【赤】煉瓦と大阪城
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 IXY DIGITAL 70
ソフトウェア Photoshop 7.0
レンズ
焦点距離 5.8mm
露出制御モード
シャッタースピード 1/501sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 -0.3
測光モード 中央重点測光
ISO感度
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1280x960 (803KB)
撮影日時 2008-03-02 12:56:01 +0900

1   stone   2008/3/2 17:18

大阪城の梅を見に行ったら
こんな景色に出会いました。赤煉瓦の廃虚‥

石碑があったのですが漢字が読めないので
写真で追記します(^^なんて読む?)ほうへいこうびょう、、?

http://image.blog.livedoor.jp/stone2008/imgs/d/0/d02db455.jpg

2   支配人   2008/3/2 18:23

ホウヘイコウショウですね。
詳しくはココ
http://ja.wikipedia.org/wiki/大阪砲兵工廠
こういう建物は他にも幾つかあったのです。

3   stone   2008/3/2 18:54

※支配人さん
うわ〜、、ありがとうございます。
大阪城ホールはこういう建築物をぶっ潰して建造されたんですね‥
かなんなぁ‥(><;

4   支配人   2008/3/2 20:30

子供の頃はまだ爆撃の跡が残っていて立ち入り禁止でしたね。
城ホールの辺りは憶えてないのですが、防空壕もあったり軍の色んな施設も残っていました。
梅林の辺りが射撃場でしたね。

5   AABB   2008/3/2 20:52

大阪砲兵工廠と聞くと、大村益次郎(村田蔵六)を思い出して
しまいます。懐かしいとか会ったことがあるとか、そんな気遣い
は全くありませんが、幕末から明治初年にかけての重要人物
でありました、まる。

6   支配人   2008/3/2 21:05

大村益次郎の銅像もありましたね。
大阪城は小さい頃からの遊び場でしたが、いまじゃすっかり様変わりしました。
大阪城から真田山への抜け道がある筈と信じて探しあてたと思ったら防空壕だったりで思い出深い場所です。

7   stone   2008/3/2 21:38

※支配人さん
大阪城周辺を遊び場にそたっだんですか
なんだか凄いですね。大阪市の衛星都市生まれですが〜;防空壕は秘密基地作りによく利用しましたよ。
各人お宝持ち寄って(^^;防空壕から防空壕へ‥小学生が匍匐で
ようやく抜けれるようなトンネル掘って遊びました。
今考えると、崩れて生き埋めになるかもしれない危険な遊びでしたね‥

『真田山への抜け道』、、ウケました(^^;
お伊勢参りに行けない人用に、洞窟にはいってお祈りするとお伊勢参りしたと
同様な効果がある霊所みたいなとこがある、、という話を思い出したり‥(笑
なんか遊びで近い事、やってたような記憶があります〜

※AABBさん
「大村益次郎」‥史実に凄く疎い私ですが、名前だけは知ってました^^;
その業績については、、とんと判りませ〜ん


えらい写真貼っちゃった〜、、素直に梅にしといたら軽くて済んだね^^!

8   hosozumi   2008/3/2 22:00

歴史の沁み込んだ重みのある色ですね!
明治のように時代の激動期には優れた尊敬すべき人物が輩出したんですね!
大村益次郎も私が関心を持っている一人で、元々は文人でありながら
軍隊を任せられ過酷な決断をしなければならなかった伝記に思いが。。

9   S9000   2008/3/2 22:10

 大村益次郎さん。。。一度、大河ドラマにもなりましたね。
ドラマでは女性関係が華やかに描かれたため、子孫の方々から
「うちのご先祖はそんな人ではない」という異論が出た、とい
う話があったような?兵制度の近代化を進めた人でしたっけ。
 昨年、所用があってこの付近を訪れましたが、もうちょっと
じっくり歩いてみればよかったです。
 

10   AABB   2008/3/2 22:37

どうして、大村益次郎を語る人は、特殊な語尾の引きずり方を
するのですか。。。。

一つ多くしてみましたが、どんな具合でしょうか。気遣いは
全くないと書きましたが、実は懐かしいのですよ。今の大阪
の皆さんは、司馬遼太郎とは馴染みがありますかね。

『花神』だけではなくて、司馬遼太郎は随筆等でも大村益次郎
について、色々語っておりますが。長州藩の四境戦争の時には、
実質的な参謀長兼司令官みたいな役割を担った訳でしょう。

それから先は、また後日の講釈と致します。講釈か、これは。
とって付けたようですが、今の日本に、これだけ渋い赤煉瓦が
残っていたとは、驚きです。はい、とって付けました。

11   stone   2008/3/2 23:34

※hosozumiさん
私の補正具合はといいますと、撮影原画と記憶風景とのギャップを埋めるに尽きます。
簡単コンパクトカメラの吐き出すカラーは、記憶より渋めになることが多いので(^^
ただ、補正任せにしてしまうと、リアリティが無くなる事ありますし画素の荒れもありますから
補正済み画像を撮影原画に被せて補正程度を自粛します。
この絵の場合、補正済み画像を60%に抑えて原画に引き戻しています。
この絵の補正は、明るさコントラストのみでRGB個別色調の補正はしていません。
変化の印象について言えば、空気の透明感が増していると思います。
大阪の空気はもっと白いかと思います。(^^;この絵は雨上がりの空気感ですね〜。

※S9000さん
街歩きは、時間が許せば楽しいです。実は今朝、AM9時半に難波にいました。
難波から本町経由し、中ノ島に出て、更に大阪城まで歩いたのですよ(^^; IXY持って。
この写真は今日最後の一枚。バッテリーが切れ、液晶が使えなくなり
ファインダー覗いてこれを撮りました。いろいろ撮りましたよ〜4時間くらい歩きましたので(^^!

※AABBさん
本を読むのは結構好きですが、歴史モノはあまり読んでないです〜
司馬遼太郎は『竜馬がゆく』だけかな。ちゃんと読んだのは。
20年も前の事なので、内容は怪しいですが文庫で8巻くらいでした?
3度ほど読み返したと思います。
舞台は日本じゃないけれど井上靖『蒼き狼』って話も好きでした。

>これだけ渋い赤煉瓦が

現実の乾燥した質感は、もっとうらぶれた倉庫然としています〜^^;

12   S9000   2008/3/2 23:56

 stoneさん、街歩きスナップいいですね。
私はこのところ行事撮影がやっとで、街歩きもとんと
してません。
 大河ドラマ「花神」も30年以上前ですか。
大村益次郎さん。。。確か初回でいきなりずばっと切
られて額から血を流すシーンから始まり、そこから回
想によってドラマが展開していき、最終回では葬儀の
後、若き日の旅姿が映し出されて、しめくくられてい
たような。
 このドラマ、ずっと記憶に残っていて、その原作を
読んだのは10年後。舞台になった宇和島、萩等について
は萩はさらにその10年後に訪れましたが、宇和島はい
まだ訪れてません。
 いつかそういう旅をしてみたいのですが、あと20年
は無理かな。転勤族なので、人生そのものが旅みたいで
すが、実際には孫目当てで訪ねてくる両親に旅行の口実
を与えるのみです。

13   AABB   2008/3/3 08:19

stoneさん、お早う御座います。

素直に梅にしといたらと仰いますが、『花神』で大村益次郎を
演じたのは、中村梅之助でした。これはもう、stoneさんの人徳
というか宿命というか、明治10年の西南戦争まで行きましょう。

しっとりとした赤煉瓦は、雨上がりの調子だったのですね。

14   バリオUK   2008/3/4 19:08

話には全くついていけませんが、写真に一票。

15   stone   2008/3/27 00:19

バリオUKさん
遅レスになりました〜。いつもありがとうございます!

16   AABB   2008/3/27 20:04

stoneさん、そりゃ、あんたが悪い。いや、stoneさんの補正の
腕が良かったので、悪い。まだ、ちょっとおかしい。

つまりですね。うらぶれた倉庫然ならば倉庫然なりに、また
別の感慨が(もっと沢山)出てきたかも知れませんが。

ともかくも、大阪の人にとって恩人という訳でもなく、龍馬より
も後ですが暗殺されてしまったから、馴染みも薄いのは判り
ますがね。

どうして、会ったこともない人への思いを、何人もが語って
いるのか。この写真に誘われて、歴史の昔を懐かしく感じた
からでしょう。

やはり、stoneさんの補正の腕が良かったので、悪い。

17   stone   2008/4/2 04:48

やだなぁ
昔の人のこととか考えずに撮りたくなったから撮った。
それでいいんです。
それ以上の意味はありません〜ん。

私は戦争大嫌いなんです。
戦闘機も潜水艦も戦艦も戦車も銃も嫌いです
歴史上の戦に関する人物とか覚えたくありません。
太閤さんだって忘れました!

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