ニコン D800 作例

一眼レフ

ニコンFマウント・35mmフルサイズ・3,630万画素

2012年3月22日発売

D800の仕様

2012年3月22日に発売された、有効約3,630万画素のFXフォーマットのデジタル一眼レフである。ニコンは中判デジタルカメラ並みの画質を目標に掲げ、ネイチャー撮影やスタジオ撮影で高い解像度を求めるハイアマチュアとプロに向けて開発した。専門媒体は解像度の高さを強みに、連写速度を弱みに挙げ、価格.comのレビューでも画質の評価が特に高い。

シリーズ
D
位置付け
中判デジタルに迫る高画素路線を切り拓いたFXフォーマット機
後継
D810
ライバル
EOS 5D Mark III

D800について詳しく読む

投稿写真 874枚

雑感

電車内の、つり革の長さが違うというのは何かの記事で読んだことはあるのですが、写真で見るのは 初めてです。こうして見るとけっこう違和感がありますね。(笑) しかしこれは大変に合理的です。 私が考えるに写真の効用の最大のものは、新たな「気づき」だろうと考えています。写真やカメラは もうひとつの自分の眼であると思うので、やはり自分で写真で撮って、それを自分で見るということは大 事だと言えますね。 デジタルデバイドという言葉があるのですが、一般に、情報通信技術(特にインターネット)の恩恵を 受けることのできる人とできない人の情報の違いとか格差というものらしいです。 同様なイメージで、写真をやっている人といない人の間にも、何らかのデバイドがあるように思われま すね。 しかしネットの接し方にも利益と不利益があるように、写真に対してもプラスだけでなくマイナスもある ということを知っておきたいと思ってます。 私が感心させられているのは、スラムさんの一連の日常的な光景の記録ですね。等身大レベルで 身構えることなく淡々と写真を撮られています。そしてそこに御自信の新たな気づきというものが多々 生まれているのではないかということです。 写真は二度見るといいます。ひとつは撮影時に自分の眼でみること。もうひとつは写真になってから もう一度みるということです。経理も何の仕事も確認が大事です。何度も見ることが深い意識を呼ぶの でしょう。 そしてシッポ座さんも写真に対して、表現というものだけでなくて、そういう日々の気づきの記録という ところがかなりありますね。 お二人とも栃木県の人らしいので、これは県民性というものかもしれません。(^^ゞ 地味だけど非常に 堅実な県民性だと感じています。 ※写真は愛媛西条市のお墓。やたら背が高いのが多いです。もしかすれば南に聳える四国最高峰の 山々の影響かもしれません。(^^ゞ 

①_(JPEGオリジナル)

⑲ 純粋にモノクロ写真、モノクロ画像とは何なのか、というと、これはとっても難しいと思っています。 私にはとてもじゃないですが分かりません。それでも自分なりに考察すると・・・ それで4っつほど作例を上げますが、  ①モノクロJPEGオリジナル、つまりJPEG撮って出しです。調整はなしでカメラの設定のまま。  ②上記の画像を編集ソフトで微調整したもの。  ③同時記録のRAWデータからモノクロに現像したもの。  ④RAWデータからの普通のカラー現像をしたもの。 それぞれ自分の主観に基づいて調整しています。(①以外は) レンズはコシナ35ミリF1.4で柔らかい レンズですね。最新のMFレンズです。建前上JPEGのモノクロモードSサイズで撮っていることにして いますが、実際はRAW同時記録でやってます。ただしJPEGとRAWは別保存としていて、常はモノクロ しかPCで見ていません。 モノクロの画像に慣れた眼には、もうカラー画像は、何だか作り物のような感じがして違和感があるの ですが、それは自分が撮影時に裸眼で見て抱いていたイメージと、カラー画像が違うのだろうという 気がしています。つまり脳内記憶画像とカラー画像の、ちぐはぐな違和感が生じるのですね。 その点はモノクロ画像だとコントラストのみなので、きっと色情報は記憶画像で補っているので落差が でないんでしょう。勿論これは心理的なものです。 モノクロ①から③は、主に白い花が白く飛んでいるところがあるので、それを出そうとして調整を試みて います。やはりRAWデータは調整幅が大きいですね。それから当然ながら解像感やシャープさは RAWが勝るでしょう。なにせ元のデータ容量が違いますから。しかしJPEGのSサイズでも調整をすれば 十分に見れる画像となっているのは頼もしい気がします。 撮影時に裸眼で見て抱いていたイメージと、カラー画像が違うのだろうという・・・これは当然の話です。 どんなに頑張っても、裸眼の想像力というか期待値を上乗せしたイメージには、実際の写真というものは 敵わないのであって、それは写真の宿命のようなものです。 私は思うに、モノクロ写真は撮影時の自分のカラーイメージを損なうことなく維持できるということが利点 として上げられると思っています。しかしそういう撮影時の初期のイメージというものは儚いものでして やがては消滅していくでしょう。それで初期イメージの記憶が無くなったときに改めて保存された モノクロ画像を見るときには、再び自分の想像力を求められるのだと感じています。 つまり有り体に言えば、モノクロ写真とは徹頭徹尾、想像力の産物であるといことかも知れません。 画像は想像力の原資を提供するだけで、それを写真とするのは見る者のイメージ力で想像力でしかな いのかも知れませんね。 それからカラー画像は、パッと見た印象で済ませられることが多いのですが、モノクロはパッと見た目で は分からないところがあり、どうしても細部を良く見てそれから類推して全体に戻るという見方をする ところかあり、写真の見方がカラーに比べて複雑です。 それで黒白画像は細部の表現が大切だろうと思います。つまり解像力やシャープさが大事だろうという ことです。もちろん中間色のグレーの諧調も大切なんですが。( これを損なうと写真としての立体感が なくなります。ベターっとした絵では幾ら細部が良くても写真とはならないでしょう。) 黒白写真における細部の解像と怜悧さを得る為には、やはり優れたカメラのセンサーや装着レンズが ものをいいます。しかしまあこれはキリがないのでそこそこで良いのだと思います。 とにかく黒白写真は極めて難解だと思っているのですが、これを地道にやって行くと結果としてカラー 画像でも、そのスキルが上がるという気がしてますね。 現代に於ける写真の基本はあくまでカラー写真です。人間の眼はカラーで認識できていてその仕組は 不思議にデジタルカメラと同じです。そういう意味でモノクロ写真は異端児であるわけですが、このモノ クロ写真を学ぶことで、よりよくカラー写真がスキルアップするのは間違いがないでしょう。

②_(JPEG調整)

⑳ 写真撮影に於いて、カラー写真も黒白写真も何ら違いはないのですが、実は少しだけ違う場合があり ます。それはミラーレスカメラで撮影する場合、ファインダーがモノクロモードだとそのファインダーまで モノクロ化するということです。もちろん光学一眼レフの場合はそういうことはありません。 昔あるサイトで、モノクロフイルム撮影をする場合に光学ファインダーもモノクロだったらいいのに!という のを書いている方がおられました。私はそういうことを考えたことがなかったので少し驚いたのですが、 ファインダーはあくまで現実光景の小窓であるべきであって、このような考え方には違和感を覚えたもの です。 こういうのは被写体としての現実と、結果としての写真画像を混同しているのではないかということです。 入り口と出口の混同、主客転倒と言ってもいいかもですね。 ミラーレスカメラで、電子ファインターはカラー表示のままで、そして記録はモノクロという具合に選択で きればよいんですが、そういうことができるという話はあまり聞きません。 とにかくコンスタントに黒白写真を撮りたい場合、やはり光学ファインダーのあるデジタル一眼がベストと いう気がしてます。(ライカのようにレンジファインダーでもいいです) そして私はまだミラーレスで黒白撮影をしたことがありません。する気が起きないというか。

③_(RAWから現像 モノクロ)

⑳+① デジタルカメラはフイルムカメラに比べて、全て電気で動くというか、フイルムのような柔らかい生の部分 がありません。メディアは単にデータを記録するものでしかなく無くても構いませんし。 フイルムの代わりに半導体チップが全てを携ります。この半導体集積回路こそがフイルムに相当するもの でして、その半導体を作成する過程で写真の技術が応用されています。現像定着洗浄だけでなく、ステッ パーという巨大な引き伸ばし機(ではなく縮小機の露光装置)が使われています。一番高額な機器では ないですかね。例えば、こういうの。 世界が依存するオランダの半導体装置メーカーASML https://ampmedia.jp/2023/05/01/asml/ https://ja.wikipedia.org/wiki/ASML つまり、デジタルカメラとは、大きく考えれば、そういう半導体製造の最終端末部でしかないのだということ です。それは我々のネットに接続したPCが、グーグルなどのクラウドサーバの端末でしかないのと同じです。 「光と影のTSMC誘致」 深田萌絵編集 かや書房刊 という本があります。高度な半導体を製造する為に 膨大で良質の水と、同じく膨大な電力が必要で、かつ環境汚染も大きいということを報告しています。 そういうのはインターネットサーバーシステムとか、AIサーバーシステムでも同じであり、日々膨大な 電力を消費し、それが地球環境を悪化させているのは間違いがないことです。 世界が半導体化・ネット化・EV化すればするほど地球は温暖化していくというジレンマというか、逆説が あるようですね。便利は決して只ではないのです。 デジタルカメラでは無限に写真が出来る。それは本当は嘘です。その過剰すぎる画像と引き換えに 我々は環境や資源、そして未来を失っているのですから。 「TSMCが熊本の水汚染を引き起こす」 https://www.youtube.com/live/ZmDrRjRqiWc?app=desktop 【ゲスト:深田萌絵〔 IT ビジネスアナリスト〕】及川幸久 https://www.youtube.com/watch?v=JT7E9pqDbhQ 半導体工場が次々火災。ついに日本のルネサスまで!背後に・・の影? https://www.youtube.com/watch?v=3ryA5nuFCfw&t=10s こういうのをみると、なぜ台湾という、二流国なのに世界最先端の半導体が作れるのか。以前から不思議 に思っていたのですが、その理由が分かったように思います。台湾人といえども半分は中国人ですし、 台湾の国としての歴史は新しいのです。結局は日本や米国という先進国が半導体製造を手放したのは、 環境汚染などのデメリットが大きくて、環境意識の低かった台湾や中国へ押し付けたということではない かと思うこどあります。そう考えると納得がいきますね。 ところで、グーグルマップなんですが、意匠が変わりました。地形図になったのは便利です。そして何と いっても大変化は、韓国の地名表示が日本人の読めないハングル文字から漢字になったことです。 これは日韓の接近の政治事情を反映しているものと思われます。 台湾が好きで韓国が嫌いな人はネット民の中に多いんじゃないですか。しかし韓国は日本にとって無くて はならない国ですね。だいたい両国の歴史が違います。韓国朝鮮半島の歴史は古く日本とも深い関係が あるんですね。そして韓国は国家ですが、台湾はまだ独立国家とは言えない段階ですね。 「半導体ビジネスの覇者」-TSMCはなぜ世界一になれたのか? ワン・バイルー著 日経BP刊 を読み進めていますが、米国の強いバックアップがあればこそ、TSMCはナンバーワンになれたという のが良く分かります。そういうのは日本の企業もそうでしたね。しかし日本とは少し違うところがあるよう で、創業者は中華系米国人と言っても差し支えないレベルのような気がします。米国との緊密度が日本 とは違うという感じです。中国人はとことん米国人になれるというか、そういうのは良くも悪くも日本人には できない芸当です。 ところでTSMCが日本にやってきました。日本にとっては外資ですね。エルピーダメモリを買収したマイク ロンと同じような外資系になるわけですが、はたしてどこまで日本がTSMCの技術を取り込めるのか、 そこに興味があります。そして半導体製造の微細化技術はもう限界に達しているみたいですね。だから こそTSMCは台湾を出て、日本だけでなく米国やドイツにも工場を作っているのでしょう。これまでとは シーンが変わりつつあるようです。 とにかく日本人を目覚めさせるには外国人、外国軍に外資というのが、日本の歴史の通り相場です。 つまり外圧がないと日本人は眠ったままになりますからね。そういうことでTSMCの黒船は大歓迎です。

④_(RAWから現像 カラー)

⑳+② 今現在、占星術では時代を写す木星は牡牛座を運行しています。2023年5月の半ばくらいから、それ までの牡羊座から牡牛座に突入。そしてこの木星は2024年の6月には牡牛座を抜けて双子座になり ます。まだ半年以上は牡牛座に留居です。 それでウクライナ戦争ではロシア(牡牛座の国)が有利というところがあって、ウクライナ軍はなかなか 進軍できないでいます。残念ながらまだ半年はこの情況が続くと思われます。 そして占星術的には同じく牡羊座・牡牛座地帯と言われているイスラエル・パレスチナで戦争が起きま した。 ガザ地区を支配していたハマスが突然にイスラエル側に突入し戦争というか紛争状態になったのです。 興味深いことに、ハマスがロケット弾などの侵攻の準備をし始めたのが2021年くらいからであり、それは 占星術的には、ロシアがウクライナ侵攻の準備をし始めたのと同じ時期であるということです。 これは占星術では戦争の星である、土星と天王星の凶角(矩形)の投影であったということです。 その土星・天王星の星相は既に崩れていて(2023年3月から)、占星術上からは戦争は終了していなけ ればならないのですが、無論現実はそうなっていず今もって戦争は続いていますね。こういうタイムラグ は占星術ではよくあることですが、やはりロシア・ウクライナ戦争は大分ダレているという感じです。 実は、占星術では土星・天王星の矩が崩れた後に続いて、今度は土星と海王星の合が出現したから です。つまり一難去ってまた一難、という具合。 つまり現在は強い戦争の現われというよりも、ダラダラの混乱と不運が続いているという感じですか。 ハマスのイスラエルへの攻撃とその報復は破壊と不幸以外の何ももたらさないのですが、本質的には シーア派のイランのイスラエルや米国への敵害心があります。イランはロシアへの戦争協力もしているの です。それで2021-2023初めの土星・天王星の戦争の星とは、ロシアやイランの西側への戦争であった ということになり、占星術の意味と良く合致します。 そして魚座での土星と海王星の合は、ヨーロッパの混乱をもたらす結果となります。これは2024年の夏 まで続きますね。ちなみにこの土星・海王星は2024年の7月に牡羊座に入り、もしかすればフィリッピン 海で大津波を起こす可能性のある星相です。私は当初、これは南海トラフ大地震の発生ではないかと 危ぶんだのですが、そうではなくて地震を伴わない津波。つまり海底火山噴火の可能性が高いだろうと いう感じです。(参考までに書くと、南海トラフは2038年に起きるというのが学説のようです) それは別として、土星・海王星の牡羊座入りは再び中東地区に混乱を呼び起こすことになるはずです。 木星の行方も気になりますね。24年の5月までは牡牛座ですが、それからは双子座、つまり中国に有利 となるようです。これは1年間続きます。 とにかくこのところの星相は巨大惑星の集合が著しく混乱の極みが続くのですが、最終的には土星と 天王星の双子座での合で、米中戦争という形で成就するという感じです。それは2030年6月です。 土星・天王星の合は、前回は1990前後でしたが、これでソ連は崩壊しました。冷戦の終結をもたらした のですが、今度は米中間の冷戦がそこで終わるということでしょうか。 占星術では1990年前後に土星と天王星が射手座で会合しました。これは考えてみればソ連ロシアに とっての危機ではなくて、本当は射手座の国であるアメリカの危機だったんですね。 これに気がついていない人が多いですね。この星相によって徐々に米国はその冨や技術を敵国である ロシアや中国に垂れ流してしまったんです。そのツケが今になってきていますね。 そして2030年前後に今度は、土星と天王星が双子座で会合します。射手座が米国ならば双子座は 中国ですね。つまり表面的には中国が負けたように見えて実際は中国の変革が始まるということです。 この土星と天王星の合は、双子座で合するも直後には蟹座で2033年から35年ほど2年間は居ることに なります。これは日本にとっては苦しい時期です。試練の時とでも言ってよいのかもしれません。 もしかすればここらで南海トラフとなるのかも知れず、もしくは中国の崩壊で日本にも大きな余波、難民 とかで苦労するのかも知れません。 とまあ、妄想力一杯で書きましたが、世界というのは刻々と動いているのであって、変化し続けている のが正常の姿であるというわけです。それと日本という国は自然災害が大きくてそれへの闘いが歴史 であるというところがあります。他の国は気象変動はありますが戦争だけを心配していれば済むという のとは違います。南海トラフだげてなく首都圏震災や富士の噴火という災害もあるわけで、これからは そういう自然災害の当たりの時期になっています。 しかし私は悲観的にはなっていません。日本という国は歴史的にそういう災害を乗り越えてきたわけで すから今回もきっと乗り越えていくでしょう。 ところで肝心のロシア・ウクライナ戦争ですが、その帰結。それはどうなるのかというと、ウクライナ側が 勝つわけです。それは自明のことですね。同様に米中戦争は米国が勝ちます。 専制主義国家が生き延びているのはあくまで米国などの技術力や国力を持っている国の不用意な失点 からであって、本気になって米国などの西側諸国が手向かえば専制国家は勝てません。日本はかつて の戦争で身をもって体験していることです。 日本人はこのことを良く忘れずにいて、米ソ・米中の戦いに於いても負ける側につく人は少ないですね。 それにしても何故、かつて日本は米国と戦うことになったのでしょうか。このことを深く分析している人は 稀てすね。 それは日本が大陸に進出して、日本が中国化してしまったからだろうと私は考えています。とくに軍部 がチャイナ化しました。ロシアと戦った勝った日本軍が中国軍のようになってしまったわけです。 つまり日本が中華思想化したわけです。それが大東亜共栄圏ですね。 占星術的な地政学で見れば日本と中国。共通する部分もありますがかなり違います。ヨーロッパの国々 が同じ地政学を共用しているのに対して、日本と中国は全く別の文明圏になるのですね。 このことを知っていれば、日本が上がれば中国が下がる。中国が上がれば日本が下がるということが 良く理解できるようになります。そういうシーソーのような関係が日中関係なんですね。 それで日本が身近に影響力を及ぼしていいのは、近隣の島嶼部と半島くらいのものです。そして何と いっても米国やヨーロッパと深く結びつくことですね。 これは占星地政学から明らかなことですが、米国・西欧・日本は大洋の影響を地政学的に受けている というのが共通しているからです。大洋とか海洋は領土でもなく人も住めませんが占星術上からは利益 を受けるのです。これは眼に見えない受益であって常識が見逃していることですね。 もしも、世界地図に日本列島が存在しなければ、今度は中国が大洋の影響を受けることになり、米欧と 並ぶことになったでしょうね。しかし現実には日本という存在が中国の太平洋への受益を妨げています。 日本人の持つ細やかな知的能力と努力心、また他への思いやりや協力精神は西太平洋の占星術的な 特質です。 日本列島は小さな島国ですがそのバックに太平洋の半分があるということ知ってほしいですね。 そう考えると日本は大国であるということになります。

雑文

⑱ 今回の投稿は久しぶりに二コン機を持ち出しました。いつものようにJPEGのSサイズで撮ってだし です。撮影は愛媛県西条市。今回は前回より天気がましだったので、南側に聳える四国山地、 石鎚山系などが望めました。 香川県も南側には讃岐山脈が走るのですが、しかし標高は1000メートル。西条市のそれは2000 メートル近いのですね。これは圧倒的な違いです。 今回は主に農村部、とは言っても沖積平野の干拓を含む先進的な農業地帯です。そこを主に撮影 しました。撮影中、何度もずっと、南側の山地を見上げていました。高山山脈は私の憧れでして、 いつかは行って見たいぞ長野県なんですが、四国で見事な連山が見られるのは四国中央市から 新居浜市、そして西条市と連なる四国山地の中央構造線地帯だけでしょう。 高い山脈と広大な農地を要する平野部。西条市にはそのどちらも備わっていて、四国で一番私が 好きなところですね。市外は田舎町らしくのんびりとしていますが、豊富な水と相まって豊かな町 です。農業も漁業も工業も発達していますので観光には力が入っていないようです。 ※この撮影は弘法水と言って、海の中(漁港)に噴出した出水(うちぬき)です。真水で飲めます。

雑文

⑬ フルサイズ5000万画素で黒白を撮り、それを1/4出力するというのは、なかなか良い手だだった かなって感じています。つまり1240万×4で5000万画素ですかね。 これはどういうことかというと、ベイヤーセンサーは基本4画素ピクセルでRGB(正しくはRGGB)を 構成しているからです。つまりその4画素は、レッドは1/4、グリーンは2/4、ブルーは1/4になります。 それを補完水増し処理をして、4画素にそれぞれRGBの色を持たせているというわけです。 それをやめて4画素単位でもって、それを1画素としてRGBとするという考え方です。そうすると 必然的に、総画素5000は1/4の1240万画素となります。 かなり大雑把な考え方ですが、これはシグマフォビオンのセンサーの仕組から学んだことです。 ではフルサイズ2000万画素の場合は、1/4すると500万画素となります。イオス5Dマーク2や3が これに当たりますが、正直言って黒白にすると画素数が足りないという雰囲気となります。 500万画素のカラーデジタルと1200万画素のカラーデジタルを比べれば、流石に500万画素では 物足りないとなるんですね。やはり写真として1000万画素を超えなければ不満がでてきます。 それと同じで、モノクローム専用機に対抗するには4000万画素オーバーのカラー高画素モデルを 使い、それを1/4で出力すればモノクローム専用機並みのシャープで解像感のある画像が得られ るのではということです。 こういうハチャメチャ理論の展開をしているんですが、実際に撮った画像を見るとそれはしっくりと くるんです。まずは実践ありきですね。 2000万画素のカメラでも強烈に高解像のレンズを使い撮影条件が良ければ、まあまあの黒白画像 が得られるですがそれは例外的とでもいうもの。やはりコンスタントに解像力とシャープネスが 欲しいとなると画素数の高いカメラの出番となります。 ペンタモノクロームの黒白画像でも、カラー画像と同じようにデータ量があります。RGBを捨てて黒白 2価で撮影しているにも関わらずです。何故なの?という気がしませんか。その理由は簡単です。 パソコンやデジカメというデジタル機器はカラー画像を基本としていて、たとえ黒白画像であっても、 それはカラー画像、RGBとしてしか表現ができないからですね。それでデータ量はカラーとモノクローム は違わないのです。 ここのところはフイルム時代とは根本的に違っています。黒白フイルムは黒白の印画紙で焼くのが 正式で、黒白フイルムをカラー印画紙で焼くというのではなかったからです。 そういうことではデジタル時代にモノクローム写真をするというのは、モノクロフイルムをカラー用の 印画紙で焼いてしまったという例えになります。それは邪道であるとしてしまえばデジタルでは黒白 写真はできません。 黒白のデジタル画像をプリンターでプリントするとしますと、全てのカラーインキを使って黒白の絵と してプリントします。黒白プリントにマッチしたプリンターなどはもしかすれば黒インキにプラスして グレーのインキもあるかもしれません。しかし他の赤とか青とか黄とかのインキも使っちゃうんですね。 それで実は、そういう多種の色を使うからこそ、黒白写真のプリントが生き生きとするというのがあり ます。黒は締まって深みがでてグレーも高諧調となります。 商業写真でも実は黒白写真は墨1色ではなくフルカラー、CMYKのプロセスカラーで刷っています。 そういう風に考えてみれば、黒白写真も実はカラー写真の変形であるだけ、ということになります。 こういうのは画像論ですから現実の黒白撮影とはあまり関係がありません。とにかくデジタル画像 もプリントも実際はカラーデータで処理しているんだということです。

雑文

⑭ 黒白専用機はカラー機に比べて画素数は同じでも解像力とシャープさは群を抜いています。それと 撮影感度も高くなります。とにかくカラーフィルターもローパスフィルターもないのですから当然となります。 そういう解像感とシャープさはフォビオンセンサーと同じですが、高感度力はぜんぜん違いますね。 このように、カラー機とモノクローム機はデジタル処理は同じですがセンサー・撮像素子が根本的に 違うというわけです。 モノクロ専用機は色彩がない分、解像度とシャープさ、高感度を得ました。失うものがあれば得るもの もあるというのが世の中の理です。 黒白写真と言えば、なんとなく暗いイメージですね。占星術で言えばカラー写真が華やかな木星とか 金星や太陽という吉星とすれば、黒白写真は重苦しい土星というイメージですね。たしかにその通り なのですが、そういう凶星の土星や天王星や海王星には手堅い実力を得るチャンスという意味もあり ます。 質素で堅実な土星、怜悧でスマートな天王星、イメージの宝庫の海王星などなど、そういう良い意味で 捉えることが大事だろうと思っています。 カラー機で黒白をする場合、モノクロ専用機とは違って、自前搭載のカラーフィルターを操作できるという 利点があります。これで色合いではなくて黒白の配分や割り当てが可能です。グレイの調整ができるん ですね。 モノクロ専用機だとレンズ側にレッドとかイエローやグリーンフィルターを着けて調整するのが、カラー機 だとメニュー画面で調整できます。もちろんRAWで撮れば後でソフトでも。これは大きな利点ですね。 私はとにかく黒白写真に慣れるということで、今はRAWを捨てて黒白JPEGで撮っていますが、これから 本当に黒白写真というものに自信ができれば、その時はRAW撮影をして、その現像段階でカラーフィル ターの操作をしようかと考えています。それで黒白写真の幅が大きく広がりますからね。 しかし今はまだその段階ではないと自覚しているので、とにかくまずはカラー写真を捨てるという初歩 の段階ですから、まだしばらくはJPEGスモールモードで撮ります。 本当の黒白写真というのは、カラー写真を捨てても構わないという覚悟がなければできないと思って ます。つまり、キラキライ色イロ主義から脱却しなければ真の黒白写真には行けないだろうということ なんですね。 これは極めて精神的なものです。豊かさを敢えて捨てるということ。幸運を捨て苦難を選ぶということ に繋がるでしょう。幸運というのは他力ですが苦難というのは自力で本当の実力を得るということでも ありますから。こういう精神的なことを考えてこそ、それが私の黒白写真なのだろうと思ってます。 とにかくややこしい話は別にして、カラー機の高画素モデルを黒白カメラにして、そこに高解像度な レンズを着ける。というのは大変に、アリで有効だということです。 フルサイズで4000万画素を超えれば、それに高解像力を持つレンズを装着すれば、モノクロ専用機と タメを張れるというか、もしかすればカモルことができるのではないとは感じています。 正直言って、カラーの場合はフルサイズ2000万画素あればよく、それ以上は必要がないと感じていま した。4000万画素も6000万画素も要らないということで。私だけでなく実際にそう感じておられる人は 多いのではないですか。それで皆さんもフルサイズ2000万前後のカメラを良くお使いです。 しかしこれがモノクロの専用機として使う場合には、解像感&シャープを得る為に1/4程度に圧縮する 必要性が出てきて、そこで高画素カメラの出番が出てくるというわけです。 結局は相対的なことなんですが、少なくとも現時点でのスタンダードしてカラー画像は2000万画素くら いでよくて、白黒写真もやはりそれくらいは欲しいなとなるわけです。実際的には1000万画素~2000 万画素の黒白データが欲しいとなります。 当然ながらペンタモノクロームは2500万画素ですが合格ですね。しかしAPSなので半分としましょうか。 すると1250万画素となります。これでも合格です。(笑) そしてカラー機を1/4化したモノクロ化カメラだと、総画素数は4000万画素から8000万画素となります。 合格できるのはアルファ7R2の4200万画素、二コンD850の4500万画素、イオス5DSの5000万画素が それに当たります。6000万画素のアルファやシグマはもちろん合格です。これだと1500万画素になる のでスペック上はペンタモノクロームを上回りますね。 こういう考え方が成り立つのかどうか。それは実際に自分で撮って実践してみるしかありません。自分 が十分に納得して満足できるものとなるのか否か。そういうことです。 モノクロ写真はカラー情報を捨ててますので、その分は解像力、シャープさ、そしてグレイ諧調という ものだけで立ち向かわなくてはなりません。黒白写真なのだから適当でいい、というのは当初は許され ますが本格的に黒白写真だけで行くとなると、持てる知識と技術を総動員しなければカラー写真には 敵わないのです。

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⑮ 黒白でのみ写真をしていると、カラー写真が本当に羨ましく感じます。(笑) 皆さんがカラー写真で満喫堪能されているのを見ると、なんてセレブな人達だろうって感じますね。 方や私の方は赤貧の生活を送っているようなものです。とにかく、カラーと黒白の間にも物凄い格差が あるんですね。 カラー写真はほんとうに素晴らしいです。それはカラー写真を捨てると身に滲みて分かります。 しかしながら、カラー写真が羨ましいと感じているのでは、またまだ私は黒白写真を知らないのだろう と思ってます。 【海外の反応】「日本人は恐ろしい民族です」と中国のTV放送で語るハーバード大学の教授の真意とは!?【総集編】 https://www.youtube.com/watch?v=_IvR-ivvwR4 ここではマイケル・サンデル、P・F・ドラッカー、ラムザイヤーの3氏が紹介されているのですが、私が 関心を持ったのは、ドラッカー氏が室町時代の水墨画や禅画などに関心を持ち、コレクターであったと いうことでした。雪舟に代表される水墨画はほぼ黒白の絵です。これは、なるほどと感じました。 ドラッカーは経営学者であるわけなんですが、それは占星術では土星となります。 とにかく、カラー写真は黒白写真の次に来た写真であって、あらゆる面で黒白写真よりも優れているの ですが、それは情報理論、とくに情報量の大きさに関してです。黒白写真は絶対的にこの情報量に 関してはカラー写真に太刀打ちできません。 しかしユーザーが、人が感じるその情報の質的なものに関しては話は変わってくると思っています。 つまり多すぎる情報量は返って質的感覚として妨げになる場合もあるのではないでしょうか。 黒白写真はカラー写真からすれば、削ぎ落としの理論とも言えなくはないですね。情報の削ぎ落とし として黒白写真を見るということ。つまりは贅肉を落とすということですか。 非常に根本的な話をしたいのですが、我々が写真の趣味をすることは、その目的というものは、それは 一体何なんでしょうかね。 写真のコレクションでしょうか。色んなものを沢山撮ってそれを集めることでしょうか。写真も物のひとつ だとすると物集めの楽しみでしょうか。 現実的にはそのようになってしまっているかも知れませんが、それを写真行為の目的だとはっきり言え る人はあまりいないだろうと思います。結果として写真がコレクション的に集ったということはあるでしょ うがそれが本当の目的ではないですよね。 また写真をすることの楽しみやその集積とか思い出とか言うのも簡単すぎます。 写真行為を重ねることで何らかの人生的な獲得物があるのではないかと考えるのが普通だろうと 思われます。写真はモノかも知れませんが、写真行為はモノではなくもっと何かの得がたいもの、それ を捜し求める、いや結果として獲得することか目的と言えばそうなのかもしれませんね。 簡単に言えば人の頭の中にあるもの、それが本来の目的かもしれません。 ディアスポラという言葉があります。これは民族離散の憂き目にあった彼らの歴史を言うのだそうです。 その迫害の歴史を持つユダヤ人が、度重なる迫害によって、どうしても失うことがないものは一体何か というと、それは奪われることのない頭の中の知識とか智恵とか思考能力とか、そういう物質でなく 形のないものであって、これだと迫害を受けても無一文になって放り出されても生きていけるということ だそうです。 それでユダヤ人は子弟に教育を受けさせて、その頭の中のもので生き抜いていきなさい、ということ らしいです。よく知りませんけどね。 人生において築きあげた家庭や家とか土地とか仕事や会社とかいうものは、これは迫害を受ければ 簡単に喪失してしまいます。家族は離散し、物は何一つない無一文で放り出されてしまいます。命が あるだけまし、という具合です。 そういう究極の状態で我が身を保つものは何かと言えば、それはやはり個人の頭の中の蓄えた何かと いうことになります。その財産のようなものです。とにかく生きている間はそれが頼りになるという具合 です。ユダヤ人が優秀だといういうのはそういう考え方の歴史があるからのような気がしますね。 これは究極の個人主義的な生き方とも言えなくはないのですが、我々日本人には想像もつかない厳しい 歴史的現実があったればこそかもしれません。 こういう話をしたのは、もしかすれば写真の行為のその原理というのも、そういうものと無関係ではない のだろうかということです。もちろん知識全般がそうであるわけですが、その中のひとつに黒白写真と いうものがあるのかもしれないということです。 写真は知識体系の学問と絵画芸術の間に位置するという感じですけど、物質というものがなくても成り 立つということでは、芸術というよりも知識に属するのかもしれません。 予め自分の結論を出してしまいましたが、カラー写真はともかく、黒白写真というものは画像というモノ、 物質がなくても成立する写真ではないかということです。現実が物質としてのカラー写真だとすれば 黒白写真はそのゴーストのような気がするのです。 これは飽くまで現在のデジタル時代における私の印象です。デジタル黒白写真は、写真でありそうで いて、写真ではないのかも知れないと。物ではなく頭の中のゴーストのようなものかもしれないと。 しかしそのゴーストのようなものが、いざとなれば生きることに大変な威力を発揮してくれるのではないか ということなんです。そういう生きる知恵のエッセンスが詰まっているような感じだと。 ところでピータードラッカー氏がその経歴からみてユダヤ人ではないのかと思う人は多いでしょう。 調べるとやはりそうだったようです。正確にはユダヤ系というようです。20世紀の知力の代表的な存在 であるドラッカー氏ですが、そういう人物が水墨画などの黒白芸術を好んでくれたのが嬉しいような気持ちになります。

雑文

⑯ この掲示板もコロナ禍をかい潜ってから随分と変わったというところがあります。総体的に皆さん大人 になったような気がして、落ち着いてきたというか思慮深くなったような気がしてます。そういう意味では コロナの流行下で写真をあまり撮れなかったというのがプラスに働いていると思ってます。中には驚く ほどに(良い意味で)変わられた方もおられますね。 コロナ禍であまり写真を撮れなかったというたけでなく、その2・3年間分だけ歳をとった、というところも あるんでしょう。なるほど、高齢化社会を地で行く掲示板ではありますね。(^^ゞ  写真行為は自我を発揮する極めて個人主義的なものです。そういう意味で西洋文化の系統に属する でしょう。自分が写真なるものをしたいからするのであって、あまり他人目というものを気にしない文化 のように思います。つまり他者に迎合することの少ない芸で趣味ですか。まあ空気なんか読んでいては 確かに写真はできませんしね。 そして世の中の時流にそって、さらに自身の運勢に沿っても、自分の写真も変えていくというのが写真 というものであると思ってます。 それでも写真は永遠に極められないものなんですね。極点などというものはどこにもありません。ただ 淡々と自分の写真をやっていくというだけしかできません。 この掲示板は一般的な写真投稿サイトとは違って、あくまでも自分でカメラをもって写真を撮影するという 写真愛好者たちの掲示板です。それで自分の作品を見せるというよりも他の投後者の写真を見て、 ご自身が啓発されるという面が大きいのではと思ってます。 ああこの人はこういうカメラを使ってこういう写真を撮るのか、という具合で自分が発するサインよりも 受け取るシグナルのほうが高いのでしょう。そういうのはこの掲示板が始まった当時から、そういうよう な伝統があるようで、今となっては極めて稀な写真のサイトになっているみたいです。 こういう掲示板がもう何年も十何年も続くというのは奇跡のような思いがします。 私が積極的に掲示板に投稿しだしたのは東日本大震災の年の2011年からですから、それからも既に 10年以上経っています。私が本格的にデジタル写真を始めたのは2000年ころからですが、その時の 自分の予想では、まあ10年はこの写真趣味でいけるだろうが、それ以降は続かないだろうと考えてい ました。 それがいまだに写真をやっていて通算20年余もデジタル写真の趣味を持つことができています。それは ひとえに、この掲示板のなせるお陰ではないかと感じ入っています。 この掲示板を運営し維持してくれている管理人さんには感謝の念しかありません。そしてこの掲示板に 写真投稿をされコメントも書かれている多くの方々にも御礼を申し上げたいと思います。 橘玲著 バカと無知 -人間、この不都合な生きもの 新潮選書  橘玲・安藤寿孝共著 運は遺伝する -行動遺伝学が教える成功法則 NHK出版新書 というような本を今読んでいるのですが、こういう本で述べているような現実があるというのがこの世の 中の通例でして、とくにネットでのやり取りなどは非常によく正確に書かれていて関心をしています。 私としてはそういうことは有り得て当たり前だという感覚でしたので、当初から自分のコメントでの発信は 一方通交にしています。いちいちの追コメントに応えることなどはしていません。そんなことをしていては 自分の写真論などは出来ないだろうと最初から感じていましたので。 私が純粋にデジタル写真をやっていたのは最初の10年間であって、この掲示板に投稿しだしてからは 写真ではなく写真論をやっていたのだろうと思ってます。写真行為論とでもいいますか。 そしてその場を提供してくれたのはこの掲示板であって、これがなければありえなかったろうとでも言える ものでした。 例えば私の今の黒白写真は写真表現としての黒白写真では全くなくて、写真行為としての黒白写真 です。前者は画像でありモノですが、後者は人の行為そのものを言います。 撮影をオートマチックではなくてマニュアルで撮影をする。とか、オールドレンズを態々使いにくいデジイチ で撮影をするというのも、それも写真行為ですね。 写真論は最終的に写真をする人の総体的な行為論に収束するのではないかと考えています。 ですから写真する人、そのものが作品と言えば言えるのでしょうか。(^^ゞ 

雑文

⑰ 占星術的風水的に申しますと、黒白写真行為というものは(カラー写真に比して)不足のそれですから、 土星・天王星・海王星という所謂凶星下にあります。 そして華やかなカラー写真は、吉星としての木星・金星・太陽という具合ですね。 私も最初はデジタルでカラーをやっていました。面白かったなあっていう時期は、デジカメが1000万画素 以下の時代でした。その当時はCCDセンサーのカメラでしたね。画像としては不足感のあった時代です。 それが1000万画素、そして2000万画素となり現在は数千万画素の時代なんですね。 そして自分としては画素数が上がり、カメラの画質も洗練されていくにつれて、違和感が芽生えていった という気がします。 これは何故だろうかと考えますと、凶星の星の下に生まれたこの私にとっては、豊で華やかで綺麗な 現在のカラー写真には向いていないということだろうと思います。それで不足感や抑圧感のイメージが ある黒白写真に再び自分の居所を見出したのだろうということなんですかね。 ですからこれは、つまり黒白写真行為は、あくまで私だけの特殊な話であって、多くの人々は恵まれて 豊かな吉星のもとに生まれているのだから、最新の優れたカラー写真が最適だということです。 事実、私の皆さんが撮るカラー写真を見るのは楽しみです。そういう写真を見るにつけ、自分もそんな 写真を遠慮なく撮れたらいいのになあって思うのですが、それは私には分不相応であることを知って います。 つまり写真行為というのは人によって違うのであって、それはけっして一様ではないのです。 人それぞれにピッタリと当てはまる写真というのがあって、それを各人が見つけ出す。ということだろう と思いますね。 私の場合は、カラー写真ならば600万画素くらいがちょうど良かったのです。しかし技術発展は留まって くれませんから、どんどんと画素数という情報量も画質も上がっていきます。そうすると私には分不相応 になってしまったのです。 黒白写真はカラー写真に比べて情報量は単純化すれば1/3から1/4ですね。RGBやCMYKというのを 思い出してくれれば分かると思います。それで逆算して600万画素を3倍から4倍すれば、現在のカラー 写真のレベルになるだろうと言うことです。 そしてさらに私はカラー写真機を黒白専用機のレベル(その解像感やシャープさ)に上げようとすれば さらに1/4になるので贅肉を削ぎ落としたものになるのです。 5000万画素で1250万画素匹敵、3600万画素で900万画素匹敵という具合です。それをまた1/4とすれ ば、400万画素とか300万画素ですかね。(笑) そういうカメラ、昔はありました。イオス1Dやイオス30D です。そういうカメラほ昔に使っていた時代は充実していたと思います。 一頃フォーサーズ機に親しんだ時期もありました。1千数百万画素のカメラで、何といってもそのセンサー が小型で、その情報量が大きなセンサーに比べれば少なかったというのが理由だったかも知れません。 今はそういうカメラはスマホになるのでしょうか。スラムさんの投稿写真を見て、スマホ写真も良いじゃ ないかって思ってます。 私はまた一頃、超高画素高画質のカメラを批判していたことがありました。そういうカメラは自分を見失う のではないかということだったわけです。 しかし皮肉なことに今は5000万画素のカメラを黒白化して使っていますね。使い切ることができないと 感じていたカメラも、黒白化して画素数を1/4にすれば、ちょうど良いんですね。(笑) とにかく私にとっては、デジタルカラー写真ならば300~600万画素くらいがちょうど良かったのですね。 その当時は、まだフイルムカメラが主流だったんではないですか。カラーフイルムはライカ判リバーサル ならば情報量としてはデジカメの2000万画素くらいだろうと言われていました。デジカメ600万画素の 時代、フルサイズ2000万画素というのはなかったんですよ。 あのデジカメにとって古き良き時代が今も続いてくれていれば、ほんとうに良かったんだけど、そうは いきませんでした。時代は非情なんですね。 そして上に政策があれば下には対策、対抗策がある。ということで私は黒白写真行為というものを捻り 出したのではないでしょうか。

雑

シッポ座さん、このカタリの人は掲示板では有名な人なんです。80歳代でその年代の半分はいっている と思います。昔は掲示板に多くの写真を投稿されてましたね。最新機材を次々と使われていて撮影量も 多くて、言わばヘビーユーザーだった人です。当時は掲示板内でのお仲間も多かったと思います。 それが今は完全な認知症患者様になっています。もう誰も彼を相手にしていません。 彼が私にフォロアするのは、私も同様なヘビーユーザーだからでしょう。私は最機材は持ってませんが 古い機材ならば数多く所持していて、そういうヘビーユーザー同士の感覚の繋がりというのはあるのかも 知れませんね。 写真というのは、カメラ機材も同様ですが、ある意味で夢を見させてくれるものなんです。浦島太郎のカメ というか玉手箱(暗箱)というのか、現実を忘れさせてくれるようなところがあります。 しかしながら、私こそ、そのカメラなり写真というものに多くの危険性が宿っていることを指摘し続けてきた 人間はいません。写真をすることは本当は恐ろしいことなのだという、そういう論陣を少しばかり張って きたつもりです。でもそういう話が人様に通じるとは少しも思っていないというのも正直なところあるんで す。 また、カタリであろうがアラシであろうが、この掲示板に来られて何らかのコメントを発するという人は、 やはり写真が心底好きな人なのではないでしょうか。人様とのコミニュケーションが苦手な人というのは 多いです。ましてや掲示板は言葉を書き綴る能力を要求されますね。しかし写真が好きであればこの 掲示板に登場する資格というか権利はあるんではないですかね。私はそんな具合で大まかにみていま す。(^^ゞ  カメラを持って野外に出て美味い空気を吸って歩いて何でもいいから散策をする。写真というのは良いと ころが多々あります。特に家庭や仕事から解放された高齢者の人にとっては良い趣味だと思いますよ。 本当は手放しで写真の良いところばかり話せればいいんですけど中々そうはいきません。 写真というのは龍宮城のようなものですかね。乙姫様に鯛やヒラメの舞い踊り。綺麗な景色に有頂天に なって時間が過ぎるのも忘れるほどです。しかし無常にも最後は玉手箱によって現実に戻ってしまいま す。 良いことも悪いこともすべてを含めて写真であるわけですね。写真をすることは、そういう全てのものを 受け入れるということかもれません。

無題

カメラを手にしての写真撮影は楽しいですね。何を撮ろうか?なんて目的は要りません。気が向くまま 足の行くままの撮影行が最高です。そして撮影しながら歩きながら、色んなことを考えている自分が そこにいます。きっと歩くこと撮ることはすなわち考えることであり、これぞ人生最高の贅沢だなって思い ますね。 こういうのは低欲望化社会(GDPが上がらない)だと批判する御仁もいるわけですが、それで結構ですわ。

雑感

キヤノン板 https://photoxp.jp/pictures/222993 久しぶりに一耕人 さんが出てきたとと思いきや、キヤノンミラーレスカメラを引っさげて来ました。 レンズはまだデジイチのもののようです。 ミラーレスカメラに行く場合、デジイチを捨ててミラーレスに完全に鞍替えする場合と、デジイチもとって 置いとくという場合の2形態があるようです。できればデジイチも持っていて欲しいとなと願っています。 ミラーレスカメラを使う場合、もしかすれば大体のユーザーはデジイチからの習性でメカニカルシャッター モードで行く、という場合があるんですかね。よく分かりませんが。 私の場合は完全に意識してデジイチの電磁波被爆を嫌って、それでミラーレスの電子シャッターしかない ということでミラーレスを選びましたので最初から電子シャッターのサイレントモードで使っています。 (極初期のミラーレスは電子シャッターモードがありませんでした) 時代の流れのままにカメラを選ぶ(選ばされる)のと、個人としてきちんと意識してカメラを選ぶっていう 違いがあろうかと思いますが、大概の人は只単に時代の雰囲気でやっていますね。世の中とはだいたい そんなもんです。知らぬが仏っていうところですか。 とは申せ、新しいカメラは良いもんです。(^^ゞ 大昔の中古であっても新しく手にすると多少の写欲が 湧くというもの。

無題

私自身は花の写真の撮影はほとんどしないのですが、この掲示板の方々の影響でもって、多少は撮って いるのか、という具合です。本人自身が華がないタイプなので、むしろ朽ち木枯れ葉なんぞが似合いうと 思ってます。 花が好きな人はきっと(同類である)昆虫や小鳥なども写真として撮っているだろと思ってます。 なぜならばそれらは生態学的に同じ仲間であるからですね。受精仲間というか。 つまりは花鳥風月。 最初の花鳥は分かりやすいですが後半の風月はちょっと捻ってますね。花鳥ほどには艶やかではなく、 控え目なところがあります。私としてはその風月の部類で行きたいなっていうところ。 光学一眼レフカメラと、MF単焦点レンズとの組み合わせは、その撮影時に於いての満足感というものは 際立っているということがよくわかりました。そうは言っても同時に撮影そのものにもバテた。というのも 明らかな事実です。しばらくは撮影などしなくても余韻でやっていけそうです。(^^ゞ  コシナ製レンズを今後も使うことができるのかどうか。極めて怪しい限りですがしかしあまり拘ることは しないつもりです。 AFレンズも良いですし、ミラーレスカメラも良いものです。 じはらく積読していた○○県のトリセツ、これを復活して読み込んでいます。

無題

画像至上主義の終わり 写真がデジタルになってから20年以上になります。当初のデジタルの画質はフィルムに完全に 負けていたので、ユーザーはとにかく画質重点主義だったように思います。 しかし段々とデジタルの画質も良くなり、まだ発色とかコントラストなどは劣っていますが、解像力 や感度などは完全にフィルムを超えてしまいました。もう十分な画質をデジタルは持っていると思う のですが、これまでの習慣でユーザーは画質のことをまだ言っています。 ミラーレスやライブビューならピントや露出は正確だし・・・とか何とかですね。 しかしよくよく考えると、フィルム時代に於いて我々はどれほどの写真を撮っていたのでしょうか。 1回あたりせいぜいフイルム数本でしょう? 100ショットに行かないくらいの写真しか撮っていな かったのではないですか。画像とか画質とか云々するまでもなかったはずです。画質オタクになった のはデジタルからではありませんかね。 フィルム時代では何よりも撮影自体に気を入れていて、肉眼でよく見ることは当然としてファインダー を駆使しながら、とにかく被写体を徹底的に見ることであったように思います。ハイアマチュアならば 何度も三脚を立て直して光や構図を逡巡しなから良く見て考えながら撮影をしていたのではありませ んか。 私はハイアマチュアの経験はないのですが、彼らはファインダーを十分に駆使しそれこそファインダー を見ることで写真そのものの8割くらいが達成できていたのではありませんか。 それこそファインダー命であったわけで、べつにレリーズを押そうが押さないではなくファインダーの 世界が写真世界そのものだったように思います。 ちなみに私はハイアマチュア以前の写真マニアの世代だったので、それほどにファインダーは凝らな かったと思いますけど、むしろ裸眼肉眼で見るということが主題だったように感じます。 私か写真を止めてからカラー写真やAFカメラの時代がはじまって、カメラのファインダーは素晴らしく 良くなりました。その時代に多くの写真愛好家が出現したと思いますね。コンタックスのカメラや中判 カメラが全盛を極めたと思います。 そういう時代に写真の薫陶を受けた世代が、今は何と光学ファインダーを捨て去ったミラーレスカメラに 向かっているんですね。なぜならばその方が時代だから。(笑) まあミラーレスの方が画質が優れてい るからというわけでしょう。そりゃあ間違いのないところです。レンズからして違いますから。 そういう世代があの小さなEVF電子ファインダーを食い入るようにして目をしばたせながら見ている様を 想像するに、これが時代の流れなのかなって驚いてしまいます。 かつては光学ファインダー命であって、そのファインダーに親しむことで写真の8割はそこで完結して いたはずなのに、今はEVFで苦しみながら撮影をしているというのは一体どういうことなのでしょうか。 さて、もうひとつの写真世代というものもあります。ほぼデジタル写真時代から写真を始めたような世代。 フィルム時代はあまり知らないです。大体はコンデジやAPSデジイチから写真に行ったものですから、 光学ファインダーのことはあまり知りません。ファインダーと言えばダハミラーのAPSカメラ程度であって フルサイズのファインダーやましてや中判カメラのそれも知りません。 こういう世代は、とにかくレリーズをたくさん押して撮った画像の中から良いものを選ぶっていう、写真 自体がイコールそのまま画像処理になるという感覚の世代です。 私は半分はデジタルになってからの世代とも言えて、それで写真とはデジタル処理なんだという感覚も 持ち合わせています。しかしこれはある程度、限界があって写真がPC画像処理だということは、即ち 写真がリアル世界ではなくなって単なる画像処理になってしまい、所謂モニター症候群の罠にはまって しまうということだったです。その典型例がシグマフォビオン画像でした。 PCの前に張り付いて画像処理時間は長いしで、私も見事にモニター症候群に陥ってしまったことを思い だします。 写真とは何か、結局は画像処理なんかに頼らずに、撮影の時点で写真の大部分が完結していないと、 それは写真とは成り得ないという事なんではないですかね。 そしてその肝を握っているのが光学ファインダーの存在なんだろうということです。光学ファインダーとは 現実光景のファインダーであり、リアルな光景を四角く切り取ったものです。EVFは光を電子に一度は 転換していますのでリアルなファインダーではありませんよ。 光学ファインダーの良さを体験していたハイアマチュアがミラーレスカメラに行くというのは、画質至上主 義というものに惑わされているといいますか、そもそもデジタル写真というものをまだよく知っていなかった からだろうと推察しています。 光学一眼デジタルカメラというのは、アナログ時代とデジタ時代の過度期のものなんですね。カメラは アナログのフィルム時代のものであって、画像はデジタル時代のものという折衷したものです。本当の デジタル時代のカメラというのはミラーレスカメラになってからです。 そして本当のデジタル写真時代というものは、静止画という写真は消滅して動画を含む画像生成機で あるというのがその正体だろうということです。ドローンやロボットが撮影しても何ら問題がない世界です。 ですからデジタル写真時代では、正確に言えば写真は消滅して画像主義となります。画像が出来て ナンボの世界であって、旧来の写真の楽しみというものはなくなります。カメラが勝手に撮って勝手に 現像してしまうという世界です。最新のミラーレスカメラはAIが入っていてカメラがロボット化しています。 これが多分、デジタル写真の本当の姿でしょう。スマホの写真を見ているとそう思ってしまいますね。 旧来の写真の楽しみを知っている世代は本当は、このデジタル時代の写真には行けないとだろうと 私は思っています。それを無理やり行こうとすれば大きなしっぺ返しを食うのではないですか。 私はモニター症候群、VDT症候群で超高画素高画質という画増至上主義に限界を感じておりましたか ら、ミラーレスでは低画素のカメラを選び、そしてミラーレスで撮る写真は記録写真としての撮りっぱなし を選びました。 ここでいう記録写真とは、自分が歩いたその記録であって、写真の楽しみよりも歩くことや自然の中に 入ることの楽しみを優先したものです。ですから撮りっぱなしで良く、気が向けば閲覧するだけです。 ミラーレスカメラは画像生成機でしかないのだから写真としては認めず、ただ歩きの健康維持の為だけ に特化した使い方にしたのです。 ミラーレスカメラは背面モニターを見て、そして電子シャッターを使う限りにおいては身体に優しいカメラ となります。背面モニター撮影とは要するにノーファインダー撮影とさほど変わらない方法ですね。 この撮影方法は膨大なショット数を生み出すことが出来、これがまさしくだジタル時代の写真(画像)だ ろうということです。数打てば当たるのやり方であり、撮った画像は大部分スルーするという具合なので デジタルとはそういうものなんだと割り切れば、このデジタル写真の方法しかないものと思います。 要するにデジタル時代というものはその程度なんだということです。 そしてこのやり方は時代に沿ってはいますが、自分を見失う可能性が高いです。そもそも自分をなくする というのがデジタル時代の本質であるわけですから当然のことだということです。 デジタル写真とはアナログ時代の写真とは根本的に違うものなのです。 ミラーレスカメラは、レンズ交換式のコンデジであるというくらいの感覚で臨まないといけないと感じてい ます。コンデジとはフィルム時代で言えばバカチョンカメラです。間に合わせの小型カメラです。写真を 楽しもうということでは一眼レフカメラであったわけで、それは今の時代でも変わらないでしょう。 高品質な画像が生成できるということで、ミラーレスカメラこそがメインのカメラであると考えると、そこに は大きな落とし穴があったりします。 私はミラーレスカメラを初期の段階から試しているのですが、それはデジイチのマイナス点、漏洩電磁波 を防ぐ目的でした。モータードライブを搭載したデジイチの最大の欠点がその電磁波被爆でしたから。 画像至上主義の行く付くところはデジタルであり、そしてデジタルは自らを見失うことである、ということ。 そうであるならば根本的に画像至上主義を捨てなければならないということです。 そこで再び思い出すのが、かつてハイアマチュア人がやっていたファインダーを駆使して撮影時に8割 の写真行為を完結させるというやり方です。これに戻らなければ写真は取り戻せないということだと 感じています。写真画像とは単なる結果いでしかなく、写真の本質は撮影現場にこそあるのだということ ですかね。そこに本来的な写真行為の本当の意味と実質と楽しみがあるのではないですか。 そして私が今回選んだのが、優れた光学ファインター(フルサイズカメラ)とMF単焦点レンズの組み合わせ です。もちろんAPSカメラでも一眼ならば良いですし、レンズもAFレンズでもMFで使えばよいだけのこと ですが。別にズームレンズでも構いませんし。 とにかくスローな撮影で、肝心なのは良くファインダーを見るということです。言っておきますがEVFは ファインダーではありませんよ。ファインダーもどきではありますが本質的にファインダーとは成り得ませ ん。 だた本当に、ここでいう意味がリアルに分かるにはやはり純粋なMFレンズであるのが望ましいです。 このMFレンズはイオスでは存在しません。MFレンズを現在でも作っているのはコシナと中華製だけでは ないですか。 もしくはマウントアダプターで介助して古いMFレンズで撮影するか、その二つしかありません。 なぜAFではなくMFなのか。それは簡単で、ファインダーを良く見るにはその方法がベストだからです。 ピントを外しても構いません。MFならばそれが自然ですから。露出は絞り優先の自動でもマニュアルでも よいと思っています。ピントに集中しようと思えば露出自動のほうが使いやすいですかね。露出が手動 だと、撮影後にどうしても画像確認をしてしまうので気が散ります。 それで私はMFのピント手動、感度は自動ということでやっていますが、カメラによっては露出設定は マニュアルになるのもありますね。 結局はファインダーを良く見よう。ということでしかなく、それが写真の本質をえぐることになるからだろう と考えています。ファインターを良くみるにはデジイチカメラしかなく、そしてMFで撮影をするということに なるわけです。 写真の良さを、写真そのものを復権させるにはそこまでやらないと現在では達成しなくなっているという ことだと考えています。 ファインダーと言えば、ファインダーを見すぎてファインダーに囚われすぎるからハイアマチュアの写真は 詰まらないのだ、という指摘がプロ写真家からよく出されました。ぎちぎちに余裕のない構図の写真なん かですね。 それはその通りなんでして、そこはハイアマチュアの限界でありました。しかし彼らは被写体やファイン ダーを良く見て写真を撮っていたということは間違いかなかったということです。 実物視やファインダー視の観察は、あくまでもこのリアルな現実の世界での「見る」という行為です。 デジタル画像になった電子画像を見るというものとは本質的に異なります。 よく言うのに、自分はパソコンで画像が自由になるのを見るのが楽しいということをいう人がいます。 あんなの、仕事で画像処理をしている人からすれば苦痛でしかないのですけどね。人間がするものでは なくAIで済ますのが本当です。 画像処理なんかは絶対に写真ではありませんよ。アマチュアでもシグマフォビオンの画像処理をすれば すぐさま身に沁みて分かることです。 結論として、画像至上主義というものを捨てなければならないということです。これに多くの人たちが 未だに囚われていて、それで本来の写真を見失っているところがあります。

無題

写真の本質  それはリアル世界、つまり現実の被写体ですが、それを画像として記録する過程におけるプロセス にあるのだということでしょう。そして得られる画像とは今風に言えばバーチャル世界なんですね。 写真を形成する第一義とはフレーミングでしょう。つまり現実世界を切り取るということ。 ファインダーを見れば分かるように被写体は四角く切り取られています。黒枠の中に構図としてある わけです。そして何よりも写真は2次元であって現実の3次元とは異なります。 それで写真とは現実世界を四角く切り取り、そして3次元を平面の2次元に変換することだと言えます。 その大きな役割を果たすのがカメラのファインダーです。それほどにファインダーというのは重要な ものなんだと思うんですね。 ノーファインダーカメラ、もしくはノーファインダー撮影というのがありますね。私はよくノーファインダー 撮影をするんですが、これは写真なのかそうでないのか分からないところがあります。ノーファインダー 撮影をした画像を後で見ても自分が撮った写真だとは思えないところがあるんです。画像は得られて いるんだけどそれは自分の写真だとは言えないところがあります。 写真とはリアルな現実世界と、バーチャルな写真画像との間の中に存在するんじゃないかって考えて ます。橋渡しですか。それは非常に微妙な世界観ですね。現実と虚構の間のボーダーラインにあると 言い換えることもできます。 例えば、世界と自分。これは当然に違うものです。世界は大きく本質性に富んでいますが、自分や私 というのは小さくて人為的に作られたものです。特に自然世界を相手にすると人間の私というものの 存在が卑小なものであることがよく理解できるでしょう。 この圧倒的な落差のある世界と自分とを繋ぐ役割を果たせそうなものが写真だといえませんか。 私は写真というものを通じてこの世界を、見たいし学びたいと常々考えています。 写真と言えば多くの人たちは絵であり芸術であり画像であってモノだと考えているでしょう。傑作が できれば嬉しいという感じで。しかしそれだと写真は、自分の生き方とか向上心とかとは無関係のもの になってしまいます。 絵ピクチャーとか芸術アートだと、それは早い話が道楽です。写真が道楽になってしまっては勿体無い なかって感じますね。高級なカメラやレンズ、PCを揃えて、撮影では旅費と時間を掛けて写真をしても それが道楽なんかでは投資した資金は回収できません。単なる消尽となるだけです。 もちろんこのことは多くのアマチュア写真人がよく知っていることです。しかし明確に意識しているとは 限りません。ただ何となく写真には芸風以上の価値があるだろうと感じているだけです。 写真や撮影の行程に於いては、 1.まず現実世界の前に立つこと(歩きであり旅であること) 2.カメラでもってそれを切り取るという、ファインダー視をすること(撮影そのもの) 3.そして得られた写真画像を帰宅して確認することです。(現像です) この3つですかね。このどれが欠けても写真とはならないような気がします。 私がよくしているのはミラーレスカメラ・AFレンズでノーファインダー撮影に近いやりかたをすることです。 ファインダー視は背面のモニターでアタリ程度でしか見てません。撮影はスピーディで、歩きの距離は 伸びて、その間でしているのは目前の光景や被写体ばかりを見て、写真のことは何も考えていないと いうスタイルです。カメラを持たないような手ぶらな物見遊山とさほど変わりませんね。 こういう撮影では撮った画像を後で見るということはほとんどしません。しかし写真に惑わされずに 現実を良く見ているということではなかなか捨てがたいものだと思ってます。こういう記録本位の写真 スタイルというのもあるんではないでしょうか。この場合、私が撮影中で記憶しているのはファインダー 視の記憶ではなくではなく現実光景です。 しかしそういうスタイルも写真だと思えるのは、既に私の習慣として光学一眼レフのファインダーで長く やってきた経験というものが私の中に出来上がっているからでしょう。 それで偶にはデジイチでの撮影を定期的に挟んでするように思えます。ミラーレスやコンデジだけでは 写真を永続することは難しいようでして、中継ぎとしてファインダー視ができるデジイチを使うんではない でしょうかね。 皆さんはどのような思われているのかは知りませんが、私には実用としてのミラーレスカメラ、精神的 主柱としてのデジイチがあるように思ってます。 ミラーレスカメラは光学式ファインダーがありません。あるのはEVFと背面スクリーンだけです。残念な がらこれらを良く凝視することはできませんね。アタリ見程度しか使えずファインダーとしての機能はない と私は考えています。 もっと技術が進んで本当に光学式と変わらないEVFファインダーやスクリーンが出来る可能性もありま すが、残念ながらそれは撮像素子からの画像なのでリアルなファインダーとはなり得ません。 つまり、ファインダーとは現実世界のリアルな像でなければならないのであって、撮像センサーを通した 画像では本質的にファインダーとはなりえないんですね。 撮った写真画像をその場で見ることができる。これが現在のEVFやスクリーンのファインダーとなってい るのですが、本質的にファインダーの定義からは食み出しています。つまりファインダーとは被写体の あくまでリアルな像でなければならずで、結果としてのバーチャルな像では意味をなさないというわけ です。 現実的にはOVFもEVFもほとんど一緒ですかね。しかし細部を見れば違います。その細部が肝心なの であって、リアル世界はとにかく細部に宿るのです。大まかに同じというのは空論です。 多くの人はこの空論机上論で世の中を考えているところがあり、順調な時はそれでいいんですが危機 が訪れるとにっちもさっちも行かなくなるものです。 写真というのは非常に繊細で細部までよく考えていかないと見誤るものだと思っています。単なる画像 を得たいのであればEVFで上等ですが、写真の本質まで考えてやっていこうと思えばOVFは必須だろう と考えています。 光学式一眼レフだけでなくカメラの黎明期には色んなファインダーのカメラがありました。ペンタプリズム を持たない一眼式カメラ、2眼レフや、レンジファインダー式カメラ、ミラーもプリズムもないフォーカシング スクリーンだけのカメラ、板金で枠を作っただけのスポーツファインダーとかも。 しかしそのどれもが当然ながらリアルなファインダーでしたね。電子式ではなかったので当然です。 このようにファインダーというのはカメラの創世記からあるものでして、あくまでリアルな世界を元にして いたのです。 ところがカメラが電子式になってから事情が変わりました。カシオがコンデジで撮った画像をカメラで見 れるようにした。そしてライブビュー式のファインダーの登場となったわけです。ビデオカメラでは昔から あったものですから初めてというわけではありません。 今のスマホを見ても分かるように基本的にこれはビデオ式のカメラですね。静止画も撮れるよっていう くらいです。そうなんですよ。今のミラーレスカメラは動画撮影を主流とするビデオカメラなんです。 写真好きの人が動画カメラを買ったとしても動画は撮らないんではないですか。私も殆ど撮りません。 動画は実用的に富んでいます。初めてのものでも動画だと理解が早いです。テレビやネット動画はその 動画です。しかしモノ事を本質的に良く知ろうとすれば動画ではもの足りません。情報収集の面では 活字も必要です。そして自分が画像を撮ろうとすればやはり写真が撮れるカメラでなければ、となります。 それは物事への理解の深度が本質的に違うのたということではないでしょうかね。 ともあれ、現在は少しずつ写真精神を喪失しつつある時代だろうと思ってます。そうは言ってもいつの 時代も写真なるものを本質的に究めていくというのは難題でした。世の中のカメラが光学式ファインダー を無くす時代に投入すれば本当に写真はなくなってしまうかもしれませんね。しかしOVFカメラがなく なる時代はそう簡単には訪れないでしょう。

無題

風景写真板 https://photoxp.jp/pictures/222527 シッポ座さんがこの風景板では良く登場されますが、どなたもコメントは入れていません。しかし他者 のコメント云々がなくても写真を投稿できるというのが本当の写真行為だと思います。 この方はOVFカメラをメインに使っています。栃木県の方のようです。 同様に、ペンタックス板のトトキュさん、この方もOVFカメラです。また花板のcaudexさんも。 こういう具合に耽々と写真を撮られて投稿されている方にはOVFカメラの方が多いように感じられます。 もちろん被写体の面白さが手伝って写真投稿をされている方にはEVFカメラの方もおられます。 フォトXP掲示板では一番盛んな活動をされている板はMN研です。もうそれ以外ではほそぼそという 感じになってしまいました。MN研はペンタックスカメラのユーザーが3人ほど常連として活躍されて います。そう、ペンタックスはEVFミラーレスカメラは作らないと宣言しているメーカーです。 今現在、デジイチの光学式OVFカメラをリリースしているのは、キヤノンと二コン、そしてペンタックス だけだと思います。(フジとライカがレンジファインターカメラを出していますが例外的です) 二コンとキヤノンは、もう新しいOVFカメラは出さないのと違いますか。ですから唯一ペンタックスだけが 我が道を行くという具合になるようです。

無題

何でもない風景ですけど曇り日の空から陽がさして来ました。それが気持ちよくて、これは神社の山門 からの光景です。 この日は3:2のフルサイズカメラをアスペクト比変更で、5:4で撮影をしました。最近のカメラはアスペクト 比を自由にカ変えられるメラが多いのですが、古いカメラはなかなかそういうものがありません。 D800の場合、4:3はなくて、5:4でもあっただけめっもんです。

無題

こういう5:4の感じだとほぼ中判カメラの雰囲気で撮影することができます。横位置撮影だと上下に余裕 があり、縦位置撮影だと横幅に余裕が出てきます。それらの余裕が画面としての安定感を産む、という 気がしています。 撮影時にフレーミングしているだけ、と言ってしまえばそれまでですが、案外このアスペクトのフォーマット が気に入りました。撮影中に随時に広角側のミリ数を切り替えるような感覚でアスペクトの変更が可能な ので、そこは要領よくやっています。つまりは3:2の写真だけが全てではないというわけです。 わざわざフレーミング撮影などしなくても、撮影後にトリミングすればよいではないかと言われそうですが、 そこはやはり違います。撮影時こそ大事にしたいと思えば、写真はフレーミングこそが大切なんですね。 私も撮影後のPCの前でトリミングをして投稿したりしますが、それはデータ量の倹約という意味が大きくて 本来はトリミングは好きではありません。 このD800は光学ファインダーに、5:4だと指示枠が表示されて少しは見やすくなってます。

傘

小雨と霧の蕎麦畑でした。標高800㍍の山の中です。おかけで何も見えず。写真の女性は 御夫婦で来られて、旦那さんは写真にも蕎麦にも関心がなく車の中で寝転んでました。(^^ゞ 最近は中高年の女性も写真に関心があるようですね。アメリカでもそのようですし。 フジ板にKazさんのコメントがありました。そこに1年ほど前のリンクが貼ってあるのですが、この 2番3番の投稿時の差は1分しかありません。ということは物理的に言っても2番3番は同一人物 の投稿ということになります。3番は自分ではないと言うのならば2番もそうなります。 これ、本気でそう言っているんですかね?それとも、もう忘れているだけなのでしょうか。もしくは 平気で嘘も言えるということでしょうか。答えは最後のものだと言いたいです。(善意で) 私としては、こういう人間が写真掲示板にいるということ自体に興味がありますね。嘘が書ける人 はその投稿する写真も嘘だということになります。いやこれは順番が逆であって、嘘写真を投稿 し続けていたからこそ平気で嘘を書けるということでしょう。 写真は真実でも嘘でも可能なのですが、嘘写真の代償は高くつくと思ってます。嘘でもいいから 本当の写真を撮らなくては。(^^ゞ

可愛いクモ

これもタムロン90ミリf2.8マクロです。やはりD800は画質に余裕があるみたいです。 というか、そういう映像エンジンにしているんでしょうね。フルサイズでもダメな画質 のカメラ、いっぱいありますから。

カワセミ

土器川の上流のです。気まぐれで川に降りたのですが、とたんにチィーという鳴き声と 共に小鳥が右から左へ飛んだような気がして、目クラめっぽうでシャッターを押しました。 後で見ると何となく、写ってましたね。(^^ゞ 画面の左1/3の中央辺りの水面に、青い飛行物体がみられます。無論ブレていますよ。 ただ素朴に、カワセミが画面内に入っていただけで嬉しくなり投稿しました。(笑)

蕎麦の花

生まれて始めて蕎麦の写真を撮りました。(笑) こんなに可愛い花だとは知りませんでしたね。なんとなく満開の桜の花のようです。 古いレンズなので(ニッコール135ミリf2.0)色収差が盛大に出て青や赤のフリンジに なってます。(^^ゞ 撮影は夕暮れなので厳しかったかも。

里山

標高200メートルくらいの里山なんですが、そこからの俯瞰撮影。JR予讃線の特急のようです。 今はもう新しいタイプに変わりつつあります。後ろの白いのは溜池です。 レンズはフィルム時代のニコン135ミリF2。古いので解像力はありません。

財田川

タムロン45ミリf1.8での撮影。D800に着けて撮ると綺麗です。特にD800は優れてますから。 アンバーかぶりをしていたので少し色調修正。 8月に入ってから雨もふらず気温も高くて撮影には向かなくなりました。そしてコロナですからね。 久しぶりに使ったニコン。やはりシャッター音がニコンサウンドしてますね。(^^ゞ 低速シャッターにも強く、ブレやすいイオスとは違います。 カメラはニコンの方が画質的に優れていますね。しかしこの優れているというのがアダになって いるような気がしてます。少し難しい。普通の方はキヤノンが使いやすいですから。 平凡なキヤノン、こだわりのあるニコン、という気がしてます。 時代はもうミラーレスカメラになりました。しかししばらくはデジイチでやってみたいと考えてます。 コロナになって良かった(写真に関して)と思うこと。県内四国内での撮影ができ、より深く考える ことができるようになったこと。被写体に関しても機材に関しても余計な目移りがしなくなった ことでしょうか。考え方、やり方が変われば、(実際無駄な撮影はしなくなりました)、念願だった 超高画素高画質問題にも対処ができるのではないかと考えています。 どこにでもある有りふれた川ですが、こういう水辺の写真を撮り続けて長いです。しかしこれからも こういう写真を撮り続けるでしょう。

占星術メモ

新形コロナウィルス。先が見通せないところがありますね。インフルエンザウィルスと違って 暖かくなれば消えてしまうというものでもないようです。ある識者は最終的には日本人の6~7割 は感染するのではないかと言ってました。中国では感染が止まったようなことを言ってますが、 これは無論大嘘です。諸外国で拡大感染しているように中国でも大きく拡大しているはずですから。 東京五輪はもう無理でしょう。 >占星術では昨年12月に木星が山羊座に入り、土星と会合するようになりました。土星木星の会合は 時代を画することがらが起きる「しるし」であり、20年に一度起きるのですが、それはそれとして。 しかし今回はさらに2月17日より、火星も山羊座入りをしたんですね。土星も火星も凶星とされていて 良くないことがらが起きます。 この火星は3月31日には山羊座を抜けて水瓶座に行くのですが、同時に土星も接近会合したまま水瓶 座に向かいます。というとは新型肺炎ブームはそう簡単には終わらないということでしょうか。 この火星は5月14日まで水瓶座にあるわけですが、4月8日にはその火星が天王星とも凶角を作りま す。これもよくないです。しかし3月下旬からは太陽が強力な牡羊座入りするので多少はマシかも。とに かく4月下旬までは要注意、という感じですかね。今現在、太陽は弱い魚座にあり、その間は新型肺炎 の混乱が続くというところでしょう。 これは半月前の2月28日にキヤノン板に投稿したものですが、今現在3月15日では山羊座の後半に、 火星19度、木星22度、冥王星24度、土星29度と惑星集合しています。木星以外は凶星なので、 これから凶星の火星が次々とそれらの惑星と合していきます。 そして注目すべきなのは凶星の土星でして、3月23日に山羊座から抜けて水瓶座に突入しますね。 さらにその後を追いかける火星も水瓶座入りするのは4月1日。つまり4/1以降は、どちらかと言えば 制御が効いていた山羊座から、文字通り過激な水瓶座に土星と火星という両凶星が入ってしまうと いうこと。そして正確に合するのも4/1日であるということ。この4月1日は要注目点ですね。 火星は4月8日には凶星の天王星と90度の凶角の矩となります。 そして1年後の2021年2月には、土星も(ついでに木星も)天王星と矩角です。巨大惑星同士の凶角は 歴史的にみても戦争や大災害が起きる印(しるし)なんですね。 2021年2月1日の占星術チャートを見ておりますと、水瓶座に太陽・木星・土星の合、牡牛座に天王星 と火星の合、それらが矩角となってます。こういう水瓶座や牡牛座という固定宮での凶角は間違いなく 大戦争とか大震災の印ですね。 以上、何のことやら分からんでしょうけど、メモがてらに記しました。(笑) この板だと更新が緩やか なので後でも直ぐに探し出せるということで。(^^ゞ 私は典型的な山羊座人間なんですが、表面的にはともかく本心は実に理性的で合理的な人間です。 そして何よりも保守的ですし。まあ自分で言うのもなんですがね。(^^ゞ しかし水瓶座はそうではあり ません。徹底的に追い込んでいく、追い込まれていくというところがあります。過激で、あっという間に 事が進みます。そら恐ろしいところがあるんですね。 新形コロナって新聞では書かれているんですが、新形トヨペット・コロナ?じゃなくて、ニュー・クラウン でもありません。日食の太陽のコロナ(プラズマ)のような形をしているウィルスです。 この太陽というところがミソで、占星術的にもうひとつの太陽と言われているのが天王星であり、その 守護星座である水瓶座なんです。もしかすれば本当に大流行をするのは4月以降かも知れないなって いう不気味さがあるんですね。これまではプロローグであったろうというような。 もしそうなってくると、もうお手上げです。そしてそのまま、1年後の戦争や災害に結びつくのかもしれ ません。 このウィルスは、特別な、選ばれた特異なウィルスかもしれません。時代を大きく変えていくのが目的 というような。そんな気がしてきました。吉星の木星は今年の12月までは山羊座にいます。12月末に は水瓶座に。つまり今年はなんとか国家の制御が効いているというところか。でも来年はそうではなく なるということ。土星と木星の正確な合は2020.12.22で0度水瓶座です。20年に起きる土星木星の会合 は正しくは水瓶座で起きるのです。

Camera Profile

D800について

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

D800とD800Eは2012年2月7日に発表され、D800は3月22日に、D800Eは4月12日に発売された。価格はオープンプライスである。1プレス ニコンデジタル一眼レフカメラ「ニコン D800 / D800E」を発売発表時の店頭予想価格は、D800のボディのみが30万円前後、D800Eが35万円前後、D800のレンズキットが40万円前後だった。有効約3,630万画素という画素数は、発表時に「世界最高」とうたわれた。2プレス デジカメWatchニコン、有効3,630万画素のフルサイズデジタル一眼レフ「D800」

発売の3日前、ニコンは予想以上の予約が入ったため、当面は納品に時間がかかる場合があると告知した。3プレス ITmediaニコン「D800」、予想以上の予約で当面は品薄にキヤノンも3月2日にフルサイズ機EOS 5D Mark IIIを発表し、D800と同じ3月22日に発売した。両社の新型フルサイズ機が同じ日に発売されたことになる。4プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS 5D Mark III」を3月22日に発売

ラインナップ上の位置付け

ニコンはD800を、さらなる高画素・高画質化や小型・軽量化といった数々の要望を反映した製品と説明し、ハイアマチュアだけでなくプロにも対応できることを目指した。対象は、ネイチャー撮影やスタジオ撮影で高解像度を必要とし、中判デジタルカメラ並みの高画質を求める層である。1プレス ニコンデジタル一眼レフカメラ「ニコン D800 / D800E」を発売開発者インタビューでは、プロダクトマネージャーの松島茂夫氏が、D3Xを超える画素数として現状の中判デジタルカメラやデジタルバックを目標にしたと述べた。電気系システム開発担当の原信也氏も、画質面では中判デジタルカメラもライバルに含まれると考えていると語っている。5インタビュー デジカメWatchインタビュー:ニコンに訊く「D800」「D800E」の実力

D700との関係には諸説ある。当時の報道は、D800をD700の後継機と紹介した。デジカメWatchの発表記事は、D4と共通する機能が目立つ機種とも位置付けている。2プレス デジカメWatchニコン、有効3,630万画素のフルサイズデジタル一眼レフ「D800」一方、開発者インタビューで松島氏は後継機ではないと否定し、メカ開発担当の村上洋氏も「D700の上位モデルですが、どちらかと言えばD4に近い」と述べて、メカの機構はD4とほぼ同じだと説明している。5インタビュー デジカメWatchインタビュー:ニコンに訊く「D800」「D800E」の実力

後継機はD810である。2014年の新製品レビューで、デジカメWatchはD810をD800/D800Eの後継モデルと位置付けた。6レビュー デジカメWatch新製品レビュー:ニコンD810(機能編) 内部機構を一新、新機能も。人気のD800/D800E後継モデル

先代からの進化

D700との関係には諸説あるが、ここではD700との違いを見る。有効画素数はD700の1,200万画素から3,630万画素へ大幅に増えた。ファインダー視野率は95%から100%に広がり、記録メディアはCFカードの1スロットから、CFカードとSD/SDHC/SDXCカードのダブルスロットに変わった。AFには、クロスタイプ15点、F8対応11点を含むD4譲りの51点AFシステムを新たに採用している。7レビュー デジカメWatch新製品レビュー:ニコンD800

ボディはD4より軽く、大きさはD700に近いとされる。背面液晶は3型から3.2型に大きくなり、HDRモードと微速度撮影機能を新たに備えた。動画は最大1,920×1,080/30pのフルHD記録に対応する。ライブビューを背面の専用ボタンで素早く起動できるなど、操作系は下位機のD7000に近いものに改められた。8レビュー ITmedia有効3630万画素のフルサイズ機――ニコン「D800」インプレッション

ライバル機種との比較

dpreviewは、D800の競合機種としてキヤノンEOS 5D Mark III、ニコンD4、D700を挙げている。専門媒体の比較は総じて、D800の強みを解像度に、弱みを連写速度に見ている。D800の連写速度はFXフォーマット時で最高約4コマ/秒で、上位機D4の毎秒11コマに及ばない。9レビュー Digital Photography ReviewNikon D800 ReviewEOS 5D Mark IIIのレビューでも、D800は高い解像度を備える一方、連写速度ではEOS 5D Mark IIIに及ばないと評された。10レビュー Amateur PhotographerCanon EOS 5D Mark III review - full-frame bargain DSLR

センサー評価のDXOMARKは、D800に95点、EOS 5D Mark IIIに81点のセンサースコアを付けた。両社の設計思想の違いについては、原則としてキヤノンは感度に、ニコンは解像度に強みを持つと評している。11レビュー DXOMARKNikon D800 - DXOMARK

開発の背景

ニコンは、D3Xを上回る高画素・高画質化と、小型・軽量化の両立を開発目標に掲げた。1プレス ニコンデジタル一眼レフカメラ「ニコン D800 / D800E」を発売画素数について松島氏は、高感度画質なども含めてトータルで考慮した結果、3,630万画素に落ち着いたと説明している。5インタビュー デジカメWatchインタビュー:ニコンに訊く「D800」「D800E」の実力

同時に発表したD800Eについては、画像処理担当の武下哲也氏が、ローパスフィルターがない状態と同等の写りになると説明した。高周波成分がぼけていない分、コントラストのある先鋭感の高い画像を実現したという。5インタビュー デジカメWatchインタビュー:ニコンに訊く「D800」「D800E」の実力

利用者の評判

価格.comのレビューは352件で、総合満足度は4.80、星5つの評価が85%を占める。項目別では画質が4.85と最も高く、機能性4.71、ホワイトバランス4.68、操作性4.66が続く。最も低いのは携帯性の4.00で、それ以外の項目はいずれも4.4点を超えている。12レビュー 価格.comニコン D800 ボディ レビュー評価・評判

画質の高さは、利用者と専門媒体に共通する評価である。価格.comの項目別評価で画質が最も高いことに加え、発売時の新製品レビューも、圧倒的な解像感を「センセーショナル」と評した。7レビュー デジカメWatch新製品レビュー:ニコンD800

評判の出典

9件

内容の確認日: 2026年9月28日

D800で撮った写真の話題

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