そのままです
でしゃばりな読者の言うこと聞いてはいけません!
読者とはご存知だと思うけど・・・dictatorだの893だのって罵っている。
もっとも悪質な読者だと言っても過言ではない。自己満足型の見本。
あの富士の素晴らしい画像をひたすら追い続け、一つのテーマを
追い求めている姿は見習わないといけませんね。
他ならぬ“読者”にあり、と断言!
これはもう“毒裁者”といえる。さんざ毒を撒き散らしている。
ニコン党の諸君が言われているように、一つのテーマを
追い求めている姿は大いに学ぶべき。読者はXP板から退室せよ。
写真俳句、というのがあります。
参考:写真俳句とは・・・こんな感じ。
https://shashin-haiku.org/%E5%86%99%E7%9C%9F%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E3%81%A8%E3%81%AF
「ねむの花一輪。」
片平さんの題名、これってそのまま俳句になっているわけですよ。(^^
もっともこういう樹木の花はふつう花一輪とは言わないわけですが、花一枝というのな?、とにかく
とても語呂がよくて俳句的響きがあります。
写真俳句などと言いますが、これは本来、写真にはタイトルというか題名を付ける習わしがあって、
それが少しばかり進化したのが写真俳句だと言えそうです。キリンの首や像の鼻が長くなった、という
のと同じことです。進化といいますか、変化へんげ、ですかね。
この写真に関して、もうひとつ言うと、写真が真四角です。四角い写真は昔からあったのですが、
最近はインスタグラムなどで流行しています。四角写真は、写真を横位置に撮っても縦位置に撮って
も、ネット上では管理しやすくなるからです。(投稿した写真の左右、もしくは上下は自動的に切られる
はずです。)
昔から写真を続けている人は、3:2のフレームを、後でトリミングすることなく目一杯構図として利用
して、それがある種のフレーミングの信仰となっています。
ですから四角い写真はそういう過去のフレーミング信仰を打ち破る効果があるわけです。そういう意味
でも新しい写風ですね。
ところで、写真俳句といえば、このXP掲示板では、写真と俳句(川柳)と組み合わせて多数の投稿を
して物議をかもし出し、今は消えさった投稿者がいましたね。もう皆さんはすっかりと忘れていること
でしょう。私もその人物の投稿名すらも思い出せないほどです。
その俳句(川柳)氏のことを少し思い出すと、写真は添え物だから評価しないとして、本命の俳句も川柳
も詰まらなかったの一言であったということです。こんなに詰まらない句を詠む(書く)人もいるんだなっ
ていう感想しかありません。
それはつまり、写真のタイトル(もしくは俳句)というのは下手に付けると、全てが台無しになってしまう
ということなのです。写真だけではなかなかダメな写真というのはあまりないのですが、そこそこに
撮られた写真でも、この俳句とか題名とか、されに添付のコメント次第で、投稿の良否はガラリと
変わって来るんですね。
それから俳句(川柳)氏の特徴的なのは、模倣写真というか模倣投稿、便乗投稿であったことです。
模倣投稿というのは、誰かが投稿したものに便乗して乗っかかるということです。つまり、自分、私、
というものが希薄な人間がすることなのですが、他者によって引きずられるタイプの人間であるという
ことですかね。英語ではフォロア、追従者と言います。
こういうのは俳句であっても写真であっても、まず評価はされません。問題外とされるのがオチです。
しかしネット空間では、この模倣と便乗のフォロア・コメントが数多く流通しているのが現状です。
ネット時代にはそういうのがよく合うというわけですかね。アンチ追従コメントなどはその典型例です。
まあいろいろと書きましたけど、自分のスタイルで投稿をするというのは良いことですね。
写真をする人というのは、感性の人が多くて論理的に自分の考えをまとめるのが苦手な人が多いで
す。しかしそれは仕方がないんですね。人には得手不得手というものがありますから。
しかし感性というものは常に変化するものなんですね。ひとつところの表現手法を続けるというのは
それは感性が鈍ってきたということでしょう。
写真家というのはよく機材を変えたり被写体を変えたりします。何でかなーと以前から不思議に思って
いるんですが、それは多分、自分の感性を研ぎ澄ませばするほど、自分の内奥からの指令で常に
変化を追い求めるものではないかなっていうことです。そういう写真の宿命というものがあるのかも
しれませんね。
しかしそういう変遷が結果として総合性というもの、総合力というものをもたらしてくれる。そういう気が
しています。
実はこの掲示板でもそういう総合力のある投稿者がおられます。何を撮っても上手いというか何でも
写真にできるという人。おそらく写真の趣味というのは最後はそういうことになるんじゃないかなって
思いますね。そういう究極の姿ですか。
写真は絵画芸術とは違ってひとつところのものを追い求めて、というのてはなくて、喩えてみれば
人体は万遍なく栄養素を摂るようにできていて、同様に写真もありとあらゆるものを、見て、使って、
ありとあらゆる表現をする。そういうことじゃないのかなと思います。
そうすることによって自分の感性を常に新鮮な状態に保つことができるんじゃないですか。
これは若さを保つだけでなく、完成体としての人間としての総合力をもたらします。
何か色々勉強になるご指摘ありがとうございます。 本来、私はタイトルなどはつけたくない派です。 しかし、ご指摘の通り樹木なら(一輪)ではないですね。 ご指摘ありがとうございました。
こんにちは。
1:1構図の作品はその主題を満便なく引き出すことが可能です。
ですから主題の配置は重要になって来ます。場面によって配置は
異なって来ますから主題を引き出す最高のポイントを見つけましょう。
タイトルですが、大袈裟にいうと50%はそのタイトルで作品の引付を
決めてしまうようです。是非。シャッターを切る時に作品のタイトルを
叫びながらワクワクさしながら押し込んではどうでしょうか。。
でも、撮り方色々ですからね^^ ご参考までですけど・・・