1 gokuu 2009/6/3 07:47 東大寺には何度か行きましたが、この古いモノクロ写真が気に入っています。フィルムスキャンなので、データが有りません。その上古くて記憶も定かでありません。おぼろげな記憶を辿れば次のような撮影データかと?カメラ MinoltaflexⅡ 二眼レフレンズ F3.5 焦点距離 75ミリ絞り f4シャッター 1/25sec.ストロボ 使用なし。フィルム 富士ネオパンSS ブローに6×6感度 ISO 100位だったかと思います。
東大寺には何度か行きましたが、この古いモノクロ写真が気に入っています。フィルムスキャンなので、データが有りません。その上古くて記憶も定かでありません。おぼろげな記憶を辿れば次のような撮影データかと?カメラ MinoltaflexⅡ 二眼レフレンズ F3.5 焦点距離 75ミリ絞り f4シャッター 1/25sec.ストロボ 使用なし。フィルム 富士ネオパンSS ブローに6×6感度 ISO 100位だったかと思います。
2 chobin 2009/6/3 20:37 こんばんは モノクロの大仏さん いいですねフィルムだとかなり年月たってもこうやって見れますねたぶんデジカメデータだといくらDVDに焼いても無理だと思います。ミノルタフレックス手元に有るならまた再開したらいかがですか?
こんばんは モノクロの大仏さん いいですねフィルムだとかなり年月たってもこうやって見れますねたぶんデジカメデータだといくらDVDに焼いても無理だと思います。ミノルタフレックス手元に有るならまた再開したらいかがですか?
3 バリオUK 2009/6/3 20:40 いつごろの写真ですか?昔撮った写真の絞りやシャッタースピードを覚えているなんて、信じられません。二眼レフを使うような人ならそれくらい覚えているものなんでしょうか?ミノルタが中判カメラを出していたなんて、知りもしませんでした。低いアングルから、柱の間を覗くような撮り方が印象的です。二眼というのも、腰の辺りで構える形になるのでしょうか?
いつごろの写真ですか?昔撮った写真の絞りやシャッタースピードを覚えているなんて、信じられません。二眼レフを使うような人ならそれくらい覚えているものなんでしょうか?ミノルタが中判カメラを出していたなんて、知りもしませんでした。低いアングルから、柱の間を覗くような撮り方が印象的です。二眼というのも、腰の辺りで構える形になるのでしょうか?
4 gokuu 2009/6/3 22:59 chobinさん こんばんは〜〜撮影年月を記載しませんでしたが、昭和30年前後だと思います。フィルムフォルダにも記載が無く確かでは有りませんが。このカラを買ったのは昭和28年頃で、当時は月給が1万円以下。カメラが欲しくて小遣いを節約して中古を2万円で買った記憶があります。考えてみると高い買い物でした。このカメラは記念に今も保存しています。皮のケースに皮のカメラバッグに入れたまま。それが仇になり、レンズに黴が生えて今は使い物になりません。バリオUKさん↑にも書きましたとおり、昭和30年ごろです。東大寺はその後大改修が行われましたが、それ以前の撮影です。昔はすべてMFで露出計も持っていなくて、露出はフィルム感度だけを頼りに、すべて勘で決めていました。モノクロフィルムの露出感度範囲は広く1メモリぐらい違っていても現像で何とかなっていました。そんな訳で、撮影場所と背景や光線の具合で絞りとシャッタースピードは写真を見れば大体判ります。ミノルタは中判カメラは作っていなかったと思います。それより以前のものです。仰るとおりカメラは胸か腹の辺りで構え上から覗いてピントを合わせる方式のため常にローアングルで撮影していました。当時二眼レフで最高品はローライコードでした。今は、そのミニチュアスタイルのデジカメが発売されています。現物を見ていませんが二眼レフとして使用出来るかは?です。なお、このカメラの現物を保存していますので、以前撮影したこのカメラの画像があります。後程、投稿しますのでご覧ください。
chobinさん こんばんは〜〜撮影年月を記載しませんでしたが、昭和30年前後だと思います。フィルムフォルダにも記載が無く確かでは有りませんが。このカラを買ったのは昭和28年頃で、当時は月給が1万円以下。カメラが欲しくて小遣いを節約して中古を2万円で買った記憶があります。考えてみると高い買い物でした。このカメラは記念に今も保存しています。皮のケースに皮のカメラバッグに入れたまま。それが仇になり、レンズに黴が生えて今は使い物になりません。バリオUKさん↑にも書きましたとおり、昭和30年ごろです。東大寺はその後大改修が行われましたが、それ以前の撮影です。昔はすべてMFで露出計も持っていなくて、露出はフィルム感度だけを頼りに、すべて勘で決めていました。モノクロフィルムの露出感度範囲は広く1メモリぐらい違っていても現像で何とかなっていました。そんな訳で、撮影場所と背景や光線の具合で絞りとシャッタースピードは写真を見れば大体判ります。ミノルタは中判カメラは作っていなかったと思います。それより以前のものです。仰るとおりカメラは胸か腹の辺りで構え上から覗いてピントを合わせる方式のため常にローアングルで撮影していました。当時二眼レフで最高品はローライコードでした。今は、そのミニチュアスタイルのデジカメが発売されています。現物を見ていませんが二眼レフとして使用出来るかは?です。なお、このカメラの現物を保存していますので、以前撮影したこのカメラの画像があります。後程、投稿しますのでご覧ください。
5 バリオUK 2009/6/4 00:52 あっちゃ〜っ、ほとんどタメ口も同然だったのに、それだったら親父より年上ですね。詳しいレスありがとうございます。
あっちゃ〜っ、ほとんどタメ口も同然だったのに、それだったら親父より年上ですね。詳しいレスありがとうございます。
6 gokuu 2009/6/4 07:38 (^▽^)アハハ歳がばれましたか。それにしては上達していないと言われそうや。(‾‥‾;)
(^▽^)アハハ歳がばれましたか。それにしては上達していないと言われそうや。(‾‥‾;)
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