おはようございます。
漁業関係の建物だったのでしょうか海辺にポツンと残っていました。
穏やかな波が打ち返し海面に海人が浮かび海鳥が舞う何気ない風景にみえました。
遠く遠くずっと遠くを眺めてしまいます。
こんにちは
なんとも言葉が出ない風景ですね。
この地で多くの人たちが生活を営んでおられたでしょうに。
未だにこんな光景があちこちにあるかと思うと、胸がふさがれる思いです。
高台に集団移転の地域でしょうか?
復興とは
考えてしまいます
きっと家が沢山立ち並び、賑やかな声が聞こえていたんでいたんでしょうね。
だれじゃ。 「復興は不要」なんていってる輩は(プリプリ
自然体に撮られていますね。とても好感が持てます。
これがこの地の、本来の波打ち際の姿だったのかも、と思えてくるほどです。
昔を知っている人にとっては栄華盛衰なのでしょうが、でもそれらは全て
人間共の勝手なんでしょうね。
「復興」という言葉は、有無を言わせない錦の旗印みたいなところがありますが、
本当のところは、復興すべきところは既に復興しているのかも知れませんし、
復興が足止めしているところ、その真実は現在模索中といったところじゃないですか。
この地にもう一度、昔のにぎわいを取り戻すことが復興なのでしょうか。
でもそれじゃ安直なテーマパークと変わりませんよね。失ったものは家屋だけ
じゃなくてそこに住んでおられた方々も亡くなってしまったのですし、それも
元に戻せって言っても甲斐なきものです。
時代は確実に変わってきています。高度経済成長からマネー資本主義へ。
そして今後は、自然資本主義というか、里山資本主義というべきか、それとも
地産地消の新経済学とでも呼ぶべきか。
そのような新しい時代が、もうすぐ怒涛のように押し寄せてくるでしょう。
東京五輪とかリニア地下鉄新幹線なんて、もう発表した時点でチョー古すぎます。
この地を、ただ失われたものの感傷の場とするんではなく、21世紀の新しい
カンバスとしたいですね。それでこそ、多くの人の尊い犠牲が生きるというものです。
サクリファイスなきところに新時代は築けません。(反語です)
ふるつくさん、おはようございます。
だいぶ下の方へ下がっていましたのでスルーしようと思っていたのですが
私の感じる事を書いてみようと思います。
そもそもこの辺の街は石巻や気仙沼の様に大規模な工場等もなく
松島、塩釜の様に目立つ観光資源があるわけでもない
世間の発展から取り残されたと言っても良いほど過疎化、高齢化が進む
街々が多いのです。
今回の大震災で何代にも渡って築いてきた財産、人間関係、収入を得るための
仕事場等の生きていると実感できる全てを一夜にして失ってしまったわけです。
被災者が思う復興とは『一生懸命働いて笑って暮らせる街をもう一度造りたい』
という事ではないでしょうか。
贅沢な暮らしとか便利機器に囲まれた贅沢な暮らしではなく
『生きている事が実感できる暮らし』を取り戻したいだけなのではないでしょうか。
ご丁寧な返事、ありがとうございます。
ちまたで、経産官僚が書かれた「復興不要論」ブログが騒がれていますが、
もともと過疎で高齢者村という非生産的な(現在の経済学では)状況下では、
出るべくして出た意見だろうと思います。(それが正しいなどとは勘違いを
しないでください)
要は、この国のカタチとして、マネー経済、GDP優先の経済指向では、今回の
被災地ならずとも、そうそうに限界に来るだろうということです。とくに地方では
そうですね。
三陸の過疎の被災地の高齢者の方々は、自らが過去に気付いた資産で生き
ている方々です。収入というのはあまりなかったでしょうね。日々の暮らしが
できればよいという程度で。
ただし資産はありました。でもその資産とは、あくまで土地と家屋と地域社会
ですね。そしてその大切な資産というものは、今度の津波によって根こそぎ
壊滅的な消失をみてしまったんです。
家屋は流され、零細な漁業をなされていた方は船も漁具も失い、畑も潮をかぶり、
土地は残ったとしても二束三文、誰も買い手はいません。それよりも肝心なのは
村という地域社会がまるごと失われてしまったわけですから、それに依存して
いた人間関係も散り散りになってしまったんです。
無論そこに住んでいた若い方は別の場所で仕事を探し、既に住む家も見つけて
いるでしょう。子供の教育のこともありますしね。
しかし高齢者の方々はそうはいかない。働き口はなく、見知らぬ土地で住めと
言ってもね。都会に住む息子が此方に来ては?といっても長年親しんだところを
離れるのはいやでしょうし。
この問題は根本的には、過疎と高齢者の問題でもあるんだと思います。
今の日本の社会構造では、そのような方は切り捨てになっちゃうんです。それでも
現実的には長年自分たちが築き上げてきた地域資産というもので、ともあれ残され
た老後を暮らしていけるんですが、それが災害で失われてしまうと、もうどうにも
こうにもならなくなるんですね。
裏街道様がおっしゃられたように、『生きている事が実感できる暮らし』を取り戻し
たいだけなのですが、それすら今のこの国はできなくなるような仕組みになって
いるんです。このことを是非ご承知ください。
私が指摘したかったのはこのことなのですが、この問題の解決は、ただ願った
だけで、またスローガンを叫んだだけで解決するものではありません。
また国家の政策だけでできるものじゃなく、一番肝心なのは、今の若い方が
意識改革をされて、都会を捨て自ら過疎の地方に住み、自力で仕事を作り、再び
地域社会を活性化することでしか根本的には解決できないものなのです。
残念ながら、過疎地の高齢者の方々が自分たちだけで頑張って働いて・・なんて
出来っこありませんね。この地を救うのはあくまで未来のある若い方々だけです。
高齢者の方はそれを単に手助けすることしか出来ません。政府としてもそうです。
実はこのような深刻な問題は被災地だけでなく、日本中の地方で切羽詰まった
問題として起きているんですね。
都会に住む方はわからないでしょうが、このままで行くと地方の過疎地は壊滅的に
なってしまいます。それは日本の終わりを意味します。
参考
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38604
『里山資本主義─日本経済は「安心の原理」で動く』(角川書店)
藻谷浩介、NHK広島取材班著
映像
里山のチカラ NHK
www.nhk.or.jp/eco-channel/jp/satoyama/interview/motani01.html
この番組、中国地方だけで放映されたようですが、良い番組なので時間があれば
見てくださいな。
裏街道様の写真。これは都会に住んで地方を見下している(つまりただ単に写真
の被写体としてしか見ない)ような視点がありません。
この浜辺の写真も、三陸鉄道の写真も、とても美しく実感の伴う写真となっています。
やはり日本中の地方をお仕事で回っている人の眼は違うのだなと思いました。