メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 6D |
ソフトウェア | DxO PhotoLab 4.1.1 |
レンズ | EF24-105mm f/4L IS USM |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | シャッター速度優先 |
シャッタースピード | 1/395sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 400 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (920KB) |
撮影日時 | 2013-08-28 13:58:56 +0900 |
イギリスの田舎の駅にて撮影。
ここらの投稿で、カメラは7D、7Dマーク2、6D、6Dマーク2と続いているわけですが、画質の点からのみ
見てますと、旧タイプのカメラのほうが優れているように思えてきます。もっとも最新のミラーレスカメラと
なるとまたまた逆転するのかもしれません。
最近はカメラなんてもう何でもいいかなって考えるのですが、やはり実際に使っているとカメラやレンズの
微細な違いというものは私も気になるようです。(笑) ここらは機材マニアの性とでもいいますか。
良くよく考えてみると画質というものは不思議なもので、どんなに優れたカメラやレンズにしても実在する
被写体には敵わないはずなのです。そういうことでは全ての写真画像は偽物なのですが、その中でも
優劣を決めてしまうというのは、これはいったい何なのでしょうかね。(笑)
写真そのものは当然ながら絶対的に被写体が握っているわけですが、その被写体の存在感を表現する
にはやはり画質というものが第二儀的に大きな意義を持っているということなのでしょうか。
この世の中には数多くのカメラやレンズという機材が存在し、かつ優劣の階層を作っていることを思えば
そういう考えは私だけではなく全てのカメラマンがそう考えているということかもしれません。
しかし本当に大切なことは出来上がった画像ではなくて、自身が撮影していたその場のリアルな状態で
あって、その場の眼で見た裸眼世界の記憶こそが一番大切なことではないかと、最近は私もそう思える
ようになってきました。
それは写真画像と記憶画像の相違とでもいいますか、本来写真とは自分の記憶画像を補強し記録する
ためのものであったからです。しかしながら同時に写真は他者に伝える表現画像でもあるわけなので、
そこらに大いなる写真性の属性的な矛盾をはらんでいるわけですね。
たぶん画質は、そこらへんに大きく関わってきているようにも思えます。
自分が撮った写真を、まず最初に自身でPCモニターで見る瞬間から、この画質の罠にかかっているよう
な気がしています。(^^ゞ これを解決するには撮影だけをして、後は見ないという方法しかないのですが、
それが本当の写真行為なのかどうか、私には分かりません。(笑)
他者が撮られた写真を鑑賞する場合、できるだけ撮影者のその場のリアルであろう雰囲気を想像しなか
ら最近は観るように心がけています。つまり画質画像をみるのではなく、想像画像を得たいということかも
しれません。その想像画像とは撮影者本人の記憶画像そのものになっていれば最高かなって思ってい
ます。
そしてこれが出来るのは、鑑賞者である私も同時に撮影者であるからでしょうね。
写真のことをあまり知らない一般の鑑賞者は簡単に写真画像に騙されてしまいます。有名な観光地を
撮影した観光写真を見て、それで実際に観光地に行くとがっかりした。あの写真は嘘っぱちであったとい
う話はよく聞きます。(笑)
写真の構図やレンズのデフォルメで、さらに画質によって、実際の光景よりも大きく立派に見せることは
難なくできるからです。一般の人々はたやすくそれに騙されてしまいます。
綺麗な写真、立派な写真はまず疑ってかかって見よ、ですか。(笑)
そして綺麗すぎる写真は他者だけでなく自分自身をも騙している。そういう気がしています。多くの写真人
はこれに引っかかってしまっているように思えます。そしてこれには例外がないような。
経験上、高級な機材を奮発するユーザーはどうしてもこの罠にかかってしまうような気がしてなりません。
私は経験主義者なのでそういう実例が気になってしまうんですね。それはやはり画質の作用だろうと考え
ています。もちろん他の性能、AFとかブレ補正や高感度特性などもそうですけど、それらも全て最終的に
は画質に収斂していきます。
こういうカメラを使えばまず撮影に失敗はしないよなあ、とか、このレンズを使えば何でも綺麗に見えて
写真になるじゃないか、というような機材はあるわけです。しかしそういう機材に撮影者本人がまず騙され
てしまう。どうもそのように思えて仕方がありません。
Kazさんは高級機や高級レンズを使いません。5D系は使わないし24-70F2.8も使ってません。ワンランク
落とした機材を使われています。一般の方から見れば高級機材を使われているわけですが同業趣味人
から見れば、敢えて落とした機材を使っているように見えます。純正ではないシグマレンズも多用されて
いますし。( ここらは米国と日本の考え方の違いがあるようにも思えますし、何よりも日本は機材が安く手
に入りますから)
ここらのセンスと言いますか、そういうやり方がベストかベターか、結果として正常値を保つコツなのでは
ないかと思えてきています。それはカメラ機材だけでなくPC/モニターに於いてもそうだろうと思います。
日本人は凝り性の文化があるようで、どうしても行くところまでいってしまうようなところがあります。そして
最後は自分を見失ってしまうのかもしれません。そしてこの掲示板で一番元気なのは廉価機材を使われ
ている方ですね。彼らは自身を見失わないでいます。
これには本当に考えさせられるわけです。もしかすれば人と機械の、進化の相克ということがあるのかも
しれませんね。