雲と桜
Exif情報
メーカー名 FUJIFILM
機種名 X-T1
ソフトウェア Photoshop Elements 9.0 Windows
レンズ XF16-55mmF2.8 R LM WR
焦点距離 16mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/516sec.
絞り値 F8.0
露出補正値 +1.0
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4896x3264 (5,276KB)
撮影日時 2016-04-05 11:33:33 +0900

1   笑休   2016/4/8 19:38

雲フェチの私・・たまりませんね。

2   zzr   2016/4/8 23:27

笑休さん、こんばんは。
なんとなく。。春らしい雲。
雪がとけると地面の草や山菜に目がいきがちですが空の風景も春の色だったんですね (^^)

3   笑休   2016/4/9 07:51

おはようございます。
空色のくれよん
オリジナルは はっぴいえんど です。
https://www.youtube.com/watch?v=hRQPg6PitTY&nohtml5=False
https://www.youtube.com/watch?v=KonzdpfnevQ&nohtml5=False
はっぴいえんど だいすきです。

4   kusanagi   2016/4/9 09:50

はっぴいえんど・・・・ウィキペディアで調べているのですが、メンバーの中で一人だけ
異質というか飛びぬけた人がいるような気がする。
大瀧詠一です。
彼はどういう人間なんでしょうかね?

5   笑休   2016/4/9 17:30

こんにちわ。
大瀧さん・・どういう人・・偉大な人でした・・・すでに過去形になりました
残念ながら・・・
https://www.youtube.com/watch?v=QhsPSjzsh5Y&nohtml5=False
松本隆・・作詞家として、有名ですね
木綿のハンカチーフ、赤いスイトピーの歌詞など、好きです。
細野さん・・ご存知YMO
https://www.youtube.com/watch?v=rKxxN0o-a48&nohtml5=False
Gの鈴木茂さん・・知る人ぞ知る
みんな、凄い人達でした・・
ジャックスというバンドも商業的成功しませんでしたが
https://www.youtube.com/watch?v=tDIwmhXWa9c&nohtml5=False
この曲、カバーされて、ヒットしました。

6   kusanagi   2016/4/11 21:48

調べると、大滝詠一(栄一)って面白いですねー。はっぴいえんどの他のメンバーは皆東京の
いいとこのぼんぼんですよね。
東京は世界の情報がいち早く入ってくるところだし、日本の文化の中枢だし、そういうところ
の感性のするどい若い人達が外国製の音楽やロックにハマるのはわかります。
ところが大滝は岩手県の生まれです。しかも母子二人の母子家庭、母親は養護教諭の
教師だったようです。父親のことを調べんですがネットでは分かりませんでした。小から高まで
菊池の姓を名乗っていたというくらいしか。

大滝は中学の時、ラジオを自作して、FEN(米軍放送、今はAFNといいます)を聞いていたそうです。
近くに三沢基地があるんで聞けたのだと思います。FENと言えば私の昔の知り合いで、福岡に
住んでいて佐世保のFENを聞いてアメリカ音楽に親しんだっていう人がいました。FENは岩国にも
あるので、もしかしたら笑休さんも子どもの時に聞いていたかもしれないですね。(^^;

大滝は高校に入って郷里を離れ一人で住むようになるんですが、なんと親からもらったお金を
全部レコードにつぎ込んで、学校の授業料も払えずで退学になります。母親の落胆はそうとうな
ものがあったろうと思いますね。結局別の学校に入り直すんですが、学生生活は当然に
音楽三昧一辺倒だったろうと思います。

学校を卒業して東京の製鉄会社に入社します。そこでも出社20日、在籍3ヶ月で退職です。
音楽道楽の一人息子はまたまた母親を泣かせることになるわけです。
ところが退職数日前に会社の慰安会があり、そこで大滝は余興でビートルズナンバーを
アカペラで歌ったわけです。まあ会社には何の貢献もしていないやつですからせめて歌のひとつ
くらい歌えやって具合だったのでしょう。
ところがそこに音楽が分かる上司がいたようで、「うん、キミはこういう所にいるべき人間ではない」
と諭されたといいます。父親のいない大滝にとって、仮の父親とも言うべき年上の上司から、
お前はは音楽で食っていけ、と背中を押されたわけであり、母親を泣かせてばかりの大滝は、
ここで大決心をしたのかもしれません。
また既に、一発で上司を感服させるほどの音楽の実力を既に持っていたということでもあります。

早稲田の第二文学部に入り(やはり肩書は必要ですから。のちに退学)、東京で本格的に音楽活動
に邁進することになるわけです。やがて細野らと出会い、はっぴいえんどでデビュー。
日本人による本格的ロック音楽の黎明期というか、当時の時代の最先端を走っていたことに
なるんでしょうね。彼にとって、はっぴいえんどという経歴は大きいようです。
大滝の面白いところは、はっぴいえんど解散後は、CMソングをやるんです。
これは儲かります。というか、そうしないと音楽活動が続けられなかったろうと思います。
それから若手のプロデューサーをやったり、プライベートレーベルを設立したりと、経営の才能も
開花させます。またポップス音楽にも進出して、さらばシベリア鉄道、風立ちぬ、冬のリビエラ、
熱き心に、とか誰もが知ってるヒット曲をだします。

岩手出身の音楽道楽で身を崩しそうになった青年が、日本のポップス音楽の父とも言われる
ような存在になったわけです。音楽で行けと肩を押した元上司にも、何よりも苦労してドラ息子を
育ててくれた母親には十分恩返しができたわけですね。
もともと非常に実力のある人間だしスター性はあるしでまた音楽に関しては勉強家であったわけで、
彼が成功するのは自明のことだったかも知れませんが、とにかく時代のチャンスというものを
逃さなかったということが一番ですかね。そういう点では彼は勝負師であったわけでその為には
退学にもなるしで、はらはらどきどきの時代もあったようですよ。(^^;

7   kusanagi   2016/4/12 21:24

https://www.youtube.com/watch?v=x8CgehqveLI
これは山下達郎です。(^^; 山下は大滝の弟子だと言われている人だそうです。それで山下と
大滝に共通するのは、大衆の庶民感覚でしょう。
まあそれがポップスというわけなんですが、戦前の日本にはそういう大衆の文化というものは
ありませんでした。戦争に負けて初めてそういうものがあるんだと目から鱗で日本人は知るんですね。そしてそれはアメリカの大衆文化から学びました。
それでそういう大衆文化を日本ライズしたのが大滝達の世代だったのじゃないでしょうか。
それから吉田拓郎とかの日本のフォークソング世代もそうですね。勿論当時メジャーなのは
フォークソングです。これは日本人の感性に合いました。
フォークソングはまず安上がりでギターひとつで歌えましたから。ロックはそうはいかない。
それと大滝は和製ロックとかの範疇からでは十分に語れなくて、広く和製ポップスとして語るべき
かもしれないと思ってます。かと言ってやはり彼は日本フォークソングでもなかったわけで、
その立ち位置はとても面白いです。

http://nendai-ryuukou.com/article/071.html
これ、日本フォークソングの一覧としてあるんですが、これすなわち、70年代音楽の流行だった
ような気がします。
余談だけどフォークソングの前にロープサウンズ(GS)というのが一時流行りました。ビートルズの
来日を受けて大手レコードメーカーが流行歌として取り込んだものです。しかし長くは続きません
でした。ファンの少女達を半狂乱にさせたたとしても音楽的には未熟だったからです。
そういえばそのGSの末裔がSMAPなのかな。未だに未熟ですよね。(^^;

そして時代は大いに下ります。70年代が過ぎ、80年代も後半となってくる。そして2000年代に。
桑田佳祐という人がいますね。
彼はロックバンドのシンガーソングライターですから、これは大滝らが最初に築いた和製ロック
の系統の後継者ということになるんでしょうか?
面白いのは、桑田に限らず和製ロックミュージシャンの日本語の歌い方というのは、これは
独特の言い回し節回しになっていて、ぼんやり聞いているとそれが日本語であるということすら
気がつかないことがあります。(^^;
つまり歌詞としては、日本語であることを失ってしまったと思ってます。つまり日本語訛りの
英語じゃないかと。あっ、最後にはこの手で来たのかとね。(^^;
しかしこれは凄いと思ったのは、和製ロックの日本語がもしかすれば今の若い人の日本語会話
に重大な影響を与えているのじゃないかということです。だとすれば、和製ロック音楽が日本人に
与えた影響力というもの、これは生半可では語れないなあと思いました。

ところで笑休さん紹介のシベリア鉄道の映像は綺麗ですね。シベリア鉄道はちょっとロシアの
音楽が入ってますね。戦後日本の文化がボロボロだった時、アメリカンポップスも入ってきました
が同時に、初期には左翼系の文化も多数入ってきたわけです。歌声喫茶とかでロシア民謡が
歌われていたそうです。今じゃ信じられないですよね。(^^;
それで大滝って、そういうものまで自分の音楽に取り入れているようで、へぇーって思いましたよ。

解離性動脈瘤。これが彼の死因らしいですが、あっという間の突然死らしく、もの凄い痛みと
ともに突然死が訪れるわけです。大滝は、その瞬間、自分の死をありありと確信したのでしょう。
ガバッと立ち上がって、自宅の奥にいる女房に向かって「ママ、ありがとう」と言い残して死んで
いきました。こういう生き方、いや死に方か。とてもいいですね。

笑休さんの刺激を受けて、大急ぎで日本の流行音楽を、ネット上で彷徨ってみました。
けっこう調べると面白いじゃないかと。(^^; 実は自分は昔から音楽には関心のない方で音楽的
才能は皆無。だいたい音痴ですしね。でもこうやって皆が音楽に夢中になるっていうのもなかなか
良いじゃないかあって思いました。自分なりに日本の流行音楽というものを眺めてみたつもり
ですが、まあ頓珍漢な結論にしかなっていないのですけど、ちょっと勉強になりました。

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