無題
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 DP1
ソフトウェア Photoshop CS3 Windows
レンズ
焦点距離 17mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/60sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2640x1760 (3,194KB)
撮影日時 2012-10-01 23:31:26 +0900

1   kusanagi   2012/10/29 22:58

最近はもう、完全に意識してカメラやレンズの為の写真を撮っています。
こういうのをサンプル写真というべきか。(^^; 
写真の為の道具としてのカメラじゃなく、カメラというモノの手段として
写真を捉えている、というわけです。これって本末転倒なのか?
いや、私はそうは思っていません。
大上段に写真というイデオロギーを構えると、人間ってダメになるん
ですね。ダメというか写真を続けていくのがしんどくなる。
写真ってそんなに大袈裟なものじゃなくて、ただ単に光が絵となり写る
のを見て素朴な感慨を持つだけでもよいと思うんです。

なんか気負って芸術をしなくちゃならないとか、写真をすることで何か
が見えてくるとか、そんなこと考えるだけ時間の無駄という気がするん
ですね。
キヤノン板のS氏が啖呵切って消えましたけど、まあ彼の言うことにも
一理はあるわけで、そこは謙虚に受け止めたいわけです。
次々と新しいカメラを導入するのは確かに行き過ぎですよね。
しかし彼は気負いすぎていたんでしょう。なにか大きな写真概論という
ものがあると前提として、その写真のための道具としてカメラを捉えて
いたみたいですね。

しかし個別の写真はあくまでもカメラという道具を通してしか見えてこない
わけでして、カメラという道具が変われば個別写真は自ずと変わってくる。
そのカメラの道具と個別写真の上に何か写真論というか大きな体系と
いうものがあるのかどうか。それはちょっと怪しい論理なんですね。
なんか抽象過ぎていやしませんか?って問いたくなるんですよ。
S氏は多分、キヤノン板がフルサイズカメラ化していくのが面白くなかった
んでしょうね。自分の使っているカメラがフルサイズカメラじゃなかった
から。それだけの理由でああ言ったんじゃないでしょうか。

俺は純粋に写真撮影投稿をしたいのに、カメラの話しで盛り上がるのは
けしからん、てな子供っぽい理由だったみたいです。
しかしアマチュアはカメラの買い変えや複数台所持は当たり前なんで、
一台のカメラでもって長く写真をやり続けて行くなんて不可能なんですよ。
そんなこと、もう何十年も前から結論は出ているんですね。
プロの写真作家でもそうです。同じカメラやレンズで長く使っていく人なんて
希です。そういう人はよっほとのんびりしているか、それとも気狂いに
なる人かどちらかです。
まあプロでも仕事となれば同じカメラで何年もやります。これは仕事と
割り切っているから可能なんですね。そこではカメラは単なる道具です。
仕事だから同じような写真を撮り続けても構わないというか逆に変わると
不都合になるからです。

しかし作家活動の写真とか、アマチュアの趣味写真とかいうのは、
半分はカメラ趣味っていう側面があるんじゃないかなって思っています。
まあ、そういうのが普通ですよ。
自分の撮る写真が変わらないといけないからこそカメラも変えるんですね。
それが趣味写真の醍醐味でしょう。ずっと変わらない趣味写真の王道
なんてありえんわけです。
化石化したマルクスレーニン主義じゃあるまいしで。(^^;

2   詠伊順   2012/10/30 09:08

おはようございます。
フィルムの頃はカメラは単なる暗箱でした、レンズとフイルムの組み合わせで楽しめました。ライカのくすんだ発色にコダックロームの渋いフィルムの倒錯した世界、ツァイスの豊潤な発色・・いろいろ楽しめました。デジタルは機材で発色が違うので、自分好みの機材の選択がひつようです。道具としては、最新のものが良いと思いますが、長短ありますね、キャノンKissはシャッターの先幕がない・・これはフィルム時代には考えられないことです、ミラーレス・・レンズ外したらシャッター幕がない・・これも同じです。ライカの35ミリ規格が登場して以来の激動の時代ですね・・・サムスンのミラーレスは電話がついてました・・驚きです。
ある写真家は、写真をうまくなろうとしない事が長く写真を続ける極意である、と語ってました。音楽もそうですが、よい音で音楽を聴くことは癒されますが、音楽を創作するのはエネルギーがいります、写真もおなじで、エネルギーがなくなれば、しばらく充電が必要で、充電の手法は新機材の導入とか、それぞれあると思います。

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