1 め組 2016/10/30 12:28 旅の思い出に黄色い花が追加されました
旅の思い出に黄色い花が追加されました
2 また恥かきです 2016/10/30 14:23 何の花ですか?
何の花ですか?
3 め組 2016/10/30 16:41 これはひまわりです。いい加減に覚えてください。ニコリッチ
これはひまわりです。いい加減に覚えてください。ニコリッチ
4 め組 2016/10/30 17:20 まちがえた、チューリップだった ニコリッチ
まちがえた、チューリップだった ニコリッチ
5 め組 2016/10/30 17:27 🙇もう一度訂正です。ネットで調べたらたんぽぽでした。ニコリッチ
🙇もう一度訂正です。ネットで調べたらたんぽぽでした。ニコリッチ
6 じゃらこい 2016/10/30 18:48 稲田家の祖とされる稲田植元(たねもと)は、1545年尾張岩倉生まれ、1628年阿波脇町没。 尾張岩倉城、織田本家の家老筋の稲田大炊助貞祐の三男。蜂須賀小六と義兄弟の契りを約し共に行動し、阿波蜂須賀藩筆頭一番家老的立場となり阿波脇城番を勤める。子の示植はのちに徳川幕府の命に より淡路洲本城代となり、稲田家は明治維新まで代々洲本城代を勤めた。 植元の幼名は亀之助、のちに太郎左衛門。通称左馬亮。隠居名宗心。
稲田家の祖とされる稲田植元(たねもと)は、1545年尾張岩倉生まれ、1628年阿波脇町没。 尾張岩倉城、織田本家の家老筋の稲田大炊助貞祐の三男。蜂須賀小六と義兄弟の契りを約し共に行動し、阿波蜂須賀藩筆頭一番家老的立場となり阿波脇城番を勤める。子の示植はのちに徳川幕府の命に より淡路洲本城代となり、稲田家は明治維新まで代々洲本城代を勤めた。 植元の幼名は亀之助、のちに太郎左衛門。通称左馬亮。隠居名宗心。
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