奥州藤原氏

1   kusanagi   2017/4/2 00:15

●結論から言えば奥州藤原氏は陸奥の国の最有力な豪族であったわけですが、源氏とは地の利
(京に遠い)や国力の違いなどで、やはり源氏には勝てなかったというのが本当です。しかしながら
有り余る黄金を活かして朝廷と結びつき、奥州藤原4代の黄金郷を100年間築き上げたというのは
偉業だったかと思います。
当時の平泉文化が今に残っているのは金色堂だけですかね。平泉の都自体は戦火に灰燼と帰した
わけですが、小ぶりなゆえに金色堂だけは残ることができたのでしょう。

それで奥州藤原氏はやはり東北の民の蝦夷の国ナリであった、というのが大方の見方のようです。
蝦夷というのは「えみし」と読みます。毛人から来ているのかな、これは蔑称です。また当時の東北の
民は俘囚(ふしゅう)とも言われていて差別や収奪の対象になっていました。
また移配俘囚というのがあります。九州に多いそうですが実はこちら讃岐にも移配俘囚がいたという
説もあるようです。移配俘囚と同時に西日本の民を東北に移住させるという政策もあったわけです。
とにかく奥州藤原氏は、蝦夷というアイデンティを持つがゆえに、奥州藤原氏は東北に留まり、源氏
や平氏のように全国展開はせずに終わっということなのかも知れません。

この蝦夷の奥州藤原氏の生き方というか、まつりごと(政治)というか、それはある意味で現在の
日本の、その考え方の半分は占めているような、国家としての生き方なのではないかなって思うの
ですが、これは大変に興味のあるところです。
積極的に戦いを、挑まない好まないという姿勢ですね。

縄文人と弥生人とか良くいいますね。それを言えば東北の民たる蝦夷は縄文人を色濃く残す系譜で
あろうかと思うわけですが、現在の調査ではDNAからして日本人は他のアジア人とは異なる部分を
持っているそうです。その源流はやはり縄文人そのものにあるとも言えるのでしょうか。
その縄文的DNAは、実は滅びのDNAとも言えるものらしくて、この日本列島とチベット、インド洋諸島に
僅かに残るばかりだと言います。

●東北は陸奥と出羽の国に東西に分かれていたわけですが、出羽の国は清原氏勢力下だったという
ことだったわけで、それも奥州藤原氏時代は藤原氏に滅ぼされてしまったようです。東北も東と西と
いう具合に当時から違った国だったのだなって思いましたね。
なお皮肉にも藤原清衡は清原氏の元で、母の連れ子として育っているんですね。
当時の陸奥の国は・・
http://cafefuzzy.blog.so-net.ne.jp/2009-06-19
こんな具合です。最終的には奥州藤原氏は福島県の白河関以北を抑えたのですが、ほぼ現在の東北
地方そのものですね。
藤原氏は青森県の日本海側の港から博多を経由して中国の宋の国と貿易をしていたというのです
から凄いものです。これも黄金の力のなせる技というものでしょうか。
そういえば戦国時代末期、伊達政宗の仙台藩は慶長遣欧使節としてスペインに使節団を送っています。
スペインと貿易がしたかったみたいですね。

何やかやと考えると、東北というのは、関東の上に乗っかかっている僻地な半島などではなく、立派に
一国の国家としてもやり遂げられるだけのポテンシャルを持っている、言わば准国家とも言えるもの
だったようです。もうすこし東北の大地が大きければ、関東や中部にも負けなかったのではないという
気がするんですよ。

奈良平安時代に於いて、ほぼ今の日本の国形の完成をみた、ということだと思うのですが、平安末期
の当時の日本列島は、西日本は平氏、中部関東は源氏、そして東北の奥州藤原氏という3っの勢力
があったようです。朝廷は権威こそあるものの既に力は無くしていました。
まず西国を管轄する平氏が興隆し、時を経たず源氏が天下を手中にしました。奥州藤原氏は当然
ながら源氏に滅ぼされてしまいます。
まず西が時代の先陣を切って立ち、しかるのち東に権力が移行する。このパターンは平氏と源氏
でも、また後の世の秀吉と家康でも、そのパターンは引き継がれていきます。
西は先進的、東は保守現実的という普遍的原理のようなものがあるのかどうか。それは知りません
が、明治維新ではこのパターンはあまり現れてはいません。
現在に至るも明治時代の政治勢力図が引き継がれているからです。ただし昭和初期くらいから東北
出身の軍人が勢力を拡大したということはあります。

私説を言わせてもらえれば、東北人の一人ひとりの戦闘的能力というものはすさまじいものがあり、
昭和でも福島出身の石原莞爾の将としての能力は天才的です。それを言えば源義経もそうであり、
事実、義経は奥州藤原氏の庇護のもと、将としての英才教育を受けたようです。
ところが石原も義経も、何故か政治家としての能力は高くありませんでした。石原は自分の描いた
満州の王道楽土を実現できずに引きづり降ろされてしまいました。東条英機(関東)に負けてしまった
わけです。それは義経が平氏を滅ぼした実力の将でありながら、頼朝(関東)に殺されてしまったのと
まったく同一のパターンです。
そういう英雄の悲劇というものがありそうですね。

2   kusanagi   2017/4/2 00:16

●アテルイ 平安朝廷と戦った東北の英雄
https://www.youtube.com/watch?v=NFKqhNjVBNo
ここでも奥州は大陸の渤海と交易があり、奥州は準国家であるというのが伺えます。奥州藤原氏に
連なる系譜はアテルイから。というよりも、もっと以前から奥州は独立国だったということなのです。
アテルイは戦闘としては朝廷軍に負けなかった。連戦不敗です。しかしながら朝廷や坂上田村麻呂の
政治力や戦地経営力には完全に負けてしまったわけです。

ところで今。東アジは風雲さながらです。もうすぐ米中戦争が始まろうとしています。第一次世界の
ようなものが始まろうとしているのではないかと言われていますね。米中に戦闘が始まるとすればその
火中にある日本列島が無傷であろうはずがありません。
いま与党自民党の実力者は多分、西日本出身者で占められていると思います。安倍首相しかりです。
大阪維新の会しかりですし、日本の国難が迫れば、西日本の実力者が政界を牛耳るようになる。
その法則は未だ生きているような気がしますね。

●中国大陸の攻勢といえば、千年前の元寇を思い出します。
当時は鎌倉幕府の時代です。面白いことに鎌倉幕府としての源氏は既に奉られていて形骸化し、
実権を掌握していたのは執権の北条氏です。
鎌倉北条氏といいます。頼朝の正妻だった北条政子は有名ですね。
この北条氏、ただの関東の武家ではなさそうです。相当に朝廷に明るかったということらしいですね。
またそうでなければ関東の田舎武士のままでは、元寇という国難を防げなかったでしょう。

鎌倉幕府と及び北条政権は、まさにこの元寇に対処する為に生まれそして滅んでしまったという
ところがあります。今はやりの言葉で言えばオールジャパンで元寇に対処したということなのかな。
つまりその為にこそ、武家の武力で日本を統一する必要があったということでしょうか。
ではここで、思考実験として、奥州藤原氏が頼朝の討伐を受けずに残っていたらどうなったか。
元(中国)は必ず奥州と組んで(奥州を騙して)、日本を、鎌倉幕府を攻めたでしょう。戦闘にはめっぽう
強くとも政治戦略に疎い奥州は簡単に元に利用され、そして最後には奥州も元によって滅ぼされて
いったことでしょう。
それは日本国の滅亡、もしくは日本の朝鮮化という事態になってしまっていたわけです。

昭和の太平洋戦争も、米軍占領下から始まるその後始末は西日本の政治家によって行われました。
それは幕末明治に置いて、長州や薩摩が国難を防いだのと同じパターンがありました。
今幸いにも、米中戦争の火蓋が開かれる前に、日本は西日本の政治家が政治を握っているので、
この米中戦争には日本は勝つだろうと考えています。例えば小沢氏などが政権を牛耳っていては危う
かったですね。(笑)
東北の方にはやや厳しい見方を披露してしまいましたが、国際政情が安定すれば西日本の政治家
は引き下がります。時代と政情が安定し、その下で国を富ますには、実際的な関東や東北の方が政権
を握るのが相応しいのですから。

●西日本の政治家が世間(国際)の事情に明るいのは、その地理的な有利さにあります。大陸に近い
ということですね。ただそれだけなんですけどね。
それで中部、関東、東北と続くに連れて国際情勢からは疎くなるわけですが、それは家屋で言えば
奥座敷になるということでもあります。北海道となると今度はロシアに近くなりますから緊迫感がでて
きます。
おそらく東北こそは、それも西よりも東の陸奥の国こそが、日本列島の最深奥であるということかも
知れません。それゆえに東北はもっとも日本人らしい純粋さを保っているような気がするんです。

日本人の守るべき崇高な精神というものがあるとすれば、それは東北の人達をみればよく解るという
ものです。国民国家として日本の民族として、どんなに犠牲を払ってでも守らなければならないもの。
そういうものは東北に行けばよく分かるのではないかということです。
そして悲しいことではありましたが、先の大震災に於いて、その日本人の崇高なこころというものを、
メディアを通じて全世界の人がよく知るということになったのです。
日本列島の最深部を襲った災害において、最も純粋な日本精神というものを図らずも世界に向けて
発することになりました。
いえそれだけでなく、日本人自身が東北の方々の尊い犠牲において、日本とは何か日本人とは何な
のかという問いを自らに追求する絶好の機会にもなったのです。

例えば現在の日本の安定政権は、あの震災の反省から出てきているものです。次々と政権をたらい
まわしをして、最後は左翼政権(大陸派)に譲ってしまった。その結果が、あの大震災であったという、
抜きがたい印象(もはや刷り込み)を我々は獲得してしまっています。これを覆すことは当分はできない
でしょう。
そして結果的に、それがこれから起こるであろう米中戦争への備えとなっているのかも知れません。

●東北のすばらしい世界。東北の地の美しさ。東北こそが我が日本の守るべき精神であるということ。
これを写真として見せてくれているのが、zzrさんの一連のお写真です。
それからzzrさんの写真の力強さの秘密の要素には、シグマというカメラが大いに預かっているという
ことも言えます。ニコンだけでは無理ですね。やはりシグマでないとだめなところがあります。
面白いことにシグマは事実上の東北、会津のレンズ・カメラの会社です。これは偶然の一致なのか、
それとも意味ある出来事なのかは知りませんが、確かにもっともシグマの描写が似合うのは東北の
風景であるということは言えますね。

zzrさんの東北のシグマでの写真。これがなければ間違いなく、私は東北に関心を持つことはなかった
ろうと断言できます。私の東北への関心度は初心者レベルにしか過ぎずでまだまだでこれから探求
していかなければならないのですが、とにかく東北を知らなければ本当に日本を知ることにはならない
とすら考えています。
その東北知のきっかけとなりさらなる道案内をしてくださっているzzrさんには深く感謝の念を抱いて
います。
ちょっと、ヨイショをしているみたいですがこれは本心です。(^^ゞ
よくよく考えて見れば、われわれアマチュア写真人というのは、そのレベルにおいてプロの方には
ぜんぜん敵わないわけですが、唯一アマチュアがプロに優れるところといえば、それは郷土の写真
なんですね。ふる里というか今、住んでいる所の写真です。
そういう写真、これからも、私もずっと撮っていきたいなあって思ってます。

3   kusanag   2017/4/2 00:06

以前から奥州藤原氏にちょいと興味があって、それで運良くNHKの大河ドラマ「炎立つ」(ほむらたつ)
をネット動画で観ました。これは小説が原作なので実際の史実と違うところがあるんですが、そこは
愛嬌としても、当時の東北(陸奥の国)がどのようだったのか、大変よくわかるドラマでした。

●プロローグは、蝦夷(えみし)アテルイと朝廷軍の坂上田村麻呂からのシーンで始まりますが、ドラマ
のメインストリートは、藤原経清、清衡(平泉王朝を開く)、秀衡、泰衡(奥州藤原氏の滅亡)の物語と
なっています。それは同時に奥州藤原氏と、関東武士団の頭領、源氏との戦いであるわけです。

当時の陸奥の国※、今の東北ですが、黄金※を豊富に産したのです。
産物としては金と馬とか、鉄、絹、獣皮、矢羽など。当然に寒冷地ですから今と違い米はあまり収穫
できません。源氏の押さえる関東や中部とは国力が違いますね。国力とは人口であり兵力であり
稲作と同義です。
戦えば負けるのは必定。それで如何に戦わずして、戦っても負けないでいるかが勝敗の分け目なの
ですが、時は平安時代の末期、朝廷貴族の支配から武家支配に移ろうかというそういう時代でした。

※陸奥(むつ)とは現在では青森県を指すのですが、平安期の当時は、岩手・宮城・青森であり福島も
入っている場合があります。ついでに言うと、山形と秋田は出羽(でわ)の国と言いました。
※日本初の産金地
http://www.tenpyou.jp/challenge.html
http://www.tenpyou.jp/challenge002.html
文中に、天平21年(749)に陸奥国での黄金産出が報告されます・・とありますね。
聖武天皇と奈良東大寺大仏建立は有名ですが、これは鎮護仏教としての国家的大事業であったわけ
なんです。オリンピック誘致よりもスケールは大きかったと思いますよ。

4   kusanagi   2017/4/6 23:18

このところ、火山に関しての本を何冊か読んでいました。日本神話(古事記)で出てくる神々の
キャラクターは、実は火山の擬人化であったという説には驚くと同時に感激しましたね。
関西・四国には火山がないと言われていますが、実は大昔の死火山はあるわけであり、例えば
紀伊熊野の那智の滝あたりは巨大なカルデラが数個見つかっています。巨大カルデラとは阿蘇山
のような直径数十キロの中央が陥没した巨大火山です。
どうようなものが四国では石鎚山あたりにありました。これも巨大カルデラです。たしかに紀伊
や石鎚の変化に富んだ光景は、やはり火山の賜物であったのかと納得が行きます。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/972762.html
これを見ると、兵庫県にも元火山はあったのだということです。たしか神鍋火山群は小さな火山が
点在しそれが今では畑にもなっていたとか書かれてましたね。
またここでも書いていますが、瀬戸内火山群とでもいうようなものが大昔あって、その成れの果てが
讃岐平野であるわけですね。メサとかビュートとか言われる独特の香川の風景を形作っています。
中国地方では伯耆大山が元火山です。活火山としては三瓶山とか阿武火山群。そして隠岐の島
そのものは過去の巨大カルデラの跡です。

しかしながらやはり現役の活火山は素晴らしいです。
どうも、関西人と四国人は火山に対してコンプレックスがあるかも知れませんね。(^^ゞ 
特に東北と九州は火山が豊富ですから。やっぱり現役圧倒的な景観が望めますからね。とりあえず
こちらに近い南九州は行ってみたいところです。

「戒厳令の夜」「蒼き狼」は、むかし読みましたがもうすっかり忘れているでしょう。(笑) 
陸奥と言えば戦艦陸奥です。謎の爆沈を遂げ瀬戸の山口・大島沖に眠っています。なお山口には
特攻回天の基地もあります。いつかは行ってみたいです。広島には毒ガスの島も。


先の大戦と敗戦は、明治以降の勝ち戦の顛末として捉えることが可能です。日清日露そして第一次
大戦。日本は連戦連勝をしていました。
初期の日清日露を戦ったのは明治維新の元勲たちであり言わば西日本の政治家や軍人が主導した
わけなのですが、そこまでは日本は国際的に孤立はしていませんでした。それが一次大戦くらいから
雲行きが悪くなり、満州事変となると日本は世界から孤立していったんですね。
そこらの時代のリーダーシップを握ったのは関東や東北の軍人や政治家でした。満州事変の謀略
は天才軍略家の石原莞爾の元に行われたのですが彼は山形の出身です。(ついでに書くと石原と
組んだ板垣征四郎は岩手の出身です)

この石原、実は大変な人気が今でもあり、軍人で伝記や評伝が数多く出ているのは石原がダントツ
であって、実は私も石原の大ファンです。とにかく私は異端とか天才が大好きなので。(^^ゞ
しかしながら石原が満州を獲得したことが、日中事変そして太平洋戦争の直接の引き金になって
いるんですね。そういえば山本五十六も新潟の出身です。つまり石原も山本も明治維新では賊軍
であった藩の出身なんです。東條英機も関東出身ですしね。

彼らは純粋な気持ちでことに望んだのかもしれませんが、結果としては日本は多大の被害をだして
敗北してしまいました。ただ面白いのは、日本は、中国やロシアには勝ち、そして米国には負けた
ということです。もしこれが逆だったら日本史はドエライことになっていたわけですよね。
日本と同じような民主の国民国家に負けるのは、奴隷にもならずまた国体にまで被害は及ばなかった
のですが、大陸専制主義国家に負けていたならば、もう日本という国は無くなったていたかも知れ
ないということです。

そんなわけでやはり、西日本の政治家軍人は国家の経営を過つことは少なくて、そして関東東北の
政治家や軍人は純粋な精神がゆえに過つことがありうるということなんです。
こういう歴史のアプローチをしているのは私以外にもきっといるだろうって思うのですが、寡聞にして
まだ私は知り得ていません。
そういうマイナス点もあるわけですが、しかし私の奥州賛歌に揺るぎはありません。石原は確かに
戦略を見誤ったわけですが、しかしながらあの大戦で潔く負けたということが、結果的に今の日本の
文明力に功を奏しているわけであり、そもそも世界が日本を高く評しているその基盤があの大戦の
敗北から始まっているのは言うまでもないことです。
勝つのも良いが負けるのもまた良し、というわけですかね。負け方が良かったわけでね。

日本人の国民性を地方で分けてみると、先進的で国際感覚に富むのは西日本の人間です。
やや軟弱なところがありますが、明治を牽引したのは西日本でも最果ての長州と薩摩です。まだ
野性味が残っているところでしょうか。
東北は既に論じたわけですが、日本列島の奥座敷でありそれ故に純粋で野性味に富みます。
ところがもうひとつ、関東というのがあって(平野部の中部地方も入れていいかもしれない)、ここは
世渡り上手な人が多く腹黒い人も多いんですね。もちろんそうではない人が殆どですが。(笑)
それで、永遠の法則として東北は関東に勝てないんです。騙されちゃうんです。純朴な田舎の人が
都会の人間にいいように騙されるの図です。奥州藤原氏は最初から最後まで関東源氏に騙され
続けました。石原もまた東條には勝てませんでした。

誤解なきように言うと、石原莞爾は満州に王道楽土を夢見ていたんですね。日本人だけの植民地
とする気持ちはありませんでした。米国のような多民族の合衆国建設を夢見ていたのだろうと
思います。取りたかったのは満州だけであり中国本体に軍を進めることに大反対をした人です。
更に言うと、満州は清帝国の領土であり、清を倒した辛亥革命によって作られた中華民国には
満州は含まれていませんでした。満州を取るのはロシアか日本か、そういう時代だったんですね。
もし、石原が現実的国際感覚の視点で、満州開発を米国資本と組んでやっていれば太平洋戦争は
起きなかったでしょう。しかし石原は単に関東軍の一参謀に過ぎず、そのような政治的な力は
何もありませんでした。

先の大戦で日本は特攻隊を生みました。神風特攻隊とは学徒出陣と同時であり、当時の日本の
未来を背負うべき大学生を駆り立てて特攻隊員としたんですね。いわば虎の子を出したわけです。
けして貧乏人の農民の小倅を騙して特攻隊としたわけではないんです。
特攻隊時代の戦果というのはさほどではなかったろうと思うのですが、敵軍に与える精神的な打撃
というのは相当にあったろうと思います。日本のもっとも優秀で若く貴重な人材を惜しげも無く投入
したわけですから米軍の精神的動揺はあったのではないでしょうか。

実は今のイスラム過激派の自爆テロ。これはかなりに特攻隊の影響を受けているものと推察され
ますね。テロと正規の戦争をごちゃまぜにしてはいけないなん言われそうですが、イスラム過激派
に言わせれば、テロと言われるそれこそが我らの聖戦であり、それゆえにこそ若く純粋な戦士が
爆弾を抱えて自爆するのだと言うでしょう。
イスラム過激派は欧米で、ロシアで、中国でテロ活動をしていますが日本ではまだ起こしていません。
日本が彼らに敵対する理由など何一つないのですし、また日本も彼らの敵側に回ってはいけませんね。それでは道義が立ちませんから。

http://ameblo.jp/caliban-1986/entry-11613953550.html
「永遠のゼロ」の主人公のモデルと言われる人です。お二人共、長野県人ですね。
長野は日本の中部地方にありますが山がちの国であり、言わば中部のなかの東北です。おそらく
その県民性というか人柄は東北人に似ているのではないかと思われます。戦えば鬼神のごとくで
強いが純粋なゆえに犠牲にされてしまう。それは東北人、いにしえの蝦夷の英雄そのものの姿に
重なるような気持ちがしてしかたがないのは私だけでしょうか。

神風特攻隊を創始したのは大西瀧治郎という海軍中将でした。兵庫県丹波市出身。終戦時には
自決しました。

5   zzr   2017/4/4 06:58

kusanagiさん、おはようございます。
地元の風景や草花を撮りたくて始めたカメラですが一つに絞ってもそれぞれきりが無さそうなので、これからも広く浅く色々撮りたいと思ってます ^_^;

6   kusanagi   2017/4/4 23:39

東北の大地がもたらす、圧倒的な自然の豊かさ。
スケールも大きいですけど、複雑で繊細で変化に富んでいる自然にぞっこんです。
東北に住んでいるというだけで被写体にはまったく困らないですね。
東北地区6県はzzrさんの我が家みたいなものですかね。(^^ とは言え東北は広大です。
岩手県だけでも香川を除く四国3県の大きさがあると言います。
とくに火山が豊富です。山だけでなく大河川に海も。そして雪がある。
写真的な資源という言い方をすると、東北は日本で随一でしょう。
ちょっと足りないかなと言えば、島がないというくらいですか。
東北、仮に毎日12時間撮影しても一生かかっても撮りきれないわけですからね。
とにかく一人の人間の時間は限られていますから、その都度、自分の関心の赴くままに
行きましょう。
zzrさんの東北写真。これは歴史に残るかも知れないと思っています。データは大切にして
おいてくださいね。それからやっぱりカメラはシグマ。メリルです。他のカメラではきちんと
表せません。

7   tonton   2017/4/6 06:34

ニホンって火山の国...なんですよね
大阪に居てはちっとも実感の無いことなので
東北はもちろん、九州のお国柄を憧憬を持っている、そんな私です。
いつでも「何処かに住みたいな何処かへ行きたいな」と思って過ごしています。
ここは何処なんだろう?!そんな気分といいましょうか。

陸奥。
素敵な音のある地域名ですね。
お写真がどこから来たのかは別にして(笑)。
陸奥を語るには不適切な描写、そう思いました。
ニホン、その過去の地域名、地名、その歴史の由来等とても興味深いです。
昔、山の民海の民を主題とした小説がありましたね。
「戒厳令の夜」五木さんの作品、とても好きです。
「幸福号出航」だったかな、三島作品等、すごく好きでしたt。
「蒼き狼」というチンギスハンをテーマとしたもの、ワクワクして読んだものです。
山本周五郎さんの竜馬もいいな。
とかそういうのを思い出させてくれました。感謝。

8   tonton   2017/4/7 14:25

>大西瀧治郎という海軍中将
うっすらと記憶の奥の方に在るお名前、です。
親父に聞いたのかな?どこで知ったんだろう(^^;
実は父は特攻志願兵だったのです。
出撃する前に終戦になってしまったそうです。
島根人なんですがシベリアにもいたような話。
陸士にいたようですが空軍?海軍?わかりません。
軍服着て馬に乗った写真があったような...
私には実感が全然なく、なんとなく大阪におります(笑)

9   kusanagi   2017/4/7 22:48

シベリアと聞くと、可能性としては、まず「シベリア出兵」。これはロシア革命への干渉戦ですから
1918年です。親父殿の年齢からすれば古過ぎるでしょう。
次には、「ノモンハン事件」です。1939年ですが、これはシベリアではなくて満州国とモンゴルの
国境線をめぐっての紛争です。帝国陸軍関東軍とソ連との戦いでした。
その次には大東亜戦争の敗戦時に起きた「シベリア抑留」です。そう簡単には帰しててもらえなか
ったわけですから、これもちょっと違う気がします。

親父殿は陸士出身のようですから、これはエリートです。陸軍士官学校ですね。馬に乗っていた
ならば当然、陸軍であり海軍ではありません。また当時は、空軍というのはありませんでした。
陸軍も海軍も軍内部で航空隊を持っていたんです。空軍が創設されたのは日本も米国も戦後です。
それから、陸士というのは、上で書いた陸軍士官学校の意味と、もうひとつ現在の自衛隊の兵士
の階級を士と呼ぶわけで、陸士、海士ですね。これと混同をされる方もいるので注意です。

陸軍士官学校は将校の養成学校ですから、村で一番優秀な生徒が入れるか入れないかという、
ハイレベルな学校ですから、親父殿は大変優れていたのでしょう。なお海軍では海軍兵学校といい
ました。
特攻機は海軍、陸軍ともに出撃しています。優秀で若くなければ志願も叶わなかったはずです。
特攻出撃直前に終戦になったという方は多かったですね。もう亡くなられていますか私の知り合い
でも2人ほどいました。

戦争から帰ってきた人は、戦後の時代では戦争のことを話したがらないんですね。まあ負け戦でし
たから当然でしょう。それで世代間のギャップというものが出できて、本当の戦争の話が後の世代
に受け継がれなくなっています。
戦後はアメリカの占領支配が続きましたし、同時にソ連や中共のプロバガンダも激しくて、なおさら
本当の戦争の歴史という正確な見方が受け継がれていないのです。ここらは残念なところです。

10   zzr   2017/4/8 07:07

おはようございます。
私の祖父は通信兵で終戦時は満州にいたそうです。
色々な写真が残ってて、これはどこで撮ったものだとか教えてくれましたが子供の私は零戦の話くらいしか興味をもてませんでした。
あと中国や朝鮮の人達をかなり憎んでたようです。
今なら聞いてみたい事が沢山あります。

11   kusanagi   2017/4/9 10:22

お爺さんは通信兵で、もしかしたら写真の趣味もあったんでしょうかね。(^^ゞ
そのお爺さんが若い時、現在のデジタルカメラやパソコン、インターネットを、もし見せることが
できたなら、ビックリというか、もしかしたら興味津々で分解してしまうかもしれません。(笑)

敗戦時に満州にいたのから、引き上げってことになるわけですが、単身の軍人さんはソ連に
抑留さえされなければ身軽に動けたでしょうが、民間の開拓団の家族持ちの人となると、
引き上げは、まさに命からがらでした。多くの人が財産だけでなく命を落とし、子どもを置き去り
にして引き上げてまいりました。
「満州・引き上げ・悲劇」とでも検索をすると、ネットでもたくさんの情報を得ることができます。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~eigonou/0809KaitakudanNoHigekii.html
ひとつ取り上げてみましたが、満州における日本の民間人の死亡者数は25万人にのぼると
あります。
ちなみにヒロシマナガサキの原爆の死亡者数は、12万人と7万人です。さらに被爆後5年間の
死亡者数は20万人と14万人。(総計は即死者の2倍になります)
また東京大空襲(3/10)の死亡者数は10万人、沖縄戦の死亡者数は20万人。
つまり、そういうレベルの死亡者数が発生したんですね。戦争というのは爆弾と砲弾だけで
死ぬとは限らないんです。
なお太平洋戦争で死亡した日本人は軍民合わせて350万人といわれます。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112302286
しかしこういう話は歴史の過去のことかというと、そうではないようです。
https://www.youtube.com/watch?v=ta47svmuod4

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