メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/40sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 4000 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (1.69MB) |
撮影日時 | 2024-06-29 00:44:25 +0900 |
いつの間にか、冬というような季節となってしまいました。冬とは申しても、こちら瀬戸内は年中暖かく、
今も秋の延長という季節であって、いわゆる冬は無くて、やがて春になるという感じです。
それで、夏が恋しいという季節になったな、というところですか。(^^ゞ
相変わらず時間に追われる生活をしていて、じっくりと写真撮影をすることができません。
写真趣味とは、やはり本当に贅沢な趣味なのであって、時間的、金銭的な余裕というものがなければ
出来ないのだと、つくづく思います。
とにかく、撮影という事にかこつけて、野山を歩くことが今の私の写真に対する考え方の全てです。
ORCAMさんは、ことデジタルカメラ趣味ということでは大変に頑張っておられるのではないですか。
一番に大事なことは、とにかく撮影に出かけるということ。カメラを持って出かけて、カメラを手に撮影を
するということ。そういうことではその撮影量、撮影頻度ということでは、氏は掲示板の中では随一の人
だろうと思います。
得られるものが写真であろうが、画像であろうが、そんなものは2の次なのであって、まずは撮影です。
そして歩きです。これか一番に大事なこと。
ただ少し気になることがあって、絵がキツイです。コントラストが高いということ。これは多分、白内障が
きているのかな?という気がします。明暗度が暗いというのも、そう。
あまりPCモニター像を見すぎるのも問題かなって感じます。眼は大事にしないといけませんね。
良く撮影するということでは、スラムさんも撮影を多くこなしています。ただ少し残念なのはスマホでの
撮影であって、これは電磁波が大きくその被害を受けてしまいます。コンデジでよいからカメラで撮影
するのが写真としては本当かなって感じます。
久しぶりにキヤノン板のS9000さんの写真を、そして有益な論評を拝見しました。やはり知的能力の
高い人でないと、本当の写真をすることは難しいのではないかと思ってしまいます。単なる画像趣味で
はなく、きちんと写真をするということは、これは一般の人にはかなり難しいのかも知れませんね。
「スズメは減っているか? 」
https://photoxp.jp/pictures/230958
スズメが減って、セキレイをよく見かけるのですが、ではなぜスズメが減少しているのかは長らく疑問
だったわけです。このS9000さんのお話で疑問が氷解したように気がします。
スズメが営巣できない住宅や、機械化農法による稲作の刈り入れ手法の変化は納得ですし、なるほど
生活ゴミのそれも多少あったのかと。
これで思い出すのが、瀬戸内の海の漁獲量の大幅減少のことです。瀬戸内法、瀬戸内海環境保全
特別措置法によって、海がキレイになりすぎて栄養値が乏しくなり、逆に魚が住みにくいようで、それで
昔と比べて漁獲高が大きく減ってしまいました。特に備讃瀬戸では壊滅的な有様となっています。
それで最近はその措置法の一部を改正する方向になってきているようです。
白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき
水清ければ魚棲まず。綺麗すぎる水の中では、魚は生きられない。江戸中期、白河侯松平定信が行なっ
た「寛政の改革」が僅か6年で幕を閉じたのは有名な話です。
要するに、綺麗ごと。これが蔓延すると返って世の中は駄目になってしまう。最近ではその綺麗ごとが
世間を席巻したのはご存知、コロナパンデミックとワクチンブームですかね。またネットSNSでも綺麗ごと
の押し付けがままあるようですし。
建前論ばかりの綺麗ごとが流行るのは、つまりは現在が思考力が減退した時代になったというわけ
でしょうか。時代の劣化現象とも言いますが、知的思考能力の乏しい人ほど、これに飛びついてしまい
ます。
現実の世界は極めて複雑でありそれを読み解き解決するのは至難の業なのですが、綺麗ごと蔓延の
風潮はそれを一切パスしてしまいます。
もちろんそれで上手く行くはすがないのですが、綺麗ごと人間にはそれが見えません。あげく残念な
結果になるのが落ちです。
こと、写真に於いても、綺麗ごと、建前論に染まる風潮が昔からあるわけですが、それはそれ、人々にはその能力に様々な段階があるわけなので、今更とやかく言っても始りません。
結果としての写真画像やコメントはともかく、こと写真においては、まず撮影をするという能動的な身体力
の発揮が何よりも大事だというわけです。
どんな画像をたたき出そうとも、人はその撮影において、とにかく身体的には頑張っている。ということ
です。勿論、身体プラス思考力の高まりが出来ればこれに越したことはないわけですが、多くを望むこと
は現実的ではありません。
撮影に望んで、その対象物を絞るということは大事ですね。S9000さんも野鳥撮影に限定して注力されて
います。いま自分が必要とする対象に写真を限定するということは、その写真の質を高めることになる
わけでして、この絞込みは有効ですね。
そして写真は絵作りではなく、自分の視力の延長線上で捉えるのが最も有効であって、キレイすぎる絵を
求めるあまり、自分の視点が定まらないというのでは写真とはなりえません。
写真を鑑賞する側からすれば、こういう写真を見て、自分もそういう写真を撮ってみたいとか、そういう
光景の場に自分も行って見たいとか、さらにはこの写真のような人に会ってみたいとか、そういうイマジ
ネィション掻き立てられる写真画像が求められています。
それこそがリアリティのある写真なのであって、ただ単に画像的に美しいとか、構図がキレイだね。という
のでは、それは絵遊びの段階なのであって、写真を鑑賞する側にとっては面白くないのです。
絵遊び画像でも、その現場では撮影者は身体を動かして頑張っているだろうとは一応は想像できるので
すが、でも、ああ、そうですか。で終わってしまうわけですね。
とにかく、久しぶりにS9000さんのお写真を見せていただき、私としても写真のやり方を少し思い出した
ような気がしています。
写真なるものを、鑑賞する側の視点で考えてみるというのも、これはこれで大事かなって思います。
撮影する側では、とにかく撮影だ。歩いて撮影することが健康の維持に結びつくわけだから、撮影一本
で良いわけです。しかし鑑賞する立場の人達の思いを馳せることは、これは言うなればプロ作家の視点
を持つということです。
そういう場合に、一番に大事なことは、既に述べましたが、徹底的に撮影する被写体を絞り込むことで
はないかと思ってます。テーマ意識ですね。
そのテーマというのは、表現ではなくて探求でないといけません。よく、色んな表現を履修して、自分は
写真のレベルが高くなったとか、写真表現の引き出しが多くなった。という風に思われている人がいる
かも知れませんが、鑑賞者側から見ると、そんなものはどうでもよくて、とにかく観る側の立場からすると、
何はともかくリアリティなんですね。リアルでないと訴えかけてこないわけです。
リアリティということは、自然であるというこです。あるがまま、ということ。
人様の写真をみて、やはり良いなっていうのは、肩肘を張らずに自然な雰囲気の写真なんですね。
その反対に我を全面に押し出したているような写真はパスですね。スルーですか。