1 gokuu 2009/2/10 11:49 県道本線は拡幅改良されていますが、途中に昔からの家並みのがあり、戦災にも遭って居ません。、向かって右に山、左には福塩線とその後ろに芦田川があり、拡幅出来ず昔のままです。家並みも格子戸のある明治時代からの家も多く、通勤時間帯の渋滞難所になっています。昼過ぎなのに府中方面行きは、こんな有様です。原因はこの先に福塩線の踏切と、313号線への分岐が同じ場所にあり、信号待ちが長いためです。右の山にトンネルを掘って、313号線と県道との接合部分の車の流れをスムーズにという話は10年以上前からあります。県も国も予算不足で、いまだに実現していません。
県道本線は拡幅改良されていますが、途中に昔からの家並みのがあり、戦災にも遭って居ません。、向かって右に山、左には福塩線とその後ろに芦田川があり、拡幅出来ず昔のままです。家並みも格子戸のある明治時代からの家も多く、通勤時間帯の渋滞難所になっています。昼過ぎなのに府中方面行きは、こんな有様です。原因はこの先に福塩線の踏切と、313号線への分岐が同じ場所にあり、信号待ちが長いためです。右の山にトンネルを掘って、313号線と県道との接合部分の車の流れをスムーズにという話は10年以上前からあります。県も国も予算不足で、いまだに実現していません。
2 Seichan 2009/2/10 18:32 gokuu 様 こんばんは。この「石州街道」は何と読むのですか。狭い道の渋滞、車を運転する人は大変ですね。道路も家並みも昔のままだとすると、違った意味で貴重な価値があるのではないでしょうか。
gokuu 様 こんばんは。この「石州街道」は何と読むのですか。狭い道の渋滞、車を運転する人は大変ですね。道路も家並みも昔のままだとすると、違った意味で貴重な価値があるのではないでしょうか。
3 gokuu 2009/2/10 19:14 seichan様 こんばんは〜〜読みづらいのは日本語ですネ。「せきしゅうかいどう」と読みます。実際は石見銀山(いわみぎんざん)から山越えして山陽側に出る出口は広島県府中市で、銀山からここまでを「石州街道」といいます。そのため府中市には今でも昔のまま「出口町」が残っています。銀は出口から福山ばかりでなく尾道へも運ばれ、恐らく船で大阪まで運ばれたかと思います。ローカルの中国新聞が編集した文献というより案内記事がありましたので、↓をご参考にして下さい。http://www.chugoku-np.co.jp/Ad/kaihatsu/008/18.html
seichan様 こんばんは〜〜読みづらいのは日本語ですネ。「せきしゅうかいどう」と読みます。実際は石見銀山(いわみぎんざん)から山越えして山陽側に出る出口は広島県府中市で、銀山からここまでを「石州街道」といいます。そのため府中市には今でも昔のまま「出口町」が残っています。銀は出口から福山ばかりでなく尾道へも運ばれ、恐らく船で大阪まで運ばれたかと思います。ローカルの中国新聞が編集した文献というより案内記事がありましたので、↓をご参考にして下さい。http://www.chugoku-np.co.jp/Ad/kaihatsu/008/18.html
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