【あした】
Exif情報
メーカー名 KDDI-SH
機種名 W64SH
ソフトウェア
レンズ
焦点距離
露出制御モード
シャッタースピード 1/30sec.
絞り値
露出補正値
測光モード
ISO感度
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 480x288 (25KB)
撮影日時 2010-01-01 11:12:05 +0900

1   baaaaba   2010/1/9 09:55

昨年は、ここ楽しい場所で皆さんの写真を堪能しました。
今年もどうぞ、よろしくお願いします。

お題の【あした】
時間のたくさんある人、残り少なくなった人、それぞれの明日を一緒に、と思って居ます。
母の入所している施設の元旦の様子です。
このあと、制限(塩分・水分・カロリーetc)されてはいますが、おせち料理を頂きました。

2   ママくん   2010/1/9 23:36

あ。携帯板によくお越しの・・・。
猫のときもご挨拶いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

私も「残りが少なく」なったほうのクチなので、身につまされます。
光が飛んだ窓辺の感じがが全体に暖かな雰囲気を感じさせて「あけましておめでとうございます」って思わず言いたくなりますね。
baaaabaさんが面会にいらしてとても喜んでいられるでしょうね。

3   Ekio   2010/1/10 06:14

◆baaaabaさん。
「あした」は平等に訪れるのですが、その思いは人それぞれです。
うちの父親も怪我で歩行が困難となり介護の方のお世話になっています。
ヘルパーの皆さんの明るい笑顔に癒されているようでありがたいものです。

4   baaaaba   2010/1/17 13:38

ママくんさん。
コメントありがとうございました。m(_ _"m)
お返事遅くなりました。
携帯でどうしても撮ってしまうので、皆さんの写真を楽しむばかりです。
猫のときはお世話になりました。

母の施設の温かさが撮れた1枚だったのでついつい投稿してしまいました。^^
先日は、6ヶ月という期限が参りまして一度違う施設に出ました。
母にとって移動は負担と不安のあるものですが、気分転換にと思っています。
コメント、本当にありがとうございました。


Ekioさん。
コメントありがとうございます。
本当に、誰にも平等に訪れる「あした」です。
これからの現実社会として熟年層以上の方たちの元気溢れる時代の到来のため、常日頃からの健康管理には億劫がらずに生活したいと思います。
来るものは平等でも使うのは己個人ですものね。
コメント、本当にありがとうございました。

こうして遅いお返事で写真が上がってしまうのが申し訳なく思いますので、さっき撮った写真をアップさせていただきます。。

5   masa   2010/1/17 23:06

とても穏やかに、ゆっくりと流れて行く「とき」を感じます。
今日は昨日の明日…毎日を大切に生きて行きたいと思います。

6   baaaaba   2010/1/18 07:28

masaさん。
コメントありがとうございます。
そうですね。この中の人それぞれ時間の進み方がゆったりとしていますね。いそいそと動いているのは、スタッフの方たち。
でも時に、足並みをそろえるように寄り添って話しを聞いてくださる時間も作ってくださっています。
幾つもの明日を迎えられますように、と願っています。

7   youzaki   2010/1/18 13:23

baaaabaさん今日は
これが”あした”ですかー
昔なら(60年前)なら長生きしたと言われれる後期高齢者に近くなるとこの様なシーンを見ると深く考えてしまいます。

昔家族にみとられ70歳で逝くのと施設で生かされ90歳も生きるのとどちらが幸福かなー
でも選べない時代と年がやって来ます・・うん参ったなー・・鳥でも撮ってこようかなー

8   gokuu   2010/1/18 14:36

baaaabaさん こんにちは〜〜
遅いコメントで失礼します。長寿国。大変結構なことです。
でも考えさせられます。核家族化で一人住まいが増えています。
こうした施設で暮らせる幸せはありますが、本当は家族の中で
暮らすのが一番幸せです。何れ自分も長生きすれば。と考える
だけで不安になります。静かに時は過ぎて行くようでも、こう
した施設の中では、決して幸福ではありません。働かなければ。
家族の手を掛ける余裕のない時代です。自分を失って呼吸だけ。
そんな方を観るに付けて、長生きが本当に良い事かと疑問に思
い始めています。ある日突然ポックリが、本人も家族も最高と。
誰もがそう思っていても、神のお告げのまま自由になりません。
どうか一日でも「あした」に希望をお母さんに。それだけです。

9   baaaaba   2010/1/18 17:42

youzakiさん。
コメントありがとうございます。
そうです。私は母との明日を大切にしています。
父が亡くなった後、独居老人として週3回の人口透析をしながらヘルパーさんを待っているのは、本人の不安私の心配と重なって、苦渋の策として、ケアマネと相談した結果です。
家を処分し、家財道具の1つ1つを片付けていく中で、それまでの親子の人生をかみ締めました。
長女でありながら長男のところに嫁いできたことを後悔しても始まりません。
この施設に入所するにあたって大事にしたことは、母の気持ちです、母が賛成してくれるかどうかでした。
トイレに行きたくても1人では行けない、ヘルパーさんが来る時間まで待つ。
お腹が痛い、頭が痛い、歯が痛いと電話連絡が入ると時間に関係なく出向いていく。
それまでじっと母はまっていなくてはならない。
施設であっても、快適ばかりではありません。
日向ぼっこしているのが幸せとは限りません。
バックを持って玄関に家族を待つ方もいらっしやいます。
それでも、そこを選ぶ家族の環境も様々なんです。
思います。
嫁いだ先では四六時中義父の世話をし、大切な大切な私を育ててくれた母に会いにいくのは限られた時間。
それを埋めるため、濃い時間をと思っています。
そして明日を待っています。いつまでも明日を待っています。

10   baaaaba   2010/1/18 18:07

gokuuさん。
コメントありがとうございます。
きっと色々な思いがあったことと思います。
単なる写真投稿の楽しい場所でありながら、皆さんの思いの中に重い話題を提供してしまいました。
申し訳ありません。
医療が進んで、たくさんの薬を処方され、体に機械を埋め込んで、注射を自分でしながら・・・などなど、生き延びる手段が多くなりました。
義母の容態が悪くなったとき、医師は言いました。
人口呼吸器をつければ今は息が吹き返す、しかし家族が要らないといえば今夜でお別れです。と。
それを言われて、はいそうですかとは、終れなかったです。二度と外すことができなくなる人口呼吸器であり、家族は医師に外すことはもう二度と言えなくなりました。
その後義母は、食べることなく、話すことなく、最期の時までただただ機械で息をさせられていたというだけでした。そして、それが本人の意思ではなかったということで思うことたくさんあります。
命を繋ぎとめる理由はいったいなんだったのだろうと。

子育て時期に仕事は必須です。悠々自適の人生だといえる人がどれくらいいらっしゃるでしょう。
施設の中で、孫のようなスタッフに○○ちゃんと呼ばれ、頬をさすられる瞬間、元気な方であれば、馬鹿にするなと言いたくもなるだろうと思うシーンもあります。
大家族であれば、誰かが看るという目があるのでしょうか。
大家族であれば誰かが生計を助けてくれるのでしょうか。
この貧困だと言いながらもパソコンで遊べて、車に乗れる今の時代、可能なことなのでしょうか。
大家族の息子・娘たちが自立して今の核家族が増えたのでしょうね。いついつまでも、何世代にも渡って全員が家にいられる国ではないですものね。
それだけの多くの家族を住まわせる家構えを持つことや、昔よりもいろんな情報が錯綜するなかで、年代の意志の疎通の図り方の難しさ、職の多さ、などなど。
gokuuさんの仰るように誰しも、ピンピンコロリを望んでいますものね。
なのに生まれることと死んでいくことは自分では決められません。与えられた命を消え行くときまで、後悔なくと思っては、また流される毎日であります。
元気に。また次第に衰えていくなかで、心は元気に。。と自分にも言い聞かせながら、母と多くの時間をと願っています。
コメントありがとうございました。

また、このような私の気持ちを腹立たしいと思われる方に陳謝します。申し訳ありませんでした。

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