メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D7100 |
ソフトウェア | Photoshop Elements 19.0 (Windows) |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/25sec. |
絞り値 | F0.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 1000 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2200x1503 (563KB) |
撮影日時 | 2024-08-22 04:18:23 +0900 |
大戦末期、厚木基地上空に襲来したグラマン12機を
相手に紫電改単機で応戦した武藤中尉は2機を
撃墜し更に逃げる敵機を海上まで追う
鎌倉Mさん、お久しぶりです。
プラモデルもやっておられるんですね。
私も多いときは年に百機くらい作りましたが、
買う方が多く、手付かずの箱が山積み状態。
プラモ屋のおやじさん曰く、一生どころか
二生、三生でも作れん在庫を抱えてしまいました。
まあ、衰退一途のプラモ業界を支えていると思って
良しとしています。
たまには作ろうかなと思っていた時なので
鎌倉Mさんに背中を押されたかな。
Kazさん、これはヤフオクで1000円位で
買いました。
5年位前にグラマンを作製しようと思い
キットを買いましたが未完成で終わりました。
父の弟が戦時中、雷電やゼロ戦で国内の
空の防衛に当っていて、雷電でB-29の哨戒で
上がったようですが空戦はなかったようです。
小父の回想
受けた命令は9000mで30分大阪湾上で待機せよという雷電には
有難くないものだった。コンパス270度で戦後米軍が発表した
Jet streamに向かって大阪湾上空をキープしていた。
速力は計器200ノットほぼ対地速度零と判断。
B-29も爆弾投下時はこのスピードであった。
次第に雲量がふえて70%ほどになり、30分たち命令通り降下開始
高度8000mで視界零 スロットルレバーほぼ全閉
両翼フラップ全開 後の運命は雲高まかせ。高度250mで雲切れ
しかも大阪湾上空でほっとした。
歴戦の猛者山下飛行長も何の批判もなし。相沢君は紀の川上空に
降りすぐ帰還。向井君は陸軍浜松飛行場着陸3時過ぎ帰還
先任下士官の松本飛曹長は北上し福井県の砂浜に胴体着陸
夜半汽車で帰って来た。山下飛行長が真っ先に岩国で操縦して
我々72期の指導に当った効果は、このような結果になって表れた。
夕食後クラスのみのmeetingを開いた。「小父と相沢は無謀である
向井のように鈴鹿か浜松に着陸すきであった」という結論に
なった。全くそのとおりでもし雲高150m以下だったら海面すれすれだった。