メーカー名 | RICOH |
機種名 | GR1 |
ソフトウェア | F6 Exif Version 0.9.0b |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | |
測光モード | スポット測光 |
ISO感度 | 50 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | |
サイズ | 3000x2000 (2,108KB) |
撮影日時 | 2006-04-27 00:00:00 +0900 |
リクエストにお応えして。
某廃村にて見かけた急須です。
確かに、時間が経ってみると見方も変わります。
当時は、まさか廃村がこれほど急速に増えるとは思いもしませんでした。
いつか帰れる時が来るのでしょうか。
FILM:Konica IMPRESA50
SCANNER:CanoScan FS2710
考えさせられるシーンですね。本来は台所用品で
あるはずのものが、ひっそりと誰いない山林で遺物
と化している。
これはひとつの屍(しかばね)、我々の生活の屍が
ここに横たわっているという気がします。
最近は、若い方がこういうのを遺跡遺物の「萌え」系
と称しておりますが、それはちょっとばかり悲し過ぎる
思考法かなって感じております。
写真は純粋個人の感性で終結するものではなくて、
写真を取り巻く社会的価値観、普遍性の哲学という
ものに考えが及ばないようになると、その写真だけ
でなく、撮影者自身の精神的貧困を招くのではある
まいかと常々私は危惧しています。
話は変わりますが、写真は本来はモノであるとする
考え方があります。現実の光景という物質的質量を
一切持たない情報というものを、化学作用や電子的
手法によって、モノとして物質化、定着する。
そうなって来ますと、銀塩写真はモノそのものである
が、デジタル写真はプリントをしてはじめて物質化す
るのであり、デジタル情報のままでは未だ写真とは
なりえず、言わば鵺(ぬえ)のような状態に置かれて
いるものではないかと思えるのです。
考ええて見れば、デジタル情報とは実に脆弱であり
将来的には必ず失われる、音も立てずに誰に断りも
なく、失われるべき運命にあるのですね。
もちろん物質も全ては「空」であるとの宗教的観点に
たてば、銀塩写真も同じであるわけですが、現実的に
は我々はもう少し、写真の物質化が失われている
この時代性に抵抗してもよいのではないかと考えて
います。
せめて愛する家族のお写真は、銀塩写真で行きたい
というperLodさんの考え方に(永遠の永続を願う心)、
私は大いに賛同いたします。