しかったのか?その1#ウィリアム・エグルストン https://www.youtube.com/watch?v=j7kwCOzT3L8 「ニューカラー」は何が新しかったのか?その2#スティーブン・ショア https://www.youtube.com/watch?v=UQn06_4u2rY AI画像が写真の賞に選ばれる今こそ考え直したい。「写真って、なんだっけ??」【写真の話をしよう】 https://www.youtube.com/watch?v=Nw38t_g6nGo AIの登場によって、これからの写真家が試されること。【写真の話をしよう】 https://www.youtube.com/watch?v=aR-3BA1k6tg AI写真と「ライカM11モノクローム」の話 https://www.youtube.com/watch?v=D9FvQKAVywI&list=RDCMUCfaR0r_x5jN3gOXYYBjNkkQ&index=4 このニューカラーのお話、結果的にシッポ座さんの作風に感化を受けてのリンクみたいになりましたね。 AI写真といいますか、正しくはAI画像ですかね。写真を職業としている人にはちょっと気になることかも。 モノクロ写真は当時の印刷技術に大きな制約を受けていたというのは面白い話ですね。 実は現在のデジタル写真でも、各人がお使いのPC機材によって大きな制約を受けています。 ノートPCで写真をやっている人はレンズなどに関心がないようですし、またコントラストとシャープネスの きつい画像を出してくる人はPCやモニターの性能に関心がない人が多そうです。 生成AIはプロンプトという言葉や文章での操作となるようで、画像を生成するにも言語力が必要だとかで なんとも時代も変わるものです。 生成AIを開発するには大規模言語モデルという手法でスパコンを使って行い、そして強力なGPUを多連 装装備したサーバで、電力をいっぱい食って、利用者のニーズに応えるみたいですね。あまり地球には 優しくなさそうです。(笑) 添付写真はJPEGで撮影したものです。展開ソフトはシグマSPP5。私の黒白写真は手間をかけずにやる 方向なので、皆さんの作品的な表現としての黒白写真とは根本的に違っています。 モノクロ写真と題して多くの動画やサイトがネットでも見られますが、それらのどれとも私は違うなあって 思ってます。だいたい写真撮影自体も自分の健康維持のためにやっているくらいですからね。考え方が 違って当然かと思ってます。また結果的に黒白写真も比較的健康を害さないだろうという程度でやって ますんで作品的な黒白写真には何の関心もありません。どうやら多くの誤解を与えてしまったようです。

雑

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「間違える脳」櫻井芳雄著 岩波新書 という本が人気のようです。私はまだ未読ですが。(笑) 占星術でいえばよく間違える星というのがあります。海王星ですね。私はこれが強いのでいつも 間違ってばかりいるのですが、ところがこの星があることで普通の人が考えも及ばないことを知ると いうことになるようです。 人間の脳には1千億のニューロンがあるのですが、あるニューロンから別のニューロンに伝達する 信号は、ニューロン内外のイオンの移動によって行われていて、その連続的電位差が信号となるの です。その伝達速度はコンピューター等の電子基盤に比べると数百万分の1であり、しかも伝わる 確立は3パーセントといいます。(30回に1回の確率)  脳は複雑な働きをしますがその動作はゆっくりであり不確実です。つまり脳はある程度、間違うよう にできているんですね。そしてこの脳の不確かさから、複雑性と多様性が生まれると言います。 多くの失敗から生まれる発明や斬新なアイデアは、脳が間違えるシステムであるからこそ生まれる 特徴だということです。創造性や柔軟性はコンピューターのような効率のみに最適化していないから こそ生まれ出る、ということらしいです。 冒頭に戻りますと、海王星というのは巨大惑星であり、太陽・木星・土星・天王星とならんで豊かさ を齎す星です。世の中には誰もが考えもしない天才的な発想をする人がいますが、大体は海王星か 天王星、そしてその両方を持っています。 この2つの星は常識的な星ではなく、それゆえに間違ったことばかりするんですね。(笑) でも脳の 働きを知ると、その間違いが創造性を生んでいるということになります。きわめて面白い星だというこ とになります。 コンピューターが発展して人工知能のAIとなり、それが人類を脅かすことになる。その指摘は正しい と思います。 しかしAIが発展して人類の智能を凌駕するようになるというのは、こうして考えると間違いだろうって 感じますね。コンピューターは間違えない、人間は間違ってばかりいる。間違いを犯さないコンピュー ターが人を超える創造性を持つことはないだろうということです。 しかし人工知能が発展して社会のインフラのようになりますと、それは人々が間違いを犯すことを 極度に恐れるようになるということです。人類自体がコンピューターを模倣してしまうというか、 人間がコンピューターの思考法に迎合して合わせるようになるんですね。考えてみればそれが一番 に怖いことではないでしょうか。 面白いことに世界的なネットワークシステム、つまり巨大コンピューターそのものですが、それに 挑戦する人々が出てきます。ハッカーとかクラッカーとか言われる悪い人たちです。(笑) 北朝鮮 とかロシアや中国が主にそれをやっているそうです。 そしてマイナンバーでも言われてますが、データを打ち込む時の人間のミスでも完全なコンピューター はできていないということです。ハッカーのような意図的にしろ、また人間のミスによるものにしろ、 不確かな人間の脳は、常に完全性を求めるコンピューターに挑戦し続けているということになります。

無題

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この写真はなんでもない写真ですね。私も道があるねっていう具合で軽く撮ったショットです。 ある特徴的な山(山頂が岩場で切り立っている)の麓を散策していた時に撮ったシーンなんですが、 この山の麓はかなり広くて地質学的には山体崩壊をしてできた丘であるわけです。その丘の散策 ルートを探していたんですね。 写真を撮った後で帰宅して初めて気が付いたのですが、この道が散策ルートのメインルートである ことが分かりました。この山は地元では知られている山ではあるんですが、殆どのハイカーは別の 直行ルート(頂上に行くだけの)を選んで山体崩壊の丘は歩いていないはずです。 私は登山愛好者やハイカーというよりも、やはりカメラを持って風景を捜し求める人間ですから、 この特徴的な山体崩壊の丘には人知れず興味があります。 ところでこの写真がカラー写真であったならば、もしかすればこの未知のルートを私も見逃していた かも知れません。カラー撮影であればほぼ緑一色の雑木林とありふれた山道として見逃していた 可能性があります。 カラー写真というのはとにかく色によって惑わされやすいところがありますね。色だけ見てそれだけ で終わりっていう感じですかね。なぜか早々と諦めるんです。 黒白写真となりますと、パッと見た目では何が写っているか分からないところがあって、それで写真 を細部まで見る癖がでてきます。つまり写真を読み込んでいこうという気になるというか。 シグマSPPなどの優れたソフトと高輝度モニターで見ますと、林の奥の道の詳細までも手に取るよう に見えてきます。余談を言いますと、シルキーピックスとかライトルームでは細部の詳細が見えて こなくて、それで現像をしたのち、SPPやキャプチャーワンで見ると本当の写真の実力というものが 見えてくるという具合です。もちろんMSのフォトギャラリーとかフォトXPでもいけませんね。 まあ、それはどうでもいいんですが、カラー写真というのは実際には黒白写真なんかより多くの情報 があるわけですが、鑑賞者は色に惑わされて写真を深掘りすることをしないんですね。たぶん。 その点、黒白写真は解像力とシャープさだけはカラーには負けませんが色情報がありません。 もとより少ない情報量という負い目がありますから、確りと見ようという癖が付くのだと思います。 この違いは大きいような気がしていますね。カラー写真ではどうしても安易な見方になるではない ですかね。とくに彩度やコントラストがきついカラー写真は長く見ようという気がしませんしね。 カラー写真と黒白写真の違いというものを改めて考察しているんですが、なかなか難しいなって 思います。とにかく私としては大昔に習得した習慣でもってモノクロ写真には違和感がなくて、きっと このままずっと黒白でやれるかなって思うほどです。(笑) 注文していたペンタ用シグマ10-20が入って来ました。ペンタ純正レンズは中古も少ないんですけど サードパーティ用はあったので手に入れることができました。これでシグマレンズで広角ズーム、 標準ズーム17-50、望遠ズーム50-200と3つ揃いました。私としてはこの実用レンズで十分でして、 やはり黒白写真はローコストでいけるなあって思います。もうひとつマクロ機能付きの17-70があって マクロレンズとして利用できるかなって考えてます。(超音波レンズではないのでMF利用で) モノクロカメラはISO感度能力が高いので収差が気になれば絞れば解消するでしょう。もともとシグマ は廉価レンズでも解像力がありますのでモノクロカメラには合っていると思ってます。 こうしてみると私はこのカメラをペンタックスではなくシグマのカメラような感覚で使っているような気が してます。以前は愛用していたシグマのカメラ、今は使ってませんからね。やっばり現像がしんどかっ たですから。 そして改めて思うに、シグマを長らく使っていたのは、身に着いていた黒白写真の感覚がシグマに 向かわせたのだと今になって知りました。 シグマフォビオンと言えば、フィルムのカラー写真感覚という思い込みをしている人が多いと思いま すが、今思えばあれはどう考えても黒白写真感覚のカラーカメラでしたね。 フォビオンカメラは優れた写真が撮れるのですが、その現像にあまりにも時間が掛かりすぎ、使う ことができなくなりました。しかしSPPはGPUで現像ができるので、最近の高性能GPUを使えば現像 時間を短縮することができるかもしれません。 シッポ座さんのセルフポートレート、面白いですね。これを見て相当にオシャレな人だと知りました。 なによりセンスが良いですね。やはり東京の人(私の感覚では関東一円は東京)は違うなと。(^^ゞ 

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再度、当初のJPEG撮影に戻ります。今度はシグマSPPでの画像展開、少しのコントラストとシャープ ネスを追加したのみ。書き出すとデータ量は随分と落ちました。しかしSPPで見る生のJPPEG画像の 解像力とシャープさには驚くほどです。さすがシグマ、と言う感じ。TEFF保存すればデータ量が落ちる ことはないでしょう。 つまりJPEG撮影をし、そして同じJPEG閲覧&処理でも、ソフトウェアによって見え方が違ってくると いうことですかね。 同じJPEGならば何のソフトで見ても同じとはならないようです。そりゃあそうですね。PCとモニターに よっても違ってくるのだから、ソフトウェアでもそれがあるはずでしょうから。 モノクロ専用機は今のところ、ペンタックスとライカのみです。他の機種やメーカーにも波及するのか どうか。それは全く分かりませんが是非にキヤノンやソニー、二コンなどにも専用機が出で欲しいなっ て思いますね。 そうは言っても、私の場合、たまたま黒白カメラが出たから使っているだけでモノクロームに対して そんなに思い入れがあるほうではないです。昔の自分の写真を思い出した、というくらいの関心の レベルでしかありませんね。 黒白写真は狭き門ですね。殆どの人がこの部門には関心を寄せないはずです。百人中、4~5人の パーセンテージだろうと思いますよ。黒白写真に何らかの関心を示すのは。 黒白写真は都会の撮影が似合うという気がします。人工物のほうか黒白で分かりやすいからです。 そして人物が入っているのも黒白写真らしいですし。

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モノクロ写真の良さは、写真を長く見続けていることができるとい点。そして詳細に見て実際の光景への 想像が働くということです。モノクロ写真はやはりプリントが良いです。しかしモニターで見てもモノクロ はカラーよりも眼が楽で負担が少ないですね。 そして実際の撮影時の記憶をモノクロ画像を重ね合わせれば、モノクロだからといって平坦なものでは なくなり写真は生き生きとするということです。 ペンタモノクロームは2500万画素のカメラですので投稿する画像は随分と間引きすることになります。 この写真も本当はもっと詳細に写っているわけです。 モノクロ表現として、粒子感を出したりノイズを加えたりすることで表現としての面白みを出すこともでき ます。そういうのはフィルム時代からありましたね。写真をさようならの森山大道は有名です。 モノクロ写真も慣れてくればそういう表現も面白いのですが、とりあえずはまだデジタルモノクロームの 初歩ですので精密写真で行きたいと考えています。 ピクセル等倍で見ると、安物のレンズで撮っているわけですが、極めてシャープです。使っているレンズ はシグマ17-50がメインで廉価品の部類になります。このレンズ、こんなにシャープに写ったかな?と 思うほどです。そういえばその感覚はシグマフォビオンでもあったことですね。 センサーが優れているとレンズをカバーできるというか、逆に申せばカラーベイヤーのカメラはとにかく レンズにお金をかけないといけなかったわけですが、ペンタモノクロームはレンズを気にしなくてもよい わけです。 そういうことを言いますと、実はフィルム時代でもモノクロ写真だけだとレンズは安物で十分だったわけ ですね。レンズ沼だなんていうのはカラー写真だからです。白黒写真にはレンズ沼はありません。(^^ゞ  なるほど、機材沼だなんていうのは写真がカラーだからなるのであって、黒白写真だけだとほんとうに シンプルで澄むわけです。 シグマ17-50F2.8、シグマ50-200.シグマ10-20F3.5、この3本で十分だと感じました。私はペンタファン ではないのでペンタレンズは不要です。そういう意味でも黒白写真はローコストで済むということになり ます。 それは黒白センサーが純粋にシャープであり無理なく写るからですね。カラー写真のような大げさなこと をしなくてもすむからです。 またモアレが出にくいのもモノクロカメラの良さですね。 次はフルサイズカメラでモノクロJPEG撮影に挑戦しようかなって考えています。高画素カメラのほうが よいかも知れませんね。やり方としてはモノクロJPEG+RAW撮影です。基本的にモノクロJPEGしか 見ません。そしてどうしても高精度に出したければRAWからモノクロ現像すればよいわけです。

PENTAX K-3 Mark III Monochromeで撮った写真の話題

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