土器川
ありました。河の隅っこに、せせらぎの川筋が。 これより後ろ側には淀みがあって木々が茂り、そこだと深いので泳げそうな気がする。 と言うか、狭すぎるので冷泉に浸かるという感じか。(^^;
ありました。河の隅っこに、せせらぎの川筋が。 これより後ろ側には淀みがあって木々が茂り、そこだと深いので泳げそうな気がする。 と言うか、狭すぎるので冷泉に浸かるという感じか。(^^;
県内唯一の1級河川の土器川ですが、こちらは言わば川の「表側」です。 つまり現在、水が流れている方の本川筋ですね。橋の上からの撮影。 水はちょろちょろとしか流れていませんが、河幅はかなりあると思います。 向こうの連なった雑木林も実は河川敷地内でして、古い川道に自然に 木が生えてしまって森になっています。今は遊水地の役目くらいしか果たして いないようですが、河川の一部であることには変わりありません。
そしてこちら側は、川の「裏側」というべきかも知れません。 以前の川筋だったところが、今は寸断されて放置され、このように水の 「たまり」になっているんですね。 川筋は自然任せですから増水時にどちらに向いていくかはわかりません。 こういう放置されて水たまりとなったところで、昔は子供たちが水遊びを していました。けっこう深かったりするので危険なのですが水は比較的 綺麗なのです。 この写真のたまりはやや水は淀んでいますね。それでも常に地下水から 常に新鮮な水が供給されているはずです。 この土器川は上水流は僅かですが、地下水流の方が多く、河川の両側の 田地では地下水組上げのポンプ設備があり、今時の田植え時は水を 大いに汲み上げています。 記録としてそういうも写真に収めたりしています。 手前の石垣は川の流れを減衰する止め石の堤防ですね。現在は川筋が 変わってしまったのでこのように何の意味も果たしていません。まっ、この 石垣のお陰で容易に水辺に近づけたので撮影は楽でしたが。(^^;
田んぼと溜池の間の細い畦道。落ちないように。
これも夕陽も眩く雑草です。
当方の最近の撮影。もうこんなのばっかりです。(^^ゞ 私は雑草が案外好きなのだとわかりました。
天然林です。と言いますか、天然自然の状態を長く保存している社叢(神社の森)です。 真上を見上げると、もうビッシリと枝葉が密集して太陽の光を奪い合っています。
撮影地は高松市、屋島山頂公園です。徳島では眉山に相当しますかね、都市の中にある 小山の観光地です。けっしてイノシシパークではありませんから。 海に向かって撮影していたら、なんとイノボウ兄弟が出てきてそこらの草を食い始めました。 ぜんぜん人見知りせず、観光客の中を走り回っていましたし。 この兄弟が大きくなって数十キロの大人イノシシになっても、こんな風にするのかな?とやや心配。(^^;
釣り人に聞くと、タヌキが堤防の石垣の中に住み着いているそうです。 里山のタヌキならぬ里海のタヌキです。(^^; 釣り人達が不要の魚をやっているとか。そういえば石垣の堤防の上にまとめて 集まった獣の糞がありました。(^^; 魚ばかり食っているようで、古い糞は白く変色していました。
多分、キジだと思うんですが・・・。 この後、鳥なのに飛び立たずに、のそのそと藪の中を歩いて消えていきました。 大きい鳥は直ぐに飛び立つことは出来ないのだと納得。(^^;
「一耕人氏のつぶやき」から・・ http://photoxp.jp/pictures/164480 >何でもかんでも見境なく撮っていていいんだろうかと疑問が湧き出て・・ >知人の写真屋さんに、「暫く広い風景を撮り続けてみろ。写真が変わるから。」と言われ・・ これって、なかなか考えさせられますね。 それはどういうことかというと、今のデジイチって何でもかんでも撮れる万能機だと いうことです。逆に言うと、何でもかんでも簡単に撮れるカメラを使っているから、 スランプに陥るっていうことじゃないですか? 私のケースでは、しばらくデジイチは使わなくて、コンデジやミラーレスばかり使って いたんですね。そうすると必然的に撮影は風景とか静物ばかりになります。 期せずして上の写真屋さんの勧めるような写真ばかりになってしまったわけですね。(^^; デジイチを使うのを止めようと決心したのは個人的な問題ですが、カメラの電磁波 に耐えられなくなったからです。 私としては、デジイチの撮影は面白おかしく楽しくて、できればそのまま続けたかった のですが、身体が勝手に拒絶してしまったわけです。こういうのも一種のスランプなのかも しれませんけど。 それで比較的被害は少なかろうと言うことで、コンデジ・ミラーレスというわけですよ。 ただし、最近はデジイチをもう一度使ってみたいとは思ってます。 コンデシミラーレスというカメラは軽すぎて、それであまり撮影時の運動にならないんですね。 それで体力を大分落としたなって思って、(今年の3月の長引いた風邪引きには参りましたから) もう一度デジイチ復活って考えています。 そこで、デジイチはライブビュー撮影で行っているんです。 デジイチのライブビューとは、要するにミラーレスカメラと同じです。ただカメラが重く なるだけ。私の場合、携行するカメラは2キロ前後のやつが良いんです。それくらいの 負荷を腕にかけて歩かないと体力が付かないということに気付きました。 とにかくデジイチの標準撮影スタイル(眼前カメラスタイル)では絶対にやりません。 昨年はデジイチを三脚でもって使ってやろうと考えたのですが、どうも三脚スタイルでは 運動になりませんですね。(^^; 使わない三脚ばかり増えたのですが、でも三脚は 今でも好きで部屋に飾っています。まあ、精神的なものですかね、三脚は。 とにかくデジイチ復活の決め手は、ライブビュー撮影だったというわけですが、 この撮影スタイルって、きっと長く写真をやってきた人ほど違和感があるでしょう?(^^; でも撮影時のホールディングでは、光学ファインダー撮影よりもライブビューの方が 腕力を要しますよ。上腕筋を鍛えるにはいいです。 既にコンデジミラーレスでライブビュー撮影に慣れた私には、デジイチでのライブビュー 撮影にも既に違和感はなかったのです。慣れというのは恐ろしいものですね。(^^; それで話を本題に戻しますが、万能機のカメラほどカメラマンから何か大切なものを 奪ってしまうのではないか、ということです。 それで不便で機能が制限されているカメラほど、もしかすれば、カメラマンにとっては 良いカメラといえるのかな?っていうことですかね。 ところで・・ 青葉祭りの写真。いいですねぇ。私も昔はイベントカメラマンでしたので、撮影時の 楽しさはよく分かります。 こういう動態撮影はライブビューでは無理です。EVFを使ってもダメでしょう。 光学式ファインダーの秒間8コマ以上撮影できるカメラが望ましいです。そういうカメラ を2台持って、標準ズームと望遠ズームを着けっぱなしにして、汗をかきながら踊り子 さんと同じような運動量でもって撮影に当たるっていうのが正式な撮影法ですね。(^^; しかしイベントメラマンの寿命は短いです。早々と撮影メンバーが入れ替わりました からね。もちろん私もとっくに引退していますから。 ※この撮影はライブビューというよりも、ノーファインダー撮影です。カメラを持った手を 差し上げての撮影。 ノーファインダー撮影はイベントカメラマン時代によくやりました。撮影の1/3くらいは ノーファインダー撮影だったかもしれません。ノーファインダー撮影の良いところは瞬時に 撮影ができること。スナップ撮影ではこれが絶大で、そもそもカメラを眼前に構えても カメラは顔に密着させずに撮るのが素早い撮影のコツだったんです。 ファインダーなんて見ているようで見ていないというくらいで、見る前にレリーズっていう 感じでしたかね。 結局その撮影手法は、私のイベントカメラマンの寿命を伸ばしたようです。 この車の撮影でも数ショット、ノーファインダーで連続して撮影しましたが全てピントも枠内 にも合っていました。たぶん身体が覚えているんでしょうね。 ホンダのF1カーです。初期のモデル。12気筒横置きエンジンです。撮影時はエンジン をかけて爆音状態です。 最後に・・ 写真屋さんいわく、「広い」風景を・・というのは、今の私には実によくわかります。ホントに。 ランドスケープとでも言うんですか。私も今それを追い求めている最中だからです。 ただの風景じゃなくて、地球が見えてくるような光景。 私がそういう気分になったのは、おそらく一眼レフのファインダーを捨てたからかも 知れません。 ライブビューの背面液晶だなんて、とてもじゃないけれどファインダーとは言えません。 真ん中のピント位置とフレーム枠が確認できるだけのシロモノです。 実はねえ、改めてデジイチの光学ファインダーを覗いてみると、あれ?こんなにせせこましく チンケなファインダーだったっけ?という印象しかしないんです。 昔はそのファインダーの世界が全てだったんですが、こんな世界に自分が閉じ込められて いたのかなあって今になって不思議な気がするんですよ。 こんなんだったら背面の液晶を両眼で見る方がまだマシじゃないかと。 多分、その写真屋さんが言うのは、一耕人さんに限らず皆さん、その狭いファインダー の世界に閉じ込められているわけで、それで本当の世界が見えていないからこそ、 広い風景の撮影をすれば?って助言されたのかなあって考えています。 デジイチの光学ファインダーというのは確かにカメラのパーツとしては優れています。 しかしただそれだけです。人間の心のなかにあるファインダーの大きさには敵いません。
タバコの花です。まだ蕾ですがこれからピンクの綺麗な花を咲かせます。 最近は香川でもタバコ栽培の農家はめっきり少なくなりました。
http://photoxp.jp/pictures/164239 ここでyouzaki氏がレンズ沼の怖さを書かれていますが、私が思うにこれはレンズ だけの問題じゃなくて、カメラ機材全般への断ちがたい欲望がそうなんだろうと 思います。 もっと言えば単に物欲だけじゃなくて、写真やカメラへの依存症が問題なんだろう ということですかね。 依存症と言えばやわらかな表現ですけど昔はズバリ○○中毒って言いました。 新しい機材が欲しいという中毒。これと同じように機材の話は別にしても、写真を どんどん撮り続るのも、やはり中毒的な要素を含むのかもしれません。 この2つは違うもののように思われるかも知れませんが、根本は同じで両方とも 中毒症状だっていうことですね。 この中毒による撮影と、正しく積極的な撮影との違いっていうのは、これは当然に 違うものです。ただその線引は難しいです。 もちろん機材物欲の場合は、だいたいは中毒と言っていいかな。(^^; ではなぜ人は中毒、依存症に罹るんでしょうかね。これを詳細な原因を分析して 言える人はまずいません。しかし結果には必ず原因というものがあるはずで、その 原因に多少でも言及できれば、依存症対策は多少は可能であるということです。 話は唐突に変わります。 非常によく写真を投稿している活発な掲示板というか、カメラメーカーとしては、 キヤノンとペンタックスがありますね。私はペンタックスのことはあまり知らないの ですが、キヤノンは多少は分かります。 例えばニコンとキヤノン。この2つはよく売れているカメラだと思うのですが、掲示板 の投稿数では圧倒的な違いがあります。 キヤノンとニコン。機種によって違うのですが全般的に申せば、そのファインダーは キヤノンの方が優れている、というか、見易いのです。それはニコンはファインダーに 液晶が挟まっていて、キヤノンほどクリアに見えないのですね。 キヤノンが見易いのではなく、むしろニコンが見難いわけです。 出てくる絵はキヤノンもニコンも同じで優れているのですが、とにかくファインダーが 違います。ちなみにニコンはバッテリーを外してファインダーが暗くなればそれは 液晶が挟まっているタイプです。 とにかくこのファインダーの見やすさの違いが、ニコンとキヤノンの投稿数の相違と なって現れているのだろうと私は考えています。 明るくクリアなファインダーはユーザーを夢中にさせる。そういうことではありませんか。 それでファインダーのことを言えば、ミラーレスカメラやコンデジは最悪っていっても 過言ではありません。(^^; あくまでもデジイチと比較しての話ですよ。 とにかく結論として言えるのは、ファインダーが優れていれば人は写真に夢中に なり、場合によっては自分の意志を飛び越えて依存症になるということです。 撮影に無我夢中になってしまうカメラ。それがキヤノンであり多分、ペンタックスも そうでしょうね。(ペンタ・ダハミラーを使ったカメラがありますが優れたファインダー とは言えません。ニコン並の見え方になります) そして撮影には一呼吸おいて、別な言葉でいえば比較的冷静に対処できるカメラが、 ニコンとかミラーレス・コンデジのカメラであるということかも知れませんね。 とにかく写真とは、如何にカメラのファインダーが重要性を持つかということです。 私のことを言えば最初はキヤノンをよく使っていたのですが、いつの間にかニコンに なり、さらにシグマ・コンデシになりました。無意識に写真に夢中になることを嫌って いたからかもしれません。 写真に我を忘れるということがないように、言わば自己抑制をしたカメラとしてシグマや ニコンを選んでいたのかも知れませんね。 ところで最近はデジイチをよく使っているのですが、それはカメラはある程度の重さが なければ歩き運動にならないことに気がついたからです。カメラの重さが2キロ前後 のものが私にはちょうどよいということで。 それで撮影は光学ファインダーではなく、ライブビューでやっているんですね。(^^; よく見える光学ファインダーの否定です。 もうひとつの決定的な理由として、私の場合は電磁力を避けるということもあります。 特に漏洩電磁波の強烈なペンタックスではライブビューは特にありがたいです。 デジイチでもライブビューにすれば、どんなに優れたファインダーのカメラでもミラーレス カメラと同じになるわけで、その優れたファインダーのとりこになることがありません。 私はこれまでカメラのエッセンスは、①にファインダー、②にボディ、③にレンズだと 長らく書いてきましたが、確かにカメラの恐ろしさでもその順位であろうかと改めて思い ます。 ①の光学ファインダーはその魅力でユーザーを依存症にさせるほどの威力を持っている。 ②のボデイは電磁力をユーザーにプレゼントしてくれる。③はユーザーの財布を空っぽ にしてくれる。 それで冒頭のいわゆるレンズ沼に陥らない対策としては、とにかくデジイチを避ける と言うか、厳密に言えば高級なフルサイズデジイチや電磁力の強いカメラを使わないこと、 となりそうです。 しかしここで、言うまでもなくライブビューを使えばデジイチの危険性はほぼなくなります。 最近の鉄道写真家 広田尚敬が撮影している写真を見ると、ライブビューで撮影している ようなんですね。(アエラの鉄道特集号) 広田氏は早くからデジカメの撮り過ぎる ことの危険性を言っていた人です。 もう時代はライブビューの時代になってしまっているんでしょうかね。 正直言って、自分がこのようにデジイチの光学ファインダーを否定するようになるとは思って も見ませんでした。光学ファインダーこそが写真の根本的な特別なフォースを与えるものして、 信仰に近い考え方をしていたからです。 しかしこのXP掲示板で、キヤノンフルサイズカメラを代表的にお使いの方々が、度を忘れて 重度のカメラ依存症になっている姿を見ると、過ぎたるものは及ばざるが如しの格言通りに、 良すぎるファインダーの危険性を認めざるを得なくなってしまったのです。 ※写真はシグマ古い17-70のレンズ。古いタイプのシグマなのでアンバー色が強いです。 このアンバーを画像処理で取り去るのは難しいですね。できないことはないのですが 元の画像の良さをスポイルする結果になってしまいます。 この山は600メートル。屋島と同じくてっぺんが平らになってます。金毘羅さんはこの山の 南側にあります。
偶然、目の前に来たので。
本日2016年05月05日は「大潮」なのですが、この撮影場所での潮位差を 調べますと、干潮3時59分で基準点56センチ。満潮10時02分331センチ。 干潮16時22分基準点22センチ。満潮22時38分基準点343センチとなって います。 http://gman.jp/shio/253/ 撮影時は2回目の干潮時です。それで今夜の満潮時の潮位差は、なんと 343センチ引く22センチで、3メートル以上あるのだということです。 中間を取れば上下落差は1.5メートルですけど、とにかく大潮時の潮位差は、 日本海に住む方々には信じられない落差だろうと思われます。 昨日は京都府の伊根町に行って来たんですが、独特の作りで1階が船の船庫、 上の2階が住居という漁村の光景を見てあっけにとられました。 瀬戸内ではこんなの絶対に考えられないわけです。 それで伊根町あたりの潮位を調べると、満干潮の落差は何と10~23センチ なんですね。これじゃ無いも同然で湖と変わらない。 http://www.data.jma.go.jp/kaiyou/db/tide/suisan/suisan.php?stn=T2 世の中には人知れず、色んな世界があるのだと知りました。(^^; この潮位差の、日本海側の少なさは私も最初は知らなかったのですが、zzrさんが 最初に教えてくれて興味を持って調べたという経緯があります。 写真のような子供たちの磯遊びは、もしかすれば日本海側の子供たちはあまり 知らないのじゃないかなって思いますね。子供たちにとって大潮で干上がった 海岸は宝物探しのようなものなんですね。
写真とは、本当は自然と人工の間にあって、我々はそこを行きつつ戻りつして悩みながら やっていくものだと思ってます。 常に自分の写真に納得が行かず、あーでもないこーでもないと言葉の束縛や形の それらから自由に羽ばたきたいと心底願うこと。またそういう試行錯誤の繰り返し。 それが本当の写真という行為ではないかなって思ってます。 写真はカメラやレンズではありません。同様に写真としてしたためた画像でもないと いうことです。写真には形がなく、それは我々の心に形がないのと同じです。 変化自在のこころというものが最も写真というものに近いということですか。 しかし現実世界では経済的に写真というものが成り立っていて、そういうマスプロ的な 画像や映像が幅を利かせています。それらは商品であり形(イメージ)を持ち、言葉の 思い込みをして我々をコントロールするのです。 ところで 東京五輪八輪のエンブレムマークが決定しました。組市松紋という、かなりの通好み のデザインになり他の候補とは圧倒的な投票差を見せました。 印刷の側から意見を言わせてもらうと、この色は一般特色の紺藍カラーインキと同じ です。ということはプロセスカラーで印刷することも可能ですが、圧倒的に優れたインキ の特色カラーインキでも刷ることができ、その仕上がりは素晴らしいということです。 CMYK4色インキを使ったプロセスカラーがベイヤーカラーだとすれば、特色インキとは フォビオンカラーに相当するという喩えだと如何でしょうか。(^^; ちょっと驚いたのだけど、今の日本でこれほどに優れたシンボルマークがつくられる というのは正直、驚きました。ちょっと日本も変わりつつあるのかも知れません。
私が持っている数少ないデジタルレンズのひとつ。 シグマ30ミリF1.4。ソニーでは開放でしか撮影できないのですが、シャープですね。 このレンズはキヤノンマウントですが、これと同じものをシグママウントでもあって それはシグマSD1Mで使います。 私のもっとも好きなシグマレンズのひとつです。 れいによって、APSレンズはフルサイズカメラで撮ると周辺がケラれます。
この写真もネイチャーだとしよう。切り花に虫がいますので。
最近、あまり写真があがらないので、ちょっと多目に投稿。(^^;
桜や藤も綺麗ですが、小麦の花も小さいけど綺麗でしょう。(^^;
最近の麦の栽培は昔と違って粗放農法です。できるだけ手間はかけない。 コストに見合った作り方をしています。
麦畑に何だか可愛い花が咲いていた。
軽トラとトラクターしか走らない農道を歩く。
松の花です。多分これは雄花穂。先っちょの赤いやつ。
こっちは雌花穂かな。下の広がっている穂ですね。
藤の花がでたので私もひとつ。 緑葉のなかのカンザシみたいにささやかな藤ですが。 レンズは京セラ50f1.4です。
衰退のきっかけは“AT限定免許”!本格的に復活の兆しが見えてきた「MT車」 (1/3) http://autoc-one.jp/special/2626541/ 一周して最先端、オートマにはないMT車の“超”可能性 (1/4) http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1603/07/news058.html 「常識が通じない」マツダの世界戦略 (3/5) http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1507/13/news034.html 様々なタイプがあるシフトレバー… なぜゲート式レバーは急速に普及したのか?ストレート式に戻す車種も http://car-me.jp/articles/3630/2 何年か前に、アメリカでレクサスが暴走して時速160㌔時くらいでクラッシュして4人が 死んだという事故がありました。アクセルペダルが規格外のフロアマットに引っかかって 戻らなくなり、そのまま暴走して事故を起こしたわけですが、車種によっては高速走行中 には無論エンジンを切ることもできないし、それどころかシフトレバーをニュートラルに入れ ても即座には駆動力をキャンセルできない場合があります。 フルスロットルで暴走する車をブレーキだけで止めることはまず不可能であり、ほんとに 止める手段がない!というとんでもない現実があったりするんですね。 そういう場合に、確実に駆動力をカットできるのはマニュアルトランスミッション(MT)車で あり、ニュートラルだけでなくクラッチでも駆動を切れるわけです。 先だっても観光バスが暴走し多くの被害者を出しましたが、これは逆にギアが入らずにニュートラル の状態のままで下り坂を暴走して事故を起こしました。(バスは基本はMT車ですがコンピューター 制御されている半AT車ですね) こういうのは、自動車会社が車を保護する為にコンピューター制御でドライバーの不適切な 操作をカットし、結果としてドライバーの操作を無視してしまい、重大な事故になってしまった ということなのです。車を壊さないためのコンピューター制御が返って人間を殺してしまった という皮肉な結果になっています。 AI人工知能による自動運転とか言う前に、既に今の車もコンピューターによって大きく制御 されていてドライバーが自分の意志で運転できているかと問われれば、いやそうではない のが現実だと言わざるをえないのです。 そこで今、マツダが面白いということなんですね。 日本車は北米では強いのですがヨーロッパではあまり売れてません。そこで気を吐いている のがマツダであり、また上のサイトでも分かるように、MT車に力を入れているメーカーでも あるんですね。 いま日本の車でMT車が設定されているのはスポーツカーか、低価格車だけという現実が あります。それをちょっと崩しているメーカーがこのマツダなんですよ。 高齢者のアクセルとブレーキペダルの踏み間違い事故っていうこともあってか、最近MT車が 見直されてきているみたいですが、AT車やコンピューター制御の車が本当に怖いのは車が 勝手に暴走した場合に止める手段がないというのが、本当は一番の欠点というか恐怖なんですね。 そういうことを皆さん考えずに日々車を使っているわけですが、もしもの場合に暴走車を止める 自信がありますか? zzrさんが広島に来ているとのことであり、ついこないだは北海道だったのにね、と思いつつ、 まあ、裏街道さんはそんなのいつもの事ですから大したことはないのかな。(^^; それで広島と言えば、やっぱりマツダなんです。今のマツダ、なかなか良いですね。 ※写真は古いシグマ20ミリF1.8レンズ。キヤノンマウントなので当然ながら開放でしか使えません。
80年前のレンズとは思えない写り どちらも開放です
ご無沙汰しておりました 偶然ですが、1937年製のレンズを2本入手しました 当然、どちらもノンコート
マクロレンズによる「蕩けボケ」、これが日本人には好まれるっていうことで、 でも海外ではさほどじゃ好まれるわけじゃないということだったですかね。 そういうことが少し前に掲示板で書かれていたことがあります。 この話題は、私もイワユルBOKE写真論ということで、日本人は「手抜きをする美学」が 大好きで、写真における総情報量を極端に低下させるための手法として発達したのじゃ ないかと、以前書いた記憶があります。 写真にはその画素数が大きくなればなるほど、精密で表せる情報量は巨大になる という基本的な仕組みがあります。 メーカーとしては超高画素カメラは、当然ながら高精細な描写をする為の道具として 作ったわけですから、ユーザーがそのカメラへの対抗策として、ボケ多用でもって 高精細な写真でなくしてしまったら・・・ちょっと開いた口が塞がらないということになります。 蕩けボケは別の見方をすれば、日本人はマクロレンズが大好き、ということになるのじゃ ないでしょうか。接写撮影大好きなんてすね。ボケてくるのはマクロレンズですから仕方が なくて、ピントが合う極狭い範囲しか絵にならず、他の大部分はボケの海です。 マクロ接写撮影の対象は、だいたいは花とかであって、虫とかもそうです。水滴なんかも 対象物になります。 もの凄く小さなもので、基本無害で平和な対象物です。被写体はあくまでも撮影の為の 被写体であり、ホントにその被写体に関心があって撮影しているわけではありません。 ちなみに、蝶とか昆虫とかのマニア的な撮影をされる方は、その被写体そのものに関心が あって撮っているわけですから、これは決して蕩けボケ写真を撮っているわけではありません。 同じく野鳥の撮影をされる方も、望遠レンズを使うため、被写体から外れた部分は盛大に ボケ状態になるんですが、野鳥マニアは決してボケ写真を撮りたいと思っているわけじゃ ありませんね。 ところが蕩けボケ写真を目的とする方は、ボケそのものが目的であるという不思議なところ があって、言わばボケの織りなすミクロな世界観そのものが目的であるところがあります。 自分が小さな虫になって、粘っこい空気をかき分けながら飛んで見たりとか、見上げる花の 大樹に感激したりするという、ファンタジーの世界観に浸っているというところがありそうです。 昆虫写真家は決して自分が人間であることを忘れることはありません。所詮、虫は虫だと 考えているでしょう。 実際に光学的には矛盾があって、もし自分が虫になったとすれば、その視覚度は「虫の目レンズ」 でなければ正しくなく、人間が使う長焦点のマクロレンズのボケ世界など、虫の世界には 決して存在しないものなのです。 ですから、蕩けボケ世界などというのは、人間の想像の世界だけしか存在しない世界なん ですね。現実には存在しない抽象の世界、それが蕩けボケ写真です。だから昆虫マニアは 蕩けボケ写真など見向きもしません。非現実的だから。 しかし一般的に言って、蕩けボケ写真は人気があります。一般の人はスマホでも何でも写真を 撮れる時代になっているんですが、未だに人気なのは一眼レフを使ったボケ写真であるわけ です。まあ人気というのはその程度のもので、少し写真をやった人はボケ写真だからといって 特別に意味を認める人はいません。 蕩けボケ写真を撮影する側からの視点で想像してみると、蕩けボケは暇写真だと考えています。 時間つぶしのための写真ですね。はんば写ることを拒否している写真ですから撮っても撮らなくても いい写真です。 蕩けボケのトケは蕩尽(トウジン)の意味であって、蕩けボケばかり撮っていると、多分本当に 写真を撮ることを忘れてしまうようになるでしょう。最後には写真が撮れなくなってきます。 写真が撮れなくなってくるだけでなく、写真を撮る為の自分の視点そのものがなくなってきて溶けて 霧散してしまうでしょう。 簡単に言うと、蕩けボケ写真は文字通り脳みそのボケを誘発するという気がしています。 私は正直言って、ボケ写真はものすごく危険な写真であると考えています。 ※写真は引き伸ばし機のレンズで撮影。フジ75ミリF4.5